6月某日「夏は夜」 |
ある日の会社帰り。人もまばらな夜の商店街を歩いていたら、蚊取り線香の香りがふと鼻に触れた。俺はこの香りを嗅ぐと「あー、夏だなぁ」と感じる。陽射しだとかセミの声ではなく、俺にとっての夏の象徴は蚊取り線香なのである。その商店街での香りの元は、シャッターも下りた店先に出ていた縁台であった。団扇を手に夕涼みをするじいちゃんと蚊取り線香。風鈴などもかすかに揺れて、まさしく夏の風情である。 家の近くでは気の早い子供たちが花火で遊んでいた。無邪気に遊ぶ子供の声と花火の匂い。「夏が来たんだなぁ」としみじみ思う。昼はあまり外にいない俺だが、夏は夜でも季節を感じさせてくれる。 『枕草子』を開くまでもなく、「夏は夜」なのである。清少納言の言う月夜だとか闇夜の蛍は、現代の都会で望むべくもない光景だが、それでも夏の夜はいい。 ところで先ほどの夕涼みのじいちゃん。寝ているのか死んでいるのか?という状態で 座っていたじいちゃんなのだが、数メートル歩いてもう一度ふり返ると、なんとびっくり!姿が消えていた。よほど俊敏なじいちゃんだったのか、それとも俺が見たのは…。 こういう体験も夏の夜ならではである。 ![]() |
6月某日「恋愛戯曲」 |
一体どんな星の巡りなのか最近は出会いづいていて、“こんな俺にも恋の予感?”と調子をこいていた。結果から言うと何ら実りはしなかったが、ドキドキしてみたり腹を立ててみたりの毎日で、それはそれで楽しかった。しかししばらく恋愛最前線から遠ざかっていたせいか、恋愛って難しい!とあらためて思う。何が何でも手に入れるぞ的な充分な気合とかがいるのか。なりふり構わずって姿勢が大切なのだろうか。相手に合わせるべきか自分に合わさせるべきか…。恋愛に関して耳年増な俺も、久しぶりに実践に入ると暗闇を手探りで歩いているようだった。なかなか思うようには進めない。 今回の出会いの連発は、いずれも次のステージに上がれなかったけど、いいウォーミング・アップにはなった。友人は「一生分の出会いが誤って一時に全部来ちゃったんじゃないか」と言うけれど、俺は次なる出会いに期待して明日を待つとしよう。…って、俺にまだあるのかなぁ、出会い。 ![]() |
6月某日「ひとりで過ごす」 |
ひとり気ままに時間を過ごすことは嫌いではない。人にも時間にも気を使わないのは、かなり贅沢なことだ。ある日の休日、朝早く目覚めた俺はそんな一日を過ごそうと気分も上々に外へと出かけた。なのに、思いつきで観にいった芝居で、仕事関係の知り合いと偶然出くわすなんて…。しかも隣の席。「えっ、おひとりで見に来られたのですか?」と 聞かれたうえ「奥さんもお誘いすればいいのに」とまで言われ、絶句。仕事上これから 疎遠になるヤツなのでどうでもいいかと思い、「ええ、元気に生きていたらそうしたかったところなのですが…」と伏目がちに言ってやったら、ひとこと「あ、すみません…」と残してもう何も言ってこなかった。ザマーミロ。だが独りで過ごす贅沢な時間は少し影が差した。 芝居が跳ねた後、簡単なものを食べようとプロントに入ったら今度は後輩の女ふたりに出くわす。今日は一体どないなってんねん?「おひとりですか?ご一緒しません?」と、有難いようで迷惑な申し入れをかわし空いてる席に着く。妙に居心地が悪い。 考えすぎなのはわかっているが、ひとりでいるところを「おひとりですか?」とわざわざ 聞かれるのは気分が悪い。ひとり気ままに贅沢な時間を過ごすことは、些細な横ヤリで もろくも崩れてしまう。こう思うのは潜在的に孤独を感じているということなのだろうか。 ひとりの気楽さと孤独は表裏一体ということなのか。考えすぎ…? ![]() |