NEO  Epipode 〜Ultima〜「完全版」

――第5話 「遭遇」

 

 

 

深夜――神奈川県秦野市内住宅地

「まったく、今日はついていないな……」

 中年の警官は毒づいた。あと数時間で勤務交代、明日は非番という時に受令機に指示が入ってきたのだ。内容は住宅街で何やら爆発音のようなものが聞こえたと言うもの。彼は半ば嫌々に自転車を漕いでいた。

じゃりっ……

 その時、彼はタイヤの下に不快な感触を感じた。自転車を止めると、それは砂利であることが分かった。

「この場所で道路工事は無い筈…。」

 そう思いながら進むと彼は己の目を疑った。ひとつのマンホールの蓋が開き、穴の周りは円形の枠がいびつに歪んでいる。まるで何か穴の大きさより大きなものが無理矢理通ったような印象を受ける。そして、程近い住宅の塀が外側から崩されていた。いつのまにか、不審に感じた住民が現場に集まってくる。

「下がって!危険があるかもしれません!家の中に戻って……現場には近づかないで下さい!」

 彼は住民を制すると崩れた塀から中に入って行った。そこで彼はまたも驚く事になる。懐中電灯を地面に向けると、そこには長さ50cm以上で3本の鉤爪を持った足跡が照らし出されたのだ。彼は一人でここに来たことを心底後悔していた。同時に訳の分からないものを感じつつ、拳銃のホルスターに手をかけながら家屋に足を踏み入れた。

ザー…

 無線機にスイッチを入れ、所轄の警察署に連絡を入れる。

「現場に到着。道路のマンホールの蓋が外れていた。爆発音の原因はひょっとしたらこれなのでは……応援を要請する。今?現場近くの民家の中だ。塀が崩されて…あと、いや、なんでもない。」

「(こんな足跡の事を言っても信じてもらえないだろうからな……)」

彼は足跡のことに触れぬまま続けた。

「部屋の中が荒らされている…廊下の突き当たりに部屋がある。踏みこみます…!」

バンッ!

 ドアを勢いよく開くと同時に銃口を部屋の中に向ける。そして、部屋の光景を見て彼は声を失った。イヤホンからは報告を催促する声がしたが、彼には聞こえていなかった。

「うわああぁぁぁっ!!!」

 絶叫と共に彼は“何か”向けて引き金を引いた。

パンパンパンッ!!!

 それと同時に彼の視界を異形な影が横切る――

『今のは銃声?発砲したのか!?応答せよ!応答せよ――…』

 数発の銃声を聞いたオペレーターの声に緊張が走った。しかし、無線機から二度と彼の声が聞こえることは無かった――

 

 

東名高速秦野IC付近――

 寝静まった街道沿いの街を、不釣り合いに頑強な4WD車が走っている。

「富士山の樹海、事件のあった山村。目標はそろそろ市街地を狙ってくる可能性が高い。移動速度と予想進路を考慮するとこの辺りか…」

 佐々木は窓の外を流れる深夜の住宅地を見渡した。

「そっちの方は何か情報があったか?」

 斎藤がルームミラー越しに後部座席へ視線を送った。

「先ほどから所轄の警察無線を傍受しているのですが、何も…。」

 ヘッドフォンをした一人が答える。

「柏木一佐の黙認を取り付けたとはいえ、待機命令中に隊を離れるのは責任問題になる。時間はかけられないな…。」

 佐々木がそう言ったその時だった。

「――秦野市内に機動隊が緊急出動!被害状況不明、負傷者が数名出ている模様!!!」

 ヘッドフォンに耳を傾けていた隊員が叫ぶ。

「そいつだ!!!」

 斎藤はニヤリと笑うと、市内に向けて急ハンドルを切った――。

 

バラバラバラ…。

 ローターの音を鳴らしながらヘリが住宅地の上空を旋回している。地上ではジュラルミンの盾を持った機動隊が事件のあった地域周辺を取り囲みつつある。制服警官も多数出動し、付近の住民を避難誘導していた。そんな時に佐々木のチームは現場に到着した。

「あなた方は?」

 こんな時に現場へやってきた彼等を不審に思ったのか、警官の一人が問い質してきた。

「陸上自衛隊化学科部隊の佐々木と言います。」

「同じく、斎藤です。」

「自衛隊の方が何故ここに?」

 警官は驚いた様に聞き返してきた。

「詳しいことは機密扱いになるので申し上げられませんが、我々が調査している件と、今回の事件の関連性が高いと思われるのです。」

「しかし、それだけでは…」

「我々の予想が正しければこの事件に警察では対応できません。お願いします、我々を中に入れてください!」

 未だ表情に疑問符を浮かべる警官を、斎藤がなんとか説得しようとする。

「………」

 しばし考え込む様子を見せ、警官は口を開いた。

「分かりました。ここから200mほど先が現場です。そちらには私から連絡しておきますので。」

「感謝します。」

 警官がバリケードを除けると、佐々木達を乗せたワゴン車は警戒態勢の中に滑りこんで行った。

 

