眞情人

 例えば。
 表情一つ変えずに子供達の世話をしていたりしているのを見ていると、彼は単純に年下の世話が好きなだけなのかも知れないと考えてしまう。好きでなくとも、普段一応は兄の元で動いているからか、自分より下のもののを構いたく思うだけなのかも知れない……尤も、彼の兄は彼よりも子供っぽい所が多いのだが。只、彼等の幼馴染みの妹に対する態度と、自分に対する態度は、同等のものの様な感じがしていた。
『ねぇヤン、これ、なんて読むの?』
『ああ、それはな……』
 いつもの冷徹無比な表情ではなく、多少軟らかさを出した表情で、分かりやすく説明をしたり、手本を見せたりする姿。
『これで良いの?』
『ああ、良く出来たな』
そう言い乍ら、彼女の頭を撫でる様子とか、あまり表情を変えずに誉める様子とか……自分に接する時を思い出す。うまい具合に連係を決めた時に驚いた顔とか、落ちると思った試験でちゃんと成果を出せた時の綻んだ表情。そして、自分と散打等をした時の彼の様子が、何となく今の彼と同じ様な気もしなくもなく感じ…… 今、彼等の幼馴染みで、自分達にとっても大の友達でもある人の妹の世話を焼いている状況を目にした。何やらをせがまれ、手をひいて連れていっているような様子だった。彼を「表情を出さないから恐い」と言う人もいるが、それでも面倒見が良いからか、彼は年下から好かれているのだ。
……俺がガキなのかなぁ……
 遠巻きにその様子が視界に入ったユンファは、特に声をかけに行く訳でもなく自宅のある上環(シェンワン)行きのトラムに乗り込んだ。

 

 1人ユンファが自宅に付くと、家には誰も居なかった。双児の妹のヤンフェイはまだ出先から帰っていない。自分達の中國拳法の師匠にして捨て子だった自分達を引き取ってくれた養祖父は、この時刻ならまだ診療所の方だ。うがい等を済ませてから部屋に戻り、帽子を外して手に持っていた自分の荷物と一緒にベッドの上に放り投げると、壁にかけてある鏡をじっと覗き込んだ。
 自分と妹のヤンフェイを、街の人達は「鳳凰二喬」とあだ名して呼んでいる。「二喬」は三國志で有名な才色兼備の大喬・小喬姉妹の事をさしている。特に、香港でも民間で親しまれている京劇(この場合は粤劇になるが)の題材にもなる程の二喬姉妹を映したような美貌と武功と謡っている訳だ。2人で街を歩いていて、半分ナンパ目的な外国人観光客をあしらうのにも、とうの昔に慣れている。ヤンフェイが髪をあげた姿は、初見の人などユンファとの見分けが付かないとは言うらしいが……
「やっぱり、俺がガキなだけかなぁ…」
ひとつため息を付く。
 捨て子であれ、自分達が双児だと言うのは医学的に証明されている……とはいえ、自分にはヤンフェイが見せる様な大人っぽさがない。妹のヤンフェイの方が大人っぽくて、着ている服の好みも自分とは全く違う。ヤンフェイは自分が着る様なボーイッシュなスタイルから、彼女好みのシンプルで身体の線が目立つ様な服も、シックなスーツもよく似合う。
「ヤンフェイみたいな格好すれば、ちょっとは大人っぽく見えるのかなぁ……」
そうすれば、ヤンも自分を子供扱いする様に頭を撫でたりとかはしないのではないか。そこで自分がヤンフェイの様な服を着ている処を想像するのだが、大して考えもせずおかしい、ガラじゃないと思えてくるのだ。頭を大きく振って自分の想像を否定する。そして振り出しに戻って、自分の子供っぽさ故に、ヤンに子供の世話をされる様に扱われているだけなのか……結局堂々回りでどうしようもない事だ、と分かっても、悩み顔になって解決する訳でもないのであった。
 そんな中、玄関の扉が開く音がして、「我回來了〜」と聞き慣れた声がしたのだが、ユンファはその事ばかりで頭が一杯だった為、耳に入ってもいなかった。
 そして、ヤンフェイは帰宅早々、姉が珍しく鏡を覗き込んで物思いに耽る姿を目にしたのである。

 

 

