13 Seconds Presents

Original GODZILLA Story

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ゴジラよ、お前は何処から来たのか、何物なのか、そして何処へ行くのか――?』

〜ある生物学者のレポートより抜粋〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここに一冊の本が、いや正確には『報告書』と言った方が正しいものがある。表紙は黄ばみ、端や角はボロボロになりかけているが、これは年月がそうさせたもので作られた時期を考えればこの報告書がいかに厳重に管理されてきたのかが分かる。

 表紙にはただ一つ、朱色の印で「極秘」と捺されているだけだ。めくると、そこからは数ページにわたってこの報告書を閲覧する者に対する誓約が、無断で複製・転載・持ち出しした際の処罰に関することが事細かに書かれている。命こそ取られないが社会的に活動を拘束され、生活に不自由を余儀なくされる内容だ。この報告書に関する事件の真実が当時よほど秘匿される必要があり、作った者達はこれが世間の目に触れる事を重大視していたのだろう。

 その警告が終わると再び「極秘」の朱印、次にやっと報告書のタイトルが現れた。

 

 

『“ゴジラ”と呼称される巨大生物に関する報告書  1954年 特設災害調査委員会・編』

 

 

 そう、これは1954年に突如日本に現れた巨大生物――もはや生物と言える範疇に無く、当時この生物が始めて目撃された島に伝わる荒ぶる海の神の名をとってこう呼ばれた――怪獣『ゴジラ』の引き起こした一連の事件に関する詳細な報告書だ。

 この報告書によれば事件は1954年の夏に遡る。7月、小笠原諸島から伊豆諸島にかけての日本近海で、船舶の遭難が相次いだ。海上保安庁が中心になって事件の調査に当たったが原因は不明、そして時間が経るごとに事故現場は日本本土に近づいていて行った。

 そして10月、『事件』は目に見える形で人間達の前に現れた。伊豆諸島のある島で、村が一夜にして壊滅する事件が起きたのだ。村の家屋25戸中17戸が全壊、6戸が半壊。夜中と言う時間が混乱を助長したのか、死者12名、負傷者も50名を超える惨事だった。さらに不可解な事に島にはその日、原因と考えられるような地震も嵐も起こっていない。難を逃れた目撃者の話は、その夜に「見上げるような巨大な影を見た」や「この世のものとは思えない獣の鳴き声を聞いた」と一貫していた。しかし、そんな話は調査隊には到底信じられないものだった。村の家々を押し潰した巨大な足跡を見るまでは……。

 その後の調査により、この足跡を残していった物の正体がおぼろげに見えてきた。身長50m以上、体重数千トンという巨大な「何か」が村を壊滅させたのだ。さらに足跡からはジュラ紀に生息していた三葉虫の化石が発見され、高濃度の放射能が検出された。これらが意味するものは何なのか――、人類は疑問を解決する前に『それ』を目撃することとなる。

 1954年11月、夕闇迫る品川駅周辺に衝撃が走った。逃げ惑う群集、飛び交う悲鳴。彼等が逃げて来た先には異形の物体が迫っていた。建物の向こうから頭が見えるほどの巨体。耳元まで裂けた口には鋭い牙がずらりと並び、死んだ魚のように生気の無い目を時折ギョロリと剥かせている。表皮は全身がケロイド状に醜く腫れ上がり、後頭部から長い尾の先まで不規則な大きさで並んでいる骨張った背鰭。足には4本の爪を持ち、その怪獣は2本の脚でゆっくりと、地響きを立てながら歩いていた。東京湾から上陸した怪獣は品川駅の線路を踏み潰し、架線を切断し、列車を獲物のように口に咥える。怪獣はまるで自らの力を誇示するかのように天を仰いで海へと消えた。

 全ての点が線となって繋がった。7月に始まった日本近海での船の遭難の多発、10月に伊豆諸島のある島で村が壊滅した事件とそこに残された巨大な足跡。全てが今回、品川周辺を騒乱と恐怖の渦に陥れた巨大怪獣によるものだったのだ。だが怪獣の正体に関する議論よりも注目されたのは、『再びこの怪獣が現れた場合、どうやって撃退すれば良いのか?』ということだった。結論として、その年1954年に組織されたばかりの自衛隊が対怪獣作戦の前面に立つこととなった。

 自衛隊は1950年に組織された警察予備隊1954年に改組された保安隊・海上警備隊を母体としている。1950年から53年にかけて起こった朝鮮戦争を契機として戦後、軍事力を放棄した日本に自国防衛力を持たせる目的でGHQの支持の元設置されたばかりだった。人々はあわよくば怪獣が再び現れないことを、日本が再び戦火に巻き込まれないことを祈った――が……

