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この漢詩は「彩雲堂」の屋号のもとになった「つとに白帝城を発す」です 資料編 二十代半ばの詩仙李白の最高傑作のひとつでもあります。三峡を滑るように下るスピード感と、若き李白の不安と希望に満ちた旅立ちの詩。三峡がダムで消える前にこの地を訪れたいものです。 間 カン、環 カン、山 サン と韻をふんでいます。資料編及び音声は「電子ブック 漢詩漢文名言辞典」より引用しました 。・・・間・・・Windows95の頃には考えられなかったことですが、こんな楽しい動画を発見しました。《早发白帝城》儿童教育视频 2011/09/17

漢詩逍遥

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茶仙    杜牧

いつもほとんど絶句ですが、今回は律詩にしました。酒飲みが身体をこわして悔しがっているというものです。題名が長いので、キーワードを使いました。清明は今年は4月の4日。その10日まえですから、少しまだ早いですね。第5句と第6句がきれいな対句になっています。2日ほど前の漢詩紀行でみまして、ここに採り上げました。


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拙訳)

歌えや踊れの屋形船にのった

今は清明の十日前

この時期、山は素晴らしくて、白い雲はつややかに見える

渓谷は光を放ち、赤い花が鮮やかだ

茶畑を見ると、、今にも開きそうで・・・開かない花

空は、、半分曇っていて・・・半分は晴れている

誰も知らないだろうなあ、病気で酒の飲めないこの私

でも、捨てたもんじゃない、茶の仙人になってやるよ

 

 

お茶はもともと、薬として中国から入ってきました。古い時代には「喫茶養生記」という、茶で治療をしたことを示す文献も残っています。三国志の冒頭でも、母親の病気のためにお茶の入れ物を大事にかかえた姿が出てきますね。やはり昔からお茶は貴重なものであったようです。 あるところで山菜の料理をいただいたときです。非常に野趣のある天ぷらがありましたので、これは何かと尋ねたところ、お茶の葉だと聞いて驚いたことがあります。とりたての新茶は食べられるのですね。

さて、何度か言うように、私はお酒が苦手です。漢詩の世界ではこの美禄は大変重要なアイテムですね。つらいとこです・・・。この詩は、大の酒好きの作者が、体調を壊して酒が飲めないので、悔しさ紛れに、じゃあ今日は茶でも飲んで、茶の仙人になってやろうじゃないかと開き直りを見せるオチがついています。軽い感じなので字体もそれに合わせてみました。

では、私も茶仙を目指せば、いいのでしょうか? ここはちょっとひねって、ハーブティあたりでどうでしょう。何分狭い地面で暮らしているもので、ガーデニングなどは夢のまた夢、それゆえフレッシュハーブには縁がありません。幸運なことに仕事柄、ドライのハーブには恵まれていますので、趣味も兼ねて10年くらい前から店で扱っています。

 

 

ハーブティの楽しみ方には色々あるでしょうが、私の好みはあまりコテコテにせずに、紅茶に混ぜて飲むいわゆる「フレーバー」、これが飽きが来なくていいですね。土台にする紅茶はアッサムなどなんでもいいのでしょうが、南アフリカ産のルイボスティがおすすめです。ルイボスは現地の言葉で「赤いお茶」という意味らしいですが、確かにきれいな色です。

 

これに気分に合わせて、または体調に合わせてハーブをいれます。カモミールはピーターラビットのお母さんが寝る前にくれる優しいお茶です。眠りを誘い、胃の薬にもなります。レモングラスは爽やかなレモンの香り。ミントはその名の通り、気分爽快。エキナセアはもっともアメリカで人気のあるハーブで、免疫機能の向上、抗菌、抗ウイルス作用で、風邪の時にも重宝します。書き出すとキリがないですが、最後に菩提樹の葉、リンデンとも言って、独特の香りが好きです。緊張からくる頭痛とか血圧の上昇などにもいいですね。さらにこれらを組み合わせてブレンドすれば、自分だけのハーブティが出来上がります。市販のオリジナルブレンドは量の割には高価なものですが、漢方薬店で単味で買うと、随分と安く飲めるものです。

立ち上る香りを吸い込む・・・香りの効果もハーブティにはあります。100ccのお湯に、ひとつまみのハーブをいれましょう。お湯は出来るだけ熱く、95度以上がいいです。蓋をして5分くらい待って下さい。選ぶ楽しみ、待つ楽しみ、そして香りとともに味わう楽しみ・・・酒でハンディのある方、茶仙を目指しませんか?

 

述懐    頼山陽

これは頼山陽が13歳のときの作品


 

                   千  安  人  天  逝  十      述

                   載  得  生  地  者  有  頼  

                   列  類  有  無  已  三      懐

                   青  古  生  始  如  春  山

                   史  人  死  終  水  秋  陽

 


読み)

じゅうゆうさん しゅんじゅう

ゆくものは すでに みずのごとし

てんち しじゅうなく

じんせい しょうじあり

いずくんぞ こじんにるいして

せんざいせいしに れっするをえん


拙訳)

ボクはいま13歳だ

いやちがう、すでに13年を失ったんだ

回りの世界はいつもかわらないみたいだけど

ひとは苦しみながら生きて、いつかは死んでいくよ・・・

ボクには大きな目標があるんだ

いつか偉い人たちの仲間入りをして、肩を並べるよ!

いつまでも語り継がれるような、立派なひとになるんだ!

きっとそうなってみせる

 

 

偉そうに言っても寝顔はまだ子供でしょう。世の評論はこの神童にひれ伏すことが通例ですが、わたしはあえて子供扱いして、今の子供でも理解しやすい訳をつけてみました。言葉の難度と、志の高さは本来無関係ですから、わかりやすいのがいいと思っています。

「生死」はセイシと読むのが普通ですが、私はショウジと読んでいます。仏道ではこれを常にショウジとよみ、人生の中に悩みや苦悶を含んで迷いそのものを表し、悟りを涅槃として「生死即涅槃」といわれます。また煩悩即菩提とも。ここでは、生死の意味をより深めるためにそう読むことにしています。

時間を流れる水に例えたのは、論語の子罕第九にある 「子、川のほとりにあって曰わく、逝くものはかくのごときか、昼夜をやめず」をふんでいるのでしょう。幼少よりの漢籍への関わりは、すでにこの時期には成熟を迎えていたようです。

江戸時代の漢方の大家、尾台榕堂先生は『方技雑誌』の巻一に回顧の場面をのせて、自分の初陣を次のように言っています。・・・あれは、自分が13歳の時だった。病気の人に往診を頼まれたが、その時ちょうど兄が他に出ていていなかった。父はお前が行ってこいと言う。そして往診が済んだあとその報告を父にして、処方の是非を伺った。そこで父は笑いを含んで、でかしたり。その病人はその後回復した。偶然とはいえ同じく13歳という年齢の逸話です。

記録によると、師匠の講義でこの漢詩を学んだのは昭和60年の正月9日、いまから13年前。少年、頼山陽の失った13年と較べるべくもないですが、物理的には同じ長さ。長男が13歳になるまであと5年あるのですが、この年齢はこの漢詩と、榕堂先生の逸話のせいで、何かひとつの節目になるのではないかと気にもなり、またその時が楽しみでもあります。

