『第三章』
――15
5月12日午前10時45分――防衛庁CCP(中央指揮所)
悲劇の兆候はここ、防衛庁の地下3階に位置するCCPにも起こった。JTIDOSによって海上自衛隊の艦隊情報システムであるMOFシステムと連動しているここCCPのメインスクリーンには、極秘任務でオンステージしている一部の潜水艦を除いて、海上自衛隊に所属するほとんど全ての艦船の位置が表示されている。それは、訓練中であった『みちしお』も例外ではなかった。その、『みちしお』の位置を表示していた光点が突如として途切れ、≪LOST≫と変わったのだ。
中央指揮所がその僅かな画面の変化にざわつく中で、LINK17担当オペレーターの目の前にあるディスプレイに一通の着信のメッセージが着信した。そこには、
<Subject:EMARGENCY INFORMATION>
<To:Difence Agency CCP From:JMSDF ASW−Center Yokosuka>
と、表示されている。横須賀の自衛艦隊司令部内にある、海上自衛隊の対潜センターからの情報だった。
「(緊急情報!?タイミングが良すぎるな……)」
オペレーターはそこに記された文章を読み取るなり、驚愕の表情を浮かべた。
<第2潜水隊群所属潜水艦『みちしお』が高知県沖300kmの海域で未確認目標の攻撃により沈没。現在、第8飛行隊P−3Cが未確認目標を追跡中。>
彼はプリントアウトされた用紙をプリンタから引きちぎるように取り出すと、それを手に、CCPを管轄する幕僚三室長の詰める部屋に駆け込んだ。
「室長!」
「どうした?何があった?」
入室の際に敬礼もせずに飛び込んできた彼の様子に、幕僚三室長の前田陸将補は怪訝な表情を浮かべた。
「これをご覧ください……」
彼は最近使い始めた眼鏡をかけると、オペレーターの差し出したプリントに目を通した。そこに書かれている数行を読み終わる前に、前田の顔が強張るのがオペレーターにも分かった。
「――情報はまだこれだけか!?」
「はい。これが第一報です!」
「この情報をすぐに安危室(内閣安全保障・危機管理室)に上げろ!窓口はマニュアル通り、情報集約センターだ。分かるな!?」
「はい!了解しました!」
「私もすぐにそちらに行く!」
前田はそう言うと、部屋から飛び出していくオペレーターの背中を見送った後、電話をとり、数桁の番号をプッシュした。相手はコールが鳴る前に出た。
「統合幕僚第三室長の前田だ。安藤一佐をお願いしたい!」
彼が電話をしたのは海上自衛隊の艦船の実質的な指揮権を持つ自衛艦隊司令部の中で情報収集と分析を担当する第二部、その主席幕僚である安藤だった。相手が受話器の向こうに出るまでは暫く時間がかかった。
『――お待たせしました。安藤です。』
「忙しいところに済まない。」
『いえ……』
安藤は前田の気遣いに応えたが、その声には彼の部署も緊迫している様子が伺えた。
「早速ですが今回の『みちしお』の件。そちらではどれくらい状況が把握できていますか!?」
『それが前田室長……。信じられないことになっているのですよ……』
「信じられないこと?」
その声から、常に冷静、海上自衛隊内において情報部部門のエリートコースを突っ走っている安藤の受話器の向こうの表情を前田は想像出来なかった。
『「みちしお」は巨大生物に攻撃されたとの報告が上がっています……!』
「巨大……生物だって!?」
一瞬、前田はそれ以上の言葉を失った。潜水艦を沈めてしまうほどの巨大な生物とは一体何なのか。世界最大の生物であるシロナガスクジラでも全長は20m。これと衝突したとしても、何重もの安全策の講じられた最新の潜水艦が沈んでしまうとは思えない。その時――
おおおぉぉぉ!!!
