――8『悪しきを除くもの』
防衛庁――防衛情報本部
「私は今後の作戦に不参加ですか?」
閣議から戻ってきた氷川に呼び出されていた真田は、突然告げられた氷川の言葉に驚きを隠せなかった。
「真田二佐、君達調査班の任務はあくまでゴジラの探知であり、事前に兆候を発見することだ。既にゴジラに対する捜索が始まっており、調査部の情報網を使うことに大きなメリットは無い。」
そう言って氷川は椅子から立ち上がる。
「ゴジラが再び現れればここからは自衛隊本隊の仕事になる。理解してくれたまえ。」
「しかし!調査班として動けなくても、他に住民の安全確保などやるべき事はいくらでもあります!そちらの人員に回していただければ――」
「まぁ待て。二佐の任務は別に用意した。」
身を乗り出させた真田を氷川が制する。
「だが正式な任務では無い。あくまで私からの個人的な司令と思ってくれ。」
そう前置きすると、氷川は一冊のファイルをテーブルの上に置いた。
「これは…!?」
真田はファイルを開き、ページをめくった。そこに書かれていたのは、ロサンゼルス上空に現れた飛行物体がゴジラに蹂躙された後のマウイ島に現れたこと、そしてその後に残留放射能が消失したという事実だった。
「これと私の仕事にどのような関係があるのですか?」
ファイルから顔を上げ、目の前のソファーに座った氷川を見つめた。
「君の本職は情報の分析、そして調査だ。二佐にはこの事実に関して徹底的に調べて欲しい。ゴジラ、放射能、そして謎の飛行物体に何らかの因果関係があるのかどうか。」
真田はそれを聞いてハッとなった。ギルディアでも核実験の直後、放射能が消失していた。これにも例の飛行物体が関係していたのかどうか――。
「分かりました!やらせてください。」
興味を掻き立てられた真田は力強く答える。
「相沢も同じ任務に就くということでよろしいでしょうか?彼はシミュレーションの構築において情報本部一の人間です。」
「もちろんだ。防衛機密を漏らさない範囲であれば外部の協力を仰いでも構わない。」
氷川は頷いた。
横浜市内――美咲の勤める大学
夕日が差し込む美咲の研究室で、安らかな寝息が響いている。梢が机に突っ伏し、自分の腕を枕にして眼鏡がずれているのも気にせず寝入ってしまっているのだ。美咲はそんな彼女に自分の上着を掛けた。
「彼女、大丈夫ですか?」
場に居合わせている三宅が心配そうな眼差しを向ける。
「ただ疲れているだけですよ。もともと体力のある子じゃあないし、このところ自分の部屋にも戻らず私の手助けをしてくれていたから……」
「それじゃ、三宅先生始めてください。」
席に戻った美咲の顔が真剣になものになる。
「分かりました。金属板に記してある文字の解読を試みたところ、ある固有名詞が多く使われていることが分かりました。その名詞が――」
「“エデン”ですね。始めにはこうあります、“我等エデンを作る、エデンは悪しきを除くものなり”」
美咲の言葉に頷く三宅。
「そう。この場合の悪は善悪の悪ではなく、有害であったり危険であったりする悪を現しているようです。“それは我等とこの大地を救う”と文章が続くことから、“エデン”とはこの金属板を作った者達や彼等の住んでいた土地、もっと言えば地球……に害を生す物を取り除く為に作られた、と考えられます。彼等は何らかの危機に一時的に見まわれ、その危機を回避する為に“エデン”という物を作ったのでしょう。」
「“エデン”、一体なんのことなのかしら?災厄から逃れる為のコロニー?それとも、もっと別な何か……」
美咲は金属板の写しと、殴り書きの訳文を交互に眺めた。
「私にも分かりません。まだ解読を始めて日が短いですからね。それよりもこの短期間にACEを使った解読が出来るようになった真田先生には感心しましたよ。」
三宅が頷きながら言う。
「のめり込み始めると止まらなくなる性格なんですよ。おかげで家庭生活がね……」
美咲は自嘲気味に笑った。
「自衛隊に勤めておられるご主人がいましたね。確か結婚式で一度お目に掛かったと思いますが。」
三宅は数年前、美咲の結婚式で彼女の隣に居た正義感の強そうな好青年の姿を思い出した。
「主人とは別居しているんです。嫌いになったわけじゃないんですけど、今はお互いの仕事が大変な時期なもので……」
美咲はそう言って溜め息をついた。
「すいません、失礼なことを聞いてしまいました。」
「いえ、いいんですよ。作業の方を続けましょうか!」
ばつの悪そうにする三宅に美咲は微笑みかけた――
その時、梢は夢を見ていた。まるで自分がその場にいるような臨場感。しかし、目に見えるもの耳に聞こえるもの以外の感覚は希薄である。
(これは…夢!?)
