銅鑼灣(コーズウェイズベイ)は、観光客向から地元人向け迄、あらゆるショッピングスポットがつまっており、買物をするのに都合が良い。観光客と地元の若い人たちがるつぼの様にごった返す昼下がりの中で、長い髪のサイドに細い三つ編みを編んで後ろで束ねて髪を下ろしたつばの狭い麦わら帽子を被った少女と、長い前髪で左目を隠したセミロングヘアの少女が手に荷物を持って中環(セントラル)方面のトラムストップに向かう姿があった。2人共自然で嫌みの全くない美しさと目を見張る様な均整の取れた体格を持ち、非常に良く似ている。町中でもひときわ目立っている為か、地元民から外国人観光客にも、度々声をかけられている様子だ。それを何度となく軽くあしらってはいるものの、帽子の方が既にうんざりとした表情をしている。
「何だよ、今日はやけに多くねぇか?」
大凡姿からは想像もつかない荒っぽい口調でぼやくのに対し
「それは姐姐が可愛いから」
セミロングの方が明るく答えていた。言わずと知れた鳳凰二喬姉妹である。ユンファの唐突な思い込みから、2人はユンファの服を見に銅鑼灣迄買物に出て来ていた。普段、生活雑貨とか食料品等と言ったものは、近くの市場で済ませる事が多いのだが、こういう時はやはりデパート等の方が楽しい。出かけると一旦養祖父に連絡を入れると、灣仔(ワンチャイ)の知人に届けものをしてくれないかと頼まれた為、これから灣仔の李老人の家…つまり雙龍達の家に行くのである。ヤンフェイにしてみれば、うまい具合にことが運んだ訳だが、言い出したユンファの方は、慣れない格好に恥ずかしさの方が先行してしまっていた。
今のユンファは、何時もの一つおさげではないおろした髪型、淡いピンクのキャミソールの上に無地だが幾つものギャザのついたブラウス、斜にカットの入って裾をフリル風にしたフレアスカート、サンダル風の茶色の靴。何時もの暴れん坊の路上格鬥家とはとても思えない、大人しくて可愛い女の子である。対するヤンフェイは普段の私服と変わらないような、黒のハイネックノースリーブにジャケット代わりにコットンシャツを着て、下はタイトスカート、ローファーといった姿である。対照的だがそれぞれによく似合った姿は、何時も以上に2人を目立たせていたのだった。
銅鑼灣から灣仔迄は、MTR(地下鉄)でも1駅分なので、競馬場方面行きのトラムに乗らなければ大した時間もせずに辿り着く。トラムが灣仔の荘士敦道(ジョンストンストリート)近くに差し掛かった辺でトラムを降りる。2人がそこから徒歩で李家に向かって歩いていた時、前方から聞き覚えの有る声達が響いた。
「……も良いけど、ちゃんとそれ位はしなさいよ」
「俺の親じゃあるめーし、そこ迄いうなっつーの」
そこで会話が途切れ、前方にいた2人がヤンフェイ達の存在に気がついた。気がついた二人は、一瞬それが誰だか判らなかったが、それも一瞬のことで、20フレームもしないでホイメイが声をあげたのだった。
「あ、ユンファ!すっごく可愛い!!」
「………」
ユンの方は、ガード硬直に近かった。ホイメイの方がユンファに近付いて
「本当、ユンファってこういう服似合うわよね」
誰が選んだの?いいじゃない、何時も厭だっていてても、やっぱりユンファ似合うね。と明るく話しかけてくるホイメイ。その言葉に、ユンファではなくヤンフェイが答えた。
「姐姐がね、こういう恰好してみたいって、自分から言い出したのよ。折角だから、今先刻銅鑼灣で買物もして来た所なの」
「じゃぁ、ヤンフェイのお見立て?ヤンフェイってセンスいいのよね」
ホイメイも、二喬姉妹と一緒に買物にいったりもしているが、その時のヤンフェイは、本当にホイメイの好みと似合う服を正確に選んでくる。
照れるユンファを他所に2人で盛り上がっている中、ようやくガード硬直から戻ったユンが漏らした。
「……やっぱり双児なんだなぁ……」
「な、何だよ、おかしいのかよ!!」
頬を染めながら、大概言い争いどころか拳をぶつけあう相手に言い返す。ホイメイとヤンフェイからはきつい視線が送られ、焦るユンは両手をぶんぶんと振って答えた。
「違ェッて、怒るなよ。ちっともおかしくないって!!本当にそっくり双児に見えたんだ。俺が言うのもナンだけど、似合うと思うぜ。こんなカッコ、ヤンの奴が見たら、あの鐵面皮もなくなっちまうくれぇ吃驚するって」
普通の友達に接する様な口調で、素直にユンが言う。ユンファもだが、ユンの場合、嘘も誤魔化しもすぐ顔に出るので、顔を見れば本気かどうか位すぐ判る。そして、ヤンフェイ&ホイメイもそのユンの言葉は嘘じゃないと分かった。
