5月某日「フェロモンの不幸」 
 友人Aくんはパッと見がフェロモン系の男。いわゆるモテ筋。本来なら幸せなコイバナのひとつでもあって然るべき。なのに…。本人は「近づいてくる男はみんな、色こいてきてるのがみえみえ」だと言う。つまりヤリ目的だと。俺はといえば、そんな目的で近づかれた記憶がない。男として生まれた限り、一度くらいセクシーダイナマイツ!な存在になってはみたいものだ。ギラつく視線で舐めまわされるって、どんなだろう?なーんて、思ってもみたり。
 ま、それはさておき、Aくんはこれまで3人の男と付き合った。しかしそいつらはみんな“なんだか…”な男。自殺未遂をされました、ストーカーまがいのことをされました、二股かけられました…。いずれも溜息なくしては聞けない恋愛話ばかり。確かにフェロモン系は男も女も“危険な香り”という言葉で表現されるし、軽い遊びは堪能出来ても本気出して近寄ったら大ヤケドしそうなのは明らか。A君の場合がどうだったかは別として、それでもフェロモン系に本気出して近づいてくる男は、同類のフェロモン系なのか自信過剰なのか、はたまたマトモな感覚が欠落しているということなのか…?
 自分の恋愛話をここで書くのは恥ずかしいが、非セクシーダイナマイツな俺は不幸な恋愛をしたことがない。恋愛であるからには、修羅場もあれば傷ついたこともある。最低な別れ方をした恋愛もある。しかし楽しかった思い出の方がはるかに残っており、つきあった男それぞれに本気で好きだった気持だけが確かな記憶として残っている。

 自分にフェロモンがなくて良かったとかモテ筋じゃなくて良かったなどと、そんな負け惜しみを言うつもりはない。やはりないよりあった方が、こと恋愛に関しては楽しいだろうと思うから。でもあったらあったでの不幸というものもあるんだなぁ〜と、A君と話していて
しみじみ思った。
 ちなみにA君はパッと見がモテ筋というだけで、中身はまともな男。自分がモテることも実はあまり認識できていないというか自信なさげ。本人は外見を武器に男を翻弄することもないのに男が勝手にやってきて勝手に破滅していってる、或いは勝手に翻弄されにきて一方的にA君を責め立てる…と、そんな感じ。でもこれってやっぱり悲劇。どう考えてもA君てば、不幸のうねりに巻き込まれている。

…嗚呼、A君に素晴らしき愛を!ついでに俺にも必要最低限の愛を!


                  

5月某日「大黒摩季」 
 先日ココでmixiについて書いたら、何通かメールをもらった。そして今日、「mixiだろうがフォトメだろうが、モテるヤツはモテるしモテないヤツはモテない」と身もフタもないことを言ってきた友人。挙句の果てに「だからりゅうさん、mixiなんてしない方がいいって」。
…おいおい、失礼にもほどがあるってものだ。

 もう何年ぶりかに大黒摩季の『ら・ら・ら』という歌を耳にした。いい歌だ。しかしその歌詞を聞いてドキッとした。「あっという間にもうこんな年だし親も年だし−(中略)−何かやらなきゃ誰にも会えない」。おっしゃる通りである。的を得るにもほどがあるってものだ。


                  

5月某日「night music」 
 綾戸智絵。人前で「まいど!」と挨拶するあのオバハンだ。俺は芸能人で「まいど!」と挨拶するのは、「まいど!横山だ」の横山やすし師匠だけだと思っていたが、そんなことはどうでもいい。ここ数日よく聞いているのである、まいど・アヤドを。ジャズに関しては
日本のアーティストをほとんど聞かないので、このオバハンも名前とキャラはよく知っているのに音楽は知らずにいた。数日前、俺の友人で日本イチ退廃的な人妻が誰かに貰ったというアヤドのCDを、「こいつキライ」というたった6文字のメッセージと共に俺に横流ししてくれた。聞くきっかけとなったのはそんなことだ。

