Can you cerebrate?

 ……これから何年先だか分からないけど、数年未来の話。

 学校も卒業し、社会に出てそれなりに一人立ち出来る位「大人」になった彼等は、ある日揃って観光客溢れる九龍島は尖沙咀の、DCブランドのつまったショッピングモールの前に立っていた。
「やっぱり何か、気が引ける……」
と、一人が呟くと
「でも、安物は厭だよな?」
連れが呟く。
 最初に言葉を発した方が、ごくりと唾液を飲み込むと、大きく深呼吸をしてから意を決した様に(実際、意を決して)そのビルの入口に向かって歩き出した。一歩遅れて連れも彼の後を追った。
 数十分後。彼等は各々小さな紙袋を持って、そのビルを出て来たのであった。

 この李芸・李陽は、この街では知らぬ人が居ない程有名な双児の兄弟だ。まだ高校生になったばかりの頃から既に、「街の若きリーダー」と慕われてきた彼等。今は祖父の菜館で正式に働きながら、その他街で出張アルバイト等をしたり、自治体みたいな事をしたり、多忙な毎日を送っている。特に弟のヤンは、気孔医療等も勉強したりで、更に多忙である。とはいえ、基本的なノリは今迄と変わっていない。
 今日は久し振りの休み、日取りも良くうってつけの日であった。彼等は各々、数日前に会う約束をしていた人の元へと出かけていったのだが、面白い事に方角が一緒である。しかも、普段ならスケボー&ブレードで走り回りながら移動する筈なのに、今日は二人共徒歩や路面電車を利用しての移動だった。途中、公園の方へと続く別れ道でヤンはユンの肩をぽん、叩いた。
「じゃ、しっかりやれよ、哥哥」
「わ、わかってるよ!」
 必要以上に顔を赤くして叫んだが、正直自信はない。しかし、今の今迄この調子を続けていただけに、今日こそは、と一大決心をした筈なのだ。ヤンの方こそ、あそこ迄さらりと言ってのけておきながら、今日まで形にする様子はなかったのだが…目的地までまだ充分距離は有るのに、普段なら絶対にヤンにも言い返す筈なのに、ユンは妙に堅苦しい動きで歩いていくのであった。
 大丈夫かな?と、ちょっと心配してヤンは肩越しにふりむいた。右腕と右足が同時に出る程強張ったユンの歩行に心配したが、かく言う自分も、いざ形にしようとして、相手を納得させる言葉が出るかどうかの自信はない。今迄、何度言い続けても、相手は何処か自覚がない様な素振りで……
…俺の方こそ、しっかりしないとな。
 ヤンも頭のなかに渦巻く言葉を整理しながら、公園に向かう道をゆっくりと歩き出した。