 

 

贈東林総長老    蘇軾  資料編

この漢詩は以前からとりあげようと思いながら機が熟せずいました。もっと正確に言うと、その勇気がなかったのですね。年月ばかりが流れてしまったのですが、この春に父を亡くしましてようやくその時を得たような気がします。



読み)

とうりんの そうちょうろうにおくる

けいせい すなわちこれ こうちょうぜつ

さんしょく あに しょうじょうしんにあらずや

やらい はちまんよんせんげ

たじつ いかんぞ ひとにこじせん


拙訳)

清流のささやきは、釈尊のことば

山の風景は、その清らかなからだ

一夜、たちまちにして得る無数の真理

とても人に語れるものではない

 

 

普段はなるべく読みやすいように常用漢字になおしているのですが、この詩は経典に関することでもあるので、昔の字を使っておきました。この方がよく映りますね、やっぱり。


仏道にあるものは悟道のために 四弘の誓願(しぐせいがん) をたてます。すなわち

  衆生無辺誓願度             より多くの人を救いたい

  煩悩無量誓願断             雑念から解き放たれたい

  法門無尽誓願学             多くの教典を学ぼう

  仏道無上誓願成             悟りの境地に至りたい

これをよく吟味すると、決して仏門に限ったことではなく、世間一般にも当然に通じることなのですね。よく学び、よく楽しむ、そういった当たり前のことなのかも知れません。ただ、その妥協のない厳しさは、理論や理屈ではなく実証だと言うことです。本で読んだ知識や人に聞いた話などは表面的には役に立つが、いざ修羅場で自分を導くほどの善知識、活学にはなってくれない。本当の苦しみは、その境地に至ったものでないと決して理解できない。その境遇の中から得たものこそが自分の財産。(自分では煩悩無尽、法門無量、仏道無限と記憶していましたが、一般書籍に従いました)

父がよく言っていた言葉に「批判する人間ではなく、批判される人間になれ」というのがありました。生前、漢方の師匠にこの話をしたところ、それはよい言葉だ、ただワシがその後にもう少し付け加えよう・・・「そしてその批判に耐える人間になれ」と。 一連の法要も終わり、初盆もすんで、亡き父の言葉が知らず、その光景とともに自分の中でふと蘇ります。

昭和の碩学、安岡正篤先生の解釈をもって、補っておきます

『渓声はそのままに自由自在の大説法。山色はそのままに浮世・汚染を解脱した、本来清浄身である。昨夜からの限りない悟道の趣を、さて他日何と人に示すことができようか。実は後二句は蛇足です。前二句でよろしい。もっと徹底して申しますれば便是、豈非も要りません。渓声広長舌。山色清浄身で結構です。しかしそれでは詩にならぬから、敷衍されるわけです』

 

牡丹    皮日休

時期的には梅の季節になろうとしていますが、それは前にやりましたので、今回は牡丹にしました(メールを下さったビジュアルバンドの方の熱き想いにおこたえして) 私が初めてこの花を見た時、それは真っ赤な大輪で、友人の下宿に泊まった寝ぼけた朝だったにもかかわらず、玄関をでた途端、まさに目に飛び込んできたと言うようなインパルスが今も網膜に残っています。大家さんが植えていたそうですが実に立派なものでした。中国では「花王」と称されるこの花は、豪華絢爛の代名詞、中国では芳香のある花は特に好まれます。

花をスクリーンでキャスティングすれば、ヤマユリはメリル・ストリープ、芙蓉はシンディ・クロフォード、そしてこの牡丹はシャロン・ストーンというあたりでしょうか。ちなみに私が好きな女優はメグ・ライアン(カモミール)です。ま、それはどうでもいいことですが。


              独  競  佳  落           

              占  誇  名  尽     牡

              人  天  喚  残

              間  下  作  紅     丹

              第  無  百  始  皮

              一  双  花  吐  

              香  艶  王  芳  休


読み)

ざんこう おちつくして はじめてはなをはく

かめい よびてひゃっかのおうとなす

きそいほこる てんかむそうのえん

ひとりしむ じんかんだいいちのかおり


拙訳)

春、あらゆる花が咲き乱れては散っていった。 そして最後に咲く花がある

それは花の中の王様とよばれている

そのあでやかさは天下に比類無く

この世で最も芳しい香りで唯一君臨する事を許されているのだ


花をこれほどまでに至高に掲げた作品もそう多くはないでしょう。初句以外は全てがその礼讃の為に使われています。もしこれを人物でやったらどうでしょうか。おそらくあまりの崇拝が誤解を生むでしょうし、逆に誉め殺しになってしまうでしょう。ものを言わない花だからこそ読むものもそれを受け入れてしまいます。同じく牡丹を褒め称えた作品に晩唐の羅隠の『牡丹花』があり、そこでは芍薬なんて所詮あなたの家来、蓮の花もどこかへ逃げていってしまいますよと表現しています。

 

ボタンの花 この他にも赤、紫、白など

この写真を見て下さい。ひっそり咲くなんてありえない存在感。この牡丹のあでやかさと、ライオンの勇ましさが似合うという発想もおもしろいです。これが「牡丹に唐獅子」。百花の王と百獣の王との共演というわけです。ジャパニーズタトゥーにも選ばれるわけです。わざわざ獅子に唐をつけるのは、日本では獅子を昔からイノシシやシカに当てているからで、イノシシの肉を隠語で牡丹なんていって、いわゆる牡丹鍋。私も一度賞味してみたいもんです。

牡丹はその根の皮を牡丹皮といいまして、重要な漢方薬です。婦人病や、神経痛などに用います。主役になることは少ないですが、代表的には八味地黄丸とか桂枝茯苓丸、大黄牡丹皮湯などに入っています。花だけではなく、生薬の根にも独特の香りがあり、切った断面には結晶がキラキラしています。根にまで輝きを与えるなんて自然界も粋なことをするもんですね。日本では主に奈良県で生産しています。桜井の長谷寺は花のお寺と呼ばれ、特に牡丹が有名です。さっそく四月の末に行ってきました。賑やかな参道、長い回廊、牡丹とともにシャクナゲが素晴らしかったです。

作者の皮日休についてはよく分かっておらず、この作品自体も彼の作であるかどうか明白ではないようです。


偶成    朱熹    資料編(秋の七草と薬効)

出張先の診療所で漢方野外教室という行事が春と秋にありまして、患者さんやスタッフが参加して季節を楽しんでいます。私は刻んだ生薬が専門で、都会育ちのせいもあり野の草花に関してはあまり詳しくないのです。参加されている方々の方がよっぽど詳しいので勉強になります。さてこの前は春の山菜を楽しんだのですが、はや紅葉の季節とこの半年は瞬く間に過ぎてしまいました。この詩は偶然にも春から秋へのワープをイメージしており、野外学習でもとりあげました。資料は簡単ですが「秋の七草と薬効」と題して作ったもの(一部)です。今回の詩は初めて毛筆画像で貼ってみました。


偶成 朱熹


読み)

しょうねんおいやすく がくなりがたし

いっすんのこういん かろんずべからず

いまださめず ちとうしゅんそうのゆめ

かいぜんのごよう すでにしゅうせい


拙訳)

若いときはアッという間に過ぎてしまうから、時間は大切にしなさいよ!

