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4月21日――アメリカ合衆国、ワシントンD.C
市街地の目抜き通りを、前後に3台ずつ計6台の警察車両とさらに2台ずつ計4台のSPの乗り込んだワゴン、左右は白バイに挟まれながら黒塗りのキャデラックリムジンが疾走している。見た目では分からないが、特殊鋼と厚さ2cmの防弾ガラスで守られている車体はライフルで狙撃されても内部に銃弾が貫通することはない。その中には運転手以外に二人の男が向き合うように座っていた。後部座席に深く腰をかけた男はブラウンの癖毛を七三に分けており、濃紺のスーツに深紅のネクタイ、いわゆる“パワータイ”を着込んでいる。ダークスーツは誠実さを、純白のワイシャツは潔癖さを、深紅のネクタイは情熱を現しており、人の上に立つ人物が好んで着るコーディネートをしているこの人物こそ世界のVIP中のVIP、アメリカ合衆国大統領ジェームズ・D・アンダーソンだった。
アンダーソン大統領は組んだ足を神経質そうに揺すっている。彼は本来ならば今日から3日間、ミシガン州を訪れて各地で遊説や大企業トップとの懇談を行い、再選を目指すべく共和党内での候補者を決定する大統領予備選挙に向けての支持を訴えるはずだった。
本来なら温厚で人当たりの良い性格である彼だが、今や政治家人生の中で最も追い込まれている時期だと言えた。その理由は、彼の任期中にアメリカ経済が急な失速をしてしまったからだ。アメリカの経済は1990年代後半からコンピューターソフトや半導体の分野で急速な成長を見せ、ニューヨーク証券取引所工業株30種株価指数、いわゆるダウ平均株価は1万ドルの大台を越え、シリコンバレーを中心としたハイテクベンチャー企業やインターネットビジネスを展開するいわゆる『.com<ドットコム>』企業が軒を連ねるアメリカ店頭株式市場、NASDAQ<ナスダック>指数も急激に成長して『ニューエコノミー』と言われる現象はアメリカにベトナム戦争特需以来の繁栄をもたらした。
しかし、ハイテクビジネスは市場の拡大と共に競争が激化。多額の設備投資を必要とするそうした企業は、コスト増と値下げによる収入減によって会社の収益を悪化させ、市場の飽和を迎えると成長も頭打ちになった。アメリカの経済は拡大の時期を終え、10年ぶりに停滞を始めたのだ。
一旦冷え込んだアメリカの景気が失速するのは予想以上に速かった。アンダーソンが大統領に就任した2000年末の時点でNASDAQの株価指数は4月に付けた史上最高値の60%にまで目減りし、『IT(情報技術)ビジネスのバブルは崩壊した』とまで言われた。
アンダーソンが今回の遊説先としてミシガン州を選んだ理由の一つには「オールドエコノミーの復活」というテーマがあった。インターネットやコンピューターソフト事業を『ニューエコノミー』と呼ぶのに対し、鉄鋼や自動車などの産業は『オールドエコノミー』と呼ばれる。ここ数年、経済成長の足を引っ張ってきたものが行き過ぎた『ニューエコノミー』の拡大であったと分析した大統領の参謀は新たな支持基盤を『オールドエコノミー』産業に求めた。ミシガン州の州都デトロイトはフォード、ダイムラー・クライスラー、ゼネラル・モータース(GM)、ビッグ3の自動車会社の集まる、言わずと知れた自動車・鉄鋼の街であり、『オールドエコノミー』の栄光の象徴である。アンダーソンは起死回生の手段として、痛い目を見た『ニューエコノミー』から『オールドエコノミー』へ経済主体の復権を賭けたのだ。
