――3
「艦長……攻撃ですか……?」
『プリンストン』のブリッジで副長は緊張を隠せない面持ちでいたが、それも無理のない話だった。冷戦期なら米ソの艦船同士が牽制や追跡をくり返すことは珍しくなかったが、1990年以降の彼がキャリアを積んできた時代では自分達と未確認艦が緊張状態になるなどという事態に陥る事はめったになく、世界最強の艦隊と言われるアメリカの空母機動部隊ならばなおさら抑止力は高い。時代の流れが、本来倒すか倒されるかという世界に生きている彼等から狂暴な牙と爪を奪ってしまっていたのかもしれない。
「いや……」
艦長はしばし考え込んでから言った。
「いかに自衛の為とは言え、相手が敵対意志を持っているとはっきりしなければ攻撃する事は出来ん……!」
「しかし、先制攻撃された後ではどうしようもありません!」
副長は言った。彼は現代戦における先制の一撃の有効性も、またその恐ろしさも分かっていた。イージス艦に代表されるようにレーダー、ソナーの技術が進んでいる背景にはミサイルや魚雷の性能向上があることは間違い無いことである。低空を飛行し、敵のレーダー網を掻い潜りながら襲いかかってくるミサイル。自ら探信音を発しながらどこまでも食らいついてくる魚雷。これらが命中すれば間違いなく艦は沈む――
そもそも過去の戦争と現在は物量の意味が違うのだ。それは当時作られた艦の設計思想にも現れている。例えば太平洋戦争当時の戦艦や巡洋艦による艦砲射撃。これは直接相手に狙いを定めて当てようとするのではなく相手の速度・進路から着弾時の位置を割り出し、あらかじめそこを狙って砲撃し命中弾を得ようとするもので、多数の命中弾を得る為には相手の予測位置にどれだけ砲撃を集中させるかが必要となってくる。当時の戦艦や巡洋艦のほとんどが複数の主砲を揃えていたことは単位時間あたりの射撃量を増やし、また時間差を持って撃てる事で目標の未来位置を修正しやすくする為だ。
しかし、現代戦ではそんな意味で物量を誇る事はナンセンスである。未来位置の予測などするまでもなく、レーダーで捉えてさえしまえば高性能な誘導装置を持つミサイルや魚雷は≪Fire and Forget≫。一旦撃ってしまえば文字通り、艦のクルーが発射した事を忘れたとしても正確に命中させられる事が出来、その精度は『どの艦に命中させるか』ではなく『艦のどの部分に命中させるか』というレベルにまで高まっている。だからこそ相手を如何に早く探知出来るか正確に迎撃出来るかが勝敗、いや文字通り生死の分かれ目なのだ。
「……ブリッジからCICへ、艦首Mk41セルASROCデータ入力。目標との距離500で自爆するようセットせよ!目標との距離4000で発射……!」
『――了解!』
CICからの返信にも緊張の色がありありと見て取れた。
「これは演習ではない!だが相手が明確な敵対意思を持っていると分からない以上、対処はルールに乗っ取ってやらざるを得ない。だが、この威嚇射撃で相手が我々に対する接近行動を止めない場合、さらに攻撃を続けることもやむをえまい……!」
艦長は苦渋に満ちた表情で言った。
『目標、間もなく距離4000ラインに到達します!』
それを聞き、艦長はひとつ頷くと艦内マイクを取った。
「ブリッジからCICへ。ASROCを発射せよ!!」
『了解、ASROC発射!!!』
CICで砲撃担当士官が艦長の命令を復唱すると、コントロールパネルの前に座るクルーが発射スイッチを押す。『プリンストン』の前部甲板上に設置されたVLSハッチの一つが垂直方向に開くと次の瞬間、グレーに塗られた円筒形の物体が爆炎とともに猛スピードで飛び出していった。ASROC(Anti Submarine Rocet)、対潜水艦ロケットと訳されるこの兵器は、ミサイルの弾頭に魚雷を取り付けた兵器である。魚雷の弱点である射程の短さを補い、遠距離まで短時間で魚雷を運搬出来る事で、現代戦において対潜水艦のみならず水上艦に対しても有効な攻撃手段となっている。
一旦垂直に上昇したASROCだが暫くすると軌道を放物線状に変え、下降を始めた。そして空中で弾頭部分がロケットブースターから切り離されると、同時に弾頭を被っていたカバーが吹き飛び、魚雷本体が姿を現す。魚雷はその用途によって2種類に区別されている。潜水艦や対潜哨戒機などで主に使用される射程が長く威力も高い『長魚雷』と、水上艦や対潜ヘリコプターから主に使用される射程は短いがコンパクトな作りをした『短魚雷』だ。『プリンストン』のASROCで運用されているのはMk50と呼ばれる短魚雷である。
魚雷は末尾からパラシュートを開きゆっくりと、データ入力通り『プリンストン』と目標との間に着水した。水に潜った魚雷は特徴的な高速のキャビテーションを発生させる電池式の小型スクリューを回転させ、探信音を放ちながら目標に向かった。そして、魚雷は探信音で得られた反射波から目標の位置を捕捉すると、僅かに軌道を修正して真っ直ぐと突入して行く――
『魚雷目標捕捉!雷速50ノット、自爆まで距離800!』
「本艦との距離は!?」
『現在、2300です!!!』
「近いな…各員、衝撃に留意せよ!」
艦長は双眼鏡でASROCが着水した先の水面を見詰めながら言った。
「了解!ショック対応姿勢!」
副長が艦内マイクを通じてその命令を復唱する。誰もが魚雷の放たれた水面を注視し、ブリッジが僅かな時間ながら沈黙に支配された、その時だった――
ドウン……!!!
