櫻之花 〜第一回・我拾到小生命〜

 

 

 猫を拾った。

 

 ヤンが祖父の使いで、上環にある、馴染みの漢方薬の店に行った帰りの事だった。その漢方薬の店の老主人はヤン達と同じ「李」性を持つが、特に親戚関係ではない。只、同じ所為である事も合ったのか、老主人が気功医療を行っているだけにあらず、祖父と同じく中國拳法に長けている事も合ってか、深厚を深めているからだ。ユンもヤンもその店には祖父と一緒に言ったり、こうして使いを頼まれて出向く事も何度もあった。
 雙龍達の住む灣仔から、この上環迄は路面電車(トラム)で20分もしない。「灣仔一の暴れん坊兄弟」とも言える彼等は、路面電車を使うより、お得意のスケボーやブレードを走らせてそのまま行くのが常だった。しかし、この日ヤンが頼まれたお使い物が、とてもリュックに背負って持ち運べる量ではなかった事と、何よりも雨期の天候が荒れ易い時期で、酷く雨が降っていた事もあり、素直に灣仔の「大用大廈」から「堅尼地城(ケネディタウン)」行きの路面電車に乗り込み、馴染みの店迄向かって行った。
 本来、ヤンではなくユンが用事を頼まれたのだが、ユンはあまりお使い等が好きではない事と、この日は「暴れの虫が騒ぐ」とか何とか訳の判らない事を言って脱走してしまった。このユンの脱走も毎度の事で、その後ユン自身にちゃんとしわ寄せが帰ってくる事も毎度の事なので、ヤン特に気にせずにユンの代りに上環に向かったのだった。
 荷物が多いだけで、特に問題もなく用事を済ませ、老主人と少しばかり気功と拳法について話等をしてから帰路に着く途中だった。上環と灣仔はさしも遠い訳ではないのだが、お使いの時以外は滅多にこの乾物と漢方の臭いの充満するこの街迄出向く事はない。香港大学が近くにあるが、特にヤン自身が進学を考えていると言う事もないので、気にかけた事もない。その所為か、地元・香港島であり乍ら、あまり上環の街を見て回った記憶もなかったのも合って、少し上環の町並みを見てみたくなった。上環は、古くから魚介類が多く取れ、それを乾燥させた乾物の街として知られており、食材だけでなく漢方に使う乾物を取り扱う店が多い事も有名だ。トラムが上環に差し掛かると、開いた窓から潮の香りだけではなく、乾物独特の香りもする位だ。
 そして、この辺りは猫を飼っている店が多い。路面電車の通る徳輔道沿いの乾物屋を端から見て回っていても、店頭の乾物の山の奥の方に、ちょこんと看板娘の様に座っている猫の姿も良く見る。ヤン達の家では、動物を飼ってはいない。ユンが幼い頃犬やら何やらを拾ってきた事はあったが、どうせユンがまともに世話をする事はないと見越した李老人が許す事はなく、代りに近所の動物好きの人に引き取ってもらう事が常だった。そんな中、通り沿いの店だけではなく、通りから少し外れた店先の猫や犬等を横目に、起伏の激しい坂道を歩いている時だった。
 ゴミ集積所の辺りに、薄汚れた小さな白いものが蹲っているのが分った。最初、それは毛玉か何かかと思ったが、近付いてみると、小さな猫だった。只1匹、殆どか細くて耳に届かない程の小さな声で鳴いていた。強く打たれる雨の中、身体を震わせ、今にもその小さな命の炎が尽きてしまいそうな程だった。悲痛な鳴き声が、ヤンの耳にこびり着いて離れなかった。
───捨て猫、か……
 そのまま立ち去っても良かったのだが、ヤンは子猫から目が離せなかった。ヤンは、手に持っていた荷物から小さなタオルを出すと、そっと、脅かさない様に、ゆっくり猫に近付く。もう驚いたりする力もないのか、猫は逃げる様子もなかった。ヤンは傘を猫の上に被せる様にし乍ら、タオルでそっと猫の身体を包んだ。
「大丈夫だ」
 あまり脅かさない様に、近所の幼い子供達をあやす時の様に、ヤンは猫に話し掛ける。そのまま、猫を抱き上げた。猫は、随分と冷えきっており、ヤンが暖める様にタオルごと胸の処に抱えてやると、ヤンにすがりつく猫の震えが伝わってきた。
 このまま猫を連れて路面電車に乗る訳にはいかない。ヤンはそのまま猫を抱え、灣仔の自宅迄走り出した。

 

 

