自分達と同じ性でありながら別に親戚筋ではない「李」氏の診療所は、時間が昼時だったからか、派手に混んでいなかった。中に入り、数人の患者を見る李老人と、その手伝いをする彼の養い孫の女性の姿を確認した。患者かと思って顔を上げたヤンフェイが、ユンが来た事に気が付いた。
「………あら、ユン。ごめんなさい、もう少しで午前の診療は終るから」
今日ユンが来ることは約束だったのだが、姉のユンファも用事があって出かけてしまっているので、診療所の手伝いは彼女がしていたのだ。
「い、いや、待ってるよ」
待合室の椅子に、患者と一緒にどっしりと座り込んだ。てきぱきと事務処理や、指定された薬を手渡す手際の良さ。始めて出会った時と変わらないまま、雰囲気と共に大人びてきた彼女の姿を、ぼーっと眺めていた。
……じゃ、しっかりやれよ、哥哥。
……ストレートに決めていいんじゃないか?頑張れよ。
ヤンとリンフェイの言葉がリフレインされ、もう一度大きく深呼吸をすると、改めて自分に言い聞かせるのだった。
……どう言ったら良いか分からないものそのままぶつけてもしょうがない。ストレートに一言、うん、それが良い筈だ。落ち着け、落ち着けよ俺…
「ユン、お待たせ」
いきなり声をかけられて、少し身体を跳ねさせて見上げると、ヤンフェイが彼の目の前に立っていた。
「李老爺に挨拶位しないと」
「老師は薬だけ調合しちゃうって言ってるから、取り敢えずあがってくれって」
「そ、そうか」
やはり、彼女を目の前にすると緊張してしまう……特に、自分と彼女が『二人きり』という状況を自覚してしまうと。はやる鼓動を抑えながら立ち上がって、彼女について診療所からつながっている自宅の客室の方に向かった。
客室に通されて上座の座席に勧められ、ユンはそこに腰をかける。予め用意してあった茶器を用意し、電気ポットで沸かされたお湯で茉莉花茶を入れてユンに差し出した。
「簡単な飲茶とお粥位のお昼で申し訳ないわね」
「い、いや………ヤ、ヤンフェイのお手製だろ?」
照れた様に聞き返すユンに、きょとんとして答えた。
「え?私が作ったけど、何か…?」
「あ、いやぁ……」
「もてなすなら、外食の方が良いかと思ったけど、今日は診療所閉められないの。ごめんなさい、ユン」
申し訳なさそうに厨房に向かおうとするヤンフェイに
「そ、そんなことないって!」
慌てて立ち上がって答えてしまうのだった。
「………?」
自分と話している時、時々こうしてしゃっちょこばってしまうユンをずっと不思議に思ってきたが、出会った時からずっとこの調子だったのであまり深く考えない様にしていた。何度か「自分と話すのは面白くないのか」と尋ねても同じ調子で否定をされてしまい、何処か釈然としないまま。
今日のユンは、何時もと違って改まったスーツ姿である。今日は日取りもいい日なので、これから何か有るのかな?それ位まではヤンフェイも予測した。しかも、きちんと予定を開けてもらって、自分達の親権者である養祖父にも話があるというのだから、何か重要な相談でも有るのだろう……偶然にも性が一緒だったことがあって、養祖父とユン達の祖父は親交を深めている程だ。
取り敢えず、机に3人分の食事とお茶の用意をしてからヤンフェイも下座に着席したが、仲々来る様子がない。先程から、ユンは何か落ち着いていない。
「…遅いわね……ちょっと様子見てくるわ」
「あ、ああ…」
曖昧に返事をして、彼女が部屋を出たと同時に、再びユンは大きく深呼吸をした。
……な、何緊張してんだよ!はっきり、しっかり、言っちまえば……!
ヤンフェイが戻ってくるまで、切り出す言葉を考え様としたが、その時間はそう長くもなかった。彼女がすぐに一人で戻ってきたからだ。
「ユン、ごめんなさい。老師ったら、知り合いが来ちゃって、話が長くなるっていうの。先に食べててくれだって……もう」
申し訳なさそうに告げる彼女に、ユンは湯でだこの様に顔を赤くして答えた。
「い、いや、別に。後で話しても良い事だし……」
何となくひきつっている様なぎこちない表情。
「でも、老師に話があるんでしょ?」
ユンとは対象時に、冷静というのか、平静にヤンフェイが尋ねる。
「いや……は、話はヤンフェイにあるんだ」
「え?私?」
何とかその言葉を言い出す事が出来たが、当のヤンフェイはきょとんと不思議そうな表情をする。
……俺に言わせれば、ヤンフェイって自分のそういう事にはおっそろしい程鈍感だぜ!
ヤンフェイの双児の姉は、ユンに面と向かってそう言ったことがある。ヤン等、見てればユンがヤンフェイに惚れているのは一目で分かるものなのに、ヤンフェイはまるで気が付いていないのだ。天然というのか、鈍感というのか………
……言え!言っちまうんだユン!率直に!後悔するより!
