――19

5月14日午前8時――海上自衛隊横須賀基地

 “ゴジラ”と確認された巨大生物により『みちしお』が撃沈されてから2日目の朝を迎えた海上自衛隊横須賀基地護衛艦用バース。第1護衛隊群旗艦『むさし』の甲板で多くの隊員達が出港作業を行っており、今やそれも終わろうとしていた。

「錨上げ、舫解け!!!」

 航海長の号令が響き渡ると、『むさし』を桟橋に繋ぎ留めていた極太のロープが甲板の隊員と桟橋上の隊員によって解かれる。

「機関始動!最微速!!!」

 艦長の南條一佐はそれを待って指示を出した。

「機関始動!最微速!!!」

 副長が指示を呼称すると、『むさし』はゆっくりと排水量10600トンの巨体を動かし始めた。艦首と艦尾の機動舵と二軸の可変ピッチスクリューによって、『むさし』はバースからほぼ水平を保って離れていく。

従来のイージスシステムをさらに進化させた『アドバンスド−イージスシステム』を搭載し、艦首と艦尾に合わせて優に100基を超えるVLSで武装。さらには3機のヘリコプターを同時運用可能な発着甲板と格納庫を持つ、現時点で最強の水上戦闘艦『やまと』型2番艦。

外見に全く飾り気はない。『こんごう』型と似ているが、全幅が広がった為に全体的に低く配置された艦橋構造物に埋め込まれたフェーズド・アレイ・レーダーがイージス艦の証だ。全てのミサイルがVLS化され、魚雷の発射口や内火艇も無用なレーダー反射を防ぐ為に、水面に対し傾斜のかけられた隔壁内部に収納されているので武装と言える武装は艦首の127mm速射砲と、艦橋前部とヘリ格納庫上に設置されたCIWSくらいだ。127mm砲こそ1番艦『やまと』のものと同じだが、CIWSは6銃身20mmバルカン砲を使用したMk15<ファランクス>から、RAM<Mk49>という、弾丸ではなく多連装の小型ミサイルによって迎撃するものにバージョンアップされている。

最新装備であるのは目に見えるところだけではない。従来よりも大型艦になりながら、より小回りの利く操艦を可能としている機動舵、高速時や悪天候でも安定した航行をもたらすコンピューター制御のフィンスタビライザー。

「機関員、及び操舵員以外の隊員は甲板上に整列せよ!!!」

 南條が号令をかけると、それぞれの出航任務を終えた乗組員達が『むさし』の前部と後部のハッチから駆け足で飛び出してくると、甲板を囲むように列を作った。

「総員、敬礼!!!」

 彼等は背筋を伸ばすと、埠頭に向かって一斉に敬礼をした。埠頭には彼等の家族の他、基地の隊員達が彼等に手を振り返し、また基地のフェンスの外では護衛艦の防衛出動に反対する市民グループが遠巻きに非難の声を上げている。

『むさし』の艦首が白く波を砕き始めると、その後にイージス護衛艦『きりしま』、ミサイル護衛艦『はたかぜ』、汎用護衛艦「むらさめ」型の『むらさめ』『はるさめ』、「たかなみ」型の『たかなみ』が後に続く。『むらさめ』型は平面を多用した上部構造物、『こんごう』型に続いて導入されたVLSなどにより“ミニ・イージス艦”と呼ばれることもあるが、イージスシステム自体は搭載されていない。また、『たかなみ』型は『むらさめ改』型とも呼ばれ、外面上にほとんど差異は無いが、主砲とVLSが増強されている。

 

出動前にいつも繰り返されている光景。違いは、現実の脅威が日本に近づきつつあると言う事だけだった――

 

 

同時刻――首相官邸

「総理、お疲れさまでした……」

 松原はソファーにもたれかかる小林に向かって一礼した。小林は明らかに疲れの見える顔で、護衛艦の出港を報じるテレビを見ている。

彼はこの二日、ほとんど寝ていなかった。ゴジラによる『みちしお』撃沈が明らかになった当日、海上自衛隊からの報告を受けた後、すぐに小林は連立与党の幹部と会談を持った。そこで、これ以上ゴジラによる被害を拡大させない為に自衛隊の防衛出動を明日の国会で与党は承認することを確認し、記者会見でマスコミにその事実を発表した。

その後は野党との意見調整だ。与党3党で衆議院の多数を占めているとはいえ、野党に反対をされると調整が長引く可能性がある。時間が無い事を直感していた小林は承認決議の時点で、野党とのコンセンサスを得たいと考えていた。やはり、野党は防衛出動に慎重だった。しかし――

