NEO G Episode 2nd〜EDEN〜

 

 

 

――17『美咲、危うし』

 

横浜市内――

「なにやってんだ!!!」

「早く動けよ!!!」

 横浜市内の道路は喧騒に包まれていた。避難場所へ続く国道は車で溢れ、急ぐドライバー達はなかなか進まない道に苛立ってウィンドウから身を乗り出して叫んでいる。美咲と梢の乗ったRVもそんな渋滞の中にあった。

「凄い渋滞ですね…先生…?」

「そうね…」

 心配そうな表情の梢を助手席に乗せ、美咲もハンドルを指で叩く仕種を見せた。自分達のこれからも心配だが、エデンが東京にやって来るとなると夫の真田も表に立って迎え撃つ事になるであろう。一般人である彼女達よりも自衛官である真田の方がよっぽど危険が多いのではないか?彼の心配をすると、彼女の心の中に彼との過去のエピソードが蘇った。

 

 

 二年前、真田は練馬の第一師団から市ヶ谷の情報本部に転属が決まった。美咲も同時期に所属する港南大学で助教授になり、自分のやりたい研究が出来るようになると二人の家庭生活はすれ違いが多くなった。半年間その状況を我慢した二人だったが、遂に不満は爆発してしまった。

「これだけ言って、どうして分かってくれないんだ!!!」

 ダンッ!

 真田がテーブルに手を付くとその衝撃でグラスに入った水が揺れてこぼれた。険しい視線を向ける真田を美咲も見返している。

「誠さんこそ分かっていないわ。私はもう授業をしているだけで良かった講師じゃない、助教授なのよ?自分のやりたい研究が出来るだけの実績を出す為にどれだけの努力をしてきたかあなたに分かる…!?それもあなたの妻としての役割を果たしながら…」

 美咲は目を真っ赤にして言った。その言葉には真田の反論の余地を許さない必死さがあった。

「しかし…今度所属する情報本部で僕はゴジラの探査を担当する事になる。君も覚えているだろう?若狭湾の原発がゴジラに襲われたのを…!ゴジラの被害がこれ以上増えれば日本に未来は無い!!!僕の部下として相沢も一緒に行くことになっている。氷川さん直々の人事なんだ。」

 氷川と相沢、美咲はこの二人の名前をよく知っていた。氷川は夫の上司で、有能を絵に描いたような自衛官。仕事には非常厳しいがプライベートでは真田と美咲の結婚を祝福してくれたのを覚えている。相沢は夫の後輩で、真田と美咲がまだ結婚する前から自分の事を姐さん姐さんと呼んで慕ってきた人懐っこい青年。しかし、真田の立場が分かっていても今回ばかりは譲らなかった。

「私より仕事が大切ならそうすればいいじゃないの!あなたがそういう考えならここに居られないわ。私がここから出て行けばいいことよ!」

「本気か!?美咲!」

「本気も本気よ!!!ここから通うよりも大学の近くに自分の部屋を探した方が楽になるしね――」

 美咲はそう言って、真田の言葉を振り切るように立ち上がった。その夜、二人には結局別居という形で結論が出たのだった。

 

 数日後、真田の自宅に引越し会社の小型トラックが横付けされてた。トラックには美咲の私物や研究文献が運び入れられている。真田もその日は手伝いのため午前中の仕事を休んだ。引越し社のトラックが走り去っていくのを窓から見ながら、二人はがらんとして生活感を失った美咲の部屋にたたずんでいた。

「誠さん…」

 声をかけたのは美咲だった。別居を決めた夜以来二人の間に言葉は少なく、どんな時も冷めた空気が漂っていた。しかし、その時の彼女の声にはどこか温かさがあった。

「私が我侭なのは分かっている。でも今は研究に懸けたい時なの。学生時代からの夢の実現するために…。あなたを支えられなくてごめんなさい……」

 俯きながら目に涙を溜める美咲の肩を真田はそっと抱いた。プライドが高く、感情的になりやすい気高いまでの美咲。一時の感情の高ぶりを後悔し、壊れそうになるほど悩んでしまう脆い一面を持っている美咲。今の彼女にはその両方が混在していた。

