三国志の舞台 成都

西安から成都へは火車(電車)で移動。夕刻の5時半に西安を出た列車は翌朝の11時過ぎに成都に到着した。成都は別名を「錦城」また「芙蓉城」ともいう。2000年以上もの歴史を持つ古都で、標高500メートル南西に名峰峨眉山があり、チベットへの入り口でもある。

まず印象にあることは、成都という町の活気。いままで散々「没有 メイヨウ」に泣かされてきた。ものを買いにいっても「メイヨウ」、食べに行っても「メイヨウ」本来この言葉は「無い」という意味なのだが、実は「お前にやるものはない!」というのがその真義。ところがこの町では、食堂が「いらっしゃーーい」と外で呼び込みをしていた。これには驚いた。店に入っても「何にしますか」などと聞いてくれる。素晴らしい。食べるものを決めるときにはメニューなど見ない。辺りを見回して、おいしそうなものを食べてるひとを指さし、「イーヤンダ 同じもの!」と叫ぶ。これが一番確実だ。

杜甫

杜甫がここに住んだのは4年間だが、その間に200首以上をよんだという。そぞろ歩いているといかにも詩趣に富んだ光景が現れる。竹林がみごとだった。

杜甫草堂    草堂内の竹林
杜甫草堂

諸葛孔明

三国志のおもしろさのひとつはこの人の存在感の大きさ、ユニークさにあり。天をも見方にしてしまうほどの神通力を持った人物です。死後「忠武侯」と諡されました。

諸葛孔明の像
武侯祠の諸葛亮

薛濤

唐の時代の女流詩人 妓女に身を落としながらも詩人として世に名を残しました。彼女が水をくんで詩箋を作った井戸が薛濤井といわれています。成都で最も美しいところ、望公楼公園にあります。彼女にぴったりですね。

薛濤井       薛濤の像
望公楼公園
川の対岸から見た望公楼

一人旅の落とし穴…

時に一人旅では気分がわけもなくブルーになることがあります。成都にいるときがそうでした。実はここからは峨眉山にも行きたかったし、そしてあこがれのラサへも。結局前者はバスの停留所まで行きながら引き返し、後者も飛行機の切符をとる寸前で断念。縁がなかったといえばそれまでですが、中国の旅で最も悔やまれる出来事でした。その分、次の昆明では復活して元を取ったのですが。

NEXT

前のページへ戻る