 

『私はゴジラが日本に上陸する危険性を充分認識した上で、今回の防衛出動を判断しました。このままゴジラが現れなかった場合、私は責任者としてあなた方の追求を甘んじて受けましょう。だが、あなた方は万が一にもゴジラが上陸した時の被害を想像することなく防衛出動に反対する覚悟がおありか!?』

 

 小林はそう言って、野党の党首達と長時間にわたる話し合いを未明まで繰り広げた。

 翌日午前、国会でゴジラに対する自衛隊の防衛出動に関する臨時の審議が行われ、衆議院で可決された。午後、正式に陸・海・空の全自衛隊に正式に命令が下され、全国各地の駐屯地、基地は設立以来初めての臨戦態勢に入った。

実戦部隊の“戦争”が始まったのと同時に、もうひとつの“戦争”も始まった。外務省は同盟国のアメリカ、周辺国の中国や韓国、ロシアとの対応に追われ、総務省はNTTや在京TV各局などと非常時における通信手段の確保と電波管制について調整を行う。国土交通省は自衛隊の部隊移動時における交通規制や部隊を展開させる用地の確保などについて地方自治体との連絡。その他にも厚生労働省、海上保安庁、警察庁など官僚の動きが慌しくなり、霞ヶ関、永田町には緊迫した空気が張り詰め始めた――

 

「少しは休まれてはいかがですか……」

 疲れ切った小林の様子に、松原は居た堪れずに言った。小林はソファーの背凭れに体を預け、老眼鏡を外しながら目尻を揉み解している。

「そうは言ってられんよ。防衛出動が発令され、自衛隊がいつゴジラと遭遇してもおかしくない状況なんだ。それに、関係省庁との調整もこれからだ。」

 そう言うと、彼はソファーから立ち上がろうとする。

「総理?どちらへ?」

「危機管理センターだ。すぐに情報の入ってくる場所にいたい。」

「総理……!」

 松原は小林をソファーに押し留めた。

「確かに、小林総理でなければこんなに早く防衛出動を決定することは出来なかったかもしれません。ここは……私や阿部君を信頼してお休みになってください。もちろん、情報が入ればお休みのところを叩き起こしてでもお知らせします!」

 松原はそう言うと、控えていた阿部官房副長官と視線を向ける。阿部も力強く頷いた。

「そうか……」

 小林は緊張の糸が緩んだのか、初めて微笑を浮かべた。

「それじゃ……お言葉に甘えて少し休ませてもらおう。若い時、片桐先生の鞄持ちをしていた頃は2、3日の徹夜をしても大丈夫だったのだが……。年はとりたくないものだな。」

 片桐とは与党の副総裁まで勤めた大物政治家で、既に鬼籍に入っている。小林は40代半ばまで彼の秘書をしていた。

「総理はまだお若いですよ。少なくとも、政治の理想を目指す姿はあの頃のままです……」

 松原が声をかけた時、小林は既に寝息を立て始めていた――

 

 

同日午後10時――永田町、国会図書館

 この日、片山は品川の自宅マンションを出て千代田区永田町にある国会図書館を訪れていた。彼も昨夜のニュースで自衛隊の、ゴジラに対する防衛出動が衆議院で承認されたことを知っていたが、その夜に堤老人からかかって来た電話が彼を自宅でテレビに見入ることも、本業である大学の講義を行う事も頭の中から離れさせた。ちょうど午後10時台のニュースを見ていた時、その電話はあった。

 

『片山君かな?』

 彼が電話に出ると同時に、しゃがれているが張りのある老人の声が聞こえてきた。一瞬誰だか戸惑ったが、すぐに堤の事を思い出した。

「堤さんですか?」

『ああ。ニュースは見ているかね?』

 堤は聞いて来た。もちろん、“ニュースを見ている”とはただ番組を見ているだけという意味ではない。前日に起こったゴジラによる自衛隊潜水艦撃沈事件、そして、その翌日に決定したゴジラに対する自衛隊の防衛出動の事だ。

「はい。もちろんです。」

 片山は点けっぱなしのテレビに目を遣った。画面の向こうでは、口髭を蓄えた私服姿の人気ニュースキャスターがゲストの政治評論家と軍事評論家にコメントを求めているところだ。

