http://www.aurora.dti.ne.jp/~mutsumi/study/ronsyu18.html
2003-02-28公刊,2003-03-06Web掲載,2007-09-17最終修正
黒澤睦「告訴権の歴史的発展と現代的意義」法学研究論集第18号(明治大学大学院,2003年2月28日)1-18頁。
Mutsumi KUROSAWA, Zur historischen Entwicklung und der gegenwärtigen Bedeutung des Strafantragsrechts, Studies in Law vol. 18, 2003, Meiji University Graduate School, pp. 1-18.

  1. 原文は,B5判/縦書/2段組です。
  2. 赤字のものは,出版後に気づいた訂正事項です(<>内の日付は,訂正を行った日の日付です)。お詫びして訂正いたします。また,誤字・脱字等のご連絡をいただいた方に,この場を借りて感謝申し上げます。
  3. 本論文は,立法政策論を含んだ学術論文であり,実務でこのとおりの運用がなされている訳ではありません。実際に事件の当事者になられた方は,弁護士等の法律実務家にご相談なされることをお勧めいたします。

【p.1】

告訴権の歴史的発展と現代的意義

(Zur historischen Entwicklung und der gegenwärtigen Bedeutung des Strafantragsrechts)

黒澤 睦 

(Mutsumi KUROSAWA)

目次
  はじめに
  一 告訴権の歴史的発展
  二 告訴権の現代的意義
  結びにかえて

はじめに

 前稿までに、とくに親告罪における告訴に関して、その意義(1)、いわゆ る修復的司法論との関係(2)、告訴期間制度の是非(3)などを検討してきた。本 稿は、そうした議論の前提ともいうべき告訴権そのものについて、親告 罪における告訴に限定せず、その歴史的発展過程を振り返り、その現代 的意義を探ろうとしたものである。
 以下では、まず、わが国における告訴権の歴史的発展と、わが国の告 訴権に対して大きな影響をもっていると思われるドイツにおける告訴権 の歴史的発展について概観する〔一〕。次いで、これまでの拙稿での検 討や、本稿で確認する歴史的発展を踏まえて、わが国の現行法における 告訴権の現代的意義を明らかにする〔二〕。

一 告訴権の歴史的発展

1 わが国における告訴権の歴史的発展

(一)治罪法

 わが国の近代における告訴権(4)は、「治罪法」(一八八〇年〔明治一三年〕 太政官布告三七号、一八八二年〔明治一五年〕施行)において、すでに 規定されていた(5)。すなわち、治罪法九三条一項は、「何人ニ限ラス重罪 軽罪ニ因リ損害ヲ受ケタル者ハ犯罪ノ地若クハ被告人所在ノ地ノ予審判 事検事又ハ司法警察官ニ告訴スル事ヲ得」と規定していたのである。そ のほか、告訴を受理した場合の取扱い(九三条二項以下、なお九二条も 【p.1/p.2】 参照)、告訴の方式(九四条、九五条)、告訴の代理(九八条)、被告人 が免訴・無罪の言渡しを受けた場合等に告訴人に悪意重過失が認められ るときの賠償義務(一六条)などについても規定されていた。治罪法に おける告訴権に関する規定の中で特筆すべき点としては、以下のものが 挙げられる。
 @ 治罪法九三条四項は、「司法警察官告訴ヲ受ケタル時ハ速ニ其書 類ヲ検事に送致ス可シ」と規定し、現行刑訴法の告訴関係書類・証拠物 の検察官への送付(二四二条)の前身がすでに存在していた。
 A 治罪法一〇八条は、「前条ノ場合〔検察官が起訴や不起訴を含め たその他の処分をした場合(後述)〕ニ於テ被告事件告訴ニ係ル時ハ検 事ヨリ其処分ヲ被害者ニ通知ス可シ」(6)と規定し、現行刑訴法の起訴・不 起訴などの通知規定(二六〇条)の前身もすでに存在していた。
 B 告訴、告訴の願下〔取消〕および変更については、とくに期限が 設けられていなかった(治罪法九九条を参照)。
 C 治罪法三条は、「公訴ハ被害者ノ告訴ヲ待テ起ル者ニ非ス又告訴 私訴ノ棄権ニ因テ消滅スル者ニ非ス但法律ニ於テ特ニ定メタル場合ハ此 限ニ在ラス」と規定し、告訴と起訴の原則的分断を明文で規定していた (なお、治罪法一〇七条一項が、「検事犯罪ノ捜査ヲ終リタル時ハ左ノ手 続ヲ為ス可シ」として、重罪(一号)、軽罪(二号)、違警罪(三号)、 事物管轄の違う場合(四号)の処分方法を定めるとともに、同条二項が、 「被告事件罪ト為ラス又ハ公訴受理ス可カラサル者ト思料シタル時ハ起 訴ノ手続ヲ為ス可カラス」と定め、法文上は、起訴法定主義が採られて いた(7))。
 D 治罪法九条二号は、公訴権の消滅事由として、「告訴ヲ待テ受理 ス可キ事件ニ付テハ被害者ノ棄権又ハ私和」を挙げており、親告罪にお いて告訴権の放棄を正面から認めるとともに、「私和」すなわち裁判外 和解などの成立によって公訴権が消滅するという、宥和・和解思想(さ らには修復的司法の思想)を親告罪制度の趣旨に含ませるような規定が 存在していた。もっとも、治罪法と同時に公布されたいわゆる明治刑法 (一八八〇年〔明治一三年〕太政官布告第三六号)における親告罪は、 脅迫ノ罪(三二九条)、幼者ヲ略取誘拐スル罪(三四四条)、猥褻姦淫・ 姦通ノ罪(三五〇条、三五三条二項)、誹毀ノ罪(三六一条)、牛馬以外 ノ家畜ヲ殺ス罪(四二三条)、罵詈嘲弄ノ罪(四二六条一二号)であり、 親告罪制度の趣旨を右の宥和・和解思想(修復的司法の思想)のみで説 明することはできないだろう(8)
 E 治罪法一一〇条一項は、「重罪軽罪ノ被害者公訴ニ付帯シテ私訴 ヲ為サントスル時ハ告訴ト共ニ之ヲ申立テ又ハ告訴ヲ為シタル後其旨ヲ 予審判事ニ申立ツ可シ」とし、重罪と軽罪における付帯私訴について告 訴が条件になる旨を規定していた。
 F 予審判事が告訴(または告発)を受けた場合には、被告人の召喚、 訊問、検事への事件送致、勾引等について特別規定が定められていた (治罪法一一四条以下)。
 なお、この治罪法は、フランス人ボワソナードが起草した草案をもと に制定されたもので、ナポレオン支配下のフランスにおける「治罪法典」 (一八〇八年制定)の影響を強く受けているとされる(9)
 また、実際的に告訴権に大きな影響を与えると思われる検察制度につ 【p.2/p.3】 いては、まず明治五年に、「司法職務定制」により、「法権及人民ノ権利 ヲ指摘シ良ヲ扶ケ悪ヲ除キ裁判ノ当否ヲ監スル」という広い権限をもつ フランス型の検察官制度が創設された。その後すぐ明治七年に、「検事 職制章程司法警察規則」により、刑事事件の捜査および訴追に権限が限 定されたドイツ型の検察官制度に再編成された(10)

