モーツァルト!

演出・訳詞=小池修一郎
作曲=シルベスター・リーヴァイ
作詞=ミヒャエル・クンツェ

ルビ吉観劇記録
2002年10月(東京)11月(大阪)
2005年10月(名古屋)⇒観劇記はコチラ 
【このミュージカルについて】
 大ヒットミュージカル『エリザベート』のクリエイティブ・チームが創り上げた作品。初演は1999年。ウィーンはアン・デア・ウィーン劇場にて。そして今年10月、日本でもようやく上演されることに。日本の演出も『エリザベート』同様、小池修一郎。
 演目の中身というよりは、やはりあの『エリザベート』スタッフが作る新作品ということでの期待も高く、そしてキャストが発表されてからは俳優陣の豪華さも、よりいっそう期待感を高めたのでした。

【物語と感想】
 1768年、ザルツブルクでは音楽の才に長けた神童が貴族たちの間で大変な話題を呼んでいた。名前はヴォルフガング・モーツァルト。このときまだ5歳という幼さであった。父親レオポルトに天才音楽家として育てられ、弟への愛情一身の姉・ナンネールに支えられ、神童はいつしか青年になった。彼の音楽は領主でもあるコロレド大司教にも気に入られるが、それはヴォルフガングがコロレドによって支配されることをも意味した。支配されることに嫌気が差したヴォルフガングはザルツブルクを後にし、パリに向かう。しかしここで彼は何の才能をも発揮できないまま、いたずらに金を使い果たし、やがては同行した母親さえ亡くしてしまうのであった。
 失意のままザルツブルクに戻ったヴォルフガングだが、大司教に逆らった彼に仕事などあるはずもない。しかし彼の理解者・ヴァルトシュテッテン男爵夫人の計らいによって、彼はウィーンに移り住む。ここではかつてマンハイムで出会った下層階級の娘・コンスタンツェと再会し、愛情を深め結婚。一方、彼の音楽はウィーン社交界で話題になり、再びモーツァルトの才能は光を帯び始める。しかしそれは同時にモーツァルトの人生が破滅していくことをも意味していた…。

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 日生劇場で見た時は、理解しづらい作品でした。感動的シーンが連続する二幕はさておいても、つかみになる一幕は何がなんだかさっぱり。初見では入りにくい作品だと思いました。その要因はいくつか考えられます。まず、「天才の栄光と破滅」というテーマは、おそらく天才以外には共感しづらい(?)。また1人二役ならぬ2人一役のモーツァルト。舞台でモーツァルトは、青年モーツァルトとアマデと呼ばれる神童モーツァルトが光と影のように連動してあるいは敵対して動く。俺などは一幕の途中まで「あのモーツァルトの横でチョロチョロしてる子役は何?」と疑問以外の何者でもありませんでした。幕間のロビーでも、この話題をしている人が結構いました。
 でも難しい作品であるにも係わらず、さすがの大作。大阪で見た2回目の観劇では、大きな感動を与えてくれました。まず上で「天才には共感しづらい」と書きましたが、天才の周りにいる凡庸な人々の気持ちは痛いほど伝わってきます。モーツァルトの父親レオポルト、姉のナンネール、妻のコンスタンツェ…モーツァルトの身内になるこの3人の心内はとても辛く、特に父親レオポルトには俺など涙と鼻水ものでした。そして音楽。物語を理解するのに必死であった初見では音楽を楽しむ余裕もありませんでしたが、2度めの観劇では、このミュージカルの音楽が美しく、心動かして止まないことに気づかされたのです。
【ルビ吉の気に入ったナンバー】
星から降る金…ヴァルトシュテッテン男爵夫人(久世星佳)はモーツアルトが、ウィーンに行ってその才能を伸ばすべきと提言する。しかし父親レオポルト(市村正親)は反対する。その時夫人は「愛とは解放すること、離れてあげることだ」と父親を諭す。この場面で夫人が歌う美しくも切ないバラード。
マトモな家庭…ウェーバー家の登場シーンで、妻セシリア(阿知波悟美)と四人の娘たちを中心に歌われる楽しい歌。大酒のみで人にたかることしか能のない妻とムショ帰りの夫、歌が上手いのにその才を使えない娘、ブサイクな娘、ものぐさな娘(松たか子)、ノータリンな娘。この家族が「こんなにまともなウチなのに苦労ばかり。勤勉・上品も効果ナシ。なぜだか貧乏ドン底」と歌います(笑)。
終わりのない音楽…ウィーンに行っても相変わらずの息子の放蕩ぶりに、レオポルトはモーツァルトを引き戻すことを娘のナンネール(高橋由美子)に告げる。ナンネールも弟が帰ってきて、また家族一緒に変わらず暮らしていくことを望んでいる。しかし「終わりのない音楽がこの世にあるかしら?」「大人にならない子供がこの世にいるかしら?」と、もう元には戻れない現実を思う。
影を逃れて…このミュージカルのテーマとも言えるナンバー。モーツァルトは「自分の影から逃れたい、過去から解き放たれたい」と苦しむ。一幕最終場はモーツアルトのソロでこのナンバーが始まり、やがて登場人物全員が彼を見下ろしながら重唱でかぶってくる。二幕も同様にこの歌で幕を閉じる。出演者全員での迫力ある合唱に加え、独特のメロディーラインによって、モーツァルトの壮絶な運命が胸に伝わってくる。
【ルビ吉の俳優雑感】
中川晃教(ヴォルフガング・モーツァルト)…素晴らしい!もともとは歌手で、芝居は初めてらしい。確かに大根臭さが時折混じるものの、歌は抜群です。モーツァルトには、Wキャストで井上芳雄が配役されてます。
松たか子(コンスタンツェ)…予想外でした。見事に役柄を演じきってます。コンスタンツェのせつなさをひしひしと伝えてくれました。歌も上手いとは言えないまでも、歌詞を明瞭に歌う姿勢はかなり評価できます。ミュージカルの何たるかをちゃんとわかってる女優だと思いました。素晴らしい。
高橋由美子(ナンネール)…女優陣は芸達者な人が多い中で何かと埋もれがちな感じですが、ナンネールの複雑な気持ちを演じることの出来る実力派女優だと思いました。弟への執拗なまでの愛を丁寧に演じ、最終場の全員で歌う「影を逃れて」ではひとり涙を流しながら歌っていました。
久世星佳(ヴァルトシュテッテン男爵夫人)
…タカラヅカでは男役だったせいか高音部が辛いのですが、包み込むような歌声は役柄とピッタリ。男爵夫人はモーツァルトに何かと手助けをしてくれる人。しかし夫人の背景は何も描かれておらず、ある意味ミステリアスな存在でもあります。
山口祐一郎(コロレド大司教)…相変わらずの美声、端正なマスクにファンはうっとりでしょう。今回は放尿シーンまで演じるサービスぶり(?)。大司教は最後の最後までモーツァルトを執拗に苦しめます。しかしその一方で、彼の才能がどれほど人並み外れたものであるかを最もわかっているのも大司教なのです。
市村正親(レオポルト・モーツァルト)…俺がもっとも共感できたのが、モーツァルトの父親レオポルトでした。正確に言えば、市村さんの芝居に泣かされたのかもしれません。今更ながら、この人の凄さを知った気がします。
阿知波悟美(セシリア・ウェーバー)…歌は上手いし、演技も素晴らしい。セシリアはモーツァルトにハイエナのようにたかる役なのですが、とことん憎めないのは阿知波さんの人柄が滲み出てしまうからでしょうか。