 夜、窓を開けてアヤドの歌う『Moon River』『この世の果てまで』それから『Danny Boy』なんかをボケーッと聞いていると、不思議と癒される。しわくちゃのババァ声がこんなに心に染み入るなんて知らなかった。オバハン、侮りがたし。
 昨日はCDをくれた退廃の人妻に、「コイツ好き」と5文字で感想を伝えておいた。


                  

5月某日「mixi」 
 気がつけばカウンターが78万にもなっていた。更新もままならぬなか、まだこのホームページを楽しみに見てくれる方がいるということなのだろうか。ありがたい。
 時代はmixi。どこに行っても「やってる?」と聞かれるから、本当に大勢の人たちがやっているのだろう。多くのHPの管理人さんが「mixiが流行りだしてから書き込みが減った」と言うが、ウチの書き込みが減っているのもそれが理由なのだろうか。俺はコンテンツ自体に飽きが来たんだろうなぁーと分析していたのだが、どうだろう。まぁ、そんな中、書き込みまでとは言わずとも、更新した内容の感想だとか自分の近況だとかをメールで下さる方も時々いて、そういう方には頭の下がる思いでいっぱい。たとえホームページを閉鎖しても、友人として長いお付き合いをしていただきたいものだ。

 話は逸れたがmixi。俺にも招待をして下さった方が数名いるが、イマイチ踏み込めずにいる。その理由は明快。年齢的なものが俺の二の足を踏ませるのである。ゲイとして生きているとついつい自分の年齢など忘れがちで、しかしある瞬間ハッとすることもしばしば。自分と同世代のノンケは毎日何をしているんだろうと考えると、襟を正すような瞬間があるのである。「マイミクつながり〜」なんて、若い子に混ざって俺はもう言ってる場合ではないよな…と。こういうことを言ってると「そうやって考えすぎるところがルビさんの悪い癖」とか「どうせノンケとして生きられるわけじゃないんだから、楽しく生きましょうよ」と言う人もいて、そう言われると「そうかな」とも思ったりして俺も一体どうしたいのか?
 こんな書き方は時代に取り残された感も甚だしいが、そもそも皆がmixiにハマるのはなぜなんだろう?友人のパソコンで見せてもらったこともあるが、よくわからなかった。友人曰く「これは見るというより参加するものだから、実際にやってみないと楽しさはわからない」らしい。ナルホド。

 ところで勝手に色んな人のページ(?)を次々と見ていたら、「足跡がつくんだから、ボクが見に行ったと思われるからやめて」と注意を受けてしまった。聞けば“カキコ返し”の慣習も何気にあるらしく、なんだか大変そう…。でもそんなmixiを続けてりゃ人付き合いのコツだけは鍛えられそうか。大きなメリットかもしれない。


                  

5月某日「GWは何を?」 
 部屋のAV関係の配線をし直したので、ついでにスピーカーも少しだけレベルアップさせた。するとどうだろう。スピーカー自体のランクは少ししかアップしていないのに、音はまるで違う。小音量でも聞きやすいのだ。しばらく部屋で音楽を聴くことも忘れていたが、久しぶりにジャズ・ボーカルを演奏してみたりして気分は最高。そうなると欲しくなるのはソフト。買おうと思いつつも保留にしていたビリー・ホリデーを明日にでも買うべきか。

 さてGWも終わり。今年も例年ながら、「何してます?」という質問に答えられないような何気ない毎日。とはいえ、それが“自分流”の連休の過ごし方…なんて言い切ると、開き直りにしか聞こえないな、きっと。
 今年楽しかったと言えば、4人の王子が「会いましょう」と声をかけてくれた。1人は都合がつかず次回に持ち越したが、3人とはそれぞれに楽しい時間を持てた。mry2くんなどは彼氏を紹介してくれたりで、こういうことは結構うれしい。「こんどは2人一緒に写真を撮ってもらおうか」などと盛り上がったが、初のカップル写真集と相成るか?!…どうかはわからないけど、そうなればスんゴーイのを撮らせていただきましょう(笑)。
目指せ!羽賀研二&梅宮アンナ写真集!!←見たことないケド


                  