 品川上陸からわずか5日後、怪獣は再び、人々の思いを踏み躙るかのようにやって来た。東京湾上空に無数の戦闘機が出撃し、怪獣に次々とロケット弾を打ち込むが、怪獣はそれに怯むこと無く陸地に近付いて行く。それに対し自衛隊の作戦はこうだ。怪獣も生き物には違いないという結論から、怪獣の進路に当たる湾岸線に電圧5万ボルトの高圧線を張り巡らし、感電死させてしまおうとするもの。自衛隊は、高圧線の後方にも戦車隊・大砲を待機させ、怪獣を待った。

 戦闘機部隊の猛攻をを凌ぎ切ってみせた怪獣は芝浦付近に再上陸し、湾岸の広大な敷地に設置された高圧架線に接近してきた。そして、怪獣の手がゆっくりと電線に触れる。バリバリバリ……!!!凄まじい放電の音とともに、怪獣の悲鳴が木霊した。二度、三度、怪獣は高圧線を破ろうと試みるが、その度に電撃の洗礼を受ける。すると怪獣は動きを止め、荒く息を切らし始めた。高圧電流が効いている――誰もがこのまま怪獣が弱って倒れることを確信した。しかし、怪獣は人間の浅はかで狭義な常識に収まる生物ではなかった。骨の一部のように見える背鰭が不気味に、白く輝いたかと思うと、怪獣はその口から火焔を迸らせたのだ。青白い光を放つ火焔が高圧線の鉄塔を舐め上げると、鋼鉄製の鉄塔は一瞬にして赤熱し、飴のように溶けて燃え上がる。

 それは人知の及ぶところではない。炎を吐く生き物、伝説か神話の中にしか存在しないものだったのが今自分達の目の前に現れたのだ。混乱しながらも、必死に怪獣に向けて砲弾を打ち込む自衛隊の戦車や大砲。だがそれらも青白い火焔の洗礼を受けると自らの砲弾や燃料に引火し、木っ端微塵に爆発して消えた。

 もはや怪獣を止められるものは存在しなかった。銀座の繁華街が廃虚と化し、日本政治の象徴である永田町の国会議事堂までも踏み潰される。怪獣による蹂躪は一夜続き、上野・浅草の下町まで炎に包まれた。

 それはまさに地獄絵図、戦中にアメリカ軍に受けた東京大空襲を彷彿とさせる光景が広がったが、根本的に違うことはそれが人間の意志で行われたとものではない、と言うことだ。たとえ戦時中であっても、相手が人間である限り、人類の最大の武器である「言葉」があれば戦争の悲劇は回避できたかもしれない。しかし、この怪獣には武器はおろか「言葉」も通用しないのだ。人間は怪獣が破壊の限りを尽くし、満足そうに海に帰って行くまでただ見守るしか術はなかった……

 

 

 では何故こんな常軌を逸した怪物が現れたのか?

 

 報告書の後半は、この疑問に関する推測にページが割かれていた。謎を解く鍵は事件の起きた伊豆諸島の島で、怪獣の足跡の中で発見された三葉虫の化石とそこから検出された放射能にあった。

 三葉虫の化石は専門家の鑑定によれば、ジュラ紀後期から白亜紀にかけて生息していた極めて珍しい種類のものであり、これが足跡の中で発見されたことから、怪獣の表皮に付着していたものと推測された。さらに自衛隊の攻撃で剥がれ落ちたと思われる怪獣の皮膚の一部が分析されたが、当時の科学技術では特定は不可能。前述した三葉虫との関係から、あの怪獣もまたジュラ紀から白亜紀にかけての時代に生息していたもので体型や行動パターンから推測するには、水棲から陸棲へ進化する過渡期であった恐竜の生き残りであると言うしか無かった。

 そして、足跡に残された高濃度の放射能は天然ウランなど自然界の放射性物質から発生するものではなく、原子力発電や核爆発などで核分裂が永続的に続く状態である『臨界』を経て初めて生成されるいわゆる『死の灰』だったのだ。当時日本周辺で原子力発電は実用されておらず、1962年の東海原子力発電所の稼動を待たねばならない。となると死の灰の生成原因は当然の流れで核爆発――当時米ソが競って開発を進めていた核実験に絞られた。

 その特定は予想以上に簡単に進んだ。ちょうどその年、1954年3月、アメリカが太平洋のビキニ環礁で水爆実験を行い、マグロ漁船「第5福竜丸」が死の灰により被爆した事件が起こっていたのだ。これほど高濃度の放射能であるからには、時期的に最も近いビキニ環礁の水爆実験が原因として有力であると推測した調査委員会は第5福竜丸が被爆した死の灰と怪獣事件で検出された死の灰を照合、時間差により半減具合の違いはあったものの、組成はほぼ一致した。