「いいんだ。いま自分がやるべき事をやろうじゃあないか。しばらくの間お互い仕事に集中して気持ちの整理をしよう…」

 真田は優しくそう言うと一枚の写真を美咲に差し出した。それは二人が結婚式で撮った写真だった。美咲が意外そうな顔を彼に向ける。

「今生の別れじゃないんだ。これは僕達の絆の証…。また二人で暮らす日が来るまで君が預っていてくれないか?」

「……誠さん!!!」

 美咲は真田に抱き付いていた。彼の行動はつまり、彼女に全てを委ねる事を意味していた。『君の方からいつでも戻ってきてくれ、僕はずっと待っている』と。これは二人以外誰も知る事の無いエピソードだった――。

 

 

プップープ−ッ!

 けたたましいクラクションの音が美咲を思考の世界から呼び戻した。視線を戻すと、前にいた車のテールランプは遠ざかり始めている。

「ご、ごめんなさい…」

 彼女は慌ててアクセルを踏んだ。未だ渋滞の続く道路をRVがゆっくりと走り出す。その時、美咲はある事に気付いた。今頭の中に思い浮かんだエピソードに出てきた真田との写真、それをマンションに置いたままだったのだ。

「写真が……!!!」

「写真がどうかしたんですか?」

 呟く美咲の顔を助手席から梢が覗き込む。

「いえ…なんでもないわ…」

 彼女は再び頭の中にある考えを振り払おうとした。自分は今、教職として教え子の梢の命を預っている。彼女を無事避難場所に送り届けなければ写真を取りに行く事は出来ない。たかが一枚の写真――彼女にはそんな考え方は出来なかった。確かに、夫の真田は自分さえ無事に避難出来ていれば写真を紛失していても許してくれるだろう。しかし、今の彼女には夫の優しさの証であるあの写真無くしては彼の元に戻れない、そんな気がしてならなかった。

「先生、何か大事なものを忘れてきたんじゃないんですか?」

 そんな美咲を見ていた梢が言った

「えっ?」

 自分の心の内を見透かすような彼女の言葉に美咲は驚きを隠せなかった。

「先生のそんな顔、一度だけ見た事があります。ミクロネシアへ発掘調査に行った時、外出禁止になったことがありましたね?その時先生のご主人から電話がありました。私は電話の間、席を外してロビーにいましたが、戻ってきた時先生は今と同じ顔をしていました。寂しいような、悲しいようなそんな顔を…」

「…考えている事がすぐ顔に出るのは私の悪い癖ね。」

 美咲は苦笑した。

「でもいいの。あなたを避難場所に送り届ける事が先よ。忘れ物を取りに行くのは…その後でも遅くないわ。」

 彼女は無理に笑みを作った。

「でもじゃないです、先生!」

 梢が珍しく声を張り上げて言った。

『――衛艦隊の包囲網を突破したゴジラは現在浦賀水道を北上していると思われ……』

 ラジオのニュースはゴジラの接近を告げている。

「ゴジラも来ているんです!多分、エデンを追って…。今戻らないと手後れになりますよ!!!」

 梢のその言葉には、普段大人しい彼女が見せないような迫力があった。自分自身のの安全よりも美咲の気持ちを案じてくれている梢の訴えを感じ、美咲は目頭が熱くなった。

「……ありがとう、木下さん…。」

 美咲はウィンカーを出すと、ほとんど車の無い、避難場所とは逆方向の路地へと車を滑り込ませた。

「急ぐわよ!飛ばすからしっかり掴まっていなさい!!」

 そして、そのままアクセルを踏み込むと、一路マンションへと急いだ――

 

 

