識庵機山を撃つの図に題す

<原文語釈>

不識庵 上杉謙信(1530―1578)の入道後の号。

機山 武田信玄(1521―1573)の法諡(シ)。

肅肅 静かな、忍びやかなさま。

過 渡と同じ。平仄の関係で過を用いている。

大牙 大将の大旗。

長蛇 欲の深い、残忍なもののたとえ。ここは信玄をさす

<解釈>

馬にあてる鞭の音も静かに、夜、謙信(ケンシン)の軍勢は千曲川(チクマガワ)を渡った。夜明けがた、おびただしい越兵が大将の旗を擁して目前に迫っているさまが、武田方の将兵の目に映った。

 <出典>

 江戸、頼山陽(ライサンヨウ)(名は襄(ノボル) 1780―1832)の「不識庵(フシキアン)機山(キザン)を撃つの図に題す」(題不識庵(*1)撃機山(*2)圖)と題する七言絶句。『山陽詩鈔』。

山陽詩鈔

 江戸、頼山陽(ライサンヨウ)(名は襄(ノボル) 1780―1832)の詩集。八巻。襄は、広島藩儒で漢詩人の頼(ライ)春水の子である。叔父に頼杏坪(ライキョウヘイ)がいた。襄の天成の資質は年若くして花開き、十四歳の頃には四書の素読を終えていたという。漢詩は七言古詩、七言絶句にすぐれていると評価されている。歴史に素材を求めた作品が多い。(野地安伯)

<解説>

名高い川中島の合戦を詠じた作である。第一句は謙信の側から、第二句は信玄の側からとらえたとみる。第三・四句は謙信の側に立った作者の詠嘆である。詩中の「十年」はおよその数。「十年磨一剣」は、唐の賈島(カトウ)の「剣客詩」中の「十年一剣を磨(ミガ)く、霜刃(ソウジン)未(イマ)だ嘗(カツ)て試みず」(十年磨一劍 霜刃未嘗試)によるとされる。(野地安伯)

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