(二)明治刑事訴訟法

 次いで制定されたのは、ドイツ人ルドルフによって起草された<削除:2007-09-17>いわゆ る明治「刑事訴訟法」(一八九〇年〔明治二三年〕法律九六号、一八九 三年〔明治二六年〕施行)である。これは、「裁判所構成法」(一九九〇 年〔明治二三年〕法律六号、同年施行)が公布されたことに伴い、治罪 法を改正する必要が生じたことから制定されたものであり、実質的な内 容は治罪法のものを継承している。たとえば、告訴権規定(四九条一 項)、告訴をした者に対する検事による起訴等の処分の通知(六五条) などは、ほぼそのまま継承された。しかし、次のような変更が加えられ た。@告訴の申立先から予審判事がはずされ(明治刑訴法四九条を参 照)、それに伴って告訴事件における予審判事の特別権限がなくなった。 A司法警察官が告訴を受けた場合の検事への書類の速やかな送致には、 違警罪について即決をなす場合の例外が設けられた(四九条二項)。B 公訴権の消滅事由から親告罪にかかる事件の「私和」がはずされた(明 治刑訴法六条二号を参照)。C起訴機能をもった私訴がなくなり、刑事 裁判所においては公訴に付帯した私訴のみになる(明治刑訴法四条を参 照)とともに、付帯私訴に告訴が要件ではなくなった。
 なお、右の裁判所構成法は、参審・陪審など民衆参加の要素が除かれ ていることを別にすると、ほぼ全面的にドイツ法を手本にしたものであ るとされており(11)、明治刑事訴訟法制定当時にはすでにドイツ法の影響が 強かったといえる(12)

(三)大正刑事訴訟法

 その後に制定されたいわゆる大正「刑事訴訟法」(一九二二年〔大正 一一年〕法律七五号、一九二四年〔大正一三年〕施行)は、ドイツのい わゆる「ライヒ刑事訴訟法」(一八七七年制定)の影響を強く受けてい るとされている。ここで、告訴権(二五八条以下)についての大きな変 更が行われた。すなわち、告訴の主観的不可分の規定(二六八条)、六 ヶ月という告訴期間制度(二六五条)を導入するとともに、告訴の取消 の期限を「第二審ノ判決」とした(二六七条一項)のである(13)。また、起 訴便宜主義が初めて明文をもって規定された(二八一条<(正)二七九条:2005-11-27>)。

(四)現行刑事訴訟法

 アメリカの影響を強く受けた新憲法に合わせて制定された現行「刑事 訴訟法」(一九四八年〔昭和二三年〕法律一三一号、一九四九年〔昭和 二四年〕施行)では、@告訴の取消が「公訴の提起」までに制限された (刑訴法二三七条一項)ほか、A不起訴理由の告知(刑訴法二六一条) が新たに規定された(なお、事件処理の通知と不起訴理由の告知の相手 先は、告訴人のみならず、告発人、請求人にも広げられた)。そのほ か、公務員の職権濫用等の一部の犯罪について、検察官の公訴を提起し ない処分に不服のあるときは、事件を裁判所の審判に付すことができる とする付審判手続(刑訴法二六二条以下)が創設された(14)。また、アメリ カの大陪審にならって、検察審査会が作られ、事件が不起訴となった場 【p.3/p.4】 合に、告訴をした者などが申立により審査を求めることができるように なった。
 そして、近時、被害者保護の流れから、いわゆる「犯罪被害者保護二 法」のうちの「刑事訴訟法及び検察審査会法の一部を改正する法律」 (二〇〇〇年〔平成一二年〕法律七四号)で、親告罪であるいわゆる性 犯罪の告訴期間が撤廃された(15)

(五)小括

 日本法における告訴権の歴史的発展過程をおおまかに見てきた(16)が、そ れをまとめると次のようになるだろう。
 明治維新後の近代法制においては、フランス法の影響を受けた治罪法 から、現在の告訴権に関する規定に近い規定がなされていた。その後、 起訴便宜主義などが明文をもって規定されるようにはなったものの、現 行刑事訴訟法までは、検察制度も含めて、ほぼ一貫してドイツ法の影響 を受けてきた。告訴権に関していえば、告訴期間制度の導入がその一例 である。加えて、現行刑事訴訟法では、ドイツ法のみならず、検察審査 会制度の創設など、アメリカ法の影響も受けてきた。そして、現在で は、被害者保護の流れのように、単独あるいは少数の法体系ではなく、 世界的な影響を受けつつある。

2 ドイツにおける告訴権の歴史的発展

 以上のように、告訴権の歴史的発展は、単独あるいは少数の法体系に ついて述べるのみでは足らない。しかし、わが国の告訴権の歴史的発展 には、ドイツ法の影響が(少なくとも理論的な分野においては)強いよ うに思われる。また、以下の記述でも分かるとおり、ドイツにおける告 訴権の歴史的発展といっても、それを検討する際には、ドイツ法に影響 を与えた他の法制も必然的に登場してくることになる。そうした意味 で、ドイツにおける告訴権の歴史的発展を、ドイツの刑事訴訟システム の発展を概観しつつ、確認することは、意味のあることであると思われ る。
 なお、以下のドイツにおける告訴権の歴史的発展に関する記述は、ス ザンネ・ブレーマーの研究書『告訴の本質と機能』(一九九四年刊)(17)の 「第一部・告訴権の歴史的発展について」(三七―八八頁)での分析に大 きく依っている(18)

(一)古ドイツ法の時代(一五〇〇年まで)

 強い宗教的な影響を受けた古ドイツ法は、犯罪を、加害者および被害 者そしてその氏族(Sippe)との縁故関係(Beziehung)を侵害するも のとしていた。そのため、こんにちでは犯罪行為(Straftat)と呼ばれ ているこうした法侵害(Rechtsbrüche)の訴追は、完全に私人の手に あった(19)。そして、被害者が犯罪行為を自ら処罰しなければならず、それ には、厳格な形式に拘束された裁判手続のみならず、裁判外の手段も含 まれていた(20)。また、その手続の意義と目的は、敵対者との論争を秩序に したがって進めることであり、そして和解・宥和(Versöhnung)を手 に入れるよう努力することであった(21)
 こうしたことがゲルマン時代には成文法のないまま広く行われていた <削除:2003-03-06>が、フランク末期には、多くの王国が形成されたことで、多くの部族 法が生まれることになった。そして、内部の秩序を維持するために、こ 【p.4/p.5】 れまでの慣習法が成文法化されるようになった。その後、ローマに支配 されたことから、ローマ法が立法に影響を与えた。そして、国王の勢力 が次第に増大していったことにより、国家による刑事訴追が始まること になった(22)
(1)ゲルマン法およびフランク法での私的司法(Private Rechtspflege)
 ゲルマン時代には、手続の開始、被疑者・被告人の尋問、立証手続、 そして判決にいたるまで、すべての主導権が訴訟手続の主宰者たる被害 者やその氏族に属していた。こうした手続方法は、法侵害が氏族の平和 の侵害であるとの解釈と完全に合致していた。つまり、ゲルマンの訴訟 手続は、被害者とその氏族の償い要求(Genugtuungsbedürfnis)が優 先し、国家の刑罰請求権や公的な刑事訴追とは競合しないという特徴が あったのである(23)
 フランク期には、法侵害について私法的な理解から公法的な理解に移 行し、手続は被害者およびその氏族の意向に左右されないものという方 向性が鮮明になった。国王の権力が強くなったことで、個人は国王の臣 民としてみなされるようになった。こうした政治情勢は、手続における 被害者の地位をも変化させ、ゲルマンの訴訟手続におけるような被害者 の重要な地位は失われていった(24)
 支配者の影響力は、何よりも、国王によって任命される裁判官の地位 に現れた。その裁判官が被害者およびその氏族の能動的な地位を引き継 ぎ、被害者の役割は第三者的役割に抑えられた。さらに、支配者は、告 発・弾劾手続(Rügeverfahren)を採用することで、それまで被害者の 氏族がもっていた起訴機能(Anklagefunktion)を引き継いだ。つまり、 公訴官(Offizialkläger)が、私人訴追者(Privatkläger)の立場へと進 出したのである。こうした一連の流れが起こったのは、〈被害者の意思 によって処罰の是非と程度が左右される手続は、被害者が賠償金を受け 取った場合には重要な犯罪であっても訴追されない可能性があるという 欠点がある〉と考えられたからである。国家の影響力が増大し、国家こ そが犯罪を訴追する権限があるという考え方が広まるにつれて、法侵害 の処罰は被害者およびその氏族の意思に委ねられるという司法のあり方 に対して批判が強まったのである(25)
(2)外国法を継受する以前の中世の法
 中世に発展した糺問訴訟(Inquisitionsprozeß)においては、犯罪は、 加害者と被害者との関係の侵害であるという考え方から、第一次的には 法秩序(Rechtsordnung)、すなわち公衆(Allgemeinheit)を志向する ようになった。これにより、私人が刑事手続に能動的に関与すること や、裁判外の手段により紛争を解決する可能性が減少した。そのため、 増加した法違反を職権により(ex officio)しかるべき訴訟的方法によ って訴追するという、強大な支配者の意図が決定的な意味をもつように なった。また、新たな糺問手続(Inquisitionsverfahren)においては、 被害者は、告発(Anzeige)という形で犯罪を報告し、支配者に対して 助けを請う可能性を有していた(26)