「どうしたの、姐姐?」
 髪をとかしている、とか、顔を洗ったり歯を磨いたりする、とか言った生活必須な時以外、お洒落目的で鏡を覗く事がまずないユンファがじっと壁掛け鏡を見つめている…という珍しい姿を目にしたのだ。ヤンフェイが声をかけるのは至極当然の事である。
「うわッ!!な、なな何だよ、ヤンフェイ帰ってたのかよ……」
 派手に身体を跳ねさせて、慌てふためく様に、ヤンフェイは憮然として返す。
「私はちゃんと『我回來了(ただいま)』って言ったわよ?聞こえなかったの?」
腰に手を当てて言って来たヤンフェイに、ユンファは背中にものを隠す様な慌てっぷりで壁に張り付いた。その更に不振な態度に、ヤンフェイは強硬な姿勢を続ける。
「何?何を隠したの姐姐。また私のものでも壊したの?」
「ち、ちげーよ!!」
 背は鏡に張り付いたまま、両の手を目の前に出して左右に振る。確かに、ユンファがヤンフェイのものを壊したとか、そういうのではないらしい……何より、ユンファが鏡に向かっていた理由にならない。
「じゃぁ、どうしてそんなに慌てるの?」
 少し口調を軟らかくして再度問うと、ユンファは戸惑った表情のまま視線を泳がせて答えた。
「べ、別に大した事ねーよ」
「大した事がなかったら、慌てる事はない筈よ?」
 その答えでヤンフェイが納得する訳がない。そうとは解っても、ユンファは何とかこの状態から逃れる事で精一杯だった……がしかし、ヤンファイはこういう時のユンファの言い逃れのパタ−ンを全て読み尽くしている。ユンファの瞳を、ヤンフェイは野試合の時と同じ真剣さで見据えていた。じっと詰問の姿勢を崩さないヤンフェイ。逃げ道を失って、視線だけ泳ぐように逃げるユンファ。
 ひたすら沈黙が続く。外の街の喧噪も響く室内で、そんな事も耳に入らない真剣さ。どうにもならない静かな脅迫に負け、遂にユンファがぽそりと呟くように漏らした。
「……だからぁ、俺とヤンフェイは双児なのに、どうも俺の方がガキっぽいのかなぁって…」
 予想にない答えに一瞬きょとんとしたヤンフェイだったが、それもほんの一瞬の事。恐らく60フレームもしないで、ヤンフェイはユンファの考えている事がフロ−チャ−ト式に一気に展開した。

ヤンは子供の世話が好き  ヤンが自分を子供扱いをしている(と思っているが、実際ヤンはユンファを誰よりも大事にしているのは、ユンやヤンフェイには一目瞭然)  ホイメイや、双児のヤンフェイは子供扱いされていない  つまり、ヤンにとって自分=子供と同等  自分が見た目からして子供っぽいから?

「……それで、ちゃんとお洒落して、ヤンに綺麗な処を見せたいなって思ったの?そうなんでしょう?」
 その声が喜色満面に満ちている。
「そ、そういう訳じゃ……」
 事実そうなのだが、そこで素直に答えたくはない…しかし。
「姐姐がそんな事で悩んでたなんて………それなら、もっと早く私に相談してくれれば、幾らでも乗ったのに!」
 願ったり叶ったり。両手を合わせて感激するヤンフェイの歯止めは、全くと言っていい程効かない。
「やっとその気になってくれたのね……姐姐はちゃんと着飾れば、私なんかよりずっと綺麗なのに、いつもそんな粗忽な格好してるからってずっと気にしてたのよ。私、前から姐姐に来て欲しい洋服一杯用意してたの!ね、だから色々試してみましょ!」
言いながら既にユンファの腕をひいている。
「ちょ、ちょっと待てよ!!」
 顔をどうしようもない程真っ赤に染めて同様を隠せないユンファ。確かにそう思っている事は事実でも、動き難い可愛い服なんか…
「そうだ!折角だから、ちゃんとお洒落して、ついでにまた新しい洋服も見に行きましょう!その上で、ヤンに逢いに行っても良いじゃない?驚くわよ?!」
 ヤンフェイは、ユンファにとびっきりの格好をさせようと、脳内で素早く髪型や洋服のコーディネイトを計画している。
「だ、だからって、今すぐ……」
「姐姐が言い出した事よ?何臆しちゃってるの?何時もの姐姐らしくないわよ」
……只、墓穴を掘ったユンファには、もう何も抵抗する術がなく、そのままヤンフェイの部屋迄連行されるのであった。
 何時もはつけたがらないインナーも、「さらしでそんな服着るつもりなの?!中から綺麗に見せなきゃ駄目なの!」というヤンフェイの言葉に従うしかなく、しぶしぶ使う。ヤンフェイのタンスから、ヤンフェイ自身が着るつもりで買った訳ではなかったらしい可愛いデザインのアンサンブルやスカートが何枚も出て来た。「私は、あんまり可愛い系の服装は似合わないのよね」と、サイズは同じだから、何時かユンファに着せてやろうと長い間目論んで、用意だけしていたらしい……。
「姐姐には、水色とか、明るいピンクとかが似合いそうなんだけど……どう、こんなのは?」
 襟にちょっとレースが入ったカントリー風のブラウス、派手にフリルの着いたフレアスカート、栗色のジャンパースカート……確かに、ヤンフェイが好きなデザインではない。しかし、どれをどうとってもストリートファイトに不向きな服ばかり……
「なぁ、ヤンフェイ。こんなじゃ、野試あ……」
「何言ってるの?こんな時位、可愛くて大人しい女の子で良いじゃないの!何かあったら私が撃退するだけのこと」
痴漢等を派手に衝捶や崩拳、側蹴腿で撃退をするユンファと違って、ヤンフェイの場合は禽打の様な派手ではないが確実な(ついでに関節を外す)撃退法を使う。
「せ、せめてさぁ、腕が上がりにくかったり、歩幅が制限されるのはやだ」
「じゃ、このコットンシャツは厭?ニット系のトップスにフレアスカートが良いかしら?」
……こんな感じでヤンフェイのセンスでコーディネイトが進み、髪型も何時もの後ろ一つのおさげではなく、かわいらしく結い上げようと張り切るヤンフェイの姿があった。

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