ジキル&ハイド

原作:R.L.スティーヴンソン
台本・作詞:レスリー・ブリッカス
作曲:フランク・ワイルドホーン
演出:山田和也

ルビ吉観劇記録=2005年(東京) 
2006年の韓国人キャストによる日本公演はコチラ→★★★

【このミュージカルについて】
 初演は1990年のヒューストン。その後、1997年にはブロードウェイで開幕。日本版は台本や音楽はそのままに、独自の演出で2001年に初演の幕を開けている。2003年に再演、そして今年の再々演と、コンスタントに上演している演目だ。ジキル、ハイド役はずっと鹿賀丈史。そして娼婦ルーシー役も変わらずでマルシア。ちなみにマルシアはこの作品が初舞台であり、この年の芸術祭賞演劇部門で新人賞を受賞という快挙。ジキルの婚約者エマ役は毎回変わり、初演は茂森あゆみ、再演は知念里奈。そして今回は知念里奈が出産のため降板となり、鈴木蘭々が代演となった。
【物語】
 19世紀末のロンドン。医者のジキルは長年、人間の善と悪を分離する薬を開発し、今まさに人体実験を行う手前まできていた。善悪の分離は人類の幸せへとつながると確信するジキルであったが、病院の理事会は人体実験は危険な理論だと却下する。結婚を目前に控えていたジキルは、その夜、自分の婚約パーティーに出かける。理事会メンバーたちが集うパーティーでは、誰もがジキルを快く思っていない。しかし婚約者のエマだけは、ジキルを心より信頼し愛していた。
 居心地の悪いパーティーを抜け出したジキルは友人にそそのかされ、下町の娼館に連れられる。そしてそこで出会うのが、娼婦のルーシー。他の男とどこかが違うと感じたルーシーは彼に惹かれ、「私を試してみたら」とささやく。彼女の言葉を聞いたジキルは、薬は自分の体で試せめばいいと思い付くのであった。
 いよいよ長年研究してきた薬を自分で試す時が来た。薬を一気に飲むジキル…。すると体に異変が起き始め、ついにはジキルの体にもうひとつの人格“ハイド”が現れた。そしてまもなく、ロンドンの町では殺人事件が次々と起こる。殺されるのは理事会メンバーばかり。犯人がハイドであることをジキルはわかっていた。しかし薬を用いてなんとかジキルに戻るものの、やがてはそれも制御できなくなってきた。そして次に殺しのターゲットとなる人物に、ジキルはせめても早く遠くへ逃げるように使いを出すのだが…。
【観劇記】
 久しぶりにホラー味のミュージカルを見ました。ミュージカルでは表現しづらいテイストの物語だと思っていたのですが、役者の演技力と音楽によって、見ていて恐いほどの見応えがありました。とにかく特筆すべきは鹿賀丈史さんの芝居。狂人じみた演技は
ド迫力があり、圧巻としか言いようがありません。
 このミュージカルを見るにあたって楽しみだったのは、ジキルからハイドにどんな演出で変身するのか?ということ。そして実際に見て驚いたのは、特別な仕掛けを用いるのではなく、髪形と照明だけで一瞬にして変身してしまうことでした。もちろんその変身ぶりには鹿賀さんの芝居も大きな力となっているわけですが、演出と芝居がうまく織り成されて見る者の目を楽しませてくれる変身でした。またこの作品で芸術祭の新人賞を受賞したというマルシアの芝居や歌にも興味がありました。さすがにこの人の歌の上手さはもう保証済みですが、今回俺が感心したのは芝居の方。娼婦としての猥雑さも持ちながらギリギリのところで品性を保った芝居をしているように見え、数いる娼婦役の中でもひときわ存在感がありました。代演として登板した鈴木蘭々は、途中参加と
思えないほど作品に馴染んでいました。エマの純粋さもうまく表現できていたと思います。歌に関しては微妙なところです。上手いとは思うのですが…。

 ところで、ミュージカルには「この1曲を聴くために見る」という作品が時々あります。俺にとってはこの『ジキル&ハイド』がまさにそうで、このミュージカル随一の代表ナンバー「時が来た」という歌を聞きたいがために、このたびも劇場に出かけたようなものです。この歌は、ジキル博士がいよいよ自分の体を使って薬の人体実験をする場面で歌われるビッグナンバー。この歌を歌い終わっていよいよ最初の変身シーンに突入するのですが、歌の壮大で美しい旋律があればこそ続く変身の場もドラマチックに見えるものなんだとよくわかりました。やはりミュージカルをロングランさせるためには、こういう抜きん出た1曲というのは必要ですね。逆にこういう1曲があれば、他愛ない作品や難解な作品でもとりあえず「持つ」というものかもしれません。

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