――17
5月12日――永田町、首相官邸
午後5時50分、官邸の記者会見場は立錐の余地無く新聞記者、雑誌記者、TVカメラマン、スチールカメラマンなど報道関係者で埋め尽くされていた。彼等はもはや6時からの小林総理の記者発表を待ち切れないといった感じでざわめいている。
それも無理からぬ話だった。失踪したアメリカ第3艦隊がハワイ沖の海底で無惨な姿で発見されてから初めての総理の公式な記者会見であり、勘の良いマスコミの中には同日午後の首相官邸、そして防衛庁の動きから何かしら緊急の発表があるだろうと色めき立っていた。
そして約束の時間である6時を2分過ぎ、彼等が手元の時計に目を遣り始めた時、小林が足早に会見場に現れ、演壇の前に立った。それだけでカメラのフラッシュが彼に向けて焚かれる。
「……皆さん、お忙しいところをお越しいただきましてありがとうございます。ただ今より、会見を行わせていただきます。発表の内容は……本日確認された突発的非常事態に対する政府の決定について……です。」
小林は老眼鏡をかけると、手に持っていた原稿を演壇の上に広げ、ゆっくりと口を開いた。
「はじめに……本日午前11時頃、海上自衛隊所属の潜水艦『みちしお』2750トンが高知県沖300kmの海上で撃沈されたと海上自衛隊より報告がありました。」
淡々とした口調の中にも苦渋の表情を滲ませる小林の言葉――記者達にとっても意外な内容――に会見場に大きなどよめきが上がった。
「当時、『みちしお』は同じく海上自衛隊所属のP−3C対潜哨戒機と訓練中でありました。そして、P−3Cからの報告を当局が分析した結果、『みちしお』を撃沈したものの正体が明らかになりました!」
小林の口調が力を帯びてきたのとは裏腹に、記者達のざわめきは少なくなっていった。皆、小林の口から語られる言葉の一字一句を聞き逃さぬよう耳を澄まし、盛んにペンを走らせる音だけが会見場に響いた。
「『みちしお』を沈めた犯人は……ゴジラであると推測され、この事はP−3Cが捉えた現場の映像から確認出来たものであります!」
一瞬、会見場から一切の音が消えた。メモを取る手も止め、その場にいた全員が一斉に小林の顔を見上げると、先程とは比べ物にならない大きなどよめき――叫びに近い声が上がった。
「「「ゴジラ!?」」」
それは純粋な驚きという感情から発せられたものだった。小林は記者達のそんな反応は想像のうちだったかのように話を続ける。
「これが……P−3Cの捉えた、『みちしお』沈没直後の現場の映像であります!」
小林がそういうと、控えていた官僚の一人が演壇の後ろに用意していたスクリーンにプロジェクターの映像を映し出す。深い藍色の海面に、『みちしお』から漏れ出したオイルが燃えて深紅の炎を上げている。立ち昇る黒煙、そしてその中に煙と同じ色をしながらも明らかに質感の違う巨大な塊が仁王立ちしていた。
おおおお……!!!
場は総立ちとなり、記者席から皆、身を乗り出さんとする。嵐のように焚かれるフラッシュでスクリーンの映像は白くぼやけてしまう。
「オイ!カメラ!あまりフラッシュ焚くな!見えないだろうが!!!」
「何だと!前!!立ち上がると見切れるんだよ!!!」
会見場に、スクープを目の前にした彼らの怒号が響き渡る。
「報道機関の皆様には、後ほどきちんとした資料をお渡しします!!!」
小林が声を大にして言い、ようやく場が静かになり始めた。
「……被害を受けた『みちしお』の乗員70名全員の安否は未だ確認できていません。もし、ゴジラがこれ以上日本に接近、そして上陸と言う事態になれば、50年前と同様の……いや、それ以上の混乱が予想されるかもしれません。私は総理権限で、救援のために現場に出動中の海上自衛隊にゴジラの探索を、また待機中の部隊にも出動準備を行う命令を下しました!なお、陸・海・空の各自衛隊に対する防衛出動の下命に関して、明日の国会で承認の決議を行う考えであります!」
一瞬、小林の言った意味が分かりかねると言った感じで場が沈黙した。しかし、次の瞬間には言葉の意味を理解した記者やレポーターが数人、生放送で、国の最高責任者である総理大臣が防衛出動を決断したことを伝える為にが会見場を飛び出していった。
