NEO G Episode 2nd〜EDEN〜
――16『浦賀水道燃ゆ』
東京――防衛庁
一旦氷川より『ゴジラ沈黙』の報を受けていただけに、ゴジラ復活は防衛庁に更なる衝撃を与えた。
「現在、ゴジラは鹿島灘に陣取る第一護衛艦群のソナーによってこの位置に捉えられています。」
「では、第一護衛艦群が再度ゴジラに攻撃を?」
スクリーンの光点を指し示す藤波海自幕僚長に保科防衛事務次官が聞いた。
「いや…第一護衛艦群は先の交戦でハープーンや魚雷など主力の弾薬をほぼ撃ち尽くしてしまっていて、現在海上補給を行っている状況です。このままゴジラに攻撃しても、万が一防衛線を破られた場合東海村の防御が手薄になります。」
「では、次の作戦は…」
「はい。ゴジラの西進に備えて現在、相模湾から伊豆大島にかけてのラインに呉から出動した第44、64護衛隊の護衛艦4隻が展開中です。この部隊をゴジラの進路上に移動させ、攻撃を行います。」
藤波は予想される進路として房総沖から浦賀水道にかけての範囲を示した。
「ゴジラがこのまま西に向かうんでしょうかねぇ…?」
「我々はゴジラの首都圏上陸と言う最悪の事態を想定しており、それを回避するためには万全の布陣を引く必要があります――」
「(この人の役目は典型的なシビリアンコントロールだな…)」
藤波と保科のやり取りを聞きながら真田はそんな事を思っていた。防衛行動の実践部隊である自衛隊を暴走させない為に行政サイドが統制するというシビリアンコントロールの理屈は分かるが、それは時として現場の状況を理解し切れていない素人の意見であることも多い。ただでさえ今はゴジラとエデンという、自衛隊内でもその全てが把握しきれないものを相手にしているのだ。文官と制服組の意見が紛糾してもしょうがなかった。
「(ここままゴジラは東京に…いや、エデンの元に向かう筈だ。ゴジラは狂暴かつ獰猛な存在だが、データから行動を分析すると、我々の想像以上の知能を持っていることも分かる。そんな奴が自分を半殺しの目にあわせた敵のことを覚えていたらどうする?……これは復讐なんだ!)」
会議室で行われている議論を尻目に真田はひとり考えていた。
東海村――
ゴジラ復活を目の当たりにして間もなく、氷川と住友は東海村にある原子力開発関連企業の研究所にいた。そこでは突然のゴジラ復活の原因を探るべく住友とその部下達、技研のチームが分析に当たっていた。核分裂物質を扱う実験室はロボットアームにより無人化され、人間は鉛のタイルと特殊コンクリートで隔てられたコントロールルームから小さな覗き窓とモニターの映像を使って機械を操作するのだ。
「この装置は分子構造の相違を図式化する装置で、現在2種類の放射性物質を分析にかけています。一つはゴジラが飛行物体と交戦した際飛び散った表皮から抽出したもの、もう一つは我々が倒れたゴジラを調査中に防護服の表面に付着したものです。
住友は感情を抑えた「科学者口調」と言うべきもので説明を続けている。しばらくしてモニターに2種類の画像が映し出された。
「これが何を意味するか分かりますか?」
「いや…形状に若干の違いがあることは分かりますが…」
氷川は住友に促され、モニターを覗き込むがそれが意味するものまでは分からない。情報本部において事実上現場のトップである彼はあらゆる分野の知識に精通しているが、専門的な知識では住友にはやはり敵わない。
「それだけ分かれば十分ですよ。そう、二つの核物質は非常に似通っているに関わらず相違点が見られる。相違のレベルは僅か中性子と陽子それぞれ数個分でしかない…」
それを聞いて氷川にも論点が分かった
「――放射性同位体のようなものですね…」
放射性同位体とは、同じ元素に属しながらも中性子の数が異なる原子核持つ原子のことであり、中性子と陽子の数が適当ではない場合、原子核は崩壊を起こし放射線を放出する事で知られている。つまり、目の前にある二つのサンプルは全く同じではないけれども、極めて性質が似通っていることを現していた。
