January 2001



1月31日(水) 「光陰矢の如し」

 ついにテレビ局の試験もスタート。9時半に麹町にある“なんだろうショップ”のある局に行く。とりあえず可もなく不可もなく・・・といった感じだ。で、朝イチだったために終わったのが10時半・・・暇だ。今日で一月も終わり・・・「誰か会うべき人に会っておこう!」。少なくとも半年以上お目にかかってないことを条件に、とりあえず手当たり次第に電話をしたところ2人ゲット!うまいこと午後と晩に振り分けることも出来た。まずは午後の部・・・去年就活中に出会って以来一緒に頑張ってきた女の子だ。吉祥寺で落ち合うや否や、開口一番「私、留年するの!」・・・僕と一緒じゃないか。てっきりどこか決まったと思い込んでたもんだから、正直言ってビックリした。それ以上に、表情が何となく変わっていた。やつれてるように感じたのである。話口調はだいぶ前のそれとそれほど変わっていないのだが、でも何かが違っていた。
 夜は中高の同級生の家にお邪魔して酒を飲む。彼は武蔵境の大戸屋でずっとバイトをしていたのだが、どうやらそのまま本社に入るとのこと。それこそ彼が現役の時は私も何度となく利用させてもらい、彼がシフトに入っているときにはいつもエスプレッソを御馳走になっていたものだ。
 しばらく振りに会ったということもあってか、二人とも何かしらの風格というか落ち着きをかもし出していた。その割に自分は全然変わっていない・・・自らのガキっぽさに少しだけ泣きたくなった。



1月30日(火) 「さっすが二度目!・・・!?」


 結局、先日の面接は通過しなかったことが今日になって判明。「ま、いいか!」と、すぐに割り切りがついた。去年失敗した要因の一つとして、“気持ちの切り替えが下手である”ということがあった。今回は二度目だからなのだろうか、少しは気持ちにゆとりを持って臨むことができるようになったし、現に起伏の穏やかな毎日を送っている。「う〜ん、いいことだ・・・」と褒め称えたかったりもするのだが、まだまだ内定が出たわけでもないし、そもそも明日は9:30から面接なのでとりあえず気を引き締めて参ります!とはいっても先行きに対する不安が全くないわけではなく、昨日なんかも私の父の友人の所へ相談に行ったくらいである。昨年分の報告をしていなかっただけに若干心配されたが、「そんな若いときの一年や二年ぐらいどうってことはない。自分の決めてきた道を突き進むのみだよ!」の一言に何だか安心した。



1月29日(月) 「新大久保駅にて」

 18:10頃、私は新大久保駅のホームに立っていた。別に特別な用があったわけではない。先日起きた「あの」事故の現場をこの目で見ておきたかったというだけである・・・実はあの日、ちょうど私も山手線を使っていた。知らせを聞いた時、「よくある人身事故だろう」と軽く思っていた・・・あんな大惨事だと知ったのは不覚にも家に着いてニュースを見てからであった。それを見た瞬間、正直、無性に現場に出たくなった。何故彼らは身の危険を恐れずに助けに出たのか、そして何が問題なのかを自分なりに知るために。

 一見するとどこにでもありそうな普通の夕方の駅と同じような雰囲気に思えたのだが、しばらく見ていたところかなり多くの乗降客が事故のその後について気に掛けているような目線やしぐさをしていた。そして現場と思しき所にはいくつかの花束や水が置かれていた。電車が来ないのを見計らってすかさずホームの下を覗いて見る。確かに現場周辺には“くぼみ”は無かった。多くの駅のホームでは端が突き出ており、万が一の時にはそこへもぐることができるのである。テレビなどの図でも指摘されていたように、そこの周辺だけくぼみはなかったのである。また、新大久保駅は道路をまたぐように高架上に建設されているため、道路の上の部分は鉄橋になっており隙間の多い足場は危なそうであった。そして転落検知マットは当然なかった・・・それ以前にそれがどういうものかを見たことがない。そもそも柵の一つさえなかった。

 何より現場に行って初めて気付いたのは、事故現場のちょうど真上に“列車非常停止スイッチ”があったことである。普段はいたずら防止のために係員以外は触ってはいけないことになっている。しかし状況が状況であっただけに、もし気がついた誰かが押していたら・・・何とかならなかったのだろうか。

 (ここから下は大変失礼な内容になるのだが・・・)山手線に並行して埼京線が走っているのだが、その時に何とか埼京線の線路上へ逃れられなかったのだろうか。夕方の山手線は2、3分間隔で走っており、現に私がいろいろとメモしている間にも何本もの列車が通過していったのだが、埼京線はそれより緩く約5分間隔で走っている。また、線路の間は少なくとも1メートル近くは離れており、仮に埼京線の列車が来ていたとしてももしかすると(これは実に物凄い低い確率なのであるが)線路と線路の間にうまく逃げることが出来たかもしれない。しかし、悔しいかな「たら」「れば」を言えばきりがないしそもそも相当無理がある。

 ただでさえホームへの転落事故、そしてそれに伴う人身事故が一向に減少を見ない昨今、どのような対策をとるべきなのか。「新大久保駅だけ施せばいい」という問題で決してない。例えば渋谷。乗降客数としては新大久保よりもずっと多い。しかしホームが極端にカーブしているために、所々で電車とホームの間にかなりの隙間が生じ、そこに人が落ちてしまったという話もたまに聞く。それこそ新宿や武蔵境だってくぼみが存在しないし・・・今の時点で私の中では抜本的な策が出てこないのが悔しい限りである。

 現場には(これは後から知ったことだが)亡くなった李さんの両親が現場を訪れるということで、テレビや新聞各社の記者やカメラマンが大挙して押し寄せていた。そんな中、ホームの電光掲示板では中央線で発生した人身事故の影響について延々と伝えられていた・・・何ともアンバランスな光景であった。



1月28日(日) 「あれっ?」

 TOEICを受けた。これっぽっちも手応えはないのだが、何だか変な感覚(それこそ違和感みたいなもの)があった・・・というのも、何となく見覚えのあるような問題がいくつかあったからだ。「一年前と変わってないんじゃないか?」などと最中にいろんなことを考えていた。目指せ800点突破・・・結果はいかに!?



