コンセプトは「テレビやラジオが1,5倍面白くなる」「テレビやラジオについて1,5倍詳しくなる」「テレビやラジオに対して1,5倍疑問をもつようになる」ような内容にしていきたいと思います。新聞などの活字メディアについてはせいぜい1,1〜1,2倍程度にしておいてください(苦笑)。
第三弾 「ニュースステーション」
1985年10月7日、当時小学二年生だった私は21時に寝るのが常であった。しかし、その日に限っては22時まで懸命に起きていようとした・・・ニュースステーションの第一回を何としてでも見るために(当時の我が家にはビデオなるものがなかった!)。しかし、残り10分というところであえなく力尽きてしまった。
今にしてみれば、「新しいニュース番組の初回を見たい」だなんて小学二年にしては異常にませている。当時の我が家では「民放であれNHKであれ、朝晩最低一回は必ずニュースを見ること!」という、ある種の不文律みたいなものが成立していた。まあ、朝は朝で“7:00直前に放送されるローカルの天気予報によってその日の学校の動向が決まる”(当時、その時点で伝えられる最低気温=6:00の気温が−24.6℃を下回っていれば一時間遅れでスタートするという校則があった・・・今はどうなったのだろう?)ということがあったし、夜は夜でオヤジがチャンネル争いの主導権を握っていたこともあって平日は“18:45のローカルニュース(NHK)→19:00のニュース(これもNHK)→野球中継(巨人戦)”という相場が決まっていた。そんなこともあり、ニュースを見ることは僕の中で既に小学生にして習慣化していたのである。
実際、“久米宏の「ぴったしカンカン」や「ザ・ベストテン」”(いずれもTBS)をリアルタイムで見た記憶はない(私の記憶の中で黒柳徹子の相方は“世界の松下賢治”になっている)。ましてや彼がラジオ畑出身であるということは知る由もなかったのだが、何故か「おしゃれ」や「TVスクランブル」(いずれも日テレ)については薄らながら覚えているのである。特に「TVスクランブル」については、我が家では大河ドラマよりも見る頻度が高かったこともあった。現在はどちらかといえばニュースステーション嫌いのオヤジが当時恐らく“熱狂的横山やすしファン”だったからなのだろうか・・・独身時代大阪でサラリーマンやってたし。
久米宏本人については既に各所で言い尽くされているのでこの辺でやめにするが、その他にもNステの魅力はいくつかある。その一つは他に類を見ない大きなセット。現在のセットは自動車整備工場跡をイメージしているようだが・・・はっきり言って、でかい!あんな夜景や2階があるセットなどそうそう見られない・・・といっても、あれがあるのは溜池山王のアークヒルズ放送センターの地下3階である。そしてただだだっ広いだけではなく、いろんな場面で余すところなく見事に使いこなしている。「あのブーメランテーブルの前に座ってみたい!」と何度思ったことか(笑)。実際、あれを作るための予算は1億円らしい。
何よりNステといえば・・・オープニングテーマ!鼻歌で歌おうと思えば初代から現在の7代目までソラでいける(笑)。特に6代目=先代。渡辺真理(何故かわからないが、僕はどうしても彼女をOGとして認めたくないのである)と白木清か(現在は日本ハムの金子誠選手の奥さん)が新加入した際にロゴと一緒に変わったものだが、初日一発目の「シャ〜ラ〜ラ〜」を聞いた瞬間にあることに気が付いた・・・そう、あれがゴスペラーズによるものだということを。案の定、数ヵ月後にはアルバム「Vol.4」に「靴を履いたまま」というタイトルで歌詞付きの歌が入っていた。おまけにCD発売日にはゲスト出演まで・・・まさか今のようになるとはその当時は想像もつかなかった(苦笑)。ちなみに今では僕のカラオケの十八番になっている・・・といっても入っている機種はそんなに多くない。おまけに現在の曲のCDまで手に入れてしまった(苦笑)。
ま、あちらこちらで賛否両論ありますが、一度は長期休養した久米宏が正式に「引退する」と宣言するまでとりあえずあったかく見守ってやりましょうや・・・その長期休養中に真中瞳に目をつけたということは抜きにして(笑)。どうせ彼がいなくなったら番組は必然的に終了してしまうんだろうし、“体言止めの多用”“ダチョウ倶楽部のリーダーによる物真似”という偉大なる足跡を残したからよしとしようか(爆)。
第二弾 「週末の夜は・・・」
第一弾 「夕方ニュース戦争、ついに終結・・・か!?」
