http://www.aurora.dti.ne.jp/~mutsumi/study/ronsyu17.html
2002-09-30公刊,2002-10-06Web掲載,2004-02-20最終修正
黒澤睦「告訴期間制度の批判的検討」法学研究論集第17号(明治大学大学院,2002年9月30日)1-19頁。
Mutsumi KUROSAWA, Kritische Bemerkung über die Antragsfrist, Studies in Law vol. 17, 2002, Meiji University Graduate School, pp. 1-19.

  1. 原文は,B5判/縦書/2段組です。
  2. 赤字のものは,出版後に気づいた訂正事項です(<>内の日付は,訂正を行った日の日付です)。お詫びして訂正いたします。また,誤字・脱字等のご連絡をいただいた方に,この場を借りて感謝申し上げます。
  3. 本論文は,立法政策論を含んだ学術論文であり,実務でこのとおりの運用がなされている訳ではありません。実際に事件の当事者になられた方は,弁護士等の法律実務家にご相談なされることをお勧めいたします。

【p.1】

告訴期間制度の批判的検討

黒澤 睦 

目次
  はじめに
  一 他の制度との比較
  二 告訴期間の撤廃とその影響
  三 「犯人を知つた」の意義
  結びにかえて

はじめに

 前稿までに、親告罪における告訴の意義について、国家による訴追を 制限する許容性と必要性(告訴権者の意思決定を尊重すべき必要性)の 観点(1)と修復的司法論の観点(2)から、やや政策的な分析を行った。本稿で は、親告罪における告訴の各論的問題として、告訴期間制度を取り上げ る。
 親告罪における告訴には、原則として、六ヶ月の期間制限が設けられ ている(刑訴法二三五条一項)。これに対して、非親告罪における告訴 には期間制限が存在せず、また、親告罪であっても、従来から一部のも のについては、六ヶ月の期間制限が適用されなかった(改正前刑訴法二 三五条一項但書)。そして、親告罪であるいわゆる性犯罪については、 刑訴法等改正法(二〇〇〇年五月一二日成立)により、期間制限が撤廃 された(同年六月八日施行)。以下では、このような親告罪における告 訴の期間制限について、親告罪制度の根拠論に遡って検討を加える。

一 他の制度との比較

1 学説の概要と問題提起

 告訴に期間制限を設定する根拠については、一般に、刑事訴追を私人 の意思にかかわらせる状態を無制限に放置することによる弊害の回避と いう説明がなされている(3)。しかし、こうした説明であっても、@「犯人 【p.1/p.2】 の地位の安定」、つまり、告訴権者がいつまでも告訴せず、被疑者の地 位を不安定なままにするのは人権上問題であるという考慮(4)と、A「公訴 権の適正行使」、つまり、刑事司法権の発動を私人の意思にかからせ て、いつまでも不安定な状態におくことは好ましくないという考慮(5)、と いう二つの異なる観点が含まれる場合があるとされる(6)
 まず、「犯人の地位の安定」という根拠については、親告罪に限って 公訴時効を大きく下回る期間の経過をもって告訴権の消滅を認めること 自体に問題があるとともに、告訴期間の始期である「犯人を知つた」か 否かということが犯人の知らない事柄であり犯人の人権とは関係がない のではないか(7)との批判がある。また、公訴時効制度との整合的な説明が できない(8)との指摘もなされおり、犯人の地位の安定という根拠は、公 訴時効制度との関係が(とくに非親告罪との比較で)問題となっている。
 また、「公訴権の適正行使」という根拠については、同じく親告罪と されながら期間制限がないものとの比較、そして、親告罪における告訴 と同様に訴訟条件となりながらも期間制限がない告発・請求という他の 制度との比較によって、分析する必要があると思われる。

