第3回 チュンリー・クスバートの驚き
リュウがドアを開けるとチュンリーは急いで出てきたが、身体にピッタリとした、長い裾のチャイナ服とだぼだぼの独特の功夫ズボンを履いて、ピン、と前に伸びた癖の在る真っ赤な前髪の無愛想な表情の少年を目に止めるとびっくりして棒立ちになった。
「リュウ、それだけなの?」と叫んだ「愛想の良い子は何処にいるの?」
「そんな子はいなかったよ、いたのはこの子だけだ」と、リュウは言った。そう言えば名前を聞いていなかったからである。
「いなかったも何も!私は愛想の良い少年をってユリアに言った筈なのよ!」
「でも、駅にはこの子しかいなかったんだ、チュンリー。駅長にも聞いたよ」
「まぁ、何なの!それ!」チュンリーは言った。
そのやりとりをじっと聞いていた少年は一瞬にして事態を理解した。いきなり大きく震脚を踏むと、二人の間で大声を上げる。
「畜生!どうせそんな事だろうと思ったぜ!今まで俺を相手にしようだなんって言った奴は何処にもいなかったからな!俺が無表情だからって!別に俺は一度たりとも修行前の挨拶や儀礼に対して非礼をしたことがないのに、たかがそれだけで!あまりに事が上手くいくから、良い気分なんかしなかったんだ!」
どしん!
思い切り発勁をしながら拳で地を叩く、その振動は家中のガラスが震えるほどだった。
「別に!そこ迄いじける必要はないわよ」チュンリーはきりだす。
「あるぜ」少年は頭を起こす。「あんただって、こんな生まれつきの治せない性格を持って、その欠点だけをずばずば言われた事がないだけだ!酷い侮辱だ!」
確かに、これは酷い侮辱である。チュンリーも流石に言い過ぎた、と反省する。
「別に、今日このまま追い返すとも言ってはいないし、はっきりするまでは此処にいなくちゃならないのよ。処で、名前はなんて?」
少年はちょっとためらってから、
「俺をモンドゥォ(孟徳=meng de)と呼んでくれないか?」と熱心に頼んだ。
「モンドゥォと呼ぶ?それが貴殿の名前なの?」
「否、俺の名前って訳じゃないけど、モンドゥォって呼ばれたいんだ。"乱世の奸雄"って名前だから」
「何を言ってるんだか、さっぱり分からないわ。モンドゥォでないなら、何て名前なの?」
「ヤン・シャーリー」とその名の持ち主はしぶしぶ答えた。「でもどうせならモンドゥォって呼ばれたいんだ。どうせ此処には少ししかいられないんだ。ヤンなんて現実的な名前すぎる」
「現実的ですって?馬鹿馬鹿しい!」情け容赦なくチュンリーは叫んだ。「ヤンこそ、覚えやすくていい名前でしょう!何も卑語になってる訳じゃないんだし、良い名前じゃないの!」
「恥ずかしい訳じゃないんだ」ヤンは言った。「ただ、モンドゥォの方が、理知的で鋭い計算力と眼力を備えた感じがするから、自分ではそう考えていたんだ。他にもビャオヅートゥ(彪子頭=biao
zi tou)なんて名前も考えたけど、今じゃモンドゥォの方が好きなだけだ。でも、"ヤン"って呼ぶならgのついた綴りのyangで呼んでほしい」
「口に出して言えば、大して変わりはないじゃないの」呆れてチュンリーは言った。
「それは大違いだ。中國語でのピンインなら全然意味も発音も変わってくる。あんただって分かるだろう?だから、あんたが俺のことをそうやって発音してくれるなら、俺はモンドゥォって呼ばれなくても構わない」
「じゃあ、gのついたヤンさん、どうしてユリアが貴殿をよこしたか教えて下さらない?私達は愛想の良い修行相手を選んでくれっていったのよ。孤児院にはいなかったの?」チュンリーがたずねる。
「否、単に愛想の良いのなら沢山いた。でも、スペンサー夫人は、16歳位の、礼儀正しく良い修行相手になるような子をって言っていた。そこで、一日の修練で最も儀礼に重んじているこの俺が良いだろうって、薦めてくれたんだ。俺、本当に嬉しかった。何時もまともな散打相手にも恵まれなくて、ただひたすら一人で幾つかの絶招だけ決めて、功夫を積んで、何時かは世界一の格闘家になってやろうと想像していたのにな」
……此処までの話を聞いていると、確かにクスバート兄妹には良い修行相手ではある。ただ、この無表情さがどうしても頂けないのだ。
「とにかく、今日はもう疲れているんでしょう。とにかく部屋へ案内してあげるから、おやすみなさい」
チュンリーはヤンに荷物を持たせ、奥の屋根裏部屋に案内した…取り敢えず、そこしか余地がなかったのだ。
「なんて狭さだ。これは俺に"拳臥打牛の地"(牛が1匹寝ている広さで修行する事)でやれって事か。こんな気分じゃ、集中も出来ない」
ヤンは鞄を部屋の隅に置くと、再び馬歩の基本姿勢をとった。
一方、ヤンが去ってからリュウとチュンリーは相談をしていた。
「まさかリュウ、あなた、あの子を引きとるつもりじゃないでしょうね?」チュンリーの質問にリュウは淡々と答えた。
「あの功夫を見ただろう、並大抵の努力じゃない。それに礼儀正しさは人一倍だ」
「でも、あの愛想のなさは心外だわ。何を話しても抑揚がないもの」
とにかく、明日スペンサー夫人に事のあらましを話さなければ。
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