※※※ OTEFの見仏記 ※※※


夢窓国師が築庭の庭園(山梨・恵林寺)
●先日、友人にこう問われた。
『神様と仏様ってどう違うんですか?』と。
これに対する答えは、難しいようで実は簡単。でも、ちゃんと整理しないとダメ。
神社やお寺に行っても、ちゃんと答えてくれる人は少ないだろう。
と言うか、神仏習合の世界にドップリと漬かっているプロの方たちは『同じものですよ』と答えるかもしれない。
 さて、元々仏教とは開祖釈迦が提言した崇高な哲学であり学問である事に立ち返ってみればいい。
『人は生まれた瞬間から死へのカウントダウンが始まる。惨めに老い、病気にもなる。そして、カウントが0になった時死ぬ。
これらは人として生まれたからには絶対に避けられない事である。ではそれらに対する恐怖(苦しみ)からどうすれば解放されるか?』
釈迦は『執着を捨てよ』と言ったそうだが、本当だろうか?と思う。愛はいけないが博愛は良いとも言ったとか。思い入れが深ければ深いほどその反動は大きい。
なるほどと思う。しかし、それが人らしい生き方であろうか?果たして釈迦は生をその様にネガティヴに考えていたのであろうか?
生まれて喜び、心の底から人を愛し、恋破れて泣き、老いてさめざめと悔い、病にかかればより生に対する執着心を強くする。そうして恐ろしく苦しい臨終を迎える。
これこそが、真の人の生き方だと私は思う。解放される必要はないし、生物が持つ自然の理を全て受け入れる覚悟・度量を持つべきであると思う。
犬や猫でさえ涙を流して死んでいく、まして人間ならやと言うべきか。
しかし、人はその様な試練には耐えられない。そんな強い人間は居ない。何かにすがっていたいと思う。
そう言う切望に応えて考え出されたのが大乗仏教の諸尊達、阿弥陀や薬師、或いは観音菩薩を筆頭とした多数の仏達であるのだ。
有り体に言えば、苦しみについて考えるのを和らげたい。ごまかしたい、一時でよいから忘れていたいということ。
その後登場する密教に到っては、呪文であらゆる事を解決しようなどと言うものであり、言葉は悪いが仏教の堕落した姿だと言ってもいい。
 果たして、釈迦が見いだした真理とは何だったのか?空・無と呼ばれる境地(覚者のみが理解しえるもの)とは何なのか?
残念ながら、現存する仏典は大部分が大乗仏教に関するものばかりなので、釈迦の本当のところは解らないのである。
そんな中、禅宗のみが釈迦の精神を未だに護っており、禅と言う単純明快な態を通して真理への道を探っている。
遠くて近いもの 極楽。と、1000年も前に清少納言が書き留めているように、その真理は案外我々の直ぐ傍にあるのかもしれない。
 さてさて、これに対して神様とは我々人間が考案したものではない。
名付けたのは我々だが、果たして本当に存在しているのかは名を付けた我々にさえも判らないのだ。でも、きっと存在している。
村の鎮守の大木に神が宿っているとある人が言うならば、確かに宿っているのであろうと思うしかない。
これも仏教と同じく観念の問題だが、神は人間が考案したものではない(最初からそこに存在するもの)ので、神自身の自我・意志があることになる。
例えば、人間が神だとすると、人間は蟻の様なものであると考える。蟻は普段から人間様を神と崇めてお祀りしているとする。
が、人間は普段、蟻の事などは一考に気に掛けないで生活しているから、勢いよく歩く・走った地面の下に蟻の巣があり、巣の中が上下に揺れてまるで大地震が起こっていても何ら気に掛ける事もない。
また、夏の暑い日に、夕涼みを楽しもうとして庭に散水したが、その水が蟻の巣に入って大洪水になっていてもそんな事にも気がつきもしない。
反対に、偶然食いかけのおにぎりを置いたまま忘れて放置してしまったら、蟻たちにとっては普段のお祀りが利いたのだ、これこそが神からの恩寵であると思ってしまうかもしれない。
しかしながら、その事にも人間は気づいてはいない。
では、信仰する事自体無意味ではないか?と考えて、罰当たり的な事(例えば、神である人間の手足に噛みつく)をすれば、人間は怒って巣自体を壊してしまうかもしれない。
上記の例では、蟻は現実に人間の姿を見る事ができるが、仮に姿が見えないとしたらそれが神というものであろうと私は考えている。
 仏様が人間を救済する(人にとって都合の良い)方向に存在しているとすれば、神様はあらゆる方向に存在している。
神は己の思うままに行動する、それが果たして、我々人間にとって吉と出るか凶と出るかは解らないと言いかえた方が良いかもしれない。
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