(二)外国法の継受と初期の普通法(一七五〇年まで)

 中世末期には、領邦君主の権力が強まり、皇帝と教皇とが覇権を争う という政治情勢となった。こうした政治情勢は、刑事司法にも影響をも 【p.5/p.6】 たらし、一五三二年にカール五世の刑事裁判令「カロリナ法典(Con stitutio Criminalis Carolina)」という形で一つの実を結んだ。このカロ リナ法典は、刑法的というよりも刑事訴訟的な特徴を有していた。誘拐 (カロリナ法典一一八条)、強姦(同一一九条)、姦通(同一二〇条)、家 族間窃盗(同一六五条)においては、訴訟は「刑罰の訴え(peinliche Beklagung)」に応じてのみ行われうると規定されていたが、これはこ んにちの告訴権の起源であり、最初の親告罪である、との評価が多数説 である(27)。しかし、カロリナ法典に登場してくる「Anklage」、「Beklagung」、 「Klage」との文言からすると、被害者に、処罰要求(Strafverlangen) を表明させるというよりは、訴えを提起する者としての役 割までも担わせようとしていたといえる(28)。そして、ローマ法、カノン法 の流れをくむ中世イタリア法の継受がその後の初期普通法の刑事手続に 影響を与えた。しかし、絶対主義へと至る領邦君主の台頭は、刑事訴訟 における被害者の役割に対しては不利な条件となった(29)

(三)プロイセン一般ラント法典における告訴権の最終的な樹立

 一八世紀中頃には、絶対主義に対する反対運動が起こった。その結 果、ドイツにおいて精神的および政治的な変化の徴候が現れ、フランス に端を発した啓蒙主義や自由主義といった思想が広まり始めた。国家と いう形態が絶対的なものになり、個人の地位も、「臣民(Untertanen)」 から、固有の権利と義務をもつ「国民(Staatbürger)」になった。そう した自由主義の追求が最高潮に達し、一七八九年のフランス革命によっ て、モンテスキューによって唱えられた権力分立が実現した(30)。それに続 いて、ドイツでも、ヒューマニズムが刑法や刑事訴訟法の領域へと浸透 していった。その一方で、絶対主義的な考えをもつ地方君主が改革を禁 止して、その支配権を維持しようとしたことから、ドイツの糺問訴訟は 一九世紀まで維持された。多くの絶対主義的な手続手段を強化した勅令 が出されたことで、自由主義思想の拡大は長く続くことはなかった。そ れは、犯罪の本質に関する考え方に変化があり、刑罰が、〈個人の人権 を侵害するもの〉というよりも、〈私人の刑事手続への関与の要求を増 大させると同時に、国家権力の行使一般を躊躇させるもの〉と考えられ たからでもある。そして、被害者の役割の新展開が、一八世紀末から始 まり、一九世紀には拡大していった。これに関して決定的な影響を与え たのは、フランスを手本にして提案された検事(局)(Staatsanwaltschaft) である。それは、告訴権の成立に対しても大きな影響を与 えた。なぜなら、それによって、被害者の関与も新たに議論の対象にさ れたからである(31)
 糺問訴訟に対する批判から生じた裁判官の独占権を打ち破るという要 求は、イギリスのシステムにおける方法でも、私人による刑事訴追によ って実現することができた。しかし、フランスのシステム(32)の方が良いも のとされた。なぜなら、フランスのシステムは、ドイツにおいても正当 な基盤と考えられていた刑罰の公的性質(offentlicher Charakter)を出 発点としていたからである。さらに、フランスの手続は、ライン川左岸 のドイツにおいてはすでに継受・適用されていたのである(33)
 しかし、ルイ十四世の時代のフランスでは正式な形の告訴権が発展す ることができたにもかかわらず、ドイツでは、起訴法定主義 (Legalitätsprinzip)をとっていたことから、告訴権はあまり意味をも 【p.6/p.7】 たなかった。その結果、ドイツでの告訴権の発展に対する影響は、非常 にわずかなものであった(34)
 現代の告訴権の起源は、フリードリヒ大王に起源をもつプロイセン一 般ラント法典(ALR: Allgemeines Landrecht der preusischen Staaten, 1794)に求められる。このプロイセン一般ラント法典は、啓蒙主義時 代の成果を大きく考慮に入れていた。告訴権は、このプロイセン一般ラ ント法典で初めて採用され具体化された(35)。絶対主義という克服された時 代とは異なり、この時代においては、政治に国民を取り込んだことによ り、そして具体的には被害者のような私人が刑事手続に関与することに より、国家権力を行使する場合に、被害者が支援(Unterstützung)を 受けられることが約束された(36)
 このプロイセン一般ラント法典は、立法機関が職権による刑事訴追に はふさわしくないような犯罪に「告訴要件」を設ける決定的な突破口と なった。そのような親告罪には、家族共同体における親族間の窃盗や軽 度の傷害などが含まれていた。全体的にみると、告訴という制度は、職 権による刑事訴追が必ずしも必要ではない犯罪である場合に、その主た る私的性格を重視するものであった。しかし、強姦や誘拐などは、現在 でいう条件付親告罪(relative Antragsdelikte)であった(37)

(四)ライヒ刑法典とライヒ刑事訴訟法典

 十九世紀に形成された告訴権は、被害者の手続関与の増加を求めるも のであるともいえる。もっとも、被害者の手続関与という点では、私人 訴追も存在したが、法曹界や政界は、私人訴追のリスクと濫用的行使に 対処することを強く求め、一八四八年以降ドイツのすべての州に導入さ れた検事(局)によるコントロールを期待した。しかし、検事(局)に よる起訴独占(Anklagemonopol)のリスクもすでに認識されており、 告訴権の場合には、私人訴追とは異なり、刑事訴追機関に対する私人に よるコントロール可能性に、控制<「と同時に、負担軽減」:2003-05-19>効果(Entlastungseffekt)や支持 (Unterstützung)が期待されていた(38)。こうした改革は、最終的には、ラ イヒ刑法典(一八七一年)やライヒ刑事訴訟法典(一八七七年)という 形で実を結んだ(39)
 このとき、告訴に関する規定は、その大部分がライヒ刑法におかれ、 ライヒ刑事訴訟法におかれたものはわずかであった。ライヒ刑事訴訟法 一五六条は、刑法で規定された一定の犯罪のばあいには、告訴を特別的 訴訟条件(besondere Prozeßvoraussetzung)であるとした。この規定 は、告訴の訴訟法的性質を明らかにしたものであるとされている(40)。ま た、ライヒ刑法六一条は三ヶ月の告訴期間を定めていた。

