歳月人を待たず

<原文語釈>

及時 時をのがさず。 勉勵 つとめ励む。ここでは、歓楽についていう。

<解釈>

若く元気な年は二度とこないのだ。一日のうちに二度朝がないように。だからよい時を逃さずに存分に努めるべきなのだ、歳月は我々を待っていてはくれない。

 <出典>

 晋(シン)末宋(ソウ)初、陶潜(トウセン)(字(アザナ)は淵明(エンメイ) 365―427)の「雑詩」十二首の第一首。五言古詩十二句の第九〜十二句。『陶淵明集』巻四。

陶淵明集

 晋末宋初の陶潜(字(アギナ)は淵明 365―427)の詩文集。十巻。死後七、八十年経って梁の昭明太子(ショウメイタイシ)が初めて全集を編集したという。現存する最古のものは、宋刊本である。宋の李公煥(リコウカン)箋の『箋注陶淵明集』、清の陶_じゅ(トウジュ)集注の『靖節先生集』などが通行している。四言詩一巻、五言詩三巻、巻五以下は賦・辞・記・伝・述・賛・祭文・集聖賢群輔録を収める。唐以前では最も作品の散佚が少ない文学者である。注解も、版本と同じく宋以後、多数試みられている。なかには詩注のみのものもあるが、宋の李公煥、湯漢(トウカン)、明の黄文煥(コウブンカン)、清の陶_じゅ(トウジュ)、民国の古直、現代の王瑤、_りょく欽立(リョクキンリツ)、王淑岷(オウシュクビン)などの注釈が示唆に富む。(大上正美)

<解説>

引用の四句のみ抽出すれば、一見まことに道徳的言辞である。若者に対して勉強に励めと訓戒を垂れているかに見える。しかしこの四句を詩全体の中で読めば、それが曲解も甚しいことが知られよう。一は、今この時の歓楽を「勉励」せよ、と言っている点である。斯波六郎(シバロクロウ)氏は魏(ギ)の文帝の「呉質に与える書」の「少壮真に当(マサ)に努力すべし、年一たび過ぎ往かば、何ぞ攀援(ハンエン)すべけん、古人燭を秉(ト)って夜遊ばんと思う。良(マコト)に以(ユエ)有(ア)るなり。」を継承すると考えておられる(『陶淵明詩譯注』)。二は、冒頭の無常観をふまえての発言であること。「たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」(『平家物語』)にも通じる無常観をじっと耐え、その痛みの中からかろうじて近隣の人との心の通い会う歓楽を大切にしようとする切ない願いとなって表現されたのである。痛みと切なさを切り離して作者の言表はなかっただろう。

 なお、「時に及んで当に勉励すべし」の句は、「古詩十九首」<其十五>の詩の、楽(タノ)しみを為(ナ)すは当(マサ)に時に及ぶべし 何ぞ能(ヨ)く来茲(ライジ)(来年)を待たんとうたう思いと通底する。また陶淵明は、例えば、且(シバ)らくは今朝(コンチョウ)の楽しみを極めよ 明日(ミョウジツ)は求むる所に非(アラ)ずなどのように、しばしば同趣の感情をうたい上げている。(大上正美)

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