ついさっきまで春の陽気に包まれ、池のほとりで居眠りをしてたのに

ふと気がつくともう梧(あおぎり)が秋の到来を告げているよ


朱熹はご存じのように道学者、哲学者として有名です。ですからこの詩の前半は直立不動で拝聴?するほどキリリとしてます。後半はそれをソフトに包み込むように出来ていてちょっとホッとします。この春の夢は漢詩独特の引用の作用があって、快楽の夢じゃなくて、春の芽生えのような若者の青雲の夢をイメージさせています。春を告げるのが梅ならば、秋を告げるのは梧ということになるのでしょうか。

近思録 きんしろく

 南宋の朱熹(シュキ)(字(アザナ)は元晦(ゲンカイ) 1130―1200)と呂祖謙(リョソケン)(字(アザナ)は伯恭(ハクキョウ) 1137―1181)の共編。(朱熹が主となり、呂祖謙がこれに協力したもの。)宋の四人の学者、周惇頤(シュウトンイ)(濂溪(レンケイ) 1017―1074)、程_(テイコウ)(明道(メイドウ) 1032―1085)、程頤(テイイ)(伊川(イセン) 1033―1107)、張載(チョウサイ)(横渠(オウキョ) 1020―1077)の著作や語録から、初学者のための入門書として、六百二十二条を選んで編集したものである。全体を、道体、為学、致知、存養、克己、家道、出処、治体、治法、政事、教学、警戒、弁異端、観聖賢の十四巻に分けている。『近思録』という名称は、『論語』「子張」篇の「子夏曰く、博く学んで篤く志し、切に問いて近く思う、仁其の中に在り。」というところから取られている。「近く思う」とは、日常身近な事柄についてたずね、また自ら思索することをいう。わが国においても、この書は、昌平黌をはじめとして各藩で広く読まれていた。(野地安伯)「漢詩漢文名言辞典」より引用


不識庵機山を撃つの図に題す
    頼山陽    資料編

サッカーの祭典ワールドカップが始まりました。日本は前回のアメリカ大会の予選で信じられないような運命のいたずらに翻弄された。それはドーハの悲劇として日本サッカーの歴史に長く語り継がれるでしょう。あのときは私も奇声を発した後に愕然喪失、翌日は全く仕事にならなかったのを覚えています。さて不識庵こと上杉謙信もこの合戦において武田信玄を寸前のところで討ち漏らし、その落胆やドーハに共通するものがあったでしょう。


         流  遺  曉  鞭         題

         星  恨  見  聲         不

         光  十  千  肅      撃 識

         底  年  兵  肅  頼  機 庵

         逸  磨  擁  夜      山

         長  一  大  過  山  図

         蛇  劍  牙  河  陽


読み)

べんせいしゅくしゅく よるかわをわたる

あかつきにみる せんぺいのたいがをようするを

いこんじゅうねん いっけんをみがき

りゅうせいこうてい ちょうだをいっす

明日はいよいよ第一戦のアルゼンチン戦。不識庵は音も立てずに夜中に川を渡る奇襲作戦を用いました。果たして岡田監督はどう戦うのでしょうか。絶望と言われた予選を生き残り、ついに大舞台に立つことになった日本イレブン。十年この日のために剣を磨いてきた武将と同様、日本サッカーもそれ以上の年月をかけて体力・技術・そして精神力を鍛えてきた。是非とも悔いのない試合をして欲しい。この部屋からもエールを送ります。

私の好きな漫画に「こち亀」があります。これは町の派出所のお巡りさんが主役なんですが、今はテレビでも放映されて子供とも共有できるようになりました。そこに出てくる大原部長はガチガチの頑固者で私のもっとも好きなキャラです。この部長の趣味に詩吟がありまして、実はひどいもんなんです。聞いているものが失神するというドラエモンのジャイアンといい勝負。その部長がのせられて吟詠をやる場面がありその時の作品がこの「べんせい〜しゅくしゅく〜〜」でした。これからしてもいかにこの作品が人口に膾炙されているかがわかります。

頼山陽は江戸後期の儒学者で、安芸の人、名は襄(のぼる),字は子成,通称は久太郎。寛政の三博士と言われた一人、尾藤二洲に学び、梁川星巌や大塩中斎とも親交がありました。その作品は剛直である一方、母親思いの優しさにあふれるものもあり、学者らしからぬ人間味にあふれています。

清明    杜牧    

菜種梅雨とはうまくいったもので、このところ雨が多いです。しかも空は憂鬱な色をして、雨は薄暗い部屋にかかったレースのカーテンのようにも見えます。確かに魂を断たれそうな気分にさせてくれます。二十四節気の一つ「清明」は今年は4月5日でした。清明節のあとに吹く東南の風は清明風という万物に活力を与える薫風です。楽しみですね。「清明」は文字通り清く澄みきったという意、現代中国語では チンミン。


         牧  借  路  清           

         童  問  上  明     清

         遙  酒  行  時

         指  家  人  節     明

         杏  何  欲  雨  杜

         花  処  断  紛

         村  有  魂  紛  牧


読み)

せいめいのじせつ あめふんぷん

ろじょうのこうじん こんをたたんとほっす

しゃもんす しゅかは いずれのところにかある

ぼくどう はるかにゆびさす きょうかのむら

拙訳)

清明の頃には春は真っ盛り、でも今日は粉のような雨が降り続いている

この雨のなか、旅人である私は、路上で憂えて気力もなくなってしまった

酒でも飲まないとやってられんなあ 酒屋はどこにあるのか聞いてみた

牧童が指さす向こうには、杏の花が咲く村があった

今日(98/4/9)の天気にぴったしです。牛をひっぱった少年がけなげに指をさす。首をつきだして目を細め、助けを求めるような作者の視線が目に浮かぶようです。清明は同時に春真っ盛り。以後 穀雨、 立夏、 小満、 芒種、 夏至・・・
お酒の好きな人はこれで救われますが、私のように飲めない場合は何に助けを求めましょうか? とりあえずYAHOO!にでもいって、どこかおもしろいサイトはないか「借問す」ることとしましょう。 YAHOO!無言で表示す彼方のURL。

この作品の決め手は第四句。杏花の薄いピンク色、その白さに魂が救われます。それまでの設定はすべてこれを美しく表現するための舞台装置なのかも知れません。杏(アンズ)は種子を「杏仁」といって代表的な咳の漢方薬でキョウニン水にもなる。また杏仁は上海語で「あんにん」と発音し有名な杏仁豆腐の原料にもなります。さらにこの種子を搾るとキョウニン油がとれて軟膏の材料になり、アミグダリンという猛毒があるので多量に生食すると中毒が現れる。花を楽しんでよし、おいしい食べ物にもなれば、薬にもなる。おまけに毒にもなるというのですからなかなか役者ですね。

漫述    佐久間象山

NHKの大河ドラマで徳川慶喜をやっています。私も毎週楽しみに見ています。鎖国から開国へ。時は安政、島国が大国に揺られおまけに地面まで大揺れに揺れた。 タイトルの「漫述」とはなんとなく思いついたことを書いてみたといった感じ。漫談、漫筆、漫遊などの漫。この「なんとなく」というのは使う人によってはおもむきがある言葉ですね。


