広島三矢組・組員名簿


2006年組員名簿。まだ未完成。


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   下田崇
(シモ)
GK 前所属チーム:広島皆実高
 日本代表。
ゴールキーパーをやりはじめたのは高校に入ってからだが、
ユース代表、アトランタ五輪代表に相次いで選出され、日本代表にも名を連ねた努力の人。
ボールに対する反応速度は日本ナンバーワンといっても過言ではなく、
01年2nd金沢での吹田戦のロスタイム、
アライーバの至近距離完全フリーからのヘッドを横っ飛びで弾き出したミラクルセーブは今でも語り草。
 ただ、そのセーブ能力に対してキックがいささか不正確なのが玉に瑕。
まあ広島GKの伝統といえば伝統なんだけど・・・

 いつも泣きそうな表情をしているが、最近はそれにも菩薩様のような神々しさが出てきた感じ。
近年では林卓人の猛追にあったがさらに引き離し、守護神の座を決して譲らなかった。
体も頑丈で、ほとんど怪我がないので第2GK泣かせ。
普段の練習から「この座は譲らん!」との気迫でゴールを護る。
そんな彼も昨年終盤にゴール前のクロスプレイにより負傷、長期離脱したが、年明けには復帰。
さらに日本代表に選出された。
今年も神の如きセーブを見せてほしい。
   八田康介
(ヤツ、やっち)
DF サガントス
鳥栖より復帰。
 対人能力は久保竜彦をも抑えるほど高い、フィジカルに恵まれた大型DF。
だが本番には異常に強いが、練習では全くダメという困った性格。
あと、ちゃんとした指示を受ければカンペキにその通りにやってくれるのだが、
一人ではすぐにパニックになってしまうタイプでなので、使いづらいのが玉に瑕。
そのため昨年はレンタルで古巣(ジュニアユース時代の)の鳥栖へ武者修行に。
過去レンタル選手が戻ってくるケースはほとんどなかったが、
無事戻ってきた。

 茫洋としたスケールの大きな性格で、人当たりがよくファンにも優しく接するため、
出場機会がそれほど多くないわりには人気が高いなごみ系DFである。
「対空ミサイル」としての出場が多かったが、
「跳ね返せ!」という指示を受けて出て行ったという逸話には笑った)
今年こそ「ストッパー」としての活躍を期待したい。
吉弘、西河とともに「なごみ系ストッパー三銃士」を形成するが、
ポジション争いのほうは熾烈にお願いしたい。
   小村徳男
(オムさん)
DF 仙台琴鷲会
 元日本代表。仙台からやってきた顔面戦士
その強烈なニックネームの由来についてはこちら辺りを参照のこと。
ビッグアーチにもたびたびオムさんの大漁旗が翻った。
そして、サンフ的には何かと縁起のよい島 根 県 出身。

 あきれるほどのヘッドの強さと対人能力の高さを誇り、
加茂時代の日本代表では主力として活躍、32試合出場4ゴールという記録を残す。
サンフ戦では鞠時代のハットトリック&オウンゴールや、
蟹時代のテルFKからのヘッドでのゴール(そのときはリカルドもゴールした!)
と、たびたび苦杯を飲ませていた。
リーグ通算でもDF最多得点を誇っているセットプレイマイスター。
ゴール後に看板に跳び蹴りかますパフォーマンスも豪快で有名だったが、
「ゴール後に看板飛び越えても状況次第ではオッケー」という審判基準の改正に伴い、
「ゴール決めたら絶対飛び越えてやる」と心に決め、
一昨年の開幕戦である清水戦でいきなりサンフJ1復帰後初ゴールを決めると迷いなく看板を飛び越え、
ゴール裏に飛び出して漢のガッツポーズを繰り出していた。
これと同時にサポーターのハートをがっちりとキャッチ。
最近鹿島の岩政が凄い勢いでゴールしているので、負けるな。
 昨年は当初池田にポジションを奪われていたが、パフォーマンスを上げてその座を奪い取ると、
そのままシーズン終了までレギュラーとして君臨した。まだまだ若い者には負けん。

 闘志をむき出しにして戦うファイターで、
おとなしい選手ばっかりのサンフにはよい刺激。
また、メディア出演やファン感ではお笑いモードで、懐の深いところを見せてくれる。
   ジニーニョ DF サン・カエターノ(ブラジル)
 「4バック対応のセンターバック」という要望に応じ、ブラジルからやってきたストッパー。
 昨年は守備の要として大活躍、実質2バックで守る最終ラインを強力に支えた。
ポルトガル語を解するオムさんとのコンビは絶妙で、
シーズン終盤、下田が負傷するまではリーグナンバー1の鉄壁の守備を見せていた。
クレバーなポジショニング、激しい当たりからスッとボールを奪い取る美しい守備が持ち味。
映画俳優にもなれそうなラテン系の美男子(遠目にはトニー・ポポヴィッチみたいにも見える)だが性格は非常に陽気で、
ベットとは完全に意気投合しているようだ。

 かつて川崎緑会に所属していたが、来日早々の負傷で選手登録されることはなくそのまま帰国していた、
という過去を持ち、「日本で成功したい」という強い気持ちをもって来日。
広島加入については、
「広島はいいチームであり、環境が整っている」
との、かのセザール・サンパイオの助言も受けたらしい。
昨年は期限付き移籍だったようだが、今年は完全移籍。心置きなくプレイしてほしい。
   駒野友一
(コマ)
DF 若衆
 日本代表、元U−23日本代表。
 精度の高い両足を持ち、両サイドどちらでもOK。
プレイスキックも両足で蹴れるし、もちろん突破力もある。ミドルシュートも強烈だ。
こう書くと非の打ちどころがないプレイヤーだが、容貌のわりに非常におとなしく地味な性格。
攻めろー!という時でも地味にカバーリングしていたりして思わず泣かせたが、
最近はなかなか風格も出てきた。やはり代表は人を変えるね。

 03年中盤に靱帯損傷で全治10ヶ月の大怪我を負ってしまいリハビリの日々、
アテネ五輪出場は不可能と思われたが、驚異の回復で04年序盤に復帰、
U−23に選ばれて出場するや、鮮やかなターンで相手をかわし(通称コマ回し)ドリブル突破するなど大活躍。
アテネ行きメンバーに名前を連ねた。
しかし、左右どっちもできることがアダとなったか控えに甘んじ、
グループリーグ敗退が決まったガーナ戦で先発するも、
セットプレイからのカウンターを体を張って止めた際に相手のヒジが鎖骨に入り、鎖骨骨折してしまう。
それでもまた驚異的な回復でJ復帰を果たすも、今度は眼の異常を訴えてまたも離脱と、
このはほとんどまともにプレイできなかった。
 怪我続きなので04年末にお祓いしてもらい、それから調子がいいとのこと。
さらに昨年初頭にまさかの結婚で心機一転。
奥さんはなかなかの方で、結婚式では、
「わたしがサンフレッチェを支えます!」
と宣言したらしい。しっかりしすぎです。