「そうです!サンプルAにはウラン235が多く含まれています。これは一般に核燃料として使われている物質であり、先にゴジラが襲ったロシア原潜の燃料もこのウラン235を使った濃縮ウランです。つまりこの時点でゴジラはまだ体内でウラン235を代謝していた…!」
先程までの冷静な口調が影を潜め、次第に住友の言葉が興奮の為か熱を帯びてくる。
「ゴジラは飛行物体との戦いで体内の核エネルギーを吸い取られ、体の中に残っていたのは燃焼を終えた高レベル核廃棄物だけだったと思われます。しかし、ゴジラは復活した。復活の鍵を握るのはこれ…サンプルBです…」
住友がコンソールを操作すると、モニターの画面が入れ替わる。
「……プルトニウム239…!!!」
氷川は目を見張った。
「その通り…復活したゴジラが代謝していたのは間違いなくプルトニウム239です。プルトニウムは自然界には存在しない物質で、ウラン235の同位体であるウラン238に中性子を吸収させることで人工的に精製されるのです。つまり、ゴジラが原潜や原発から吸収したウラン235以外にもウラン238を体内に貯えていたとしたら…」
氷川の頭の中で、一つのイメージが出来上がりつつあった。ウラン235からウラン238、そしてプルトニウム239――。彼はこのキーワードから導き出されるとある装置のことを良く知っていた。
「ヤツは体内に高速増殖炉を持っているとでも言うのか…!?」
氷川が言うと住友は我が意を得たりと頷いた。
「今まで我々はゴジラの体内が核分裂物質を代謝するだけの原子炉のようなものとばかり考えていました。しかし、生命の危機に瀕したゴジラは眠っていたはずの能力を目覚めさせた!ヤツは今自分の体内で自らプルトニウム239を生み出しているのです。核物質の中で最も半減期が長く、生物に対する毒性が強い、史上最悪の核分裂物質プルトニウム239を…」
住友はそこまで言って絶句した。プルトニウム239の半減期はおよそ2万4000年。汚染されれば最低でも100年間は生物の住めない死の世界と化す。そんなものを撒き散らしながらゴジラが今首都東京に向かおうとしている――。
「(一体、この国はどうなってしまうのか!?)」
氷川はなす術の無い自分の無力さを呪った。
浦賀水道――
「航跡接近!深度10の位置を毎時40ノットの速度で艦隊正面に接近中!距離30000!」
オペレーターの報告が、呉を母港とする第64護衛隊所属ミサイル護衛艦「みょうこう」のCIC(中央戦闘指揮所)に緊張をもたらした。第一護衛艦群第61護衛隊所属の「きりしま」と同じく「みょうこう」は最新鋭のイージス艦であり、艦長以下、士官が艦全体の装備を統制し攻撃命令を下すここCICは旧来のブリッジをイメージさせるガラス張りのものではない。壁一面に電子装置とモニターが張り巡らされている。古い気質のクルーには外の見えない密閉された薄暗い空間に不安感を覚える者もいるが、艦橋上層部に設置された12目標同時追尾可能なフェーズド・アレイ・レーダーと、艦首下部のパッシヴソナーにより艦の周囲半径50km圏内はどんな動きも見逃さない電子の結界を持っていると言って良い。だが、そんな結界を先程から犯している存在が捉えられていた。
ゴジラ、第一護衛艦群からの情報によれば東海村で謎の物体――ロサンゼルス消滅から一連の報道では「ロスの飛行物体」などと呼ばれている――と交戦、敗北したが突如復活。再び太平洋に姿を消したと聞いていた。第一護衛艦群は再びゴジラが現れた時の為に東海村沖をそのまま警戒。相模湾から東京湾の入り口である浦賀水道にかけては、後方にいた呉を母港とする第44護衛隊と彼等の所属する第64護衛隊が守りを務める事になっていた。そして、今や彼等はゴジラと対峙しようとしていたのだ。
「(目標は水深10mを潜水しながら接近中、ならばハープーンは撃てない。それならば…!)」
心の中で一人語ち、「みょうこう」艦長児島二佐はマイクを取った。
「各艦に打電!対潜迎撃戦用意!VLSセルアスロックに目標データ入力!」
『みょうこう』では前部甲板に埋め込まれたVLSハッチが開き、それに続くミサイル護衛艦は8連装ランチャーが油圧制御台座によってゴジラの進路上の艦舷を向く。