爆音とともに水平線の先で海面が白く変色し、海中で膨張した衝撃波が水面を突き破ると数十mの高さまで水柱が立ち昇る。爆発からやや遅れて、『プリンストン』のブリッジでも艦を下から突き上げるような衝撃が感じられた。
『ASROCの自爆を確認!!!』
「機関停止、目標の確認を急げ!!!」
『現在ソナー効力30%……、クリアになるまで2分待って下さい!!!』
「1分30秒だ!アクティブソナーを打ってでも探知しろ!!!」
艦長は顔を真っ赤に紅潮させながら言う。その時、ブリッジの電話がコールされた。
「こちら『プリンストン』ブリッジ……」
『「カールビンソン」、ルービンだ。艦長を頼む。』
無線を受けた副長はその声を聞いて息を呑んだ。相手は『カールビンソン』艦長、第3艦隊司令ルービン少将だった。
「ハッ、ただ今代ります!艦長、ルービン司令からのコールです。」
「分かった。――代りました、艦長です。」
艦長は副長から無線機を受け取ると言った
『今の爆発は、そちらの撃ったASROCだな!?』
「はい……、接近する目標に対し威嚇としてASROCを発射しました。魚雷は目標との距離500で自爆、現在確認作業を行っているところです。」
艦長はブリッジの窓から外を見た。ASROCの爆発によって舞い上がった海水が、未だに海面を豪雨のように叩き付けている。その周囲では『カールビンソン』から発進した対潜ヘリがホバリングを行いながらサーチライトを海面に向けていた。
『こちらソナー。ソナー効率80%に回復、アクティブソナーによる探査を行います』
「ブリッジ了解、アクティブソナーを打て!」
艦長がそう言うが早くソナー員の指がボタンに伸び、甲高い音波が水中に放たれる――
カアアァァーン!!!
『痛ぅ!!』
返って来た音が想像以上の強さで艦を打ち付け、ソナー員は思わず耳を押さえる。痛みを堪えながら薄く開けた目でモニターを見ると、輝点の現す目標の位置は彼が思ってもいなかった場所だった。
「ソナーどうした?詳細を報告せよ!!」
艦長にもその音の大きさが現す只ならぬ気配を感じていた。
『――目標は……距離ゼロ、深度40……本艦の真下です!!!』
「真下だって!いつのまに…!?」
それを聞いて副長は信じられないと言った表情で叫んだ。
「――おそらく魚雷の爆圧とノイズに紛れてやって来たのだろう……。甲板クルーに連絡、目視にて水中の目標を確認させよ!」
だが艦長は努めて冷静に振る舞い指示を出す。ブリッジの異様な雰囲気は無線を通じても『カールビンソン』に伝わっていた。
『「プリンストン」、どうした!?』
無線の向こうからアレックスの報告を催促する声が聞こえてくる。
「……『プリンストン』より『カールビンソン』、目標を本艦の真下で探知しました…!」
『何だと!?』
それを聞き、アレックスは息を呑んで表情を凍り付かせていた――
「ライトをもっと右舷に寄せろ!」
甲板に数人の部下を連れ立って駆け出してきた士官がマイクの付いたヘッドセットを被りながら叫ぶ。
「上空のヘリ、もっと高度を低くして左舷に明かりを集めてくれ!」
『了解――』
先程まで前方の魚雷爆発地点を捜索していたヘリも連絡を受けて、『プリンストン』の周りに集まってきていた。重油を流したように漆黒の海面の中で、ライトで照らされた部分だけがダークブルーの輝きを帯びている。士官はフェンスから乗り出すようにして海面を見詰めた。
「大尉、何が見えますか…?」
彼の背後から部下が緊張した面持ちで声をかけてくる。
「……何かがいるのは分かるが……、ここからじゃはっきりとは分からない……。ヘリ、上空から何か分かるか!?」
士官はマイクを口元に寄せるとヘリに向かって呼び掛ける。
『少し待ってくれ――』
ヘリは海面にローターの起こしたダウンフォースを叩き付けながら上昇していく。次第にライトで照らされる視界が広くなり、コックピットからは『プリンストン』の全体が見渡せる。そして……
『こいつは……』