小林の発表が終わると、会見は記者による質問に変わった。当初は発表だけの予定であり、阿部副長官が場を引き継ごうとしたが、小林自身が彼を制し、次々挙手する記者達を手で指し示す形で質問を受け付け始めたのだ。質問でも、前もって官邸側に知らせてあったり、共同通信やNHKの記者が代表して取りまとめることが通例となっている現在では異例のことだ。
『今回の防衛出動の決定は、政府の中でもまだコンセンサスが得られていないように思われますが?』
「自衛隊の最高指揮官である総理大臣の私が、自衛隊や防衛庁の専門家の方々から適切な情報と助言を頂いた上で決定し、国民の代表たる国会の承認を受けた上で命令するのですから、何ら問題は無いと考えます。逆に今自衛隊を動かす事無く、ゴジラの上陸を甘んじて許すような考え方をする政治家がいるなら、教えていただきたい!私が必ず説得します!」
『ゴジラという、言わば“巨大生物”に対して防衛出動を下す根拠は何ですか!?』
「国家の資産である我が国の潜水艦を先制攻撃してこれを破壊し、70余名の隊員の命を奪った行為は重大なる主権の侵害です。これを看過すればより多くの国民の財産が破壊され、人命が失われる可能性があったからであります。」
『自衛隊が防衛出動するということで、今回のゴジラの出現は“周辺事態”に当たるのでしょうか?自衛隊がゴジラを攻撃する事態になった時、在日米軍との共同作戦となるのでしょうか?』
「私は今回のゴジラ出現を日本が単独で解決しなければならない問題であると理解しており、周辺事態には当たらないという認識をしています。もし在日米軍と共同作戦をとる場合でも、慎重に協議を進めて行きたい。」
『日米が大規模な部隊を展開させることとなったら、周辺諸国を刺激する可能性があるのでは!?』
「政府としては周辺各国の理解を得た上で問題の解決に当たりたいと思います。その為にはでき得る限り今回の行動に関する情報を提供していきたい。」
『先月沈没した、アメリカの空母「カールビンソン」もゴジラの攻撃を受けたという情報もありますが、総理はどのようにお考えでしょうか?』
「私のところには、そのような情報が入っていないのでお答えできません。――私からお答えできる質問が無いようでしたらこれで会見を終わらせていただきます。ありがとうございました……」
この時、既に小林のこの決断を知りながらこの会見を見ていた者達がいた。
18時40分――佐世保、海上自衛隊第2護衛艦群司令部
山本龍之介一等海佐は本部の一室に与えられた執務室で小林の記者会見をテレビで見ていた。同じ事をJTIDOSの専用回線を使ってのテレビ会議で知らされてはいたが、その事実がこうして公になる場面を目の当たりにすると、会議の時とはまた違った緊張感に身が引き締まるのを感じていた。その時――
プルルルル……
山本の物思いを中断させるかのように、電話の呼び出し音が鳴った。
「山本だ。」
『山本一佐、横須賀の南條一佐からお電話が入っております。』
「昌幸から?分かった、代わってくれ。」
交換手の声が途切れてからややあって、彼のよく知った声が流れてきた。
『……久しぶりだな、リュウ。こんな時に……忙しかったか?』
声の主は南條昌幸一等海佐。海上自衛隊第1護衛艦群旗艦であり、山本の乗る『やまと』と同型の2番艦『むさし』の艦長である。山本とは防衛大学校で同期であり、昇進の時期も操艦経験も似通った、一番の親友であり競争相手でもある男だ。
「いや、俺はまだそれほど忙しくは無い。クルー達は午後から一斉に艦へ戻り始めてはいるがな……」
護衛艦の乗組員は、非番以外の上陸中は2時間以内に基地へ戻ることができる場所にいることが義務付けられている。山本は窓の外から、眼下に広がる佐世保港の景色を見渡した。夕闇の迫る桟橋には煌々と明かりが灯り、その中で多くの隊員が来るべき出動に備えて忙しなく動き回っていた。接岸バースには『やまと』がミサイル護衛艦『さわかぜ』、イージス護衛艦『こんごう』と隣り合わせになって繋がれている。
「それよりも、お前の方はどうなんだ?『むさし』は試験航海を終えたばかりだろう?」
山本は聞いた。やまと型イージス護衛艦2番艦『むさし』は『やまと』から8ヶ月遅れて今年の4月に就航し、試験航海を終えて5月に第1護衛艦群所属として配備されたばかりだった。
『心配するな。アドバンスド−イージスシステム搭載といっても、基本は『きりしま』のものと変わらない。もっとも、性能を最大限に引き出そうとすればそれなりに時間が必要とは思うが、これは『むさし』のポテンシャル自体が高いからだ。ヘリの管制についても、『くらま』から異動してきたベテランのスタッフがいるので、問題なしだ。』
