――24

 

同時刻、東京都練馬区――陸上自衛隊第一師団司令部

 陸自第一師団長、石原一真陸将は作戦室で中央指揮所から刻々と入ってくるゴジラと海自の戦況に聞き入っていた。通信科員達がJTIDOSに接続された端末の前で刻々と報告を読み上げる。

「ゴジラ、海自と空自の攻撃を受け速度を落としながらも毎時20から30kmの速度で紀伊水道を北上中!」

 10万分の1の近畿地方の地図が作戦台の上に広げられ、そこへオペレーターが指示したとおりの位置にピンを突き刺し、進路上に定規で線を引く。導かれた結果は、コンピューターで分析するまでも無く明らかだった。

「――このままでは、ゴジラは間違いなく上陸します……」

 師団の情報分析を担当する第二部長の一佐が表情を引き攣らせながら石原へ視線を向けた。

「……」

 石原はその言葉にも無言で地図上を見詰めるまままだ。その時、沈黙していた卓上の電話が鳴った。第一師団の所属する東部方面隊、その司令官である上泉総監からの直通回線だ。石原は自らその電話を取った。

「――石原です。」

『上泉だ。たった今総理から陸上自衛隊<われわれ>に出動命令が下った。幕僚監部は、中部方面隊の第十師団、第三師団、第二混成団を即時出動、第十三旅団にも順次出動を命じる方針だ。』

「……我々はどうすればよろしいですか?」

 石原は逸る気持ちを抑えながら、静かに聞いた。もし海自と空自の力で抑えられなければゴジラは上陸、そうなれば自分の出番であると言う自負が石原にはあった。

『第一師団は現状で待機だ。』

 そんな石原の心情を知らぬ上泉は極めて事務的な口調で言った。

『この非常事態においても、首都東京から部隊を離してしまうことはリスクが大きすぎる。』

 石原は無表情のまま、奥歯を噛み締めて感情を押し殺した。確かに、上泉の言うとおりだった。第一師団は自衛隊の中でも、首都圏を防衛する任務を担う部隊である。1995年の地下鉄サリン事件を始め、警察力を超える凶悪事件やテロへの防圧としての存在感は近年増している。それだけに、陸幕の立場としては出動には慎重にならざるを得ないのだ。

『だが……』

 沈黙する石原を他所に、上泉が続けた。

『支援部隊として、長官直轄部隊の第一ヘリコプター団と、方面航空隊からは第4対戦車ヘリコプター隊を派遣することとなった。第4対戦車ヘリコプター隊は作戦にあたり中部方面隊の指揮下に入るものとする。異存はないな?』

「了解いたしました。第一師団は現状にて待機します。」

 石原もまた極めて淡々と答えて回線は切られた。例え上泉が石原の息子である勇真が第4対戦車ヘリ隊のパイロットであることを知っているとしても、自衛隊が防衛出動命令下にある中で個人的な感情を差し挟むことは出来ない。

もっとも、陸幕の判断も異論の余地が無いものだ。第一ヘリコプター団は各方面隊や師団に属さない、「長官直轄部隊」である。第一ヘリ団はCH−47などの大型ヘリコプターを主力として有し、自衛隊で最大の空中輸送能力を有する。防衛庁長官の指揮・監督下にあるため、命令により全国へ機動的に展開できることが特徴だ。第4対戦車ヘリ隊は長官直轄ではないが、この緊急事態において高い機動性を生かして他方面隊への応援部隊となることは容易に想像が出来る。

「第三部長、各部隊へ連絡。」

 石原は上泉との無線の時とは違い、腹に力の入った声を出して通信担当の士官へ向き直った。

「第一師団各隊は現状のまま待機、出動態勢を維持せよ。」

 その時、爪が掌に喰い込むほど石原の拳が強く握られていたことに気付く人間は作戦室の中に誰もいなかった。

 

 

15時10分、木更津――陸上自衛隊、第4対戦車ヘリコプター隊駐屯地

 ――くそ度胸。

 榊晴彦と言う男を部隊一、いや陸自一のヘリコプターパイロットと成し得ているものを一言で表すのならばこれに尽きる、と石原勇真は思っていた。かと言って榊が恐れ知らずと言うわけではない。今までの経験から推測するに、榊は他の誰よりも自らと機体の限界――言わば死と隣り合わせの世界、を敏感に察知することが出来る。それが並のパイロットであったなら、感じてしまった自分の死に恐れをなし、限界の一線に近づくことを躊躇ってしまうだろう。しかし、榊は違う。己の限界点を察知できることを逆手に取り、あえてそこまで踏み込んでいく。もっとも、それは卓越した操縦技術に裏付けされたものなのだが、その傍から見れば命知らずとも思える飛行は“くそ度胸”とまで思われてもしょうがないものであろう。しかし、今日の榊の様子に勇真は僅かな違和感を持っていた。