パイロットは目に入ったその光景を見て驚愕した。全長約180mのタイコンデロガ級巡洋艦『プリンストン』と交差し、×字を描くようにしている影が水中に横たわっていたのだ。影の大きさは『プリンストン』と比べて二回りほど小さいがその長さは約120mほどある。影の形は右舷側に突き出た部分はいびつに歪んで形が分かり難いが、左舷側は先端に行くに従って極端に細くなっている。そこに潜水艦の特徴である涙滴<ティアドロップ>型と呼ばれる流線形の面影は無く、まるで長い尾を生やした両生類か爬虫類のような印象をパイロットに与えた。しかし、そんな考えは彼の頭の中で即座に否定された。常識で考えてみれば、こんな巨大で蜥蜴を思わせる様な生物などこの世には存在しないからだ。
『大きな……全長100m以上の影が確認できる!』
「了解。――甲板よりブリッジへ、目標を肉眼で確認しました!」
士官の声には驚きがありありと見て取れた――
「……全長100m以上、しかし潜水艦ではない……。漂流物にしてはまるで意志を持っているかのように我々に近付いてきました。一体何なんでしょうか?」
副長は当惑した表情で言った。もしこの物体が潜水艦でないとすれば、何か巨大な漂流物であるという可能性が考えられる。実際、2000年にはロシアの旧式曳航用ソナー、鉄骨で出来た全長約200m、全幅5m、全高十数mという巨大な物体がウラジオストックから北海道根室沖に漂流してきたという事件が起きたという話を彼は聞いていた。しかし、今彼等の足元にある物体は途中で進路を変えたり速度を上げるなど、ただの漂流物らしからぬ動きを見せている。そして『プリンストン』の真下で停止するとは、まるでこれ自身が自分の意志を持ってそうしているかのようにも思えた。
「私にも分からない……。こんな事は20年海軍に勤めてきて初めての経験だ。しかし、万が一この物体が船底に激突するようなことがあれば損傷は免れないだろう……。ブリッジより機関室へ!エンジン始動、目標との距離を取れ!」
「了解!エンジン始動、機関出力最大!!」
艦長がそう言うが早く命令が復唱されると、ブリッジにも『プリンストン』の動力であるガスタービンエンジンの上げる唸りが響いてきた。艦の上部に突き出た煙突から高温の排気まるで艦が呼吸しているかのように放出され、夜空を陽炎でゆらめかせる。
「面舵20°微速前進!」
「面舵20°微速前進します!」
ブリッジで操艦担当のクルーが艦長の指示通り舵を切り、レバーで出力を上げていくと、それに連動して艦尾の水中に隠れた船舵が動き、2軸推進のスクリューが回転を始めて『プリンストン』の満載排水量9800トンの艦体をゆっくり前進させていく――
ガガガガガガ……!!!
「何事だ――!?」
その時、衝撃とともに『プリンストン』の艦体が大きく揺らめいた。
『ソナーよりブリッジへ!目標が急速に浮上を開始!!一部が艦底に接触した模様!!!』
『機関室、浸水!!!』
艦長が求めるよりも早く、ブリッジに報告が飛び込んで来た。
「機関停止!防水作業を急げ!最優先だ!!」
『了解!!!』
艦長は混乱しそうになりながらも指示を出す。艦は惰性で前進を続けていたが、しばらくすると停止した。すると衝撃は収まり、艦は再び安定し始めた。
「甲板員、もう一度目視で目標の動きを確認出来ないか!」
もともと姿の見えない水中の物体を捉えるのはソナーに頼るしかなく、最新式のソナーは艦に乗る者全ての目になるだけの信頼性を備えている。しかし、今自分達を脅かしつつある物体は実際にこの目で見なくては安心できない、得体の知れなさと相俟って艦長は言い知れない不安感を感じていた。
ゴボゴボゴボ……
「甲板員、何の音だ?」
ブリッジにも海中から響いてくる妙な音が聞こえてきた。
『気泡が……物凄い量の気泡が海中に発生しています!!!』
甲板員の叫びにも似た声がスピーカーから広がる。
「気泡……?今の接触で相手も損傷があったのでしょうか?」
副長が首を傾げたその時だった――
ズガガガガガ……!!!
