レ・ミゼラブル

作=アラン・ブーブリル
クロード=ミッシェル・シェーンベルク
原作=ヴィクトル・ユーゴー
音楽=クロード=ミッシェル・シェーンベルク
作詞=ハーバート・クレッツマー
演出・潤色=ジョン・ケアード、トレバー・ナン
日本語訳詞=岩谷時子

ルビ吉観劇記録=1988年(大阪、東京)、1989年
(大阪)、1994年(大阪)、2004年(福岡)、
2006年(大阪)

※2006年の大阪公演はこちらから→★★★ 
※『レ・ミゼラブル イン コンサート』のレビューは
こちらから→★★★
【このミュージカルについて】
ユーゴーの「ああ無情」が原作。もちろんあくまで原作であり、ミュージカルは舞台としてのアプローチで描かれている。初演は1985年のロンドン。日本初演は2年後の東京。斉藤由貴のコゼット、岩崎宏美のファンテーヌ、野口五郎のマリウス…などと、テレビタレントが出演している舞台としても話題になった記憶がある。
日本初演から16年。その間に多くのミュージカル・スターを生み出した。手元にある88年のパンフレットを見ると、現在は主役ジャン・バルジャンを演じる今井清隆や石井一孝がアンサンブルにいたり、マリウスを演じる山本耕史などは子役で出ていたりするところに歴史を感じる。
福岡では初演となった今回の『レ・ミゼラブル』は、昨年東京で上演された新演出のもの。それまでの舞台より、上演時間が12分短くなっている。←ブロードウェイの俳優組合(ユニオン)との取り決めで三時間を越える舞台にはギャラがエキストラで発生するが、そのコストダウンを狙ったのがそもそもの理由らしい。

【観劇記】
上の観劇記録を見てもらっての通り、実に10年ぶりの『レ・ミゼラブル』観賞。その10年間にもキャストを変えてたびたび上演されていた演目なのですが、俺は一度も見ることがありませんでした。長い間、「音楽は素晴らしいが、物語が悲惨すぎ。舞台もやたら薄暗く、出演者がぐるぐる回ってるだけで単調」という印象だったのです。今回見る気になったのは久しぶりに音楽を聞きたくなったのと、俺の大好きな女優・井料瑠美が劇団四季を退団後、初めての大作に挑んでいるから。しかし理由がそれだけであれ、見て本当に良かった。『レ・ミゼラブル』の評価がガラリと変わりました。「素晴らしい」の一語に尽きます。昔はこの作品の何を見ていたのだろう…と、自分でも不思議です。10年という歳月はいったい俺にどんな変化をもたらしたのでしょう?(笑) 単なる嗜好の変化か、人間的成長か??

この作品は悲惨さという闇で覆われているけれど、その中に小さいながらも煌々と灯り続ける人間の「善」の心がピュアに描かれています。人はどう生きるべきかを諭しているのかもしれません。ホント、いい話です。物語の本質が自分のものになると、もともと美しい音楽は倍増して各場面を彩ります。俺も3回は泣くというものです(笑)。
今回は役者たちが芸達者であったことも、『レ・ミゼ』の良さを深めたと思います。俺が見た公演回はどちらかというと地味目のキャスティングでしたが、演技力と歌唱力は素晴らしい。心打たれるものがありました。また東宝ミュージカルとは思えないほど(?)、アンサンブルが揃っていたことにも驚きです。

ところで、ジャン・バルジャンは新約聖書を、ジャベール警部は旧約聖書を象徴しているとはよく解説されるところです。これはもちろんバルジャンの自己を犠牲にして他人を救う姿勢や、ジャベールの、規律を厳格に重んじる姿勢を指しています。また、コゼットとエポニーヌは光と影の関係に例えられたりします。こうした相反する二つのものが一緒になって動くストーリー構造って、ドラマを実に陰影深く表現することが出来るんですね。『レ・ミゼ』にはそういう2個イチの関係が上の二組以外にもたくさんあって、ドラマとしても本当によく出来た作品だなぁと、あらためて感心させられました。ミュージカルでこれだけストーリーが凝っているものって、珍しいですね。

新演出の『レ・ミゼ』ということでしたが、舞台装置等の美術面は恐らく以前のまま(違ってたらゴメンナサイ)。初めて見た時は作品の象徴とも言える“巨大バリケード”が登場すると「おおっ!」と感激しましたが、今は特に目新しい感もなく…。照明のトーンや盆の廻りなども単調と言えば単調。それは今回も同じ印象です。しかし単調というか、美術面がシンプルな方が歌やドラマの感動が引き立つこともあります。『レ・ミゼ』って、そういう良さなんでしょうね。たぶん。