(五)小括

 以上、日本の大正刑事訴訟法に大きな影響を与えたとされる、ドイツ におけるライヒ刑事訴訟法典までの告訴権の歴史的発展を見てきた。非 常におおまかな検討であったが、ドイツにおける告訴権の形成はフラン ス法の影響が強いことがわかった。日本の治罪法における告訴権も、フ ランス法の影響が強く、しかも現在とあまり大きな違いのない規定が設 けられていたことなども考慮すると、フランス法における告訴権の歴史 的発展を確認する必要があるだろう(41)
 もっとも、ドイツ刑事訴訟法における告訴権の発展過程を大きく見る ならば、@被害者やその氏族による私的司法、A国家的司法による〈被 【p.7/p.8】 害者等の起訴機能の剥奪〉と対となった〈告訴権の付与〉、B検察官の 活動の適正コントロールの担保としての告訴権の意義、という流れを読 みとることができるだろう。Bの流れは、事件処理の通知と不起訴理由 の告知の相手先を、告訴人のみならず、告発人、請求人にも広げた我が 国の現行刑事訴訟法の(立法当時の)立法趣旨にもあてはまるだろう。

二 告訴権の現代的意義

 我が国の現行刑事訴訟法における告訴に関する規定については、以前 に簡単に触れたことがある(42)が、ここでは、前述の告訴権の歴史的発展や 実務的な観点も踏まえた上で、新たな視点から、告訴権の現代的意義を 検討していきたい。

1 告訴の主体―「犯罪により害を被つた者」(刑事訴訟法二三〇条)

 刑事訴訟法二三〇条は、「犯罪により害を被つた者」(以下では、原則 として「犯罪被害者」と略す)は、告訴をすることができると規定して いる。刑訴法二三一条以下では、さらに告訴権者の範囲を拡大してい る。しかし、告訴権の歴史的発展を振り返ると、告訴権は犯罪被害者 (およびその氏族)の起訴権限から変形あるいは発展してきたともいえ るので、告訴権者に関する規定の本質部分はこの刑訴法二三〇条にある と考えてよいだろう。

(一)〈実体的概念〉と〈訴訟的概念〉

 刑訴法二三〇条の「犯罪被害者」の概念については、〈実体的な意味 での〉犯罪被害者と〈訴訟的な意味での〉犯罪被害者という二つの考え 方が成り立ちうるとされる(43)
 この点に関して、川崎英明は、「告訴した人が被害者でなかったとす れば、告訴権者ではなかったということになります。告訴人が被害者で はないことが手続の中で明らかとなれば、適法な告訴がなかったわけだ から、親告罪では公訴棄却にもなる。つまり、刑事手続では被害者とは 被害者だと主張するものということであり、その人が告訴権をもつ被害 者なのかどうかを確認しなければならないわけです」とする(44)
 これに対しては、「被害者であるかどうかを最終的に確認しなくても、 そのときまでは被害者として権利を行使できる、あるいは一定の地位を 主張できるとは見られませんか」との疑問が投げかけられている(45)
 それに対して、川崎は、「被害者というのも実体的概念ではなく訴訟 的概念で」あるとする(46)
 私も、基本的には同じ考え方であり、告訴権規定における犯罪被害者 は訴訟的概念だと考える。もっとも、告訴をすることができるのが、実 体的な犯罪被害者ではなく、訴訟的な犯罪被害者であるとすると、その 被害者であると主張する者(暫定的な被害者)たる告訴人が、手続の中 で〈被害者ではないことが確認されれば、その告訴は無効なものとされ る〉ではなくて、〈被害者であることが確認されなければ、その告訴は 無効なものとされる〉になるのではないかとの疑問がわき上がる。とい うのも、告訴が有効であること(つまり、告訴をした者が犯罪被害者で あること)は、親告罪ではとくに訴訟条件になるが、訴訟条件について は、検察官側に挙証責任があるとされている(47)とともに、合理的な疑いを こえる証明を要するとする見解(48)も存在することからもわかるとおり、 【p.8/p.9】 (被疑者・)被告人に有利に判断されるべきだからである。さらに、そ の結果として、検察官側(この場合は警察も含む)が、告訴をする者に 対して、被害者であると認定されるべき証拠(あるいは資料)を必要以 上に求めるなどして、〈実体的な意味での〉被害者にとっては酷な結果 となりうるのではないかとも考えられるのである(49)

(二)〈犯罪被害者〉と〈法益被侵害者〉

 刑訴法二三〇条の規定する告訴権者は、「犯罪により害を被つた者」 であり、「法益を侵害された者」ではない。その意味では、告訴権その ものは、「犯罪により」という時点で法益概念が入り込む余地はあるも のの、直接的には、刑法およびその解釈論によって抽象化された「法益」 を侵害(50)された者を想定するものではなく、生の事実により近い「害 (harm)」を受けた者を想定しているのである(51)
 たとえば、公務執行妨害罪(刑法九五条)においては、保護法益は、 公務員ではなく、公務の執行そのものとされる(52)が、暴行または脅迫を加 えられた公務員は犯罪被害者として告訴をすることができる(53)。この場合 には、行為客体が犯罪被害者になっている。さらに、墳墓発掘罪(刑法 一八九条)においては、保護法益は宗教生活上の善良な風俗ないし国民 の正常な宗教的感情とされ、行為客体は墳墓である(54)が、墳墓の所有者は 犯罪被害者として告訴をすることができるだろう。例を挙げればきりが ない(55)が、刑法解釈論上の法益を侵害された者や行為客体と告訴権規定が 予定する「犯罪により害を被つた者」とは、前者が後者の解釈の指針に はなりうるが、前者に比べ後者はより実質的な解釈が必要なものといわ ねばならないだろう。

2 告訴の対象

(一)〈犯人・加害者〉と〈犯罪・事件〉

 刑事手続における被害者の地位について、「刑事手続とは被告人に対 する手続です。被害者とは、被告人の犯罪行為の被害者ということにな ります。だから、訴因には犯罪の被害者と被害内容が明記されます」(56)と の考え方がある。この考え方を押し進めるならば、告訴についても特定 の被疑者に向けられたものという解釈になる可能性があるだろう。
 しかし、大審院の判例は、犯人を指定しないで、または誤って他人を 犯人として指定した告訴についても有効であるとしている(57)。このように 犯人を特定しないでも告訴が有効とされる理由は、告訴が、「被害者が 犯人を特定してその処罰を求めるところに重点があるのではなく、被害 を受けた犯罪につき犯罪の処罰を求めるところに重点がある」(58)からとさ れている。こうした考え方を進めると、告訴は、ある特定の〈犯人〉あ るいは〈加害者〉について行われるものではなくて、〈犯罪〉あるいは 〈事件〉のみに向けられるものであるとも考えられよう。
 しかし、それに限らず、特定の〈犯人〉あるいは〈加害者〉を対象と して行われたものも、当然に有効なものと解すべきである。それは、告 訴期間の起算点が「犯人を知つた日」とされており(刑訴法二三五条一 項本文)、被害者と犯人との関係性が重視されていること(59)からも、肯定 されるだろう。いずれにしても、告訴の効力について最も重要なのは、 告訴権者の意思の内容なのである。