「アスロック発射準備完了!」
「了解。1番から4番セルを発射!」
「1番から4番セル、発射します!」
砲雷士がパネルのボタンを次々と押していく。『みょうこう』の前部甲板が火を噴き、垂直に打ち上げられた対潜ミサイルは空中で姿勢を斜めに変えるとゴジラに向かって飛んでいく。同時に他の護衛艦でもランチャーから放たれたアスロックが放物線を描いて水平線に消える。アスロックはあらかじめ入力された位置でブースターを切り離し、弾頭である魚雷を水中に没させる。着水した無数の魚雷は各自アクティブソナーを発しながら水中でもっとも大きな目標に向かっていくようにプログラムされていた。『みょうこう』のCICでは護衛艦隊から放たれた10数本のアスロック魚雷がゴジラに群がっていく様子がソナーに映し出されている。
「魚雷、アクティブホーミングを開始します。命中まで…30秒!」
声を発するものは居なかった。コンピューターの作動音だけが聞こえる静寂の中で、オペレーターのカウントだけが淡々と刻まれる。
「5、4、3、2、1…命中します!!!」
水中を進んでいた魚雷の一本がゴジラの肩口に突き刺さり炸裂すると、それに促される様にして10数本の魚雷が次々と爆発した。海水を押し退けて膨張した衝撃波は海中のあらゆる物を引き裂き、押し潰す。ほぼ同時に爆発した魚雷は水中で相互に干渉しあって破壊力を増幅させ、浦賀水道の浅い海底を穿つ。そして海中で吸収しきれなかった威力は海面に噴出し、巨大な水柱を出現させた。
『みょうこう』CICのモニターに映っていた魚雷を表す光点は爆発とともに一斉に消えた。同時に爆発で生じたノイズによってソナーもゴジラの姿をロストする。
「各艦機関始動!ゴジラを捜索しつつ回避航行!」
「はっ!」
「今の攻撃で仕留めていなければ、ソナーがクリアになるまでの間で艦隊に近づいて来るぞ!!!反応を見付し次第魚雷を撃ち込め!」
児島二佐は今の攻撃でゴジラを倒せたとは思っていなかった。第一護衛艦群からの報告では鹿島灘での海戦で、護衛艦と空自の戦闘機部隊は搭載火器を撃ち尽くしたにも関わらずゴジラの進攻を止める事が出来なかった。艦数、そして今回は空自の支援が遅れている事を考えれば火力の面で劣っている事は誰の目にも明らかだった。しかし児島の立場で場を投げ出すような真似は出来ない。毅然とした態度で命令し、ゴジラと戦うという死と隣り合わせにも等しい作戦を遂行できるようにクルー達を鼓舞する。それが艦長である彼の勤めだった。
『ソナーに感!左舷方向距離8000!!』
唐突とも言えるタイミングでソナー員の叫びにも近い声がスピーカーから発令所に響き渡った。それを聞いて改めて口元を引き締める児島。
「左舷Mk45単魚雷に航跡のデータ入力!発射したら全速転舵!反対の艦舷からも魚雷を撃て!入力完了次第発射!!!」
児島は必死の形相で叫んだ――
『みょうこう』を始め、各護衛艦の左右の艦舷には魚雷管を俵型に束ねた3連装発射管が対に取り付けられている。その発射管から圧縮空気によって押し出された魚雷は一瞬宙を舞った後、音を立てて着水。データ入力された目標――ゴジラに向かってアクティブソナーの探信音を放ちながらみるみる加速していく。
「取舵一杯そのまま!全速転舵!!!」
魚雷を放ち終わった護衛艦は艦体を大きくピッチングさせながら大きく海面に弧を描く。その間にも魚雷はアクティブホーミングによってゴジラの反応に突っ込んでいく。
「魚雷命中します!距離3500!」
オペレーターがそう叫んだ次の瞬間、最初の爆発が水中で起こった。そして、立ち上がった水柱が収まらないうちに次の爆発。各護衛艦が魚雷を放ったタイムラグに応じて次々と爆発が起こるが、艦隊との距離は確実に縮まっていた。それが表している事はただ一つ。ゴジラは魚雷の攻撃をものともせず水中を突き進んでいるのだ。
「第2次攻撃用意!」
「駄目です!!!」
児島は部下に発した命令が迅速に行われるものと思っていたが、返ってきたのは意外な拒絶だった。
