――3 『静かなる遭遇』
南太平洋――ミクロネシアの某諸島
外出禁止が言い渡されてから5日後、美咲達の研究グループはようやく発掘作業を再開することが出来た。しかし、この足踏みで発掘期間の半分を無駄にしてしまったのに加えて、現場の状況を見て美咲は大きく溜め息をつくのだった。
「ここに来てから不運続きね……。これ以上何か悪いことが起こらなければ良いんだけど……」
美咲は一人語ちた。目の前にある彼女等が発掘していた地層は長雨による土砂崩れの下に埋まり、作業は振り出しに戻って――いや、状況は明らかに悪化していた。
「これでは、発掘よりも土砂を片付けるのが先になってしまいますよ……」
ゼミ生の一人である男子学生が飽きれたように言った。目の前に小山のように盛り上がる土砂は、とても人力で片付けられる量ではない。
「誰か、ショベルカーの免許でも持ってないかしら?」
美咲もそう言って力無く苦笑するしかなかった。
「でも先生?全部が埋まってしまったわけではありませんから……。残った地層だけでも発掘を始めたらどうでしょうか?」
傍らで梢がファイル類を胸の前で抱えながら言った。
「――それもそうね。」
美咲はやや考え込んだ後、表情と気持ちを前向きに切り替えた。
「じゃ、力自慢な男子はここで土を片付ける力仕事してくれる?やってくれた人は後期のレポートの点数にいくらか考慮を入れるわよ!あと女の子と……男の子の何人かは発掘を続けるので一緒に来てちょうだい。」
メンバーは美咲に振り分けられ、男子の3分の2はしぶしぶスコップを取り、残り3分の1は炎天下で力仕事をするのを免れた優越感に浸りながら発掘場所に向かうのだった。
嵐が通り過ぎ、遠い空に積乱雲が浮かぶ以外は抜けるような青空が見える南国の太陽は当然ながら陽射しが強い。美咲は顔を上げると頬と額に浮かんだ玉のような汗をタオルで拭った。だが、いくら暑くても日焼け防止のために着込んでいる長袖のYシャツとジーンズを脱ぐつもりは無い。年齢より若く見られるといっても三十路を過ぎ、肌の手入れには気を使う歳なのだ。梢も長い髪を後ろで一つに束ね、薄手の長袖トレーナーで肌を覆うなど美咲の格好に準じている。
「……水着でも着てくれば良かった。」
汗で肌に張り付いたYシャツが気になりだすと。この時ばかりは日焼けなどお構いなしにTシャツと短パン、はたまた上半身裸という格好でで黙々と穴を掘っている男子学生を羨ましく思った。
発掘中というものは特に発見が無ければ、皆無口なものである。各自が分担された区域を手ベラやスコップで慎重に掘り進めて行く単調な作業が続く。ここで目当ての時代の遺物でも掘り出せばそれまでの疲労など吹き飛んでしまうのだが。
「ふぅ……」
梢は額の汗を拭いながら立ち上がると、ゆっくり背筋を伸ばした。彼女は考古学が好き、発掘も好きだが如何せん女の子の非力さか、フィールドワークでは体力が長続きしない。
「(飲み物でも取って来ようかな……)」
彼女がそう思ってクーラーボックスが置いてあるテントに向かおうと穴を出て歩き出す。その時――
ボコッ!!!