 昨年の彼の年初の目標は「全試合出場」だったが、お祓いに結婚効果か、立ち上がりから好調。
アシストの山を築き、ついに日本代表にも選出。
最初は遠慮がちだったが、徐々に実力を発揮してきた。
ただ、リーグと代表のかけもちで、スタミナにやや難のある彼のパフォーマンスは徐々に低下、
リーグ戦終盤は彼らしくないプレイも目だった。
ある意味サンフの生命線ともいえる彼のパフォーマンスが、今年も上位進出の鍵を握るといってもいい。
体調を万全に整えて、あの、ボールに意思が宿っているかのような美しいクロスをどんどん見せてほしい。

「どうするアイフル」のチワワを飼っている。LIFE(スポンサー)の立場は。
   ジョベルト・アラウージョ・マルチンス
(ベット)
MF バスコ・ダ・窯
 昨年、バスコ・ダ・ガマから半年間の契約で引っ張ってきた元セレソン、
めでたく契約延長。とりあえず半年間。
札幌では「ホームシック」で無断帰国そのまま退団、という離れ業で話題をさらった。
しかし、あの事件は契約上の問題、という入り組んだ事情もあったとのこと。
サンフでは実に素晴らしいパフォーマンスを発揮し、サポーターの信頼は磐石。

 練習後の取材に「志村けんのバカ殿」姿で現れたりするなど(オムさんが買ってきたらしい)、
ひょうきんぶりは相変わらず。
練習中も明るく振舞っているが、周りが朴念仁ばっかりなのであまりウケは取れていないらしい。
乗ったれよ。
ポルトガル語を解し、ノリのよいオムさんとは特に仲が良いようだ。
広島FM“GOA-L!”では、オムラ・カベソンと組んでポルトガル講座を担当する。

 恐るべきタフマンで、札幌では「全治三週間」の重傷と診断されながら、
一週間で復帰したという恐るべきエピソードをもつ。
広島でも、「こりゃヤバい!」と思うような負傷退場が何度もあったが、
次の試合ではケロリとした顔で復帰するという鉄人、というか超人ぶりを何度も発揮している。

 その抜群のキープ力やパスに比べてシュートがあまり上手くないので、そこ確実に。
   森崎浩司
(コージ)
MF 若衆
 元U−23日本代表。
カズの双子ので、左利き。ライバルはそのカズ(右利き)ということで、
まさに「鏡の向こうのライバル(いつかのサッカーマガジンより借用)」といった感じ。
兄より攻撃的な位置を得意とし、「得意なプレイはシュート」と言い切る。
兄のキープ力に対して彼はダイレクトプレイに優れており、ゴールに直結するプレイを好む。
 ネーミングの由来は、ミスター赤ヘル「山本浩二(昔は山本浩司だった)」から。
なので、ご家族の方々は、
浩司は8番じゃろうが」
と思っているかもしれない。

 アテネ五輪の後、それまでの肉体的精神的疲れがどっと出て「バーンアウト症候群」にかかってしまい、
本調子にはほど遠い状態に。休養を余儀なくされてしまった。
最終盤にようやく本調子を取り戻してきたが、そこでシーズン終了。天皇杯も初戦で敗退していたため、
今年はそれでプレイ納めとなった。
U−23でも彼の本来の位置ではない左ウイングバックで使われ続けたこともあり、
04年は何かにつけて中途半端な一年だった。
 そのシーズンオフには別府で湯治しリフレッシュ。05年の復活に期待がかかったが、
なぜかプレイのキレは戻らず。悶々としたままプレイを続けるうち、
2nd・アウェイ脚戦で左サイドからセンタリングを上げた際に骨折、そのまま昨年はピッチに戻ることはなかった。
 本当に山本監督に呼ばれて以来ろくなことがなかったが、
この負傷離脱でようやく心身の整理がついたようで、
今年のキャンプではクレバーで積極的な彼本来のプレイが復活傾向。
鮮やかなダイレクトボレーも決めるなど、ゴールゲッターとしての力も戻ってきた。今年こそ!

 小さいときは警察官になりたかったとのこと。理由は、
「権力があるから」
末恐ろしいちびっこであった。
   森崎和幸
(カズ、モリ)
MF 若衆
 元U−23日本代表候補。
 かつてのボス・エディからは「スモール・ナカタ」と讃えられ、
2000年には新人王に輝いた、「21世紀のカズ」。
ユース代表でも攻守の基点となった。
サンフの中盤にあっても攻守の要となる。

 浩司とは双子の兄弟で、こちらが右利き
二卵性双生児なのだが、見事に瓜二つ。見分けるのは至難の業。
とりあえずカズには鼻の下にホクロがあるので、そこで見分けてクワさい。
双子だけあって互いに何を考えているのかわかるらしく、
ときどき電波交信でもしているかのような信じられないコンビプレイを見せる。
しかし彼らのコンビによるゴールは公式戦ではまだ一回しかなく、もっと見たいと思う。
04年のGWには、長居でツインズアベックゴールを披露。

 04年は「殻を破る」ことを目標に、チームでもトップ下やシャドーストライカーと攻撃的な位置でプレイ、
5ゴールを挙げた。チームが苦闘する中でいろいろと考え悩みながらプレイを続け、
終盤にはようやく「殻を破ってきた!」と見る者に思わせるようなファイトを見せ始める。
昨年はゲームキャプテンを拝命、チームをまとめる立場になり、中盤の底からチームを鼓舞。
チームカラーがおとなしいためになかなかうまくいかなかったようだが、
悩みながらさらに成長してほしい。
今年は戸田の加入によって前線へ飛び出すことが多くなるようで、
一昨年にシャドーストライカーで活躍した時の経験が活きるだろう。

 小さいときは「ラーメン屋」になりたかったらしい。
おまえはモリツァか。
   上野優作
(ゆーさく)
FW 新潟白鳥会
新潟白鳥会より加入。
 2000年に一年だけ在籍していたが、それ以来6年ぶりの復帰。
以前の在籍時は目立った活躍は出来なかったが、その後京都を経て、
「電柱コレクター」として定評のある反町監督の新潟へ移籍。
ここで「動く電柱」として改造され、前線で激しく動き回ってボールを引き出してキープし、
さらにここぞというところでゴールも奪えるプレイヤーに成長。円熟味を増してきた。
 昨年はリーグ戦全試合に出場、堂々たる新潟の主力だったが、
木寺・桑原・丸山らベテラン勢が放出される現状を見て、今回の移籍を決断したか。