(二)いわゆる「告訴不可分の原則」との訣別

 これに関しては、いわゆる「告訴不可分の原則」が問題となる。主観 【p.9/p.10】 的不可分については、明文の規定がある(刑訴法二三八条一項)が、客 観的不可分については明文の規定がなく、解釈にゆだねられている。
 従来は、右で述べた、告訴が被害を受けた〈犯罪〉につき犯罪の処罰 を求めるところに重点があるとの理解に基づき、告訴の主観的不可分、 客観的不可分を説明する見解がほとんどだった。そのような中、高田卓 爾は、これらの見解を詳細に分析・検討して、次のような議論を展開し た。すなわち、告訴不可分の原則の根拠としては、@検察官の公訴権の 行使に枠をはめないでできる限り自由な活動を保障する必要があるとの 政策的考慮(主観的不可分については、告訴人の私的な感情によって一 つの犯罪に関与した共犯者の間に取扱上の不当な差別が生ずることを防 止しようとする意図。客観的不可分については、公訴不可分の原則をあ くまで貫徹し親告罪の場合でも一個の犯罪についての処置を検察官の判 断に留保したいとの政策的考慮)、A(とくに客観的不可分について) 告訴という意思表示の合理的解釈、が挙げられるというものである。そ して、結論的には、主観的不可分の規定を創設するか否かは刑事政策的 な選択によるものであり、客観的不可分の根拠は薄くむしろ親告罪を認 めた趣旨の延長線上の問題であるとする(60)
 私は、右で述べたように、〈告訴の効力について最も重要なのは、告 訴権者の意思の内容である〉との考え方を採るので、原則は「告訴可分」 であると考える。したがって、告訴の主観的不可分の規定(刑訴法二三 八条一項)を政策規定と解する高田の見解に基本的には賛同する。しか し、A告訴という意思表示の合理的解釈を客観的不可分の原則に結びつ ける点には賛同できない。というのも、意思表示の合理的解釈とはいう ものの、実際には、「告訴人の希望ないし意向にとくに不合理なところ がなく」(61)という言い換えがなされており、その内実は@に類する政策的 判断であるからである(62)

3 告訴権と捜査、起訴

(一)実務の動向

 平成一一年に全国の検察庁で処理された事件のうち、自動車関係業過 および道交法違反を除いたものについて、@起訴率は、全事件は約六五 %であるのに対し、告訴・告発事件は約三三%となっている。そのう ち、直受事件では、告訴事件で約三%、公務員以外からの告発事件で約 八%である。A不起訴処分の理由については、嫌疑不十分または嫌疑な しが、全事件で約六%、告訴・告発事件で約三七%である。そのうち、 直受事件では、告訴事件で約七六%、公務員以外からの告発事件で約五 八%である(63)
 こうした告訴事件における起訴率の低さ、嫌疑不十分あるいは嫌疑な しの事案の多さなどについては、捜査実務家からは、濫告訴・告発の実 状を物語るものとして、非常に否定的な評価がなされている(64)
 また、告訴に対する否定的評価は、判例にも表出している。告訴にか かる国家賠償請求訴訟において、最高裁は次のように判示している。す なわち、「犯罪の捜査及び検察官による公訴権の行使は、国家及び社会 の秩序維持という公益を図るために行われるものであって、犯罪の被害 者の被侵害利益ないし損害の回復を目的とするものではなく、また、告 訴は、捜査機関に犯罪捜査の端緒を与え、検察官の職権発動を促すもの 【p.10/p.11】 にすぎないから、被害者又は告訴人が捜査又は公訴の提起によって受け る利益は、公益上の見地に立って行われる捜査又は公訴の提起によって 反射的にもたらされる事実上の利益にすぎず、法律上保護された利益で はないというべきである。したがって、被害者ないし告訴人は、捜査機 関による捜査が適正を欠くこと又は検察官の不起訴処分の違法を理由と して、国家賠償法の規定に基づく損害賠償請求をすることはできな い」(65)、と。

(二)告訴権の再構成―告訴と捜査義務

 前掲の最高裁判例には、被害者学の観点から、「事件の当事者である 被害者には、適正な捜査と公判は今後の人生と引き替えにしてもよいほ ど重要な問題であって、国家にはその期待に応える責任がある」(66)との批 判がなされている。では、被害者には、適正な捜査や起訴を求める(逆 から見れば、義務づける)権利は、法的には存在しないのだろうか。
 結論からいえば、被害者には、@適正な捜査を義務づける権利はある が、A起訴を義務づける権利は現行法上は認められない、ということに なるだろう。
 後者の起訴義務を生じさせる権利ではない点については、立法論は別 として、現行法の解釈としてはとくに説明を要しないだろうが、前者の 適正な捜査を義務づける権利という点については、さらに説明を要する と思われる。私が犯罪被害者(この場合も訴訟的概念である)に適正な 捜査を義務づける権利を認める理由は次のとおりである。
 第一に、告訴関係書類・証拠物の検察官への送付(刑訴法二四二条) に関する規定は、第一次捜査責任を負う司法警察職員が、告訴を受理し た場合に捜査の責任を負うことも当然に含意している(67)と考えられる。ま た、司法警察員から検察官への事件送致(刑訴法二四六条)の例外規定 であるとされ、告訴関係書類と証拠物を必ず送付しなければならず、微 罪処分は許されない(68)。そして、犯罪捜査規範六七条も「告訴または告発 があつた事件については、特にすみやかに捜査を行うように努め」なけ ればならないとしているのである。
 第二に、起訴・不起訴などの通知(刑訴法二六〇条)に関する規定は、 検察官は、告訴を受理した場合には、自ら捜査を行う責任を負うものと 考えられ(69)、不起訴理由の告知(刑訴法二六一条)と相まって、告訴事件 にあっては、通知や理由の告知(70)に堪えうる適正な捜査がなされなければ ならないとしている趣旨と解すべきである(71)
 これは、告訴権に関して従来いわれてきた一般的な意味での〈捜査・ 訴追裁量の適正化の担保〉という考え方とは一線を画するものである。 すなわち、刑事司法制度に対する現代的最重要課題の一つである犯罪被 害者(告訴権者)の観点から、被害者自らが害を被った事件の真相を知 りたいとの願いを重視し、〈適正な捜査を求める(義務づける)権利〉 として再構成したものである(72)

(三)いわゆる濫告訴の問題

 以上のように、告訴権は、現行法規定の解釈論として、犯罪被害者が 適正な捜査を求める(義務づける)権利ということができる。そうする と、前述のような濫告訴の問題がさらに大きな問題になると思われる。
 しかし、こうした濫告訴の選別こそが現代における検察官の重要な役 割の一つであると考えられる(73)。ある意味で、告訴事件における起訴率の 【p.11/p.12】 低さ、嫌疑不十分あるいは嫌疑なしの事案の多さは、それが機能してい ることを示している証拠でもある。検察官等の事件選別機能を有した訴 追機関に対する告訴ではなく、単純な私人訴追制度(74)を採用した場合とを 比べて考えると、その重要性が理解できるだろう。
 こうした濫告訴(または濫告発)の実際的な選別については、「告訴・ 告発の受理にあたって、告訴・告発人から犯罪事実の概要、告訴・告発 の真意を聴取し、刑事事件として取り上げることのできないものについ ては、直ちにその旨を告知し、犯罪の端緒になり得るものについても、 場合により適切な捜査機関への告訴・告発を勧奨し、その他その救済に 適した機関、施設を教示、説得することにより、事実上、不相当な告 訴・告発を思い止まらせるしか方法はない」(75)との提案が実務家からなさ れている。この提案は具体的で示唆に富むものであるが、それが過度に 行われれば、前述のように、被害者にとっては必ずしも利益とならない 場合があることに注意しなければならない(76)