2 公訴時効制度との比較

(一)前提問題 ― 公訴時効制度の趣旨

(1)学説の状況
 刑訴法二五〇条以下は公訴時効について定めている。この公訴時効制 度の趣旨に関する学説は、概ね、(A)実体法説、(B)訴訟法説、(C)競 合説、(D)新訴訟法説、(E)訴訟法的迅速裁判説、(F)総合説・統合説、 に分類される(9)
(A)実体法説
 実体法説は、犯罪の社会的影響の微弱化による未確定の刑罰権の消滅 という実体法的観点から説明する。わが国では、現在では純粋な実体法 説はみられないが、実体法説に近い見解として、次のものがある。
 たとえば、団藤重光は、刑の時効(刑法三二条以下)が「確定的刑罰 権の消滅」であるのに対して、公訴の時効は「『未確定の刑罰権の消滅』 という実体法の事由が刑訴法に反映して消極的訴訟条件―しかも実体関 係的なそれ―とされる」とし、「時間の経過によって生じた事実上の状 態の尊重を立法理由とするものであり、また、証拠の散逸―無罪の証拠 も散逸する―という訴訟法的な配慮も加えられるのであるが、とりわけ 犯罪の社会的影響の微弱化ということが公訴時効の中核をなす」とする(10)
 また、高田卓爾は、「一定期間継続した事実状態の尊重―犯罪の惹起 する社会的攪乱が時日の経過によって稀薄となり、これを事あたらしく あばき出すことは犯人に対して酷であるのみならず、かえって社会の利 益にも反する―という点に存在理由がある」とし、「公訴時効は未確定 の刑罰権を消滅させる事由と解するのが妥当である」とする(11)
(B)訴訟法説
 これに対して、訴訟法説は、証拠の散逸によって正確な裁判ができな いという手続法的観点から説明する。
 たとえば、井上正治は、「採証上の困難を無視して(これが公訴時効 の期間が刑の時効のそれより短い理由)、犯人を処罰しようとすること は危い。そのためにもたらさせ〔ママ〕る犯人の不当な利益は、国家の懈怠に比 【p.2/p.3】 すれば(この点に第二五五条一項の存在がある)、まだ少ない。採証上 の拘束を公訴時効の存在理由とすれば、それは決して『根本的に実体法 的な意味をもつもの』」とはいえない。「その存在理由はむしろ訴訟法的 なものであり、ただ、公訴時効の完成が刑罰権(未確定ではあるが)を 消滅させる限りで、実体法的なものに関連するにすぎない。公訴時効の 存在理由が実体法的なものかどうかは、それを実体法的なものと考える ことに、さして強い関係はない」とする(12)
(C)競合説
 そして、競合説は、実体法説と訴訟法説の両者の考え方を取り入れる。
 たとえば、平野龍一は、「可罰性の減少と証拠の散逸とによって訴訟 を追行することが不当となる」とする(13)
(D)新訴訟法説
 新訴訟法説は、公訴時効を犯人の社会的安定確保のための訴追制限と して捉え、政策的な観点から説明する。
 たとえば、坂口裕英は、「国家の刑罰権の実現を犠牲にしても、時間 的に個人が起訴される危険を免れる」点を強調し、起訴を時間的に制限 するのは、国家の権力の行使をより合理的にさせること(事件処理遅延 と起訴濫用の防止)により、個人の利益に奉仕するためである(14)とし、公 訴時効は、無罪の証拠散逸の点だけでなく、長期にわたる訴追の危険の 排除も考慮した「防禦権」を保障する刑事訴訟法上の制度である(15)とする。
 また、田宮裕は、現行法が、被告人の手続の負担を重視して形式裁判 による訴訟の打ち切りを設けている点に着目し、公訴時効は、ある個人 が一定期間訴追されていない事実状態を尊重して国家がもはや初めから 訴追権そのものを発動しないという制度であり、訴追という事実に対す る被告人の利益のための制度であるとする(16)
 さらに、佐々木史朗は、@犯罪者でないことを前提として種々の社会 関係が構成されるという事実状態の尊重とA有罪だけでなく無罪へ向け た証拠の散逸への配慮等が、単独ないし競合的に表面化して、訴追を不 適当・不必要にし、犯罪訴追の利益(必要)よりも大きな個人の利益を 確保するのが、公訴時効の本質であり、機能であるとする(17)
(E)訴訟法的迅速裁判説
 井戸田侃は、公訴時効制度は、訴訟法上の制度であり、被疑者の利益 のための制度であって、一定の期間訴追されていないという事実によっ て被疑者に与えた不利益を考え、公訴を提起するに足る情状がなくなっ た、つまり起訴猶予をすべき事実があった(刑訴法二四八条)とするも のであり、「迅速な裁判」の保障(憲法三七条一項)を具体化したもの であるとする。また、重い刑の犯罪は重い事情を必要とし、軽い刑の罪 は軽い情状で足りるから、刑の軽重による時効期間の差異があるとし、 そして、被疑者の責めに帰すべき事由は被疑者に有利には考慮しないと いう情状評価における公平の原則によって、刑訴法二五五条の時効停止 事由を説明する(18)
(F)総合説・統合説
 さらに、総合説・統合説は、単一の見解では割り切れないとし、公訴 時効の機能等から総合的に説明する(19)。すなわち、犯罪の社会的影響の微 弱化等による可罰性の減少、証拠の散逸による公正な裁判の実現の困難 性、長期間の逃亡生活による処罰されたと同様の犯人の状態の考慮、犯 【p.3/p.4】 人の人格の変化による刑罰の感銘力の低下、国家の怠慢の不利益を一方 的に犯人にのみ押しつけることの不当性、犯人をいつまでも不安定な状 態におくべきでないという法的安定性の要請、国家の負担軽減、犯罪被 害者の心理(応報感情の衰退、宥恕感情の発生)(20)等、多くの要因が総合 的にこの制度の存在理由になっているとする。

