――18

 

5月13日、東海岸時間午前5時――ワシントンDC

 ホワイトハウスの大統領執務室<オーバルルーム>の隣、会議室を兼ねたリビングではアンダーソン大統領をはじめ、彼の側近がTVモニターに映し出される小林総理の会見に目を凝らしていた。アンダーソンはボロシャツにスラックスという姿だが、国防長官や補佐官達はスーツ姿だ。

「――コバヤシ総理の声明は、国務省が入手した通りのものです。これで、ルービン艦長の証言の裏付けは取れました。」

 ハリスン国務長官が切り出した。彼等は数時間前、小林がゴジラに対する自衛隊の防衛出動を決断した情報を、加えてさらに数時間前、国防総省<ペンタゴン>は情報の乗り入れを行っている自衛隊の通信システム≪LINK17≫を通じてゴジラの映像も入手していた。そこで注目されたのが、第3艦隊消失事件の数少ない生存者のひとりである、空母『カールビンソン』艦長アレックス・D・ルービン海軍少将の事後の証言だった。彼の証言とは、『カールビンソン』を沈めたのは巨大な、恐竜のような生物だったということだ。その現実とはあまりにかけ離れた言動から当初、政府関係者はアレックスがショックで錯乱状態にあるのでは、と言う疑念を抱いた。しかし、検査の結果では彼に精神異常は見られなかった。逆に心身が回復にするにつれて事の詳細まで語りだすようになったのだ――

 

 

5月12日――ハワイ、オアフ島――『みちしお』沈没から5時間後

 時間は少々遡る。ハワイのオアフ島、パールハーバー海軍病院の一室でアレックスとノートン太平洋艦隊司令は対峙していた。

「――私の話をどうしても信じてくれないと言うのですか!?」

「……信じられないと言うのが当たり前と言うものだよ、艦長。」

 ベッドの上で上半身を起こしながら語気を強めるアレックスに、ノートンは冷静に言い放った。

「私は君のことを誰よりも信頼しているつもりだ。それは事件が起きた後も変わっていない。しかし……君の話は現実離れし過ぎている。巨大な……恐竜のような生物が『カールビンソン』や『プリンストン』を沈めたなど、誰が信じようか?」

「私は正気です!確かに、ここで目を覚ました直後には少なからず混乱していました。しかし、今ははっきり思い出せます!あの時、我々の身に何が起こったのかを……」

 アレックスはノートンを正面から見据える。ノートンの目にも、彼の視線は精神に異常を来たした者のものとは思えなかった。それは、幾度となく行われた精密検査の結果でも明らかだった。ノートンはかぶりを振る。

「もう話は何度も聞いている。君の話した全ては司令部を通じてペンタゴンに報告済みだ。既に、真偽を判断することは我々の範疇ではない。少なくとも今君のするべきことは……休む事だ。」

「……」

 アレックスはそれ以上の言葉を発しなかった。そのまま、窓の外に広がるハワイの蒼穹の空、コバルトブルーの海、港に連なる艦隊に目を移す。その中心にある空母は彼の指揮した『カールビンソン』ではない。『カールビンソン』沈没後、横須賀から移されてきた第7艦隊の『キティホーク』だ。

「(もう、海の上には戻れない……)」

 そんな光景を見ていると、自分の証言が認められない苛立ちよりも、未だにぴくりとも動かす事の出来ない身体、船の上で慣れ親しんだ潮風とオイルの匂いを感じられない寂しさが募る。二人の間に沈黙が横たわったその時、部屋のドアが数度ノックされた。

「――入れ。」

「失礼します!」

 ドアを開けて敬礼し、中に入ってきたのは、アレックスも見覚えのある太平洋艦隊司令付の士官の一人だ。士官から何やら耳打ちされると、ノートンはあからさまな驚きを露にした。

「――それは本当か!?」

「はっ、間違いありません。国防長官直々の指示です……」

 二人が声を潜めて何やら話しているのがアレックスにも聞こえてきた。

「ルービン艦長……」

 話を終えたノートンがアレックスに向き直る。

「君に……見て欲しいものがあるのだが……」

「私に……ですか?」

 突然の事に疑問を隠さないままのアレックスにノートンが頷く。同時に士官がベッドの前に進み出て、アタッシュケースを開くと数枚の写真を彼の前に差し出した。受けとったアレックスは一瞬、渡された写真に写っているものが何なのか理解できなかった。しかし、一枚また一枚捲ってゆくうちに背筋に戦慄が走った。