 帰宅を告げるが、入れ代わりで祖父は急用で出掛ける、今夜は帰って来ないから、ユンと二人で夕食を済ませておけ、明日の早朝の功夫の課題もこなす様に、と告げて急ぎ出ていってしまった為、猫の事を祖父に告げる暇もなかった。
───事後承諾だな。
 ヤンがこうして猫を拾ってくる事はない。そして、自分もユンも、あの頃の様に子供ではない。ちゃんと己で世話をするからと言えば、承諾してくれるだろう。まずはこの猫の身体を拭いてやる事。温かくして、ミルクか何かを飲ませ、腹を満たしてやる事だろう、と決めた。
 子猫を腕に抱えたまま、キッチンルームに向かうと、ユンが冷蔵庫の前で何やらを探っている最中だった。まだヤンが帰ってきた事に気が付いていない。ヤンは気配を消し、そっとユンに近付いていった。
「兄貴、何やってる?」
 いきなり声をかけられた事に驚いて、ユンは大袈裟な程に身体を震わせた。
「な、何だよヤン!帰ってたならちゃんと言えよ!気配消すなんてずりィぞ!」
 何かを隠す様に慌てて冷蔵庫の扉を閉めたユンだったが、ヤンはユンの毎度のつまみ食い行動を呆れ半分の目つきで見つめ、冷淡に尋ねた。
「今度は、何のつまみ食いだ?」
「べ、別につまみ食いじゃねーよ!ちょっと喉渇いたから、牛乳飲もっかなって思っただけだって!」
 だからといって、この場合、ユンが欲しがるのは「牛乳」ではない事は良く知っている。大概は、「腹も減ったから」と、肉包子(肉まん)等と一緒にお茶や唐黍果汁等を飲む事が多いのだ。ユンの鼻の頭に、ちょっとした引っ掻き傷があったのに気が付いたヤンは、また何か喧嘩でもしてきたんもだろうと踏んで、それ以上は追求して来なかった。
 その時、ユンはヤンが胸に白いものを抱えている事に気が付いた。
「何だよお前……その白っちぃの」
 近付いてみると、それが白い猫だと言う事が分った。
「お前、飼う気か?」
「ああ。俺は兄貴と違って、ちゃんと最後迄世話をする、と爺々に言い切れる自信はある」
「ふ、ふーん………じゃ、これ持って早く部屋戻れよ」
 何かを誤魔化す様に、ユンは机の上にあった小振りの平皿にミルクを入れると、そのままヤンに差し出した。
「……兄貴、何だか妙だな。何時もなら、そこで俺に突っかかってくるだろ?」
 何かを誤魔化すユンの態度を不振に思いつつ、ヤンはミルクの入った小皿を受け取る。
「な、何言ってんだよ、ヤン。別に俺はお前が猫拾ってくるのに反対してる訳じゃねーんだしさ!早くなんか食わせてやらねーと、可哀想だろ?」
 キッチンルームから追い出すようにヤンの背中を押す。このままユンの隠し事を追求してやろうとも思ったが、胸元で震え続ける小さな生き物のか細い鳴き声に気が付き、ヤンは素直に自室に戻って行った。

 

 ヤンは猫の身体を改めてタオルで拭いてやると、床にユンから渡された皿を置いた。
「ホラ……飲みなよ」
 猫は最初、脅えていた様子だったが、目の前のそれの匂いが分ったのか、ぴちゃ、と音を立ててなめる。それがミルクと分ってからは、一心不乱に皿の中のミルクをぴちゃぴちゃと飲み始めた。
「余程、腹を空かせていたんだろうな……」
 先程身体を拭いてやっていた時に、この猫が雌猫だと言う事も分った。飼うなら、何か名前をつけてやろう、とヤンは暫く本棚の本の背表紙を見つめ、ぱっと目に付いた植物の本を手にした。白い毛と、愛らしい琥珀色の瞳が何となく野に咲く花を連想させる。
「そうだな……油菜の花、『芸花(ユンファ)』でどうだ?」
 琥珀色の瞳が、油菜の花の黄色さを思い起こしたからだろうか。ヤンは白い猫に話し掛ける様に言う。その言葉を理解したのか、子猫は飲み終わった皿を嘗めるのをやめ、ヤンの方に顔を向け、可愛らしい声でひと鳴きした。「気に入ったわ」と言っている様だった。
「そうか…。なら、お前は今日から『芸花』だ、宜しくな、芸花」
 ヤンは猫を抱き上げて、何時もの鐵面皮が想像出来ない程柔らかく微笑むと、猫は満足そうに「にゃぁ」と鳴いて答えた。

 

(待續)

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どうも、久し振りのスト3更新です。

かなり前から構想していて、本来オフラインで出そうかと思っていたんですが、在庫問題で本にはせず、オンで発表する事にしました。しかも、当サイト初の連載ものです。
ある意味男性向とかのお約束っぽい様な設定のお話なんですが、これ、裏に置かない作品のつもりなんで、一定以上妖しいものにはしないつもりです。
引き蘢りを一転させ、久し振りに秋葉HEY!に出向いて対戦をした時、自分はやっぱりスト3が大好きだと言う事を実感させられまして、そうしたら、前から書き渋っていたこのネタを改めて書く気力が戻ってまいりました。既に、スト3・雙龍の同志が殆どいなくなってしまった今、こんな話を読んでもらえるかどうかは不安ですが、書きたいものは形に残そう、と思った迄。GWの方でもそうだけど、このサイトの存在そのものが「自己満足」ですから、無反応の寂しさにもかなり慣れましたから(もう自棄)地道に書き続けます。今回はヤンが中心ですけど、ちゃんとユンサイドのストーリーもあります。それは次回のお楽しみ。

…つか、これ、かなりヤンにトロワ入ってる気がくぁwせdrftgyふじこlp;

万が一、気になって頂けましたら、どれ位のペースでの連載になるかは判りませんが、待って頂けますと嬉しいです。今はまだ出だしだけですけど、その内感想なんかも聞かせてもらえれば、更に嬉しいです。(19,12,2004)