          不  天  嗤  謗      漫

          覓  公  者  者  佐  

          他  本  任  任  久  述

          人  知  汝  汝  間

          知  我  嗤  謗  啓


読み)

そしるものは なんじのそしるにまかす

わらうものは なんじのわらうにまかす

てんこう もとわれをしる

たにんのしるをもとめず

拙訳)

私を非難する者はするがいい

わらうものはわらわせておけ

天こそが私の真意を知っている

理解できぬものにあえてもとめはしない

笑う門には福来たるは「笑う」。一方世間様にわらわれるという場合には「嗤う」という字もある。漢詩などではこの字はあざ笑う、嘲笑するという意味で出てきます。また春山わらう如しという場合には咲くの字を用いて「咲う」と表現し生き生きした自然を回想させる。このほかにもわらうの漢字はたくさんありますね。英語ではlaughは「笑」「嗤」どちらの意味にも使うようです。

よく映画などでダメ人間を表現するときにテレビを見て腹を抱えてゲラゲラ笑っている姿を用いたり、屈曲した人物が薄気味悪い笑みを浮かべたりします。また怒りや悲しみも頂点に達すると笑いになりますから、このわらうという表現はボディランゲジの芸術といえるかも知れません。赤ちゃんの笑顔・・・これがどれほど人をハッピーな気分にさせてくれるかは理屈ではないですね。

佐久間象山(名は啓ひらき、象山しょうざんは号)は佐藤一斎に学を受け和魂洋才の学風のもと吉田松陰や勝海舟、坂本龍馬らを輩出しました。論語にも人知らずしていきどおらず、また我を知るものはそれ天かとありますが相通じるものがあるようです。「散るもめでたし桜花」の辞世の句の如く、激動の時代に見事に散り果てました。本日(2/16)は佐久間先生ご生誕の日であり、また私の師匠である片山草雲先生の命日でもあります。

歳月人を待たず    陶淵明    資料編

これは雑詩でして本来無題です。「歳月人を待たず」という題の作品ではありません。この部分は特に有名でわかりやすいので便宜上こういうタイトルにしてみました。


         歳  及  一  盛          雑

         月  時  日  年      其  詩

         不  当  難  不  陶  一  十

         待  勉  再  重  淵      二

         人  励  晨  来  明      首

         


読み)

せいねん かさねてはきたらず

いちじつ ふたたび あしたなりがたし

ときにおよんで まさにべんれいすべし

さいげつ ひとをまたず

拙訳)

若さというものは二度と取り戻せるものではないし

一日に二回朝が来ることもない

だから時間を無駄にしないで、大いに楽しもうではないか

年月というものは、残念ながら人を待ってくれることはない


池大雅画 陶淵明

暦で大安というのは吉日とされていて、よく結婚式などお祝い事の日和になったりします。ところがそれは間違いで本当の意味は大安というのは魂を大いに安んずる日という意味であって、そんな日に忙しい行事を入れてはいけない。また干支に丙午(ひのえうま)というのがあって、この年に生まれた女子は男を喰い殺すという。これまた誤解も甚だしく、丙午というのは年でなくて日で見るべきもの、年ではあまりにおおぜいになってしまうので、その弊害は計り知れないでしょう。このように一般には誤解されていることがよくあります。この漢詩もそういう意味で誤解されていることが多いようです。

「勉励」という言葉がそれで、これは「楽しみなさい!」という意味です。仕事や勉強をしろということではないですね。陶淵明はご存じのように酒飲みで有名な人です。その彼がまじめにやれーなどと味けのないことをいうはずがないので、ここではその前後を見てみれば、解釈は紛れもなく「まあ堅いこといわずに近所の人と酒でも飲みなはれ」っちゅうことになります。ただ時間を無駄にするなよ!という点では十分に教訓的な意味も持っていると思います。この前の部分を要約すると、人生は舞い上がるチリのようなもので、風が吹けばバラバラだ。たまたま生まれ落ちたらそれが兄弟だったというだけ。肉親も他人もない。宴会になったら近所の人を集めて大いに飲もう。若さというのは・・・と続くわけです。なお陶淵明は東晋時代の人で李白や杜甫など唐の時代の詩人達の大先輩に当たる。



涼州詞    王翰    資料編

このような稚拙な部屋でもWEBでつながっていると、時々感想のメールなどを頂いてうれしいものです。それぞれの方は私以上に漢詩が好きで勉強になります。この漢詩もある方が好きだということで、この機会にここに載せてみることにしました。前に上杉謙信の作を採り上げましたが、私たち戦争を知らない世代としましてはこういった作品は、当然ながら経験者と較べれば深意を解釈するには及ばないでしょう。


         古  醉  欲  葡           

         來  臥  飮  萄     涼

         征  沙  琵  美     州

         戰  場  琶  酒     詞

         幾  君  馬  夜  王

         人  莫  上  光

         回  笑  催  杯  翰


 「漢詩漢文名言辞典」より音声を引用しました じっくりお聞き下さい

読み)

ぶどうのびしゅ やこうのはい

のまんとほっすれば びわ ばじょうにもよおす

ようてさじょうにふすとも きみわらうことなかれ

こらいせいせん いくにんかかえる

拙訳)

異国の葡萄酒を、これまためずらしい異国の綺麗なグラスで飲んでみる

ゆっくり楽しもうとしているのに、誰かが馬上で琵琶を弾いて心をせかす

浴びるほど飲んでぶざまに寝転がっているからといって笑うのはよしてくれないか

だいたいこんなところにまで遠征して、生きて帰るものが果たしてどれだけいるのか

詞と詩は使い分けがなされていまして、詞のほうは音にのせて歌うようなものを言います。「歌詞」。辺境の地にて作られた漢詩の中でも傑作中の傑作と誉れ高い作品です。極限状態でのつかの間の歓楽をみごとに表現しています。作者の王翰(おうかん)は才能に恵まれながらいわゆる「のむうつかう」で自由に生きた剛の者だったようです。

春日偶成    増田学道

勉強のつもりで初めて作った漢詩です。初心者は多作がよいということですので、推敲もほどほどにしました。実際にやってみるとなかなか難しいものですね。当然ながら素人のもので芸術性など求めるべくもありません。建設的なご批判は喜んでお受けいたします。


         臥  寒  夫  由           

         雲  陋  子  来      春

         高  談  更  仲      日

         枕  玄  尋  景  増  偶

         我  千  日  是  田  成

         心  古  夜  吾  学

         馳  意  思  師  道


語彙)

仲景 昔の名医

夫子 孔子のこと

寒陋 貧乏 うだつが上がらないこと

談玄 清談 世俗に染まらない学問の論議

拙訳)

もとより私は張仲景を自分の師と仰いでいる

また聖人たる孔子をいつも思い尋ねる日々

生活は苦しいが友と古人の求めたものを論じては楽しんでいる

遥か雲の上で枕を高くして眠れば

私の心は千年の時を自由に駆けめぐることができる

江雪    柳宗元    資料編

今日は大阪でもめずらしいことに朝から一日雪が舞っていました。暖気も足下までには至らず、腰からしたが冷え冷えとしています。さて、雪にちなんだ作品というとこれが思い浮かびます。雪と孤独、失意、これほどの寒い取り合わせはない。いわゆる「寒江独釣図」がたくさんありますが、この作品がぴったりでしょう。作者の柳宗元は21歳という若さで及第した秀才ですが、その後は左遷などにあい、孤独でつらい一生だったようです。この老人のように。