5月某日「メールについて」 
 ある友達からメールが来た。そこには近況報告とともに、彼の心内をうかがわせる内容が記されていた。そして末筆には「夜に書いたメールは朝に読み返してから送る方がベターなんだけど」といった、“おことわり”のような内容が添えられていて、俺の目はその一文でとまった。
 まったくそう思うのである。夜中に感情のまま書き綴ったメールは冷静な状態で読むと、えてして寒かったり誤解を生んだり、時には人を不愉快にさせることさえある。メールによるこんな失敗は夜中という時間に限ったことではない。要は読み返すことなく送ったメールは、こうした事態を引き起こす確率が高いということだ。俺は携帯のメールでそんな失敗をすることが少なからずある。携帯メールは短時間に勢いで文章を入力してそのまま送ることが多いからだろうか。実は今日も、俺の妙にへりくだった文章のメールが相手を不快にさせたフシがある。おそらく受け取った相手は、俺の態度が卑屈にみえたかもしれないし、もしかしたら嫌味に思えたかもしれない。自分としては自然なやり取りの中で書いた文章も、少なくとも相手にとっては不自然で何かひっかかる物言いに映ったようだ。
 …携帯メールによるこうした失敗をしてしまい少し凹んでいたところに、上に書いた友達からのメールの一文。今夜は今さらながらメールについてあれこれ考えてみる夜となった。

 ところで、冒頭に書いた友達のメールにあった「夜に書いたメールは…」には続きがあって、「しかし朝に読み返すと、送ることを躊躇しそうなのでこのまま送ります」とのこと。時として勢いで綴ったものをそのまま送った方が良い場合もある。


                  

5月某日「駆け込み寺にて」 
 3年ぶりにレンタルショップの会員になった。深夜の堂山で煌々とした灯りを放っているあの店だ。GWはこう過ごそうと自分勝手に思い描いていたプランその1もその2も大破して、その3以降は考える気力もなくし、すっかりヒマを持て余した人間には駆け込み寺のような店である。
 1週間レンタルをしているにも関わらず、借りた2日後には返却するという優良会員の俺は、その日もパッケージのあらすじを吟味しながら借りるべきソフトを選んでいた。しかし救いの手を差し伸べるはずの駆け込み寺で、俺の心は言うに得がたい複雑な思いを強いられることになったのである。真夜中のそのショップで昔の男に出会ってしまったのだ。
会っただけならよかったのだが、向こうは今の彼氏と2人。ちゃんと紹介してもらえなかったので断言は出来ないが、たぶんそうだろう。きっと『寝る前に何か映画でも見よっか☆テヘッ』てなものであろう。俺はと言えばババくさい韓国ドラマのソフトを5本も選んでいる最中。おまけに髪はボサボサ、服もパッとしない。履いてた靴も昔に買ったものでいただけない。ありったけの精神力で涼しい顔を装ってみたが、時間も時間。かなり暑苦しい顔をしていたに違いない。少し会話した後お互い「じゃ、またね〜」なんて言い合ってみたが「また」って何だ?!「また偶然会いましょう、10年後くらいに」という意味か。

 帰りのタクシーの中であれこれ考えてみた。彼はあの頃より確実にカッコよくなっていた。連れていた彼氏もイイ男であった。やはりデートだったのか、おしゃれでもあった。それに比べて今日の俺は…。つまらないところで自意識過剰になる俺。今日一日だけでも朝からやり直したいと浅はかなことを考え出す始末。

 バカげた見栄は意外にも翌日まで引っ張り、次の日は朝早く起きて散らかりきった部屋を掃除した。午後からは服を買いに行った。靴は売るほどあるからもういらない…と思っていたが、掃除してかき集めた大量のエロDVDが中古ショップで数万円にもなったので、結局以前から目をつけていた靴も買ってしまった。

 紙袋から出してもいない服と靴を目の前にして、俺は今、大きなため息をついている。
ひとりで空回りしてしまった、俺のゴールデンウィーク。ここまでゴールド感のないウィークなら、もういらん!


                  


4月にモドル
6月にススム

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