東京都内――

 エデンは眼下の景色の変化を捉えていた。先程行った攻撃により、ここまで来る間は破壊の跡がずっと見て取れた。しかし今は再び文明の明かりが見えている。文明こそ自然にとって悪しきものである、悪しきものは滅ぼす――自らの思考にインプットされた本能とも言うべき衝動に突き動かされ、エデンは降下を始める。

 幕張より江東区方面から飛来したエデンは銀座の街並みをかすめ、監視用の戦闘ヘリ数機を従えて新橋上空を通過して港区へ。その目には周りの建物よりもひときわ高くそびえ立つ、鮮やかにライトアップされた深紅の鉄塔が捉えられていた――

 

 

防衛庁――中央司令所

「物体は港区に到達。東京タワー上空で静止しました。」

「攻撃…でしょうか?」

 オペレーターの報告を聞いて、武藤防衛庁長官は高坂統幕議長に向き直って言った。高坂はスクリーンをじっと見詰めている。映し出されている映像はヘリによる空撮と地上の警戒部隊からのもの。東京タワーのある港区周辺は緊急避難命令が出されたためにオフィスビルの灯かりがまばらであり、路上の車も自衛隊の車両だけである。そんな閑散とした中にあって、いつも通り鮮やかにライトアップされた東京タワーと神々しいエデンの姿の取り合わせは言い様無く美しく思われた。しかし、高坂はそんな不謹慎な考えを振り払った。いくら美しくあってもあの物体がロサンゼルスを、そして幕張を半径30kmの地域に渡って壊滅させた事実は動かしようがない。

「…周辺市民の避難は完了しているな?」

「はっ。物体の進路に当たる中央区、千代田区、港区、品川区では避難が確認されています。」

 高坂は頷いた。

「警戒部隊を撤退させろ!物体から出来るだけ距離をとるんだ!監視は以後ヘリ部隊に限定する。」

「了解――」

 オペレータへの指示を終えると、高坂は息をつく。その時だった。

「物体に変化あり!!!」

 悲鳴に近いオペレーターの声に司令所にいた全員の目がスクリーンに向いた。

 

 

東京――港区

 東京タワーから遠ざかっていく自衛隊のジープや装甲車から、ビルの合間を縫ってエデンの姿が見える。エデンは東京タワーの真上に位置し、脚をパラボラ状に広げている。次第に胴体の下部が光り輝き、いつしかその光は緑色に変わり、脚の先へと収束していく――

「うわぁ……!!!」

 ヘリのパイロットは光を見て目が眩みそうになった。ヘルメットのバイザー越しでなかったらおそらく直視できなかったであろう。ライトアップされ、赤く浮かび上がっていたタワーもいまや緑色に塗り潰されている。光に晒され、タワーのいたるところが振動を始めた。展望室のガラスに蜘蛛の巣のように細かなひびが入り、鉄骨と鉄骨を繋ぐ鋲が弾け飛ぶ。輝きが最高潮に達した時、光の奔流が地面に向けて放たれた。タワーはまるで光の洪水に押し潰されたかのように上層部からバラバラに砕け、無数の鉄骨片と化す。飛び散った鉄骨は地面、周囲のビルの屋上や壁面に槍のように突き刺さった。そして、重力波は波紋となって地面を走る。光に舐め上げられたものは全てが自然の重力バランスを失った。ビルは構造が自重に耐え切れず崩れ落ち、地面を走った地割れは必死に退避を開始した自衛隊の車両をも飲み込んだ。上空のヘリからは、光の波紋が街の灯かりを侵食し、暗闇に変えていくように見えた。そして、後から上がった火の手が暗闇を再び赤く染めて行ったのだ。

 港区に端を発した地震は東東京一帯に激震を起こした。東京タワーに程近いNEC本社ビルはその高層さゆえに、中程で折れて通りに大量の瓦礫を撒き散らした。同じく東芝本社ビルも地面の液状化で基礎部分が陥没し、揺れが収まる頃にはコンクリート塊の山となっていた。品川インターシティーは揺れと同時にガラス張りの壁面が砕け散り、無残な姿を晒した――