 決して派手ではないが、チームに活を入れられる存在。
ベテランの味というやつを見せてほしい。
10  ウェズレイ・ハイムンド・ペレイラ・ダ・シルバ
(ピチブー)
FW アトレチコ・ミネイロ(ブラジル)
アトレチコ・ミネイロより加入。
かつて名古屋で大活躍、03年にはJ1得点王に輝いた男。通称は「ピチブー(猛犬)」
全盛時にはド迫力の突破と切れ味凄まじいFKでゴールの山を築いたが、
最近は年のせいもありやや怪我がち。ただ、その得点感覚とテクニックは健在だ。
名古屋時代の終わりごろには首脳陣と衝突し出場機会がなかったが、
陽気なジニやベットがいることもあり、サンフではそういったことはない。
慣れ親しんだ日本で、猛犬旋風再び。
11  佐藤寿人
(ヒサト)
FW 仙台琴鷲会
 日本代表、元U−20日本代表。
森崎ツインズと同年代である佐藤ツインズの弟。
U−20代表では一緒だったこともあり、森崎ツインズとは旧知の仲。浩司とは「弟同盟」を結んでいたらしい。

 根っからの点取り屋。
スピードを活かしてゴール前に飛び出し、一瞬でゴールを陥れるフィリッポ・インザーギみたいなタイプ。
気持ちが強く、ゴール前へ強引に割って入って決めることも多い。
仙台では残り時間が少ないという時に何度も奇跡的なゴールを決めていた。
ただ、PKには弱いという話。

 03年、サンフがJ1に復帰する際にも彼にオファーを出していたが、
彼は「仙台を離れるわけにはいかない」とこれを拒否していた。
しかし04年シーズン終了後に、彼の獲得を熱望する小野監督直々の誘いも含めて再びオファーを出し、
彼は仙台との交渉内容も考慮して、悩んだ末にサンフ行きを決めた。
 サポーターを非常に大切にする性格で、仙台ではもともとレンタルで入ってきた身ではあったが、
すでに仙台の顔といってもいい存在になっていた。
サンフでも、その性格とゴールでサポーターのハートをつかみ、
2ndアウェイの牛戦では試合終了間際のあまりにも劇的逆転ハットトリック弾を決め、
試合後に彼がサポーターのところに挨拶に来た時、
サポーターたちは、かつてサンフのエースだった久保竜彦のためのソング「恋してる」に
彼の名前を当てて歌った。彼はこの時、名実ともにサンフのエースとなった。

 昨年は18ゴールで日本人得点王、ベストイレブンに輝く。
さらに今年は日本代表に選出され、
アジアカップ予選・インド戦では後半31分からの出場で1ゴール1アシストの活躍。
久保とのコンビも良好、前線守備もきっちりこなしており、ジーコにも好印象だろう。
今のFW陣ではもっとも後発なので、これからも機会があれば確実に結果を残し、
大逆転のドイツ行きを決めてほしいところ。南無南無。

 NHK広島のインタビューで、
「カズと浩司の走り方、変なんですよね」
と、なかなか広島の人間がツッコめないことを言った。
12  サポーター・ナンバー
クラブを有形無形あらゆるところからサポートする。
13  (空き番号)      
14  戸田和幸
(トダ、カズ)
MF 東京69組合
東京69組合より期限付き移籍加入。
元日本代表。中盤の潰し屋として名を馳せるボランチ。
中盤の守備強化、カズの攻撃参加という課題を解消させる人材として彼に白羽の矢が立った。

 合同自主トレ初日にカズと会った時に話し合い、
「オレがカズ、おまえはモリだ」
と話をつけたらしい。
相変わらず強い・・・と思ったが、それは冗談で、
カズはカズ、自分は「トダ」と呼ばせているようだ。
サポーターには「何と呼んでくれてもいい」と言っているが、
W杯でのヘアスタイルとして話題をさらった「トサカ」はやめて、とのことらしい。
清水でのファン感で話題をさらった「ブルマ」はどうなのか。

 キャンプでもファウルスレスレのタックルを味方に対してガンガンかまし、
彼らしさを充分にアピール。
仲良し的雰囲気が強いサンフの日常に強烈なスパイスをきかせている。
 劇薬的な彼の存在がチームをいっそう上に高めるのかそうでないのか、
彼の出来が今年のサンフを決めるといっても過言ではない。
15  中里宏司
(チュウ)
MF 湘南美海協会
湘南より期限付き移籍加入。元U−20、21、22日本代表。
湘南では若衆時代からトップの試合に出場、ボランチの位置でそのクレバーなプレイを披露していた。
小野監督が率いたU−21日本代表のツーロン国際大会では主に右サイドバックとして出場、
3位入賞に貢献。
その後は肩の脱臼や膝の負傷などアクシデント続きで、
近年まともにプレイしたのはサンフがJ2にいた03年くらい。
その時はホームにサンフを迎え撃ち、勝利に大きく貢献していた。
クレバーで確実な守備を持ち味とし、時にはドリブルで持ち上がってゴールも決める。
サンフではボランチ、右サイドバックとしてプレイすることになるだろう。
16  李漢宰
(ハンジェ)
MF 広島朝鮮高級学校
 朝鮮民主主義人民共和国代表。元U−23朝鮮民主主義人民共和国代表。
広島朝鮮高出身の、在日朝鮮人期待の星。
その物腰と言動は誇り高きコリアの血を引くことを如実に示す。

 03年は出場機会も大幅に増え、その運動量と激しい当たりで中盤の潰し役として大いに活躍。
サンパイオがいなくなったあと、中盤守備を一手に引き受けていた。
ただ、ダイレクトプレイにこだわるあまり無理なパスを出してカットされることが多く、
また攻撃時にも周囲を使う意識に欠けるなど、
攻撃面に関してはまだまだ課題が多かった。

 そういった中で北朝鮮代表に選出され、
W杯アジア一次予選では開始1分に先制ゴールを決めるという鮮烈デビューを飾った。
その試合では、監督より
「(使えって日本の同胞から言われてるから使ってやるが、)ダメだったら前半で交代だ」
と言われていたそうだが、「そんならやってやるぜ!」と闘志を燃やしてのいきなりゴールだった。
ちなみにヘッドで決めたらしい。
日本暮らしということで、ほかの「国内組」とは別部屋というなんとも肩身の狭い境遇だったが、
新潟のヨンハッといっしょに頑張った。
 昨年の最終予選、日本との対決では、
試合終了間際の小競り合いで退場になった味方選手がなおも食って掛かろうとしているのを押し止めると、
声をかけてなだめ、ピッチ外に送り出していた。
その光景を見て、彼の成長を感じた。