 

 以上の調査結果から導き出せる結論はこうだった。

 今回日本近海および東京に現れた怪獣は、太平洋に眠っていたジュラ紀後期から白亜紀前期にかけて生息していた水陸両棲恐竜の生き残りであり、それがビキニ環礁の水爆実験により眠りから覚め、放射能によって住処を追われた事で凶暴化したものである――と。

 人間の常識を打ち砕いたこの事件を契機に、世界的に怪獣・恐竜ブームが湧き起こった。博物館の恐竜展には多くの観客が詰め掛け、世界中に散らばる恐竜の生き残りが目撃されたと言われる秘境にも大規模な調査隊が送り込まれた。

 太平洋戦争、そして怪獣と二度にわたって焼け野原にされた東京も、その後奇蹟的な復興を見せた。しばらくの間は怪獣に対する脅威が残っていたが、調査委員会は怪獣が水爆実験で浴びた放射能の量を考えれば長くは生きられないという最終的な報告を出すに到って、人々の間には安堵の空気が広がっていった。

 

 

 その後20世紀後半の世界史は激動の時代となった。

 

  アメリカを中心とする北大西洋条約機構とソ連を中心とするワルシャワ条約機構の対立による東西冷戦、

  人類は、自らを数百回滅ぼせるだけの核兵器を持つに到ってしまったのだ。

  しかし、東西冷戦の象徴であったベルリンの壁崩壊に到ると米ソの緊張緩和は現実のものとなり、

  ソ連の解体に到ると東欧諸国の民主化が促進された。

  もはや世界大戦の時代ではなく、戦争は地域的なものとなった。

 

  同じ頃、日米安全保障条約でアメリカとの強固な同盟関係を築いた日本は

  近代希に見る高度成長を成し遂げ、

  小笠原諸島、沖縄の返還により日本の領土的独立は果たされたものの、

  安全保障は依然として在日米軍に任されたままという問題を抱え続けている。

 

 そして平成の時代を迎え、数々の重大事件と50年に及ぶ時の流れは人々の記憶の中からあの怪獣『ゴジラ』の存在を薄れさせるのに充分だった。もしこの報告書を見る機会が与えられていなければ、事件の真相に近づくことは難しかったであろう。

 しかし、報告書には大きな疑問が残っている。ひとつはゴジラとは何物なのか言う事である。水爆実験によって目覚めた恐竜の生き残り、などという結論は満足出来るものではない。ならば何故、『恐竜』が火焔を吐く『怪獣』に変貌するに到ったのか、そして、何故惹き付けられるようにして日本に現れたのか?最も興味を引かれるのはこの点であろう。

 以後、初めてゴジラの名に触れた者は、この怪獣の姿を実際にこの目で見たいと、どんなに強く願うだろうか。そして、それが人類史上に残る歴史的事件を目撃することになろうとは知る由も無く――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

NEO G Episode 3rd〜Versus〜
ネオ ジー エピソード サード ヴァーサス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『序章』

 

――1

2004年4月20日――マリアナ諸島東方沖

「レーダーに感!右舷より敵対艦ミサイル3基接近、距離20000!」

 軍用艦の内部と思われる近代化されたCIC(Command Information Center:戦闘情報センター)に日本人クルーの声が飛んだ。CICとは、レーダーやソナーといったセンサーから得られた情報を一元に統括し、攻撃・防御に応じて管制するための施設であり、窓は無く壁一面にモニターと電子機器が並べられている。正面に2面、側面に1面ずつ設置されたLSD(Lrage Scale Display)が、この艦が最新の情報システムである『イージスシステム』を搭載していることを現していた。

 その時、オペレーターの前にあるレーダー画面には艦の形を模した鱗形と、艦の右舷(艦の右方向)から接近する3つの輝点が映し出されていた。

「後部VLS『シースパロー』発射用意!」

 それを聞いて、このCICの責任者と思しき士官が素早く指示を出す。彼の着る救命胴衣の背には『砲雷長』の文字がある。

「了解!イルミネーターリンク完了!」

「よし、発射しろ!!!」

「『シースパロー』発射!!!」

 パネルの前のクルーはその指示に従って続けざまに三つのボタンを押す。その様子を確認すると『砲雷長』は手元の書類とストップウォッチを確認した。モニターには新たに3つ、三角形の輝点が現れる。それは敵ミサイルを現す輝点と重なると消え、同時に敵ミサイルの輝点も2つが消えた。

