NEO  Epipode 〜Ultima〜「完全版」

――第3話 「画策」

 

 

 

ダラス撃沈の翌日――東京、防衛庁

 市ヶ谷の防衛庁庁舎の廊下を歩く二人の姿があった、神崎と雨宮である。二人は陸上自衛隊幕僚長・長瀬幸三からの直接命令により、呼び出しの理由も知らされないままここに来たのだ。

「私達が呼ばれるという事は『奴』に関係があることですかね?」

「おそらくな…」

 神崎は答えた。彼の予想は第一に『奴』が消えた事における「巨大生物監視対策室」の見解云々ついて報告を求められるだろうと言うことだった。しかし、理由が無いまま呼び出されると言うのはどこか不吉でならなかった。15年の年月が経るにしたがって、予算も人員も削減されたこの部署は存続の意義が問われているのも事実だったからだ。

 そして、指定された部屋の前までやってくるとドアをノックする。扉を開け、中に入るとすでに卓を囲んでいるメンバーを見て彼は驚きを覚えた。自衛隊関係者――いわゆる制服組――は陸幕僚長の長瀬、海幕僚長・南正英、空幕僚長・柳川稔と各自衛隊のトップが、政府からは藤田博史・防衛庁長官を筆頭に見覚えのある数人の閣僚とそうそうたる面子が集まっているのだ。背後では雨宮がドアを閉めたところだった。彼はその動揺を悟られないように敬礼する。

「失礼します。神崎三佐ならびに雨宮一尉参りました。」

 それに雨宮も続く。皺一つない制服を着た幕僚長達が敬礼で返し、背広組はふたりに軽く会釈する。

「よく来てくれた。そこへ座ってくれたまえ。」

 二人と一番面識のある長瀬・陸自幕僚長が自分達と対面となる席を勧め、二人もそこに落ちついた。

「急な呼び出しだったのは事態は一刻を争うからだ。単刀直入に本題へ入りたい。昨日未明、米軍横須賀司令部は第7艦隊所属攻撃型原潜『ダラス』が消息を断ち、その後の調査の結果、何者かに撃沈されたことを発表した。」

 南・海自幕僚長が淡々と事実を語った。

「原潜が!?アメリカにしては情報公開が早いですね。」

 声を上げたのは雨宮である。

「15年前の教訓があるのだろう。あの時は同じ様な状況でアメリカとソ連が一触即発なった。」

 閣僚の一人が嘲笑を交えて言うと、神崎は“15年前”という言葉に敏感に反応していた。15年前の事件とは、『奴』によって旧ソ連のタイフーン級戦略ミサイル原潜が撃沈された事件である。攻撃型原潜と戦略原潜の最大の違いは、戦略原潜が射程数千kmのSLBM(潜水艦発射式弾道ミサイル)を持っていることだ。核報復戦力である戦略原潜を攻撃することは、相手に対し核戦争を仕掛けることと同義である。当時、ソ連は撃沈の原因をアメリカの原潜による攻撃と断定。後に海上自衛隊の調査によりその誤解が解けるまで、ソ連率いるWTO(ワルシャワ条約機構)軍とアメリカ率いるNATO(北大西洋条約機構)軍が一触即発の緊張状態に陥ったのだ。

「我々が呼ばれるからには『奴』に関連があると理解してよろしいのですか?」

 神崎の一言でその場にいる人間全てが顔を見合わせた。

「これを見たまえ。米軍からの報告書、並びに自衛隊が出来る限り収集した資料だ。」

 藤田長官の差し出したファイルを神崎と雨宮は一枚一枚めくっていく。

「これは……」

 神崎はかすれた声を洩らした。

「ダラスは昨日早朝より小笠原沖で訓練航海中消息を断つ直前、SOS信号でこう打電してきた…」

「『本艦は巨大な生物の襲撃を受けている…』!」

 藤田長官が言わんとしている部分を神崎は読み上げた。

「そして、事件のあった海域近くでオンステージ中の海自潜水艦『わかしお』が捉えた“声”だ。」

 藤田が目配せすると控えていた官僚の一人が神崎たちの目の前にテープレコーダーを置いた。ややあって、スピーカーから“鳴き声”が流れてきた。ノイズが混じり不明瞭であるが、もの悲しくもありそして全ての生き物を威嚇する響きは神崎がこの15年間1日たりとも忘れたことない声だった。