(2)学説の検討
 実体法説は次のように批判されている。(ア)社会的な影響の微弱化に 主たる理由を求める点について、@公訴の時効は概ね刑の時効の半分で 完成するが、裁判確定前と裁判確定後とで社会的影響の微弱化に差があ るとするのは問題があり、両者の時効期間が異なる理由が明らかではな い(21)。A犯人が逃げ隠れていてついに逮捕されたような場合には、逆に社 会の公憤をかき立てることも考えられ、時間の経過によって社会的影響 が微弱化するとは必ずしもいえない(22)。B社会的影響の微弱化だけを考え れば犯人が逃げ隠れていようが結果は同じであり、犯人が国外にいる期 間又は逃げかくれている期間は時効の進行を停止すると規定した刑訴法 二五五条一項の説明がつかない(23)。また、(イ)継続する状態を尊重するこ とが社会の秩序を維持するという点については、時効期間内の犯人の生 活は刑を償うに足り、これを国家の怠慢に比較するとき、はじめて時効 制度を説明できるが、これは刑の時効についていえることであって、公 訴の時効にはそのまま妥当しない(24)。さらに、(ウ)実体的な刑罰権が消 滅するという点については、かりに刑罰権が消滅しているのならば無罪 を言い渡すべきであるが、現行法は免訴を言い渡すことになっている(25)
 次に、訴訟法説は、法定刑の重さによって公訴時効の期間に長短があ ることを十分に説明できない(26)、犯人が国外にいる間の時効停止を説明で きない(27)、短期の公訴時効を定める場合は採証上の配慮ということでは説 明しきれない(28)、と批判されている。
 また、競合説は、実体法説と訴訟法説をかけ合わせたものなので、両 説に対する批判がそのまま妥当するとされている(29)(もっとも、平野の見 解は、可罰性の「消滅」ではなく、「減少」としている点で、実体法説 への批判の一部を回避しているといえるだろう(30))。また、わが国の競合 説(この場合には、団藤や高田の見解を含む)は刑罰の消滅と証拠の散 逸の両者を根拠と考えているが、前者を根拠とする以上、つねに実体法 が引き合いに出されることになり、実体法説と区別する意味はなくなる (むしろ前者〈または〉後者とすべきである)(31)との批判もある。
 そして、新訴訟法説は、現に一定期間経過した場合に手続を打ち切っ て犯人を訴追から解放する理論的説明が不十分である(32)とされている。
 さらに、訴訟法的迅速裁判説は、迅速な裁判を受ける権利は広範かつ 総合的な考慮がなされる憲法的保障であり、法定刑によって画一的に認 められる法律上の公訴時効とは同視できない(33)との批判がある。また、法 定刑による公訴時効の長短を犯人(被疑者)の側からのみ考察するので あれば、捜査・公訴手続において、犯罪の重大性如何によって被疑者の 扱われ方が変わってもよいとの理解を助長しかねないとも考えられる。
 このように、実体法説、訴訟法説、競合説、新訴訟法説、訴訟法的迅 速裁判説は、いずれも公訴時効という制度の限られた側面しか捉えてい ない。公訴時効制度の趣旨を十分に捉えるためには、総合説・統合説の ような全般的な考慮が必要であると思われる。したがって、私見として 【p.4/p.5】 はさしあたり総合説・統合説的な説明を採用する。もっとも、公訴時効 制度の最も重要な核心をぼやかしてしまう危険性を否定することはでき ない(34)。また、それぞれの要素についても、例外が多くて説得的でない(35) 等、問題がないとはいえない。しかし、ここでの議論との関係では、公 訴時効の趣旨として〈犯人をいつまでも不安定な状態におくべきでない という法的安定性の要請〉が存在するという点が重要である(36)

