遠雷のように響いていたその音が今は間近に感じられる。
「(我々は作ってはならない物を作ってしまった。
人類は“あれ”に滅ぼされてしまうことになる。
我々に楽園をもたらすはずだった“あれ”が逆に人類に牙を剥いたのだ。
我々に非が無かったと言えば嘘になる。
銃に危険な弾を込め、引き金を引いたのは紛れも無く我々なのだから。
今、世界は正に地獄と化している。
外で爆発が起きるたびに背筋が凍る。
生き残っている者はここに隠れている私を含めて僅かであろう。
しかし、我々は生き残っている限り滅びに瀕する恐怖を感じ続けなければならない。
“あれ”はもはや人類を根絶するまで止まらないのだ。
我々の力では“あれ”を止める術は持たない。
もう、死を選んだ方が楽になれるのかもしれない。
だが私にはまだやるべきことがある。
我々が滅んだ後の近い未来、新たな人類が同じ間違いを犯さない為に…
再び、“あれ”が動き出さない為に――)」
男が一人、窓の無い四方を壁に囲まれた部屋の中で机に向かっていた。右手にペンのようなものを握り、机の上に置かれた薄い金属板へその先端を滑らせていく。細く尖った先端からは淡い光が発せられ、その光に撫でられた部分には何やら文字のようなものが刻まれていた。ひとしきり作業を終えると、男は金属板から顔を上げる。その時、今までで最大級の衝撃が部屋全体を襲った。壁がミシミシと軋みを上げ、天井からは埃が糸のような筋となってパラパラと零れ落ちる。次の瞬間には最初の衝撃とは違った、腹に響いてくるような轟音が部屋の中の空気を震わせた。
「(……上の建物が崩れた。ここももうお終いか……)」
男は直感的に自身の最期を悟った。そして、再び机の上の金属板に目を落とす。
男は意を決したかのように立ち上がると、部屋と外界を繋げる唯一の入り口である両開きの金属製の扉に向かった。扉はまるで絶望的な状況であっても彼の生への執着のように僅かに開いていたが、男はその未練を断ち切るかのように取手を握ると扉をピタリと閉めた。
ズン……
重々しい手応えとともに、部屋は完全に外界と途絶された空間となった。途端、脱力感を感じた男はまるでその行為で全ての力を使い果たしたかのように扉を背にして座り込んだ。そして目を閉じ、全ての思考を停止させる。
男は、そのまま己の死を待つことにした――
NEO G Episode 2nd 〜EDEN〜
――1『災いを呼ぶ楔』
200X年――南太平洋、ギルディア共和国領
深くそれでいて透明度の高いコバルトブルーの海面の間に、周囲をまるで宝石をそのまま液体にしたかのように輝くエメラルドグリーンの珊瑚礁が美しいコントラストを描いている。
ギルディア共和国は南太平洋に点在する島国の連邦である。経済水域の西端には高品質な原油を産出する海底油田があり、また美しい海と島々は世界屈指の観光地でもある、この二つで経済基盤を確立している同国は地勢的な欠点を差し置いても高度な工業技術を持つことで知られている。
そのギルディア共和国領内の一角に位置する珊瑚礁の一島に美しい自然に似つかわしくないコンクリート製の無骨な建物があった。3階建てのその建物の屋上では肩に自動小銃を担いだ兵士が双眼鏡を構えて辺りを見回しており、入り口は建物の正面に配置された鉄扉だけである。
建物の中に入ると白衣を着た科学者らしき者と国軍の制服を着た者が何やら話し合っている様子がそこかしこで見られるようになった。内部の、入り口の両脇に兵士が立哨する一室の中には、無数のコンソールとCRTディスプレイが整然と並び、床に這わされた何色ものケーブルによって繋がれてひとつのシステムを形作っている。そして打ちっぱなしのコンクリートの壁面に大型液晶スクリーンが填め込まれており、そこには水平線の彼方、水上に建てられた櫓のような建造物が映し出されていた。遠くから見ればそれは櫓の様に見えたかもしれないが、近くで見れば正方形をしたプラットフォームの一辺は50m以上、上部には高さ30mはあろうかというクレーンやボーリングシャフトが林立した巨大施設であることが分かる。この海底油田の採掘設備にも似た施設は、今まさに海底からさらに500mの深さまで岩盤をくり貫き、“ある物”をその底に設置することを終えようとしていた。