 クラブでのプレイもかなり安定感が出てきて、ツボをついたプレイを見せるようになってきた。
プレイスキックも担当し、2nd脚戦では技ありのコントロールシュートを決めるなど、攻撃でも効果的な活躍。
しかし、もういっそうの落ち着きと戦術眼を身につけ、チームの柱となってほしい。

 ラジオでしゃべるの聴いていると、なんとなく
「ケイン・コスギに似てるなあ」
と思う。
また、カラオケマスターとの評判で、
ファン感では「栄光の架け橋」を歌ってその実力を示し、大喝采を得た。
17  服部公太
(コータ、ハム太)
DF 渋谷幕張高
 広島の攻撃の要。
2部陥落をささやかれていたどん底の時代から活躍、その左足を駆使してサイドからクロスを次々と撃ち込む。
その信頼は絶大で、彼の不振時も当時のボス・エディは彼をスタメンから外そうとはしなかった。
ついに復調すると、翌年(01年)はその左クロスからゴールを次々に演出。アシストランク3位に入った。
実はその年彼の足は疲労骨折を起こしていたが、
彼はJ1残留のために痛みをおして最後まで出場した。男です。
 J2陥落時は、その後遺症もあってその年満足に活躍できなかった自分を責め、
「自分のせいでJ2に落ちた」とコメントしていた。

 その反省もあったのか、
03年はリーグ戦44試合フルタイム出場という鉄人ぶりを発揮。
二、三人に囲まれながらもドリブルで突破するという凄まじいプレイを連発し、
サポーターを熱狂させた。
04年は上村移籍もあって主将を任される中リーグ戦30試合フルタイム出場し、鉄人度をさらに増す。
でも、ちょっとクロスの精度がよくなかったので、そこらへんもう一度見直してほしい。

 「見栄晴フェイス」もずいぶんと精悍になり、男の渋さを増した、と思う。
時は人を変える。
その長髪もカールさせて金髪に染めたりしたので、
「ベルばらですね」
と言われたりもした。
娘さんの名前は「宇宙(そら)」ちゃん
ハム太、ガンヲタ疑惑。
18  吉弘充志
(ミツ)
DF 広島皆実高
 広島皆実高出身。U−20日本代表。
一対一に強く、長身でヘッドも強い。
また一瞬の判断力にも優れ、正確なフィードを前線に送ることもできる。
高校時代は青山と同じく特別指定選手に承認され、サテライトのゲームに何試合も出場。
浦和をはじめ数クラブから獲得の打診があり去就が注目されていたが、
彼の選択は地元のサンフだった。
「たとえ広島がJ2に残留することになっても、僕は広島に入るつもりでした」
男だぜ!
アジアユース、ワールドユース、そして北京五輪の主軸として、世界での活躍も期待される。

 一年目から戦力として公式戦に出場。昨年圧倒的な攻撃力を誇った浦和との戦いではホーム・アウェイともに出場、
田中達也を押し潰し、エメルソンを投げるなど圧倒的な一対一の強さを見せつけた。
彼は誰の挑戦でも受けて立つ。
男の中の男、出てこいや!
 U−20日本代表でもボランチとしてレギュラーを確保していたが、その矢先に負傷。
驚異的な回復でワールドユースメンバーに選ばれたものの、ブランクがたたって出場はなかった。
サンフに戻ってきても、西河の台頭で出場機会はなし、不本意な一年だった。
 今年はキャンプから全開、センターバックだけでなくサイドバックとしてもアグレッシブにプレイ、
駒野が代表で不在の間右サイドバックとして先発起用されるなど、小野監督に大きくアピールしている。

 加入時、中国新聞掲載の写真見て、
パンチ(佐藤康之)二世キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
と小躍りした人は少なくあるまい。
それはともかく、将来のディフェンスリーダとしてしっかりと研鑽を積んでほしい。
あと、そのファッションセンスなんとかしろ。
マエストロ・ソダンにレクチャーしてもらいなさい。
19  盛田剛平
(モリツァ)
FW/DF 大宮栗鼠同好会
 完全移籍実現で、広島のポストプレイ愛好者、狂喜乱舞。
やはりポストプレイは広島の華。高木琢也以来の伝統である!むしろ安芸国国技

 04年年2ndより大宮より期限付き移籍。
彼の経歴はけっこう複雑で、
アジアの核弾頭と呼ばれた男・ハラヒロミの眼鏡にかなって鳴り物入りで駒大より浦和に加入、
会見で「利き足は頭です」という名文句をかましたものの、
期待に反してヘッドは不発、両足も不発。
とんだ不発弾だー!と浦和を放り出され、それから桜へレンタルされるもののここでも不発、
その年の内にこんどはJ2の川崎にレンタルされる。
リーグ戦無得点が続いていたが、京都戦で衝撃の初ゴール!
その後大宮へ移籍し、電柱役だけでなく二列目としての役割も任された。
02、03年はそれぞれ32試合(4ゴール)、28試合出場(2ゴール)と経験を積み、サンフへとやってきた。
加入会見で「利き足は?」と意地悪な質問をされ、
「左足にしといてください・・・『足』っていいましたよね?」
と笑ってごまかす。
こちらは電柱キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!と喜ぶ一方で、「使えるのかよ…」と内心不安におびえる。

 合流当初のキャンプではいきなり足の張りを訴えて別メニューとなり、
「やはりモリツァはモリツァか・・・」
と思わせたが、若いモンが多いこの組にあってはさすがに責任感を感じたか、
すぐに復帰し、紅白戦ではセンターFWとしてポストに飛び出しに奮闘。
「ザ・ニューモリツァ!」が見られそうな雰囲気が漂った。
そして、ナビスコ杯桜戦で見るも鮮やかなループシュートを決めて調子に乗ると、
J1・アウェイの柏戦でも玉ちゃんスーパーゴールの価値を半減させる値千金の同点弾で、
ねんがんの J1初ゴールをてにいれたぞ!
それからは(満足してしまったのか)ゴールがなかったものの、安定したポストプレイで前線での基点となり続けた。
俊介のゴールも、彼の豪快なヘッドでの落としからだった。