4 告訴の受理義務

 以上のような問題は、実際には、告訴(または告発)の受理義務に関 しても表面化してくる。犯罪捜査規範六三条一項は、「司法警察員たる 警察官は、告訴、告発または自首をする者があつたときは、管轄区域内 の事件であるかどうかを問わず、この節に定めるところにより、これを 受理しなければならない」と規定し、告訴(または告発)の受理を警察 に義務づけている。
 この点に関して、告訴(または告発)の内容が不明確で捜査を実施す る必要性が客観的に認められないようなケースを不受理にすることがで きるのか、という問題提起がなされている(77)
 実務では、犯罪捜査規範六五条の規定に従い、資料を提出させたり、 追加説明を求めたりして、告訴(または告発)の趣旨を理解することに 努めるという。しかし、どれほど慎重に事情を聴取しても、犯罪がある と思料するには根拠があまりにも薄弱であるにもかかわらず、相手側が 告訴(または告発)を主張してやまない場合は、告訴(または告発)を 不受理としているという(78)
 しかし、「どれほど慎重に事情を聴取しても」という時点で、すでに 捜査を開始しているというべきである。その場合には、告訴を受理し て、正面から捜査をおこなえばよいのではないかと思われる(79)。もっと も、このように告訴の受理義務を認めると、告訴事件は前述のように厳 格な取扱いをしなければならず、しかも捜査の義務が生じるとなれば、 手間が増えて他の事件に人員や時間を割く事ができなくなる可能性があ る。そして、究極的には、重大事件の被害者の不利益になるとともに、 社会全体の不利益となる可能性もあるとも考えられるのである。しか し、現状で告訴を結果的に受理しないときにも慎重な事情聴取がおこな われるのであるから、告訴を受理しないことによる利益は必ずしも大き なものではない。そして、前述のように犯罪被害者にとって重要な意義 をもつ告訴権を形骸化させないためには、門前払いとなる受理の拒否は 許されない。
 これに対し、告訴(または告発)された犯罪事実について、「既に時 効が成立している」、「既に刑事処分がなされている」等の形式的不備が 【p.12/p.13】 存在する場合や、告訴(または告発)の前提となる「犯人の処罰を求め る意思」が欠けているような場合には、警察側が当該告訴(または告発) を不受理とできることには異論はないとされる(80)
 もっとも、この点に関しては、「右に該当する告訴・告発であっても、 将来、検察審査会に対する審査請求、付審判請求、不受理扱いに対する 公務員職権濫用罪の告訴又は行政訴訟等の提起が予想される事案につい ては、受理、立件をし、処理を明確するように<(正)「明確にするよう」:2003-03-06>配意しなければならな い」(81)との実務家の見解があり、また、少なくとも検察官については、そ のような取扱いがなされているようである。
 こうした見解・取扱いによれば、いわゆる形式的不備が存在する場合 であっても、告訴の受理が可能なのであるから、捜査機関に告訴の受理 義務を認める(82)ことも不可能ではないことになる。そして、告訴権に関し て従来からいわれている捜査の適正化の担保としての機能を発揮させる ためにも、捜査機関に告訴の受理義務を認め、告訴の事実を闇に葬るこ となく公式な手続に乗せる必要があるのである(その意味で、告訴の受 理義務は適正捜査の担保の担保である)。

