6月某日「シンデレラ」 |
『デスパレートな妻たち・シーズン2』を見終えたら、韓流ドラマがマイブーム的に復活。『私の名前はキム・サムスン』と『宮−クン−』は異常なまでの視聴意欲が掻き立てられて、一時は生活リズムが狂うほど。 『キム・サムスン』はブサイクだわ年食ってるわの三十路女が主人公で、『宮』は普通の家庭に育った女子高生が主人公。どちらも不釣合いなほど条件のよい男と結ばれる、いわばシンデレラ・ストーリーだ。こんなドラマにハマるなんて、俺の中にもシンデレラ願望があるということなのか? ! だとすれば、どのように成就させるべきか…。王子様はいずこに…。ていうか、シンデレラ願望に年齢制限はないのか? ![]() |
6月某日「人生の扉」 |
またしみじみといい音楽に出会えた。竹内まりやの『人生の扉』。50代を迎えた彼女が、今までとは違って見えてきた人生を歌にしたそうだ。50代にはまだまだ時間のある俺だが、歌詞にある「ひとつひとつ人生の扉を開けて感じるその重さ、愛する人たちのために生きて行きたい」というフレーズには心が揺さぶられる思いがした。 人が自分のためだけに生きられる時間は限られている。きっと妻や子供を持たない俺たちでも、人生のあるべき姿は同じなんだと思う。しかしそんな生き方を実践することは、特に独り身の者には文字で書くほどたやすくはない。 50代、60代、70代…俺は何をしているのだろうか。何を考えて生きているのだろうか。自分以外の人たちのために生きているだろうか。竹内まりやの歌は最後に「長い旅路の果てに輝く何かが誰にでもある」と締めている。自分の人生もそうあって欲しいと、この歌を何度も聴いて、見えない未来に思いを馳せてみた。 ![]() |
6月某日「バッグA」 |
先月ここで、俺は最小限の物しか持たないと書いた。もちろん誰だって重い物を持ち歩くことは好まない。しかし俺の場合は“荷物が軽い”ことのプライオリティが何より高いのである。身軽がいちばん。そんなわけで荷物を最小限にすることは当然として、バッグ自体の重さにもかなりこだわる。何年か前は海外旅行に紙袋で出かけ、同行者を唖然とさせたこともある。 俺の買い物はかなり早い。あまり悩まずにインスピレーションで買ってしまう。しかしバッグだけは別。デザインや機能はもちろんだが重さにこだわるあまり、なかなか選びきれない。一泊の出張にちょうど良い感じのバッグを、もう一年以上買えずにいる。だからいつも軽いのはよいが、およそスーツに似合わないバッグで出張に出かけている。そのくせ見た目も気にしているから始末に終えない。この頃は、もう例のキャリー・バッグに手を出すしか術はないのかと思い始めている。スーツにも合うし、基本的に重さとは無縁。よくよく考えたら出張にうってつけのアイテムだ。ならば先月の日記でキャリー・バッグ批判などしなければよかった。 軽い気持ちで批判をしてはいけない。それでなくても悩ましいバッグ選びなのに、ますます選択肢が減ってしまう。本当は『バッグA』のタイトルで、もう一発、別バッグの批判をしようと思っていたが、やめておこう。 ![]() |