思わず疑問を投げかけて見る。しかし答えはどこからも帰ってこない。そんなうちに自分のいる場所――と言うより自分が見ている場所が分かってきた。なにやら建物の中の一室であり、円卓を数人の男達が囲んでいる。その表情は一様に曇り、考え込んでいるようだった。
「もう我々には残された道は無いのか……」
一人が力無く呟いた。
「あの空を見ろ!!!」
一人が窓の外を指差した。梢も釣られる様に視線を向ける。分厚いガラスで密閉された窓の外には錆びた鉄のような色の空が広がっている。太陽はまだ高いのだが、毒々しい霞みに遮られてぼんやりと照らしているだけである。
「空も!大地も!海も“毒”に汚染されてしまっている!!!そして、“毒”を垂れ流し続けたのは紛れも無く我々なのだ!!!これは我々の運命なんだ!文明に溺れ、星の自然を顧みなかった……」
男はそこまで捲くし立てると力無く肩を落とした。
「この数年、“毒”によって多くの人が死んだ。もはや“毒”は我々の手に負えないほど広がっている。その場その場で対処して行く以外に方法は無い……」
絶望的な空気が場を支配し始めた時、一人の男が立ち上がった。男達の中では比較的若い青年だ。
「私はそう思いません!!!」
誰もが顔を上げて彼を見た。注目を集めながら、彼は真一文字に結んだ口を開く。
「ここで我々が諦めてしまってはこの国の歴史はどうなりますか!?今まで築き上げてきた文明は?この大地に生きる人々の未来は!?今こそ我々の英知を発揮する時なのではないでしょうか!?」
青年は周りの男達を見回した。彼等の表情は先程までの沈んだものと違って、苦悩の中にも何か光を見出そうとするような、思案顔になっていた。
「しかし、君はどうしようと言うのだ?軽々しく希望を口に出来るような状況では無いことは君にも分かっているはずだ。何か考えがあっての発言かね?」
沈黙を破ったのは集まった男達の中でも年配の紳士だった。紳士は身を乗り出させて青年を見つめた。青年はそれを待っていたかのように微かな笑みを浮かべた――
映像はそこで一旦乱れ、梢は自分の体が宙に浮きながらどこかへ流されてしまうような感覚でいた。そして、再び感覚が戻った時、場所は狭い部屋から広大なドーム状の空間に変わっていた。
「あれから8年か。ようやく完成したのだな……」
「はい。長いような短いような、これだけ時間が掛かってしまったのは複雑な心境です。」
聞き覚えのある声を聞いて梢は振り返った。そこにいたのは、先程の青年と紳士である。しかし二人の外見には明らかな年月の積み重ねが感じられた。
(どういうことなの?私は一体何を見ているの!?)
