秋浦の歌

<原文語釈>

*1秋霜 白髪にたとえる。

<解釈>

白髪が伸びたわ伸びたわ三千丈。積もり重なる心配事で、ほれこの通り、長々伸びた。

<出典>

唐、李白(リハク)(字(アザナ)は太白(タイハク) 701―762)の「秋浦歌(シュウホカ)」と題する五言絶句の第一・二句。十七首の連作の第十五首。秋浦は、安徽省貴池県(アンキショウキチケン)の西南にある、揚子江沿岸の水郷。『李太白文集』巻八。『唐詩選』巻六。

李太白文集

りたいはくぶんしゅう

唐の李白(リハク)(701―763)の詩文集。三十巻。唐代における李白の作品集は、魏_(ギコウ)の編集した『李翰林集(リカンリンシュウ)』と、李陽冰(リヨウヒョウ)の編集した『草堂集』(十巻)とが存在したが、北宋の楽史(ガクシ)が『李翰林集』二十巻、『別集』十巻のテキストを編集してから、唐代の『李翰林集』と『草堂集』の原形は失われた。その後、煕寧(1068―1077)年間に宋敏求(ソウビンキュウ)が三十巻の詩文集を編集、曾鞏(ソウキョウ)もこれを改編して三十巻のテキストを編集したが稀覯本となり、清の康煕(1662―1722)年間に繆曰き→(ボクエツキ)注1が曾鞏の編集したテキストを重刊した。主な注釈書に、『分類補注李太白集』(三十巻。南宋、楊斉賢(ヨウセイケン)集註、元、蕭士贇(ショウシイン)補注。四部叢刊に収められる)、『李太白文集輯註』(三十六巻。清、王き→(オウキ)注2。四部備要に収められる)がある。(松本 肇)  

注1  注2

唐詩選

とうしせん

七巻。明の李攀龍(リハンリュウ)(1514―1570)の編と題するが、実は当時の書店が、李攀龍の編集した『古今詩刪(ココンシサン)』の中から唐詩の部分を抄録し出版したものという。李攀龍は、格調をたっとび、その最もすぐれたものが盛唐の詩であると主張した古文辞派の指導者である。収録の作家・作品は、主張にそっており、雄渾にして慷慨に富む盛唐の作品に重点が置かれ、杜甫五十一首・李白三十三首・王維三十一首・岑参(シンジン)二十八首などがきわだって多い。反面、中晩唐の作品は、韓愈(カンユ)は一首、李商隠は三首と少なく、杜牧などは一首も採られていない。唐詩全体から見ると、偏りは免れないところである。総詩数四百六十五首、五言古詩十四・七言古詩三十二・五言律詩六十七・五言排律四十・七言律詩七十三・五言絶句七十四・七言絶句百六十五、詩家は百二十八家、初唐二十九・盛唐四十二・中唐三十六・晩唐十七・逸名四である。中国では格調説の行われた明末にさかんに読まれたが、その後すたれた。日本では古文辞派の荻生徂徠(オギュウソライ)が高く評価し、服部南郭(ハットリナンカク)が『唐詩選国字解』を作って以来盛行し、現在に至っている。日本における唐詩のイメージはこの『唐詩選』によって作られている面が強い。(中村嘉弘)

<解説>

鏡に映った自分の白髪を見て、あっと驚いた感じを詠んだもの。「白髪」という言葉は、憂愁を含んだ暗い響きをもっている。この語は、帰らざる青春へのほろ苦い悔恨や、残り少ない生命への焦燥といった、過去からも未来からも閉ざされた、寒々とした荒野を感じさせるばかりである。それはしょせんマイナスのイメージでしかない。ところが、白髪が三千丈伸びた、と言ったらどうだろう。(宋本の『李太白文集』では、「三十丈」になっているという。)この非日常的な言葉によって、マイナスの暗さは異質のものに転化する。それは人生に対する高らかな哄笑(コウショウ)となり、憂愁そのものを一つの自己エネルギーと化してしまうのである。

「三千丈」は修辞学的に言えば誇張表現である。しかし、そのことは、三千丈伸びなかったことをけっして意味しない。李白は白髪が確かに三千丈伸びたと感受したのである。そのような芸術上の真実を、生活レベルの真実と混同してはならない。

白髪はなぜこんなに長く伸びたか。その理由は、様々な心配事が重なったからだという。「箇」は、これ、この、の意で、当時の口語表現。この直截であからさまな物言いはどうだろう。あからさまであることによって、透明な明るささえ感じられるではないか。しかも、この場合、「似箇」という日常性を逆手にとった口語表現が、暗さへの傾斜を抑制して、明るさに転ずる大きな役割をはたしているといえよう。それはちょうど、「三千丈」という非日常的な言語が、白髪の喚起するマイナスのイメージを変質させる構造と対応しており、重層的な効果を発揮している。こうして、李白は、人生に対する一段と高らかな哄笑を放ったのである。(松本 肇)

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