突然、階下の中央指揮所の方からどよめきが聞こえてきた。
「安藤一佐、ちょっと待ってくれ!」
前田が安藤を制した次の瞬間、再びオペレーターが部屋に飛び込んで来た。
「室長!映像です!現場の映像が入りました!!」
「そうか!!!」
前田は受話器を乱暴に机の上に置くと、オペレーターと一緒に執務室から飛び出した。中央指揮所のメインスクリーンには既にその映像が流れ始めていた。現場上空で対潜哨戒機P−3Cが捉えた映像だ。
「――統幕議長を呼べ。それと……長官に緊急連絡だ!!!」
凍りつく中央指揮所に、前田の指示が重々しく響いた――
午後0時――永田町、首相官邸
防衛庁長官の古館は公用車から引き攣った表情で下りてくると、足早に首相官邸の玄関を通り過ぎていった。『カールビンソン』沈没事件以来、官邸に張り付いている記者達に質問させる間さえ与えない。彼はまず内閣官房長官、松原の執務室に向かった。
十数分後、松原と古館は別館から来た官房副長官の阿部と合流し、小林首相の部屋に向かった。
「総理……大変なことになりました!……信じられない出来事です……!!!」
扉を開けて部屋に入るなり、松原はそう言い放つ。
「何があったのかね?」
小林総理は机の上の書類に落としていた視線を松原に向けた。
「本日11時過ぎ、高知県沖約300kmの海上で訓練を行っていた海上自衛隊所属の潜水艦が……撃沈……されたとの情報が防衛庁より入りました……!!!」
「何だって!?」
小林は思わず椅子から立ち上がった。
「今、沈没ではなく撃沈と言ったな?では、潜水艦は事故や故障ではなく何者かの攻撃で静められたということか!?」
その問いに松原は頷く。すると、後ろに控えていた古館が前に進み出てきた。
「これは、訓練に同行していた対潜哨戒機P−3Cが捉えた、沈没直後の映像です……」
古館はそういうと、ブリーフケースの中からA4版の大きさに引き伸ばされた数枚の写真を差し出した。それを受け取った小林は見た瞬間に顔色を変え、手が震えた。
「……私も最初は信じられませんでした……」
言葉の出ない小林の気持ちが分かるといったような調子で松原が言い添えた。その写真はP−3CからLINK17で横須賀の海上自衛隊自衛艦隊司令部へ。そして、防衛庁中央指揮所に転送された映像から取り込んだものだった。今、小林が見ているのはその画像をプリントアウトしたものだ。最新の技術を駆使してデジタル処理されたそれは引き伸ばし拡大しても画質の劣化は僅かで、炎の中に立ち尽くす異形の姿を映し出している。それを見て小林の脳裏に何か、遠い昔に記憶に焼き付けられた影が浮かび上がって来た。影の正体を思い出そうと、写真を凝視する小林。そして、それは幼い頃刻み付けられた恐怖となって甦った。同時に、小林の顔から血の気が失せる。彼は声を震わせながらなんとか声を搾り出した。
「……これは……ゴジラじゃないのかね!?」
「ゴジラ!?」
その場にいた松原、古館、阿部が一様に驚きの声を上げた。もっともその時、素の表情で驚いたのは阿部だけであり、松原と古館は互いに視線を見合わせていた。
「そうだ!……大きさといい……この背鰭といい……そっくりじゃないか!?思い出したよ……50年前、ゴジラの襲撃の時、東京の下町に住んでいた私は家族と一緒に上野の山へ避難した。そこから見た火の海となった街……。小学生だった私は父親の腕の中で震えて一夜を過ごしたのを覚えている……」
写真から顔を上げた小林は、松原と古館の顔が驚きとは別の表情で強張っていることに気付いた。
「どうした?他に何か言う事があるのかね?」
「――いえ……!」
ここに来て、古館は同様を隠しきれなくなっていた。先日、防衛庁の大御所である堤老人から『カールビンソン』沈没事件の原因がゴジラである可能性を聞かされ、そして先程、自衛隊の潜水艦がゴジラと思しき怪獣に撃沈されたと報告を受けたのだ。秘密を知っている人間の常として、その秘密が重みを増してくれば来るほどに自身にかかる精神的負担も大きくなる。そんな古館の動揺を小林は見逃さなかったのだ。
