『第4章』

 

――20

 

5月30日――

 ゴジラに対する自衛隊の防衛出動が発令されてから、2週間余りが静かに過ぎ去った。しかし、時間の流れの静かさとは裏腹に、この2週間の自衛隊の動きは慌しかった。

 

 防衛出動が決定されてからまず、『みちしお』の遺留品および、生存者もしくは遺体を捜索する為に現場に派遣されていた第4護衛艦群の『ひえい』『いなづま』『さみだれ』の3隻が搭載されていた対潜哨戒ヘリSH−60Jシーホークを次々に発艦させて周囲にソノブイバリヤーを張り巡らすと、海上自衛隊の各航空隊基地からはP−3C対潜哨戒機が一斉にスクランブル発進をして、太平洋岸一帯に24時間体勢で監視の目を光らせるようになった。その日のうちに横須賀、呉、佐世保の各護衛艦群には乗組員の非常招集がかかり、地方隊の護衛艦も含めて整備中の一部を除き、海上自衛隊の保有する護衛艦の約3分の2が出動するという光景が広がった。海中の潜水艦部隊も同様だった。

 航空自衛隊は百里基地から偵察航空隊のF−4EJファントム偵察機を飛び立たせ、西日本太平洋岸に近い地域の航空自衛隊基地に移動させた。ファントム偵察機はこの後、入れ替わりに太平洋上に飛び立ち、機首に装備された高性能パノラマカメラを海面へと向けることとなった。各航空隊基地ではF−1支援戦闘機とF−4EJファントム戦闘爆撃機がパイロンにMk82――500ポンド誘導爆弾、ASM−2――93式空対艦ミサイル、19連装70mmロケットランチャーなど、ゴジラ攻撃を見越した対地、対艦装備を満載して、それぞれが命令から5分、30分、2時間で出撃できるよう発進準備態勢に入っていた。それらに遅れること1日、各航空隊基地に、三沢基地から移動してきた再新鋭の支援戦闘機F−2の姿も見られるようになっていた。

 積極的な捜索体勢を見せる海上、航空の両自衛隊に対し、陸上自衛隊は我慢の動きを強いられていた。陸上幕僚監部では、ゴジラが太平洋岸のあらゆる地域に接近した場合の部隊展開オペレーションの立案に入っていた。現時点で部隊を出動させ、特定の地域で防衛陣地構築が困難であったことから、出動可能な全部隊に対し第三種非常勤務体制を命じた。待機命令としては最高ランクのものであり、駐屯地内では武器科、輸送科、需品科がトラックや輸送ヘリに野戦装備を詰め込み、隊員はいつでも出動が出来るよう戦闘服での就寝が義務付けられ、緊張した空気が敷地内を支配し始めていた。

 

 しかし、そんな彼等の思いとは裏腹にゴジラは姿を見せる気配すら全く見せなかった――

 

 ゴジラの探知を行う上で、最も困難な問題はゴジラの発する“音紋”のデータが無かった事だった。海中は大気中よりも光や電波が伝わりにくく、相手を特定するには潜水艦や洋上艦の発するエンジン音やモーター音、回転するスクリューによるキャビテーションを捕捉する事が重要となっている。護衛艦や潜水艦のソナーにはあらゆる潜水艦や洋上艦の発する音のデータ――音紋が記録されていて探知や分析を行っているが、ゴジラが海中で発する音のデータは皆無だった。

 その為、海上自衛隊はSH−60JやP−3Cから投下したアクティブソナー式ソノブイでの探知の他に、海中の音を徹底的に採取する作戦を行っていた。各護衛艦群には海洋業務群と言われる海洋情報の収集と分析を専門とする部隊から海洋観測艦が随伴して常に周辺海域の情報を収集し、音響観測に必要な水中環境のデータをリアルタイムで更新していた。また音紋データの収集を専門の任務とする音響測定艦『はりま』と『ひびき』は全長2800mのTASS(曳航ソナー)を引きながら周辺海域を探査した。TASSとは曳航ソナーの名の示す通り、長いケーブルの先に複数のソナーを連結させたものを艦尾から水中に流して曳航するものだ、艦首<バウ>ソナーよりも自艦の発生させるエンジン音やスクリュー音の影響を受けにくい特性を持っている。護衛艦にも同様のTASSが装備されており、『はりま』や『ひびき』のものには探知可能距離などで劣るものの、得られたデータを艦隊の戦術情報処理システムと連動させ、対潜兵器と直結させられるメリットがある。