 

 

防衛庁――中央司令所

 スクリーンには港区のビルの屋上から情報カメラによるエデンの映像を映し出していた。エデンが緑色の光を放つと、直下の東京タワーは一撃で粉砕され、光の波紋に舐められた街並みが次々と破壊の渦に飲み込まれていく。緑色の光が目の前に迫った直後、揺れ通しであったカメラの映像はノイズとともに途切れた。

「通信回線途絶…港区、中央区、千代田区――」

 それぞれの地域のモニターが次々とブラックアウトしていく。ややあって、ここ防衛庁中央司令所も激しい揺れに襲われた。

バチン…!!!

 嫌な音と同時に、一斉にオペレーションルーム全体の電気が掻き消える。すぐに電力が復帰し、部屋が暗闇であった時間は数秒も無かったが、一部のコンピューターの画面はブラックアウトしたままだ。

「外部電源が遮断されました!現在、非常用電源で稼働中!」

「フリーズしたシステムのエラーチェックと再起動、急げ!!!」

 オペレーター達の怒号にも似た声があちらこちらで飛んでいる。

「…相沢、大丈夫か?」

「ええ、なんとか…」

 真田が声をかけると、突然の揺れで椅子から投げ出された相沢が頭を抑えながら立ち上がった。

「ここ中央司令所は直上で核爆発が起きても耐えられる設計です。ちょっとやそっとの地震ではびくともしないはずですが、これほど揺れるとは…。一般の建物ではひとたまりも無いでしょうね…」

「一体今回の攻撃でどれほど被害が広がったのだろうか…」

 真田は所在無げに呟いた。

「分かりません…。ただロサンゼルスや幕張の事を考えると東京23区内はほぼ壊滅、横浜や埼玉北部まで被害が出ていると考えるのが妥当でしょうね…。」

 そこまで言って相沢が真田の言葉の意味に気付いてハッとなった。

「す、すいません。そういうつもりでは…」

「いいんだ。俺達は自衛官だ。この危機的状況で個人的感情を持ちこむべきじゃない!」

 真田はかぶりを振った。しかし、相沢には分かっていた。その表情に美咲を心配している様子がはっきりと表れている事に――

 

 

横浜市内――美咲の住むマンション

 避難命令が発令された今、市内に戻ってこようとする者などいなかった。そのおかげで美咲のRVはマンションまで短時間で戻ってくる事が出来た。

「木下さんは車の中で待っていなさい。」

 美咲は車をマンションの正面玄関に停めると、そう言い残して車を降りた。エレベーターホールに進み、ボタンを押すがエレベーターはなかなか降りてこない。彼女はこの高層マンションからの景色を気に入ってはいたが、今ばかりはその高さを呪った。ようやく付いたエレベーターに飛び乗っても、いつもなら気にならない17階までの時間がやけに長く感じられる。そして、ようやく部屋の前に着いたが、気ばかり焦って鍵を開けることさえ手が震えて上手く行かなかった。美咲はドアを勢い良く開け放すと、靴も脱がず部屋に飛び込んだ。写真がある場所は分かっている、寝室のベッドの枕元――。