梢は自分の置かれている状況が分からなかった。夢なのか現実なのか区別が付かない。
「最初に君から話を聞いた時には不可能だと思ったよ。自分達の手で神を生み出す行為に等しい事だったからな。」
老紳士は青年への敬意と同時に警告も込めて語気を強めて言った。
「神は神でも我々の守護神です!今の絶望的状況を救い、未来永劫この世界を守ってゆく……」
青年、いや既に立派に働き盛りな男性に成長した彼も言葉に自信と力を込めた。
「もっとも、君のその熱意がこの国を動かしたと言っても良かったのだがね。君がいなければ“これ”が完成する事は無かった。」
「そんなことはありません。完成にこぎ付けられたのも計画に携わった全員の協力があってこそでした。」
話ながら前に進み出る二人。その前には見上げるほど巨大な金属製の扉がある。
「ご覧に入れましょう。我々の救世主、そして守護神を……!!!」
青年がそう言うと、扉がゆっくりと左右に開き始めた。
「おお!!!」
思わず感嘆の声を漏らす老紳士。目の前に見えるものは一目で見渡せないほど巨大である。体のあちこちが鎖で天井から吊るされ、胴体にも数本の太いホースが繋がれている。翼を持ち鳥のようにも思えるが宝玉のような単眼が埋め込まれた頭部、甲殻類のような数本の脚は昆虫のようにも見える。いろいろな生き物の特徴を併せ持っているようだが、そこには明らかに人工の意匠が見られる。
「これは元々君の頭の中にあったものだ。我々の守護神となるべきものの名前は考えてあるのかな?」
紳士の問いに青年はやや照れた様に答えた。
「このデザインは伝説の神獣をモチーフにしました。世界に平和をもたらす為に異世界の悪魔と戦ったと言われる伝説の神獣――」
青年は目の前の物体を見つめながら力強くその名前を口にした。
「――エデンです!!!」
エ・デ・ン――その言葉を聞いて梢はハッとなった。それは自分が美咲と一緒に解読していた金属板に刻まれていた言葉だったからだ。突然机から身を起こした梢に、美咲と三宅の視線が集まる。
「おはよう、木下さん。」
美咲は悪戯っぽく微笑んだ。その隣では三宅が笑いを堪えている。
「あの……私眠っていましたか?」
先程までの余韻が残っているのか、辺りを見回す梢。
「ぐっすりとね。あんまりよく寝ていたんで起こすのも悪いと思ったから、先に三宅先生と話を進めてしまったわ。」
「やっぱり、夢だったのか…」
美咲の言葉を聞いて、梢は小さく呟いた。
「これ、三宅先生が解読してくれた部分のプリント。」
そう言って美咲の差し出したコピー用紙を受け取ると、梢はそこに書いてあった文字を見て気が遠くなるような感じを受けた。エ・デ・ン――夢の中で青年が口にした名前が再び繰り返される――。
「ちょっと、木下さん!大丈夫!?」
「え……?」
美咲の心配そうな叫びを聞いて、梢は我に帰った。何時の間にか机の上に手を付いて体を支える格好になっていた。全身に嫌な汗をかいている。
「顔色が悪いわ。最近忙しかったみたいだから、今日はもう帰って休んだ方がいい!」
美咲は梢の体を支えながら、強い口調で促す。
「……はい。」
梢も訳が分からないまま頷くしかなかった。
「三宅先生、私は彼女を家まで送って行きたいので、今日はここまでにしたいのですが?」
「そうですね、お大事にして下さい。」
三宅も、二人を心配そうに送り出した――
梢は大学から電車で30分程の住宅街のアパートで一人暮しをしている。美咲の運転するRV車の中で、彼女の口数は珍しく少なかった。美咲の目にも、彼女の疲れが見て取れた。しかも、それは昨日までは見られなかった。研究室で目を覚ます前と後では明らかに焦燥してしまっている。
梢もまた悩んでいた。夢の中で見た奇妙なシーン、そしてエデンという名前の謎。ハンドルを握る恩師に話してしまえば、楽になるのかもしれないと思った。しかし、自分自身でもどう説明していいか分からない。だが梢は意を決して口を開いた。
「エデンって一体何なんでしょうか……?」
梢は俯きながら切り出した。
「私、研修室で夢を見ていたんです。凄くリアルな夢で、そこでは何人かの人達が話し合っていました。彼等は自分達の手でこの星を汚してしまった、滅亡寸前の世界を救う為にエデンを作る、そんな事を言っていました。そしてエデンは出来上がったんです。それはまるで鳥のような姿で……」
それを聞きながら美咲は微笑んだ。