1月27日(土) 「キムチ」

 吉祥寺に出かける。所用を済ませて後、何故かわからぬまま松屋に入る。で、これまた何故か“キムチ牛めし”の大盛を注文。価格破壊の波はマクドに代表されるようなファーストフード業界のみならず、こういった“丼もの業界”(!?)にも押し寄せているようで、現在(恐らく期間限定なのだろうが)、松屋の牛めし・並(味噌汁付)は290円という安さ!武蔵境から新宿に出るまでの値段で一食済ませられるのである。私が注文したものでも490円という安さ・・・味噌汁なしの某吉○家の牛丼・大盛よりも安い!!

 一人暮らしを始めて間もなく丸4年、これまで何度キムチのお世話になっただろうか。あれ、結構食欲が増進されるんですわ。まあ、たまには辛さが足りなくてただしょっぱいだけ・・・というものにもめぐり合ったりするんだけど、基本的にお金がないとき(特に月末の仕送り日直前)はご飯とキムチ、そして味噌汁があればもうそれで大満足なのである。こんな私であるが、一度だけいわゆる“本場モンのキムチ”に出会ったことがある。親戚のお宅にお邪魔したときの御馳走になったのだが、乳酸菌の影響だからだろうか「辛い」以前にとにかく「すっぱい」のである。何故か「美味である」という実感は何となく湧かなかったが、「これが“本物”か・・・」とひたすら自分の味覚を納得させようとしていたのを覚えている。で、少しおすそ分けしてもらって持って帰ろうとしたのだが、「ひどいことになるからよしておいた方がいい」となだめられた。伯母曰く、「少しの時間でも常温の中で放って置いたら発酵が進んで味が落ちて、しかも袋がパンパンになる・・・」とのこと。我が家からそこまで一時間ちょっとなのだが、それでもそうなるらしい。それ以来ずっと食していないのだが、「もう一度食べてみたい!」と心底思わせるような味であった。本当はこの正月に家族でソウルへ旅行に行くことになっていたのだが、前述の通り父が入院してしまったこともあってオジャンに・・・次に本場モンに出会えるのはいつのことになるのだろうか。父の早い回復を願わずにいられない。



1月26日(金) 「自己矛盾をはらみつつ・・・」

 某社の面接で港区界隈まで行く(ちなみに神谷町・・・と聞いてどこの会社だか一発で当てられたら、すごい!)。以下はその最中に交わされたものである。なお、当然これは断片的なものである(苦笑)。

 「誰にどんなことをインタビューしてみたいですか?」
 「森総理に“インパクのCMで流暢にパソコンをいじっているけれども、あれは本当にあなた
  なのか”と聞きたいです。」 (←これは半分ウケ狙い&半分マジであった・・・)
 「その真意は何?」
 「事ある度に“IT革命、IT革命”と連発していますが、本人がまず実践しなければ元も子も
  ないのではないかと思ったからです。これからの時代、というか社会では言葉だけではなく
  それに伴った行動を実行することができる人が以前にも増して求められてくるのではないか
  と思っています。このことは自分自身が生きていく上での課題でもあります。」
 「で、そのことで視聴者に何を伝えたいですか?」
 「私の父もそうですけれども、とかく50代、60代の中高年層の男性は機械に弱いとされて
  います。もしあれが本当であれば“やればできる!”ということを証明することにつながり、
  同時にデジタルディバイドの解消に少しでもつながっていくのではないかと思います。」
 「インターネットが普及するとどうなると思う?」
 「極論を言うとテレビはなくなるかもしれません。技術が普及することによってテレビが持って
  いた“速報性”と活字メディアが持っていた“保存性”が伴うと尚更だと思います。」
 「そうなると他人事じゃないね!」
 「はい。ただ、そこで生き残る条件があるとするならば、“どんな切り口で物事を捉えるか”と
  いうことと“どんな言葉でもって伝えるか”ということではないかと思っています。」

 終始和やかなムードで進んでいったが、その最中に頭の中では実に様々なことを考えていた。「言っていることは事実だけど、別に森を擁護しようというつもりは毛頭ないし・・・」「本当に自分は今与えられているチャンスを全て活かし切っているのか・・・」別にそれで自分の運命の全てが決まるわけではないのに、10分近くの間ずっとこれまでの自分を振り返り続けていた私。以前のように緊張で頭が真っ白になることこそ辛うじてなかったものの、改めて“面接の怖さ”というものを何となく感じた瞬間であった。



1月25日(木) 「今日は何の日」

 テスト勉強のために徹夜していた私。ラジオをつけっ放しにしていたら5:00になって、いつもひいきにしている「世の中朝一番」(文化放送)という情報番組が流れてきた。以下はその一説である。

 「今日は日本で最も低い気温を計測した日です。氷点下41度なんですが、どこだかわかりますか?」
 「北海道、確か旭川じゃなかったでしょうか・・・」
 「よくご存知で!明治35年のことですが・・・」

 一発で当てられた(というか覚えていらした)文化放送の鈴木純子アナウンサー、あなたはエライっ!ついでにこの話題を取り上げてくださった西山弘道報道部長さん、あなたはもっとエライっ!!

 そう、私の故郷である旭川にはそんな記録がある。今でこそそこまで寒くはならないし、当時に比べれば住環境も当然改善されている。それでも今年の冬は例年に増して寒く、朝の最低気温が−20℃を下回った日が今年に入って既に6日ほどあるらしい。車で2、30分ほど走れば軽く−30℃を下回るくらいだ。

 ちなみに、ラジオでも紹介されていたが、「氷点下41度」などというお菓子もあったりする。また、その2日前には、映画「八甲田山」の題材にもなった陸軍部隊遭難事故があったという。同じ寒波だったらしい。



1月24日(水) 「テレビへのツッコミB」

 友人から所用の電話が入る。で、用件が終わってしばらく雑談をしていたら何故か「ズームイン!!朝!」の話になった。電話の相手はかなり昔から相当見ていたようで、「○○(場所)の△△さん(レポーター)、今どうしてるのかなあ?」など、“テレビおたく”を自認する私に勝るとも劣らないくらいの知識を披露してくれた。話していて「まさに同じ時代を生きてきて、同じ歴史を共有している」などと大それたことを感じつつ、懐かしさでいっぱいになった。ちなみに二人に共通してインパクトのあった人は大阪(よみうりテレビ)の辛坊さん&森さん(二人は現在、関西ローカルの朝の情報番組「あさイチ!」で共演している=つまり大阪では「ジパングあさ6」は放送されていない!あっ、札幌や仙台、名古屋に福岡もそうだ・・・)。この辺のローカル番組関連についても、後日MEDIA REVIEWで書いていこうと思います。