この時、古館ほど表情が変わらなかったものの、松原も心の中で舌打ちしていた。可能性の一つがまさか現実のものとなるとは、そしてこんなに早く明るみに出るとは彼の計算外だったのだ。もはや穏便に総理に知らせられる時期は逸した、そう悟った松原が古館に向け頷くと、古館はゆっくりと口を開く。
「――先日、第3艦隊沈没事件に関して、自衛隊の情報部門から報告を受けました。実は……その席で……出席者の一人が第3艦隊を沈めたのはゴジラではないのかという見解を示したのです……」
「何だと……」
小林の顔が見る見る険しくなる。その威圧感に圧倒されそうになりながらも、古館はなんとか言葉を続けた。
「資料にはペンタゴンから手に入れた『カールビンソン』の沈没状況を記した報告書も添えられており、科学的な裏付けもあります。他に有力な仮説が無い今、私は……非常に説得力のある説だと感じました。」
裏切り者め――松原は心の中でそう激しく舌打ちした。この期に及んでよくいけしゃあしゃあと『説得力のある説だった』などと言えるものだ――防衛庁時代の恩人の説に動揺し、私に伺いを立ててきたのは他でもない自分ではないか!?松原は、古館が自衛官から官僚へ、そして政治家へ転身できた理由が初めて分かった気がした。彼は頭の切れる男だが必ずしも戦いに命を賭けるだけの度胸があるわけではないのだ。周囲に根回しし、その場の雰囲気で長いものに巻かれ、自分の地位を固める、それは自衛官としてではなく官僚として出世する資質だ。
「ならばどうして私に報告しなかった!?」
「それは……」
小林に詰問され、古館は松原の方を見た。小林に怒りに満ちた視線を向けられ、背筋に冷たいものが走ると同時に松原は覚悟した。
「……私が……判断しました。」
松原は強張った表情で小林を見据えて言った。
「私が古館長官から報告を受けた時点では、この説も一つの可能性に過ぎなかったからです。もっとも、“あの方”が主張したことで長官の心が動いた気持ちも分かりましたがね……」
「“あの方”とは?」
「……堤清十郎氏です。」
「なるほど……」
その名を聞いて、小林も松原と古館が迷った理由が分かった。小林や古館のように外務省、防衛庁で何かしら安全保障に携わったなら堤の名前を知らぬ者は無い。
「私にもこれは意外……いや、考えてもみなかったことでした。まさか……本当にゴジラが復活していたとは……」
「――だが、それとこれとは話が別だ!」
苦悩の表情を浮かべていた松原が、小林のこの一言でびくりと震える。
「何故この期に及ぶまで私に報告をしなかった!?自衛隊の関係者から報告があったことなど初耳だ!君達には危機管理というものが分かっているのか!?判断するのは私の仕事であって、君達ではない!!既に潜水艦の乗員に犠牲者が出てしまったことは非常に痛ましい事だが、これ以上被害が出た場合、君達にその責任を取るだけの覚悟があってのことか!?」
「はっ……」
松原は顔色を失い、額に浮き上がった脂汗をハンカチで拭う。彼がここまで怒りを露にした小林を見るのは久々の事だった。数年前小林が外務大臣であった時、外務省の職員による公金横領が次々と発覚した際がそうだった。この時小林は、キャリアと呼ばれる国家公務員第一種試験合格者のエリートも、それ以外のノンキャリアも区別せず責任者の処分・更迭を行い、粛清とも呼べるような人事の刷新を断行して外務省がそれまで持っていた閉鎖的かつ独善的な体質を改革したのだ。以前までは政治家としてはあまり泥臭くなく、英語も堪能な外交通と言った評価が主だった小林だったが、この事件を契機として与党きっての正義感とリーダーシップの持ち主として国民や若手議員からの人気を集め、与党総裁選挙圧勝への原動力となったのだった。