「ニコライエフ博士、いよいよですね…」
一人の男がやや緊張した面持ちで隣に立つ男に話しかけた。ニコライエフと呼ばれた男は肌が白く、髪も銀髪。白衣の服装こそ一緒だが周りの科学者一団、褐色の肌に黒い髪の者達とは一人だけ人種が異なっている。
「我が国がオイルマネーによって潤っていると言っても、それが続くのは資源が枯渇するまでの数十年。しかし、実験が成功すればこの国……いや、世界のエネルギー事情を変える事が出来ます!我々の技術が世界を変えるのです。大統領もお喜びになるでしょう…。」
その言葉にニコライエフはかぶりを振った。
「悪いが、私はこの国に貢献する事にも世界を変える事にも興味は無いよ。ただ、この手で核反応を完全に制御する技術を生み出したかっただけだ。旧ソ連の崩壊以来、私に充分な環境と資金を提供してくれたのがこの貴国ギルディアだったと言うだけだ。」
ニコライエフは旧ソビエト連邦にあって屈指の核物理学者であった。しかし、ソ連邦の崩壊と共に優秀な科学者は充分な待遇と研究環境を求めて第三国へと流出してしまったのは周知の事実である。彼もそんな一人だったのだ。ニコライエフは静かに水平線上に見えるプラットフォームを見詰めた。
「――核分裂時に発生する放射線と放射能を反応装置内部に再転換しエネルギーだけを取り出す究極のエネルギー、N2反応。その誕生の瞬間に立ち会えるだけでも私は幸せですよ。」
現地人の科学者もその言葉を言う時にはニコライエフと同じ、この世のしがらみから離れた、真理を探究することを生き甲斐とする“科学者”の目となっていた。
『N2反応装置、地下500mに設置完了。プラットフォームのスタッフが安全距離まで離脱するのにあと10分です。』
「制御装置に問題無し。カウントダウン、開始します。」
コンソールに座ったオペレーターそうが言うと、プラットフォームの映像を映すメインスクリーンの隅でカウントダウンが始まった。その場にいる全員が固唾を呑んでその光景を見守っている。上空にはヘリコプター、海上には巡洋艦と駆逐艦が遠巻きにプラットフォームを監視していた。
「無線周波数、遠隔制御装置とのリンクを確認、反応装置の最終チェックオールグリーン。」
「点火まであと60秒、58、57、56……」
オペレーターが読み上げるカウントがゼロに近くなるにつれて、ニコライエフは手に汗握るのを感じた。
「(もうすぐだ…私の30年に及ぶ研究の成果が試される…)」
「……5、4、3、2、1、ゼロ!!!」
スクリーンに映し出されていた数字がゼロを刻んだ次の瞬間、真っ青だった海面が直径数百mに渡って白く染まった。そして、彼らのいる島の観測所にも地鳴りのような衝撃が伝わってくる。
「放射線モニター開始!」
ニコライエフはすぐさまオペレーター達に向けて叫んだ。モニター画面には複雑に折れ曲がったグラフが次第に平らになっていくのが映し出されていく。
「地下の放射線量は安定して低下に向かっています。まもなく再転換点!」
そして、モニターのグラフがゼロを示したその時――、施設全体に警報が鳴り響いた。
「どうした!何が起こったんだ!?」
モニターを覗き込んだニコライエフは我が目を疑った。ゼロで安定したはずの放射線量が一気に跳ね上がり、瞬時に臨界点を超えたのだ。
ゴゴゴゴゴ……