「金属板には“我等エデンを作る、エデンは悪しきを除くものなり”、“エデンは我等とこの大地を救う”と書かれていた。私にもそれ以上の事はまだ分からない。多分木下さんは感受性が強いのよ。発見を目の前にして、あれこれと想像を膨らませてしまう……。そんな想いが強過ぎてエデンの夢を見てしまったのではないかしら?」
「そうでしょうか?」
美咲の言葉を聞いても梢は納得出来なかった。
「そうよ。それにあなた最近疲れているし、三宅先生の協力で思ったよりも早く解読が完成しそうだから、たまにはゆっくり休みなさい。」
「はい、分かりました。ご心配かけてすいません。」
梢はゆっくりと頭を下げた。
その後道中、梢は口を開かなかった。それを察して美咲も黙って運転に専念する。程なくして美咲のRV車は梢のアパートの前に到着した。
「先生、わざわざ送っていただいてありがとうございました。」
梢はもう一度丁寧に頭を下げた。
「気にしないで。何度も言うけど、キチンと休まなきゃダメよ。」
美咲はそう言うと、パワーウィンドウを上げて走り去る。車の中で、美咲は一人語ちていた。
「エデンが何なのか、そんなこと私にもまだ分からない。ただ、金属板を作った古代の文明人が何故消えたのか――その謎を解く最大の鍵である事に間違いないわ――」
防衛庁――防衛情報本部
氷川から“謎の飛行物体”調査の命令を受けて依頼、真田と相沢はオペレーションルームと本部の仮眠室を往復するような生活を続けていた。真田は“飛行物体”に関する情報を米軍やペンタゴン、CIAに至るまであらゆるコネクションから集め、必要ならば放射能に関するデータを文部科学省や大学のデータベースなどとやり取りしていた。そして相沢は真田の指示でコンピューターにひたすらデータを打ち込み、シミュレーションを組み立てている。
「これは!?」
真田はプリントアウトされた一枚のデータを見て唸った。
「どうしたんですか?」
それを聞いて相沢もモニターから顔を上げる。
「物体がロサンゼルス沖で第3艦隊のレーダーから消えた時間と、ゴジラがハワイに現れた時間がほぼ同時刻なんだ!これは偶然なんだろうか!?その後、物体はハワイにも現れている……!」
「ちょっと待ってください!」
相沢はモニターに向き直り、キーボードを叩いてウィンドウを立ち上げる。
「この1週間に起こった不可解な事件で物体やゴジラに関係している可能性のあるものを全て時間の経過と共に点と線で現したんです。これを見てください!!!」
相沢がリターンキーを押すと、モニターに太平洋の地図が現れる。最初に点が現れたのはギルディア共和国内、N2実験が行われた海域だ。次は東太平洋の一点――第3艦隊のF/A−18スーパーホーネット戦闘機が消息を絶った場所、そしてロサンゼルス、点の色が赤から青に変わり、ハワイに点灯する。時間をおいてハワイに青と赤の点が重なり、最後に小笠原沖――ロシア潜“ロマノフ”が何物かに撃沈された場所が青く輝く。それを見ていて、真田は背筋に冷たいものが伝うのを感じた。
「これを見ればさらにはっきりします!」
相沢はそう言って素早くコードを打ち込む。すると、点と点同士が線で繋がれる――
「――物体はゴジラを追っているのか!!?」
そう、真田の言う通り、謎の物体の軌跡を現す赤い線はゴジラの軌跡を現す青い線を追いかけるように続いているのだ。
「データを分析した限りはそう見えます。確証は持てませんが偶然ではありえない一致です。」
童顔で人懐っこく見える相沢だが、いざデータに向かえば一流の情報士官としての顔を見せる。
「もし物体が放射能になんらかの反応する――例えば中和してしまう――ならばギルディアで核実験の放射能が消えた事も、ハワイでゴジラの撒き散らした放射能が物体の出現と共に消えた事も納得がいく。そして、物体は放射能を常に帯びているゴジラを今も追っているとすれば…!!!」
カタカタカタ…
続いて、相沢がコードを入力する。
「ゴジラが日本に現れれば、物体も日本にやってくるでしょうね。ロサンゼルス以上の惨劇がこの日本で――!!!」
モニターにはゴジラの予想進路が、そしてそれを追う物体の動きが、小笠原沖から日本に向かって本土上で重なっていた――
横浜市郊外――美咲の住むマンション
文献を当たりながら金属板の解読をしている時は感じなかったが、暖かいシャワーを浴び、グラスに注いだ少々のブランデーを喉に流し込むと美咲は疲労が頭をもたげてくるのを感じた。