第三種非常待機態勢が発令されて以来、第4対戦車ヘリコプター隊も今までにない臨戦態勢に入っており、パイロット、ガンナーは3交代で待機所としてあてがわれている休憩室にフライトスーツ姿で詰め、メカニック達は自分が担当している機体の整備に余念が無く、命令があればAH−64Dロングボウ・アパッチやAH−1Sコブラの武器架にヘルファイアやTOWといった対戦車ミサイル、70mmロケット弾を積み込んで出撃できる態勢を整えている。待機所の中、誰もが緊張した面持ちにてテレビで放送されている特別番組に見入っている中で、榊一人だけがいつもどおり余裕たっぷりの様子で後輩に軽口を向けている。だが、テーブルの上に置かれた灰皿には既に吸殻が山盛りになっており、その中には隊で榊だけが吸っている外国銘柄の煙草のフィルターがいつもよりも多く目立つ。

――「榊さん、今日は吸いすぎなんじゃないですか?」

 煙草を吸わない勇真にとって、スモーカーであることだけが榊の尊敬できない点であったが、喉まで出かけたその言葉をあえて飲み込んだ。誰も、正気ではいられない。それは榊であっても例外ではないのだ。そう一人納得する。その時だった。

カッ……

 休憩室のざわめきの中でもそのブーツの底を鳴らした音ははっきりと響き渡り、全員がその方向を振り向くと、部屋の入り口に第4対戦車ヘリ隊隊長、竹井勝二佐の姿があった。次の瞬間には皆立ち上がり、竹井の口から言葉が発せられるのを待った。竹井は隊員達の表情を確かめるように部屋の中を見渡すと、ゆっくりと口を開いた。

「たった今、東部方面総監部から出動命令が下った。ブリーフィングを行うので士官、パイロットは作戦室に集合せよ。」

 本来なら、竹井本人がこうして指示を伝えに来ることは無い。それだけに皆、今自分達が置かれている特別な状況を再認識せざるを得なかった。竹井の姿が入り口から消えると、隊員達は駆け足で各々の持ち場へ散っていく。作戦室へ向かう者達の中に、勇真と榊の姿があった。

『――只今入った情報によりますと、この後午後4時から首相官邸より小林総理の緊急の記者会見が始まる模様です。自衛隊による対ゴジラ作戦において、なんらかの動きがあることが予想されます……』

休憩室のテレビは、特別報道番組が誰も見る者が無い中で映し続けていた――

 

「全員、揃ったようだな……」

 5分後――パイロットと士官が揃ったタイミングを見計らったかのように、竹井が作戦室へ入ってきた。竹井は、近畿地方の簡易地図が書きこまれたホワイトボードの前まで進むと、30数人の視線が自分に集まるのを感じながら口を開いた。

「諸君も周知のとおり本日1230<ヒトフタサンマル>、海自が捕捉したゴジラに対し、防衛出動に基づく攻撃命令が下り、交戦状態となった。現在までに海自の護衛艦『さみだれ』が大破し沈没、『ちょうかい』が同じく大破し航行不能、空自のF−1戦闘機2機が撃墜されている。現在の進路と速度を維持すれば、1900<ヒトキュウマルマル>までに和歌山市付近の沿岸部に上陸する見込みだ。第三師団はゴジラが上陸後、大阪方面への北上を阻止するため阪和自動車道に、第十師団は名古屋方面への東進に備えて伊勢自動車道に防衛線を設定している。我々第4戦闘ヘリコプター隊に与えられた任務は、この津〜伊勢ラインの前面に展開し地上部隊と連携してゴジラの進攻を阻止することだ。」

 竹井はホワイトボード上に指示棒を走らせると、その一点に叩き付けた。パシッ、と小気味良い音が作戦室の中に響き渡る。彼等はそれを聞いただけで、自分達にその任務が与えられた意味が分かった。第4対戦車ヘリコプター隊は、最新型のAH−64Dロングボウ・アパッチを擁する第1小隊、従来型のAH−1Sコブラを装備する第2、3小隊から成る。ロングボウ・アパッチは勿論、メインローター上に全天候型のミリ波レーダーを装備しており、これとヘルファイアU対戦車ミサイルを組み合わせることで撃ち放しによる攻撃が可能となっている。つまり、敵を捕捉しつつ攻撃した後はすぐに遮蔽物などに身を隠すことが可能なのだ。また、このミリ波レーダーで捉えられたデータはデータモデムを通して味方部隊にも分配され、作戦行動を補佐する。この様に第4対戦車ヘリ隊そのものがロングボウ・アパッチのシステムを利用した戦術を研究する為の実験的な部隊でもあるのだ。