 ついでに一言・・・「福澤ぁ!“ズームイン”のポーズは全身を使ってやれぃ!」。徳さんや留さん、それこそ「ズムサタ」の羽鳥さんを見習え!足を揃えたまま動かさずに上半身だけでやるもんだから、朝っぱらからやけに腰の動きがいやらしく見えるのよぅ・・・おまけにあの“作り笑い“的表情がそれを助長させる。



1月23日(火) 「テレビへのツッコミA」

 「踊る!さんま御殿!!」。芸能人の皆さんのテーマトークもそれなりに面白いのだが、それ以上に視聴者からの投稿ネタが意外と面白かったりする。「あ〜、こういうことあるあるある・・・」って、こんなセリフ繰り返してるうちに何となく「クイズ100人に聞きました」を思い出してしまいました。「トラベルッ、チャ〜ンス!」・・・先日以上にいつもに増して駄文ですみません。正直言って、ネタを仕込むのを忘れてます!



1月22日(月) 「テレビへのツッコミ@」

 ここから三日間は(後から書いたということもあって)個人的にネタがないし時事ネタにツッコミ入れるのもヤボなので(そもそも入れるようなネタもない!)、矛先をテレビへ向けることにします(苦笑)。

 ニュースステーション・・・新年に入ってからオープニングのCG、以前にまして尚更見づらくなったなあ。あの「青と黄色の画像処理」、何とかならなかったかなあ。そして(これは以前からであるが)スポーツの項目紹介と“NEWSSTATION”のタイトルロゴが出るまでの間・・・あれをテレビに近付いてじっくり見たとしたら、はっきり言ってチカチカしてて目が痛くなると思う。それこそことによっては(実際のものは見てないけど)「ポケモン」の時のように・・・「んなこたぁ〜ないよ!」(byコージー富田)。たぶん、というか絶対ね。

 ちなみにホームページ(http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/index.html)には過去の懐かしいオープニング映像が置いてあるから、興味がある人は覗いてみてはいかが?また、ニュースステーションに関しては個人的に特別な思い入れがあるので、後日MEDIA REVIEWのコーナーで取り上げるつもりです。



1月21日(日) 「余談」

 特にネタがないので昨日の道中で感じたことを書くことにする。まずは行き掛け。土曜日の二番列車、しかも上りの東京行・・・当然のようにガラガラを予想していたが、予想を覆すが如く、老若男女問わず案外多くの人が乗っていた。これが新宿方面からの下りの高尾行一番列車であれば、朝帰りの若者やサラリーマン、(週末であれば)高尾山へのハイカーなどである程度賑わっているであろうことは利用者じゃなくとも少なからず想定できるし、現に私自身経験している。それだけに正直言って、意外だった。

 そして途中の東海道線。茅ヶ崎あたりまでは普通の中央線と雰囲気的にそんなに変わらないし全然味気ないのだが、そこから先、熱海あたりまでの車窓が私は好きである。茅ヶ崎から平塚に向かう際に相模川を渡るのだが、遠くの方にチラッと海が見えるのである。その後大磯、国府津あたりで海に接近し、「見えるか見えないか」のギリギリのところで相当焦らされる。そして小田原を越えて真鶴や湯河原あたりでは高所を走るため、絶景(!?)の相模湾が覗えるのである。しかも昨日という日は時期と天気がちょうどよかったのか、そこで海から昇る朝日に出会うことが出来た(日の出の瞬間にはお目にかかれなかったのだが、日差しは相当きつかった!)。そんな雰囲気の中で食べる「深川めし」・・・相変わらず美味である。

 帰りは新幹線に乗ったのだが、しばらくすると若い女性が大声で携帯電話でしゃべっているのが聞こえた。どうやら“日本語”をしゃべっているということは把握できたのだが、如何せん言語が不明瞭でそれこそ酔っ払いのようであった。気になってふと左を見ると、水商売っぽいおねーちゃんが座席からかなりずれ落ちたすごい体勢でたたずんでいるのである。しかも足元には空になったビールの缶が2、3本転がっている・・・思わず「何か寂しい、というか悲しいことでもあったのだろうか」などと想像してしまった。

 何気ない光景でも何故か新鮮に見える。そして新たな発見がある・・・これだから旅はやめられない。



1月20日(土) 「静岡、そして再会」

 一週間ほど前の電話にて。「遊びにおいでよ!」「ああ、行くわ」と、二つ返事で誘いに乗った私。で、中央線、東海道線共に正真正銘の“二番列車”に乗って静岡へと出向く。そう、ある女性に会いに(笑)・・・といっても単なる中学の同級生(しかも彼氏あり!)なのだが、実物にお目にかかるのは半年振りだったから少しはワクワクしていた。9:00ちょうどに到着して改札前で出会った彼女・・・相変わらず化粧っ気がない、というか正直な話、いつものようにノーメイクである。すっぴんでもなかなかかわいい娘なのだが、「コイツ、ちょっと手を加えたら今まで以上にめちゃくちゃ美人になるんちゃう!?いや、たぶんそうなんだろうなあ・・・でも意外と彼氏の前ではちゃっかりおめかししてたりして!」などと、つい心の中でつぶやいてしまう。見かけ同様(!?)、性格も実に男っぽいのである。電話で話してても直接会って話しても、異性であるということを全然意識させない(この発言、ある意味で失礼ですね。まあ、ここでは敢えて省略するが過去にいろいろあったので“慣れ”もあるのかもしれないが・・・)。

 マクドで朝飯食べて、しばし散策。実は今回初めて静岡市内に足を踏み入れたのだが、なかなか面白い街ですね。やたらと商店街や地下街が整備されていて近代性を感じた一方で、駿府公園界隈はやけに鳩がたくさんいたけれども全体としてはいい雰囲気をかもし出していて、お堀では白鳥やアヒルなどの野鳥、そして鯉や自転車(←違う・・・誰か知らんけど捨てるな!)が姿を現していた。また、“歴史的建造物的”県庁や市役所の本庁舎の隣にはどえらい近代的な高層建築の別館・・・アンバランスたっぷり。