「――日本時間の本日11時頃のことだ。海上自衛隊に所属するSS(攻撃型潜水艦)1隻が何物かの攻撃を受けて撃沈された。これはその時の模様を、同じく海上自衛隊所属のP−3Cが撮影したもの……だそうだ……」

 そう言うノートンの言葉にも驚きが露になっていた。写真を一枚一枚、ゆっくり捲るアレックスの手も震え、写真が次第に“そのもの”を拡大して写したものになっていくと、顔からも血の気が失せていく。写真に写されたものは否が応にもアレックスに『カールビンソン』沈没時に見たものを思い出させた。傾き、沈みゆく空母の艦橋の窓越しに見た、見詰められるだけで命を吸い取られそうになる、正に死そのものといった双眸を持った巨大で醜悪な怪物――

「……これは……一体何なんですか!?」

 アレックスは掠れさせながらもようやくといった様子で声を絞り出す。

「国防総省<ペンタゴン>からの情報によると、日本政府はこの生物を“ゴジラ”と断定したという。」

「ゴジラ……」

 自分の指揮する艦隊と乗組員の命を奪ったものの名前をアレックスは口にした。

「君はゴジラについての知識はあるかね?」

 ノートンの問いかけにアレックスは小さく首を横に振る。その怪獣が日本に現れ、破壊の限りを尽くしたのは彼が生まれる前の事だ。その名を耳にした記憶はあっても、事の詳しい経緯までは記憶に無い。

「ゴジラが日本に現れたのはちょうど50年前だ。その年に設立されたばかりの自衛隊が応戦したが上陸を阻止する事は出来ず東京周辺は破壊され、ゴジラは再び海へと消えた。当時の調査でゴジラは太古の恐竜の生き残りが我が軍の行ったビキニ環礁の核実験によって目覚めさせられたものとも言われたが、定かではない……」

 アレックスはノートンの話を黙って聞いてた。

「ルービン艦長……」

 ノートンはアレックスに視線を戻す。

「君が見たという巨大生物はゴジラかね?」

「……」

 ノートンの言葉にアレックスはしばし考え込む。だが、意を決したように口を開いた

「……私にこの写真に写った生物がゴジラであるかどうかは断言できません。しかし、この生物が我々を襲った事だけは確かです!」

「そうか……」

 それだけ聞くと、ノートンは満足そうに頷いてベッドの傍らのパイプ椅子から立ち上がる。

「分かっているかと思うが、このことに関しては病院の関係者にも口外無用だ。『カールビンソン』が沈められたのがゴジラによるものだったならば、ここからは高度な政治判断が求められる局面になる。君はもう……休みたまえ。」

 そう言うと控えていた士官と共に病室を後にして行った。

 

「ゴジラ……!」

 誰もいなくなった部屋の中でアレックスはもう一度、その名を忌々しげに呟くのだった――

 

 

再び――ワシントンD.C、ホワイトハウス

「つまり、ルービン艦長は『カールビンソン』を沈めたのはゴジラであると断定したわけだな?」

 ベイカー国防長官の話を聞き、アンダーソンは思案顔で切り出した。

「ノートン司令官からの報告を信じるならば確かに。私も、この証言を支持いたします。」

 ベイカーは言った。国防問題における最高実力者である彼は、一連の『カールビンソン』沈没事件の原因が特定できずにいたことで、政府内で責任を追及される立場にいた。それだけに今回のゴジラによる自衛隊潜水艦の撃沈は渡りに船、海軍内、政府内そして国民の間に溜まった怒りの矛先を向けるには絶好の機会と言えた。

「……」

 アンダーソンは腕を組み、目を瞑ったまま何かを考えている。そして――

「ルーデンス君?」

 目を開くと、傍らに控えている参謀の一人に視線を向けた。彼は安全保障問題担当の特別補佐官である。

「君は、この事を早急に公表すべきと思うかね?」

「はっ……」

 ルーデンスは一瞬答えるのを躊躇したものの、頭の中では政府にとって、そして自分にとって最良の答えを弾き出そうとしてた。発生直後の会議でも、この事件の解決は夏に控えた大統領予備選挙、さらには11月の本選挙にも大きな影響を与える。当初は彼も事件、または事故と言う考えであらゆる状況に対応できるように対策を練っていた。事故ならば、いかに影響が政府まで及ばないように海軍内の責任として処理するか。事件ならば犯人を特定し、報復の軍事行動を起こす。そうすれば国民は、聖域とも言える軍の構造改革、またはアメリカの正義に対する悪として犯人のテロリズムへ怒りとなど、事件の影響をアンダーソン大統領への支持へと繋げるシナリオを用意していた。だが、今自分が目の前で聞かされたことはどうだ。

