私と天体写真
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 私の現在の趣味のひとつは天体観測(観望?)ですが、私が小学校に入る以前に私が最も怖かったものは、実は星なのです。朝、トイレに起きてもう星は見えないだろうと思ってふと窓の外を見ると、明るい星が一つ輝いていてあわてて泣きながら布団に飛び込んだ記憶があります。あの星はたぶん方角からシリウス(最も明るい恒星)だったんだろうと思いますが、そんなことは当時の私にはどうでも良いことでした。
 その私が一転して天文趣味に走るきっかけは、小学校1年生の時に世界をさわがせた大ニュース、アポロの月着陸でした。
 中学校に入ったとき、入学祝いに口径6cmの屈折経緯台を親に買ってもらい、月や土星や木星といった、見やすいものをながめていました。
 そのうち、これで見て面白い対象はほぼ見てしまったので、高校の入学祝いにおばあちゃんに口径10cmの反射赤道儀と一眼レフカメラを買ってもらって、また、いろいろながめていたものでした。このときに天王星を初めて見ました。
 天体写真を撮り始めたのもこのころからで、最初は固定撮影で星座を撮影しただけでした。で、なれたころに夏場の夜中に家の屋根に登ってペルセウス座流星群の撮影を試みました。
 私の自宅があったのは山形市の郊外で、まだこのころは自宅から肉眼でM8が見える程度に空がくらかったものです。
 大学に進学して下宿が秋田市の駅に近いところだったので、夜の星を見るどころではありませんでした。それでも夏休みに家に帰省したとき、たまたま日食が起こったときにその撮影をしました。
 で、就職してつくばに出てきたわけですが、自分で稼いだ自由になる金ができたので、2年間貯金して車を買ったあと、夏のボーナスを全部つぎ込んで口径175mmの反射赤道儀を購入して、ときどき筑波山にでかけては撮影に励みました。このページにある写真の多くはだいたいこのころに撮影したものです。
 何年かして結婚して子供ができてしまうと、今度はなかなか夜中に出歩くというわけにもあまりいかなくなり、エレベーターの無い団地の2階にすむことになったため、総重量約70kgの望遠鏡を車まで運ぶのもしんどくなって、いつの間にやら天体写真からは遠ざかってしまったわけです。
 さらに悪いことに私は脳梗塞で左半身不随になってしまい、天体写真どころではなくなってしまったわけです。まあ、幸い歩くのはなんとかなったのですが、左手の指がぜんぜん使えないのが致命的でした。
 そんなところで私に挑戦してきたのが1996年1997年と立て続けにやってきた2つの大彗星、百武と、ヘール・ボップでした。
 幸いわたしの手元には以前に自作しておいた非常にコンパクトなポータブル赤道儀キリキリがあったので、百武のときは自宅前の公園から標準レンズで、ヘール・ボップのときは郊外にでかけて望遠レンズで撮影を行ったわけです。これが幸いして私の左手はある程度使いものになるようになってきました。
 さらに高性能ながらコンパクトなマクストフカセグラン赤道儀、ミードETXが発売されるや衝動買いし、私の天体とのつきあいができる体制が整ったわけです。
私の救いの神のETX



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