――11

 

同日――東京、防衛庁

 新宿区市ヶ谷に居を置く防衛庁庁舎。飾り気の無い茶色と濃緑色に塗り分けられた壁面をした、ほぼ直方体の建造物が7棟、京都宇治の平等院鳳凰堂をモチーフにしたといわれる配置で並んでいる。

最も大きなA棟には防衛庁の中枢機能である内局や統合幕僚会議などの事務機関や陸海空各自衛隊の幕僚監部が入り、屋上に通信団専用の地上220mの高さを持つ巨大な通信鉄塔が建てられているB棟は防衛用通信システムの中枢となっている。C棟には日本中の通信アンテナや衛星画像から情報を収集し、国防上重要なものを解析する任務を持った情報本部が、D棟には設備計画や装備調達を行う防衛施設庁や調達実施本部が入り、威圧感のある外見とともに、機能においても『日本のペンタゴン』と呼ばれるに相応しい設備が23ヘクタールの敷地に収められているのだ。

 そして、そんな防衛庁の最深部である地下3階――実際には地下4階まであるのだが、4階は電算機室になっている為、人の出入りはほとんど無い――には地上で核爆発が起きても機能を保持できる頑強さと電力供給の自己完結性を備えた中央指揮所がある。中央指揮所はいざ“非常事態”が起これば2004年度中より稼動を予定している『防衛行動を目的とする統合情報戦術システム』、通称<JTIDOS>により、日本全土28箇所の固定レーダーサイトと2箇所の警戒航空隊が擁するAWACS(早期警戒管制機)をデータリンクさせた空自のBADGEシステム、2隻のやまと型イージスミサイル護衛艦のアドバンスド−イージスシステムを基点として統合されている護衛艦や対潜哨戒ヘリの持つレーダー・ソナーを一元に管理し、自部隊と敵部隊の展開状況を縦横5mの巨大プラズマディスプレイに映し出すことが出来、その上でより適切な部隊指揮を可能とするのだ。少なくともこの場では、地図をテーブルの上に広げ、無線による連絡の元、地図上にピンを刺したり駒を置いたりして状況判断する時代は終わりを告げていた。前線における敵味方全ての部隊の展開状況、後方支援部隊の配備状況など全ての戦術的判断に必要な情報は全て一元管理され、府中の空自総隊司令部と横須賀の護衛艦隊司令部とは常時専用回線で繋がれており、実質この場から陸海空全ての自衛隊を指揮できる。

 中央指揮所の最大オペレーター数は54人であるのだが、この時は平時であるためにそれぞれのコントロールパネルには半分以下の人数の、当直やシステム保守のスタッフしか着席しておらず、その広さと比べて閑散としている。しかし、ドア一枚と廊下で隔てられた会議室では明らか密集した人の気配があった。

 

「――これが、『わだつみ』が撮影した『カールビンソン』の艦体の破損部分です。」

 地下の為、窓の無い部屋の中は明かりが落とされ、10席ほどあるテーブルを囲んで座っている者達の表情を、正面に据付られたスクリーンに投影された光が薄っすらと浮かび上がらせている。その光量が極めて少ないのは映し出されている映像が薄暗いからに他ならない。その映像とは、昨日、海上自衛隊所属の潜水艦救難艦『あづち』に搭載されている深海探査艇『わだつみ』がハワイ沖に沈没した『カールビンソン』の姿を捉えたものだった。

「船体に開いた穴の直径は約12m、この……もっとも破損の著しい箇所は22mにもわたって船体が引き裂かれています。」

 スクリーンの前に立つ男がレーザーポインターの赤い光点で映像を指しながら説明を加えている。男は自衛隊の制服に身を包んでおり、徽章から海上自衛隊所属、肩章から一佐の階級であることが分かる。彼は横須賀に本部を置く海上自衛隊護衛艦隊司令部情報主任幕僚、言い換えるなら日本でもっとも軍艦に詳しい男だ。