鈍い音と共に彼女の足元が崩れた。
「キャッ!!!」
短い悲鳴を残して彼女の姿が消える。
「木下さん?」
それを聞いた美咲は自分が発掘していた穴から顔を上げて辺りを見ると、さっきまで手付かずだった部分にぽっかりと穴が開いているのを見付けた。美咲は急いでその穴へ駆け寄ると、中を覗き込んだ。
「木下さんなの!?怪我は無い?」
「ハイ…大丈夫です…。でも、足を挫いたみたいで…」
穴の奥から梢の声が聞こえた。深さは2〜3m程で、日の光が直接差し込まないため中は薄暗い。
「誰か!手を貸してっ!ロープか梯子を持って来て!」
美咲が叫ぶと、周りの学生達も集まってきた。彼等が持参したロープではとても梢が穴を登ることが出来なかったので、近くの農場から借りてきた梯子でようやく彼女を助け出すことが出来た。
美咲はテントの中で梢に手当てをした。穴から落ちた時に捻挫した足首に湿布とテーピングを施し、擦りむいた肘や膝に絆創膏を張る。
「ハイ、終わり!」
「先生、ありがとうございます。」
梢は申し訳なさそうに頭を下げた。
「いいのよ。木下さんが悪い訳じゃないんだから。」
「でも先生……」
優しく微笑む美咲にも梢はどこか浮かない顔で口を開いた。その表情は、自分のドジを責めているという風ではない。
「あの穴は一体何なんでしょうか……?先生が提唱する古代の南洋文明、その年代の地層に開いた空洞。とても偶然とは思えないんですが……」
「――そうね。私も偶然とは思えないわ。」
そう言った美咲の顔も、先程までの優しい姉のような表情から若き助教授のものになっていた。
梢の手当てを済ませた美咲は男子学生二人の助けを借りて縦穴に入って行った。懐中電灯に照らされた縦穴はまさに“地下室”と呼べるようなものだった。自然の洞窟のように岩が剥き出しになっているということはなく平らな壁面がほぼ垂直に切り立ち、天井は卵のように緩やかな曲面を描いており、高度な掘削もしくは建築の技術が感じられる。入ってきた縦穴の奥には螺旋状に階段が続いていた。
「先生、ここの地層って1万2000年前から2万年前のものでしたね……」
ゆっくりと階段を下りながら、学生の一人が呟いた
「それは間違いないわ。それがどうかしたの?」
美咲は懐中電灯に照らされた通路の先から目を放さずに答える。
「壁を見てくださいよ……まるでコンクリートです。一万年以上前にこんな地下施設を作れる文明があるわけがない。ひょっとしたら第2次大戦中の防空壕の跡か何かじゃないんですか?」
「その可能性も薄いわ。ここは太平洋戦争の前線からかなり離れた島だし、当時ほとんど日本軍や日本からの入植者は居なかった。それなのになんで防空壕なんて要るの?」
「それはそうなんですが…」
美咲のにべも無い指摘に男子学生が言葉に詰まる。
「あなたの気持ちは分かるわ。私も1万年以上前にこんな施設があったなんて信じられないもの。ただね、もしこれが1万年以上前のものだと証明できたら、私の仮説の一部が証明出来るかもしれない……!」
「ムーやアトランティスのような、歴史から消えた高度な文明の存在ですか?」
パシャッ
そう言いながらもう一人の学生がカメラのシャッターを切る。美咲もそれに頷いた。
「考古学をやっていれば分かるけど、この世界の過去は謎だらけよ。私達が知っているのは表面に現れた断片や一部にしか過ぎないの……」
美咲はさらに地下に続く階段の奥を見据えたまま言った。暫くすると、不意に階段が終わった。正面に明かりを向けると、そこには閉じられた金属製の扉があった。
「扉ね……」
「扉ですね……」
美咲が呟くと学生も鸚鵡返しのように呟く。
「……開けるわよ!」
意を決した美咲の言葉に学生は黙って頷いた。取っ手に手をかけると3人掛かりで力を込めた。
ミシ……ギリギリギリ……
扉はゆっくりと、軋むような音を立てながら開いてゆく。開いた扉の隙間から埃が漏れ、黴臭い臭いが3人の鼻をついた。すると――
ドサッ…
扉がある程度開いたと同時に内側から何かが倒れてきた。ぼろきれを巻きつけた木の枝のようなもの――その物体を見た彼女等の第一印象がそれだった。しかし、倒れた“何か”から白い楕円形の物体が足元に転がって来ると、次の瞬間美咲は短い悲鳴を上げた。それは白骨化した人間の頭蓋骨だったからだ。ぼろきれのように見えたのはおそらくこの死体が生前着ていた服であり、木の枝のように見えたのはミイラ化した手足だったのだ。
「先生、これは……!?」
さすがの男子学生も顔色を青くし、驚きで腰が退けている。
「な、中を調べてみましょう…」