まるで間近で雷鳴を聞いたかのような轟音と同時に、『プリンストン』は先程とは比べ物にならない大きさの衝撃に襲われた。艦は上下左右、まるでジェットコースターに乗っているかのように急激に傾き、ブリッジだけでなく艦のあちこちでクルーはバランスを失い、壁面や床に叩き付けられる。
その時、船底に近い機関室ではクルーが未だかつて無いの恐怖を味わっていた。
「うわあああぁぁ!!!」
どこからとも無く流れ込んでくる海水の猛烈な勢いにクルーは翻弄される。
「全員退避!退避ーっ!!!」
もはや浸水を止める術はなく、機関担当士官は大声を出して部下達を隔壁の向こう側へ誘導しようとしている。腰まで水に浸かりながら、狭い出口に必死に殺到する隊員達。何とか全員の避難が完了し、気密ハッチのバルブを閉めて彼等が安堵の息を付いた時、扉の向こうから何やら音が聞こえてきた。
メキメキメキ……
まるで金属が引き裂かれるような不快な音だ。
ミシミシミシ……
それと同時にハッチの蝶番が軋みを上げると、クルー達はお互いの顔を見合わせた。そして次の瞬間、信じられない勢いで気密ドアが内側から吹き飛んだ。もはや激流と化した海水に呑み込まれた彼等の視界に一瞬、黒い海水の塊と白い泡、その中に巡洋艦の頑強な船底を突き破るようにして、黒光りする岩の塊の様な物がせり上がって来るのが目に入った――
『機関室、第1、第2居住区浸水!!!』
もはや、各部署から送られてくる報告は悲鳴に近いものがあった。
「艦長!激突による損傷で排水装置が作動しません、このままでは沈没します!!!」
副長も顔面蒼白になりながらも目を血走らせながら言う。
「奴は……奴は一体何物なんだ!?何故我々を襲う!」
そう叫ぶと、艦長は海図を置くテーブルに拳を叩き付けた。
ガシャン!
海図を下からライトで照らす為、ガラスで出来たテーブルの天板に彼の拳を中心に蜘蛛の巣のようなひびが入る。ガラスで切れた拳から血が流れ、テーブルの上を赤く染めて行く。
「――総員退艦!各員は速やかに甲板上に集合せよ!!!」
艦長はやり場の無い怒りを振り払うようにして言った。それは彼がこの世に残した最期の命令となった。
巨大物体に下から突き上げられた『プリンストン』はその艦体を激しく損傷し、艦の内部にはタービンの燃料である軽油が充満し始めていた。そして、破損によりショートした電気系統のコードが漏れ出した燃料に触れて口火を切ると、炎は一瞬にしてメインタンクまで引火した。最初に崩壊が起こったのは機関室から直結する煙突部分だった。スリムな煙突がまるでビア樽のように膨張したかと思うと炎を吹き出しながら爆砕し、続いて起こった爆発が前部の艦橋と後部のヘリコプター格納庫を残して艦の中央部を跡形も無く吹き飛ばす。爆風で舞い上がった破片の中には黒焦げになったクルーの肉片も混じっていただろう。『プリンストン』はもはや船としての体裁を保っていられず、舳先を海面に突き出しながら沈んでいった。
ほとんどの乗組員は爆発と沈没に伴う浸水でその命を失っていたが、一人だけ爆発する直前に海へ投げ出されたクルーがいた。彼は爆炎で身を焼かれる苦痛を味わうことを逃れた代わりに、水中で信じられないものを見た。水上で起こる炎が薄っすらと水中を照らし出し、その光の中に浮かび上がったのは
長さ1mはあろうかという象牙色の牙がずらりと並んだ顎…
そして、ギラリと輝く巨大な眼球が彼を見詰めていたのだ――!!!
彼は驚きの余り水中であることを忘れ、絶叫を振り絞る為に口を開けてしまった。肺を満たした海水は一瞬にして彼の意識を奪うが、それは彼にとって幸運なことだった。水中に没した艦が最期の悲鳴を上げた時、艦内に残る燃料と弾薬が一斉に誘爆したのだ。その衝撃波は水中に残ったあらゆる物、艦の残骸、クルーの肉体何もかもを引き裂いた。彼はその目で見たものが『プリンストン』を沈めた物の正体だと知る由も無く、何の苦痛も感じずその体を海の藻屑と化した――