――ゴジラ。

 ハリウッド映画の中にもにも出てきそうにない巨大生物の存在がにわかに信憑性を帯びてきた今、彼は慎重な意見を口にせざるを得なかった。

「……私は、今すぐ公表する必要はないと思います。」

 ルーデンスは続ける。

「『カールビンソン』を撃沈したものをゴジラと断定すると、我々はゴジラに対する報復を想定しなくてはなりません。そうすると発見できなかった場合、事態が長期化すると決定を下した政府の責任問題となります。」

「しかし、今のまま結論を先延ばしにしていても結局は責任問題となることは避けられないのではないのかね?」

「そこで、日本政府の発表を利用するのですよ……」

 ベイカーがルーデンスの説明を遮ったが、ルーデンスはそんな反応も考えのうちだった。

「なるほど……」

 彼の意を察したのか、ハリスンが頷く。

「日本政府は、自衛隊の潜水艦を撃沈したものをゴジラと断定しています。現在は海上警備の目的で護衛艦が出動。国会で決議されれば直ちに防衛出動となり、発見次第の攻撃も考えられるほど彼らの姿勢は緊迫しています。そこまでの有事ともなれば、我々も同盟国として協力を申し出ることが出来るのではないですか?」

「つまり……ルーデンス補佐官は当面の間、同盟国の危機を優先する姿勢を見せ、自衛隊と協力してゴジラを捕捉したタイミングでこの事実を公表する事で、一気に事態を打開しようと言うのだな?」

「はい!」

 ハリスンの言葉にルーデンスは頷くが、視線は彼を見ていない。真っ直ぐ、腕を組んだままのアンダーソンに向けられている。

「今、世論を形成するのに必要なものは目に見えない幻想の中にいる犯人ではなく、明らかな敵です!既に日本の自衛隊に数十名の犠牲者が出ており、同盟国の悲劇として国内世論を誘導することは充分可能です!」

「……私も補佐官の意見に賛成します。」

 黙っていたベイカーもルーデンスの意見に賛同した。彼も国防長官として、このまま捜索活動を続けるよりも海軍の作戦として次の展開を欲していたのだ。アンダーソンはちらりと腕時計を見た。時刻は朝の6時を過ぎ、ホワイトハウスの外も彼等がこの部屋に集まり始めた時と比べるとすっかり明るくなっている。

「コバヤシ総理とホットラインを繋げ!」

 そう言うと彼は腕組みを解き、ソファーから立ち上がった。

 

 

午後7時30分――東京、首相官邸

 会見場を後にし、執務室に向かう小林の下へ阿部官房副長官が寄ると先程秘書官から知らされた事を耳打ちした。

「――アンダーソン大統領から?」

「はい。ホットラインで、至急総理との会談を求めています。」

「分かった。今すぐ行く。」

 小林は短く答えると、足早に執務室に戻った。既に机の上に置いてある受話器を取りながら彼は思った。

「(防衛庁長官の話の通りなら、アメリカ海軍は我々と同じ情報を持っている。それにしても、私に接触してくるには早過ぎるのではないか……?)」

「小林です。」

『コバヤシ総理。大変お忙しいところ、突然の電話申し訳ありません。』

 受話器の向こうから、盗聴防止処理をされてやや実際のものと声質が変わっているが、明らかにアメリカ大統領ジェームズ・D・アンダーソンのものである声が聞こえてきた。

「いえ、今こちらからも連絡を取ろうと思っていたところなのですよ。」

 小林は努めて友好的に応えた。

『それならば話が早い!先程の会見を拝見しました。被害に遭われた友軍の隊員たちには心から哀悼の意を表します。私もあなた方と同じ悲しみを味わったばかりですからね……』