施設を、いや実験場周辺全域を点火時とは比べ物にならない大きさの地響きが襲う。その揺れに研究員達は立っていられない。蛍光灯が不安定に点滅し、ディスプレイのいくつかがブラックアウトする中、ニコライエフは必死に機器にしがみつきながら、スクリーンに映る海上プラットフォームを見詰めた。プラットフォームは白く荒れ狂う波間に呑み込まれていくところだった。クレーンが倒壊して上部の設備を押し潰し、海中に下ろされた橋脚は揺れに耐え切れず圧し折れ、海中にその威容を沈めて行く。
「これは……!!!」
観測員が何かに気付き呟いた。呟きと取るにはあまり大きかったその声を、ニコライエフ博士はそれを聞き逃さなかった。
「一体何事だ!地下で何が起こった!!?」
観測員は博士に振り向くと、顔面蒼白で被りを振った。
「――核爆発です…!!!」
核爆発――、その言葉を聞いてニコライエフの頭の中は真っ白になった。核爆発――、今回の実験の中であってはならないこと。N2技術とは核反応時の放射能を抹消し、原子力をより安全にクリーンなものと変える一大転換点となるはずだった。地下でN2が核爆発を起こした、それは彼の数十年に及ぶ研究の成果を否定し、実験の失敗を意味するものだった。
「施設外にいる人間は建物内部に退避!!技術員も速やかにシェルターに避難せよ!!!」
軍の高官は大声を上げながら指示を飛ばす。ニコライエフは核爆発の様子が映し出されているモニターに釘付けとなった。海面が青白い閃光を放ちながら小山が出現したかのように隆起したかと思うと、直径1kmもの範囲の海水が消滅し、その代わり太陽と同じ色と温度の火球を海上に現出させていた。火球は次の瞬間にはその球体を崩壊させ、まるで海底火山の爆発のように巨大なキノコ雲が立ち昇らせたのだ。同時に、膨大な熱エネルギーが解放されたことに伴う急激な大気の膨張により発生した衝撃波が目に見えない壁となって波を断崖のように反り立たせながら、駆逐艦・巡洋艦を呑み込んでゆく。垂直にそそり立つ高さ50mの高波に排水量数千トンの軍用艦も木の葉のように翻弄され、艦体が横倒しになると、押し寄せる波は莫大な質量となって圧し掛かって来た。マストが圧し折れ、レーダー板は根元から千切れて海中に没し、ブリッジの窓は粉砕されて海水は容赦なく艦内に雪崩れ込んで来た。爆発の瞬間に蒸発した海水は上昇気流によって雷雲を形成し、キノコ雲と海面の間には幾筋もの稲妻が飛びまわる。
「博士ッ、ここは危険です!早くこちらへ!!!」
研究員の一人がニコライエフに呼び掛けるが、彼はその場で身動ぎひとつしない。ただ、つぶやいていた。
「所詮、核を手の内に操るなど人間の傲慢に過ぎなかったと言うことか……」
ニコライエフはこの時初めて自分愚かさを知った。彼はかつて、旧ソ連時代にチェルノブイリ原発事故を起こした者達を嘲った。核の恐ろしさを理解しないまま、技術に対する慢心や十分に設備の保守を行えない経済的妥協の末に起こった惨事。自国の技術力に一生拭い切れない泥を塗ったこの事故に、同じ核物理学者として若き日の彼はこれ以上無い憤りを覚えたものだ。しかし自分も、かつて自分が蔑んだ者達と同じ愚か者だった――
「博士――ッ!!!」
助手が叫んだ時にはもう遅かった。窓の外は白い光りに覆われ、爆発の威力は遂に実験施設のある小島をも呑み込んだ。太陽の高熱に匹敵する熱線が島の表面をあらかた焼き払うと、衝撃波は島の木々の燃え滓もろともコンクリート製の施設を砂で出来た楼閣の如く打ち砕いた。地上にいた者は影も残さず身体を蒸発させられ、たとえ避難できた者でも地上を襲った高熱の所為で地下のシェルターはオーブンのように蒸し上がり、地上で一瞬で死ねた者よりも長い苦しみを味わったのだった……
――全てが焼き尽くされ、破壊し尽くされた実験場は何物も寄せ付けない死の世界と化していた。そして、実験の失敗は海中にも地上のものに勝るとも劣らない被害を及ぼしていた。爆心点の海底には直径約500mのクレーターが穿たれ、さらにはクレーターの形成によっても発散し切れなかった威力は周囲に深い亀裂を生じさせ、海底の地形を歪に歪めていた。