「(私も木下さんの事を言えないわね。たまはゆっくり休まなきゃ……)」
そんな事を考えている間にも欠伸を堪え切れない。
「もう寝よう。」
ゆったりとしたナイトローブの裾を引きずるようにして、美咲はベッドに体を投げ出した。一旦横になってしまうともう起き上がる気力は失せた。そのまま眠りの淵へと落ちてゆく――
「(あら?ここは……)」
自分はベッドルームにいるはずだった。しかし、目に見える景色はベッドルームのそれでは無い。西日で赤く染まった部屋の中に二人の人物が向き合っている。一人は揺り椅子に座った老人、一人は3、40代と言えるくらいの男だがその頬はげっそりと痩せこけ、年齢以上に老けて見えた。男は老人に向かってゆっくりと口を開いた。
「――今日はダンウェルの街に現れたそうです。まだはっきりとは分かりませんが、今までと同じく住民はおそらく一人も……」
男はそこまで言って唇を噛んだ。
「皮肉なものだ……。我々の文明を救うはずだったエデンが我々を滅ぼす事となるわけか。ひとつ聞かせてくれんか?何故エデンがあのような破壊兵器と化したのか!?計画の中心に携わった君の口から聞きたい……」
「はい――」
男は何かを思い出すように目を閉じた。
「エデンはただの機械ではありません。それ自身が意思を持っています。この大地に住む生き物にとって害を成すものを自身の判断によって自動的に――我々人間の手を患わせること無く――排除出来るように頭脳を組み込みました。そして、外敵にも対処出来るように様々な機能を変化させられる能力も持っています。言わば自身で考え進化する守護者、そして完全な駆逐者でもあります!!!今やその矛先は我々人間に向けられた――」
そこで男は言葉を詰まらせたが――
「私が悪いのです!!!」
声を絞り出すように叫んだ。
「私が13年前、エデン再生計画など考えなければ良かった!!!私がいなければエデンは生まれなかった!私などは真っ先にエデンに殺されるべきなのです!!!」
言葉の最後には嗚咽が混じり始めていた。
「いや、自分を責めるな。あの時君がエデンを造っていなくても、我々は“毒”に犯されたこの大地からは追われる運命にあっただろう。罪を償わなければならないのは我々、民の全てだよ。自らが“悪しきもの”である事に気付かなかった愚かさこそ責められるべきなのだ……ゴホッ!ゴホッ!!」
不意に老人が咳き込むと、男は駆け寄り、肩を支えた。
「長老っ!?」
「エデンの炎に焼き尽くされるのが先か、“毒”の病に体が負けるのが先か。この分だと私は長くない……」
老人は口元を拭いながら言った。
「君に責任があると言うならやるべきことはひとつだ。エデンと人間の行く末を見届けること――繁栄を謳歌しながら“毒”を垂れ流しつづけ、自ら滅びへの道を歩んだ我々の最期を見届けるのだ!そしてその記録を我々の後現れるであろう新たな人類の為に残すんだ!新たな人類が同じ過ちを繰り返さない為に――エデンの力が二度と日の目を見ない為に――!!!」
カッと目を見開いたまま老人は絶命していた。部屋には男が老人の名を叫ぶ声が木霊し続けていた――。
「(どう言うことなの!?)」
美咲が疑問を理解出来ない間に場面は何時の間にか変わっていた。街並みは古代ギリシャかローマを思わせる佇まいだがその建物は地上数十階にまで及んでいる摩天楼である。石灰岩で出来た塔にも見えるそれらの建物の壁の白さとは対照的に、まだ太陽は高いにも関わらず空はまるでスモッグが掛かったようにくすんでいた。路上を行き交う人の姿は少なく、皆が肩を落とし力無く歩いている。その時――遠くで激しく鐘が鳴るのを美咲は聞いた。刻を告げるような優雅な響きでは無い、けたたましく人々に何かを知らせようと必死になっているような切羽詰った響きだ。その音を聞いて数少ない路上の人々の顔色が変わった。表情を引き攣らせると、何かに怯えるようにして次々と蜘蛛の子を散らすように駆け出して行く。そして、誰からとともなく叫び声が上がった――
「エデンだああぁぁっ!!!」
次の瞬間、辺り一面を揺るがすような地響きが美咲を襲う。
「ちょっと……何が起こったの!?」
一目散にこちらに向かって駆け出してくる男を呼び止め様と手を出す美咲。しかし、差し出した手は男の体をするりと通り抜ける。
「!?」