「ありがとうございます、大統領。」

『総理、私は驚きを感じえません!まさか巨大な生き物……怪獣がなどという脅威がこの世界に存在するとは……。これは、あなた方と我々が未だかつて経験したことない非常事態と言えるのではないでしょうか!?』

 アンダーソンの声が、悲しみに沈んだものから力強い、怒りを含んだものに変わった。

「仰るとおりです。既に70名の自衛官が犠牲となり、このままシーレーンに怪獣……ゴジラを放置しては貿易立国である日本は経済的に大きな打撃を被ります。それに、第2第3の被害が出た後では遅いのです!私は既に、海上自衛隊の護衛艦へ海上警備行動を命令しており、明日の午後にも防衛出動の可否を国会に問う考えです。この点は是非大統領にも理解をしていただきたい!」

『さすがコバヤシ総理。素早い決断だ。』

 アンダーソンは感心したように言った。彼も、小林の外務大臣時代の手腕、そして総理に登りつめるまでに発揮してきたリーダーシップをよく心得ている。

『しかし総理、あなたの国では自衛隊の出動にアレルギーを持っている人間が少なからずいる。その者達を説得出来る自身がおありか?』

「確かにその通りですが……」

 小林は一瞬口籠もった。この時、彼が思ったのは外務大臣時代に前の総理が行った有事法制整備のことだ。当時、政府は世界中で頻発する爆弾テロ、また日本近海に出没する武装した不審船に対処する為に有事法制の整備に乗り出した。しかし、非常時において自衛隊が地方自治体や個人の権利を接収するなどして権限を拡大することには根強い反対意見があった。

 だが、次の瞬間には危機管理センターで見た映像が頭に思い浮かんだ。『みちしお』の裂けた艦体から噴き出す炎が一瞬にして周囲を火の海と化す。オレンジ色の炎と漆黒の煙の中に浮かび上がる巨大な影。まるで海面から突き出た岩山のようにも見えた、だがそれは違った。全身が筋肉のように隆起し、沈み行く『みちしお』の姿に満足したかのように咆哮を上げ――

『どうしました?総理?』

「いえ……」

 沈黙の間に投げかけられたアンダーソンの言葉に小林は我に帰った。

「大統領の言うとおり、我が国にそう簡単には自衛隊を動かす事が出来ない事情があることは承知しています。だが50年前、終戦後最初で……最後に我が国で軍隊が動いた時と同じ事が今、起ころうとしているのです。これを政治的なイデオロギーのために看過しては、私は……いや政治家は皆、国民の代表として失格です!」

『……今回のような非常時に、日本の最高責任者であるあなたが決断された事を私は頼もしく思いますよ……』

 アンダーソンは小林の言葉に満足そうに言う。

『我々は、こういう時の為に同盟国である日本を軍事的に支援する体制をとって来たのです。あなた方が望むなら在日米軍はいつでも自衛隊の作戦行動に協力しましょう。』

 小林はアンダーソンの提案に一瞬答えかねた。アメリカは、自分達と同じ情報を持っているはず。ならば今回『みちしお』を沈めたゴジラが『カールビンソン』を襲った真犯人であると言う結論にも達しているのは間違いない。

「大統領の申し出は、ありがたく承っておきます。我々の自衛隊も今回の作戦における情報はアメリカに提供いたしますし、アメリカからも情報面での協力をお願いしたい。しかし、現段階で私はまだ日本単独で解決すべき問題という考えでもおります。在日米軍の動きは控えていただきたい!」

『……分かりました。しかし、ゴジラに対して日米が共通の危機感を持っているということで認識は一致した事を確認しておきたいのですが?』

「結構です。」

 小林は頷いた。

『それではまた。お忙しいところを失礼しました……』

 電話はアンダーソンの方から切られた。小林は受話器を置くと、一息ついた。

「大統領の……お話は?」

 電話の間、控えていた松原官房長官が声をかけた。

「……今すぐ積極的な行動に出るような口振りではなかったな。おそらく、アメリカはゴジラと『カールビンソン』の沈没をはっきりと結び付けるまでには至っていないのかもしれない。だが、『カールビンソン』事件の矛先を向ける相手をゴジラに求め始めているのは事実だろう。ゴジラもそうだが……アメリカの動きも注意しないといかんな……」

 小林は、椅子の背凭れに体を預けて続けた。

「明日からは……戦争になるぞ――」


第三章―17

第三章―19

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