 そして何故か知らないが海へ行くことに。駅前の観光地図で確認したところ、4キロほど南に歩けば駿河湾が広がっている。「ゆっくり歩いても一時間か・・・行こう!」二人はひたすら南進した。途中に登呂遺跡の看板もあったがそんなに興味はないし主目的でもなかったので即行無視。そして50分後、目の前に広がる太平洋はきれいだった。波の音を聞きながらしばしボーっとしているうちに雨が降ってきた。雨具を持ち合わせていなかった二人は当然のようにずぶぬれ・・・帰り道はバスを使ったのは言うまでもない。

 食事してお茶した後、彼女とお別れ・・・時刻は16:30。「東京に戻るには中途半端に早いなあ・・・あっ、そうだ!」3ヶ月前にとあるパーティーで会った静大に通う女の子のことを思い出した。早速電話すると「会える」とのこと。17:15分に静岡駅の改札前で待ち合わせ・・・見つけてビックリ!携帯電話で呼び出されてようやく判明。前に会った時は(場所が場所だったせいもあるのだろうが)瞼にラメが入っててピンクのワンピースで着飾っていたのだが、その時と印象が全く違うのである。「一瞬目が合ったから私は気付いたんだけど・・・」って言ってたけれど、私の方は向こうに気付く由もない(苦笑)。曰く「あの時は“おのぼりさん”やってた!」だとさ。土砂降りの雨の中を散歩(噴水がいっぱいある公園はすごかった!)して後、食事してお茶したのだが、専ら話のネタはその時のパーティーの裏話であった(長くなるから省略)。

 アー、楽しかった・・・いつもに増して駄文ですいません。



1月19日(金) 「様にならない」

 新宿まで服の買物に行っている最中に友達から電話が入り、武蔵境で食事をすることに。近所の大戸屋に入って飯を食べていたところ、隣の席(といってもテーブルがくっついていたから事実上は相席)に一組のカップルが入ってきた・・・その時、事件は起きた。「相席でも別にいいか」と思った矢先、テーブルをはさんで座った男と女がおもむろに顔を近づけてキスをしたのである。しかも「チュッ」ではなく「ブチュ」であり、その音は隣に座る我々に露骨に聞こえてきた。その瞬間、二人とも食べる動作を止めて目を合わせ、しばし呆気にとられてしまった。「まあ、一度きりだろう・・・」という暗黙の了解の下に再び箸を進めるが、隣では間髪入れずにその後10分ほどの間に3度ほど「ブチュ」。食事が終わってしばしだべっていた時には話題に上らなかったのだが、店を出た瞬間に友人は声を大にして一言、「あぁのぉブッサイクッ、よ〜やるわっ!」。確かに男の方がはんかくさい顔してたのは確認できたが、如何せん女が僕の隣の方に座っていたので顔を確認できなかった。で、窓から見てみると・・・確かにブサイクであった(笑)。

 この世の中、何か法則性みたいなものがあるのだろうか。美男美女のカップル、あるいは必ずしも美形でなくとも雰囲気的にカッコいいカップルが手をつないだり抱き合っている様子はさわやかでそれなりに様になっているし、何よりTPOをわきまえているという感じがする。一方でお世辞にもそうは言えないカップルに限って、電車の中で混んでもいないのにわざとらしく抱擁していたり(時にディープキスをする猛者どもも・・・目撃経験あり!)、上記のように場違いな所でイチャついていたりする・・・頭がどうかしてる。

 「彼らは公衆の面前で恥ずかしくないのだろうか?」「それとも自分たちのアツアツぶりをそんなにまでして周囲に見せびらかしたいのか?」「そもそも自分たちがどのように周囲に映っているのかわかってるのだろうか?」などと、老婆心ながらつい考えてしまう。こんな自分だから他人から精神年齢的にオヤジくさく思われるのかもしれないし、それ以前にいつものように“お約束”でこんなツッコミを浴びそうである・・・「そんなこと考える前にまずはとっとと自分の彼女でも探せば?」と。難しいんだよな、これが(涙)。



1月18日(木) 「毎年冬に考えること」

 先日、“東京に住むということ”について少し書いたが、実際に日常生活を送る上でもそれなりに大変なことがいくつかあるので書かせてもらう。何で東京の冬はこんなにまで寒いのだろう・・・えっ、「おまえの地元の方がよっぽど寒いだろうが!」って?確かに物理的気温からするとそうである。しかし、寒いのである。その理由の一つとして“乾燥した北風”がある。冷たい風は実に身にしみるものである。北海道は雪の湿気と人のあったかさ(と言うか、これって単なる郷土愛?)があるせいか、そんなでもないのである。そして住宅の機密性。ただでさえ隙間が多いし、1階に住んでいることもあって“地冷え”が加わるから尚更である。これで風邪でもひこうものなら・・・一人暮らしだし“パートナー”もいないから(苦笑)いろいろと苦労するのである。幸いにして今日現在では異常はない。しかし油断は禁物・・・ほんと、気をつけたいものだ。そうそう、風邪の時は一回の食事にも頭を抱えることになる・・・あっ、これはいつものことでしたね(笑)。遅くまで授業があるときもそうでないときも、夕方になるといつも決まって「晩飯、何にしようかなぁ?」と考えてしまう。で、ちょうどいいように友人がつかまると一緒に食事を・・・こんなことが重なってしまうから、結果的に我が家の家計におけるエンゲル係数は毎月高い数値を示すのである。その他にもいろいろあるが、書いているうちに話の論点が“一人暮らし”にずれてきたのでこの辺でやめにします。



1月17日(水) 「阪神・淡路大震災と私」

 あの痛ましい大惨事から早くも6年が経った。あの年の4月に入学した小学生がもうすぐ卒業するぐらいの歳月である。当時、高校2年だった私も既に大学4年・・・何だか全然成長していないような気がする。