「『奴』…『ゴジラ』…なんですね…!?」

 神崎はそうつぶやくと色が白くなるほど拳を強く握っていた。身を乗り出していた藤田はそれを聞くと椅子にもたれ掛かり、再び口を開いた。

「長浜総理はこの事実について緊急閣議を開く。閣議決定次第では防衛出動もありうる事態だ。そこで君達はアドバイザーとして閣議に参加してもらいたい。」

 隣の雨宮を一瞥すると神崎は答えた。

「我々が何の役に立つのか分かりませんが、そう言われるのなら同行致します。」

 

 

同日――首相官邸談話室

 神崎は豪華な椅子に座りながら何とも落ち着かない気分だった。隣では雨宮が緊張した面持ちでいる。窓際の席には総理大臣を中心に主要閣僚が穏やかな表情で談笑している、ニュースなどでもおなじみの光景だ。しかしこれは実際の閣議ではない。閣議前に閣僚たちが控え室で談話しているだけだけであり、閣議はこの部屋の隣の閣議室で非公開で行われる。

「(これから始まる閣議の内容はこの国の存亡に関わる問題だ…。それなのにこの緊張感の無さは何だ?雨宮の方がよっぽど正常な反応だ!)」

 神崎はこの国の危機管理の甘さを改めて呪った。15年の歳月はここまでゴジラの記憶を風化させていたのだ。やがて官僚と思しき人物が隣の閣議室の扉を開けると、内閣の面々は柔らかなソファーから名残惜しそうに腰を上げるとぞろぞろと入って行った。列の最後に神崎と雨宮が続いた。

 

「――以上で状況の説明を終わります。」

 三原山噴火によるゴジラの失踪から米原潜の撃沈までの経過を説明し、藤田長官が言葉を切った。閣僚の中には黙りこむ者もいれば、あからさまに信じられないといった表情を浮かべる者もいた。

「やはり…、ゴジラは日本を目指すことになるのかね?」

 閣僚の一人が口を開いた。長瀬陸自幕僚長が神崎を一瞥すると、彼は立ち上がった。

「84年のゴジラ襲撃の際に調査された結果によれば、ゴジラは磁性体の持つ本能によって日本に引き付けられているものと推測されています。今回、原潜を襲撃した事も長い眠りのうちに消費した核分裂物質の補給を求めたものと思われ、ゴジラがこれから日本本土に向かう可能性は高いでしょう。」

「では、万一ゴジラが出現した場合の対策は?通常兵器が奴に通用しないのは実証済みだ…。あの、スーパー…Xとか言ったかな?あれをもう一度使う手はないのか?」

「……スーパーXは前回ゴジラと交戦した際の損傷が激しく、現在の防衛予算の枠内ではデータ収集以外に使い道はもはや無い状態です…。実戦への出撃は事実上、困難でしょう。」

 閣僚の質問に長瀬は沈痛な面持ちで答えた。

 スーパーXは1980年代前半に米ソの全面戦争が起こった事を想定して、首都防衛用に極秘に開発されていた移動要塞とも言うべき特殊戦闘機だった。チタン合金を使用した外装、プラチナを多用した集積回路など核戦争を想定した高熱・放射能対策が施されていたことで対ゴジラの切り札として1984年のゴジラ襲撃時に出動した。しかし、ゴジラの驚異的な力の前に破壊され、高層ビルの下敷きになってしまったのだ。

 その後の自衛隊は防衛費GNP1%枠の制限などもあり、予算を圧迫するスーパーXのような超・兵器の開発よりもイージス護衛艦やF−2支援戦闘機、90式戦車の導入といった装備の近代化の方を重視していた。