 アメリカに次いで世界第2位と言われる対潜哨戒能力を持つと言われる海上自衛隊だが、この対ゴジラ作戦においては、新たな水上の“眼”も出動していた。

 

 

同日、午前11時――豊後水道沖

 

『SH−1、発進準備!SH−1、発進準備!』

「了解。SH−1を発進軌道上へ!」

 『やまと』の後部格納庫からヘリ甲板上に、着艦装置で拘束された1機のヘリコプターが姿を現した。海上哨戒ヘリSH−1 “サーペント”。陸上自衛隊の観測ヘリOH−1をベースに海上自衛隊独自の改良を施した“海のコブラ”、またの名を“不審船ハンター”。

 90年代後半、日本の領海に接近する多くの不審船の存在は、国防上小さからぬ問題となっていた。不審船は、海上自衛隊や海上保安庁の巡視船による再三の警告、機関砲や艦載砲による威嚇射撃も無視し、荒波をものともせず海上を40ノット以上の高速で逃走したのだった。それは海上保安庁の巡視船はおろか、海上自衛隊の護衛艦でも追いつけない速度だった。

 そして2002年4月、不審船の本当の恐ろしさを知らしめる事件が起きた。東シナ海の日本と中国の排他的経済水域の境界上で海上保安庁の巡視船と不審船の間で銃撃戦が展開されたのだ。巡視船には7.62mm、9mm、12.7mmと3種類の機関砲による銃弾が撃ち込まれ、命中こそしなかったものの旧ソ連製の対戦車ロケット砲RPG−7までこの戦闘では使用された。巡視船は逃走する不審船に向けて、威嚇射撃ではなく“反撃”として20mm機関砲を発射し、これの1隻を撃沈した。

 事態を重く見ていた当局は、これ以前にも海上保安庁に従来のスクリューではなく海水のジェット噴射により40ノット以上の速度を発揮できる高速巡視船を配備。それと同時に海上自衛隊も機動力と火力で不審船の動きを封じる事の出来る装備の開発に着手した。

 そうして完成したのがSH−1“サーペント”である。OH−1の特色を残した前後2席のタンデムコックピットと赤外線センサーや夜間暗視装置。さらにAH−64D“ロングボウ・アパッチ”のように、メインローター上にレーダードームを装備しており、見通しの良い海上ならば半径25km以上の範囲で海上の動きを把握する事が出来る。機首下部には砲手のヘルメットの目視照準装置<アイリンクシステム>と連動した20mm機関砲を装備。SH−60J“シーホーク”のように対潜哨戒能力は有していないが、海上の哨戒能力や機動力においては大きく上回り、全国4護衛艦群に1機ずつ配備された事で、不審船に対する抑止力となっている。

 

『LSO(発着艦指揮所)、SH−1。コンディション・オール・グリーン。』

「LSO了解。ベアトラップ解除!」

『テイクオフ!!!』

 艦載ヘリコプターは、狭い護衛艦の甲板上では機体をベアトラップと呼ばれるフックとワイヤーによる拘束装置で繋ぎとめている。『やまと』の甲板の右隅に半ば甲板に埋め込まれるような形で位置するLSOからの操作によって、その戒めから解き放たれたSH−1は着陸脚<ランディングギア>を甲板から浮かせると、30ノット以上で全速前進する『やまと』が発生させる向かい風を受けて一気に上昇した。そして、機体を前傾させるとさらにローターの回転を上げて加速していった。

 

「宮沢三尉、高度そのまま。速度を保て!」

「了解!」

 SH−1の操縦手兼砲手、宮沢三尉は先輩のレーダーオペレーター、松本二尉に答えると、進路をあらかじめ定められている高知県沖にとった。そこはもちろん海上自衛隊の潜水艦『みちしお』がゴジラによって撃沈させられた海域であり、ゴジラが潜伏している可能性が最も高いと思われる場所でもある。SH−1はレーダーの感度を発揮させる為に高過ぎず、そして索敵範囲を狭めないように低過ぎない高度を保ったまま時速200kmの速度で巡航していた。

「サーペント2、『やまと』。フライトスケジュールは順調に消化中。予定通り、1230<ヒトフタサンマル>に第4護衛艦群と合流します。」

『「やまと」、了解。引き続き哨戒を続行せよ。』

「サーペント2、了解。オーバー。」

 松本二尉は無線を切ると、コントロールパネルに埋め込まれたディスプレイに目を戻した。後方に過ぎ去ってゆく海面は、闇夜でも不審船の動きを50km先から探知できる高性能レーダーと赤外線センサーによって、三次元グラフィックスと温度パターンに画像処理されている。その時、SH−1自慢のセンサー群が、海面の微かな異変を捉えた。