「――今君をここで弾劾する事は簡単だ。しかし、我々にはまだやらねばならない事がある。仕事が終わった後に、辞表を出す気があるなら受け取ろう……」
「……申し訳ありませんでした……」
松原は小林に向けて深々と頭を下げた。それは謝罪と同時に、事件が一段落するまで自分への処分を棚上げしてくれた総理に対する感謝でもあった。
「総理、詳しい話は危機管理センターでいたしますので……」
「分かった。」
政務担当官房副長官の阿部が言うと小林は頷いた。危機管理センターは、2002年に新・首相官邸が完成したと同時に今までの危機管理センターと官邸連絡室が統合・改称された。耐震構造の地下2階に設置され、各省庁との専用回線で結ばれている。
小林、松原、古館、阿部の4人は旧官邸と比べて近代的だがどこか情趣が無いと評判の新官邸の廊下を歩き、何枚かの防火扉を通って地下2階の危機管理センターにたどり着いた。
規模や設備は防衛庁の中央指揮所とは比べるべくも無いが、並んだ各種のモニターは防衛庁、外務省、警察庁、公安調査庁、気象庁に至るまで安全保障や危機管理に関連した部署と専用回線で常時結ばれており、万が一の災害や事件が発生した時はここから直接総理が情報収集や指揮を行う事が出来るように整えられている。彼等が入ったのは、20人ほどが着席できるテレビ会議室だ。既に2つの大型プラズマディスプレイには2箇所と結んだ映像が映し出されていた。
小林が着席するのを待って、他の人間も着席する。
「――防衛庁から山之内統幕議長、横須賀の自衛艦隊司令部から渡瀬幕僚長より状況を報告させていただきます。」
古館がそう言ってモニターに視線を向けると、自衛隊の制服に身を包んだ2人の男が画面越しに会釈してきた。
『渡瀬です。早速、私から状況を説明させていただきます……』
渡瀬がまず口を開くと同時に、何も映っていなかったモニターに日本近海の海図が映し出される。
『事件が起きましたのは紀伊水道沖の太平洋。領海から約350kmの海上です。撃沈された第2潜水隊所属潜水艦『みちしお』は当時、第8航空隊所属対潜哨戒機P−3Cとの訓練に臨んでいました。P−3Cの採取したデータによれば、その時『みちしお』はP−3Cに捕捉され、深度300mまで緊急潜行していました。逆にその……未確認の巨大物体は『みちしお』と交差する進路に浮上してきたのです。』
渡瀬はこの時、まことしやかに囁かれ始めていた固有名詞を口にする事をあえて避けた。
『深度320mで物体は『みちしお』の艦尾付近に接触。それによって『みちしお』はプロペラスクリューを破損、航行不能になった事から緊急浮上し、P−3Cを通じて呉の潜水艦基地に救援を打電してきました。しかし……悲劇が起こりました……!!!』
渡瀬の顔が苦悩に歪んだ。自衛官として、海上自衛隊のトップである幕僚長として、総理に事件の詳細を報告すると言う役目にあって彼は己が感情的になり、自分が今感じている苦痛を少しでも伝えようと、言い回しが芝居掛かる衝動を抑えられなかった。
『その“物体”もまた海上に浮上、「みちしお」は“物体”の攻撃により内部から爆発。乗組員に避難する時間すら与えず沈んだ……との報告です。そして、これが『みちしお』を攻撃した“物体”の映像です――』
渡瀬が画面の向こうで何かリモコンを操作すると、危機管理センター側のモニターが切り替わり、そこにP−3Cのカメラからズームで捉えられた“物体”の映像が映し出される。それは小林を再び驚愕させるのに十分な内容だった。画面を流れる海面の中に『みちしお』の黒い艦体が浮かんでおり、そこに近づく巨大な生物と思しき影。その“生物”はいきなり『みちしお』の艦橋に腕を振り下ろすと、艦橋を叩き潰した。
「――!!!」