そんな中、海面だけはその衝撃の痕を残さず平静を保っている。しかし、誰の目も届かない深海で、何かが確実に動き始めていた。海底から眩い光がゆっくりと浮かび上がってくる……。
突如、海域は猛烈な嵐に包まれた。爆発によって巻き上がった土砂の塵と蒸発した海水の水蒸気が上昇気流に乗って上空で冷やされ、積乱雲となって豪雨をもたらしたのだ。
大量の放射性物質を含む黒い雨。まるで、その“何か”が自らの姿を覆い隠すように――
日本国――防衛庁
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の南半分を占める敷地に5棟のビルからなる巨大施設。国防の総本山である防衛庁本庁舎だ。その中で、自衛隊の最高意思決定機関である統合幕僚会議や陸海空3自衛隊の各幕僚監部の入居するA棟と、IDDN(防衛情報デジタルネットワーク)の中核をなす高さ200mの電波塔を備えたB棟の間、C棟と呼ばれる建物の内部は市ヶ谷台の丘陵を利用して外部からは窺い知れない広大な地下施設が建造されている。
そんな地下施設の窓の無い、蛍光灯の白い明かりだけが照らす廊下を二人の男が足早に歩いている。一人は三十代半ば、一人は二十代後半といったところ。
「……情報が入ってきたのはいつになる?」
年上の男が言う。
「第一報が入ってきたのは今から8時間前です。ペンタゴン<アメリカ国防総省>経由の情報なので外務省よりも我々の方が早いでしょう。」
それに年下の男が答える。
「我々にとって情報は早いに越したことは無い。情報源は確かだとして、その後詳しい情報は入っていないのか?」
「現状で集められる情報はミッションルームでシミュレーション中です。詳しくはそちらで。最新の動向では、国連がIAEA(国際原子力機関)を通じて調査隊を組織する準備を始めたようです。」
「初動としては上等だ。」
年上の男は納得するように頷くと、歩を早めた。それに付いて来ながら今度は年下の男の方から口を開いた。
「しかし……ギルディアは核開発に関しては穏健派だと思っていました。それが核実験……、それも実験の失敗で水爆以上かもしれない放射能を大気中にばら撒いてしまったんです。もう誰も核の恐ろしさと言うものを実感出来ない状況にあるんでしょうか?」
「ギルディアはソ連崩壊の時に優秀な核物理学者の亡命を何人も受け入れている。彼等にとって、石油資源に代わるエネルギーの開発は今後100年間の自国の行方を左右する。自分達の野望が実現できる人材を得た今、その流れを止められなかったのかもしれん。」
そう言いながら、年上の男は目の前に現れたドアの前に立った。扉の上部には「DIFFENCE INTELLIGENCE HEAD QUARTERS」の文字、ドアには「防衛機密区画」のプレートが埋め込まれている。年上の男は首から下げたケースから自分のIDカードを取り出し、ドア側面のスロットに通す。かすかな電子音とともに自動ロックが解かれ、彼はドアを押し開けた。
「おはようございます、真田二佐。」
二人が部屋に入ると、年上の男に一人の女性職員が挨拶してきた。真田と呼ばれたのが、統幕会議直轄の“防衛情報本部”所属の真田誠二等陸佐。“防衛情報本部”とは自衛隊の中で情報戦の要となる部署である。かつて『陸上自衛隊幕僚監部調査部』と呼ばれ陸自という自衛隊でも最大規模を誇る組織の傘の元で情報収集活動を行っていたのだが、1990年代に日本周辺における安全保障上の情報収集・分析の重要性が高まり、陸・海・空の各自衛隊が独自に行っていた情報の収集・分析の一元化による効率化、情報のより早期の察知、高度かつ専門的な情報収集・分析機能、人員の確保を目的に機能と組織の拡充が必要であったことから陸自から分離されて創設された。