 
(1) 拙稿「親告罪における告訴の意義」法学研究論集一五号(明治大学大学 院、二〇〇一年)一頁以下。
(2) 拙稿「修復的司法としての親告罪?」法学研究論集一六号(明治大学大 学院、二〇〇二年)一頁以下。
(3) 拙稿「告訴期間制度の批判的検討」法学研究論集一七号(明治大学大学 院、二〇〇二年)一頁以下。
(4) 近代以前の犯罪対応については、改めて検討を行いたい。
(5) 田口守一「親告罪の告訴と国家訴追主義」『宮澤浩一先生古稀祝賀論文 集(第一巻)―犯罪被害者論の新動向』(成文堂、二〇〇〇年)二四一頁、 二四八頁注(6)も参照。なお、治罪法の文言については、一部の旧字体 等を常用漢字に直した(以下も同様)。
(6) これは、告訴人が私訴(民事上の損害賠償請求)をするために、告訴の 帰趨を知る必要があるからであるとされる(堀田正忠『治罪法要論』(博 聞社、一八八五年)二二〇頁以下、二五〇頁以下を参照)。なお、引用・参 照は、覆刻版である堀田正忠『治罪法要論―日本立法資料全集(別巻一六 五)』(信山社出版、二〇〇〇年)によった。
(7) もっとも、明治刑事訴訟法の時期も含めて、実際は微罪不検挙の運用が なされていた(法曹會編『刑事訴訟法案衆議院貴族院委員會議録』(法曹 會、一九二二年)五九七頁以下を参照。なお、田宮裕『刑事訴訟法』(有 斐閣、新版・一九九六年)一七三頁、松尾浩也『刑事訴訟法(上)』(弘文 堂、新版・一九九九年)一六二頁以下なども参照)。
(8) 拙稿・前掲注(2)一頁以下を参照。
(9) 以下の記述も含めて、わが国の刑事訴訟に対する外国法の影響の全体像 については、松尾浩也『刑事訴訟法(下)』(弘文堂、新版補正第二版・一 九九九年)三一九頁以下などを参照。なお、ボアソナードの草案と治罪法 とでは、告訴権に関する規定にも相違点が存在していた。たとえば、治罪 法草案では、司法警察官が告訴を受けた場合の告訴関係書類の検事への速 やかな送致の規定はなく(治罪法草案一〇七条四項を参照)、不起訴の場 合の理由の告知が告訴事件および告発事件において一定の範囲で認められ ていた(治罪法草案一二三条後段)。ボアソナードの草案と治罪法の対照 関係については、大審院書記局編『草案比照治罪法完』(大審院書記局、 一八八六年)を参照。これらの規定の変化の背後にある議論の検討につい ては、別の機会に改めて行いたい。
(10) 横山晃一郎「明治初年における検察官制度の導入過程―比較法的視点か ら―」『刑事裁判の理論―鴨良弼先生古稀祝賀論集』(日本評論社、一九七 九年)一二五頁以下、鯰越溢弘「私人訴追主義と国家訴追主義」法政研究 四八巻一号(九州大学法政学会、一九八一年)三四頁以下などを参照。
【p.13/p.14】
(11) 松尾・前掲注(9)三二七頁を参照。
(12) もっとも、明治刑訴法はフランス法系であるとの評価もある(白取祐司 『刑事訴訟法』(日本評論社、第二版・二〇〇一年)二一頁)。
(13) こうした告訴の期間と告訴の取消の期間を制限することは、国家訴追主 義を重視したことになるとの見解がある(田口・前掲注(5)二五三頁、 二五七頁注(31)を参照)。なお、告訴期間制度については、拙稿・前掲 注(3)一頁以下も参照。
(14) この成立過程の概要について、新屋達之「起訴強制手続の生成と発展 (一)―付審判手続の理解の前提として」法学雑誌三四巻一号(大阪市立 大学、一九八七年)三六頁以下を参照。
(15) 椎橋隆幸=高橋則夫=川出敏裕『わかりやすい犯罪被害者保護制度』 (有斐閣、二〇〇一年)、松尾浩也編著『逐条解説犯罪被害者保護二法』 (有斐閣、二〇〇一年)などを参照。
(16) 詳細な分析・検討は改めて行いたい。
(17) Susanne Brähmer, Wesen und Funktion des Strafantrags: Eine Studie über Voraussetzungen und Probleme des Verfahrens bei Antragsdelikten, 1994.
(18) そのほか、個別規定の告訴権については、Tanja Schröter, Der Begriff des Verletzten im Strafantragsrecht (§ 77 Absatz 1 StGB), 1998, 15 ff. 私 人訴追手続については、上田信太郎「ドイツ私人訴追手続の沿革と私訴犯 罪について」一橋研究一七巻二号(一九九二年)四一頁以下、起訴強制手 続については、新屋・前掲注(14)三五頁以下、同「起訴強制手続の生成 と発展(二・完)―付審判手続の理解の前提として」法学雑誌三四巻二号 (大阪市立大学、一九八七年)二五三頁以下、親告罪については、田口・ 前掲注(5)二四一頁以下、検察制度については、内田一郎「ドイツ検察 制度の成立」早稲田法学三九巻二号(一九六三年)一頁以下、川崎英明 『現代検察官論』(日本評論社、一九九七年)三七頁以下、田和俊輔『ドイ ツ検事制度の比較法的研究─その非当事者性と公益代表性─』(勁草書房、 一九九二年)一九〇頁以下、鯰越・前掲注(10)八九頁以下、ドイツ刑事 手続の歴史全般について、山田道郎「現行刑事手続の再検討」明治大学社 会科学研究所紀要四〇巻一号(二〇〇一年)一七八頁以下なども参考にし た。
(19) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 38.
(20) Vgl. Heinrich Mitteis/ Heinz Lieberich, Deutsche Rechtsgeschichte: Ein Studienbuch, 18. Aufl., 1988, 44 f. (なお、同書については、ミッタイス= リーベリッヒ著(世良晃志郎訳)『ドイツ法制史概説』(創文社、改訂版・ 一九七一年)も参照); Eberhard Schmidt, Einführung in die Geschichte der deutschen Strafrechtspflege, 3. Aufl., 1965, 38 f. Vgl. noch Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 38, Fn. 12.
(21) Vgl. Schmidt, a.a.O. (Anm. 20), S. 38. Vgl. noch Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 38, Fn. 12.
(22) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 38 ff.
(23) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 43. ブレーマーは、こうした手続に ついて、近代の手続概念によれば、当事者追行主義によって支えられた法 紛争であるともいえると評価している(Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 43)。
(24) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 44.
(25) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 44.
(26) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 50 f. こうした告発という手段の登場 は、被害者の観点からすれば、「訴える者なきところには、裁判官もいな い」(Wo kein Kläger - da kein Richter)という原則が放棄されたことを意 味する(Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 51)。
(27) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 59. Vgl. auch Schröter, a.a.O. (Anm. 18), S. 17. なお、田口・前掲注(5)二四二頁も参照。
(28) Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 59; Schröter, a.a.O. (Anm. 18), S. 17.
(29) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 52 ff. この時期までのドイツにおけ る刑事手続に関しては、若曽根健治「告訴手続と糺問手続―継受立法の時 代における―」熊本法学七一号(一九九二年)七三頁以下を参照。
(30) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 64 ff.
(31) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 64 f.
(32) この時期に限定せず、フランスにおける公訴権および私訴権の歴史的発 展については、水谷規男「フランス刑事訴訟法における公訴権と私訴権の 史的展開(一)」一橋法学一二巻一号(一九八七年)一四五頁以下、同 【p.14/p.15】 「フランス刑事訴訟法における公訴権と私訴権の史的展開(二・完)」一橋 法学一二巻三号(一九八七年)六一頁以下を参照。さらに、平野泰樹『近 代フランス刑事法における自由と安全の史的展開』(現代人文社、二〇〇 二年)なども参照。
(33) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 65.
(34) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 65. もっとも、フランスの影響を受 けたとおもわれる検事(局)を求める啓蒙主義運動が、ドイツの手続にお ける被害者の役割に関する議論を促したといえないことはない(Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 65)。
(35) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 68.
(36) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 68 f.
(37) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 69 f.
(38) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 82.
(39) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 82 ff.
(40) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm. 17), S. 83 f.
(41) フランス法における告訴権の歴史的発展については、改めて検討するこ とにしたい。また、ドイツ法についても、概要しか触れることができず、 詳細な検討をすることができなかったので、改めて詳細な検討を行いたい。
(42) 拙稿・前掲注(1)二頁以下を参照。
(43) なお、川崎英明発言「論争・刑事訴訟法(第一二回)―対談・犯罪被害 者の刑事手続上の地位」〔加藤克佳=椎橋隆幸=川崎英明〕法学セミナー 五七三号(二〇〇二年)八八頁を参照。
(44) 川崎発言・前掲注(43)八八頁。
(45) 加藤発言・前掲注(43)八八頁を参照。
(46) 川崎発言・前掲注(43)八八頁。また、浅田和茂は、「被害者に対する 対概念は加害者であるが、刑事手続では、判決が確定するまでは、被疑 者・被告人は存在しても加害者というものは存在しない」。刑事手続にお いては、被害者は「暫定的な被害者」であるとしており(浅田和茂「刑事 司法における被害者の地位について」浅田和茂ほか編『刑事・少年司法の 再生―梶田英雄判事・守屋克彦判事退官記念論文集』(現代人文社、二〇 〇〇年)一四六頁)、同旨のものと思われる。
(47) なお、刑の廃止に関する、最判昭三二・一二・一〇刑集一一・一三・三 一九七を参照。
(48) たとえば、田宮・前掲注(7)三〇三頁。
(49) なお、椎橋隆幸は、「被告人を裁いてゆく場合に、予断を抱いて間違っ た裁判をしてしまうのを避けるために無罪と推定して、適切な証拠調べに よって合理的疑いを超えるまで証明しなければいけない。それが無罪推定 の原則の中身ですから、この原則と被害者とはまったく関係ないと考えて います。」とする(椎橋発言・前掲注(43)八八頁)が、疑問がないでは ない。
(50) 法益論と犯罪被害者については、高橋則夫「法益の担い手としての犯罪 被害者―回復的司法の視座―」『宮澤浩一先生古稀祝賀論文集(第一巻) ―犯罪被害者論の新動向』(成文堂、二〇〇〇年)一五一頁以下(のちに、 同『修復的司法の探求』(成文堂、二〇〇三年)に所収。引用は前者によ った。)を参照。なお、私は法益論の意義を否定するわけではない。法益 論の歴史的発展と今後の展望については、伊東研祐『法益概念史研究』 (成文堂、一九八四年)を参照。
(51) そのことが、ただちに〈訴訟的な意味での〉犯罪被害者という考え方と 矛盾するわけではない。言い換えるならば、害を受けた者を訴訟的に再構 成したものが、告訴権者たる犯罪被害者である。
(52) 最判昭二八・一〇・二刑集七・一〇・一八八三。
(53) 松尾浩也監修『条解刑事訴訟法』(弘文堂、新版増補版・二〇〇一年) 三八一頁。
(54) たとえば、大塚仁『刑法概説(各論)』(有斐閣、第三版・一九九六年) 五三八頁以下を参照。
(55) もっとも、法益概念一般をどのように捉えるか、個別規定の法益をどう 捉えるかによって、本文中で挙げた例がふさわしくない場合も考えられ る。なお、親告罪の個別規定における被害者については、増井清彦『新版 告訴・告発』(立花書房、改訂版・一九九八年)二八頁以下を参照。
(56) 川崎発言・前掲注(43)八七頁。
(57) 大判昭一二・六・五大刑集一六・九〇六。
(58) 松尾監修・前掲注(53)二三〇頁。
【p.15/p.16】
(59) 拙稿・前掲注(3)一三頁以下を参照。
(60) 高田卓爾「告訴の不可分」平場安治ほか編『団藤重光博士古稀祝賀論文 集(第四巻)』(有斐閣、一九八五年)一五四頁以下、とくに一七〇頁以下。
(61) 高田・前掲注(60)一七五頁。
(62) いわゆる「告訴不可分の原則」に関する問題の具体的事例での検討は改 めて行いたい。
(63) 法務省編『第一二五検察統計年報(平成一一年)』(法務省、二〇〇〇年) を参照。
(64) たとえば、久木元伸「捜査の端緒―検察の立場から」三井誠ほか編『新 刑事手続T』(悠々社、二〇〇二年)一三一頁以下、増井・前掲注(55) 二一八頁以下を参照。さらに、増井清彦は、マスコミの扇動的かつ一方的 な報道によるマスコミ主導型の犯罪捜査との評価を受けかねないこと、報 道による被告発人の不利益などを理由に、告発制度については全面的な見 直しが必要であるとする(増井・前掲注(55)はしがきE頁を参照)。
(65) 最判平二・二・二〇判時一三八〇・九四。なお、これ以前に、損害賠償 の可能性を示唆した判例として、東京高判昭六一・一〇・二八(公刊物未 登載。なお、増井・前掲注(55)二二二頁に紹介がある)。
(66) 諸澤英道「被害者関係的刑事司法と犯罪者の処遇」刑政一一三巻二号 (二〇〇二年)三一頁。
(67) なお、高崎秀雄『大コンメンタール刑事訴訟法(第三巻)』〔藤永幸治ほ か編〕(青林書院、一九九六年)六五〇頁を参照。
(68) なお、二四二条が書類及び証拠物の「送付」とし、二四六条が書類及び 証拠物とともに事件を「送致」するとしている点の差異については議論が 分かれるが、実務上は、前者でも事件の送致は認められ、刑事事件として 成立しうるものかどうかの見きわめができる程度にまでは捜査を遂げた上 で、送付がなされる(松尾監修・前掲注(53)四〇九頁以下を参照)。
(69) なお、高崎・前掲注(67)六五〇頁を参照。
(70) もっとも、告知すべき「理由」については、被疑者の名誉等の観点から 限定的に解釈されている。しかし、起訴猶予処分についてはそうした観点 は該当するかもしれないが、その他の嫌疑なしなどの場合には、そうした 配慮は軽減されるのであるから、是正することが可能であるし、その必要 があろう。なお、「理由」の告知については、「被害者等通知制度」でも認 められたが、そこでも裁量によるものとされ、必ずしも十分なものとはい えない(なお、新屋達之「不起訴処分の通知制度について」法学六二巻六 号(東北大学、一九九九年)一〇七頁以下を参照)。
(71) なお、鯰越・前掲注(10)一一二頁を参照。
(72) なお、告発や請求についても同じような解釈をすることができるかは留 保し、改めて検討を行うこととしたい。
(73) もっとも、川崎・前掲注(18)を参照。
(74) もっとも、現実の私人訴追制度は、罪種の限定(ドイツ刑訴法三七四 条)、訴訟費用の担保提供(ドイツ刑訴法三七九条)や、和解の試み(ド イツ刑訴法三八〇条)など、選別機能を有する施策を講じている。
(75) 増井・前掲(55)二三〇頁。実際には、多くの警察署では告訴は刑事課 長が受理し、東京地方検察庁では特捜部に直告受理係を設置して老練な検 察官を配置しているという(同・二三〇頁以下を参照)。
(76) なお、虚偽告訴罪(刑法一七二条)の成立を未然に防ぐことができるの ではないかとも考えられないではないが、それはできない。なぜなら、虚 偽告訴罪の解釈論においては、判例・通説は、同罪が既遂(未遂犯の処罰 規定はない)に達するのは、虚偽の申告が相当捜査官署に到達し、捜査官 などの閲覧しうる状態におかれた時点であり、現実に受理して捜査に着手 することなどまでは必要としておらず(大判大三・一一・三刑録二〇・二 〇〇一、大判大五・一一・三〇刑録二二・一八三七、大判大一四・一・二 一大刑集四・一などを参照)、告訴として受理されるかどうかにかかわら ず、一定の具体的内容をもった虚偽の申告をした時点で既遂に達してしま うからである。
(77) 判例研究会「捜査機関の告訴・告発の不受理について―松山地裁大洲支 部平成一四年三月二〇日判決―」捜査研究六一〇号(二〇〇二年)六七頁。
(78) 判例研究会・前掲注(77)六七頁以下を参照。
(79) 犯罪捜査規範六五条も、素直に解釈すれば、告訴(または告発)の受理 後の規定である。
(80) 判例研究会・前掲注(77)六七頁、増井・前掲注(55)二三一頁以下を参照。
【p.16/p.17】
(81) 増井・前掲注(55)二三三頁。こうした実務家の解釈論に触れると、実 務において、いかに告訴がいかに敬遠されてきた存在であるかが再認識さ れる。
(82) なお、藤本哲也「我が国の刑事司法における被害者の地位」比較法雑誌 二七巻一号(中央大学・日本比較法研究所、一九九三年)五頁を参照。