【ルビ吉の好きな音楽、場面】
一日の終わりに At the End of the Day
貧困のドン底を歌っていてメチャ暗いんだけど、妙に活気のある音楽で好きです。ファンテーヌが工場で濡れ衣を着せられてクビになってしまう場面です。ここでは後の場面で主役クラスで登場するコゼット、エポニーヌ、テナルディエの妻、マリウス、アンジョルラスたちも、工員や失業者などのエキストラに扮して登場しています。それを見つけ出すのもまた楽しい。

ファンテーヌの死 Fantine's Death
最初の泣き場面です(笑)。命と引き換えになんとか娘のコゼットを幸せに…と願いながら黄泉の世界に旅立つファンテーヌ。涙なくして見られましょうか(笑)。歌う歌は歌詞こそ違え、二幕でエポニーヌが死ぬ前に熱唱する「オン・マイ・オウン」と同じメロディー。この曲は最終場、既に亡くなったファンテーヌとエポニーヌがバルジャンを迎えに来るシーンでも使われます。「死」に関係する重要場面で登場する曲?
ちなみにファンテーヌは一幕前半のこの場面でさようなら。次は二幕最終場まで出てきません。井料瑠美ファンテーヌを観に来ているのに、なんていうこと!井料さんはファンテーヌとしての出番がない間、ピエールという革命少年(?)に扮してエキストラとして出ています。

民衆の歌 The People's Song
一幕後半、民衆の味方であったラマルク将軍の悲報が届き、学生たちはいよいよ自分たちが決起すべき時が来たと立ち上がる。歌は『レ・ミゼラブル』の代表曲と言っていいでしょう。二幕最終場ではほぼ全員による、この歌の大合唱で幕を閉じます。明日を信じて明日のために戦う…といった内容の歌でしょうか。どうでもいいことですが、俺は「屍越えてひらけ明日のフランス」という歌詞が、最初に聞いた時から頭にこびりついて離れません。凄くないですか?「屍越えて」って…。岩谷時子先生の訳詞にビックリ。

心は愛に溢れて A Heart Full of Love
コゼットとマリウスの美しいデュエット曲です。エポニーヌの取り計らいで知り合うふたり。お互いすぐに惹かれあっていく心内を表現した歌です。この曲を聴くとコゼット役の美しいソプラノは絶対条件だと痛感します。昔に見た『レ・ミゼ』はあまり覚えていないけど、佐渡寧子コゼットのこの歌は今でも覚えています。美しい歌声に酔いしれました。
安達祐美とか早見優とかもコゼットを演じてますが、ちゃんと歌えていたのでしょうか?

オン・マイ・オウン On My Own
二幕早々の場面です。振り向いてくれないとわかっていても、好きな男のためだったら何だってするエポニーヌ。愛する男に頼まれた手紙を恋敵に渡しに行った彼女が、その帰り道に切々と歌います。「愛する人を思えば幸せになれる。でも一生夢を見ているだけ。話し相手は自分だけ。私はいつもひとりぼっち」というような内容で、聞いてるほうが切なくなります。ルビ吉、二度目の泣き場面(笑)。あぁ、鼻水が…。

バルジャンの告白 Valjean's Confession
最終場です。コゼットを愛する男と結婚させ、彼女を幸せにするというファンテーヌとの約束をようやく果たし終えたバルジャン。重荷を降ろし、いま神に召されていく。そして旅立つ前に、コゼットに秘密を打ち明けなくてはいけない。「私は父ではない」と。
ルビ吉、泣き収めの場面です(笑)。もうこのあたりになると嗚咽が漏れて…。

【役者の感想】
今井清隆=ジャン・バルジャン
このレビューでもたびたび登場しては、俺に「歌は上手いが存在感がない」と言われっぱなしの今井さん(笑)。今回はそこそこの存在感でした。ていうかバルジャンって存在感があり過ぎても話がややこしい。『レ・ミゼ』ってある意味、群像劇ですからね。ひとりだけ突出されても…です。そういう意味では今井さんはベスト・マッチ。
結局今井さんの存在感って…。今回は褒めてることになるのか…?(笑)
歌の上手さは今回も抜群。聞かせました!

今 拓哉=ジャベール
劇団四季時代に見たことがあるんですが、この人もイマイチ地味というかなんというか。でも今井さんと同じ理由で『レ・ミゼ』では“地味”もアリです。歌はめっちゃ良かった。昔見た村井国夫のジャベールなんて、「何やったん?」と思えるほど。

ANZA=エポニーヌ
初めて見ました。『ミュージカル・セーラームーン』の月野うさぎを5年間努めていた女優だそうです。芝居もしっかりしているし歌唱力も文句なし。エポニーヌ役は初演以来、島田歌穂がひとつの完成形を作ってしまったから、後続の人はやりにくいでしょうね。
ANZAさんは、やや島田歌穂寄りのエポでした。