 あの朝、私は何故か5:45に目が覚めた。6:30にセットしていた目覚し時計がなる前に・・・北海道に居たから地震の揺れは当然感じていない。普通ならば「あと45分もあるや・・・」と再び眠りにつくのだが、何故かその日は居間に行ってすぐにテレビをつけたのである。数分後、地震の一報が飛び込んでくる。「まあ、いつもよりちょっと大きかったのかな・・・」という楽観は、時間が経つとすぐに崩れ去った。「どうなっているんだろう?」とずっと気になっていたが、その日は模試があるから学校に行かなければならない・・・時間いっぱいまでテレビに見入ってから出発。ちなみにその時の最新情報は、死者2名。

 学校に行くと、みんなその話で持ちきりだったし、模試の最中も気になってしょうがなかった。終了後、ダッシュで帰宅してテレビをつけると、「死者は2000名を超えました・・・」「うそだろ!?」正直、耳を疑った。その前年の修学旅行で京都や大阪、奈良には行ったけど、神戸には行けなかった。「いつかは行きたいな・・・」とずっと思っていた。その矢先の出来事だった。写真では見たことのあった憧れの街並みが煙と炎に包まれている・・・何故か知らないけれど涙が出てきた。自由の身であったら真っ先にボランティアに飛んでいただろうが、如何せん当時の私は遠く離れたところにいる高校生。悔しかった。

 2年後、晴れて大学生として上京した私。これで少しは神戸に近くなった・・・これまでに4、5回訪問することが出来た。これは何年か前の話であるが、要所要所(いわゆる観光ポイント)では人が溢れんばかりににぎわっていた一方で、一歩離れるとまだ傷跡が残っているように感じた。特に六甲アイランドを訪ねた時、高層のビルやマンションが立ち並ぶ傍らにまだ仮設住宅が残っていた・・・既にすべての地域で無くなったようだが、その時に見たギャップとそれが私に与えた衝撃は未だに消え去っていない。

 そして今、“災害と危機管理全般、そしてそれに関する報道”が私の中で大きな追求テーマになっている。年を重ねるごとに全国的な関心が薄らいでいくのは誠に悲しい限りである・・・(ここからは激しい怒りを込めて)「森、何で現地に飛んで慰霊式典に出席するなり住民や自治体と対話しようとしたりしないんじゃ!」。一方でテレビ欄をざっと見てみても、民放の大型ニュース番組で特集を組んだ(でいる)のは昨日のNステと今日の23、WBSぐらい。5:46の瞬間に神戸の中継を入れたのはTBSのみ・・・散々たる有様である。物理的な点でも精神的な点でも“教訓”を忘れないためにも、関係各所のしかるべき対応を望まずにいられない。それこそ、1月17日が9月1日と同じように“防災の日的存在”になるように・・・。



1月16日(火) 「トークの魔術師!?」

 特に書くネタがないので昨日の引き続きを。普通の人ならば上の言葉を聞いて明石家さんまなどを思い浮かべるのだろうか。かく言う私もそうだったりする(苦笑)。確かに彼は相手の話を引き出すことに関しては他の追随を許さない・・・といっても私の中で“聞き上手”というイメージが浮かばない。

 巷にいる美容師の皆さんや赤提灯のオヤジサンたち。彼らがトークの引き出し方やテンポの面で杉本高文氏(!)に勝っているとは思わない、というか思えない(苦笑)。ただ、相手=客の話を受け止めるキャパシティの大きさ、そして話について行くための引出しの多さには目を見張るものがある。ましてや相手が相手だけに(よほどのことがない限り)好き嫌いなどの感情を表面に出してはならないし、現に出していない。いつもいつも気苦労が耐えないのではないか・・・と、つい心配してしまったりもする。

 僭越ながら私も彼らを見習いつつ、いつか“聞き上手”と心から呼んでもらえるように・・・精進。



1月15日(月) 「私の中のカリスマ」

 二ヶ月振りに髪を切った・・・別に伸ばそうとして伸ばしたつもりはないが、(これは毎回のことであるが)どうも襟足の伸びるのが速いようで、今回に至っては気が付くと束ねられるくらいになっていた。木曜日にも行ったのだが、その時は担当の“お姉さん”が風邪で早引きしたとのことで出直しという形になった。で、小生、就職活動中の身につき、ベースとしては「5:5or6:4で分けて、それぞれ左右に流す・・・真ん中は立てる」というヘアースタイル(←これを私は俗に“リクルートヘアー”と呼ぶ)になったのだが、リクエストする以前に「普段のカジュアル用に・・・」と、手櫛でボサボサに(!?)アレンジしてくれた。

 1998年10月某日、気分を変えようと吉祥寺で美容室を探していた私は、ある一軒の美容室を見つける。入ってみると、雰囲気も腕もなかなかいい。で、その時の担当だった美容師さんは、それ以来そこに通うようになった私の担当になった。その1年後、私の家に一通のはがきが・・・それによると、その美容師さんがその美容室をやめるとのこと。はがきに書いてあった“最後の日”、(髪を切るのに丁度いい時期でもあったので)敢えて“最後の客”狙いで遅い時間に行く・・・ズバリ的中!(苦笑)

 その一ヵ月半後、やはり私は吉祥寺界隈を美容室を求めてふらついていた。今度の美容室はどこにしようかなぁ〜・・・30分ほどさまよった結果、某大手のモッ○ヘアーと某美容室(=現在の店)の二つに絞られた。それから15分考えて(ああ、相変わらずの優柔不断!)後者を選択。前の店同様にいい雰囲気なんだけど、やはり初めての店だけにちょっと緊張&不安。で、最初に髪を洗ってもらった後に頭を上げると・・・「えっ、うそでしょ!?」と、私と目の前の女性の声がハモった。そう、前述の美容師さん(=“お姉さん”)である!最後の日に「新しいお店が決まったらまた報告する」と言ってたけど連絡がなく・・・まさに偶然の再会。それ以来再びに担当なって、トータルで2年3ヶ月。よほどのこと(「私が東京を離れる」など)がない限りこれからもお世話になるでしょう・・・どうかよろしくお願いします!