 昨年はガウボンの加入、俊介の台頭で出場期間はほとんどなく、
「これは放出?」
と危惧されたが、今年も契約。
まあ長身FWはそれだけで重宝するからなあ・・・と思っていたらそうではなく、
実はクラブは「DF」へのコンバートを打診していた。
そして盛田も「もう一花咲かせるには・・・」とDFへのコンバートを申し出るつもりでおり、
両者の思惑が一致して「DF」としての契約となったようだ。
 キャンプではセンターバックや左サイドバックとしてプレイ、
圧倒的な高さと一対一の強さでなかなかの評価を得ている模様。
本人も死に物狂いで取り組んでいるDFコンバート、ものになったら面白い。

 ファン感ではメガネにハゲヅラ着用で松山千春のものまねを披露、「おもしろい人」としてさらに人気アップ。
完全移籍を、との声が高まった(それでかよ)。これからもおもしろい事してください。
奥さんは関東での試合に観に来るが、試合後のツッコミがきついらしい。
と思っていたら完全移籍に伴い奥さんも広島へ来たらしい。毎日ツッコミ入りそう。
20  大木勉
(ベン)
FW 大分聖三位一体教会
 元U−20日本代表。立派なマユ毛と高い能力を有するものの負傷がちで、
大分聖三位一体教会へレンタルされたものの全く活躍できず。
広島に帰ってきたものの誰にも期待されず解雇直前まで追い込まれ、ついに職安で職を探し始めたが、
時の監督・ニポは我慢強く使い、ついにお菓子杯の東京組戦でVゴール!
それからはクヴォとのコンビで得点を量産、レギュラーの席を獲得した。
日本で一番クヴォと息の合うプレイヤーで、
「どーやったらそれが通るん?」
と言わざるを得ないワンツーを頻繁に繰り出した。
5人くらいいる密集の中をワンツーで突破したときは悶絶しそうになったデスよ。

 性格も優しく、かつて久保が日本代表に選出された際、
「知らない人ばかりだから行きたくない」
と嫌がっていたのを心配した彼は、そのとき同時に選出されていた安永に、
(彼はU−20日本代表でベンとツートップを組んでいた)
「久保の話し相手になってくれ、頼むわ」
とお願いしたエピソードがある。

 昨年は4−4−2中盤ダイヤモンドのトップ下としてプレイ。
攻守のリンク役として大活躍した。
地味な活躍のためにミスをあげつらって酷評されることが多かったが、
彼が不在のゲームは攻撃がほとんど組み立てられず、また守備もザル同然になってしまうことがほとんどで、
彼の存在の大きさは歴然としていた。
 怪我に弱くスタミナ不足という弱点を持っていたが、
昨年からトレーナーさんのアドバイスを受けてストレッチを日課とし、
怪我の少ない体を造り上げた。すごいぞストレッチ。
 今年も、早くも元J得点王ピチブーが「大木が入るとよくなった」とコメントするなど、
チームに重要なプレイヤーとして活躍することになるだろう。
愛媛FC関係者は彼を獲得してズーパー友近との南宇和ツートップを夢見ているようだが、
まだまだサンフには必要な男。

 ストライカーとしては何かと爽快度に欠けるために野次の対象となることが多いが、
じっくり見れば味のあるプレイヤー。だからあまりいじめるな。

なお彼の名前は、「つとむ」ではなく、「すすむ」と読みます。
21  木寺浩一
(組長)
GK 新潟白鳥会
新潟白鳥会より加入。
 ここしばらくは三人体制でやや手薄だったGK陣も、木寺の加入で四人となり万全の態勢となった。
 彼は新潟の第2GKではあったが、第1GKが出場できない時はゴールを守って確実にその任を果たしていた。
 名門・武南高を卒業しJFLのNKKに入ってからの彼のサッカー人生はまさに忍耐の連続。
NKKは廃部、その次に在籍した京都(当時JFL)は解雇され、一時サッカーから離れて大型自動車免許を取るなどしたが、
やはりサッカーを捨てることができずに本田技研ルミノッソ狭山(当時関東リーグ)に加入。
するとそこでのプレイが認められてJFL昇格を決めた新潟へと誘われ、以来新潟の一員として活躍。
今や新潟最古参のプレイヤーとなっていた。
 新潟でも吉原慎也(現川崎)とポジションを争ったり野澤洋輔(ジャカジャカ)の陰になったりと決して目立つ活躍はしていなかったが、
サポーターからの信頼は絶大だった。その経歴と経験は若いチームであるサンフにとって得がたい力となるだろう。
22  西河翔吾
(ショーゴ)
DF 広島修道大
 ビッグアーチを対面に望む広島修道大より、初の大学生Jリーガー誕生。
沼田高時代は国体選抜、修道大に進学するとデンソーカップの中四国選抜に選抜されるなどそこそこの活躍はしていたが、
広島を含むJからは全くのノーマークだった。
しかし一昨年の練習試合でスカウトの目に止まり、特別指定選手として登録され、いきなりお菓子杯・鞠戦に先発出場。
激しいプレイでイエローをもらった後、後半に不可解な判定で二枚目のイエローをもらい退場となったが、堅実なプレイを見せた。
小野監督からも信頼され、2ndは八田・大久保を押しのけてベンチに座るようになり、
試合に出れば確実なパフォーマンスで期待に応えた。
 さらに一昨年はサンフでプレイした次の日に中国リーグにフル出場したりと、プロと大学二足のわらじをはく生活で、
そのかいあって修道大はめでたくインカレ出場。
そしてグループリーグで関東リーグ1位の筑波大と当たったが、
彼は平山相太相手に空中戦で完勝するなどほとんど何もさせず
チームも筑波大を1−0で破る大金星を挙げた。
シーズン後にはプロ契約の打診があり、3年生の彼は大学サッカーとの兼ね合いで悩んだが、
やはりプロでやりたい、と契約を結び、正式に広島の一員となった。

 昨年も順調に実力をつけて控えDFの座を確保、終盤には先発出場の機会も与えられ、
今年はレギュラー奪取の年になる。
無名からのシンデレラストーリー、今年はどのような一ページをつくるのか。

 長身を活かしたハイボールへの強さに加えカバーリング能力を兼ね備えるDFで、
プレイが堅実でミスが少ない。加入会見の時もリラックスしてにこやかだったので、精神的にもタフなんだろうと思われる。
時々荒っぽいプレイでカードをもらうことがあるので、そこを克服してほしい。
「気軽に声をかけてください。笑顔が特典です」と会見の時に言っていたので、声をかけるべし。
23  青山敏弘
(アオ)
MF 作陽高
 作陽高出身。
高校時代は、2年の時に選手権県予選決勝で自らのゴールが「世紀の誤審」にて認められず選手権出場を逃す。
日本中の注目が集まる中で彼は潰れることなく立ち上がり、翌年主将としてチームを率い見事に選手権出場を果たした。