小林はそれを見て、ビデオと分かっていても声を上げそうになった。だが、本当の衝撃は次のシーンにやって来た。生物はその背に並んだ鰭状の部分を光らせると、口から青白い閃光を迸らせ、『みちしお』に向けて放ったのだ。次の瞬間、『みちしお』は艦の内側から出現した火球によって文字通り粉砕され、炎の塊と無数の破片となって波間へとその姿を消した。
「……」
すぐに口を開こうとする者はいなかった。映像はそこで止まり、画面の中心から生物の姿だけを拡大した画像が新たなウィンドウの中に浮かび上がる。
『分析班がこの画像を処理し、上半身の姿をコンピューターグラフィックで再現しました……』
渡瀬がそう言うと、ウィンドウの中の画像がゆっくりと回転を始めた。一見、ティラノサウルスのような二足歩行の肉食恐竜を思わせるが頭部はずっと小さく、腕も発達している。がっしりとした三角形の体格は明らかに陸上生活にも対応した進化をしているように思わせた。だが、この生物を彼らの知っている恐竜類と一線を画させているのは、その背鰭だ。首から尾の先までの並び方はステゴサウルスのそれに近いが、先端はギザギザとして鋭く研ぎ澄まされている。
「――渡瀬幕僚長?」
『はい。』
最初に口を開いたのは小林だった。
「この……『みちしお』を沈めた生物、これはゴジラなんじゃないのか?」
『ゴジラ――!』
渡瀬は表情まで出さないまでも、肩をピクリと震わせる。
「隠す事は無い。私は既に古館防衛庁長官から、先日防衛庁と自衛隊との間で行われた『カールビンソン』沈没事件に関する報告の内容を聞かされている。もちろん、その中にゴジラが復活している説が含まれていたことも……だ……」
『……分かりました。ここからは私がお話させていただきます。』
それまで渡瀬に任せていた統幕議長の山之内が言った。
『確かにゴジラは50年前東京を襲撃して以来、その所在は全くと言っていいほど掴めていませんでした。しかし……ここ数年、太平洋の広い地域で船舶が海中の巨大な正体不明の影を目撃する事件が発生し始めたことで、我々自衛隊は極秘でゴジラ復活の可能性を調査をしてきました。残念ながら成果はほとんど上がらなかったところに起こったのが、今回の二つの事件です。明らかに原子炉の放射性物質を狙ったと思われる『カールビンソン』の損傷具合、そして『みちしお』を破壊した炎のような熱線……。形態や大きさから見てこの巨大生物は“ゴジラ”と断定せざるをえないでしょう……』
「ゴジラが復活した……」
小林は呟きながら目元を押さえて何やら考え込む仕草を見せる。彼が皆の前でここまで苦悩する姿を見せるのは珍しい事だった。それは彼がこのまま穏便に任期を終えたい、と思っていたからではない。彼の政治家としての生活は決して平坦なものではなかった。前政権から受け継いだ経済・財政の構造改革、規制緩和など、1990年代に崩壊したバブル経済の遺産を清算し、日本という国を再建することが今の彼に課せられた最大の使命なのだ。もしゴジラが日本のさらに近海に出現し、シーレーンが脅かされるようなことになれば、上陸する事が無くとも貿易立国である日本の経済は輸出産業を中心に大打撃を受ける事となるだろう。そして上陸……、大都市のひとつでも破壊されるような事態になればその被害の大きさは計り知れない。株価が再び1万円を割るようなことになれば、ようやく進みだした銀行の不良債権処理や財政再建も立ち行かなくなる。そうなれば、日本を待っているのは今よりも深刻な閉塞だ。それにゴジラの脅威が常に存在する事が加われば――
「……山之内統幕議長……」
『はっ。』
「海上自衛隊の潜水艦を撃沈するとなると、どのくらいの戦力が必要となってくるかね?」
『それは、『みちしお』と同型艦を……という意味と理解してよろしいのですか?』
山之内が聞き返すと、小林は真剣な表情で真っ直ぐモニターを見詰めながら小さく頷く。