『今度ばかりは儂も読みを誤ったよ。まさかゴジラがこんなに早く日本に近づいてくるとは……』

 かつての陸軍情報士官であり防衛大学校教授であったプライドがそうさせるのか、堤の口調には直接の当事者ではないにも拘らず悔しさの色が滲んでいた。

「そうですね……。私も正直……怖いです……」

 片山は呟くように答える。彼は昨日の夕方、小林総理の記者会見を皮切りに始まった各局のゴジラ報道を見ながら、少しずつ自分の考えが変わっていくのを感じていた。アメリカ時代、ゴジラの細胞である「G−cell 1954」と名付けられたサンプルの存在を知った時、帰国後ゴジラが出現した当時の文献や資料に触れた時、彼の中にあったのは全く未知の存在に対する好奇心、学者として今まで感じた事無かったほど高まった探究心だった。それは、『カールビンソン』が失踪した事件の報道を聞いても変わることが無かった。しかし、今回の自衛隊潜水艦の撃沈は彼の心に小さくない波を立てた。今まで築き上げてきた幻想のゴジラ像が崩れ去り、それは生々しい現実となったのだ。文書の中で、50年前東京に甚大な被害を与えた怪獣と記された存在から、昨日自衛隊の潜水艦を襲い、70名の死者行方不明者を出したと報道された存在へと。

『……早速じゃが、今夜儂が電話したのは他でもない、先日話した「ゴジラ白書」のことじゃ。』

「ゴジラ白書!」

 片山は堤のその言葉で我に帰った。堤の口から初めて聞いたその名前。50年前のゴジラ襲撃、直接関わった者しか知り得ない真実が書かれているという。

『国会図書館の者に話をしておいた。明日、田代という司書に訊ねるがよい。』

「田代さんですね、分かりました。それと堤さん……」

『何じゃ?』

 堤から電話があったことで、片山は話してしまいたい衝動に駆られた。自分の中に生まれつつある、ゴジラに対する恐怖を。

「ゴジラは……日本に現れるんでしょうか?それに、上陸したとしたら防ぐ手立ては……!?」

 そこまで言って、彼は自分が感情的になっているのに気付いた。あれほどゴジラをこの目で見てみたいと思っていたのに、今は明らかにそんな事態になることを恐れつつある。

「――すいません。昨日のニュースを見てから、ずっと不安になっていまして……。ゴジラが現れたとしたら、50年前と同じ……いや、それ以上の被害が出るのではないかと……。そうなっては、私のような学者風情が調べまわったところで何の役に立つのか!?」

『……儂もそればかりは分からん……』

 堤は声を落として言った。

『儂は確かに君達のような若者に比べれば、ゴジラについて多くを知っているかも知れん。だが、儂もゴジラについて全てを知っている訳ではない。ゴジラは日本に近づいている、これはだけは動かしようの無い事実じゃ……』

「そうですか……」

『すまんな。答えになっておらんで……』

「いえ、ありがとうございます。」

 自分が自然と落胆していたのか、片山は堤の言葉に労わりを感じた。電話の最後に、堤はこうも言った。

 

『儂は、君の優れた頭がこの事件において、何か重大な発見が出来ると信じておるよ。』

 

 

 片山が国会図書館の中に足を踏み入れると、どこか人々の動きが慌しい永田町の風景とは打って変わって、シンとした静寂が館内を支配していた。文献を調べる為に一度訪れていた事があったので、彼は受付カウンターをすぐ見つけ、歩を向けた。カウンターには30歳前後の女性が書類を整理している。

「すいません。」

 片山が声をかけると、女性は机の上から顔を上げた。

「はい、何でしょうか?」

「田代さんはいらっしゃいますか?」

「田代ですね。……田代さん、お客様が見えていますが――」

 彼女が呼ぶと、カウンターの奥から中年の男性職員が顔を出した。Yシャツの胸ポケットには「田代」と名札が付けられている。昨晩、堤から教えられた人間に相違無かった。

「私、堤さんからご紹介いただきました、片山と申します。」

 片山はポケットから名刺を取り出し、それを田代に差し出した。

「田代です。あいにく、名刺は切らしていまして……。堤さんからお話は伺っております、こちらへどうぞ。」

 田代は愛想の良い笑顔を浮かべながら、片山を館の奥へと案内していった。歩く時間が経つに従って、周囲から人気が少なくなっていく。奇妙な沈黙に耐え切れず、片山から口を開いた。

「……堤さんは、ここによく来られるんですか?」

 片山は聞いた。“ここ”とは、国会図書館全体の事ともとれるし、人がめったに入ってこないような奥の書庫の意味でもとれる。

「ええ、堤さんはあの歳でも勉強熱心な方ですからね。月に何度かはいらっしゃるんじゃないでしょうか。」

 田代の答えに深い意味は無いようだ。すると、片山から声をかけられるのを待っていたかのように、今度は田代から質問してきた。

「片山さんは慶大の先生でいらっしゃるのですか……。そんな先生が何故ゴジラのことに興味を?私が知る限り、“あの本”に興味を持った学者さんは、あなたが初めてですよ。」