1月14日(日) 「異常気象?」

 今日、実家の母から電話がある。父の経過が良好で何よりである。それより、北海道はここ数日めちゃめちゃ寒そうだ。私が帰省していた時もそれなりに寒くて雪も降っていたが、最近では平気で朝の最低気温が−20℃近く、もしくはそれを下回っているようだ。東京も明日の朝は氷点下らしいし、本州の日本海側では大雪も降っている。天気とはそもそも気まぐれなものであるが、この急激な変化は尋常でない。もしこれが今後のの前兆だとするのならば、何か因果関係でもあるのだろうか・・・。



1月13日(土) 「やすらぎ」

 「このまま何もなく一日が終わるのか・・・まあ、そんな日があってもいいか!」と思ったら、夜遅くになって「おひさ!」になる人二名と相次いで電話でトークすることに。片方は私がかけて、もう片方はかかってきたものである。久々の会話だから話が弾むこと請け合いなのであるが(ちなみに二つとも1時間ほどかかった!)、何せそれが携帯電話だったために通話料はかなりのものになったはず(って、固定電話でもそんなに変わらないかなぁ?)。何日か前に“直接コミュニケーションの必要性”について書いたが、そうは言ってもやはり電話の声を聞いただけで何だか心がホッとするのは気のせいだろうか。でも、これは「たまに」であるからありがたみや貴重さを感じるのであって、携帯電話が急激に普及したことによる最近の“つながっていたい症候群”には異を唱えたい。一人ぼっちの時間があることによって感じたり考えたりすることって、きっとあるでしょ?まあ、私は一人ぼっちが嫌いだから物凄く矛盾するのかもしれないけれど・・・加えて、最近では手紙(FAXも有効!)をもらうことに嬉しさを感じる。無機質に字が並ぶ電子メールと違って、肉筆が持つ温かさややわらかさが伝わる・・・最近ご無沙汰してたから、「たまには誰かに手紙でも書いてみるか!」と思うんだけど、如何せんネタがないから結局は元の木阿弥。だめだなあ。



1月12日(金) 「誕生日」

 ついに私も23になった。この歳になってみると誕生日というものには特別な感慨もない。昔は「今日は俺の誕生日・・・祝え!」って感じで、祝ってもらうのはそれなりに嬉しかったけど、今はそうやって他の人にアピールすることに押し付けがましささえ感じる・・・と言いつつ、本開業通知の携帯メールやHEADLINEにその旨を書いてしまったことに正直、矛盾を感じている。でも、そうは言ってもやっぱり“おめでとうメール”をもらうって嬉しいことですな!皆さん、ありがとう!!

 話は少々逸れるが、何年か前の「クローズアップ現代」(NHK)で“母の日”について取り上げていた際に永六輔さんが、「母の日でなくとも常に母には感謝の念を持っていたい。365日いつも・・・それこそ誕生日が一番の“母の日”である。」という旨のコメントを残していたのを覚えている。私はこの意見に全面的に賛成したい。最近自分の中では「私は“生きている”のではなく、“生かされている”のである」という考え方が確立しつつある。今でこそある程度のことは自分一人が誰との接点もなく生きていても出来るけれど、所詮それには限界があって、それ以前に親兄弟、そして今まで出会ってきた友人や師なくしてこれまでの、現在の、そしてこれからの自分の人生は語れないと思っている。だからこそ、メッセージをくれた皆さんをはじめとしていつも何らかの形でお世話になっている人たちへ、電話をくれた母へ、FAXをくれた姉へ、そして現在入院中の父へ・・・みんなに心から言いたい。

 「今日、無事に23歳になりました。いつも本当にどうもありがとう。そして・・・これからもよろしく!」



1月11日(木) 「夜更かしの効能」

 今でこそ夜型になったが、これでも高校生ぐらいまでは自他ともに認める朝型であった。だって、朝6時には起きてテレビ見てたんですから・・・懐かしいなあ、小学校の頃の夏休みに見たドカベンとプロ野球ニュースの再放送(苦笑)。これが中学の頃からラジオの深夜放送に徐々にはまりだして・・・。今でも週に2日はお世話になっているが、(ナインティナインを除いて)はっきり言ってオールナイトニッポンはつまらなくなったなぁ。伊集院光万歳!爆笑問題万歳!そしてコサキン万歳!

 それはさておき、レポートやHP作成、そしてネットサーフィンなどで夜遅くなったとき、一回は窓を開け、たまに外をぶらっと散歩したりする。それは眠気覚ましであったりコンビニへの買出しだったり理由はいろいろであるが、高々慣れ親しんだご近所のはずなのに日中のそれとは違った世界が見えてくる。星がきれいな夜なんかは最高である・・・といっても北斗七星とカシオペア座、オリオン座ぐらいしかわからない(判別がつかない)が、オリオン座の“下の台形”の中にある三つぐらいの小さな星が見えたときは何となくラッキーな気分になり、思わず晴れた夜空に感謝してしまったりする。そしてすれ違うワンルームマンションの窓から光が見えたりすると、「理由は何か知ったこっちゃないけど、こんな時間まで頑張ってる人がここにも・・・」と、つい親近感を覚えてしまう。某ラジオ番組の中で五木寛之氏が決り文句で言う「深夜の友は真の友」という言葉が何となく納得できる瞬間でもある。さらに時間が時間だと新聞配達のバイクとすれ違うことも・・・お世話になってます。いつも本当にお疲れ様です。



1月10日(水) 「緊張と付き合う方法・・・!?」

 某社の面接に行く。去年惜しいところで就職の機会を逸して・・・半ば自発的に、そして半ば強制的に留年に踏み切った私。失敗した原因が様々思い浮かぶ中で、「特に!」と思うものに“あがり症”がある。基本的に緊張とあがり症は別物だと考えている。頭の中が真っ白になって、後で冷静になって振り返ってみると「自分は何てことをしゃべってたんだろう!」と反省すること多々。

 年を追う毎に私の心の中では羞恥心の塊がどんどん大きくなっていくが、これでも幼い頃はある意味で怖いもの知らず・・・というか単なる目立ちたがり屋であった。転機があるとするならば高校入学あたりであろうか。長い話は省略するが、端的に言うと「それまでの自分の“芸風”が否定された、というか出しづらくなった」からである。出来ることなら戻ってやり直したいという気持ち山々。