「話は聞いています。」

 佐々木達が着くなり、現場の責任者と言う警部補が話してきた。

「最初に現場から報告してきた警官は戻ってきていません。その後機動隊を踏み込ませたのですが、彼等も現場に向かったきり応答が無く、ただ一人脱出できた者も重体で意識が無い状況です。実を言うと、自衛隊の方の協力は有り難いのですよ。」

 警部補は多くの部下を失ったのだろう、頭を抱えた。その言葉からは事態がかなり深刻な状況まで進んでいることが読み取れた。

「突入は我々に任せてください。機動隊には現場の封鎖と住民避難の徹底をお願いします。」

「分かりました。おい、現場に待機中の人間は一時退避し、住民の避難に当たらせろ。」

 警部補は近くにいた数人に声をかけると指示を出した。それを見て、

「我々は武装して突入準備!」

 佐々木は仲間の方に向き直りながら告げた。ワゴンの後部ハッチを開くと各自に自動小銃を手に取り、マガジンを武装ベルトに差し込む。鉄製のヘルメットを被った彼等の顔は戦地に赴く兵士のそれだった。

 機動隊の案内で事件のあった民家までやって来た。道路に開いたマンホールの大穴、塀は崩され、家屋の壁は突き破られている。ライトに照らされた足跡は、佐々木の頭の中にある形と一致していた。

「ここまでで結構です。」

 佐々木は機動隊を制すると、塀の穴から庭に入った。

「気を付けてください。ご無事で…。」

 警官は小声で言うと下がって行った。佐々木、斎藤、他4人、計6人のチームが足跡を追うように破られた壁の穴から屋内に足を踏み入れた。部屋の中は荒らされ、ドアの蝶番は歪みギイギイと音を立てている。廊下の壁には鉤爪と重い物を引きずったような血痕が残っていた。

ボリッ…

 その妙な物音に全員が反応した。音は突き当たりの部屋から聞こえて来るようだった。佐々木を先頭にゆっくりと歩を進めていく。そして、中途半端に開いた扉に手を掛ける――

ボリッ…グチャッ…

 明らかにそれは咀嚼音だと分かる音だった。そして、佐々木は自動小銃を構えたまま扉を開き、懐中電灯を部屋の中に向けた。。人工の白色灯に照らされた部屋の中心に見た物、それは彼等が目を疑いたくなるほど想像を絶する光景だった。

 壁、床一面に飛び散った血痕。身につけている衣服でかろうじて人間と分かるが、もはや原形を留めていない数人の死体。そして、扉が開く音に反応し、部屋の中に大きく影を落としている物体が振り返った。

 頭を上げると高さは天井に届かんばかりまである。赤く光る双眼、鋭く並んだ牙を血に染めている。金属のように銀色の光沢を帯びた全身に鎧の様な突起や凹凸があり、背中には長い棘が何本も生えている。

 全員が顔色を失った。悲鳴を上げた者が居ないのは不思議なくらいだ。そのような中でも佐々木は冷静さを保とうとした。手を挙げて全員を制すと、視線と合図だけで指示を送る。それに頷くと部下の四人が素早く下がって行く。佐々木が胸に着けた手榴弾を構え、ピンを引き抜くと、斎藤も同じく手榴弾を構える。自分の常識を根底から覆す目の前の存在に手榴弾が効くのか?という疑問を振り払いつつ、慣れた手付きでハンマーを外すと、声を出さずにカウントする。

「(5…4…3…2…!!)」

 二人同じに手榴弾を部屋に転がすと、今度はドアを荒荒しく閉め外へと駆け出した。背後で生物の叫び声が聞こえたその時、爆発が内側から窓ガラスとドアを粉々に吹き飛ばした。

 

 佐々木から指示を受け、部下達は部屋の外に回っていた。爆発と同時に窓から吹きあがった炎が彼等の表情を照らし出す。次の瞬間、炎が飛び散ると共に生物が壁を突き破った。四肢を伸ばし、天を仰いで咆哮する生物。

「撃てッ!!!」

 彼等は思わず逃げ出したくなる衝動に駆られたが、誰とも無くそう叫ぶと目の前の異形の物に引き金を引いた。

 パパパパパパパパパパッ……

 乾いた銃声が立て続けに響く。生物は手榴弾の爆発による傷痕から紫色の体液を滴らせながらも4m近い体を突進させてきた。89式小銃の5.56mm弾が皮膚をえぐるが、生物を止める事は出来ない。生物が振り上げた鉤爪を振り下ろすと、隊員の身に着けていた特殊繊維入りの防刃ジャケットは容易く肩口からザックリと切り裂かれ、振り向きざまに繰り出した尾の一撃が背後のもう一人の隊員を直撃し、吹っ飛んだ隊員は頭から壁に叩きつけられた。

「化け物が…!!」

 残った隊員が銃を再び構える。その時生物の足元に手榴弾が転がり、爆発した。後ろを振り向くと、佐々木と斎藤が追いついていた。

「こっちだ!」

 手招きする佐々木の方に、隊員は傷つき動けなくなった仲間の身体を担いで駆け出した。

「この先に機動隊が待機している。そこまで頼むぞ!」

 隊員は黙って頷くとその場を後にする。

 佐々木と斎藤は生物に向いて小銃を構えた。すると、生物の皮膚は無気味に盛りあがり始めたのだ。盛りあがった肉塊が銃創や傷痕を覆い隠すと、皮膚は元通りに再生していた。

ダッダダダダダダダダダダダダダッ……!