「……どこから話せば良いやら……。説明するとなると、長くなってしまう話ですから。」

 片山は苦笑いでお茶を濁した。

「学者さんも大変でいらっしゃる。」

田代はそう言って、自分で納得したかのように頷いた。彼に事の経緯を説明しても、理解が得られるとは言いがたい。そうしている間に二人の歩みが止まり、目の前には古めかしい扉があった。田代は手馴れた手つきでポケットから取り出した鍵束から目当てのものを選び出すと、ドアの鍵穴に差し込んだ。ノブを回すと、見かけよりも滑らかに扉は開いた。部屋に入ると、多くの書架が低い天井一杯まで立てられている。こうした部屋にありがちな誇り臭さが薄いのは、重要書類の保管の為に空調が入れられているからだろう。

「片山さん、この部屋には許可無く閲覧できない物もあります。ご希望のもの以外には手を触れないようにお願いします。違反の程度によっては、罰則もありえますので。」

「……わかりました。」

 片山は素直に頷いた。人の良さそうな田代がこの時ばかりは真顔で物を言ったので、誇張は無いのだろう。ひょっとしたら戦後の昭和史の裏の事実でも記されている本があるのかもしれないが、今必要なのは『ゴジラ白書』だけなのだ。

「こちらにお座りになってお待ちください。」

 壁際に並べられた数卓の机と木製のベンチに座り、片山は田代が戻ってくるのを待った。1分も経たなかっただろうか、しかし片山には数倍に感じられた――後、田代によって、片山の前に一冊の本が置かれた。本には保護の為、ビニールカバーが被せられている。そのビニールカバーにはこう記されている。

 

『この書籍内で記されている違反事項に関する記述は、昭和60年4月1日を以って効力を失うものとする。以後、違反事項は現用の法令に従って適用される』

 

 本来の表紙には、ただ一つ、朱色の印で「極秘」と捺されているだけだった。それをめくると、数ページにわたってこの報告書を閲覧する者に対する誓約が、無断で複製・転載・持ち出しした際の処罰に関することが事細かに書かれている。海外渡航の禁止、郵便物の送付・受け取りの制限、電話の盗聴など生活行動の監視など、命こそ取られないが社会的に活動を拘束され、生活に不自由を余儀なくされる内容だ。そこには、この文書の内容が漏出する事を恐れる当時の関係者の思惑が感じ取れる。これらの警告が終わると再び「極秘」の朱印、次にやっと報告書のタイトルが現れた。

 

『“ゴジラ”と呼称される巨大生物に関する報告書  1954年 特設災害調査委員会・編』

 

「(――ゴジラ白書!!!)」

 片山は思わず目を見張った。堤から告げられたその名がそこにあった。

 

――昭和54年12月27日現在、ゴジラと呼称された巨大生物が引き起こした一連の事件の調査結果についてここに報告致します。

 

――この事件の初動捜査が遅れた原因のひとつは、六月三十日から八月二日にかけて太平洋上で起こった船舶連続遭難事故で船体が深度六百米の深海に沈み、また生存者を全く救助できなかった事に起因する。一体何が船を沈めたのか、海上保安庁は全く特定できなかったからだ。

 

――島内で発見された巨大な足跡は踵から爪先までおよそ三米にも及ぶ。測量の結果、この足跡を残した物は体長二〇米から五〇米、体重は数百tから千数百トンと予測される。島民の証言にある獣の叫び声、巨大な影、足跡から検出された放射能。しかし、この時点で『ゴジラ』の存在を証明できるものは何も無かった。

 

――品川地区に上陸した『ゴジラ』の被害は太平洋戦争以来、という枕詞を付けるに相応しいものだった。夕刻という時間条件も、人的被害を拡大させた。翌日の新聞各紙の社説も、怪獣掃討に対して積極的な意見で占められていた。防衛部隊を発足させたばかりの政府にとって、その存在の正当性の証明と世間への認知度を高める意味でも世論の追い風が吹いていた。

 

――11月3日上陸阻止戦における司令部からの戦闘経過報告(抜粋)

十時〇〇分 航空機部隊による爆撃は目標に対して効果無し

十時三〇分 陸上部隊、高圧電線による防衛作戦を発動

十一時十分 目標が湾岸の高圧電線に到達。以後数度に渡って突破を試みる。

十一時三〇分 目標が陸上部隊陣地へ青白色の火炎を放射。鉄塔は融解、部隊の損耗は七割に及ぶ。

十一時四〇分 防衛部隊は、以後の戦闘を断念。

 