「――敵ミサイル、2基撃墜!なおも1基は接近中!!!」

 残った一つの敵ミサイルの輝点は、なおも艦を現す鱗形に近付いていて来る。

『機関最大戦速!回避航行』

「迎撃用チャフ発射!」

 部下とブリッジから想定された通りの報告と指示が返ってくるのを待って、『砲雷長』は再び指示を出した。

「敵ミサイル、チャフを通過!距離4000まで接近!」

「目標よりアクティブレーダー、本艦は完全に捕捉されています!」

「CIWSを目標にロックオン!迎撃用意!」

「了解!射撃レーダー、敵ミサイルをロックオン!」

カチッ

 その時点で『砲雷長』は手に持ったストップウォッチを止めた。時間は2分56秒、想定では3分を超えればこの艦は敵ミサイルの被弾、以下なら迎撃成功ということになっている。『砲雷長』はマイクを取って言った。

「CICよりブリッジへ。敵ミサイルの迎撃に成功、艦に損害無し!」

 

「報告!1730(ヒトナナサンマル)、訓練プログラムを終了しました!敵艦発見より迎撃まで想定時間より4秒の短縮をもって敵対艦ミサイル3基の迎撃に成功。艦に損害はありません!」

 ブリッジでは『船務長』と書かれた救命胴衣を来た士官が、双眼鏡を手に持ち窓から外を眺めている男と向かい合っていた。

「距離20000から3基を迎撃できたか…、計画に無い抜き打ちの訓練だったのに大したものだな…」

 男は呟くように言った。

「ハッ、今回の演習でクルーに自信が付いたことも大きいですが、なによりこの『やまと』の性能によるところが大きいと私は考えます。」

 『船務長』は言った。そう、この船――海上自衛隊の最新型護衛艦『やまと』はアメリカ太平洋艦隊司令部のあるハワイのパールハーバーを訪れ、演習の中でアメリカ海軍の空母1隻と巡洋艦2隻を撃沈するという成果を上げた。先程までは寄港地のパールハーバーから母港である佐世保までの帰路、演習が終わって気が緩みがちな隊員を引き締めるべく訓練を行ったところだった。『砲雷長』はこの『やまと』の武器管制の責任者である三等海佐、『船務長』は艦の副長の任にある二等海佐、副長が報告を行った男こそ『やまと』艦長・山本龍之介一等海佐だ。

 

 『やまと』建造までには様々な紆余曲折があった。当初2000年の次期防――次期中期防衛力整備計画では今までの護衛艦に加えて10機単位でヘリコプターの離発着の出来る空母型護衛艦の建造が予定されていた。しかし、離発着能力はヘリコプターに限ると言っても日本が空母型艦船を持つことは周辺諸国を多いに刺激する要因となった。結果として空母型護衛艦の建造は中止され、従来のDDH(ヘリコプター搭載護衛艦)の機能を拡張する形の新型護衛艦を導入する形で決着が付いた。

 『やまと』はその新型護衛艦の1号艦であり、イージスシステム搭載ミサイル護衛艦の第2世代に当たる。基準排水量10600トンの艦体は、従来のDDHである『はるな』型の5000トンの2倍以上、第1世代イージス護衛艦である『こんごう』型の7200トンの約1.5倍と言う威容を誇る。武装は艦首の127mm単装速射砲と、バルカン砲とレーダーを組み合わせた近接防御兵器であるCIWS(Close in Weapon System)・ファランクス以外は対艦・対空・対潜ミサイルは全てVLS(Virtical Launched System)化され、甲板の前部と後部それぞれにキャニスターと呼ばれる弾庫一体の装置で垂直に搭載されている。平面を多用したシンプルなシルエットを見せる艦橋はステルス性が高く、動力であるガスタービンエンジンの排気用煙突などの構造物もレーダー波を妨げること無い様、後方に伸びるに従ってV字型に絞り込まれコンパクトになっている。その分、4機のヘリコプターを運用できるだけの充分な甲板と格納庫を確保しているのだ。

