――25

16時30分――大阪市内

 陸上自衛隊の出動に伴う交通規制と夕刻という時間帯が重なり、大阪市内の一般道・高速道路は混雑という言葉を通り越して混乱と言った方が相応しいほどの状況に陥っていた。

 片側6車線という広さを持ちながらも路肩への違法駐車もあって慢性的な渋滞に陥っている御堂筋には車同士が前後のバンパーがぶつかりそうなほど――ある場所では実際にぶつかっていたが――車間を詰め、苛立つドライバー達の怒号とクラクションが周囲に満ちている。信号は既にあって無きようなもので、横断歩道にまでひしめいている車のボンネットを乗り越えて道路の反対側に渡ろうとしている歩行者もいるほどだ。

交通整理に当たっている大阪府警の警察官の数は前年にセ・リーグを制覇した阪神タイガースの祝賀パレードをも上回っていたが、至る所でドライバー同士の口論が起こり、中には掴み合いの喧嘩にまで発展している状況ではその都度仲裁に走り回らなければならず、混乱が収拾する様子は全く無かった。淀川によって南北に分かれた市街地には、北は名神高速、東からは近畿自動車道から枝分かれした高速線が網の目のように通っていたが、そこもまた大渋滞に陥っており、車は一般道に下りることも出来ずにいた。

 

 そんな中、大阪府を南北に貫く近畿自動車道では上り線こそ他の路線と変わらぬ渋滞が発生していたが、下り線だけはまるで嘘の様に一台の車も走っていない。

一人のドライバーは本日何本目になるか分からない煙草に火をつけた。既に社内は煙で充満しており、男は高速道路上では禁止されていることではあったがウィンドウを開けると、紫煙を外に向けて勢いよく吐き出す。先程から一向に車列が動く気配は無い。男は煙草を持つ右手を所在無げに窓の外に投げ出すと、無人の下り線へ羨ましさを通り越して恨めしげな視線を向けた。その時、遠くからサイレンが聞こえてきた。

サイレンの音は次第にこちらへ近づいてくる。すると、彼の視界に2台の白バイが並んでやって来るのが見えた。

「緊急車両が通過します!緊急車両が通過します!」

その後ろには大阪府警のパトロールカーが赤色灯を回転させながらサイレンを大音量で鳴らしながら走っている。それだけならば男もそれほど驚かなかっただろう。だが、パトカーの後ろに続く全てがOD<オリーグドラヴ>色に塗られた車列が視界に入った時、男は思わず煙草を取り落としてしまった。

それは、伊丹駐屯地を出発した陸上自衛隊第3師団第7普通科連隊、千僧駐屯地からの第3後方支援連隊、第3通信大隊、第3偵察隊、豊中駐屯地からの中部方面輸送隊の車両だった。先頭を行くのは73式小型車と呼ばれる4輪駆動車で、荷台の部分が幌に覆われているもの、鋼板に覆われているもの、何も掛けられていないもの数種類が見受けられる。その後には物資や兵員輸送用の中型、大型のトラックが数十台連なる。これらは一般の車種を転用したものであり、1995年の起きた阪神淡路大震災をこの地方で経験した者なら災害派遣された陸自の部隊の中で目にしたこともあったかもしれない。だが続く車列は近畿自動車上のドライバー達に今起きていることが天災でも人災でもない、“戦争”であることを実感させるに十分の威圧感を放っていた。

73式小型車より大型の、米軍の軍用車“ハンヴィー”を模したような高機動車、全面に防弾装甲の施された軽装甲機動車の荷台や銃座には対戦車誘導弾発射機や重機関砲、自動擲弾銃が据え付けられ、その傍らには自衛隊員が頬を強張らせながら火器のグリップを握っている。さらには飾り気の全く無い箱型の形をした、素人から見れば戦車と見分けのつかない96式装輪装甲車、82式指揮通信車、車体上部に25mm機関砲の砲塔を備えた87式偵察警戒車といった走行にキャタピラを使用しない“装輪装甲車”と呼ばれる車両が続く。これらは、タイヤにチューブを使わずに発泡材を封入してパンクを起こさない構造をしたコンバットタイヤを使用しており、野外はもとよりこうした舗装道路でも汎用性の高い機動力を発揮する。このような戦闘用の車両ばかりではなく、補給や糧食、衛生まで自己完結させる自衛隊らしく、作戦中の隊員の生活を支える給水器具、炊烹器具、洗濯機具などを載せたトラック、3.5トンから10トンまで燃料を積むことが出来るタンクローリー、トラックの荷台を改造した救急車、さらには車内で外科手術から応急救命措置まで行える野外手術システムを乗せた車両までがこの車列に加わっている。

すると今度は荷台や天井に無線アンテナや衛星通信用パラボラアンテナを載せた車両が多くなってきた。これらは、師団司令部と現場の各部隊を結ぶ野外通信システムと、各師団司令部と方面総監部を結ぶ基地通信システムを構成する車両群だ。