――銀座、永田町周辺から上野、浅草まで広範囲にゴジラの被害は及び、被害者数・被害金額は未だに把握されていない。だが、『ゴジラ』の正体を特定する作業の経過は以下の通りである。

 

――『ゴジラ』の正体を明らかにする上で、私達は大戸島と、東京のゴジラの進路上に残された放射性物質に着目した。国立放射線研究所の調査によると、これは今年の3月にアメリカによるビキニ環礁における水爆実験で被爆した『第五福竜丸』から採取されたものと性質が酷似していた。ここから推測されることは、『ゴジラ』の出現にビキニ環礁の水爆実験が関わっている可能性があるということだ。

 

……

一通り目を通し、片山は本から顔を上げた。確かに『ゴジラ白書』は、彼が今まで見てきたどんな資料よりも分析や調査は詳細に亘っている。しかし、その内容そのものは彼に新たな驚きを与えるようなものではなかった。

『ゴジラ白書』が封印されなければならなかった理由は分かる。当時の政府はゴジラの出現によって大きく揺れた。防衛部隊の出動を正当化させる為の情報操作、世論の誘導。さらに、当時ゴジラの出現にビキニ環礁の水爆実験が関与している事が公になれば、戦争の記憶も生々しい日本の国民は一斉にアメリカ非難の声を上げただろう。国際社会に復帰して間もない日本にとって、アメリカと距離を取る事は得策ではない。実際、堤老人の話によれば、日本側からゴジラと核実験の因果関係を明らかにしないことを条件に、復興資金や自衛隊への兵器供与などが行われたのだという。

ゴジラと核実験の関係は50年という時の流れの中で、おぼろげながら知られる事となったが、政府が意図的に情報を隠蔽したこと、アメリカとの密約があった事実はこの『ゴジラ白書』と共に葬られたのだ。

「しかし……」

 片山は、読みながらそのどこかに違和感を覚えていた。文中に記されたゴジラと、先日50年の沈黙を破って現れたゴジラの姿がどこか一致しないのだ。

「何故だ……」

 その原因を探そうと、ページを捲る。すると、文中の一節に目が止まった。そこは、品川に初めて現れたゴジラの姿を報じた当時の新聞の抜粋が集められていた。

 

――夕闇迫る品川駅周辺に衝撃が走った。逃げ惑う群集と飛び交う悲鳴でその場は騒然となり、彼等が逃げて来た先からは異形の物体が迫って来た。建物の向こうから頭が見えるほどの巨体。耳元まで裂けた口には鋭い牙がずらりと並び、死んだ魚のように生気の無い目を時折ギョロリと剥かせている。表皮は全身がケロイド状に醜く腫れ上がり、後頭部から長い尾の先まで不規則な大きさで並んでいる骨張った背鰭。手足には4本の爪を持ち、その怪獣は2本の脚でゆっくりと、地響きを立てながら歩いていた。

 

 これを見る限り、50年前に現れたゴジラと今回現れたゴジラ、身体的共通点は多く、同一の少なくとも同種の個体であることは間違いないと思われる。しかし、片山はページに貼り付けられた『ゴジラ』の写真を見て息を呑んだ。

「こいつは――!?」

 その写真のゴジラの姿は、まさに新聞の中に描かれたゴジラと相違ない。しかし、先日目に焼き付けたゴジラの姿と比べると、明らかな違いがあるのだ。第一に背鰭の形。50年前には骨のような背鰭と記されているが、テレビ画面や新聞の写真を通してみたゴジラの背鰭の先端は、まるで何千年もかけて成長した水晶のように半透明で鋭角なシルエットを見せていた。そして、生物学者である片山の目を惹き付けたのは、その皮膚だ。ここにはケロイドのように腫れ上がっていたと記述されているが、自分が見たものは黒く固まりかけた溶岩のように硬質に見えた。この二つが同一の個体とするならば、50年の年月でゴジラには明らかな形質変化が起きている。

それは何故か――。最も考えられるのは、突然変異である。しかし、彼はそのことを頭の中で否定した。自分はMITでゴジラの細胞を目の当たりにしている。自分には最初、それが何に見えたのか――。それを思い出した時、彼の頭の中にはひとつの仮説が浮かび上がった。

「まさか……そんな……!?」

 片山は思わず机に手を突いて立ち上がった。

ガタン……

 その音は、人気の無い図書館の静寂の中にゆっくりと響き渡った――


第三章―18

第四章―20

Versus〜目次へ