「ゴジラと後方の『たちかぜ』との距離が3000を切りました!このままでは発射安全圏を突破されてしまいます!!!」
「くっ…」
児島は唇を噛んだ。ゴジラが海上に姿を現していればまだ攻撃するオプションはあった。しかし水中のゴジラは全速力の戦闘型原子力潜水艦を上回る速度で突き進んでいる。もはや奴の眼中に護衛艦の姿など無いに等しいのかもしれない。奴がみているのはただ一つ。浦賀水道のさらに奥、我が物顔で陸地を蹂躪している飛行物体だ。進路に護衛艦などがあればひとたまりも無い――。児島は汗ばむ手でマイクを取った。
「『たちがぜ』に打電――」
「機関全速!速やかにゴジラとの距離をとれ!!!」
「了解!」
護衛艦『たちかぜ』のブリッジはゴジラの接近を知らされ騒然となった。クルーの顔は恐怖で引き攣っている。そんなクルーの気持ちが伝わっているのか、『たちかぜ』のガスタービンエンジンは力強い唸りを上げ、2軸推進スクリューを回転させて艦の速度を上げる。
「航跡接近!距離2500!!」
しかし、ゴジラの速さは『みょうこう』と比べて一世代古い護衛艦である『たちかぜ』のそれを上回っていた。ゴジラは魚雷の爆発の起こした水飛沫を抜けると、海面に巨大な鋭い背鰭を見せながら真っ直ぐ『たちかぜ』へと向かって来る。
「舵を切れ!取舵一杯!艦尾、艦首の主砲を目標にロックせよ!」
ゴジラの進路を回り込むように『たちかぜ』は左に大きく回っていく。だが必死の『たちかぜ』の操艦を嘲笑うように、ゴジラはまるでホーミング魚雷のように正確に『たちかぜ』の左舷に迫る。護衛艦の127ミリ主砲が海上に背鰭だけ見せたゴジラを捉え、次々と火を噴く。ゴジラの周囲の海面が続けざまに砕け、ゴジラの背鰭にもかなりの数の弾頭が命中する。そして、距離が2000を切ったところでCIWS(近接防御システム)によって、コンピューター制御された20ミリガトリング砲がゴジラに向かって毎分3000発の速度で弾丸を撃ち込まれるが、それらもゴジラに自艦の位置を教えてしまう結果となった。
「目標との距離500!!!」
「このままでは衝突します!艦長!!!」
副長も絶望的な表情で『たちかぜ』艦長長田一佐を見た。長田は顔を真っ赤に紅潮させ、拳を白くなるくらい強く握っている。もはや艦を捨てて逃げる時間はない。このまま艦とクルーを守る為にはどうすればいいのか――彼は興奮し切った脳細胞を理性でなだめながら考えを巡らせた。しかし、手は無い。
「進路、速度はそのまま!総員衝突時のショックに注意!手の空いているものは近くの何かに掴まって体を固定しろ!!!」
長田はマイクに向かって叫ぶように告げるとそのままマイクを台に叩き付け、ブリッジの左舷を臨める窓に向き直った。そこで彼の目には海面を切り裂いて進むゴジラの巨大な背鰭が迫るのが見えた。
「衝突します!!!」
「ゴジラっ!!!」
オペレーターと長田が叫んだのはほぼ同時だった。次の瞬間、艦全体に激しい衝撃が走り、『たちかぜ』の左舷は座礁したかのように浮き上がる。40ノットを超える猛スピードで衝突した事でゴジラの鋭い背鰭は艦体に深く食い込んだ。衝撃の威力は想像以上のもので、手摺や取っ手に掴まっていた者でさえ床に壁にそしてパネルにその体を強かに打ち付ける――
「……長?大丈夫ですか、艦長!?」
その声を聞いて長田は目を覚ました。視界に飛び込んできたのは額から血を流した副長が自分を覗き込んでいる顔だった。
「――私は…?」
そう言って彼は頭を振り、靄がかかったようにはっきりしない意識を取り戻そうとした。ブリッジからゴジラの迫る方向を覗いた瞬間、体が宙に放り出されるまでの記憶しか頭に無い。どうやらその時後頭部を強く打って気を失っていたらしい。
「そうだ!状況は!?被害状況を報告せよ!!」
長田は痛む頭を抑えて立ち上がった。制服の上に積もった、割れたガラスの破片がぱらぱらと床に落ちる。
「左舷第2、第3、第4甲板が破損。激しく浸水しています。衝撃でポンプが故障したのか、排水も行われない状況で、ハッチを閉める事で何とか耐えていますが沈没は時間の問題でしょう。隊員は死者こそ出ていませんが重軽傷者は合わせて56人。まだ増えています――」