「で、アレだろ?爺々(じーちゃん)に荷物届けにきたんだろ?迎えに行けって言われたんだけどさ、折角だし、今からホイメイん処で軽く飲茶にしねぇ?」
……どうやら、養祖父が李老人に既に連絡を入れていたらしい。ホイメイは偶々出前の帰りにユンと逢ったとかで、自宅が忙しくなる夕方迄、ちょっと時間が有るなら一緒にどうだ、と誘われてのことだ。時刻も遅くはないし、ヤンフェイが肯定の返事を返した。
「何か、李老人の方からも届けて欲しいものが有るらしいんだって。だから、まずは『龍園』にいってからね」
そうして4人でユン達の家であり、祖父の経営する菜館に歩いて行った。……ハタから見て、年頃の可愛い娘を三通りもまとめて連れて歩くユンは、羨ましいの他の言葉はない。
一行が李老人との荷物の取り引きを済ませた後、ユンが3人に飲茶を御馳走すると言い張って祖父から小遣いをせしめるのに成功した……もっとも、ホイメイの処で食べると知っていたので、大体の価格を把握している李老人が余分な額を渡してはいない。
「あれ?爺々、ヤンは?」
迎えに向かったのはユンだけで、ヤンの方は家のことをしなければならないので残っていた。大した作業じゃないのでもう終わっている筈だと思ったのだが、何処にも姿が見当たらない。
「先刻迄庭先で修練をしていた様じゃが……黙って出て行く筈はないのだがな、その辺の居るじゃろう」
まぁ、ヤンは大概携帯電話を持ち歩いているので、ヤンフェイの携帯を借りてコールすれば何の問題もない。取り敢えず、そのままホイメイの家の店の方に向かう事にした。
何やら取り留めない話をしながら灣仔道を歩いていた時、道路の反対側でホイメイの妹のシャオメイや、その友達の子供達がヤンを囲んで何やらを教えてもらっている様子が目に入った。
「まーた、あの子はヤンの処迄教えてもらいに行ってるのね」
あれでいて子供の相手がうまくて面倒見がいい事を、幼馴染みだからこそ良く知っているホイメイが「全く甘えん坊な子ね」と、自分と接する時の妹の事をさして言う。
「なーんかあーいうトコ、保父だよなぁ、あいつ」
とユンが返し、大声でヤンを呼ぼうとしたが、それよりも先にユンファがユンを止めた。
「まだなんか用事があるみてぇだし、ホイメイんとこちゃんと座れるか判らねぇだろ?着いてから携帯で呼んだっていいだろ?」
ホイメイの家は、庶民的な茶餐廳(食堂)ではあるが、値段の割に美味しいと非常に評判で、地元客だけでなく、情報通な観光客の間でも人気の店だ。場合によっては席が人数分開かない時も有るのだ。勿論、店主の娘であるホイメイがうまく席を作ればすむ話だが、それも言ってからでいいじゃないか、とユンファは主張しているつもりなのだ。しかし、ヤンフェイには、単にこの姿をヤンに見せるのが恥ずかしいだけなのじゃないかと、今更何をと思っていた。それでも、ユンファの申し出を皆が受ける事としてそのまま歩きだした時、ユンファだけが、何となくヤンを目で追ったまま歩いていて、一瞬顔をあげたヤンと目が合ってしまったのだった。
道路の反対側にいるヤンが、一瞬、何時もの鐵面皮が全く想像出来ない程の驚いた表情を見せた。その表情に何となく気まずい雰囲気を感じたユンファが、前を歩くヤンフェイの持っていた荷物を素早く取りあげる。
「つーか、荷物届けなきゃまずいのに、寄り道してる場合じゃねーじゃん。後から行くから、取り合えず俺、一旦帰って俺の荷物と一緒においてくるよ」
「おい、ユンファ!」
ユン達が何かを言い返す前に、ユンファは素早くトラムの走る軒尼詩道(ヘネシーロード)に向かって走って行ってしまった。
慣れないサンダルで、足早にその場から逃げだす。何故だか無性に悲しくなって涙が込み上げて来た。
そもそも、自分がヤンフェイに遊ばれるがままにこんな格好迄したのは、自分がちょっとは言い出した事とはいえ、ヤンに何時もと少し違う自分を見せたかったからだ。歩き難い服と、動き難い格好。それでも、ヤンが自分を子供か動物でも扱う様に接するのと、ちょっとは違った形で受け取って欲しくて。だが、結果はあのヤンの「何だかとんでもないものを見た」とでも言いたげな驚きの表情だけだった。だったら、もうこんな窮屈な格好をする必要もない。家に荷物をおいて、とっとと何時もの格好に着替えてしまおう。周りに悟られない様、声をかけてくる人々も無視して、来たばかりの堅尼地城(ケネディタウン)に向かうトラムに乗り込んだ。