「安藤一佐、この映像から『カールビンソン』を沈めたものは何だと考えられるのだ?」

 情報幕僚を安藤と呼んだのは彼の直属の上官である海上自衛隊幕僚長、渡瀬克彦だ。安藤は一瞬考える間を置いて答える。

「――正直なところ、この映像だけでは原因を断定するには情報不足です。しかし空母の艦体の強度を考えても、相当な威力による外部からの一撃で船体が粉砕され、それによって生じた爆発で内部まで甚大な破壊が生じたと推測できます。」

「つまり……事故ではなく、第三者による外部からの攻撃であることは明らかなわけか……」

 渡瀬が腕組みしたまま言うと、安藤は頷いた。

「ただ魚雷にしろミサイルにしろ、どうすれば一撃でこれほどまでの破損を空母に与えることが出来るのか、それが問題なのです。」

「ちょっと待ってくれたまえ、安藤一佐。」

 安藤の言葉を遮るようにして挙手したのは防衛庁長官、古館逸男だ。

「確か魚雷の中には命中してすぐ爆発するのではなく、一旦目標の装甲を貫いて内部に侵入し、遅れて爆発するものがあったよな?それに爆発の威力を増幅させるモンロー効果を持った弾頭を使えば、内部の燃料なり弾薬なりに引火させて、かなりの威力を一発で発揮できるんじゃないのか?」

 そう言った古館の知識は明らかに一般の閣僚の持つものを超えたものだった。その理由は、彼が防衛大学校卒業であるという経歴にある。今まで、防衛庁長官というものは、安全保障を在日米軍に任せ切りであったこともあり、閣僚未経験者を“とりあえず”といった感じで任命する腰掛のポストである印象が強かった。しかし、小林内閣において彼のように防衛庁や自衛隊内部に太いパイプとコネクションを持つ、シビリアンコントロールの逸脱と言われても仕方が無いような者が防衛庁長官に選ばれた理由には、1990年代後半から自衛隊の存在が今まで以上に注目される事件が頻繁に起きたという背景があった。

 阪神・淡路大震災や、火山噴火、水害のような自然災害における派遣出動の問題。宗教団体による毒ガステロのような警察力を超えた事件への対処、さらには北朝鮮の開発した弾道ミサイル『テポドン』が日本上空を通過する事件が起こるにいたって、今まで以上に安全保障の面で政府の機能を強化する必要があったのだ。

 しかし、そんな古館の知識も安藤にしてみれば素人同然でしかない。自衛隊内部でもその経歴から密かに期待されていた古館であったが、思わぬ底の浅さを見抜いてしまった安藤は少なからぬ落胆を感じながらも、そんなことは微塵も表情に出さず毅然とした表情で答えた。

「長官の仰るとおり、魚雷の弾頭には目標との衝突を感知して爆発する接触式、目標の磁気を感知して爆発する近接式、一定の航行距離と時間が経過した時点で爆発する遅発式と種類はいくつかあり、空母のような大型艦を攻撃するには、確実な打撃を与えられる遅発式が有効なことも確かであります。しかし、モンロー/ノイマン効果を使った徹甲焼夷弾は相手の装甲を焼き切り、貫通させることは出来ても大きな爆発の効果を得ることは出来ません。先程から申し上げていますように、このような破壊痕は引火や誘爆といった要因で生じるものではないのです。」

 安藤は出来る限り丁寧な口調で、防衛庁トップの発言を否定して見せた。彼の言ったモンロー/ノイマン効果とは、弾頭に装填された炸薬の前方を円錐状に抉って成形することで、爆発時に前方へ集中したエネルギーにより高温高圧の噴流を発生させる効果のことだ。発見した研究者の名前を取ってこう呼ばれており、この効果を使った弾頭は、主に戦車の装甲を貫く対戦車榴弾や、バンカーバスターと呼ばれる地下深くに隠れた塹壕を破壊する爆弾に使われている。