「…確かに、私達も正面からぶつかっては通常兵器でゴジラを倒せるとは思っていません。しかしこれをご覧下さい――」

 神崎がそう言うと雨宮はスクリーンに浦賀水道付近の海図を映し出した。

「我々が発案した、ゴジラが太平洋より出現した場合を想定した撃退シミュレーションです。」

 その場にいる全員の視線がスクリーンに集まる。

「ゴジラは東京を目指し浦賀水道を北上する可能性が最も高いことから、浦賀水道沖に第1護衛艦群を主力とする水上部隊を展開します。」

 スクリーンに赤くGの文字が点り、その進路をあらわす矢印の前に護衛艦隊を現す鱗形が立ち塞がる。

「また、ゴジラの遠州灘方面への進攻を防ぐ為、相模湾・伊豆半島付近沖に第2・第4護衛艦群が待機します」

 神崎はその位置をポインターで示すと、そちらにも鱗形がモニター上に現われる。

「海中を潜行する目標に対し、あらかじめオンステージ中の潜水艦部隊が攻撃。海上に追い立てます。それと同時に海上部隊も攻撃開始。ゴジラを引き付けながら東に転進します。」

 護衛艦が動き出すとゴジラもそれを追って東へ。第2、第4護衛艦隊も距離を詰めていく。艦隊はゴジラを引き連れ本土からやや離れた太平洋上へ。

「この位置までゴジラを誘導すると、北上したアメリカ軍第7艦隊が合流します。」

 スクリーン上で、三方から艦隊の鱗形がゴジラを囲む。

「あとは全艦の火力をもってゴジラを攻撃します。艦隊にもかなりの被害が出ると予想されますが奴も生物。核エネルギーが尽きれば活動を停止するはずです。」

 スクリーンのGの文字をパシッと叩くとそれが掻き消える。

「なお、このシミュレーションは護衛艦隊ならびに米第7艦隊の戦力がゴジラの耐久力を上回っている、と仮定してのものです。」

 神崎がポインターを畳むのと同時に部屋が明るくなった。しかし、空気は重く沈んだままだった。

「総理、決断を…!」

 沈黙を破るように藤田長官が言葉を促した。

 その場にいる全員の視線が眉間に皺を寄せたままの総理の口元に集まる。

「――ゴジラは日本本土に接近していると判断し、自衛隊に防衛出動を要請する…!」

「総理――!?」

 納得がいかないといった面持ちで閣僚数人が立ち上がる。

「報道機関へは新聞各社に本日未明、テレビ・ラジオには早朝記者会見を行い発表する。関係各省庁は連携し市民がパニックを起こさぬよう留意して欲しい。」

 閣僚達の顔を説得するように見回すと、長浜総理は神崎達に向き直った。

「神崎君と言ったな。君は自衛隊の中でもゴジラに対するエキスパートと聞いた。頼りにしているよ…」

 去り際、神崎の肩にポンと手を置くと総理は部屋を後にした。

 

 閣僚たちが皆、出ていった後も神崎と雨宮、藤田長官、幕僚長達は部屋に残っていた。

「何はともあれやるべきことは決まった。我々海上自衛隊は哨戒活動ならびに対ゴジラ作戦の矢面に立つ事になったわけだ。」

 南はそう言うと制帽を手に立ちあがった。

「…ご迷惑をおかけします。」

 神崎は頭を下げた。それに南はかぶりを振った。

「三佐が悪いわけではないよ。奴が海から現われる以上、避けられないことだからな。日本の海を守り続けて40年、これが最後の大仕事だ。」

 南は白髪頭に制帽を被ると感慨深げに言った。来年一杯で南は自衛隊将官の定年である60歳を迎えるのだ。

「もちろん、我々航空自衛隊も作戦を全面的に支援する。」

 柳川・空自幕僚長が続けて言った。

「万一、奴の上陸を許す事となれば私達の出番だよ。神崎君…。」

「はっ…。」

 長瀬陸自幕僚長の言葉を噛み締めるように神崎は短く答えた。

「陸・海・空、自衛隊の総力を結集して対ゴジラ作戦は行われる。神崎君と雨宮君は横須賀に戻らず指揮所の方に詰めてもらいたいがよろしいかね?」

「私は構いませんが…」

 雨宮は神崎をちらりと見た。神崎の事なら現場で直接指揮したい、などと言い出しかねないと思ったからだ。だが、神崎も静かに承諾した。

事態はついに動き始めたのだ――。

 


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