         独  孤  万  千           

         釣  舟  径  山      江

         寒  蓑  人  鳥  柳

         江  笠  蹤  飛  宗  雪

         雪  翁  滅  絶  元


 「漢詩漢文名言辞典」より音声を引用しました じっくりお聞き下さい

読み)

せんざん とりとぶことたえ

ばんけい じんしょうめっす

こしゅう さりゅうのおう

ひとりつる かんこうのゆき

拙訳)

どの山を見ても一匹の鳥もいなくなってしまった

どの道を見ても人の足跡も消えてしまった

ふとみると、ポツンと川に浮かんだ舟に蓑笠をつけた老人が

寂しそうに雪の中釣り糸を垂れてじっとしているではないか

今日のような寒い日には読んでいるだけで鳥肌がたってくるような作品ですね。この老人に較べればこれを読んでいる人の寒さなどどうってことないでしょう! 寒々しい舞台装置は完璧なまでに揃っていますが、よく考えてみると、もっと寒いのは作者そのものであって、老人は作者の陰ということになります。

漢詩では「私は…」などという野暮なことを言わず、一枚の絵を描いたり、昔の逸話などを示唆することによって遠回しに表現して味があります。また3句目と4句目の一番上の字を見てみてください。「孤独」となりますね。あえて労力を惜しまず?縦書きにしているのはこのような粋なテクニックも見て欲しいからです。千と万、鳥と人などもきれいな対になっています。これらを美しいと感じられる我々は幸せですね!

桂林荘雑詠諸生に示す 広瀬淡窓  資料編

この作品は私の苦学時代、よく漢方の師匠に教えられたもので、読むたびに当時の辛酸がこみ上げてきて「泣きの一作」ともいうべき作品。その後、大分県日田の咸宜園を訪ねて、広瀬先生を偲んだ。先生は幕末の大学者で、生まれつきの病弱のため長く師(亀井南溟)につくことができなかったが、その後独学で一派をなした人。塾舎である桂林荘の桂林とは人品が気高く、世俗から突出しているという意。高名は遠くに至り、全国から階級を問わず多くの若者がここに集まった。


         君  柴  同  休      桂

         汲  扉  袍  道      林

         川  暁  有  他      荘

         流  出  友  郷  広  雑

         我  霜  自  多  瀬  詠

         拾  如  相  苦  淡  示

         薪  雪  親  辛  窓  諸 

                            


読み)

けいりんそうざつえい しょせいにしめす

いうをやめよ たきょう くしんおおしと

どうほうともあり おのずからあいしたしむ

さいひ あかつきにいずれば しもゆきのごとし

きみはせんりゅうをくめ われはたきぎをひろわん

拙訳)

我が塾に学ぶものへ告ぐ

家を出て異国での修行の辛さを愚痴ってはいけない

志を同じくする友達と 互いに親しみなさい

早朝に起きて扉を開ければ 霜は雪のごとく

寒風が身にしみるだろうが 決してくじけてはいけない

さて君は川に水をくんでくれ 私は山に薪を拾うよと

自炊に、学問にと励まし合うことだ


思い起こせばあれからはや15年の年月が経っていますが、この詩は私の財産のひとつになりました。年頭にあたり、この作品をここに再び記して初心を忘れず日に三省、倦むことなかれと念じたい。あ、随分かたぐるしくなってしまった! 一年の計は何とか、仕事始めの今日に限ってお許し下さいませ。さあ、今年もガンバロー。


咸宜園のいろは歌 先生の教育者としての姿勢がうかがわれる

秋浦の歌 李白    資料編

まさに秋もたけなわとなってきました。これは題名に秋のつく作品ですが、実は地名でして季節とは関係ありません。でも結句にも秋が出てくるので、始めと終わりに秋があるこの詩はどうしても気になりますね。いきなり先制パンチをカマされたような第一句。すごいインパルスです。あなたはマシンを例えてメモり3000メガ!という勇気がありますか? 李白先生、55歳頃のものです。


         何  不  縁  白

         処  知  愁  髪      秋

         得  明  似  三  李  浦

         秋  鏡  箇  千      歌

         霜  裏  長  丈  白


読み)

はくはつ さんぜんじょう

うれいによって かくのごとくながし

しらず めいきょうのうち

いずれのところにか しゅうそうをえたる

拙訳)

どえらいことになってもうたがな、ごっつい白髪や!

めそめそしてたさかいに こないに長なってしもたなあ

鏡にはちゃんと映っとるなあ、、、いい!? これがワシかぁ

こら秋の霜やで。どっからきたんやろか、これは

地の言語で表現してみました。ふと気付いた自分の老いに驚いている様子が伝わったでしょうか。鏡に映った自分にハッとするということは誰しも経験することですね。秋のイメージは、どうしても夏の盛りを過ぎた寂しさになります。

東洋医学の基礎理論である五行説では季節に色を当てています。春は青(青春)、夏は赤(炎夏)、秋は白(白秋)、冬は黒(玄冬)秋の色は白で、白髪にぴったりですね。人生もまた青から始まって黒に終わる。はじめはケツが青いなどといわれるが、やがて人生の玄人となる。その間は喜び(赤)や憂い(白)の連続で終始する。感極まるのが土用で思惑(黄色)を生ずる。つまり逆境でこそ人は考え、成長するということになります。

秋浦の歌は全部で17首あり、これはその第15首目。

山行 杜牧

山の美しい季節というと、シャクナゲの咲く春、または若葉の萌える新緑、あるいは紅葉の季節でしょう。場合によっては霧氷や樹氷が美しかったりしますが、それは例外。個人的には新緑の6月頃が一番好きですね。夏が来る一歩前の頃。あふれ出る生命の息吹が身体を包み込みます。一方、秋の山は確かに美しいですが、単独行のものにとってはすこしもの悲しさに過ぎますね。ふと立ち止まってはため息をつく感じで、私はこの季節は一人では登りません。大勢での紅葉狩りとかに向いていると思います。杜牧先生が秋の山を歩くと、このような名作ができあがります。秋は英語でfall。木の葉が落ちた寂しい山が「寒山」です。


         霜  停  白  遠

         葉  車  雲  上    

         紅  坐  生  寒

         於  愛  処  山    行

         二  楓  有  石  杜

         月  林  人  径

         花  晩  家  斜  牧


読み)

とおくかんざんにのぼれば せきけいななめなり

はくうんしょうずるところ じんかあり

くるまをとどめて そぞろにあいす ふうりんのくれ

そうようは じげつのはなよりも くれないなり

拙訳)

秋も深まる頃、一日寂しい落葉の山の、斜めに続く砂利道を登る

随分と高いところ、あたかも白雲の生じるあたりに人家が見える

ふと車を止める。何となく、夕暮れの楓を心地よく味わっている

よくみれば霜の季節の紅葉は、春の桃の花よりも赤いではないか!