「んっ!?」

「どうしました?松本さん?」

 急に唸り声を上げた松本に宮沢は、振り返らずに風防ガラスに映る松本の顔を見詰めた。

「水上レーダーに僅かだが一瞬反応があった!移動物体だ!速度を落して引き返せ!!」

「了解!」

 宮澤はサイクリック・レバーを戻すと、フットペダルを踏み込んだ。前傾姿勢だったSH−1Sは水平に近い姿勢になって速度を落とし、回転の落ちたメインローターの推力を上回ったテイルローターの回転力は、機体を鋭く旋回させ、最小半径でUターンをさせる。松本はセンサーの記録から反応のあった位置を割り出し、宮沢に指示を出していた。

「方位0−2−0、距離1200。機体はその位置でホールド。高度を下げて再捕捉する!」

バババババ……!!!

 SH−1は海面に強烈なダウンウォッシュを叩きつけながら、まるで目に見えぬものに目を凝らすようにホバリングをしている。

「――目視では確認できませんね……」

 宮沢は、機体を水平に保ちながら視線だけは海面へと巡らせた。だが、如何に訓練されたパイロットのものでも、人間の視力には自ら限界がある。 

「すでにこのポイントからは離れたかも知れんな……。だが、そう遠くは行っていない筈だ。レーダーパターンをマイクロ波からミリ波へ切り替える!」 

 松本はパネルを操作し、メインローター上に設置されているレドームから発せられる水上レーダーの波長を広範囲をカバーできるマイクロ波からミリ波へ切り替えた。ミリ波はマイクロ波よりカバーできる範囲は狭いものの高い解像度を誇り、視界外においても目標の識別を可能とする。

 するとレーダーパネルの画像が切り替わり、今までは広範囲にどちらかと言えば平坦なイメージを描いていた画面が、眼下の海面の波の起伏さえ捉えた画像となった。これならば海上に変化が起こればすぐにでも捕捉する事が出来る。

「サーペント2、『やまと』。レーダーに水上物体の反応あり、Gとは確認できず。繰り返す。レーダーに水上物体の反応あり、Gとは確認できず。」

『「やまと」、サーペント02。データリンク確認した。第4護衛艦群に哨戒機の応援要請を行う。』

「サーペント02、了解。引き続き警戒に当たる!」

 松本は無線を切ると、レーダーパネルに視線を戻した。

「レーダーの反応から、目標は進路3−1−5から0−4−5の範囲に移動していると思われる。そこを徹底的に捜索するぞ!」

「了解、捜索範囲を広げます!」

 宮沢は松本に指示された進路に機を向け、レーダーと有視界、両方を以って海面を走査していく。だが、初めに反応があった以外に、目に見えた変化は無い――

 

「……松本さん、これ以上現場で捜索を続けると、燃料がなくなります。『やまと』にも『ひえい』にも着艦できなくなりますよ……!」

「仕方ない……。後は応援の哨戒機に引き継ぐしかないか……」

 小型の増量タンクも使用し、残りの燃料も僅かになって、松本も宮沢に現場からの離脱を指示しようと思った、その時だった。

「待て!レーダーに感!距離2500、方位0−3−0、移動物体!!!全長15mから20m、毎時10ノットで進行中!!」

「了解!上空に急行します!!!」

 宮沢は残り少なくなった燃料を気遣いながらサイクリック・レバーを倒すと、テイルローターの回転数を上げ、SH−1を加速させていった。

「サーペント02、『やまと』!移動物体を捕捉!!全長15から20m、パターンは船舶のものとは認められない。繰り返す、目標は船舶とは認められない!!!」

 松本は、パネルに映し出されたレーダーの反射パターンを見ながら叫ぶように言った。SH−1は目標の細部まで捉えることの出来るミリ波レーダーの特性を生かし、その反射パターンから漁船、クルーザーなどあらゆる船舶の種類を特定できるシステムが備えられている。そのレーダーシステムが反応を“船舶ではない”と判断した――

「間もなく、現場行空に到達します……!」

 SH−1は時速200kmの速度であっという間に目標との距離を埋める。すると――

「あれだ!!!」

 松本は波間に覗く異形を目にして叫んだ。それは、海上を進む岩山――と言えるようなものだった。全長は確かにレーダーが捉えた通り15mから20m、海面からの高さも一番高いところで10m近くある。だが、横からではなく正面から捉えた場合、幅は1mも無いように見える。それを彼等の知っている言葉で例えるならば、その巨大さや形の禍々しさ無視すれば“背鰭”と言えるものだ。