「目的地は中部方面隊明野駐屯地。なお、到着後、隊は中部方面総監部の指揮下に入る。……榊一尉!」

 竹井は会議室の最前列に座った部隊No.1パイロットに視線を向けた。

「現場での戦闘指揮官はお前だ。情報担当の門田一尉、作戦担当の本橋三佐を同行させる。司令部とのコミュニケーションを密にし、ロングボウのポテンシャルを最大限に発揮して見せろ。」

「……了解!」

 榊の力強い返答を聞くと、竹井はちらりと時計を見た。時刻は午後3時30分をわずかに過ぎている。

「パイロットは1600までに格納庫<ハンガー>に集合、出撃の最終準備に入れ。部隊の離陸後、メカニックはメインテナンス用の機材とともに第1ヘリ団のエプロンに移動。第1ヘリ団のCH−47に同乗して前線に運ぶ。その後は現地司令部の指示に従うこと。パイロット、メカニック共々第4対戦車ヘリ隊誇りを忘れるな!以上、解散!!!」

 竹井がそう言い放つと、作戦室の全員が一斉に立ち上がり、彼に敬礼をした。彼もそれに敬礼で応える。竹井が手を下げた後に全員も手を下げ、各々の部署に駆け足で散っていく。その一団の中に一際緊張した面持ちの勇真がいた。

宿舎の廊下を他のパイロットとともに駆け抜け、ロッカールームに飛び込む。第三種非常勤務態勢発令後、既にフライトスーツは身に着けていたので、各種装備の詰まった雑嚢をひったくるようにロッカーから取り出すと、ヘルメットを脇に抱えて再び廊下へ飛び出していく。狭い廊下から一気に視界が開け、広い格納庫に到着すると格納庫内にヘリコプターの姿は無く、機体は全てエプロン上に引き出されており、その周りでメカニック達が最終点検を行っている。

「よろしくお願いします!」

 勇真は彼等にそう言って敬礼すると、アパッチの後部座席に乗り込んだ。同じく前部座席に乗り込んだのが砲手<ガンナー>の杉野二尉。アパッチやコブラといった戦闘ヘリのコックピットはそのほとんどが前後に席があるタンデムコックピットを採用している。後席が操縦手<パイロット>、前席が砲手<ガンナー>であり、前席でも操縦を行うことが出来るが、最新の戦闘ヘリの火器管制システムはレーダーやレーザー測距照準装置、赤外線画像解析装置などが統合され、その運用を主にしている。

 勇真はコックピットの後部座席で素早く計器類をチェックした。アイドリング状態のローター回転計、ほとんど動いていない速度計と高度計、機体が平衡状態を示している姿勢儀。警告を発している計器はない。

「フライトシステムチェック、オールグリーン」

「了解。サブシステムチェック、FCSチェック、オールグリーン」

 勇真が言うと、前席の杉野二尉が答えた。それを聞いて、勇真はヘルメットに装着されたリップマイクに吹き込む。

「アパッチ05よりアパッチリーダーへ、発進準備完了!」

『アパッチリーダー、了解……』

 隊長機のパイロットを務める榊が答える。その後もヘルメット内のスピーカーには各機が発進準備を終えたことを告げる声が続いてきた。そして、

『管制塔、こちらアタッカーフォーメーション、離陸許可を請う。』

『管制塔より、アタッカーフォーメーション。上空、進路オールクリア。離陸せよ)』

 榊と管制官のやり取りが終わるのを待ち、外の整備士にエンジンをスタートさせるのを合図で伝えた。整備員達が親指を立てて応え、機体から駆け足で離れるのを見送ると、後部座席の背後でターボシャフトエンジンが甲高い音を上げるのを聞きながらエンジン音に異常がないことを無意識に確認する。ローター回転計がみるみる上昇していくにつれて、アパッチの4枚ブレードがエプロンに強烈なダウンウォッシュを叩き付け始めた。勇真はコレクティブ・レバーで揚力を調整しながら、慎重に操縦桿にあたるサイクリック・レバーを前に倒すとその動きに同調するかのようにローターの角度が変わり、機体は前傾しながらゆっくりと上昇を始めた。同時に、足元の左右に置かれたアンチトルク・ペダルを踏み込み、回転数の上がったローターの出力で機体の方向が変わらないよう微調整をする。機体が安定した高度でホバリングを始めた時には5機のアパッチが完璧なデルタ飛行隊形を維持していた。

 管制・観測用のOH−1ヘリが先導し始めると、アパッチは飛行隊形を維持したまま、西の空へと速度を上げていった――

 

 