山行 七言唐詩画譜
白雲はいわば靄(もや)のことでしょうが、これまたエライところに住んでる人もいるものです。杜牧先生なら、この続きはそこでうまい酒でも飲んだのかも知れません。しかしこの季節、山登りをしていて、行く手にもやがかかっているとゾッとしますね。びしょ濡れになるんですから。白雲には秋気の冷たさと、憂鬱があります。しかし人家が見えれば少しは心が和らぎますか。きっとこの日はどんよりとした曇りだったんでしょう。

昨年は紅葉の季節に、四国剣山系の山に登り、コメツツジの赤が非常にきれいでした。山の斜面にポツポツと映える赤。楓の赤とはまた違った美しさが印象的でした。まさに「紅一点」。蛇足になりますが、秋限定のビールのラベル。あれは味(品も)がないですね。デザイナーは是非この詩を味わったうえで、寒山を山行して考えて欲しいものです。







九月十三夜 上杉謙信    資料編

すっかり秋らしくなってきました。「秋気」を感じます。この詩は師匠のお気に入りで、私も大好きな作品です。吟じて下さるのは私の知人である竹田亨氏です。リアル・オーディオのファイルを張り付けています。さてあなたのブラウザでちゃんと聞こえるでしょうか。詩吟マークをクリックして下さい。


         遮  越  数  霜    

         莫  山  行  満      九

         家  併  過  軍      月

         郷  得  雁  営  上  十

         憶  能  月  秋  杉  三

         遠  州  三  気  謙  夜

         征  景  更  清  信


読み)

しもはぐんえいにみちて しゅうききよし

すうこうのかがん つきさんこう

えつざんあわせえたり のうしゅうのけい

さもあらばあれ かきょうのえんせいをおもうを

拙訳)

冷ややかな霜が軍営に満ちて、秋の気は清らかに澄みわたる

夜中になって、月明かりの中を雁の群が飛んで行く

今戦いが終わり、越後の山々のなかに能登をも手に入れることができた

これぞ男子たるものの本懐ともいうべき美酒に酔いしれる一時

故郷においてきた家族は我が身を気遣っているであろうが

かといってこの絶景を見捨てて帰れるはずなどないのだ

上杉謙信の会心の作です。彼は晩年得度して不識庵と名乗っています。詩の一部を頼山陽が手直ししたということですが、日本外史に出ているこの形がやはり優れているようです。

物事を成し終えた後の澄明な充実感。しかしながら大将たるものの孤独が情景の中にひしひしと伝わってきます。勝利と孤独とは常に隣り合わせ。人生に一度はこんな気持ちに浸ってみたいものです。

大楠公     梁川星巖

先日、久しぶりに金剛山に行きましたので、この機会に私の好きな入魂の作品をやりたいと思います。梁川星巌は江戸末期の漢学者、頼山陽と並び賞せられたひとです。彼の奥方、 紅蘭も詩人、画家として知られています。めずらしいオシドリ夫婦。


大楠公     梁川星巌

豹死留皮豈偶然          豹は死して皮を留む 豈偶然ならんや

湊川遺跡水連天          湊川の遺跡 水天に連なる

人生有限名無尽          人生限りあり 名尽くるなし

楠氏精忠伝万古          楠氏の精忠 万古に伝ふ


内容は読んだそのままです。偉大な功績、大丈夫、徳をこれ以上無いほどに讃えています。星巌先生、心から心酔していたというのがよく分かります。 楠公父子の別れ・・・いいですね。叙情詩「大楠公」(青葉茂れる桜井の・・・)を口ずさむと、何とも言えず胸にこみ上げてくるものがあります。

私が高校時代を過ごした四条畷は、小楠公ゆかりの地。飯盛山のてっぺんには立派な正行の像があり、大阪平野を見下ろしています。その銅像の下に書いてある文字が読めません。つくづく学問の不足を感じますが、もし知っておられるかたがありましたらご教示下さい。

中庸 元田東野

よく師匠にたたき込まれた漢詩に「中庸」があります。縦書きなんですが、あなたのブラウザできれいに見えていますか?


         天  勧  文  勇  

         下  君  明  力     中

         万  須  才  男    

         機  択  子  児  元    

         帰  中  酔  倒  田 庸

         一  庸  文  勇  東  

         誠  去  明  力  野


勇力の男児は勇力に倒る

文明の才子は文明に酔う

君に勧む すべからく中庸を選び去るべし

天下の万機は一誠に帰す

力を頼りに進めば、力によって倒される

知識、才能で世渡りしようとすれば、それに酔って自分を見失う

ぜひとも、中庸をとり、それ以外は捨てよ

人生、いや国のまつりごとでさえ、突き詰めればただ一つの誠より成る

論語にも次のようにあります(訳のみ)

中庸のもの(優れた人)を期待できなければ、次にはせめて行き当たりばったり一辺倒の積極的人間か、もしくは何もしない引っ込み思案の人間がよい。前者には進んで何らかの志があるし、後者には動かず節義を守る徳がある。子路第13、21章 がくどう訳)

この中庸という認識は養生の上でも非常に大事だと思います。体は常にバランスを保とうとしてがんばっています。それを邪魔しない、手助けするのが養生法の基本でありますから。しかし、ここでこのような狭義の解釈を入れると作品の芸術性を落としてしまいますね。失礼しました。

対酒 白楽天    資料編

師匠は大の酒好きでした。弟子に大酒飲みが多いのはこのためです。私はというと大して酒がイケルくちではありません。しかし漢詩を読み出すと酒に関する詩の多いこと、多いこと。酒が飲めないと何か落第点をつけられそうな気さえしてきますね。この詩も極めつけのひとつですか。また縦書きです。


     不  随  石  蝸

     開  富  火  牛     対

     口  随  光  角

     笑  貧  中  上  白

     是  且  寄  争     酒

     痴  歓  此  何  楽

     人  楽  身  事  天


読み)

さけにたいす

かぎゅうかくじょう なにごとかあらそう

せっかこうちゅう このみをよす

とみにしたがい ひんにしたがい しばらくかんらくす

くちをひらいてわらわざるは これちじん

訳)

物事を大きな目で見ると、全く意味がないほど小さな事で

いったい何を争っているのか。まるでカタツムリの角の

上のことではないか。実に愚かだ。

人生は石火の如く過ぎ去り、そこに身を寄せるはかなさ。

お金持ちはお金持ち、貧乏は貧乏、分に応じて

とりあえずは酒を飲もう。

口を開いては悩み、悲しんだりするなんてバカげたこと。

大いに笑おうではないか!

白楽天は唐の時代の詩人。社会的にも成功し、晩年は酒と詩に遊んで酔吟先生などと呼ばれた幸せな方です。さてこの詩を見たら飲まずにはいられなくなるでしょう。飲んで楽しまぬ人間はツマランと言い切っています。こんな詩をいくつも読まされたら飲めない人はたまらんですね。いわれなくても飲む人は そうだ!そうだ! の大合唱!