アンダーソンが大統領に就任する以前から景気悪化の兆候が現れていたのもまた事実であり、彼も経済の悪化にただ手をこまねいていたわけではない。大統領選挙戦での公約であった大型減税を実施し、個人消費の拡大に努めようとした。しかし、2000年は大統領選挙も上院議員選挙も希に見る混戦だったこともあり、大統領選挙は相手である民主党の候補とは、ある州では投票の再集計を行わなくてはならないほどの接戦を繰り広げた。上院議員選挙も民主党と共和党がほぼ半分ずつ議席を分けあったため、アンダーソンは就任当初から政策基盤の弱さが取りざたされていた。結果としてこの政策の膠着状態が続いたことが彼にとって仇となり、彼が計画していた減税案は議会との衝突により当初より減額して実施されることを余儀なくされたのだ。この事は減税に期待を寄せていた国民や企業からリーダーシップが欠如しているとして大きな反感を買った。そして、彼の行った経済政策の多くは経済の減速を緩和こそすれ景気を回復させるまでは至らなかった。
何より就任当初のアンダーソンの人気を支えていたのは権力を振りかざさない庶民的なイメージであったが、経済失策の連続は彼に指導力欠如のレッテルを貼り、お人好しな人柄は逆効果を招いた。個人消費の低迷や在庫の増加による物価の値下がりが経済に悪影響を及ぼす現象『デフレーション(デフレ)』の懸念の起きた2004年上四半期のアメリカ経済の成長率は2年連続で前年を割り込み、企業のリストラによって完全失業率は就任以前の5%の大台に達した。この年に入ると新聞やTVなどのメディアは4年に一度の大統領選挙に関する報道が活発となり、連日アンダーソン政権の支持率低下を報じたことも彼の人気の低下に拍車をかけた。
4年ぶりの政権奪回を目指す民主党がケネディの再来と言われるほどの人気を誇る現カリフォルニア州知事、ジョン・ライズ氏を大統領候補として擁立することで一本化したキャンペーンを行っているのに対し、共和党内にはアンダーソンでは選挙戦を戦えないとして、反主流派のアイザック・フォックス上院議員を強く推す動きがあり、大統領は党大会に向けて内外に敵を抱えることになったのだ。
「……ミシガンでの予定を全てキャンセルしなければならないほどの事態なのか?」
本来ならワシントンD.Cのダレス空港から大統領専用機<エアフォースワン>で飛び立ち、午前中にはミシガン入りしている予定であったが、急遽ホワイトハウスへ引き返すように要請が来たのだ。アンダーソンの向かいの席では側近の一人である大統領報道官ターナーがモバイルパソコンを操作している。
「――ペンタゴンからの緊急連絡です。」
それを聞いて大統領の頬がピクリと動く。アメリカ国防総省、通称ペンタゴン――日本で言う防衛庁の機能を持つ、アメリカの安全保障の要となる機関だ。建物の形状からペンタゴン<五角形>呼ばれるこの機関から緊急連絡が来たと言うことは、国防上重大な事態が発生したことが想像できる。報道官は深刻な表情を浮かべながら、モバイルを大統領に渡した。
「……これは本当かっ!?」
アンダーソンの表情はそれを見て凍り付いた。
「昨日未明、パールハーバーからサンディエゴに向けて帰港中の第3艦隊、空母『カールビンソン』、巡洋艦『プリンストン』『バンカーヒル』、駆逐艦『ベンフォルド』、補給艦『ブリッジ−AOE7』がハワイ沖約500kmの海上で消息を絶ちました。現在、司令部からの通信にも応答が無く、衛星でもその所在を掴めておりません。」
「海軍の対応は?」
「現在パールハーバーから捜索隊を向かわせており、現場海域に到着次第、海と空の両面から捜索を開始します。また、横須賀の『キティホーク』、インド洋の『ジョン・C・ステニス』もスケジュールを繰り上げでパールハーバーに移動する予定です。」
「そうか……」