副長が言いかけた時、再び艦が激しく揺れた。ゴジラが背鰭を『たちかぜ』に突き刺したまま体を動かそうとしているのだ。それによって艦体は大きく裂け、一層激しく海水が雪崩れ込んでくる。
「居住区浸水!!!」
「ここままでは艦が持ちません…!艦長、退艦命令を…!」
長田は海図台を支えにして何とか起立を保っていた。台を握る手は微かに震えている。彼はこの護衛艦が好きだった。能力の面では最新型のイージス艦には劣るが、彼にはこの艦の能力を最大限に引き出す自身があった。そして艦の性能からクルーの一人一人の性格に至るまで把握している今となっては彼にとって『たちかぜ』は家であり家族であった。そんな艦を捨てる事、それは彼にとって――相手が常識の通用しない怪獣、ゴジラであっても――苦渋の決断だった。
「破損の少ない右舷、艦尾からゴムボートを下ろせ…。全員速やかに艦から退避せよ…!」
「聞こえたか!?総員退艦だ!!!クルーは右舷、艦尾の甲板に集まれ!公海長、船務長はそれぞれ隊員の点呼に当たるんだ!」
「了解!」
そう言って二人の士官がブリッジを後にする。
「済まない。私の所為で『たちかぜ』を失う事になってしまって…」
長田は声を詰まらせて言った。それを見て副長はかぶりを振る。
「貴方は悪くありません。全てはあの怪物の為に……。我々も急ぎましょう…。」
副長は長田に救命胴衣を渡すと扉の方に向き直った。長田も慣れ親しんだブリッジを名残惜しそうに振り返ると彼の後を追った――
「児島一佐、『たちかぜ』に退艦命令が出ました…!乗員はゴムボートを使って脱出するです。我々はいかがしますか?」
「…当然だ。我々『みょうこう』以下、護衛艦は『たちかぜ』の救助に向かう!転針せよ!」
「しかし…『たちかぜ』の真下にはゴジラが…!近づけば我々も危険に晒される事になります!」
「馬鹿な!!!」
CIC中に響く声で児島は一喝した。
「仲間を見捨てて生き恥を晒すつもりか!?沈みゆく船を救う事は船乗りの礼儀…。退艦命令を出した、『たちかぜ』艦長長田一佐の心情を察せよ…」
長田は児島にとって先輩であり、陸上勤務につかず艦長一筋に叩き上げてきた男だった。それだけに艦に対する愛着、誇りは人一倍強い男だ。そんな彼が退艦命令を出した心の内を考えると児島の胸も痛んだ。
「はっ…申し訳ありませんでした…。転進し、『たちかぜ』の救助に向かいます!」
副長は一礼すると持ち場に戻った、が――
『たちかぜ』の甲板は人で溢れていた。折り畳まれたゴムシートが次々と海面に投げ込まれると圧縮空気で膨張して原動機付きの救命ボートに姿を変える。それを待って海へ飛び込んでいく隊員達。
「ボートに乗った者から海上で点呼!各班長は人数を報告せよ!」
右舷甲板では航海長の防水無線機による指示が飛んでいた。その時、艦が再び大きく揺れた。ゴジラに突き上げられ、一瞬その艦底が海上に浮き上がり、甲板上のクルー達の多くはそのまま海に投げ出される。必死の思いで水上に顔を出した者、波に弄ばれるボートにしがみつこうとする者、全てが『たちかぜ』の艦体が上げる悲鳴を耳にした。度重なる衝撃で『たちかぜ』の構造を支える船骨が限界に達し断末魔を上げようとしているのだ。皆が『たちかぜ』の最期が近い事を知った。
「艦長!副長!早く飛び込んでください!!!」
最後に甲板に現れた二人の影を見て航海長は叫んだ。自分達が助かっても、あの二人が助からなかったら総員退艦に意味はない。そんな思いを込めていた。だが運命の神は彼等の思いを裏切った。ゴジラは想像以上に頑丈な護衛艦に業を煮やしたのか、艦体深くめり込ませた背鰭から強烈な体内放射を行った。赤熱する背鰭、周囲の海水は瞬時に沸騰し、『たちかぜ』内部も高熱が侵していく。溶解した装甲が海水に触れた水蒸気爆発が崩壊の引き金となった。爆発は『たちかぜ』の左舷を大きく抉り、同時に艦内への熱の通り道を作る。あとは漏れ出したオイルに高熱が引火し、火種はあっという間に艦の中心へと走る。燃料に火が点けば機関部はあっという間に火の海と化した。艦内に膨張する熱と高圧ガスは脆くなった艦体を易々と引き裂き、『たちかぜ』の船骨をへし折った。支えを失った『たちかぜ』は真っ二つに折れながら海中に没していく。沈み行く『たちかぜ』の起こす渦はゴムボートや海上に漂う乗員を海底に引きずり込み、あふれ出たオイルが周囲を火の海と化し、隊員達を呑み込む。ほんの数秒で『たちかぜ』乗員のほとんどの命が失われた――