中盤センターから正確なパスを左右に散らし、
時に攻め上がって凄まじいミドルシュートを叩き込むボランチ。
2年の時の選手権県予選決勝の「幻のゴール」、
3年のときの国体・東京選抜戦の決勝30mロングシュート、
いずれも一直線にゴールを射抜いた、目の覚めるような弾丸シュートだった。
やや小柄ながら、その闘志と統率力でチームを率いることのできる存在。
高校時代から特別指定選手としてサテライトのゲームにたびたび登場し、
一年目の04年はお菓子杯・鞠戦で右サイドとして先発、
ハンジェのスルーパスを見事な飛び出しから決めて公式戦初出場初先発初ゴール。
サテライトでもよいパフォーマンスを見せていたが、その後骨折してしまい、2ndでは出番なし。
せっかく選ばれたU−18日本代表(彼は早生まれなので)もふいにしてしまった。
 昨年は巻き返しの年として、サテライトではボランチやサイドバックで奮闘していたが、
そろそろトップチームに・・・という5月にまたも靱帯損傷の大怪我。またも一年をふいにしてしまった。
 手術を行い、リハビリを行って今年はキャンプから全開。
あまり飛ばすと再発が心配だが、本人は今年がラストチャンスと、一切手を緩めるつもりはない。
非常な努力家なので、それが実を結ぶことを祈って止まない。

 ニャーニャーニャーの猫の日生まれの柔和な顔立ちの裏に、
決して折れぬ不屈の精神を秘める闘将。
さらに以前放送された「Jリーグ28」では見事な肉体美を披露、人気急上昇(どこ方面の)。
この流れに乗っていければ。
24  前田俊介
(シュンスケ、マエシュン)
FW 若衆
 元U−20日本代表。
高田FCそして高田町の若衆の中で育った高田育ちのドリブラー。
年代別代表だった彼はいろいろなところから誘われたらしいが、その中でサンフを選んだ理由は
「ほかの高校は上下関係が厳しかったり雑用ばっかりやらされたり、
下級生がTシャツにデカデカと名前書いて練習したりしていてイヤだったから」

というなんともわがままな理由だったらしい。

 ユースでの活躍は有名なので、特に書くこともない。
03年のJユース杯、04年のクラブユース選手権、高円宮杯と三大会連続得点王。
Jユース杯準決勝の「ノートラップランニングボレー隼シュート」や決勝でのアシストにループ、
クラセン決勝でのハーフループに高円宮杯決勝でのGK股抜きなど、とんでもないプレイをいとも簡単にやってのけた。

 3年になると第2種出場登録されてトップチームにも呼ばれ、試合に出場。
最初のうちは自慢のドリブルも新潟や山西ぐらいにしか通用しなかったが、
とにかくボール持ったら勝負!の姿勢は最後まで貫いた。
2ndになるとごく普通にリザーブに入るようになり、
少ない出場時間の中で徐々にプロの間合いを覚えてくると、ついに2nd磐田戦、
モリツァの落としに走り込み左足ダイレクトシュート、これを見事に決めて公式戦初ゴールを記録した。
そして最終節の浦和戦では中盤でボールを持つとドリブル開始、五人を抜いてPAに迫るなど見せ場を作った。

12月のJユース杯では足の状態が悪く、試合前からマッサージをしないと足がもたないという
「先発したらダメじゃん!」状態ながら、ドリブルで相手に脅威を与え続けた。

 高円宮杯の活躍で、今までは「チビでスタミナないから呼ぶだけ呼んでポイ」だった年代別代表にも
本格的に加えられた。
 そしてワールドユースに出場、でもやっぱり干され気味だったが、
途中出場で左サイドに投入されたオーストラリア戦ではゴール前に飛び出して起死回生の同点ゴールを決め、
グループリーグ突破に大きく貢献した。
ゴール決める直前に左サイドで見せた、両手ダラリの「ノーガード戦法」も印象深い。

 キレのあるドリブル、奇想天外な発想、左足から繰り出される鋭く正確なパスとシュート、時にはFKも蹴ったりと、
見る者を夢と熱狂の世界に引きずり込むためのアビリティをしこたま詰め込んだプレイヤー。
人見知りする性格で、チーム内に知り合いがけっこういないと落ち着かないらしいが、
それでも慣れたら関西人らしくボケ倒しモードに入るので、そこは久保竜彦とは違うらしい。
2年目でチームにも慣れ、先輩たちに対しても積極的にボケ入れてるらしい。
プレイは天才肌だが、クールなところも持っていてちゃっかりしてそうなので、
プロに入ってもメリハリつけてうまくやっていけそうだ。
25  高柳一誠
(いっせー)
DF 若衆
 ユース出身。U−20日本代表候補。
ジュニアユースから昇格した1年のころから左サイドバックのレギュラーとして活躍。
守備的な位置ならばどこでもこなすことができるユーティリティーさをもつクレバーなプレイヤーで、
攻守のバランス感覚に優れ、堅実な守備だけでなく攻め上がってゴールも決めることもできる。
 公式戦初先発初出場のお菓子杯・緑戦では、目の覚めるようなミドルシュートを決めていきなり初ゴールも記録した。
一昨年はユースでは主にボランチを、トップでは右サイドを担当したが、
トップチームやU−19日本代表にも引っ張られる「三足のわらじ」をはき、
いろいろと考え込みやすい彼にとってはかなりパニックな一年だったようだ。
それでも、得るものは大きかったと思う。

 サッカーセンスは抜群。ただ、繊細で、ちょっと考え込みやすい性格なのが玉に瑕。
そのため、機会を与えられながらもなかなか本来のパフォーマンスを出すことができない。
頭の中ですべての整理がつけば、クロックアップして素晴らしいプレイを連発してくれるだろう。
キャンプのサテライト戦ではゴールを量産しており、これを公式戦でも・・・