「なるほど……」
南條の言葉を聞きながら、山本は頷いた。『こんごう』型搭載のイージスシステムとやまと型搭載のアドバンスド−イージスシステムに共通している事は、全自動で目標の捕捉、脅威評価、使用火器の選定、発射・誘導、効果の確認を行える事だ。“アドバンス”は従来型に比べ、同時追跡、誘導可能な目標数が増加しているハード側の高性能化、殲滅だけではなく効果的な脅威排除と言う、イージス艦の戦闘能力の高さからくる過剰防衛論を考慮した自衛隊らしい、いわば“人間的な”攻撃判断を行えるアルゴリズムを持ったソフトの導入といった違いがある。それにより、今まで以上に艦隊機能の中核としての役割、艦長自身の能力が問われる場面が多くなる事が予想されるのだ。やまと型2艦の艦長に、“華の84年組”と言われ今も艦長クラスや隊内の重要ポストを多く輩出している彼等同期の中でも双璧と言われる山本と南條の二人が選ばれたのは当然とも言えた。
『ところでリュウ……』
南條は防衛大時代から、任務を離れたところでは山本の事を龍之介から取って“リュウ”と呼ぶ。その声には先程までとは違った緊張感があった。
『テレビは……総理の記者会見は見ていたか?』
「ああ、部屋に戻って来てからは点けっぱなしだ。」
山本はテレビの画面に視線を戻しながら答えた。NHKはすでにニュース時間の延長を決めており、民放の中にも通常の番組を休止して報道特別番組に切り替えているところもある。夜10時台のニュースの時間帯にはおそらく、全ての局がこの事件の内容で持ちきりになっているだろう事は想像に難くない。
『ゴジラ……日本に来ると思うか?』
「……」
南條の問いに山本は無言で返した。聞かれるまでも無く山本は事件を知らされて以来ずっとその事を考えており、未だに答えを出せないでいた。
創設以来、自衛隊が防衛出動を行った事は無いが、危険地域と言われる所に派遣された経験は持っている。しかし、湾岸戦争後のペルシャ湾における掃海活動しかり、ポルポト政権崩壊後のカンボジアにおける国連PKO(平和維持活動)しかり、紛争地域での活動ではあったが、装備や活動は制限付きで戦闘行動とは皆無。高価で高性能な装備を揃えていたとしても、活用できているのは訓練や演習の範囲内であるだけで、アメリカのように実戦において兵器やシステムを有効に使用するノウハウが無い。日本が再び戦争を起こすことを自ら恐れるあまり――いや、日本が戦争を起こすことを恐れる諸外国の視線に萎縮した為、自らを守る為に自衛隊が出動する際の有事法制も遅れてしまったことも山本が防衛出動に不安を抱えている原因のひとつだった。最新鋭の装備とシステム、しかし時代遅れの制度と法制とのミスマッチ。得体の知れない敵であるゴジラに対して、自分達はいかに動けばいいのか――。彼はそんなことは学んでこなかった。
「……お前が不安になる気持ちは俺も分かる。しかし、ゴジラが日本に来ようと来まいと関係ない。この国と国民を……安全を脅かすものから守るのが俺達の仕事だ。命令されれば出動する、ゴジラを発見すれば攻撃する。これ以外は俺達の判断するところじゃない。」
山本は悩みを振り払うかのように、自らの信念をそのまま言葉にする。しかし、ゴジラの脅威を実感できないのは二人がまだ40代であり、50年前のゴジラ襲撃を直接知る世代ではない事と無関係ではなかった。
『そうだ……その通りだな……』
受話器の向こうで、南條が頷く気配がする。
『……弱気になるのは俺らしくなかったな。リュウと話して、今は早く俺に命令を欲しいと言う気持ちになった。……こんな大役、俺達以外の誰に任せられるか!?』
「はっはっは、お手柔らかに頼むぞ。俺達も防大時代とは立場が違うんだからな。」
普段の覇気の戻った南條の声を聞いて、山本にも話の中で初めて笑い声が出た。防衛大時代の二人は、教官から与えられる課題に飽き足らず、いかに教官を出し抜くかという、優秀なのか不真面目なのか分からないコンビで知られており、思わず山本はその頃の事を思い出した。
『長い時間悪かったな。そろそろ艦に戻った方が良さそうだ。』
南條がそう言うのに釣られて窓の外に目を遣ると、先程にも増して接岸バースが慌しくなっているのが分かる。