 天気もよく、公園には走り回る子供や、雑談をする老人達、何となく休憩をする若者達等がいた。唯、まだ時間が早い方だったからか、約束の、普段はアベックだらけな東屋の近くのベンチの人はまばらで、待ち合わせの彼女が一人で立っていたのがすぐに分かった。
「ユンファ───」
 ヤンが声をかけると、彼女が振り向いて駆け寄ってきた。淡くメイク位はしているけど、何時もと変わらない髪形と帽子で、丈の短めのブラウスにハーフパンツ、足元はスニーカーである。それでなければ散打の時の様な功夫服姿で有る事が多い彼女にしては、これでも彼女なりにお洒落しているのだから…それがまた彼女の可愛い処だ。
「ごめん、待ったか?」
「いや、先刻来たトコだよ……って、ヤン。何か今日は格好が違うな。何か有ったのか?」
 出会ったばかりの頃と変わらない、男の様な口調でヤンに返しながら、ユンファはヤンの姿をまじまじと見返した。何時もなら動きやすいジーンズにコットンシャツ姿か、散打をする時の様な功夫服姿である事が多いのに、何故か今日のヤンは、改まったスーツ姿だ。
「…何かって…」
 彼女はきっと、これから自分が言おうと思ってる事は予測していないかな?と思いつつ、彼女を促すように言う。
「取り敢えず、日差しの下は暑いから、その木陰の辺りにでも」
 言い乍ら、歩き出した。ユンファも、そんなヤンの様子に何処か釈然としないような表情ではあったが、素直に習って歩き出した。
…変わってない。
 そこがまた彼女の魅力だ。だからこそ、そんな彼女に魅かれ、彼女を守りたいと思い続けていた。初めて出会ったあの時からずっと、これからも。近くの木陰の下に辿り着くまでのほんの数秒の間に、ヤンは一度深呼吸をして気を落ち着かせた。
「ユンファに、受け取ってほしいものがあるんだ…」
 此処に来るまで気の利いた台詞を色々考えた筈だったが、結局あたりさわりもない、何時もの言葉で切り出す。
「え、何だ?」
 まだ何も状況を理解していない彼女が首をかしげる。ヤンはスーツのポケットから、小さな箱を取り出して彼女に差し出した。
「何だよ、これ……」
 不振そうな表情でそれを受け取ったユンファは、箱の蓋を開けると、中のビロードのケースを見て驚いた表情をした。
「これって……」
「ちゃんと、中まで見て」
 戸惑って思わずヤンの方を見上げて、ヤンと目が合った瞬間頬を赤くする。ユンファが直感したものとそれが一致すれば…手を震わせてゆっくりとビロードの張られたケースの蓋を開けると、黄金色の先に真珠と小さな金剛石の付いた小さな貴金属があった。
「……ヤン!これって……これ、なんだよ!」
 頬を梅の花より赤く染め、慌てふためく彼女の姿を見て、ヤンは軽く微笑んだ。何となく予想(希望)通りの行動だったので、落ち着きを取り戻してたヤンはそのまま口を開いた。
「勿論、ユンファに。今日はきちんとした形で伝えたかったから」
 更に動揺して慌てるユンファに一歩近づき、両手で両肩を取る。じっと彼女の綺麗な碧の眸を覗き込んで言った。
「…………!」
「結婚してほしい、俺と」
 ストレートにそう言われ、どうしようもない程顔を赤くした彼女は、怯えた様に一歩後ろに下がってしまった。
「……な、何で俺なんだよ!…?どうして……いきなり……」
 言い返す度に涙が溢れてしまう彼女に、少し寂しそうな口調で問い返した。
「俺が、嫌いか?」
 そう聞かれて、ユンファは頭を左右に振る。
「違っ……けどっ………俺…………」
 双眸から流れる涙が止らない。ヤンはもう一度ユンファに近づいて、彼女の頬を流れる雫を指で拭った。
「…だって、ヤン……俺……それに………ヤンには……」
 粋なプロポーズの言葉を考えていたが、どれも言い出さないまま、思った気持ちをそのままに口にした。
「関係ないよ、ユンファはユンファ。俺が一番守りたい、大切なのはユンファだから」
 ユンファは、ヤンの近所の幼馴染みの妹をはじめ、他にも何人もヤンに気のある女性の存在がいる事を知っていた。だからこそ、その中で自分を…元々捨て子で、孫のいなかった老夫妻に養い孫として引き取られた様な、得体の知れない……汐らしく大人しい訳でもない、どちらかといえば女性らしさの欠けた自分を選んでくれた事に驚いてしまったのだった。
「返事、聞きたいんだけど……もし、すぐに駄目なら、後で聞かせて」
 優しく尋ねる。だまりこけてしまうかと思ったけど
「………………『yes』、だよ、ヤン……俺でいいなら…ほんとに……ほん、と……に…嬉し……」
 附いてしまってしゃくりあげながら、ぽつぽつと返事をする。ヤンは顔をほころばせて彼女の身体をそっと、そして強く抱き寄せた。
「大謝、芸花。大謝…………」
 その頬に、ひと雫の筋が流れた。

 

 

 傍から見たら、『あれはロボットの真似か』と言わんばかりのギクシャグとした動きで、ユンは隣街の気孔医療と漢方専門の診療所へ歩いていた。
………さて、まずはなんて切り出そう。『本日はお日柄もよく』……って、これじゃ祝言のスピーチじゃねーか、んじゃ、『俺の為に肉包を作ってくれ』……何か日本のドラマの定版台詞みたいで、ダサいかも知れないよなぁ……じゃ、『一生一緒に暮そう』……うーん、これじゃプロポーズにもならねぇ……
 ぶつぶつとこの類の言葉を呟き続けて歩くスーツ姿のユンは、普段の彼を知るもの(つまり、街行く地元民)から見れば、余りにも滑稽で、傍目に見ても『何かがある』と言うのが一目瞭然である。
「よ、ユン。どうしたんだ?」
「うをッッッッ!」
 いきなり背後から肩をぽん、と叩かれて大声を上げた。その声に肩を叩いた人物…この街では名のある、特に外國人観光客に人気のある上海料理と飲茶の菜館のサブチーフ料理人で、彼等とは高校の同窓生でもある青年も驚いて身体がのけ反ってしまった。
「な、なな何だよ!リンフェイじゃねーか!びびびびっくりしただろ!」
「それはこっちの台詞だよ。そんなびっくりする程の事じゃないだろ?」
 両腕に、食材やら調味料やらを抱えて呆れた表情をする。何時もは店に直接仕入れたりするが、こだわりの材料だけは、彼が自分で探して買いに行っているらしい。
「あー、もう!何言おうとしてたか忘れちまったじゃねーか!」
 その普段と違う格好と頭を掻いてちらす彼を見て、何となく理由を悟ったリンフェイ青年は冷静に鏡を差し伸べた。
「折角整えた髪形なのに、ぐしゃぐしゃにしてどうするんだ?きちんと挨拶にいくならきちんと直して」
「え?」
 何も言ってないのに、何を理解したんだ?と疑問符を浮かべつつも、言われた通りに鏡のついた服ブラシを受け取り、手ぐしで髪を整える。
「ストレートに決めて良いんじゃないか?頑張れよ。俺もそのうち、上海蟹位持ってくから」
 忙しい菜館のサブチーフにそんな時間は有るのか?等というツッコミも出来ない程、ユンは頭が回っていない。鏡を返すと、リンフェイはそのまま行ってしまった。
「何だ、あいつ…」
 とは思ったが、彼と話して少し緊張がほぐれた様で、ユンは診療所まで普通の足取りで歩く事が出来たのであった。

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