「これだわ…。」

 美咲は写真立てを手に取った。やや古びてはいるが、まだ色褪せていない。端正な顔立ちをやや強張らせている自衛隊の制服姿の真田と、対照的に穏やかな笑みを浮かべながら純白のドレスに身を包んだ美咲の写真。彼女は写真立てをショルダーバッグに押し込むと、窓の外を見た。普段なら見事としか言い様の無い横浜と東京湾岸の夜景が一望できるはずが、今日はどこか寂しげで殺伐としている。美咲が景色に背を向けて部屋を出ようとした時、強い揺れが襲ってきた。美咲は突然の揺れに足を取られ、壁に頭を打った。そして彼女が立っていた場所に洋服ダンスが倒れてきた。飛んで来るガラスの破片から顔を守りながら、彼女は悲鳴を上げる事も出来なかった。体を丸めてうずくまっていると揺れは収まりだした。今までに経験した事の無い強い揺れだった。ゆっくりと目を開けるとメチャクチャになった部屋の様子が飛び込んでくる。窓ガラスが割れ、棚からは本や小物など物と言う物が飛び出し床に散乱していた。この様子でよく大怪我をしなかったものだ、と美咲は呆然としながらも、

「(もうここには戻ってこないかも…)」

 そんな予感を感じながら部屋を後にした。

 しかし、美咲の不運は続いた。地震の影響か、ボタンを押してもエレベーターが動かない。

「もう…ここ何階だと思っているの…!?17階よ!!!」

 ガンッガンッ!

 美咲は怒りに任せてエレベーターの扉を叩いたが、エレベーターは動かない。

「しょうがない…、階段で行くしかないわね……!」

 美咲は意を決すると暗闇の向こうに続く非常階段へ身を翻した。

 

 

防衛庁――中央司令所

「現在、回線の稼動率は27%――」

「練馬の東部方面総監部、府中の防空司令部との通信回線をバックアップに切り替えます――」

 オペレーションルームは被害状況の情報収集と各方面との連絡に追われていた。そんな中、かろうじて生き残ったカメラから都心の模様がモニターに映し出されていた。崩れ落ちたビル、地面にはいたるところで陥没や断層が起こり、阪神大震災後一斉に補強が行われたはずの首都高速道路の架橋もその甲斐無く倒壊していた。

 真田はしばらくの間、その光景を見詰めていた。現在の状況では自分達情報本部に与えられる役割は無い。仕事に集中できれば心の中にある心配を払拭できるのかもしれないが、今はただ一つの思いが募ってしまうだけだった。真田は意を決して、なにやらキーボードを打っている相沢へ向き直った。

「相沢…、横浜方面への回線は繋がっているか?」

「横浜ですか…ええ、横須賀の海自司令部が生きているのでなんとか…」

 相沢はモニターに新たなウィンドウを開きながら答えた。

「横浜方面の避難所に名簿の照会が出来ないか?横浜国際競技場か、三ッ沢陸上競技場だ…」

 それを聞いて相沢はニッと笑った。

「了解、今すぐ照会します!サ・ナ・ダ・ミ・サ・キ…と…」

 相沢が素早く打ち込むと、『NOW LOADING』と表示された。そして、それが消えると各避難所で避難が確認されている名前が検索されて出てくるのだが――

「――美咲…何をやっているんだ!!?」

 真田は唇を噛んだ。横浜方面の避難所には美咲の名前が確認されていなかった。つまり、美咲はまだ安全の保障されていない場所にいるかもしれなかったのだ。

「(頼む、無事でいてくれ…!)」

 真田は心の底からそう祈った――

 

 

横浜市内――

 美咲は息を切らしながら階段を駆け降りた。大事なものは手の中にある。あとは梢と一緒に避難場所に行けば真田と連絡を取る事が出来る、そのことが彼女の気力体力を支えていた。