そこまで聞くと、アンダーソンは溜め息を付いてシートに深く座り直した。どうやら対応に遅れはないことに彼は一応の安堵をした。些細なことでも非難の対象になるこの時期に国防上の大問題で失策することは、鷹派の反主流派を勢いづかせることになり、命取りにもなりかねない。しかし、空母から連絡が途絶えたことは非常事態に変わりなかった。第3艦隊は南北アメリカ大陸西海岸を中心に展開する部隊であり、空母『カールビンソン』は機動部隊の要である。『カールビンソン』を中心とした部隊との交信が途絶えたということは、一時的にとはいえ太平洋の東側に、事実上軍事的空白が生じたことを現している。第7艦隊の空母『キティホーク』『ジョン・C・ステニス』を呼び戻していることが、海軍側の危機感を如実に現していた。
そう考えている間にリムジンはSPの車両とパトカーに守られたまま、自動小銃を構えた衛兵の立つ鋼鉄製のゲートを通り過ぎ、中庭を抜けるとホワイトハウスの駐車場に入っていった。ガードマンがリムジンの後部ドアをうやうやしく開け、大統領と報道官を屋内に招き入れる。二人は深紅の絨毯の敷き詰められた廊下を足早に進み、大統領執務室<オーバルルーム>に入ると部屋の中をそのまま通り過ぎると、隣の部屋に繋がる重々しいオーク材の扉を開けた。大統領の姿を確認すると、部屋の中にいた人物達が一斉に起立する。アンダーソンは彼等に軽く手を挙げて会釈に応えると、上座の席に座った。それを待って彼等も元の席に座り直す。アンダーソンは目の前に座るメンバーを見渡した。背広組は国務長官、国防長官、司法長官、安全保障担当特別補佐官と政府各部門のトップ、制服組は統合参謀本部議長、太平洋艦隊司令官と全軍と海軍の責任者が揃っている。
「――ここまで来る車内で概要は聞いている。その後の報告を聞こうか。」
アンダーソンは机の上で腕を組むと切り出した。すると、最初に立ち上がったのはベイカー国防長官だ。
「……『カールビンソン』とその機動部隊が連絡を絶ったのはハワイ時間の23時47分です。翌日早朝、現場に最初に到着したのはパールハーバーから出動したP−3C対潜哨戒機であり、P−3Cからの報告に寄れば、現場海域の広範囲に渡ってオイルや残骸が散乱しているということです。当日、付近の海域に民間の艦船は確認されていないので、それが我が軍の物である可能性は高いと思われます……」
「――」
それを聞いて、アンダーソンは沈痛な面持ちで眉間を押さえる。
「事故であれ故意であれ……、その残骸が我が軍の物だったとしよう。その場合、沈没した原因は何だ?海軍は何か掴んでいないのか?」
「そのことで気になる証言が得られました…」
太平洋艦隊司令、ノートン海軍大将が手を挙げた。
「『カールビンソン』との交信が途絶えてから一時間後、パールハーバー海軍基地の飛行場に一機のF/A−18ホーネット戦闘攻撃機が不時着しました。この機は『カールビンソン』の艦載機であり、パイロットは事件を上空から目撃していました――」
場の視線が集まる中、ノートンは続けた。
「パイロットの証言はこうです――現地時間の23時過ぎ、巡洋艦『プリンストン』が艦隊の前方に巨大な物体を発見。警告を無視した接近に威嚇を試みるも、物体はそれを無視し艦隊正面に浮上。『プリンストン』は物体の体当たりを受けて撃沈、それを受けて『カールビンソン』艦長のルービン少将は物体への攻撃命令を出しました。巡洋艦『バンカーヒル』の魚雷攻撃も物体には効果が無く、『バンカーヒル』、空母護衛の駆逐艦『ベンフォルド』、ともに物体の攻撃を受け撃沈されました。その後空母の艦載機による攻撃も効果無く、艦載機は彼の機を残して全てがその……熱線……のような物で撃墜されたそうです。」
「はっ、熱線だって?」
ルーデンス安全保障担当特別補佐官はあからさまに不快感を露わにした。
「ノートン将軍、これはスターウォーズではないのですよ?熱線で戦闘機やヘリが撃墜されるなんて……、ルーカスやスピルバーグの映画の中だけの話にして欲しいですな!」