美咲はその感覚が無い感覚に思わず手を引いた。今度は自分で自分の手を触って見るが、通り抜けるようなことは無い。
「何なの?これは夢なの!?」
彼女が一人語ちている間に、再び揺れが襲ってきた。今度のものは先程よりもずっと近い――。
「エデンだ!!!エデンが来たぞー――っ!!!」
「(エデン!!?)」
家の中から飛び出してきた若者の声に促される様にして、美咲は空を見上げた。すると、彼女のいる場所からほど近い所で彼女の視界を埋め尽くすほど巨大な火柱が上がるのが見えた。彼女の見える空は既に燃え盛る炎と黒煙で覆われ、辺り一面に炎を纏った瓦礫や灰が降り注いでいる。そして、その黒煙を掻き分けるようにして現れたものの姿を見て美咲は絶句した。目の当たりにしたものにはそれだけの衝撃があったのだ。彼女はそれを見たことがあった――ミクロネシアから日本への帰路、飛行機内の国際ニュースで見た謎の飛行物体――ロサンゼルスを一夜のうちに壊滅させた元凶ともいわれる存在。再びハワイに現れた後も必至に捜索するアメリカ軍にも捕えられていない、人類の前に現れた新たなる脅威――
「あれが……エデン?あれがエデンなの!?」
彼女はやっとの思いでそれだけの言葉を紡ぎ出した。既に物体は彼女を見下ろすまでに近づいている。美咲は動くことが出来なかった。頭の中が混乱する。今自分が目の当たりにしている物体がエデンと現代に現れた謎の飛行物体は同一のものだというのか!?金属板に記された言葉“悪しきを払うエデン”とは、この飛行物体のことなのか!?だとすれば現代に現れた謎の物体は二万年以上の時を超えて現れたのか!?――
同時に、美咲は物体の美しさに見とれた。体のあちこちに見られる人工の意匠は極彩色に輝き、純白の巨大な翼を広げた姿は神々しくすらある。だが、人々は逃げ惑う。物体が近づくに連れて、美咲の周りに人が何時の間にかひしめき出した。そして物体の白い翼が紅く輝き始めると、人々の表情は恐怖から絶望へと変わる。まるで自分達を待ち受けている運命を悟ってしまったかのように。
紅く輝く翼の周囲にゆらゆらとした陽炎のような物が立ち込め出す。眼下で起きた火災の炎の照り返しを受けて翼はまるで炎を纏っているかのように見える。物体が甲高い機械音にも似た声を上げると次の瞬間、猛烈な勢いで物体はその翼を羽ばたかせた。その時、美咲は見た。嵐のような突風が、いや突風というのすら生温い、高速で襲い来る、地面を抉るほどの破壊の壁が――。だが突風はすぐに形を変え、真の災厄の姿を露わにする。空気の壁に触れたものは瞬時に炎に包まれ、発生した炎が連鎖的に辺りのものを巻き込み、燃え上がらせる。“エデン”の放った一撃が町をも呑み込む地獄の業火に変わるまでにさほど時間はかからなかった。衝撃波で砕かれたものは一瞬にして炎に飲みこまれ、白亜の建物は文字通り粉砕されて逃げ惑う人々ごと煉獄の中に消えて行く――。
美咲にはそれらがスローモーションのように見えた。足は竦んで一歩も動けない彼女に炎の壁が迫る――が、不思議と熱さは感じなかった。あっという間に全身が炎に包まれても目を開けていられる。ブラックアウト、ホワイトアウトという言葉はあるが、美咲が今見ているものは炎の赤一色の世界。
「何なの!?何でこんなことが!!?」
美咲は思わず叫んでいた。不意に彼女の目の前に何かがゆっくりと近づいて来た。くるくると回転しながら炎の奥から飛ばされてくる。辛うじてそれが人影だと分かった。
「助けなきゃ……」
何故かそんな考えが浮かび、一歩二歩前に進み出る。しかし人影は無残にもバラバラと砕け散り、彼女の視界に飛び込んできたものは肉を炎にこそげ取られた骸骨の恨めしげな視線――
「きゃあああぁぁぁー――っ!!!」
思わず悲鳴を上げた時、美咲はベッドの上で飛び起きていた。全身にぐっしょりと汗をかき、息も動悸も激しい。自分の胸に手を当て呼吸が収まるのを待つと、彼女は汗で額に張り付いた髪の毛を掻き上げた。周りを見回すとそこは見慣れたベッドルームだった。
「ゆ……夢?そう……夢よね……」
美咲は自分に言い聞かせるように呟いた。だが、先程の光景は瞼に焼き付いている。まるで実際にその場所で目の当たりにしたように。
「エデン……私の考え過ぎ?」
美咲はかぶりを振った。しかし頭の中には鉛のように重く、嫌な予感が圧し掛かり、消えようとはしなかった。
7 忍び寄る脅威
9 本土緊迫