 ユースでは圧倒的な人気を誇っていた。試合後には出待ちが列をなすほど。
年代別代表でもかなりのファンを集める。
美形ということであれば柏木も結構なものだと思うが、女子はちょっとワイルド入った一誠のほうがいいのか。
近頃とみに毛髪の量が増えてきて、走っているとよく「ゲゲゲの鬼太郎状態」になるので、
視界確保のためにもちょっと散髪しなさいよ、と思う。
26  橋内優也
(ハシ、ユーヤ)
FW/DF 東海大学付属第五高校
東海大学付属第五高校より加入。
 高校時代は、通常はDFとしてプレイしここぞというときにはFWに上がってゴールをうかがう、
というユーティリティープレイヤーとして活躍。
身長170cm台半ばながらヘッドには絶対の自信を持ち(垂直飛び90cmとのこと)、
また俊足を誇る。
さらに加入記者会見での真摯でしっかりとした受け答えから、人間的にも「出来ておる」ことがわかる。
DF登録だが、実際にはFWで起用されている。
望月監督のもとではその守備力と運動量を買われ、主に寿人と交代で起用された。
U−18日本代表候補の肩書きはあるが全国的には無名に近い彼が、どこまで伸びるか。
個人的には期待している。
2004年の高円宮杯グループリーグ、ガンバ大阪ユースとの対戦で、
不可解な判定による退場者を出したこともあり0−11という屈辱的な大差をつけられながらも、
最後の最後に右からのクロスをDFに競り勝ってヘッドで叩き込み、一矢を報いた姿を見ているので。

 チーム内では「ハシ」と呼ばれているが、いまいちピンと来ていないとのこと。
その容貌のせいで河野からは「マスター」、槙野からは「パパ」とか呼ばれているようだ。
27  柏木陽介
(ヨースケ)
MF 若衆
若衆より昇格。
 中学時代(兵庫県・御津中)時代は県トレセンでもほとんどノーマークの存在で、
そこをスカウトされて吉田にやってきた。
やってきた当初は周囲のレベルの高さに愕然としたそうだが
(その年は公式戦わずか二敗で二冠獲得。そのうちの一敗は天皇杯のJ2水戸戦、
つまり同年代相手にはたった一度しか負けなかったというサンフユース史上最強年代)、
2年になるとそれまでの華麗なプレイに加え運動量と泥臭さも身につけてポジション獲得。
ボランチやトップ下、FWで活躍し、二年連続の二冠に貢献した。
昨年は春先のサテライトの試合で鎖骨骨折して離脱したり、
年代別代表にも呼ばれるようにもなっていろいろ疲労が重なったせいもあって、
2年次のような絢爛たる活躍はできなかった。
だが、その中で学んだことも多かっただろう。

 華麗なプレイと泥臭いプレイを併せ持つ、万能の中盤プレイヤー。
ただ、ゴリさんいわくちょっと「イジケ虫」な性格ということで、殻をもう一つ突き破ればよりいっそうの成長が期待できそう。
ゆくゆくはトマシュ・ロシツキーみたいな選手になってほしいと思う。
28  槙野智章
(マッキー)
DF 若衆
若衆より昇格。
 もともとFWだったが、ジュニアユース時代にDFにコンバート。
スリーバックの中央でリベロとして守備陣を統率、幅広い守備範囲と迫力充分の攻め上がりでチームを支えていた。
ユースでは4バックのセンターとして2年からレギュラーの座を確保。
藤井大輔(新潟)とともに鉄壁の守備陣を敷き、クラブユース選手権・高円宮杯の二冠を手にした。
昨年は主将としてチームをまとめる立場となり、その大声でチームメイトを鼓舞し続けた。
結果として無冠には終わったが、クラブユース選手権でグループリーグ敗退に終わったチームが
高円宮杯で3位という成績を挙げることができたのは彼の力も大きく寄与しているだろう。
 U−18日本代表でもレギュラーとして福元(大分U−18・当時)とともにゴール前を固め、
年代別代表でもこの世代屈指のDFとして活躍。

 とにかく声が大きい。ピッチ全域に轟く声を間断なく発するので、
ユース時代には彼がいないピッチ上は非常に静かに感じられた。
性格も非常にアグレッシブで、かつ面白い。
DFのくせに「1試合1ゴール」が目標の一つで、常にゴールを狙っている。
身長は180cmジャストとそう高いというわけでもないがヘッドは無類に強く、
セットプレイからたびたびゴールを陥れる。
これは彼の卓越した身体能力のなせる業で、実際、年代別代表での体力テストでは、
日本代表(もちろんA代表)の平均値を越える数値をはじき出したという。

 今年は八田復帰に盛田コンバートということでセンターバックの層が厚くなったので、
実戦出場はなかなか難しい。
しかし彼のポテンシャルならば彼らを抜いてポジションを奪うことは充分可能。
気後れせずに声をガンガン出し、先輩たちの尻を叩いていってほしい。
29  趙佑鎮
(チョ・ウジン)
FW 浦項製鉄工業高校
浦項製鉄工業高校より加入。
 韓国選抜として2005年のサニックス杯に出場したときにスカウトの目に止まり、声をかけられる。
海を越えて練習参加したときに好感触を得ると、すぐにサンフ加入を決意した。
 今年の春に高校を卒業し、サンフでプロとしてのキャリアをスタートすることになる。
サンフの韓国籍選手としては、実にかのノ・ジョンユン以来。
(99年にソ・ドンウォンが入団テストに来ていたが、採用されなかった)
チョくんのプレイスタイルも「スピード豊かな突破力が武器」ということで、ノーさんを髣髴とさせる。
ノーさん二世になってほしいぞ。
 それにしても、ノーさんがサンフに来たとき、
彼は韓国のメディアからは「売国奴」などと書き立てられて大変だった。
しかし今では高卒選手が(ノーさんは大卒だった)ごく普通に日本にやってきてプレイできる。
とても幸せな状況といえるだろう。
隣国とはいえ異国の地でプロとして立つ決心をしたチョくんだが、
同じコリアンのハンジェがいるので、チームにとけこむのにはそれほど抵抗はないかも。
臆することなく頑張ってほしい。

 ノーさんと同じく日本語習得にも積極的で、インタビューに日本語で応対する場面も。
けっこう冗談が好きらしく、加入会見でもボケをかましたりしている。
先日のNHK広島のインタビューで