「加えて、この部分。ここには極めて高温……少なくとも数千度の熱に曝された痕跡が見られます。これが、『カールビンソン』を攻撃した兵器を特定する上でポイントとなるかと思われます。爆発の大きさだけなら大量のTNTやセムテックスを使用すれば不可能とは言えませんが、ここまでの高熱を発生させることは極めて難しいのです。」

安藤の言うTNTはよく知られた高性能火薬、セムテックスもプラスチック爆弾としてポピュラーなものだ。これらの特徴は爆速が高いこと――爆速とは爆発した時に生じる衝撃波の、単位時間当たりに進む速度のことだ。言い換えれば、爆速が高いとは爆発の威力があるということ。しかしこの時、熱は短時間に生じ、またその温度も数百度程度だ。

ここで安藤の声のトーンが弱くなりかけたことを古館は見逃さなかった。

「では安藤一佐。数千度の高温を発生させうる兵器とは、いったい何が考えるのだね?」

 それを聞いて、安藤は一瞬黙り込んだ。古館の問いへの答えはただ一つであり、その結論に達したことは彼の優秀な頭脳をいっそう混乱させていたのだ。だが、彼はあくまで情報幕僚として冷静さを保ったまま口を開く。

「私の知る限り、数千度の高熱を発生させうる兵器はただ一つ……核兵器だけです!しかし、魚雷に搭載できる核弾頭の威力はおよそ10キロトン、広島型原爆の約半分の破壊力を持ちます。いかに空母でもこれだけの損傷で済む筈がありません……!!」

 安藤が語尾に力を込めて言ったその時――

「ふおっふおっふおっ……」

 皺枯れた笑い声が静かに部屋の中に響くと、その場にいた全員が笑い声の主の方を振り向いた。その者はスクリーンを照らしているプロジェクターランプの影で表情をうかがい知ることは出来ないが、深い皺の刻まれた口元は明らかに相当の年齢を感じさせる。

「――先生、何かご意見がございますか?」

 安藤は言った。先生と呼ばれた老人は答えの代わりにひとつの質問を彼に投げかける。

「安藤一佐、儂<わし>が幹部学校で教えた、幕僚として必要な3つの資質を覚えているかね?」

 いきなりの問いに安藤は一瞬戸惑った。しかし、次の瞬間には彼の頭脳は記憶の中に刻まれた答えとなるべき言葉を導き出していた。

「――的確な情報分析、迅速な判断、そして……あらゆる事態を想定できる想像力……です。」

「……さすが儂の優秀な教え子じゃ。しかし、今のお前にはその3つ全てが欠けておるぞ!」

「何ですって!?」

 この時、防衛庁長官や官僚からどんな質問を浴びせられても顔色一つ変えなかった安藤の表情に会議が始まって初めて動揺の色が見えた。海上自衛隊の主席幕僚を生徒扱いする言動、そしてこの場に居合わせている自衛隊関係者の、老人の仕草や言葉一つ一つへの注目は、この老人が隊内にあって人脈、影響力、発言力の全てを兼ね備えているのが分かるのに十分だった。

「そうじゃ。情報収集不足による判断の誤り、そして、具体例を挙げられず推定を繰り返す一般常識に囚われた考え方……。これでは海上自衛隊護衛艦隊司令部第二部長主席情報幕僚の名が泣くわ!」

「――!!!」

 老人の叱責に安藤は返す言葉も無かった。

「――大西君、そろそろ“あのこと”を皆に話してくれんか?」

 老人は立ち尽くす安藤から視線を外すと、隣に座る防衛庁情報局長・大西を促した。

「はっ……」

 一つ咳払いすると、先日の総理を前にした内閣情報会議の時と変わって自衛隊の制服に身を包んだ大西が立ち上がる。その姿に、場に出席している自衛隊・防衛庁の各情報部門の担当者は目を見張った。