そして、付いて来た年下の男が真田の部下である相沢祐介一等陸尉。真田が精悍でどこか古風な顔立ちをしていることから時代劇役者を思わせ、経歴も防衛大学校を卒業後は若手幹部として普通科や施設科など現場の部隊で連隊・大隊長の補佐をする任務で部隊指揮官としての経験を積み、任期中には陸自の教育機関のひとつである航空学校の幹部航空操縦課程に入学し、ヘリコプターパイロットの航空徽章<ウイングマーク>を取得、またこれらの現場と交互に幕僚監部や本庁の内局でデスクワークもこなすなど、幹部候補生として当たり前のキャリアを積んできた。だが、1年半前にこれまでとは全く毛色の違う情報本部へ異動して来た。
そこで直属の部下となったのが相沢である。相沢は防衛大学校を卒業後、真田と違って現場の経験は多くなく主に通信部隊に所属し、通信学校や調査学校での専門教育を経て情報本部へやって来た。日焼け跡がほとんど無く、初めて握手した時も野戦訓練を繰り返したこと掌の皮が厚ぼったくなった感触がほとんど無かった。自衛官というよりもシステムエンジニアといった風体である。
彼等は防衛情報本部にあって、「緊急動態部」という部門に属している。ここは電波部や画像部といった情報収集部門が集めた情報の中でも緊急な処理や分析を要する情報を扱う部門であり、彼等はその中にあっても特異な任務――今や仮想敵国以上に日本の脅威となった「ゴジラ」の探知――に従事していた。
ゴジラが人類の前に初めて姿を現したのが1954年。ゴジラは東京に上陸し、戦後復興し始めていた街並みを戦中さながらの焼け野原と化し、太平洋へその姿を消した。事件後の調査によりゴジラが東京に残した放射性物質がビキニ環礁で行われた水爆実験で生じたものと酷似している事が判明、ゴジラは水爆実験の放射能により、古代より生き残っていたある種の生物が突然変異したもの、もしくは爆発によって目覚めた、人類にとって全く未知の生物である、と二つの有力な仮説が立てられた。
その後もゴジラは幾度か日本に上陸した。主に太平洋岸の都市部が襲われたが、一番の衝撃が与えられたのは最も新しいゴジラの上陸――1995年、若狭湾敦賀原子力発電所の破壊である。今まで太平洋側に集中していたゴジラの被害が初めて日本海側で起こったこと、原発が破壊されたにもかかわらず周辺地域への放射能汚染が軽微だった事実よりゴジラが体内に核分裂物質を吸収し代謝しているという仮説が確認されたことなどがその理由である。
この事件を契機に政府は対ゴジラ対策に一層の力を入れなければならなかった。今後、ゴジラがエネルギー源である核分裂物質を求めて再度原発を襲う可能性が高まったからだ。緊急動態部の仕事にゴジラの探知が組みこまれた理由もここにあった。
中でも真田達は独自のネットワークで収集したあらゆるデータ――軍事、海難事故、気象、海流の温度変化に到るまで――を分析し、ゴジラの活動を予測し調査するのが主な仕事だった。
「真田さん、こちらへ。」
相沢が一台のコンピューターの前に座り、真田をその方へ促した。真田も椅子を引っ張って来ると、相沢の隣に並べて座った。
「昨日ギルディア共和国領内で発生した核爆発が周辺地域へ及ぼす放射能拡散パターンのシミュレーションです。アメリカの衛星で捉えられた開放エネルギー量のデータと当該区域の当日から現在までの気象条件が入力してあります。それでは、始めます。」
相沢はおもむろにキーボードのリターンキーを押した。ディスプレイにはCGで精密に再現された南太平洋の一角を表す地図が描かれている。
「スタートからプラス20秒、表面には影響が全く現れていません。」
「そうだ、地下核実験ならば影響は地下に限定されたはず……。」
真田はそう言って唸った。