これら、普通科連隊とその他の活動を支援する部隊が通り過ぎると、ややあって次の車列がやって来た。今津駐屯地から出動した第3戦車大隊と姫路駐屯地から出動した第3特科連隊の火砲を載せた特大型セミトレーラーの隊列だ。90式戦車、89式戦闘装甲車、99式・75式155mm自走榴弾砲、203mm自走榴弾砲などのキャタピラーにより走行する重車両は長距離を移動するには燃費が悪く、路面との摩擦でキャタピラーを痛めてしまうため、作戦地域まではこうしてトレーラーに載せられて移動するのが普通である。これらの車両はトレーラーの荷台に太さ1cmはあろうかというワイヤーによって固定され、ハッチから顔を出した隊員が視線を真っ直ぐ列の前後に向けている。搭載された車両と合わせてトレーラーの重量は100トンを下らない。一台通る度に高架がまるで地震が起こったかのように揺れ、アスファルトの路面が波打つ。

高速道路上のドライバー達は初めて目の当たりにする陸上自衛隊の戦闘車両にしばらくの間は驚きと物珍しさから目を奪われていたが、オリーブ色の単調な色彩が続く隊列に見飽きてくると、今度は頭上で響き渡っている爆音が耳に入るようになってきた。視線を上空に向けると、円筒形の機体に2機のタンデムローターとエンジンを搭載したCH−47JA大型輸送ヘリコプターがOH−6D観測ヘリコプターに先導され、デルタ編隊を組みながら通過していく。編隊の周囲には汎用の中型ヘリコプターであるUH−1J、UH−60JAが取り巻き、中には機内に納まりきらないような大きさのコンテナを機体下部から吊り下げているものもある。

 

延々と続く装甲車の隊列と空を埋め尽くすヘリコプターの編隊は、混乱する市民生活を余所に速やかにかつ滞りなく防衛線への移動を行いつつあった。

 

 

18時30分――東京、品川

 本日の講義を終え大学から家への帰途、片山は品川駅の東口に佇んでいた。

 数分おきに電車はホームへ到着し、バスもそれとほとんど同じ間隔でロータリーへとやって来る。改札口からは絶えず仕事帰りのサラリーマンやOLを中心とした人の波が吐き出され、道路の路肩には客待ちのタクシーが列を作る。この時間になれば通りに立ち並ぶ居酒屋からは酔客の嬌声が聞こえ、駅前は昼間の喧騒とは違った活気に包まれる。それは、いつもと変わらぬ日常の光景だった。

 だが、普段と異なる人々の姿も見受けられた。人々の多くがビルの電光掲示板に流れる文字や大型ディスプレイに映し出されるニュースに時折足を止めて見入り、聞き入っているのだ。そうした人々に一日の仕事を終えた疲れや開放感といったものはなく、一様に不安げな表情が張り付いている。そして、片山が今手にしている駅前で配られていた新聞の号外には日常とは異なる世界の出来事のように活字が並べられていた。

 

『自衛隊、ゴジラと交戦』

『イージス艦を含む護衛艦2隻大破。乗員絶望』

『空自戦闘機3機撃墜』

『ゴジラに対し、通常兵器は効果なし』

『今夜にも紀伊水道沿岸地域に上陸か!?』

 

 不意に、家への帰路に着くサラリーマンの一人と肩がぶつかったことで片山は我に返った。男は軽く頭を下げて謝意を示すと、目は合わせないまま足早にその場を去っていった。急に現実に引き戻されたようで、片山はまるで自分の足が地に付いていないように感じた。身に馴染んだ風景と同じようで違う風景、身に馴染んだ風景と違うようで同じ風景が彼の周りをぐるぐると回る。まるで、自分自身が現実から乖離してしまったかのような錯覚に陥る。手に握った号外を握り潰し、思わず叫び出したくなる衝動に駆られたが、それを理性で押し殺すと風景は元に戻った。いつもと同じ、夕方の品川駅前の風景。

 

片山は言葉では言い表せない種類の恐怖を感じていた。ゴジラと言う存在によって日常という世界が破壊されるであろう恐怖。だがそれは、心のどこかでゴジラの存在を肯定している――己の好奇心と知識欲を満たす為にゴジラを必要としているもう一人の自分に対する恐怖でもあった――

 

 

同時刻――紀伊水道

 幾度となく海水を沸騰させた魚雷とミサイルの爆発や護衛艦が自らの血の如く流したオイル、そして炎や衝撃波の中に呑み込まれて消えていった隊員達の悲鳴の余韻ももはや消え失せ、夕闇の迫る海は静寂を取り戻しつつあった。だが時折、対潜哨戒機P−3Cがその機体下部からソノブイを投下しながら上空を行き過ぎ、対潜ヘリコプターSH−60Jが吊下げ式ソナーを垂らしながらホバリングをする。また、護衛艦が海上に航跡を刻む度に喫水下、艦首のドームから放たれたアクティブソナーが水中にその波紋を広げていく。

ゴジラにもこれらの自衛隊の行動が水中を伝わる振動となって感じられたはずだが、ゴジラは先の戦闘によって消耗した体を休めるかのようにぴくりとも動こうとしない。また、海上自衛隊の艦船も航空機も海底の泥の中に半分埋まるように横たわり、海底の地形と一体となったゴジラの姿に気付かなかった。

 

ややあって――ぴっちりと閉じられたゴジラの口から牙が覗き、その間からごぼごぼと気泡が漏れ出すと、瞼がゆっくりと開いていく。最初は焦点が定まっていなかった瞳に爛々とした光が灯ると、ゴジラが身を横たえていた海底から濛々と泥が舞い上がる。

 

ゴジラは再び動き出した。短い静寂の時間は終わったのだ――


第四章―24

第五章―26

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