「補佐官、ノートンの話を最後までお聞きください。」
ハウエル統合参謀本部議長が静かに言うと、大統領も頷いた。ルーデンスが渋々黙ると、ノートンは再び続ける。
「補佐官の言う通り、私も最初にこの話を聞いた時は信じられませんでした……。しかし、報告したクルーガー少佐は湾岸戦争やユーゴ紛争にも出撃して優秀な成果を上げたパイロット。非常事態に冷静さを失うことも無ければ、虚言を聾する人間でもありません……!」
ノートンはルーデンスに向けて、強い口調で言った。湾岸戦争の当時、空母『インディペンデンス』に乗艦していた経験を持つノートンが、当時中尉であったクルーガーと言う人間を良く知っている故の発言だった。ルーデンスは彼にあからさまな敵意を見せながら唇を噛み締めた。
「――機動部隊が消息を絶った原因が、海軍の言うようにその熱線によるものだと仮定しよう。その場合、熱線を放った物の正体は何なのだ?」
アンダーソンが細めた鋭い視線を将軍に向ける。
「そのことに関しては推論を出すにもまだ情報が不足していますので、何とも言える状況ではありません。パールハーバーより出動しました捜索隊は現場に到着し次第、海底探査機による詳しい沈没状況の調査を行う予定であります。」
アンダーソンにハウエルが答えた。
「……分かった。議長と司令はともにペンタゴンに戻り、引き続き情報収集に当たってもらう。国防長官、国務長官、司法長官、ルーデンス補佐官は引き続き話があるので残って欲しい。」
「ハッ、分かりました…!失礼いたします。」
アンダーソンがそう言ってその場を切り上げると、ハウエルとノートンは立ち上がって敬礼し、書類をブリーフケースに収めると会議室を出ていった。残っているのは大統領を含め、彼が前述した政治的側近との5人である。
「アンディ、君はこの事態に対しどう対応すれば良いと考える?」
部屋が静かになった時を見計らって、アンダーソンは切り出した。言葉を向けられたのは先程までは沈黙を守っていたアンディ・スコット司法長官である。彼は、何故大統領が自分に発言を求めたのか、その真意を分かっていた。たった今、現場――つまり軍部――から会議が切り離されたということは、これから話されることは先程までとは変わってきな臭い政治に関わることになることを現している。そして政治の、現在の最大の関心事は言うまでもなく大統領選挙だ。
「まずは情報を包み隠さず、全て公表すべきだと思います。」
スコット司法長官は顔色を変えないまま、真っ直ぐ大統領を見詰めながら言った。
「いいですか、大統領?海軍の情報を信頼すれば、原因は何であれ第3艦隊は何物かの攻撃を受けたと推測されます。しかし今回、艦隊は大統領命令による作戦下にあったわけではありません。となれば……責任は海軍にある……」
「海軍に全ての責任を転嫁するというのかね?しかし、軍は選挙戦で大票田になることを忘れているわけではあるまい?」
ベイカー国防長官が口を挟む。
「もちろん分かっております。私も海軍に全ての責任を押し付けるつもりではありません。だがこの事件において、我々以外にも当事者がいることは確かなのです。つまり――」
スコットは大統領の方を見た。
「政府はこの事件の原因究明に対しイニシアチブを取る。そして加害者の正体が判明した時点で、加害者に対し断固とした態度で臨むのです。我々に与えた損害賠償、公海上とは言え交戦状態に無い他国艦船への攻撃は国際法に照らし合わせても明らかに犯罪行為です。」
「つまり……犯人をスケープゴートに使うわけだな?」
大統領は思案顔で言う。
「しかし、その方法で国民世論が納得するか?失った艦船と艦載機の総額は100憶ドルを下らない。それに行方不明となった隊員達の遺族への賠償問題もある……」