井料瑠美=ファンテーヌ
ステキ!もう、ステキステキ!!博多まで来たかいがありました。ミュージカル女優の中では井料さんの歌声がイチバン好きかも。井料さんのちょっと“泣き”の入った歌い方が、ファンテーヌにはぴったりで、顔ももともと薄幸系。うってつけのキャスティングですね。

剣持たまき=コゼット
これまた初見の女優。あまり大役の経験もなく、大抜擢ってところでしょうか。…って、オーディションでしたね。いやいやそれにしても美人だなぁ〜、剣持さん。ホレボレします。歌もクラシック正統派という感じがして、コゼット向き。かなり気に入りました。

岡田浩暉=マリウス
大好き。何が好きって、顔が好き。いいよねぇ、かわいいよねぇ。一日中、眺めていたい。『レ・ミゼ』のプログラムとかホームページとかに岡田君のコメントが色々あるんだけど、彼ってまじめなこと書いてんの。も、そんなところも可愛い。掘れそうです、ではなく惚れそうです。いや、掘ってもいいんだけど。って、いかんいかん。ミュージカルのページでした(笑)。マリウスとしての岡田君は、顔が岡田君じゃなければ「イチから勉強して来い!」なんだけど、岡田君だからぜ〜んぜんオッケー(はぁと)。ブラボー♪

森公美子=ティナルディエの妻
コメディ味を出しまくりのティナルディエの妻でありました。何気に乳芸を取り入れていておかしかった。本来こういうアドリブのギャグって俺は嫌いなんですが、森さんは芝居の流れの中で自然に、そして何気なく取り入れてるから上手いなぁと感心しちゃいました。こういう見せ方ならアリです。歌や芝居については、今更書くまでもないでしょう。抜群です。ちなみに乳芸とは巨乳をブルブルッと揺らすだけのことです。水芸のように
乳首から乳をピューッと出したりはしません。念のため♪

吉野圭吾=アンジョルラス
歴代「美しい男」が努めているアンジョルラス役。そういう意味では吉野くんは適役。
イメージ通りという感じがします。ただアンジョは一幕後半で「民衆の歌」のリードを取る重要な場面があります。ここでの吉野君はちょっといただけません。決して下手ではないんだけど、俺のハートに響く歌ではありませんでした。

【物語】
 パンを一切れ盗んだために19年間投獄生活を送ることになったジャン・バルジャン。仮出獄で町を彷徨うも、一宿一飯の恩義にあずかった司教の家から銀器を盗んで逃亡する。じきに捕らえられるが、司教は「銀器は彼にあげたものだ」と言い張ったうえ、バルジャンには「これも差し上げるつもりだった」と言い銀の燭台をも差し出した。闇の世界で生きてきたバルジャンは、そんな司教の深い心に愕然とする。そして今までの自分を捨て、生まれ変わることを決意するのであった。

時は流れ生まれ変わったバルジャンはマドレーヌと名前も変え、市長として、また工場主として輝ける人生を生きていた。しかし町には、仮出獄のまま行方をくらましたジャン・バルジャンを執拗に追いかけるジャベール警部がいた。彼はある出来事から、マドレーヌ市長があのバルジャンとあまりにも似ているといぶかしみ、市長に「ジャン・バルジャンという男がまもなく法廷で裁かれる」という情報を与える。ひとりの無実の男が裁かれることを知ってしまった市長は、とうとう自分が本当のジャン・バルジャンであると告白。
しかし、いま逮捕されるわけにはいかない事情が彼にはあった…。

 ファンテーヌという女工が言われのない理由で、マドレーヌ市長の工場をクビになった。彼女にはコゼットという幼い娘がいたが、貧困の余りテナルディエ夫妻に預けていた。ファンテーヌはテナルディエ夫妻にせっせと金を送るも、貪欲な夫妻からは破格の養育費を要求されていた。仕事を失ったファンテーヌが金を作るには、もう体を売るしか手段がなかった。しかし淫売宿で騒ぎを起こしてしまう。
それを助けたのは通りがかったマドレーヌ市長。ファンテーヌ自が分の工場で濡れ衣を着せられたこが原因で今の悲惨な生活にあることを知り、自責の念に駆られる。もう余命なきファンテーヌに、自分が必ずコゼットを引き取り幸せにすると約束。ファンテーヌの約束を果たすまでは、何があっても逮捕されるわけにはいかないのであった。

 コゼットを引き取って10年後。バルジャン、そしてすっかり娘らしくなったコゼット、テナルディエ夫妻とその娘エポニーヌ、バルジャンを今なお追い続けるジャベール、彼らは皆パリに向かっていた。パリは貧困が蔓延し、革命に燃える学生たちで街は騒然としている。アンジョルラス率いる学生グループの中に、やがてコゼットと恋に落ちるマリウスがいた。そしてそれぞれの更なる人生のドラマが始まろうとしていた。

モドル