 さらには日本型TMD(戦域ミサイル防衛)に対応する為、『アドバンスド−イージスシステム(Advanced−AEGIS System)』を搭載している。イージスシステムとは、フェーズド・アレイ・レーダー(Phased Array Radar)を用いて多数の目標を同時に探知・追尾を行い、敵の驚異評価、撃墜の優先度、対抗システムの選択を自動的に行って多数の目標を自動的に同時に迎撃が可能なようにしたもの。中核を成すフェーズド・アレイ・レーダーが従来のレーダーと根本的に異なる点は、従来のレーダーがアンテナを回転させながらレーダー波を放射し目標を捕捉するのと違い、そういった機械的な動作をすること無く電波を平面状に指向させることで同時に多数の目標を追尾・誘導することが可能なことである。先程の訓練で、接近する3つの目標を捕捉しながら同じ数の迎撃ミサイルを目標向けて発射出来たのはその機能によるものであり、さらにイルミネーターと呼ばれる母船から放たれた電波の反射波でミサイルを誘導する装置を使っていることでその命中率は格段に上がっている。『RIM−7F<シースパロー>』は短SAMと呼ばれる短距離射程の対空迎撃ミサイルであるが、射程100km近い『SM−2ER<スタンダード>』対空ミサイルとフェーズド・アレイ・レーダーを組み合わせれば超長距離から飛来する弾道ミサイルの上空撃墜も可能であり、フェーズド・アレイ・レーダーを装備した艦がギリシャ神話でゼウスが娘アテナに贈った一切の邪悪を防ぐ盾の名前に由来してイージス艦と呼ばれ、対空防衛の切り札となっている由縁でもある。『やまと』に搭載されているものは<アドバンス>と冠されるように、日本独自の戦域防衛に対応して思想的に一歩進めたものとなっていた。

「この『やまと』は私の長いキャリアの中でも最高の艦だ。システムも、そしてクルーもな…」

 山本は、皺の刻まれ始めた顔を綻ばせながら言った。

「ありがとうございます。艦長にお褒め頂ければ、皆喜ぶでしょう。」

 副長は畏まって言った。

「勤務を警戒直から通常直へ。佐世保まではまだ長い、これからは存分にクルーを休ませるように。」

「了解!こちらブリッジ、勤務を通常直へ移行!機関員は3交代で休憩を取るように、以上。」

 そう言ってマイクを置いた副長がブリッジを後にしようとするのを、山本は呼び止めた。

「副長。」

「何でしょうか?」

「料理長に伝言を頼みたい。今回の訓練結果の褒美に、パールハーバーで積んだばかりのビフテキを早速皆に振る舞ってくれ、と。」

「間違いなく伝えておきます!」

 今度は笑って敬礼して、副長がブリッジから降りて行くと、航海長である三等海佐が入れ替わるようにして入ってきた。彼は既に戦闘配置時の鉄帽と救命胴衣を脱ぎ、士官の制服に戻っている。

「航海長、あとは任せる。進路、速度そのままだ。」

 山本は舵の指示を出すと、椅子に深く腰を降ろして目を瞑る。

「艦長、お休みになられるなら個室に戻られては?」

「ここで良い――」

 航海長が声をかけてきたが、山本はそのまま動かなかった。

 この艦を『やまと』と命名するに当たっては小さからぬ論議を呼んだ。『やまと』と言う名前が太平洋戦争当時の戦艦『大和』を彷彿とさせ、アジア諸国に不快感を与えることが懸念されたからだ。戦艦『大和』は太平洋戦争当時に世界最大・超弩級と言われた戦艦であった。海戦が戦艦主体から空母の艦載機による爆撃に移っていく中で日本を守ることが出来ないまま沖縄沖にて撃沈されたが、戦闘艦としては最強を誇っていたことだけは間違い無い。『やまと』もまた間違いなく現在最強を誇れる艦であると、山本は演習を通じて確信した。だからこそ山本はこの艦の名前こそ21世紀の『やまと』に相応しいと思っていた。横須賀に配備される予定の『やまと』型護衛艦2番艦が『むさし』と命名されたのも、自衛隊のそんな自信の現われだったのかもしれない。

 そして、当時の『大和』は帝国海軍連合艦隊の旗艦であり、艦隊司令長官はあの山本五十六将軍、日本とアメリカの戦争に反対し続けた傍ら苦肉の策として真珠湾奇襲を計画した人物。龍之介と山本五十六は特に血縁関係があると言うわけではなかったが、同じ『やまと』と名付けられた艦に『山本』を名乗る男が乗っていることに彼は因縁のようなものを感じていた。

「(いつの時代も、最も尊い行動は何かを守ることだ。そして、この艦があればどんな相手からも日本を守ることが出来る、私は守ってみせる……)」

 そう思いながら、何時の間にか山本は眠りに付いていた。『やまと』の航海は60年前とは違い、これ以上無く穏やかだった。

 

 しかし、『やまと』から数百km以上離れた太平洋上、同じく演習に参加し、アメリカ西海岸のサンディエゴを目指し帰港の途についていたアメリカ第3艦隊に起こる悲劇をまだ知る由も無かった――


序章―2

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