結びにかえて

 最後に、以上の検討で導かれた結論の骨格部分をまとめておく。
 明治維新後の近代法制においては、フランス法の影響を受けた治罪法 の時点から、現在の告訴権に関する規定に近い規定がなされていた。現 行刑事訴訟法までは、告訴期間制度の導入、検察制度も含めて、ほぼ一 貫してドイツ法の影響を受けてきた。現行刑事訴訟法制定当時は、検察 審査会制度の創設など、アメリカ法の影響があった。
 ドイツにおける告訴権の歴史的発展はフランス法の影響が強く、また 日本の治罪法における告訴権もフランス法の影響が強いことから、フラ ンス法における告訴権の歴史的発展を確認する必要がある。もっとも、 全体的には、@被害者やその氏族による私的司法、A国家的司法による 〈被害者等の起訴機能の剥奪〉と対となった〈告訴権の付与〉、B検察官 の活動の適正コントロールの担保としての告訴権の意義、という流れを 読みとることができる。
 告訴の主体は、〈法益を侵害された者〉ではなく、より生の事実に近 い〈害(harm)〉を受けた者<(正)「〈害(harm)を受けた者〉」:2003-03-06>である。ただし、それは訴訟的概念である。
 告訴の対象は、告訴権者の意思内容によって確定され、特定の〈犯人〉 や〈加害者〉、〈犯罪〉や〈事件〉のどちらでもよい。したがって、原則 は「告訴可分」であり、告訴の主観的不可分の規定(二三八条一項)は 政策規定である。
 告訴事件は、起訴率が低く、また、嫌疑不十分あるいは嫌疑なしの事 案も多く、告訴は、捜査実務家からは、非常に否定的な評価をされてい る。しかし、告訴関係書類・証拠物の検察官への送付(刑訴法二四二 条)、起訴・不起訴などの通知(刑訴法二六〇条)、不起訴理由の告知 (刑訴法二六一条)などの規定、被害者の自らが被害を受けた事件の真 相を知りたいという願いをも考慮して、告訴事件には捜査義務を認め、 被害者に適正な捜査を求める(義務づける)権利を認めるべきである。 この場合、濫告訴の問題がより大きくなるが、その選別こそが現代にお ける検察官の重要な役割の一つである。そして、被害者にとって重要な 意義をもつ告訴権の形骸化を防ぐとともに、適正捜査の担保を発揮させ るためにも、捜査機関には告訴の受理義務を認めるべきである。
 告訴権は、犯罪被害者が刑事司法において「忘れられた人」だった時 代にも存在していた。そう考えると、告訴権は、国家が奪うことのでき ない重要な人権のうちの一つなのかもしれない。つまり、告訴権の中に は、犯罪被害者の人権の中核的部分が隠されているのではないだろう か。本稿では十分な検討ができなかったので、その探究も、今後の課題 としたい。
〔二〇〇二年一〇月三日脱稿〕
(明治大学大学院法学研究科博士後期課程 mutsumi@aurora.dti.ne.jp)

【p.17/p.18】
〔付記〕
 本稿を含めて私がこれまでに発表した論考における誤字・脱字等の訂 正事項は、「黒澤睦のホームページ」〈http://www.aurora.dti.ne.jp/ ~mutsumi/〉に掲載しております。併せてご参照ください。


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