原点

小さな宿屋は
大きなもてなしから始まった





















 キリバスでは一度客人として迎えたなら、自分の貯えを使い果たしてでも、食べる物がなくなっても、自分が雨にぬれながら眠ることになっても、その客人をもてなすというような習慣があります。

 小型プロペラ機に乗って13の島から成るギルバート諸島の一つの島を訪れたのは1993年。その島を訪れた外国人は過去6人、みんな仕事や調査で、遊びに来た者は私が始めてでした。

   ひょんなことから小さな村にお世話になりましたが、”お世話になる”とはまさにこのことで、至れり尽くせりの気配りは天下一品でした。その気配りをどこで学んだんだろうと思いましたが、そんなはずはありません。気配りの源は長老達の洞察力にあったのです。
  ですが、見られているようには全然感じないのです。ちょっと寒いなぁと思っていると、「○○、風が当たらないようにすだれを下ろせ」と指示が飛び、ゴロリとしようかなという思いが頭をよぎっただけで枕が運ばれ、昼寝から覚めボーッとしていると子供がお茶を差し出します。

  文明社会でいう立派な施設はもちろん、特別なもてなしなどありませんが、人々のきめ細かな心遣い、自然な思いやりだけがそれらを形にしたのです。そこに人をもてなす事の原点を見た気がしました。
  ですが、こんな新鮮な感動は不安と迷いに変わっていきました。笑顔のまま真剣で謙虚、そして見返りなど全く考えていないもてなしに対して、お礼の仕方が分からなくなっていきました。
  私は”お世話になっている自分”がだんだん居たたまれなくなり、予定を早め、島を出ることにしました。

  島を離れる日の前日、15品目ほどしか売られていない、ごく普通のストアーにお礼の品を買いに行きました。お礼として現金を渡すなど話にならず、他に方法が見つからないままの行動でした。
  私は25キロの米を担ぎ、缶詰を積めるだけ買い込み、自転車にまたがったのです。
 が、足がペダルを踏み込めません。 これらの品物は金額としてはたいした額だと思います。ですがこれらを受け取って喜ぶ村の人達の顔が思い浮かばないのです。
 「本当にいいことなのだろうか? 今まで受け継がれてきた何か大切なものを壊そうとしているのではないか? 大きな間違いを犯そうとしているのではないか?」
不安にかられさんざん考えた末、品物を全部ストアーに返しました。そして自転車にまたがりましたが、またペダルが踏み込めません。
 「何もしないで去れるのか? いくらなんでもそれは出来ない」
迷ったあげく、妥協策は「俺は日本人だ」と開き直り、なにしろ返す、という日本のお礼のしきたりを主張する事でした。ストアーのおじさんに頭を下げ、また品物を売ってもらい、大きな不安をかかえて村に戻りました。
 運良く、英語が少し話せる仲の良かったビロミナが庭で洗濯をしていました。

村外れの小道


   私はおそるおそる「これをみんなのために、みんなで食べて欲しい」と伝えたところ、困ったような怒ったような顔で「なんでそんなにお金を使うんだ」と言われてしまい、「やっぱり間違えだったのか」と体が震える思いがしました。ですが必死に
 「僕はたくさんの事をしてもらった、この村で過ごせて幸せだった。僕ばかり幸せじゃあズルイ、だからどうかこれをみんなで食べてくれないだろうか?」と訴えました。
  ビロミナはご主人のテーイエローを呼びましたが、彼の反応はもっと混迷しているようでした。私は同じ説明を必死に繰り返し、彼は何とか聞きいれてくれ、「村のみんなに聞いてみよう」という事になりました。

 その夜、集会場でそれぞれの家長が集まり食事を終えた頃、テーイエローが立ち上がり私の申し入れを説明してくれました。私は緊張してみんなの反応を伺いました。
 テーイエローが話し終えた集会場は、シーンとなったままで何の反応もありません。私がメチャクチャな不安に襲われたその時、一人の長老がゆっくり立ち上がりこう言いました。
「あなたの申し出にみんな驚いています。これらの物は全員で分けます。どうもありがとう」
私はなんとかホッとして立ち上がり、精一杯のお礼を述べました。
 そして、こんな間違ったお礼の仕方ではなく、いつか対等になって適切なやり方が出来るようになるぞ、と心に誓いました。








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