「私も……スコット長官の意見に賛成です。」
腕を組んでソファーに背を凭れ掛けたアンダーソンに向け、ルーデンスが身を乗り出すようにして言う。
「お言葉ですが、大統領の支持率は現在決して高い状況にはあらず民主党のライズ候補に水を開けられ、フォックス上院議員を中心とする反主流派からも再選をさせないといった動きがあります……」
「――!」
痛いところを突かれ、アンダーソンは顔を不快そうにしかめるが、ルーデンスは気にしない様子で続けた。
「国民が求めているのはいつの時代にも強い大統領であり、強いアメリカです。……被害に遭った隊員達とその家族には悪いですが、この事件は大統領が再び強いリーダーシップを発揮する絶好の機会となります。強いアメリカは、倒すべき相手が居てより輝くのです――」
彼の言う通り、第二次大戦後のアメリカはあらゆる仮想敵国を置くことで自らの軍備を増強し、世界の警察という名の元に覇権を保ってきた。それは冷戦下のソ連しかり、湾岸戦争時のイラクしかり、最近ではリビアなどテロ支援国として考えられているイスラム原理主義諸国しかり、極東唯一の独裁国家である“北朝鮮”、朝鮮民主主義人民共和国であった。
「その通りです、大統領!」
ルーデンスの言葉にはスコットも頷いた。彼等は大統領の表情に変化が起き始めているのをはっきりと見て取れた。傍から見れば、大統領の再選を支えようとする側近の真摯な進言に見えるが、裏側ではこうだ。彼等は2000年にアンダーソンが当選した際にそれぞれ閣僚として登用された人物である。つまり、アンダーソンというボスがいて初めて現在の権力の座を維持できるのであって、もし政権が民主党や他候補にとって変わられれば、今の地位から滑り落ちてしまうことは明らかだ。いつの時代、どの国においても一度権力の座に就いたものが己の保身に走ることは紛れも無い事実である。
「諸君の意見はよく分かった――」
アンダーソンはそう言うとしばし考え込んだ。その間、会議室を重い沈黙が支配する。
「ターナー?」
「ハッ!」
突然、彼は部屋の隅に控えていたターナー報道官を呼んだ。
「現在、機動部隊の失踪を報じているメディアはあるか?」
「いえ……今のところ新聞もテレビも今回の事件を報じている会社はありません。しかし、彼等の取材能力は甘く見ないことです。『カールビンソン』には隊員の他にメディアの取材クルーも乗っていました。彼等からの連絡も途切れたということになると、事件性を嗅ぎ付けるのも時間の問題でしょう。」
「よし……!ターナーはマスコミに私が重大な発表することを伝えるんだ。至急、演説原稿の草稿に取り掛かって欲しい。時間は……ゴールデンタイムの始まる前、ワシントン時間の午後6時に行う。」
「分かりました!」
ターナーとは立ち上がると、やるべき事が明らかになった高揚感からきびきびとした動作で会議室を後にする。
「ハリスン国務長官とルーデンス補佐官は、事件の影響を被る関係各国……カナダ、オーストラリア、そして日本などの外務省に情報を伝え、今後の対応について協議を進めて欲しい。ベイカー長官はペンタゴン、およびCIAとの連絡を密にし、原因究明に全力で当たるように……!!」
それぞれに指示が与えられ、職務を果たすべく会議室を出て行くと部屋の中は静まりかえった。中では、アンダーソンとスコットだけが向き合って座っている。
「どうだ?これで君たちの思い通りになっただろう?」
アンダーソンは少々疲れた表情に嘲笑を浮かべながら言った。
「私だって馬鹿じゃない。今年の選挙で私を再選させて、現在の地位に留まりたいと言う彼等の考えくらいお見通しだ。しかし、それが時として最良の選択になるかもしれないのだから、人間の欲というものは恐ろしいな。」
