私と秋元さんがいまのところ世話人をして実施している複葉(多葉)機競技は、そもそもはAGのホワイトウイングスのホームページのミーティングルームに塚原さんが複葉機競技を提案して、仙台の本田さんと検討を始めたところに私や秋元さん等が乱入して、皆でああでもないこうでもない、と検討している内にまとまった競技です。 そもそもが複葉機競技ということだったところに、秋元さんが多葉のハンデを提案して、私が試作機を作って実験して、滞空時間に葉数をかけて得点とするという方式にして、規定案をまとめて、勢いで筑波宇宙センターで1998年1月11日のつくば紙飛行機を飛ばす会の新年の例会に相乗りして第1回の競技飛行会を実施することになりました。 ところがその3日前の1月8日には関東地方は珍しい大雪に見舞われ、当日になっても宇宙センター広場は約10cmの積雪が残っているという状態で、つくば紙飛行機を飛ばす会の例会そのものは中止となってしまったのですが、世話人の私と秋元さんは、複葉(多葉)機はインターネット上を通じて遠くからの参加もあるだろうことから、中止は困難と判断して、いちおうこの競技だけを独立して実施することとしました。 川崎の桝岡さんが2葉で滞空時間をかせいで優勝、私が葉数で係数をかせいで2位という結果になりました。その後検討を重ねて現在の規定になっています。4月12日の第2回飛行会では参加者が11名とふたけたになり、私が優勝しました。 規定は今後も飛行会を重ねていって改良し、将来的にはジャパンカップの種目に採用されることをめざしています。 そもそも、この競技の提唱の趣旨は、現在の滞空競技の機体が高性能になりすぎて、飛ばすに十分な場所を確保しずらいこと、高性能であるがゆえに調整が困難で、安全性に問題があるのではないか、というような問題へのひとつの回答にあったわけです。より飛行性能が低いであろう多葉機に重み付けをして、有利にしているのは、こんなとこにも理由があります。 ちなみにつくば紙飛行機を飛ばす会では、今後も、例会のレギュラー種目として複葉(多葉)機競技を行い、例年11月に行われるつくばEXPO杯紙飛行機大会の競技種目にも採用されています。 |