『では、答えさせていただきます。『みちしお』は海上自衛隊所属では最新型に当たる『おやしお』型潜水艦です。動力はバッテリーディーゼル発電……航続距離や最高速度では原子力潜水艦に劣りますが静粛性、ソナー性能などは最高水準の性能であると自負しております。もしこれを撃沈できるだけの性能を持った戦力と言いますと、最新の戦術システムで武装したイージス艦か攻撃型原潜、対潜哨戒機の一個飛行隊に相当するものが必要となるでしょう。』
山之内は小林の質問の真意が把握しきれないまま、自衛隊の最高司令官である総理を補佐すると言う統幕議長の務めをそのまま果たして答えた。
「そうですか……。では、そういった戦力が日本に侵略目的で接近してきた場合、自衛隊はどれだけの戦力を出動させる必要がある?」
「――総理、それはどういった意味ですか?」
阿部が思わず声を挟んだ。小林はモニターから目を離し、苛立たしげな視線を阿部に向ける。
「……この場では単刀直入に言った方がいいかな、阿部君?ゴジラの日本上陸を阻止する為にはどれくらいの戦力が必要か……と聞いておるのだよ。」
「――もしゴジラが日本近海において最新鋭の巡洋艦や潜水艦と同等の脅威であると判断された場合、自衛隊もそれに対処できるだけの戦力を出動させる必要があるでしょう……。加えて、今回は既に自衛隊はゴジラの攻撃によって艦船を失っています。探知すれば即攻撃……という選択肢も考えられます。」
『長官の話に付け加えさせていただくと、一概に同等の戦力……と言っても、日本の太平洋側一帯を捜索範囲とする事それ自体、海上自衛隊の艦船、航空機を総出動させることを意味します。』
古館と渡瀬の話を聞き、小林は考え込んだ。
――自衛隊が出動する、それも歴史上初めての防衛出動だ。湾岸戦争後のペルシャ湾への掃海艇派遣、カンボジアでのPKO(平和維持活動)、震災や火山噴火における災害派遣、地下鉄サリン事件など自衛隊の出動が注目を浴びた事件は近年少なくないが、未だ外部からの侵略に対して発動される防衛出動が行われた事は無い。そうであっても、その度に出動の規模や装備、武器の使用規定から指揮系統の問題点に至るまで議論を呼んでいることもまた事実である。政府内、そして野党の護憲派との気が遠くなるような協議、国民からコンセンサスを得る事、関連各省庁との調整……。小林が慎重になっているのにはそんな背景があった。
「……渡瀬幕僚長、海上自衛隊が出動するのにはどれくらいの時間がかかる?」
『はっ。既に『みちしお』捜索のため、呉の第4護衛艦群および岩国の第31航空群に出動準備を指示しており、命令が出次第、出動が可能です。他の基地においても隊員の招集、燃料や武器の補給を含めて待機中の艦船は2日後には出港可能となります。』
「既に70名の犠牲者が出ている……。対応は早い方が良い……」
小林は自分にも言い聞かせるように呟き、意を決して顔を上げた。
「山之内統幕議長、捜索隊に出動命令を!待機中の部隊にも出動準備をさせてください……!」
『了解しました!』
画面の向こうで山之内が敬礼する。
「松原君、明日の国会で防衛出動の承認決議案を提出する。時間が無い……!緊急に与党党首会談の場を持ちたい!」
「分かりました!」
松原は力強く頷いた。
「それと……古館長官、アメリカはこの情報を掴んでいるのかね?」
「はい……。海上自衛隊の使用している通信システム『LINK17』はアメリカとの同盟関係上、第7艦隊の通信システムとリンクしており、対潜水艦センターに蓄積される情報は共有されているので今回P−3Cが報告してきた映像は当然アメリカ側に伝わっているでしょう。」
「……発表するならばアメリカよりも早い方が良かろう。まず国民にこの事実を伝えなければならん。TV局各局がニュースを流す午後6時、これを目途に記者会見を行う。――我々の戦いは既に始まっているぞ!!」
そう言って、小林は椅子から立ち上がった。今までに無く厳しく、決意を秘めた表情をして――