「(私は大丈夫だから、誠さんも無事でいてね…。私達はもう、離れている理由はないんだから…!!!)」

 階段を降り終え、最後の力を振り絞って玄関ホールを駆け抜けると倒れ込むようにRVの運転席に飛び乗った。

「先生、大丈夫でしたか!?」

 よほど一人で揺れを体験した事が恐ろしかったのか。梢が今にも泣きそうな顔を美咲に向けてきた。

「私は…大丈夫…。部屋が17階だから…地上よりは…揺れたかもしれないけど…。木下さんこそ…怪我ない?」

 美咲が息を整えながら聞くと、梢は黙って頷いた。

「そう、じゃ…行くわよ!!!」

キュルキュルキュル…

 美咲はキーを差し込むとイグニッションを回す。だが、エンジンがかからない。何度も繰り返すが結果は同じだった。

「もう…!こんな時に!!!」

 美咲がボンネットを開けるためドアを開けて外に出ようとすると、再び揺れがやって来た。先程のような猛烈な衝撃こそ無いが大きく揺り返すような地震だった。その時、美咲は何か崩れるような嫌な音を聞いたような気がした。生物的本能と言うべきもので危険を察知し、不意に顔を上に向けるとそれが目に入ってきた。マンションの外壁が壁面から剥がれ落ちて、大きな塊となって美咲目掛けて降ってくる――

「木下さん!!!伏せて!!!」

 美咲はとっさに叫んでいた。梢は意味も分からず助手席とダッシュボードの間に身を収めるようにして伏せた。美咲が横に飛んだ次の瞬間、瓦礫がRVのボンネットを直撃した。車体が前方に沈むと同時に後輪が跳ね上がる。

「きゃぁっ!!!」

 梢が思わず悲鳴を上げた。フロントウィンドウは衝撃で粉々に砕け散り、彼女の背中の上に降り注いだ。

 地面に伏せていた美咲は恐る恐る起き上がると、車を見て絶望した。ふた抱えほどある瓦礫がボンネットににめり込んでおり、エンジンルームから白い煙が上がっている。もはや車に移動手段としての機能は期待できなかった。

「木下さん、大丈夫!?」

 助手席のドアを開けて覗き込むと、顔色を真っ青にして頷く梢の姿があった。美咲は肩を貸して彼女を引っ張り出した。梢の膝は恐怖でガクガク震えており、まともに立てないが怪我は無いようだった。

「早く逃げるわよ!あなたみたいないい子をこんなところで死なせるわけには行かない!まだまだ発掘に連れて行きたいところはあるし、いい男性(ひと)も見付けていないでしょう!?」

「せんせぇ…」

 美咲は彼女を安心させようと出来るだけ気丈な態度を取ろうとした。梢はいまだ経験したこと無い恐怖で感情の限界を超えてしまったのか、堰を切ったように涙を流している。美咲もまた梢の存在を心の支えにして、不安と恐れを心の中から振り払おうとしていた。

「生き残って見せるんだから!!!」

 美咲は写真の入ったバッグを抱えると力を振り絞って歩き出した――

 

 

東京――防衛庁

 真田は爪を噛みながら指で机を叩いていた。それは彼が昔からイライラした時に見せる仕種で、以前に美咲に注意されてから止めようと気を付けてきたが、ここに来て注意が回らなくなってしまっていた。

「真田さん――」

 呼ばれて顔を上げるとそこにはバックパックを担ぎ、ヘルメットを抱えた相沢の姿があった。

「何だ、その格好は?」

「――ヘリを確保しておきました。姐さんに会いに行きましょう。」

 真田が聞き返すと、相沢は彼を真っ直ぐ見据えて答えた。

「真田さんは僕に言ったでしょう?『今何が出来るか考えるのが俺達の仕事だ』と。今我々に出来ることって何ですか?ゴジラを、エデンを倒すことですか?そうじゃないでしょう!今姐さんのところに行かなければ一生後悔することになりますよ!!!それでもいいんですか!?」

 真田にしか聞こえないように声を抑えていたが、それは普段の相沢から想像できないほど厳しい表情であった。

「後で『被害状況の調査』とでも報告書を作れば嘘にはなりませんよ。」

 そして、ふといつもの悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう言うと、相沢は真田にヘルメットを差し出した。

「――ありがとう…相沢!!!」

 真田はヘルメットを力強く受け取った。そして二人は急いでコマンドルームの喧燥を後にしたのだった――

 


16 浦賀水道燃ゆ

18 神を殺す戦い

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