自分に言い聞かせ、大きく息を付いた。
「ヤンフェイ!!!…す、好きだ!!俺と結婚してくれ!!」
ユンは勢い良く立ち上がってヤンフェイの両手をがっちりと掴んだまま一息に、どうしようもない程顔を真っ赤にして、目をきつく閉じながら叫ぶように言葉をはき出しだ。
「………え?!私?!」
一息に言いたい事を吐き出したユンは、ゆっくりと瞼を開いてヤンフェイを見た。自分の予想になかったのか、何時も平静な彼女が頬を桜の様に染め、碧の眸を見開いてユンを見ていた。
「…………ヤンフェイ……?」
頭の回転がいい彼女が、まだ考えがまとまっていない様だ。頬を桜色にして、滅多にない、呆然とした表情のヤンフェイの眸をじっと覗き込んだ。
「私……なの?ユン…」
「そ、そうだよ、ヤンフェイだよ……」
「何で、私なの…?本当に?」
ついに爆発させてしまって、ユンの上気した顔の温度が戻らない。代りに、うまく表現出来なかった言葉が、子供の言い訳のようにぽこぽこと飛び出してくる。
「何でって……お、俺ずっとヤンフェイ見てたし、可愛くて、美人で、料理も得意で、功夫も強くて……とにかく好みだし、それに…」
「だって、ユン……私……」
そこ迄言うとヤンフェイは附いてしまう。何かを言おうとしても言葉にならず、小さくしゃくり上げる声も聞こえてきた。
「ご、ごめん……やっぱ、厭だったかな……」
あらん限りの勇気を振り絞ったのに、やっぱり駄目だったか…と思うと、ユンは肩を落した。静かな部屋の中、ぽつぽつとヤンフェイの涙混じりの言葉が聞こえてくる。
「ユン……何時も、私といると……様子が……変…で……面白く…なさそ…で……なのに、姐姐や、ヤンとか…慧梅達だと…明るくて、楽しそ……で………」
彼女と二人だけの時、つい緊張してしまうユンの様子を、ヤンフェイはそう思っていたらしい。二人だけの時でなく、例えば姉やヤンが一緒の時、学校ではクラスを前にした時、街中の女の子達に声をかけられた時、彼の幼馴染みと話したり、ちょっと言い争ったりしている時……何時も彼は誰とでも気軽に、明るく話していた。彼には『緊張』という文字はないものだと思っていた。しかし、自分と面と向かって話すと、何時も何処かぎこちがなく、何だか自分と話すのが辛いのではないかと感じていた…自分が聞いた時も、彼が「優しい」から、気を使ってそんな事を告げなかったのだと。自分は彼に魅かれてても、自分もその他大勢の女の子達の一人と思っていた。彼自身は、幼馴染みの事を一番に思っているとも思っていたし、自分も彼女とはいい友達同士だったのもあり、そうやって自己完結してしまっていたのだった。だから、余計に信じられなかった。
「そんなことない!」
その言葉に、ユンは殊更大きな声を上げた。
「お、俺さ、つい、緊張しちまったからさぁ。ご、ごめんな。そういうつもり、ちっともねぇ処か、返って嬉しかったし……」
まだしゃくり上げているヤンフェイの肩を両腕で軽く支えて言葉を続けるが、ちょっとデクレシェンドかかっていた。
「い、厭なら厭で、返事聞きたいんだけどさ……あ、すぐじゃなくていいよ、ホラ、いきなりコレも流石にまいるよなぁ………はははははは…」
照れながら笑って誤魔化す様に言葉を続けるユンに、ヤンフェイは呟く様に言う。
「…本当に、私、なの?」
「ヤ、『ヤンフェイ』だよ……」
そう答えると、ようやくヤンフェイが顔を上げた、頬を桜色に染めたまま眸に涙を沢山浮かべて。
「ありが……と……私、嬉しくて………」
涙の笑顔姿に、ユンの方も何か達成感を感じたが、慌ててスーツのポケットの中をごそごそと探って小さなビロード張りの箱を出した。
「そうだ、これ……受け取ってくれるよな?」
言いながらヤンフェイの左手を取り、その薬指に小さな金剛石を幾つかあしらった真珠の指輪をはめた。其れを見て、ヤンフェイも小さく頷く。
「で、返事は…」
「『是』よ、ユン…」
頬を赤らめて微笑むヤンフェイを見て、ユンは拳を握りしめた…自分も滝壷の様な涙を流したい程。
───我、長年の願望熟成せり
「ヤンフェイ〜〜〜〜〜〜〜〜!」
そのまま彼女の身体を痛い程強く抱きしめる。
「きゃっ」
勢いにびっくりして声を上げる。その時
「待たせたの」
カチャ
扉の開く音が聞こえ、ユンは慌てふためいてヤンフェイを解放した。振り向くと、そこには彼女らの親権者である李老爺が立っていた。
「あ、あの!李老爺……」
改めてユンが口を開こうとしたが、
「廊下まで声が聞こえたから、話は聞かせてもろうた。わしからの返事は、『孫娘を宜しく頼む』じゃ」
李老爺の台詞に、二人共顔を赤くする。
「わし等には孫がおらんかったから、本当の孫娘の様に育てて来て、二人共本当によくしてくれた。わしも老い先短い身じゃから、二人の行く末を案じておったが、一辺に二人共縁談がまとまるとは思わんだ」
そこ迄言うと、扉の先から別の声が聞こえてきた。
「哥哥。遂にきちんと言えたじゃないか」
台詞の後に、ユンファの肩を抱きながらヤンが入って来た。
「あ〜〜〜!ヤン!てめぇ!まさか聞いてたのかよ!」
顔を真っ赤にして叫ぶユンに、ヤンはしれっとして返した。
「あんな大声出せば筒抜けだぜ。それでも今迄気が付かなかったヤンフェイもある意味凄いけどな」
「だーから、ヤンフェイは自分の事には極端に鈍感だって言ったろ?」
クスクスと笑い乍らユンファが言う。
「自分の事に自覚がなかった姐姐に言われたくないわね」
ちょっとむすっとして言い返すが、なんか本気で言い争う気にならない。
ある晴れた良き日の4人に幸あれ。
|