絶句 杜甫

たった20文字の漢字が並んでいるだけですが、これほどのことが表現できるんですね、漢詩というのは。私がはじめて漢詩に目覚めたというか、そのすばらしさを実感したのがこの詩です。是非そのすばらしさを味わって下さい。

「絶句」というのはいわば 無題 とでも言うべき意味です。即興で出来た、偶然に出来たというようなニュアンスがあります。


       何   今   山   江

       日   春   青   碧      絶

       是   看   花   鳥

       帰   又   欲   逾  杜  句

       年   過   然   白  甫


読み)

こうみどりにして とりいよいよしろく

やまあおくして はなもえんとほっす

こんしゅんみすみす またすぐ

いずれのひか これきねんならん

訳)

江(河)は紺碧の青。そこに浮かぶ水鳥は純白の白

山は緑、燃えるばかりの花は深紅に染まっている

今年も短かった春は過ぎ去ろうとしている

この地に来て何回目の春になるのであろうか

美しさのあまりかえって故郷が恋しくなってくるではないか

はたして帰れる日はくるのだろうか


絶句 唐詩選画本


杜甫、53歳の作品。解説書なんかには、山水画を見るが如しなんて書いてあることもありますが、私は油絵を描いてます。青、白、緑、赤、みごとにキャンバスに描かれた 晩春の絵。この詩を読む毎に一枚の絵が浮かんできます。それは私の心の中だけにあって実際には存在しませんが。しかしその描写美しさを絶賛したのもつかの間、実は作者のこころはその美しさとは裏腹に、望郷の念で張り裂けるほど寂しいのです。そのうつろな心境がますます春の命を残酷なまでに美しく演出しています。

はじめにも書きましたが、少ない数で、これほどのことが表現できる漢字というのは実に素晴らしいとは思いませんか。















山中対酌  李白    資料編

「一杯一杯また一杯」ってありましたよねいう某氏のリクエストにお応えしまして、李白の実に愉快な、「あやかりたいですなあ」としみじみ思ってしまう、ちょっと悔しい作品を紹介します。李白の晩年、55歳くらいの頃の作品といわれてます。


     明   我   一   両

     朝   酔   杯   人      山

     有   欲   一   対      中

     意   眠   杯   酌      対

     抱   卿   復   山  李  酌

     琴   且   一   花

     来   去   杯   開  白


読み)

さんちゅうたいしゃく

りょうじんたいしゃくして さんかひらく

いっぱいいっぱい またいっぱい

われようてねむらんとほっす きみしばらくかえれ

みょうちょういあらば ことをいだいてきたれ

大意)

山中誰にも邪魔されることなく 二人差し向かいで

いっぱいやっている。折から季節の花が咲き乱れ

ここは楽園のようだ。一杯一杯と杯を重ねる。

ああなんと気持ちのいいことか。いよいよ眠くなってきた。

君はしばし帰っていてくれ、私はこの眠りを楽しむ

こととしよう。そうだ、気が向いたら明日の朝、琴を

持ってもう一度きてくれ。今度は君の琴を聞きながら

いっぱいやろうじゃないか。

詩題を「山中、幽人と対酌す」とすることが多いようです。ここでは別名の方の簡単な方を採りました。CMではイーペイ イーペイ 又ヨウ イーペイとやってましたが、さてこの詩ででは イーペイ イーペイ 復フウ イーペイ になってます。私はこちらで記憶してたんですけどまあ意味は同じですね。フウ の方だと大らかに飲む、ヨウ だと結構ガンガン行く!というような音に感じますがどうでしょうか?

漢詩の世界では、先人の句をそのまま用いたりするのはよくあることで、その句が生きていれば模倣であっても許されると言うことが普通です。これより前、もしくはあとに一杯一杯又一杯という句があるかも知れません。とりあえず李白のこの詩は有名ですので、これをあげておきました。で、この詩の中でせっかく来た客人を眠いからといって、追い返すとはなんじゃいな!と思った人がいるかも知れませんね。しかしこれには伏線がありまして、飲んべいの陶淵明トウエンメイがかつてこれとおなじ故事を実生活で残しており、わずかの字数の中に故事を入れてその想像を大きく膨らますという、漢詩の技術のひとつです。同時に陶淵明への親しみと尊敬を読むものは、自然と感じることになります。

しかしまあ、こんなことやってみたいもんです。花を肴に、琴を肴に、時間がゆっくり過ぎて・・・ こりゃもう仙人の世界でしょうか。

偶感 西郷南州   資料編

才より徳の長じたものを仁者といい、その逆を小人という。日本が生んだ大仁人を一人挙げるとすれば私は西郷卿を推します。 時に仁者にもこじんまりした仁者があったり、小人にもスケールの大きい小人がいますから人物学というのはやればやるほど興味深い気がします。


       不   我   丈   幾

       為   家   夫   歴      偶

       児   遺   玉   辛

       孫   法   砕   酸  西

       買   人   恥   志  郷  感

       美   知   甎   始  南

       田   否   全   堅  州


読み)

いくたびかしんさんをへて こころざしはじめてかたし

じょうぶはぎょくさい せんぜんをはず

わがいえのいほう しるやいなや

じそんのために びでんをかわず

解説)

数々の苦労を経てはじめて志というものは固まる

男子たるもの戦いに臨み、玉の如く砕け散るのが華

瓦のように傷つかず生き残ることを考えるのは恥でしかない

わが家の家訓を知るものはいるだろうか

決して子供や孫のために財産など残しはしない

昭和61年に訪れたときのもの敬慕する西郷卿のまばゆいばかりの作品です。第四句は非常に有名ですね。子供のために財産は残さないということで、親の気楽な逃げ道に使ってる人も居ますが、それは間違いで目に見える財産以上の、無形のものを残すということ。これは不動産を残すよりも実はもっと難しかったりします。中途半端な保身より、玉砕してこそ本望というあたり、激動の時代に生きた「男」を感じて、心地よいです。人を相手にせず、天を相手にせよというのも南州先生のことば。


薩摩の地には立派な顕彰館があり、左は昭和61年に訪れたときのものです。


弘道館に梅花を賞す  徳川斉昭

みなさん、梅は見に行かれましたか?(96/2/29に書いたものです)この前の日曜は雨だったので、パスした方もあるでしょうね。今度の休みあたり狙ってる方も多いことでしょう。梅園のあの、ほのかな香りは、人生に潤いを与えてくれます。くれぐれも、バーベキューなどはお控え下さい!

先日、師匠の墓参で、ある先輩が「寒梅」というのを詠じて下さった。しかし、探してるんですがその詩がみつからんのです。どこかで見つけたら、作者など教えて下さいね。お願い。(その後、奈良の仲西さんのご厚意により、新島襄作であることが判明しました)さて、梅といえばこの作品でしょう。私の最も好きな作品のひとつです。


       雪   好   清   弘      弘

       裏   文   香   道      道

       占   豈   馥   館  徳  館

       春   是   郁   中  川  賞

       天   無   十   千  斉  梅

       下   威   分   樹  昭  花

       魁   武   開   梅


読み)

こうどうかんにばいかをしょうす

こうどうかんちゅう せんじゅのうめ

せいこうふくいくとして じゅうぶんにひらく

こうぶんあにこれ いぶなからんや

せつりはるをしむ てんかのさきがけ

拙訳)

