江雪

<原文語釈>

*1人蹤 人の足跡。「人踪」とする本もある。

<解釈>

 重なる山々に、飛ぶ鳥の姿も見えない、たくさんの道も今は人の足跡もない。いっそうの小舟に蓑笠(ミノカサ)の老人が、一人だけ寒い川の雪の中で釣をしている。

<出典>

唐、柳宗元(リュウソウゲン)(字(アザナ)は子厚(シコウ) 773―819)の「江雪(コウセツ)」。五言絶句。『唐詩三百首』巻七。

唐詩三百首

とうしさんびゃくしゅ

 清の乾隆(ケンリュウ)二十八年(1763)、こう塘退士(注1)(コウトウタイシ)の編。六巻。こう塘退士は、姓は孫、名は洙(シュ)、江蘇無錫(コウソムシャク)の人。乾隆十六年(1751)、進士に合格し、いくつかの県令を経て、江寧府教授に改められた。本書は五言古詩・七言古詩・五言律詩・七言律詩・五言絶句・七言絶句の各詩体別に各一巻として編集してある。採録した詩人は七十五人、無名氏二人で、詩数は合計三百十首である。杜甫が三十九首で最も多く、次いで王維・李白・李商隠などの作品が多い。序によれば、家塾の課本として初学の児童に教えるために編まれたものであるが、一般にもさかんに読まれた。その理由は、三百首という詩数が適当であること、人口に膾炙した詩を採っていること、選詩の基準が公平で唐詩の大体をはずしていないことなどによるであろう。テキストについては、清の章燮(ショウショウ)の注した『唐詩三百首註疏』六巻は原本に十一首を増しており、清の陳婉俊(チンエンシュン)の『唐詩三百首補註』は七言古詩を三巻に分けて全体を八巻としているなど、数種のテキストがあり、また多数の注釈書がある。(中村嘉弘)

注1  こう

<解説>

柳宗元が永州(湖南省零陵県(コナンショウレイリョウケン))に流されていたときの作。第一句は、まず周囲の「千山」からうたい起こす。第二句は、江に続く原野を写す。「千山」と言えば、そこに住む鳥も多いのだが、今は姿を見せない。「万径」と言えば、道行く人も多いのだが、今は人の足跡さえもない。三・四句、寂然とした雪の中、視線は江中に一人釣りをする蓑笠(ミノガサ)の翁に凝縮する。蓑笠の翁は、単に風景の中の点景としてあるのではない。政治改革が挫折し、自分の理想が破れて、遠く流謫(ルタク)されて来た柳宗元自身の孤独な姿と重なり合っている。詩のもつしんとした寂寥感は、柳宗元の失意孤独の心情に発するものだが、しかし同時に、雪の江中に釣りをする翁の姿からは、孤独な境遇のなかにいて、なおたじろがぬ毅然とした作者の精神を感じ取ることができる。(中村嘉弘)

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