「ゴジラ――!!?」

 本能的に脅威を察した砲手の宮沢が反射的にSH−1に搭載されているFCS(火器管制システム)を起動させていた。ヘルメットのバイザーに内蔵されたターゲットサイトに十字の輝きが灯り、その中心に海上を悠然と進む背鰭の列を捉えると、アイリンクシステムと連動した機体下部の20mm3連装機関砲が砲身を目標に向ける。

「早まるな!攻撃命令は受けていない!!!」

「はっ……!」

 緊張で声を震わせながらも宮沢がトリガーから指を離すのを確認すると、松本はヘルメット内蔵マイクに吹き込む。

「サーペント02、『やまと』!目標を肉眼で確認!目標は船舶とは認められず、特徴はゴジラの背鰭と酷似!繰り返す。目標はゴジラの背鰭と酷似!」

「松本さん!目標が潜行を始めます!」

 宮沢が叫ぶと彼の言う通り、海上に露出していた背鰭の部分が水中に隠れ始めている。

「やばいな……。潜られてはSH−1の目ではどうしようもない……!『やまと』!応援はまだか!」

『間もなくP−3Cが到着する!それまで捕捉していてくれ!』

「了解。赤外線センサーを起動!感知限界まで追いかけるぞ……!」

 既に、背鰭の姿は海中に消えかけている。その時、彼等の頭上に聞きなれた爆音が響き渡った。

「――航空隊のP−3Cです!」

 宮沢が言って風防ガラス越しに空を見上げると、高くない上空にP−3C対潜哨戒機の機影が横切るのが見えた。P−3Cはいったん通過した後、再度低空で進入してくると、その機体下部から次々と筒状の物体を投下し始めた。その物体は取り付けられたプロペラ状の安定翼を回転させる事で、落下速度と軌道を調整し、図ったように定間隔に海上に落下していった。ゴジラの周囲にソノブイバリヤーが張られたのだ。

 

 

同時刻、豊後水道沖――護衛旗艦『やまと』CIC

 

「サンダー31、現場上空へ到着。ソノブイ投下完了!」

「データリンク開始します!」

 『やまと』の心臓部であるCIC。この空間の正面と側面を埋め尽くすのは4面の巨大スクリーンであり、ここには自艦のレーダーやソナーが捉えた目標だけではなく、アドバンスド−イージス・システムにリンクした各艦船、航空機からのデータも映し出されている。まさに今、SH−1がゴジラを発見した上空に到達したP−3Cによって投下されたソノブイのデータが取り込まれると、ディスプレイ状に「UNKNOWN」とマーキングされたアイコンが映し出される。

「これが……ゴジラか……」

 艦長の山本一佐は大型ディスプレイと自分の席にある小型CRTディスプレイを交互に見据えながら呟いた。CRTには先程SH−1が撮影した映像が映し出されている。

「(こいつが……『みちしお』を沈めたのか……。そして……乗員を……!!!)」

 山本は『みちしお』艦長、東二佐の生真面目そうな顔を思い浮かべた。演習や、彼等の母港である呉への寄港時に、隊内の幹部同士で親睦を深める意味もあって酒宴で一緒になったことがある。東よりも3年先輩である山本や南條を始め、お互いの隊司令も顔を揃え、無礼講の中でも正した背筋をなかなか崩そうとしなかった好漢だった。将来の海自を背負って立つはずだった逸材、そして尊敬できる後輩を失った怒りが、初めて目にするゴジラに対する不安を覆い隠していた。

 そんな心の内に沸き上がる感情を、CICに詰める副長や砲雷長に悟られまいとしながら、護衛艦隊司令部からゴジラ発見時に行えと指示されていた命令をCIC全体に響く声で発していた。

「艦長から総員へ!目標をゴジラと確認!只今より、目標をGと識別する!」

「了解。目標をゴジラと確認!目標はGと識別する!」

 副長が山本の指示を呼称する。

「通信員!護衛艦隊司令部との回線開け!」

「了解!」

 続けざまにそう言うと、山本は通信の準備が出来るまでの間に大型ディスプレイに視線を戻した。その瞬間、「UNKNOWN」と表示されていたマーキングが「G」と一際目立つ赤いアイコンに変わった。

 

 遂に、ゴジラは自衛隊に捕捉されたのだった――


第三章―19

第四章―21

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