16時00分――東京、首相官邸

 官邸の執務室では小林総理の緊急声明の準備が着々と進められていた。執務室にはNHKのカメラや音声スタッフだけが入り、他の民放は同じ映像を同時に放映することになっていた。中継を会見室からではなく執務室で行うことは、

『記者の皆さんを通じてではなく、国民に直接語り掛けたい。』

という小林の希望だった。

スタッフがスーツの襟にマイクを付けて下がると、小林は居住まいを正して執務机に座った。正面から彼に向けられた一台のカメラ、左右からライトで照らされ、NHKのクルーの後ろには松原官房長官と阿部副長官がまるで『このような仕事は本来我々の仕事です』と言わんばかりの視線を小林に注いでいる。

「それでは……始めましょう……」

 その内面の苦悩を極力抑えた淡々とした声で小林が言うと、ディレクターの男はヘッドセットのマイクを口に寄せ官邸の外部に待機している中継班と何やら二言三言言葉を交わすと、小林に掌を向けた。

「総理、準備OKです。5秒前、3……2……1……」

 彼の掛け声と同時に指が全て閉じられると、今までスタジオから特別番組を放送していたNHKおよび民放各局のTV番組は首相官邸からの中継映像に切り替わり、10分前から政府広報により緊急放送の予告をしていた新宿や渋谷の街頭ビジョンにも小林の姿が大写しになった。

 小林は放送が始まってから、自分に国民の注目が集まることを感じるようにして沈黙し、数秒後にゆっくりと口を開いた。

「国民の皆さん、内閣総理大臣の小林です。最初に、皆さんに残念なお知らせをしなくてはなりません……。ご存知のように、日本は今50年振りに出現したゴジラによる危険に晒されています。私はこの国の首相として、国民の生命と財産をゴジラから守る為、去る5月13日に自衛隊へ防衛出動の命令を下しました。そして本日正午、現場を警戒中の海上自衛隊がゴジラを発見。護衛艦のミサイル攻撃によりゴジラとの交戦状態に突入しました。自衛隊からの報告によれば、この約3時間の戦闘で海上自衛隊の護衛艦1隻が沈没、1隻が大破。航空自衛隊の戦闘機2機が撃墜と言う被害が出ました。死傷者数は報告されておりませんが、殉職した自衛隊員の方々、そしてその家族の皆様にはこの場を借りて哀悼の意を表させて戴きたいと思います。」

 小林はそのまま机に手を付くと、深々と頭を垂れた。だが、顔を上げた後の彼の表情は、先程までとは別の決意に満ちているように思われた。

「――戦闘における被害の全責任は自衛隊の最高指揮官である私にあります。本来、私はこの場で職を辞しその責任の所在を明らかにするべきですが、かの状況において政治的空白を生じさせることは許されるものではなく、この事態を収拾し国民の皆さんの安全を守ることに全身全霊を尽くす所存です。――ゴジラは現在、紀伊水道を北上しており、このままの進路・速度を保った場合、沿岸部のいずれかに上陸することは必至となりました。最も上陸の可能性が高い地域は和歌山県の沿岸部であります。この事態に対処すべく本日午後4時より陸上自衛隊が出動し、緊急車両の移動に伴い、名阪神地域では大規模な交通規制も実施されます。状況の変化によっては皆さんの生活に更なる不自由を生じさせてしまう可能性も否定できません。今後も政府や自治体からの情報に耳を傾け、一人一人がこの危機を自覚し、混乱を引き起こさぬようご協力をお願いいたします……」

 

 首相官邸からの放送が終わると、それぞれの局はスタジオに場面を戻した。そこで、アナウンサーが興奮を隠せず真っ赤な顔をして原稿を読み上げる。

「え〜、只今最新の情報が入ってきました。防衛庁の発表によりますと、今回出動します陸上自衛隊の部隊は次のとおりです。中部方面隊第三師団から第31、37普通科連隊。第3、10戦車大隊。第3特科連隊。続いて第十師団から第35、33普通科連隊、第10特科連隊、第5対戦車ヘリコプター隊、第10対戦車隊。なお、これらの部隊に補給通信など後方支援活動を行う各部隊が加わり、また全国の自衛隊からも必要に応じた応援部隊が派遣される模様です。すでに部隊の移動のための交通規制が各地で行われており、名神・阪神・阪和・東名阪・伊勢の各自動車道の下り線、一部の上り線は通行止めとなっており、各地の主要道路も通行止めとなっております。陸上自衛隊の出動に伴う交通情報はテレビ、ラジオでも逐次お伝えいたします。移動の際は自家用車を使わず、公共の交通機関をご利用ください。繰り返します……」

 

小林の静かな口調と同じように会見はゆっくりと、しかし確実に波紋のように国民の間に広がっていった――


第四章―23

第五章―25

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