「スタートからプラス30秒、爆心点直上で海面が隆起開始。プラス32秒後に火球が可視範囲内に観測されています。」
「爆心点の位置は?」
真田の問いに相沢がモニターの別ウィンドウに表示されている数値を見て答える。
「水深約60m、海底から更に500mの地点です。」
「これだけの量の地殻と海水が一瞬にして消滅している。凄まじい爆発力だ……!」
そう言っている間にシミュレーションは進んでいた。モニターがスタートからプラス40秒後を示した時には半径30km、60秒後には半径50kmの同心円が放射能汚染を示す赤い色に変わった。
「これだけじゃありませんよ真田さん……。時間経過を秒単位から時間単位に変更します。」
そう言って相沢がキーボードを叩くと、円形だった汚染範囲がまるで周囲を浸食するように不定形に広がって行く。アメーバのように周囲へ伸びる汚染の触手は最低でも中心から100km、最大で300kmにまで広がった。
「プラス24時間、放出された放射能が周辺の海流や風で拡散された場合、汚染の予測はここまでついています。」
「信じられん!」
地図に広がった赤い“染み”を見て真田は絶句した。
「推定される核威力は17メガトン。周囲地域への放射能汚染、生態系の破壊は想像がつきません。ビキニ環礁と比較しても、新しいゴジラをもう2、3匹作れるほどですよ。」
相沢もそう言って椅子の背もたれに身を預けた。
「ゴジラはあいつが最後の1匹と信じたいがね……。この放射能量ならゴジラを再び呼び起こすだけの“撒き餌”としては充分過ぎるんじゃないか?」
「でも、これだけでは第一種警戒態勢を発動する根拠にもなりません。あとは部長の判断に任せましょう。データは真田さんの端末にも送っておきます。」
相沢はプログラムを終了させるとネットワークを開き、素早く転送を終了させた。
真田が自分のデスクに戻り、先ほどのデータと睨み合っていると、香ばしい香りが鼻をついた。モニターから顔を上げると相沢がコーヒーカップを自分の方に差し出していた。
「ありがとう。」
「いえいえ、とんでもない。せっかく休暇中のところを呼び出してしまいまして……」
相沢は小さく頭を下げた。真田も微笑み返した。
「これも仕事だからな……。足を運んだだけの価値はあったよ。」
そう言って、真田はコーヒーをゆっくり啜った。
「仕事が忙しいと言えば、別れた姐さんは今どうしています?真田さんと姐さんが別れてしまったのは、確か情報本部へ異動になってからでしょう?」
真田はコーヒーを吹き出しそうになった。
「離婚したわけじゃあない……美咲とは別居しているだけだ。」
美咲とは、真田の別居中の妻であり考古学者で、今年神奈川県内の私立大学である港南大学の助教授になったばかりだ。研究や発掘の為に留守にすることが多く、真田が防衛情報本部に入り、前にも増して多忙になった頃から生活のすれ違いが多くなり、現在ではお互いの仕事を優先させる為に別居していた。真田の心の中では彼女に対する愛が冷めている訳では無い。相沢も最近の若者らしく人見知りをせず、彼女のことを姉のように慕い、親しみを込めて“姐さん”と呼ぶのだ。
「そうだな……確か今はなんとかと言う遺跡の調査の為にミクロネシアだかポリネシアだかあっちの方に…!!」
そう言ったところ、二人の顔色が凍り付いた。
「ミクロネシアでもポリネシアでもギルディアの領海とは隣り合っていますよ!!!」
「――ああ、そうだった……」
「先ほど入ってきた情報ですが、現地の天候は熱帯低気圧が発生して大荒れだそうです。米軍の艦船も近づけない状況で国連の調査団も到着は大幅に遅れるでしょうね……。姐さん達も汚染の範囲外にいればいいんですが……」
相沢はそう言って気遣ったが、さすがの真田もその時ばかりは妻の身を案じる事で頭の中が一杯になってしまっていた
2 不吉の予兆