自衛隊内そして防衛庁内には様々な情報組織があり、陸海空それぞれの幕僚監部に置かれる調査部、防衛庁情報本部、そして大西の情報局などがそれであるが、これらが必ずしも同じ情報を共有出来ているとは言い難い。なぜならば、彼等が評価される基準は、国防上または極東の安全保障上有効な情報をどれだけ集められるかと言うことであり、情報のストックそのものが実績となる。これは政府内での発言力や予算に直接繋がるものであり、彼等は独自の情報網を築く事に腐心していた。それだけ、アメリカ第3艦隊壊滅という事態に対し、情報局に出し抜かれたことに不快感を隠せなかったのだ。

しかし、大西も百戦錬磨の情報官だ。そんな場の空気に臆することなく口を開く。

「これは、我々情報局がペンタゴン内部に派遣している連絡員から入手した情報であります……」

 大西は場の反応を確かめるようにテーブルに着く面々を見渡すと、手元に用意したペーパーに目を落とす。

「アメリカ海軍によると、『カールビンソン』以下第3艦隊の艦船5隻を沈めたものの正体に関して、生存者から興味深い証言が得られています……。証言をしたのは2名、ひとりは『カールビンソン』艦載のFA−18ホーネット戦闘攻撃機パイロット、マイケル・クルーガー少佐。そしてもう一人は……非常に重要人物です……!」

「重要用件なんだ。勿体ぶらずに早く言ったらどうですか!?」

 そう言いながら、情報本部電波部の分析官が大西に明らかに敵意のこもった眼差しを向ける。彼の電波部は主にロシア、北朝鮮、中国からの電波通信を傍受して解析することを任務としているため、今回のように情報の入手に対してアメリカからのカウンターパートを必要とする事件は苦手としていた。

「――その生存者の名はアレックス・D・ルービン海軍少将、『カールビンソン』の艦長その人です!二人の経歴も合わせて入手してみたところ、クルーガー少佐は『カールビンソン』のFA−18攻撃隊の隊長で湾岸戦争、ユーゴ空爆の作戦行動にも参加したベテランパイロット。ルービン艦長の父親はアラン・ルービン元大西洋艦隊副司令官、アメリカ海軍でも屈指の名門一家の出で軍歴も非常に見事なものです。我々情報局は二人の発言は信用のおけるものだと判断しました。その証言の内容は……」

 大西はここで一旦間を置いた。いかに彼にしても、これから自分の話す内容が日本政府に与える影響の大きさを測りかねたのだ。しかし、隣に座る老人は促すように黙って頷く。彼は覚悟を決めた。

「――『カールビンソン』は“怪物”によって沈められたと言うものです!!!」

 この時、驚きと大西の言葉の意味が分かりかねるといった表情を、大西と老人を除いた全ての人間が浮かべた。大西は皆と、そして自分自身を説得するように続ける。

「クルーガー少佐の証言によれば、“怪物”は体当たりで『カールビンソン』の随伴艦を沈め、海中から熱線のようなものでヘリや戦闘機を次々と撃墜して見せたそうです。そしてルービン艦長は意識を失う直前、海面から数十mの身長を持つ恐竜のような巨大生物を見たと言っています。これの意味することとは――」

「ちょっとお待ちください、大西一佐!!」

 黙っていられなくなったのか、安藤が大西の言葉を遮った。

「一佐はそんなことを信じておられるのですが!?熱線だとか、巨大な生き物だとか……私にはとても現実に起こることとは思えません!」

「安藤一佐よ……」

 二人の間に割って入るように老人が口を開く。

「彼等が口裏を合わせて沈没原因を秘匿しようとしているなら、この証言に信憑性は無かろう。しかし、二人が!偶然にも!怪物という思いもよらないような言葉を口にしたのじゃ。ここには何かの必然が存在するはずじゃ!!」