『みょうこう』でも『たちかぜ』が火の玉と化す壮絶な瞬間は見て取れた。乗員達の断末魔の悲鳴が自分の耳に届いたかのように錯覚させる悲惨な光景に『みょうこう』のクルー達は胸を潰された。
「救助…急げっ…!」
児島はわなわなと拳を震わせて言葉を絞り出した。誰も一言も発しない、CICの中では彼の呟きにも似た小さな声も全体に響き渡った。
「ゴジラ、艦隊から離れます…」
ようやくソナー員が口を開いた。ゴジラは背鰭を海面に覗かせたまま、赤く染まった火の海を掻き分けながらゆっくりと浦賀水道を北上していった――
東京――防衛庁
「――護衛艦『たちかぜ』撃沈…。護衛艦『みょうこう』からの報告によれば、爆発は機関室から起こったもので、爆発の規模から乗組員の無事は絶望的であると…」
「護衛艦隊は対ゴジラ作戦を断念。負傷者の救助に全力で当たっています…」
中央司令所にもたらされた報告は最悪のものだった。首都への最後の砦が破られた――そこにいた誰もが落胆の色を隠すことができなかった。
「……自衛隊に次の手は…」
苦虫を噛み潰したような顔で総理がようやく口を開いた。だが統幕議長、陸海空の幕僚長も沈黙を守った。もはや彼等から言える言葉はなかったのだ。
「――残念ながら手はありません!」
沈黙を破ったのは真田だった。モニターの向こうとは言え、目の前で次々と仲間の自衛官の命が失われていくのをもはや堪え切れなくなったのだ。思わぬ大声が出てしまったので、その場の全員がギョッと驚いた表情で真田を見ていた。真田はそのまま言葉を続けようと立ち上がったが、統幕議長が手を挙げてそれを制した。その表情は「言うべきは私の仕事だ」と物語っていた。
「真田二佐の言う通りです。我々はゴジラに対しあらゆる作戦を立案しましたが、現状でゴジラを止める術はありません。技研――防衛技術研究本部に保管されている予備のTX−2000を出動させることも考えられましたが、ゴジラの上陸地点が定まらないこと、また都内が例の飛行物体の接近により混乱していることで作戦実行は困難と見ました。もはや我々に打てる手はありません…!住民の避難に全力を注ぎ、被害を最小限度に食い止めることが最善であると思います…」
苦渋に満ちた表情。目は真っ赤に充血している。誰も自衛隊の失態を責めるものはいなかった。
真田が司令所の席に戻ると、相沢に迎えられた。
「会議、ご苦労様です。結論は…どうなりました?」
「ああ…お手上げだ。統幕議長が作戦の継続を断念したよ…」
「そうですか…。小松の第6航空団からイーグルが入間に移動してきていますが、どうやら無駄足になりそうですね…」
相沢も俯いて唇を噛んだ。
「これからは住民の安全確保と、ゴジラそして物体の監視が主な任務になる。自衛隊にもこれ以上犠牲者を出してはならない。」
そう言って真田も強張った表情を引き締めたが、それを見て相沢が吹き出した。
「何を笑っているんだ?」
「すいません。不謹慎だと思ったのですが…真田さんの物言いがあまりにも氷川一佐に似ていたもので。真田さんは個人的にもっと気になることがあるんじゃないですか?」
それを聞いて真田は言葉が無かった。氷川が作戦担当者の一人として東海村に向かって以来、真田がその代理として情報本部の意見を代表しなければならない状況が続いている。何時の間にか口調や考え方まで上司のものをなぞってしまっていたのであろう。そして、心の中に仕舞い込んでいた気持ちに気付いた。
「(――美咲、無事に避難できているだろうか…?)」
その一点が真田の心に曇りを残していた――
続
15 真の覚醒
17 美咲、危うし