アンダーソンは先程までとは違い、遠慮のない口調で言った。彼を支える参謀<ブレーン>達の中でも、司法長官であるスコットだけは立場が別格だった。二人は同じハーバード大学で同期であり、アンダーソンは政治学、スコットは法学を専攻していた違いこそあれ、その頃からの親友同士だ。アンダーソンは時として彼を副大統領よりも信頼することがある。
「まぁな、彼等もそれだけ必死ということさ。私の予想ではMr.フォックスを担いだ反主流派の動きを封じ込めることはそう難しくない。再選後のポストをちらつかせて多数派工作を行えば動きは持って6月、予備選挙が終わる前までには沈静化するだろう。彼等もいつまでも内紛を続けて民主党に政権を明け渡すような真似はしたくないだろうからな。」
そこまでは微笑を交えていたスコットの表情がここから引き締まる。
「やはり一番の強敵はあの若造、民主党候補のライズだ。彼には私達には無い若さと勢いがある。今のように経済を含めてアメリカ全体が停滞し、勢いを失い掛けている時は彼のような改革派のリーダーが欲しいことも国民にとっては事実だろう。……彼のような政治家を見ると、俺達も年を取ったと思うな……」
スコットはそう言いながら遠い目をしていた。彼の言う民主党候補ジョン・ライズは現役のカリフォルニア州知事である。30代にして州知事となり、2期8年を勤めて今回大統領候補として立候補した。大統領選挙において選挙人50人を抱えるカリフォルニア州は政治的な影響力が強い。ライズ自身も若さを前面に押し出し、持ち前の端正なマスクと説得力のある演説手法でカリスマ性を発揮し、マスコミからは『J・F・Kの再来』とも言われている。
「スコット、俺達は本当に歳をとったのか?」
アンダーソンは窓の外を見詰めながら、呟くように言う。
「確かにライズは若い。俺達はもう50歳をとっくに過ぎている。しかしだ、俺達は本当に歳をとってしまったんだろうか?」
「……」
黙ったまま、スコットは答えない。それも気にしない様子でアンダーソンは続けた。
「俺達が歳をとってしまった、いやとったと思わされてしまった理由はただひとつ、アメリカ全体の停滞の所為だ。俺が大統領に就任してからの景気の悪化で俺自身がまるで、低迷するアメリカの象徴のように言われてしまった。接戦だった大統領選挙でケチが付いたことが付き始めで、公約だった大型減税も……外交政策でも……思い切った決断が出来ず、全てが後手に回ってしまった…」
まるでスコットは目の前で、大統領の歯軋りが聞こえるようだった。だが、その様子を見て彼は大統領に若き日の、大学院を卒業してからすぐに政治の世界に入り、共和党議員の秘書として頭角を現し始めた頃の彼の姿を見ているような気がした。如何に今現在に歳をとり、勢いを失っているように見えてもアンダーソンはこの国で大統領にまで上り詰めた政治家である。政治家とは本来目的はどうであれ権力志向が強く、一般人には計り知れないエネルギーを秘めた生き物だ。もし追い詰められたアンダーソンにこの土壇場で政治家としてのエネルギーが復活したとしたならば、スコットにとってこれほど心強いものはない。
「だが、これからは違う。俺が周りを全て利用してやる。第3艦隊には残念なことになったが、俺を担いでいると思っているルーデンスも含めてな……」
「それでこそお前は大統領だ、アンダーソン。世間はお前のことを庶民派だのお人好しだの言っているが、私は知っている。お前が学生時代から誰にも負けない野心家だったことを。全てが終わった時、お前は紛れも無く勝者となっているだろう。」
そう言ってスコットはアンダーソンに向けて笑みを向けた。
「くっくっく……」
「ふっふっふ……」
二人が洩らした含み笑いは完全防音の窓や壁に遮られ、その心の中に渦巻く企みと共に外へと知られることはなかった――