「俺もそろそろ切るぞ。昌幸、いざという時は頼りにしている。」
『こちらこそお願いする。それじゃ……』
そう言って南條からの電話は切られた。受話器を置いた山本はやおら椅子から立ち上がると、表情を引き締めて扉へ向けて踵を返したのだった。
22時05分――木更津、陸上自衛隊第1ヘリコプター団駐屯地
隊員の大多数が広間のテレビでニュースに釘付けになっている時、石原勇真は一人自室に戻ってきていた。ポケットから携帯電話を取り出すと、アドレス帳にあらかじめ登録してある番号を呼び出す。呼び出しが始るのを待って、電話を耳に当てた。
トゥルルル……
『もしもし……』
程なくして若い女性が応えた。向こうの電話にも自分の番号が登録してあるので、警戒する様子は一切無く逆に親しみがこもった声だ。
「……真奈美さん。僕だけど……」
分かっていてもまずは名乗ってしまう。勇真は窓の外に目を遣りながらそう思った。基地にいる間、こうして真奈美と自分の訓練のことや真奈美の父親の店の様子などを近況を話すこと珍しくない。しかし、今日ばかりは何から喋るべきか、彼は分からなかった。僅かに間が空いた後――
『どうしたんですか?』
いつもと違う雰囲気を察したのか、真奈美の方から質問を投げかけてきた。勇真は一瞬答えに詰まる。
「――真奈美さんと話がしたかったから……かな。」
思わずくさい台詞が口から出た。今度は電話の向こうで真奈美が黙る番だった。おそらく電話を持ったまま顔を赤くしているだろう。そんな事を考えながら、次の瞬間には勇真は自分の言った事を後悔していた。
「(違う!俺は今日そんな事を言いたいんじゃない!!)」
心の中で舌打ちすると。勇真は深呼吸して気持ちを落ち着けるとゆっくりと切り出した。
「……真奈美さん、今日のニュースは見た?」
『……はい。』
先程とは違った、沈んだ声だった。この時ばかりは勇真はこの電話がテレビ電話ではないことに感謝した。通信技術の進歩によりワイヤレスでも大容量のデータを高速で通信する事が可能となり、2001年には初めて携帯電話によるテレビ電話を実用化したが、話をする時に相手の顔を見る事が辛い時もあるはずだ。まさに今の勇真の気持ちがこれに当たった。今から真奈美に伝える事は間違いなく彼女を悲しませる。少なくとも優しい彼女を心配させてしまう。沈んだ真奈美の表情を、勇真は見たくなかった。
「なら、ゴジラのことはもう知っているね。自衛隊の潜水艦が……僕達の仲間が……殺された!これから大変なことになる。部隊にも緊急の待機命令が出ている……!」
勇真は声を潜めながら続ける。
「明日、国会で防衛出動が決まれば、本格的な出動準備だ。しばらく会えないかもしれない……ゴメン!」
電話の向こうで無言のままの真奈美に頭を下げる。
『……勇真さん……』
勇真の話を聞いてばかりだった真奈美の方から口を開いた。
『勇真さんが行かなきゃいけないんですか?もし……もしゴジラが日本に来たならば……勇真さんも戦わなきゃいけないんですか!?』
真奈美の声は震えていた。やり場の無い悲しみ、そして不安を精一杯押し殺している姿が目に浮かび、勇真は心が痛んだ。
「僕は自衛官なんだ。僕だけじゃない。榊先輩、竹井隊長、それに僕の父さんも……!真奈美さんのような、この国で毎日を過ごしている人達の生活を守ることが僕達の仕事だから……」
『……』
真奈美は勇真に返事が出来なかった。今勇真が言った事は、付き合い始めてから幾度と無く聞かされてきた、彼自身の信念とも言えることだ。彼女はそんな勇真の真面目さ、意志の強いところが好きになった筈なのに、万が一でも勇真を失いたくないという感情が働いているばかりに、今はその言葉を受け入れる事が出来なかった。
「――真奈美さんを僕の父さんと母さんに紹介した日のこと、覚えている?真奈美さんは母さんに言ったよね?僕が帰って来る事を信じて……祈ってくれるって。今は僕を信じて欲しい……それだけ言いたいんだ。」
『はい――』
真奈美の返事から、彼女が泣いている事を勇真は容易に想像できた。
「ありがとう、真奈美さん。それじゃ……また電話するよ……」
勇真は静かに携帯電話を耳から話すと、真奈美が切るのを待ってから電話を折り畳む。その後も勇真はしばらくの間、真奈美の事、そしてゴジラの事を考え、宙に視線を巡らせたまま考え込んでいた――