美咲の声はまだ震えていたが、学者としての好奇心が恐怖心をかろうじて上回っていた。部屋の中は閑散としており、家具はぼろ布が重ねられた寝台と思しき物と、一組の机と椅子だけ。美咲は懐中電灯で机の上を照らしてみると、そこには分厚い埃が積もっている。埃の表面には凹凸があり、その下に何かが埋もれているような気配があった。美咲がハンカチを口と鼻に当てながらそれを払ってみると、埃の下には数枚の金属板のような物が重ねられていた
「これは……何かしら?」
美咲がそのうちの一枚を取り上げ、懐中電灯の光にかざして見る。
「文字!?」
金属板の表面には見たことも無い文字が薄っすらと刻まれていた――
人骨こそ地元警察の許可が下りなかったが、美咲は地下室の中からその金属板や人骨が身に着けていた布の一部などを宿舎に持ち帰ることが出来た。
「それで、先生はこれをどうするおつもりですか?」
梢が発掘品の収められたボックスに目を遣りながら言った。当の美咲は先ほどからレポート用紙に向かって何かを書き留めている。
「許可が下り次第、日本に戻るわ。持って来た器具や地元の設備じゃろくな分析が出来ないもの。発掘品の放射線年代測定が必要だし、あの金属板には何か文字が書いてあるの。」
「文字ですか?」
梢が聞き返した。
「ええ、あんな文字見た事無いわ。でも、大学の資料と照らし合わせれば何か分かるかもしれない。」
美咲の頭の中は発掘品の分析と文字盤の解読のことで一杯になっていた。
東太平洋上――
満天の星が輝く空の下、昼間の鮮やかなブルーとは対照的に、今は墨を流したように真っ黒に染まった海上に幾つもの白波を立てている一団がある。空母「カールビンソン」を中心としてタイコンデロガ級ミサイル巡洋艦、アーレイバーグ級ミサイル駆逐艦数隻、海中にはロスアンゼルス級原子力潜水艦他、輸送艦・補給艦で構成されるアメリカ海軍の誇る空母機動戦闘群である。
艦隊は東太平洋の公海上で訓練中であったが、ギルディア共和国の核実験のニュースを受けて周辺地域の治安安定を目的に同共和国近海へと展開し、示威行動を行っていた。だが国連とIAEAによる調査が始まったことで作戦は終了し、母港のサンディエゴへ戻る海路を北上しながら艦載機による夜間離発着訓練を行っていたところだった。
空母「カールビンソン」
レーダー、ソナーが集めた情報を管理・分析し、戦闘指揮を執るための部屋――ここカールビンソンのCIC<戦闘情報指揮所>の中では昼夜関係無くモニターの光の照り返しを浴びた隊員たちが各システムのコントロールパネルや大型ディスプレイの前に座り黙々と己の職務を果たしている。パイロットの戦場が大空なら、彼等オペレーターの戦場はこの薄暗い穴倉の中なのだ。そんな時、気象レーダー担当のクルーが画面に突然の変化を見つけ、リップマイクに吹き込んだ。
「カールビンソンからクーガー01へ。前方距離150kmに低気圧が発生。迂回して帰還せよ。」
『クーガー01了解。燃料はまだ充分あるので、低気圧を迂回して帰還する。』
『ラッキーだな、ブライアン!こいつ<F/A−18スーパーホーネット>に乗っていられる時間が増えたってもんだ!』
パイロットのブライアン大尉の生硬い返事の後に続いたコ・パイロットであるフーバー大尉の緊張感の無い声を聞いてオペレーターは苦笑して肩を竦めながら後方を振り返った。
「二人とも、あんな事を言っていますが……ノーマン艦長?」
彼の後ろでは、「カールビンソン」艦長、ノーマン少将が禁煙のCICの中で所在無い仕草で火の点いていないパイプを咥えている。
「しょうがない奴等だ。ホーネットを玩具に出来る時間はあと30分だけだ。1分でも遅刻したら燃料代はお前らの給料から引いておくと言っておけ!」
そう言うと、ノーマン艦長は突き出した親指を下に向ける仕草を見せた。
「了解。カールビンソンからクーガー01へ――艦長からのお達しだ。お前達の腕ならば30分もあれば低気圧を回避するコースをとっても戻ってこられるだろう。その代わり、帰還が遅れた場合はそれなりのペナルティーがあるぞ!」
『『イエッサー!』』
スピーカーの向こうからはブライアンとフーバーの息の合った返事が聞こえてきた。
F/A−18スーパーホーネット“クーガー01”
“クーガー01”は機を大きく反転させると、低気圧の外周に沿うように進路を取った。ホーネットの中では珍しい、タイプFと呼ばれる訓練用に副座式となっているコックピットでは、ブライアンとフーバーが1色に塗りつぶしたように流れる景色を堪能していた。