「では……その必然とは何です?」

 先程までの鉄仮面が崩れ、興奮で目を充血させながら安藤は老人を見詰めて答えを待った。

「……体長数十m、数千度の熱線を吐く巨大な恐竜のような生物。我々日本人なら容易にその姿を想像できるのではないのかな?」

 老人のその言葉に、部屋の中の空気は一瞬にして凍り付いた。老人の言うとおり、誰もが“怪物”の姿を頭の中に浮かび上がらせたが、これを解答として肯定することは出来なかった。出来よう筈は無かった。その“怪物”は50年前に現れたきりで現在まで姿を現していない。政府の見解も、その“怪物”は既に死んだはずと結論付けているのだ。

「……しょうがないのう、では儂が答えを言ってやろう――」

老人は皺枯れた声を張り上げる。

「ゴジラじゃ!!!ゴジラが『カールビンソン』以下5隻の艦船を襲い、数千人の乗組員を深海へと葬り去ったのじゃ!!!」

 その場にいた全員に言葉は無かった。防衛庁、そして自衛隊大物OBである老人の発言は覆せないという意識も働いたかもしれないが、だが、何より老人の言った言葉――ゴジラ復活――の意味の大きさに困惑しているのだ。だが参加者で最も頭の切れる人間は、いち早く現実に回帰し、口を開いていた。

「……では先生?そこまでゴジラと断定するのなら、この証言以外にも裏づけがあると考えていいのですかな?」

 安藤は自信に満ちた表情で言った。しかし、老人はその安藤の言葉もまるでシナリオにあった事かのように答える。

「もちろんじゃ。大西君、次を……」

「分かりました……」

 大西がリモコンを操作すると、スクリーンの画面が切り替わった。そこには英文の、あちこちに「TOP SEACRET」と捺印された書類が映し出される。

「これはアメリカ海軍がペンタゴンに送った、『カールビンソン』の損害状況に関する報告書の写しです。これによれば、『カールビンソン』沈没の致命傷となったのは、この……艦尾よりの最も破損の激しい部分。これに関しては安藤一佐の判断も相違無い筈です。」

 安藤は黙って頷いた。

「しかし……我々が驚いたのは、この“部分”です。他の破損部が比較的浅く、表面的な被害に留まっているのと比べ、この部分だけは内部隔壁の奥深くまで達しています。では、この部分に一体何があるのか!?……貴方ならこれ以上の説明はいりますまい。」

 大西の言葉、そしてスクリーンに映し出された書類に添付された『カールビンソン』の画像を見て安藤は息を呑んだ。

「まさか……原子炉を狙ったのか!?」

 その言葉を待っていたかのように、大西と老人が同時に頷いた。

「そうです。この報告書によれば、破損部分は原子炉の内部隔壁まで到達。炉心部はまるで何物かが引きちぎったかのように抉り取られていたそうです……!!!」

「まさか……そんな……」

 安藤は驚きを通り越して愕然とする自分を何とか抑えようとしているが、かすかに震える声だけは隠しようが無い。

「安藤君が信じられないのも無理は無い。しかし、MITのネイソン教授の研究チームがゴジラの細胞は細胞内で核分裂物質を代謝できるという可能性を2002年に「NATURE」誌で指摘しておる。もし、ゴジラが1954年のビキニ環礁水爆実験で受けた放射能で死なずに生きていたら?本当に細胞が放射能を代謝出来る性質を持っていたら?奴にとって、最も栄養価の高い“餌”を求めて空母を襲っても不思議ではない。第一、アメリカ第3艦隊を全滅させた上で空母の原子炉に喰らいついた、そんなモノを説明するのにこれ以上説得力のある答えはあるまい!?」

「しかし……」

 安藤は釈然としない表情をしながら呟くように言う。

「何故、『カールビンソン』だったんです?太平洋には『カールビンソン』以外にも原子力を動力とする空母は通りますし、原潜も……プルトニウム再処理燃料輸送船も通ります!何故今回、『カールビンソン』が襲われなければならなかったんです!?」