 それを見て佐々木が小銃を掃射するが、弾丸は生物の銀色の皮膚に弾き返される。

「どうなっているんだッ!?」

 斎藤が吐き捨てるように叫ぶ。89式小銃の5.56mmNATO弾は弾頭の表面に銅の被せられたメタルジャケット弾。小口径高速発射のこの弾は小銃の中でも抜群の貫通力を持っているはずだった。佐々木は空になったマガジン引き抜き、ベルトに戻すと新たにマガジンを装填しながら言った。

「奴は…自ら遺伝子を組み変え増殖させ、自己進化することが出来る!銃弾や手榴弾で傷を負った奴はそれに対応できる肉体にこの場で作り変えてしまったんだ…!!!」

「化け物……!」

 さすがの斎藤も銃を構えたまま後ずさった。横目で佐々木を見ながらささやく。

「何か…、手はないのか?」

 それを聞き、佐々木は自分が万が一の為とトランクに放り込んでおいた物を思い出した。

「少し時間がかかる…。大丈夫か!?」

 斎藤にはそれが気休めでも頼りたかった。

「ありったけの弾と手榴弾でなんとかしてみるさ…。」

 佐々木が駆け出すと同時にマシンガンを生物に向けて乱射する。生物は既に銃を脅威と見なしていないのか、弾丸を弾きながらゆっくりと近づく――

 

 ワゴンに戻った佐々木は開かれたトランクに乱暴に手を伸ばし、目的の物を探った。そして指先に冷たい筒の感触を確認するとそれを手に取る。それは歩兵が携帯できる対戦車ロケットランチャーで、発射時の衝撃が少ない無反動砲といわれている種類のものである。佐々木は別容器のボックスから弾頭を取り出すとランチャーに装填し、慣れた手付きで安全装置を解除する。

「よしっ!!!」

 佐々木は手応えを確認するとランチャーを肩に担ぎ、100m足らずの元来た道を駆け出した。

 

ダダダダッ…カチッカチッ…

 3本目のマガジンを撃ち尽くしたところで斎藤は無意識的に武装ベルトに手を伸ばすが、予備のマガジンは既に使い切っていた。攻撃が止み、生物が斎藤に襲いかかろうとした時、生物の顔面に火花が飛んだ。斎藤がとっさに振り向くと、先程負傷した仲間を抱えて行った後輩の一人が戻ってきた。手には口径9mmの自動拳銃を携えている。

「三佐!大丈夫ですか!?」

「いい所に戻って来てくれたぜ!」

 斎藤は最後の手榴弾のピンを引き抜くと生物に投げつけた。二人が身を低くすると同時に手榴弾は生物の足元で炸裂する。強靭になった生物の身体を傷付けることは出来なかったが、転倒させるには充分の威力だった。そして、それを見計らったかのように、佐々木がランチャーを担いで角を曲がってくるのが斎藤にも見えた。

「やれッ!佐々木!!」

 斎藤が叫ぶと同時に膝を地面に付き、佐々木は肩にランチャーを担いで射撃姿勢を取った。ランチャーの照準を合わせると、サイト内には横倒しから起き上がったばかりの生物の姿が見える。発射レバーにかけた指に力をこめると、鈍い衝撃と共にロケット弾が発射される。甲高い飛行音と煙の白い軌跡を残して、弾頭は生物の肩口に命中した。対戦車用HEAT弾は形成炸薬の性能通り、モンロー効果によって前方に指向した爆発を起こし、生物の鎧のような表皮を吹き飛ばした。肩口の傷から後方に向けて、円錐を描くように肉片や体液が辺りに飛び散っている。体半分をえぐりとられた生物は暫くその場で悶え苦しんでいたが、突然背中を見せると弾かれたように駆け出した。

「逃がすかっ!!!」

 斎藤もホルスターから9mm自動拳銃を抜くと、生物を追った。頑丈なブーツの底が、ピクピクと蠢いている肉片を踏みつける。佐々木も、ランチャーに新たな弾頭を装填すると、生物の後ろ姿を捉える――

「どけ!斎藤!!!」

 斎藤がその叫びを聞いて体を通りの端に寄せると、佐々木の放ったロケット弾が脇をかすめて飛んで行く。しかし、弾頭が生物に追いついた時、生物はマンホールの穴に跳び込んだ。目標を失った弾頭は地面で爆発を起こす。

「外した!?」

 佐々木がそう叫んだ時はもう遅かった。爆発の衝撃でマンホールの縦穴が崩れ、下水道の一部が埋まってしまったのだ。佐々木達は呆然と崩れた穴を見つめていた。喧燥が途切れ静寂が戻った住宅地には、鳴り続けるサイレンの音だけが響き渡っていた――。

 


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