「自分のことをどう呼んでほしいか」
と訊かれ、


「チョ様」

と答えて視聴者に強いインパクトを与えた。
また、目標とする選手にパク・チソンを挙げたが、その際に手を使ってパク・チソンの顔真似をやり、
そこはかとない大物っぷりを漂わせている。
 決定力はいまいちだがスピードは本当に一級品とのことなので、早く実戦でのプレイを見てみたいところ。
30  入船和真
(イリ)
DF 鵬翔高
 宮崎・鵬翔高出身。元U−18日本代表。
鵬翔では左サイドバックもしくは3バックのセンターとして活躍。
一対一に強く、正確なサイドチェンジやクロスを繰り出すことのできる左足を持つ。
4バックを理想とする一方でサイドバックの層が薄い(ウイングバック候補なら多いが)サンフにとっては、
なくてはならないタイプの選手。
同じポジションには過去二年間フルタイム出場の鉄人・服部がいるが、
彼をお手本にして成長し、追い抜いてポジションを獲得してほしい。
31  佐藤昭大
(さんま、アキ)
GK 若衆
 ユース出身。元U−18日本代表。
2年から正GKの座をつかみ、そこから二年間の6大会で4回の栄冠に輝いたチームの守護神として君臨。
3年時は、卓人がU−23日本代表でチームを離れている間、河原を差し置き第2GKとしてベンチに座った。
そのために彼はなかなか実戦(プリンスリーグ)に出られず、
上野を京都からレンタルしてきてようやくユースに専念できるように。
しかし彼もただベンチに座っていたわけではなく、
ユースに戻ったときには、プロチームの練習内容や雰囲気などをユースの面々に伝えるように努力していた。

 非常に真面目で折り目正しい性格。
試合では矢継ぎ早のコーチングで危機を未然に防ぎ、
決定的場面では判断の良い飛び出しと卓越した反射能力でゴールを護る。
身体能力とスタミナは圧倒的で、3年の時に参加したのトップチーム春季キャンプでは、
「筑波山自転車登山タイムトライアル」にてぶっちぎりのタイムで優勝していた。
キックはまだちょっと弱いところがあるが、サンフGKの宿命と思えば腹も立たない(だろう)。
 昨年終盤は上野を抑えて第2GKの座をつかみ、下田の負傷を受けレギュラーとしてプレイ。
しかし、結果的にはそれから失点が増えてしまう結果となり、
それは彼だけの責任ではないのだが(正直、下田のデビュー時よりは安定していたと思うし)、
本人としては不本意極まりないだろう。
さらに努力して、再び守護神の座を狙ってほしい。

 その容貌から「さんま」というあだ名を持つ。
しかし親しい仲ならともかく赤の他人は、彼の前では「アキ」と呼ぶようにしましょう。
運転免許を取ったそうだが、車に乗せてもらったゴリさん(森山ユース監督)によれば、
「もういっぺん教習所行って来い」
というヤバさらしい。
32  纉c慎一朗
(クワシン)
MF 若衆
 ユース出身。
サンフレッチェみろくの里ジュニアユース出身者初のプロ入り選手。

 みろくの里ではFWだったが、ユースに入るとMFとして起用される。
高い攻撃センスと、攻守のバランスをわきまえたクレバーなプレイで、2年の途中からトップ下のポジションを確保。
確実なパス、そして何よりもスペースへの鋭い飛び出しで敵陣を混乱の極みに陥れた。
 04年、3年当初は中盤で確実にボールをつなげるということでしばらくボランチを務めていたが、
柏木の成長に伴いトップ下もしくはFWに入ることとなった。
サテライトにも出場、洋次郎とドイスボランチを組んだりシャドーストライカーの位置に入ったりといろいろこなし、
そのプレイぶりにギャラリーからも感嘆の声が漏れていた。

 勝利に対する執着心が非常に強い選手で、敗戦の後ではいつもひどく打ちひしがれている。
プリンスリーグで観音に敗れた試合、終了のホイッスルが鳴ると同時にその場にくずおれ、
しばらく立つことができなかったほど。
ボランチからFWまでこなすクレバーさ、豊富な運動量、粘り強い守備、正確なパス、飛び出しの鋭さ、そして得点力と、
いかように料理しても美味、という最高の素材。アラとかアンコウみたいな感じ?
年代別代表じゃないからといって甘く見てはいけない。

 昨年は早くも公式戦に出場、お菓子杯・脚戦では初ゴールもマークした。
ただ、彼の飛び出しの動きなどが周囲の動きとリンクしない場面が多く、
彼本来の持ち味はなかなか出なかった。
今年は連携を深め、更なる活躍を。
33  中尾真那
(マナ)
DF 桃山高
 京都・桃山高出身。元U−20日本代表候補。
京都でもトレセンに一度呼ばれただけで国体選抜にも呼ばれなかった、まったくの無名選手。
しかし広島に遠征してきて練習試合を行った際、足立スカウトの目にはたと止まってマナたんロックオン。
以後桃山高を円周防御し、彼をサテライトの練習試合に呼んだ際もオフィシャルで出場選手詳細を伏せたり、
時には練習試合の存在自体をスケジュールに載せなかったりと徹底した囲い込みで他クラブの目をくらまし、
獲得にこぎつけた。

 タンザニア人の父と日本人の母をもつハーフ。
一対一と空中戦の強さ、そして松浦にも引けをとらない俊足と、身体能力の高さは圧倒的。
本当に「久保をDFにした感じ」らしい。
素材は一級ながら技術にはまだまだなところがあるため、じっくりと育てていくようだ。
彼は吉田での練習に参加した時、以前宿題として提示されていたことをきっちりと身につけていたりと
サッカーに対する取り組みは真面目のようだし、きっと伸びていくだろう。
彼の目標は「日本代表」。それに向かって頑張ってほしい。

 桃山高ではセンターバックだったが、
広島では俊足も考慮してセンターバック・サイドバック両面で育てていくようだ。
昨年2月、U−20日本代表候補に電撃選出されて話題を呼んだが、負傷でワールドユース出場はならず。
しかしその後復帰、天皇杯ではついに公式戦初出場を果たし、
ファーサイドまで一直線のド迫力ロングスローでスタンドを大いに沸かせた。
今年からはベンチ入り7人となるので、「飛び道具」としてのメンバー入りも増えるかも?
といっても、まずはDFとしての力を伸ばしてほしいけど。

 「マナ」という名は、旧約聖書・出エジプト記第16章に見える、
荒野で飢えるイスラエルの民に神が降らせた食物の名に基づく。
「神様よりの贈り物」という意味を込めて名づけられたとのこと。
だから、「女の名前なのに・・・何だ、男か」とか言うの厳禁。
36  河野直人
(ナオト)
GK 名古屋
名古屋より加入。
かつて在籍していた河野淳吾の実弟。淳吾と同じく清水商出身。似てる。
三年前に名古屋に加入し、一昨年は福岡に期限付き移籍していた。
名古屋では楢崎・川島という大きな壁があり出場は難しいため、広島での挑戦となった。
サンフでもおそらくは三番手、四番手ということで厳しい状況には変わりないが、
優れたGKコーチ陣のもとで力を伸ばしていってほしい。



2006若衆名簿


2005年名簿

2004年名簿

2003年名簿

2002年名簿

2001年名簿

2000年名簿