弘道館に梅が咲き乱れている

甘酸っぱいいい香りがして、花も満開だ

梅の別名は好文。しかし文ばかりではない

そこに威武というものがあるから素晴らしいのだ

雪の下にあっても、梅は先駆けとなって春を知らせる

人もまた、逆境の中から人の上に立ち、文武両道をもって

天下の魁とならねばならない

第一句は、<千樹の梅>を、<一樹の花>とする場合もあります。一樹の花では繊細に過ぎ、文武の文に偏ったイメージ、プラス立ち止まって眺めてる感じで、躍動感がありません。ですから、私は千樹の梅の方がいいと思っています。さてどうでしょう。烈公(徳川斉昭)は幕末の水戸の藩主。名君として知られ、弘道館を創って藩内に文武を広く奨励したことで有名。「天下の魁」というのがいいです。しびれますねえ。こんな時代に生まれてみたかったと思うのはわたしだけでしょうか。

春夜 蘇軾    資料編

一日、一日と、暖かくなってきました。(3/19記す)いくら寝ても寝足りないという、春の朝を迎えておる方もいるかも知れ

ません。この詩は後半がシャガールの絵のような美しさがあり、魅せられます。音も実にキレイです。先に行われた、師匠の墓参で、京都のOさんという方が吟じておられたのも、この詩でした。また、当日幹事をやっておられたIさんとこは、屋号が「清香堂」です。この詩からとられたのかどうかは存じませんが。今日は横書きで・・・


春 夜         蘇 軾

春宵一刻直千金  しゅんしょういっこく あたいせんきん

花有清香月有陰  はなにせいこうあり つきにかげあり

歌管楼台声細細  かかんろうだい こえさいさい

鞦韆院落夜沈沈  しゅうせんいんらく よるちんちん


漢詩の訳を大阪弁でやったらどうでっか!という奇特な!ご意見も承っております。

作品にもよるでしょうが・・・やるとしたらこんな感じですか・・・

訳)

まあなんですなあ、春の夜っちゅうのは、ごっつい値打ちありまんなあ

花はええ匂いしよるし、月はええ具合に霞んできよるしねえ、ほんま

あの高台から聞こえとったどんちゃん騒ぎかて、知らんまにおさまったなあ

庭のブランコも寂しそうやし、今晩はしょうみジーンとくるのう

私は生粋の大阪人ですので、これがだいたいネイティブな言葉だと思います。文章ではこのとおり標準語で書くしかないんですよね。しかし、いくらきれいな言葉で書いてみても、私たち大阪人は内心はこのように読んでるわけですね(笑)最後の沈沈は現代中国語ではシェン、シェン。詩吟ではシンシンと吟じるようです。日本語の意味は「深々」が最も近いと思います。ひっそり静まり返る。当時は鞦韆(ブランコ)というのは、子供と言うよりもっぱら女子の遊びであって、鞦韆には、そのなまめいた美を含んだ意味あいがあります。花の清香とは違った、若き女性の香りが、更けゆく夜に染み込んでいくと言ったニュアンスですね。とても上品な、高貴な作品です。(訳からは想像つきませんが)

月下独酌  李白


    永 醒 我 暫 月 挙 花   

    結 時 歌 伴 既 杯 間

    無 同 月 月 不 邀 一

    情 交 徘 将 解 明 壺

    遊 歓 徊 影 飲 月 酒    月

                        

                        

    相 酔 我 行 影 対 独    酌

    期 後 舞 楽 従 影 酌

    遥 各 影 須 隋 成 無  李

    雲 分 零 及 我 三 相  白

    漢 散 乱 春 身 人 親

最後の句で(はるかなり)に(遥か)の字を当てています。


「つき合いで飲む程度」という表現があります。これはどういう意味かというと、誘われれば飲む、一人で飲むほどじゃないよということ。つまり、酒は一人で飲むようになれば合格ということでしょうか。そういうと、日本的な「手酌酒」 という表現も味がありますね。さて李白先生ともなれば、一人で飲んでもこれまた明るく楽しいお酒になるようです。まずその情景は「春」、そして「名月」、「花」、独りといってもじつはこのような相棒がいてたりします。独酌だから寂しいなんていわない。でも優れた技巧表現の裏にはやはり一抹の寂寥感が漂うという仕組みになってます。うまいですね。

訳)

お花の中にポツンと酒の壺がころがっている

誰もいないので手酌で飲んでいる

そこで杯を上げて名月を呼んできた

ついでに影も仲間に入れて三人になったぞ

月はやっぱり酒を飲めない

影は私の真似をしてばっかし

まああきらめてこの二人と一緒に

せいぜい春を楽しむこととしよう

私が歌えば、月がそれに合わせてさまようよ

私が踊れば影も乱れ動いとる

ほろ酔い気分はみんなで楽しく

酔ってうちに帰ればそれぞれ解散

こんなしがらみのない友人がいいなあ

この次はあの遥か彼方の天の川で会う約束だぞ

中山高陽画 酔李白図
李白42−3歳の頃の作品。同じ題名の詩を日本人の管茶山も残しています。頼山陽の師匠。こちらは杯に映った月の女神をいっぱい食べたゼイという豪快なものです。














貧交行  杜甫

しかしまあよく降りますね。昨日など嵐のようでした。(96/6/21に書いたもの) 雨といって思い浮かぶというと私は杜牧の「清明」です。これもまたやりたいと思います。今日は杜甫の「貧交行」でいきましょうか。

日本人はコミュニケーションが下手だといいますね。その第一の要因は、阿吽の呼吸というか、つまり目でものを言う、あえて皆までいわない、そこにこそ心の美しさの存在を感じるという民族性も絡んでいると思います。単一民族という特殊性がそういったものを育んできたのかも知れません。ところがいざ海外へ出てみると、そんなものはへの役にも立ちません(笑)両手をフルに使い、大きな声で目玉をムキながら自分をアピールするのが正常です。自分のいいたいことがほんとに伝わっているかという不安からくるのでしょうか。職業的にそれを身につけているのは政治家や教祖様など。手の使い方などテレビで見るたびに感心してしまいます。さていつもながら長い前置きになりました。第一句は絶妙なボディトークですね。皆さんも手を実際に動かしてみて下さい。スピルバーグの映画、「未知との遭遇」を思い出すのは私だけでしょうか。


          此    君    紛    翻

          道    不    紛    手      貧

          今    見    軽    作      交

          人    管    薄    雲      行

          棄    鮑    何    覆   杜

          如    貧    須    手

          土    時    数    雨   甫

                


読み)

てをひるがえせばくもとなり、てをくつがえせばあめ

ふんぷんたるけいはく なんぞかぞうるをもちいん

きみみずや かんぽうひんじのまじわり

このみち こんじんすてて つちのごとし

拙約)

手のひらを上に向ければ雲に 下に向ければ雨になるよ

今の時代の変わり身の早さ、軽薄さといったらそんなものさ

君は知ってるかい?管仲と鮑叔の友情を

今の時代はそれも土のように捨ててしまっているよ

貧交行 唐詩選画本
杜甫らしい憂いの感じられる作品でした。友情というと、昨日関西の漫才師、非常階段のみやこさんが37歳の若さで、肺ガンで急死なさいました。大学時代からの友情コンビだけに惜しいですね。ダウンタウンにしろ、幼なじみとか、そういうコンビというのは付加価値が大きいですね。新しい相方は見つかっても、過去までつくることは出来ませんから。みやこさんは、亀を飼っているという私との共通項で、なぜか非常に親しみを感じていた人でした。冥福をお祈りします。合掌。





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