乗り込んですぐに階段を上がると、時間帯が良かったのかトラムが続いていたからか、上の座席ががらあきだったので、窓側の席に座って隣の座席に荷物を置く。乗り降りが激しかったのかは判らないが、何時もより長く停車をして、ゆっくりとトラムは動き出した。
外の景色を眺めながら、あの時の、表情は殆ど変えてないけど、子供達に囲まれたヤンの姿を思い出していた。所詮、自分もあの子供達と同等なんだろう。ヤンフェイ曰くの「あんな態度は姐姐にだけよ」という言葉に、少しだけ期待をしていたけど……色々ぐるぐると頭の中を思いが回っている。
……俺、ヤンの事……
殆ど外の景色に目を向けずに窓に頭を着いて沈んでいた時
「此処、開いてるか?」
背後から不意に若い男の声で声をかけられた。我に返って慌てて荷物を膝の上にどけようとした時に、その声の主と目が合って目を見開いた。長めの前髪に隠されていない方の瞳から、限り無く優しさをたたえてこちらを見つめる、自分より背も高く功夫で鍛え上げられた体躯の、見慣れた姿が在ったから。
「……ヤン!な、何だよいきなり」
「ユンファの姿が見えたから。なんか急いで帰るみたいだったから、追い掛けて来た」
自分に見せる、他の人には判らない優しさ瞳でこちらを見ている。「じゃ、此処良いな」と、ユンファが承諾の意を示す前に荷物をどけて隣に座ると、その荷物を自分の膝の上においた。ユンファは視線をそらしたまま、呟くように答えた。
「ヤン、忙しいんだろ?、別に、1人で帰ったって全然問題ないじゃん」
「別に、忙しくなんかないぜ。シャオメイ達が勉強教えてくれって来たから、纏めて面倒見てただけだ。それより」
そこで一度言葉を区切って、ユンファの方を改めて向き直した。
「俺の家の方に用事があって来た客に、挨拶も送りも何もナシで返す訳にいかないだろ?」
「……別にたいしたことねーし。……俺がおかしくて笑いたいなら、後でヤンフェイにでも言付けとけよ」
「何そんなスネてるんだ?」
ユンファの頬を両手に取って、無理に自分の方を向かせる。
「俺だって、ユンファがこんな可愛い格好で俺の前に現れたら、吃驚もするぜ。もしそれが、俺の為にしてくれた格好なら、尚更驚くよ……嬉しいから」
その言葉に、ユンファの顔の温度が高騰した。
「俺が頼んだって、絶対着てくれないもんな」
ユンファが頭をぶんぶんと振ってヤンの手から逃れる。
「でもッ……」
ヤンを押し退けるようにして、狭い座席でちょっとだけ距離を置く。
「俺は、猫とか子供みたいに、頭撫でて可愛がるようなものなんだろ…?」
ポロっとこぼれた本音に、ヤンがきょとんとしてユンファを見返す。ユンファが何を思っているのか、そして何の為に絶対に来てくれない様なこんな服を着ているのか。何となく理由を悟ったヤンは、うつむいたユンファの帽子から少し覗く前髪を手にかけて掻き揚げるようにする。
「ユンファは何時も元気で『可愛い』けど、今日は大人っぽくて『綺麗』になって吃驚した」
はっと顔をあげると、ヤンと目があった。殆ど告白。それをこんな公共の場所でサラッと言いのけるヤン。驚きと言われた言葉の恥ずかしさと嬉しさとごっちゃになってしまい、ヤンが正視出来なくなったユンファが飛び退くように窓に身体をぶつける。その様子に満足の表情をはっきり浮かべるとユンファに尋ねた。
「本当に、俺の為?」
瞬間湯沸かし器の様に全身を真っ赤にして腕をぶんぶん振りながら否定をするような行動をしたが、その様子からヤンにはユンファの肯定が読み取れた。ユンファは嘘をついても全て表情に出る。
「ありがと、ユンファ…」
こんな公共の場所とはいえ、このままあとは…?な状況に迄なった時、ヤンのポケットから電子音楽が鳴り響く。携帯電話がなっていた。そこでちょっとだけ距離が離れ、ユンファが安心したような、ちょっとがっかりひたような判らない状態になった横で、ヤンが相手と会話をしていた。
「……ん、分かった。家迄送ったら、すぐ連れてくる。………すまない」
そこ迄話すと、ピッと電子音を鳴らして会話を切った。
「誰から?」
ポケットに電話をしまい、ユンファの方に頭を向けた。
「ヤンフェイから。ホイメイの店で、皆で飲茶にするから、荷物おいたらすぐユンファ連れて戻ってこいって」
いきなり戻っちゃって、待たせてるんだろ?優しく問いつめると、「だって、ヤン…」といって口をつむんでしまった。あの時の驚いた顔の所為かな?そう思ったヤンが、優しくユンファの肩を抱いて「すまない」と一言告げた。
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