「深夜のフライトは格別だな!全てが黒一色に染まってしまって、まるで宇宙を飛んでいるようだ!そうだろう、フーバー?」
「ああ、そうだな!だが他所見をするんじゃないぞ!カールビンソンが見付けた低気圧が近い……!」
「大丈夫、もう見えてる!」
ブライアンは視線を前方に移した。その先には真っ暗闇にもうもうと沸き上がる積乱雲が月明かりに白く照らされていた。
「おい、ブライアン?ちょっと飛ばし過ぎじゃないのか!?このままじゃ雲の中に突っ込むぞ!!!」
フーバーは後部座席で、機体と雲が異常に近づいているのをレーダーで捉えていた。
「馬鹿言え!マッハ1も出していないんだぞ!……雲の方が近づいている!?」
そう、二人にスピードが上がったように錯覚させていたのは、ホーネットと同等なスピードで雲がこちらに近づいて来ていたからだった。気付いた時には、上昇しても下降しても、旋回しても雲との衝突は免れない位置にいた。
「「うおおおぉぉぉ…!!!」」
コックピットの中に二人の絶叫が木霊する。しかし、そんな状況にあってもパイロットのブライアンはバランスを崩さない的確な姿勢に機をコントロールしていた。彼はは荒れ狂う嵐の中で必至に操縦悍を抑え込みながら叫んだ。
「フーバー、視界がゼロだ!雲を突破するまでどのくらいかかる!?」
「このまま速度を維持して……2時の方向に抜ければ雲が薄い部分に出られる!だがスピードを出し過ぎるなよ!気流で機体がバラバラにされちまう!!!」
振動で揺れるモニターにしがみつくようにしながらフーバーも叫んだ。
「分かっているさ……。出したくてもこんな状況じゃこれ以上スピードは出せない……!!!」
キャノピーの外は先程までとは対照的に真っ白な世界。二人はレーダーの方角を頼りに突き進んでいた。その時――不意に視界が開ける――
「出た――!」
世界が色を取り戻し、ブライアンは思わず声を上げた。
「いや、レーダーではまだ雲のど真ん中にいるはずだが――」
フーバーがモニターから顔を上げると、彼は言葉を失った。そして、マーベリックもまた目の前の突如現れた“物体”に眼を奪われていた。だが、二人にはその正体が何であったかは知る由も無かった。分厚い雲の壁の中にあったもの、それは白、赤、青、緑、黄、紫…玉彩色の光に包まれた巨大な物体――
コントロールを失ったホーネットの機体はその巨大物体に吸いこまれる様に近づいて行く。
「ブライアン!回避だ!!」
フーバーの悲鳴に近いその声に我に返ったブライアンが操縦桿を引き上げた時は既に遅かった。次の瞬間、機体は“物体”に激突し、砕け散ってオレンジ色の炎を上げたが、爆発の閃光は“物体”が放つ光の洪水の中に掻き消されて消えた――
空母「カールビンソン」
CICのオペレーターはその異変をいち早く察知していた。先程まで繋がっていた“クーガー01”との通信回線が雑音と共に突然途切れたのだ。
「どうした!?クーガー01、応答せよ!!」
オペレーターはヘッドフォンを耳に押し当てると片手で通信周波数のバンドを調整するが、通信が回復することは無かった。
「何事だ?」
オペレーターの挙動に不審を感じ、、ノーマン艦長が言葉を向けた。
「たった今、クーガー01との交信が途切れました!原因は不明です!」
「わざと雲の中に入ったんじゃあないのか?あの二人ならそれくらいの無茶はやりかねない。」
そう言ってノーマン艦長は苦笑した。
「いえ……雲に入っても通信は続いていました。ですが、突然切れたんです。レーダーからも消えました。それに妙なことを言っていまして……」
「妙なこと?」
ノーマン艦長は訝しげな表情を浮かべる。
「『雲の方がクーガー01に近づいて来ている』と……」
「そんなバカな……」
CICの中に重い雰囲気が立ち込める。歴戦の兵<つわもの>達は原因が何にせよ、クーガー01に起こった不幸を感じていた。
「直ちに各艦に連絡。艦隊は“クーガー01”捜索の為に、連絡が途切れた海域に急行する!対空レーダーと海上の浮遊物に留意せよ。甲板士官は待機中のヘリコプターの発進準備を急げ!」
ノーマンの指示は直ちに実行され、タイコンデロガ級、アーレイバーク級の各イージス艦はSPY−1フェーズド・アレイ・レーダーを全開にして上空に電子の眼を広げ、『カールビンソン』や各巡洋艦・駆逐艦の飛行甲板からはSH−60対潜哨戒ヘリが発進し、急速に捜索範囲を広げていった。しかし、この時は誰も気付く由も無かった。この事故が更なる災厄の序章に過ぎなかったことに――
2 不吉の予兆
4 ロサンゼルス崩壊