 昨年末、テレビの「特命」や「スパスパ」で立て続けにあがり症や極度の緊張を克服する方法を特集していたが、私はそれらをことごとく見てしまった。それどころか、気がついたら内容を丁重にメモする始末!しかし即効性がなさそうだから訓練による習得や習慣性を要しそうだ・・・で、いろいろ考えた結果、(これは今までの自分の人生にも言えたことであるが)“とかく自信過剰な感覚を捨てること”、そして“もう少し物事を気楽に考えること”の二点が挙がった。まあ、こういった類のことって100%真逆だとそれはそれでまたしんどくなってしまうから、何かと難しい問題である。結論を言うと、どうやら今年の私の目標は“あらゆる面においてバランス感覚を身に付ける!”になりそうだ。「“あらゆる面”って・・・じゃあ、他は何?」と言われるかもしれませんが、それはまた後日に少しずつご紹介します(苦笑)。



1月 9日(火) 「真っ当に行っていれば・・・」

 今日から学校が再開した。まだ単位を残している私は現在、週2日通っている。行ってみると玄関で同級生2名に遭遇!彼らはこの春から某外資系金融企業に勤めることになっている。で、二人を引き連れて“喫煙所”に行くと、他の同級生数名にも出会った。「卒論の仕上げが・・・」などという話をしている。

 去年の四月、大阪の放送局2社で立て続けに最終面接まで行きながらもすべて玉砕。その後もいくつか最終まで行ったものの結局は就職に失敗して留年を決めた私。もしもその時にどちらでもいいから内定が出ていれば・・・などと考えるのはもうやめにしたし、自分が下した判断については今となってはほとんど後悔していない。けれど、そこで親しげに話していた同級生たちはあと2ヶ月もしないで卒業してしまう・・・それを考えると何となく寂しくなってしまった。理想を貫く上で直面する現実は、やはり厳しい。



1月 8日(月) 「成人式に想う」

 怒ってたねぇ〜、高知の橋本さん。そして、やっちゃったねぇ〜、高松の若者たち。まあ、“ませたガキども”の前では昔ながらの成人式の式典ももはや形骸化してしまっているということの表れでしょう。それより私の故郷の式典、あれは何ですか(激呆)・・・コギャルをステージに乗せて出席者全員でパラパラ踊るかぁ〜!?しかもそれがNHKの全国ニュースに取り上げられてやんの・・・「外は寒々(ちなみにその日は朝の最低気温が−19℃!)、中は熱気ムンムン」だってさ。あー、めっちゃ恥くさいわ。

 私は成人式に出られなかった。3年前の丁度同じ頃、東京に大雪が降って交通網が麻痺し、帰省するにも出来なかったのだ。それ以前に、その10日前まで帰ってたから高々2、3日のために帰るのは面倒くさかったし、何より既に住民票を地元から東京に移してて出席しても記念品がもらえなさそうだったから(笑)。でも、「いつも会ってる連中以外の誰かに久し振りに会えたのだろうか・・・」と考えると、出られなかったことに今更ながら少しだけ無念さを感じる。中学時代の同級生とは比較的多く連絡をとっている方だが、それでも未だに連絡がつかない奴が意外なほど多くいるし・・・。

 それはさておき、これを読んでる皆さんはいつどんな時に「大人になったなあ」と感じましたか?私の場合、物理的には「お酒が心底“おいしい”と感じるようになった時(特にウィスキーの味がわかるようになった時)」で、精神的には「“人生の哲学”(自分のあり方や今後の生き方など)について考え始めた時」でしょうか。ただ、後者については今になっても結論(というか当面の方針めいたもの)が出ているようで出ていないし、そもそも今の私自身が「夢見る子どもがそのまま身体だけ大きくなった」というような感じなので、未だにそんなに強烈には“大人になった”という実感はありません・・・悔しいけれど(やや涙)。



1月 7日(日) 「東京に住むということ」

 東京に戻って来た。この冬休みは曜日の配列が実によくて(この点だけ“ハッピーマンデー法案”に感謝!)、いつもの年よりも長く二週間も地元に滞在することが出来た。“常連メンバー”とはあまり会えなかったけれど、それ以外でいろんな方面の人と会えてよかったし楽しかった。そんなひとときを振り返りつつ夕方の飛行機で帰京・・・って、何で東京は吹雪いてんのよぅ!一瞬、北海道に逆戻りしたかと思った(マジで!)。で、部屋に帰ってみると・・・年賀状の塊と新聞の山までは納得できたが、そこにはある人からの置手紙が・・・ここだけの話、これはストーカー行為の一端だったりする。その2、3日前から日に3件ほど私の携帯電話に番号非通知の電話がかかってきており、何か変な予感はしていたが・・・置手紙の文面を読んで、やはり彼(=その人は何と男!)であったと確信した。正直、身の毛がよだった。

 ストーカーについての話はここではあえてこれ以上しないが、とにかく地方から東京に出て来ている者の一人として、東京で暮らすことは正直言ってしんどいことだと感じる。人口の集積によって生じる匿名性は怖いものがある。自分の情報がどこでどのように流通されているかなんて知ったこっちゃないから尚更である。特に番号非通知の電話はいやだ。所在がきちんとしている人やバイト先の会社からは留守電が残されるからいいが、たまに(月一回ぐらい)「誰やねん、あんた?」というところから電話がかかってきたりする。それこそ最近ではピッキングによる強盗も・・・何せ今住んでるアパートの隣の人さえ何者なのか知らないから恐怖倍増である。書けばきりがないが、一言だけ言えることとしては「ある一定の年月を過ごすのはいいが、一生東京に住もうとは思わない」ということだろうか。皆さんはどうですか?



1月 6日(土) 「温泉と焼き鳥」

 中学時代の友人と一緒に隣町の温泉に行く。町営の割に建物がやたらと立派で、中もサウナや露天風呂があってなかなかいい。その後、街に戻って車を置いてから、彼の家の近所にある焼き鳥の店へ行く。私自身その店の焼き鳥を食べるのは十年振りくらいだった(昔、父が飲み会の帰りによく土産に買ってきてくれた・・・)が、相変わらずおいしかった。そして何より熱燗で会話が進んだ進んだ!