「そんなことは解からん!!!」

 老人は苛立つように大声を上げ、口の端から唾を飛ばした。

「こればかりは偶然か、運が悪かったとしか言いようがない。しかし、この世界は何か大きな事件が起きる時、何らかの犠牲が払われて来た。第一次世界大戦の始まりにはオーストリアの皇太子が、太平洋戦争の始まりには真珠湾が、それぞれ犠牲となっている。今回の事件……儂は更に大きな事件のほんの始まりにしか過ぎない、そう考えておる――」

 

 

同日――永田町、首相官邸

 

「――流石、現役時代は“影の国防長官”と呼ばれただけはあるな。」

内閣官房長官・松原は煙草を吹かした後、紫煙を吐き出しながら呟く。防衛庁での自衛隊情報部門関係者との極秘の会合を終え、古館は首相官邸に松原を訪ねていた。

「ええ、まさかあの人があんなことを言うとは……思いもよりませんでしたよ。80歳を超えているというのに、あの舌鋒の鋭さ、記憶力、発想……。ウチ<防衛庁>の幹部も、自衛隊の幕僚も圧倒されていました。」

 松原も苦笑しながらかぶりを振った。

「現在、40代から50代にかけての自衛隊幹部はほとんどが彼と何らかの接点を持っていると言われています。人脈、情報網はどこまで広がっているのか想像もつきません。」

「しかし……だ……」

 松原は吸殻を灰皿に擦り付けると、鋭い視線をテーブルの上に落としたまま言った。

「本当にゴジラは生きているのか?俄かには信じられない話だが……」

「官房長官の仰るとおり、私も同じ気持ちですよ。ですからこうして足を運んだのです。」

 古館が松原の表情を見据える。

「――このことは総理に報告すべきでしょうか?万が一これが事実であったなら、我が国……いや太平洋全域が未だ経験したことの無い混乱状態に陥ることは目に見えています!私としては、少なくとも海上自衛隊による哨戒行動を強化すべきだと考えるのですが……」

「……」

 言い寄る古館に、松原は言葉に詰まった。背広のポケットからマイルドセブンのパッケージを取り出すと、新たに一本咥えて火をつける。深く息を吸い込み、じっくりと煙草の先を赤く灯すと、その間にまとめていた考えを煙とともに吐き出す。

「……いかにあの人の意見でも、確固たる証拠が無い現段階では可能性のある推論の域を出ないのではないかと私は考える。第一、理由の無いうちに自衛隊を今以上に動かしてみろ。ただでさえアメリカの動きに神経質になっている北朝鮮や中国を刺激することになる。これくらいのことが分からない君じゃないだろう?……自衛隊は政府の判断無しでは動けない軍隊なのだから……」

 松原の言葉に、防衛大学校卒の自衛官から官僚に転身した経歴を持つ古館は頷いた。自衛隊を端的な喩えで表現するならば、それは塀で囲まれた庭の中で飼いならされ、鋭い牙も立派な体も持っているが鎖で繋がれた番犬だ。もし泥棒が庭先を通ったとしても、自衛隊に出来ることは大声で吠えて脅すか、鎖の届く範囲で追い回すだけであり、飛びかかろうとは絶対にしないだろう。もちろん、飼い主がその鎖を放す事もありえない。この鎖が放たれたのは50年の自衛隊の歴史上たった一回、1954年ゴジラの東京上陸時だけだった。

「――このことはとりあえず私の胸の内に収めて置くよ。総理には、タイミングを見てそれとなく耳打ちしておこう。」

 そう言うと、松原はまだ半分以上残っている吸い差しを灰皿に押し付けた。この瞬間、この時点で唯一真実を言い当てている推論――ゴジラ復活説――は、内閣官房長官の心中に埋められ、陽の目を見るのは更なる悲劇が起こった後になるのだった――


第二章―10

第二章―12

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