 私の中で「無くしたくない日本の風景」に温泉と赤提灯がある。あったかいお湯の中で気分がほぐれた上での“裸の付き合い”、そして熱燗(ビールでも可。要はアルコール・・・でもカクテルは個人的に却下!)片手に花が咲く本音談義。IT革命が進む今の日本の世の中、人と人とが直接会わなくても用が事足りるという状況が益々増えていく一方、これらのような直接的なコミュニケーションは貴重になってくるのかもしれないし、自分としてはずっと大事にしていきたい。だって、パソコンの画面の文字や電話の声だけじゃ伝わらない“何か”(例えば場の雰囲気)ってきっとあるはずだろうし、現にそれが持つ力を信じてるから。



1月 5日(金) 「動物占いとメガネ」

 ついに新しいメガネを買った。札幌の眼鏡屋さんに私の先輩の友達(女性)が勤めており、その方に選ぶお手伝いをしていただいた。前日、本屋にて何故か動物占いの本を立ち読みしていた私・・・どうやら小鹿、しかも“黄色の小鹿”のようだ。詳しく見てみると、いくつかある項目の中に「外見には無頓着」というものがあった。まあ、少しはヘアースタイルや既にある服での着こなしには気を使う方だとは思っているが、確かに洋服や小物(靴や鞄)に関しては選ぶセンスがないようだ。帰省の度に姉に“ファッションチェック”を受けて罵倒され、百貨店に連れて行かれた私は“着せ替え人形”と化している。しかもこの状況にA型特有の“優柔不断さ”が加わるから、それはもう天下一品である(笑)。現にメガネを選ぶ際も「残り二つ」までは絞れたのだが、そこからの選定が難作業であった。結局、彼女の推薦もあって黒縁(といっても所々に銀色のラメが入っていたり若干スケルトンぽかったり・・・ありそうでないフレーム!)で楕円のレンズのメガネに決定。コンタクトレンズを併用している私にとって、これが生涯で3つ目のメガネになる。ちなみに一つ目はツーポイント(“縁なし”のやつね・・・)、二つ目は細い金縁で楕円のレンズのものである。



1月 4日(木) 「オヤジと車と・・・」

 骨折で病院に入院している私の父。最近の口癖は何故か「早く車を換えよう!」である。私も免許を持っていてその日も運転していたからわかるのであるが、スタッドレスタイヤの溝はまだしっかりあるくせに、FRだからなのか肝心な所(特に交差点のミラーバーンでの発進時)でやたらと滑るのである。で、「クラウンの4WDに買い換えよう!」なのである・・・えっ、何故にクラウンかって?

 私が物心ついたとき、我が家ではローレルに乗っていた。パワステなし(これによって、「肩が凝る」と母はペーパードライバーに!)、エアコンなし、カセットステレオなし(あるのはAMラジオのみ!)という、今にしてみれば貧相な車である。数年後、父が祖父から引き継いで会社の社長に就任した時、事件は起こった・・・「よし、社長はクラウンだ!」。中古だったけど排気量は1800から2800に増量し、上に書いた「ないもの」がすべて備わり、おまけに後ろがリクライニングパワーシート(!)・・・「いかにも!」というエンジン音と紺色のメタリックに輝く重厚な車体が好きだった。その後、「車は走りゃあそれでいい!」などという割に、これまで3台のクラウンを乗り継いできた父である。その上を行くセルシオだってとっくの昔にデビューしているのに・・・果たして父の“クラウンへのこだわり”はいつまで続くのであろうか。



1月 3日(水) 「ああ再会」

 ある年下の友人(女性)と会っている途中、某百貨店に入ったところ・・・何やら見覚えのあるオバサンとその娘を発見。向こうは気が付きそうにないので思い切って声をかけることにした。「こんにちはぁ〜」「・・・」オバサンの方が妙に不可思議な顔をしてしばし沈黙、と思ったら娘の方が「あっ、○○ちゃん(私の幼なじみの半分は私のことをこう呼ぶ)?」と、実に驚きの表情。オバサンの驚き方は娘のそれを超えていた。そう、8年ぶりの対面となる小中の同級生とその母親である。オバサンは私の母とお友達で、月に一回はある会合で顔を合わせているが、さすがに私の顔までは一発で判別がつかなかったようだ。そしてその娘・・・私にとっての事実上の「初めての恋愛対象」である(それ以前に恋はいくつか経験済み)。長くなるので私がどういう動きに出たかは省略するが・・・彼女、きれいになってたなあ。正直、ドキッとした。薄付きの化粧が何とも言えない雰囲気を醸し出していた。些細な話をして二人と別れて以降、私は見事にヘロンヘロンになってしまった。たまらず冒頭の女性とドトールに入ったが、あまりに表情やテンションが制御不能になっている私は彼女にしきりになだめられた・・・。



1月 2日(火) 「月並みの正月」

 おせち食って(うちの母の煮物は絶品・・・と思ったら、今年は姉が作っていた。でも、おいしかった!個人的にはなますも大好き!)、お雑煮食べて、箱根駅伝見て、初売りに行って・・・こんな絵に書いたように典型的な正月の過ごし方もたまにはいいもんだ、と実感。余は・・・それなりに満足じゃ。



1月 1日(月) 「祝、新世紀!」

 ついに明けた。今年の年またぎの瞬間は実に静かだった。ここ二年は中学の同級生と神社でカウントダウンしたものだが、今年はやる気が起こらなくてキャンセル・・・だが、捨てる神あれば拾う神あり!“隣のクラス”の連中と初詣に行くことになった。友達が我が家に迎えに来たのは0時5分前。で、迎えに出た母と3人で年越しの瞬間を迎え、ささやかに「おめでとうございます」の挨拶を済ませた・・・と思ったら、途端に駅の方から(ちなみに実家は駅から歩いて10分足らず)騒々しい音が!駅前でもカウントダウンイベントをやっていたようで、真冬の夜空に花火の連発!最初は「きれいだなあ!」と眺めていたが、何を勘違いしたのかその花火は10分以上続き、最後には「もうええわ!」の心境に。ちなみに初詣でのお賽銭は“21円”、そしておみくじは“大吉”・・・何かいいこと、あったらいいな。

 夜は夜で別の友達と、さらに別の友達がやっているバーに行く。彼らとは間もなく丸10年の付き合いになる。何かとよくしてもらってて、本当にありがたい。こんな関係がオヤジになっても続けばいいな。



6〜10月分
5月分
2月〜4月分