(二)具体的検討 ― 公訴時効制度と告訴期間制度の関係

 公訴時効制度の趣旨をこのように解した場合、告訴期間制度との関係 はどのようになるのであろうか。まず、告訴の期間制限に関する、@刑 事司法権の発動を私人の意思にかからせていつまでも不安定な状態にお くことは好ましくないという意味での「公訴権の適正行使」という根拠 は公訴時効制度の趣旨とは重ならず、その限度で大きな問題は生じな い。しかし、A告訴権者がいつまでも告訴せず被疑者の地位を不安定な ままにするのは人権上問題であるという「犯人の地位の安定」という根 拠については、前述のように、親告罪に限って公訴期間を大きく下回る 期間の経過をもって告訴権の消滅を認めること自体に問題があるとの指 摘や、公訴時効制度との整合的な説明ができないとの指摘がなされてい る。これは、公訴時効制度における〈犯人をいつまでも不安定な状態に おくべきでないという法的安定性の要請〉という根拠と重複するのでは ないか、という指摘といえよう。問題なのは、(1)こうした「犯人の地 位の安定」という要素が完全に重複するものであるのか、そして、(2) もしかりに完全には重複しなかった場合に、これが親告罪における告訴 に期間制限を認めるだけの根拠となりうるのか、である。

(1)公訴時効制度と告訴期間制度の根拠の重なり合い
 「犯人の地位の安定」という要素が公訴時効制度と告訴期間制度との 関連で完全に重複するのかという点については、これを否定せざるをえ ない。なぜなら、同じく「犯人の地位の安定」といっても、その予定さ れている内容が異なるからである。すなわち、非親告罪における公訴時 効の場合には、被害者等の意思に関係なく終局的な地位の安定の時期が (罪種による期間の長短はあるものの)一律の期間をもって決定される が、親告罪の場合には、被害者等が告訴をするか否かによって犯人の帰 趨が大きく左右されうることから、犯人に対して非親告罪とは異なる精 神的圧迫を与えることが考えられる。また、告訴権の行使を裁判外での 解決のいわば「道具」として用いることも可能性としては否定できない(37)。 このように、公訴時効制度と告訴期間制度における「犯人の地位の安定」 という要素は、質的に異なり、完全には一致しないのである。

(2)告訴期間制度と「犯人の地位の安定」
 では、公訴時効制度の場合とは異なる、こうした「犯人の地位の安定」 という要素は、告訴期間制度の根拠となりうるのだろうか。
 まず、犯人の地位の安定を重視するのであれば、告訴期間は公訴時効 のように犯罪行為が終わったときから進行すべきであるが、前述のよう に、実際には、告訴権者が「犯人を知つた日」(刑訴法二三五条一項) という犯人が通常は知りえない時点から進行する。また、犯人の地位の 安定を重視するのであれば、告訴期間の徒過は絶対効を有すべきことに なるが、実際には、影響を与えないとされており(刑訴法二三六条)、 【p.5/p.6】 告訴期間制度そのものが犯人の観点ではなく告訴権者の観点を重視して いることがわかる(もっとも、犯人を知った後の道具的濫用への配慮と も考えられるが、この点については後述)。
 また、旧刑事訴訟法(大正一一年制定)で告訴期間制度が導入された 際には、犯人の地位の安定というよりは、むしろ国家側の利益(事件の 早期選別、公訴権の適正行使)が立法理由とされていたと考えられる(38)
 そして、被害者等が告訴権を行使するかどうかの処分権を握ることに よる精神的圧迫の点については、非親告罪における捜査機関の捜査上の 裁量や検察官の訴追裁量に比べても、必ずしも大きいとはいえない。し かも、告訴による捜査・訴追に対する規制(促進的効果)は、告訴その ものの効果であって、親告罪における告訴に限定されるものではない(39)
 さらに、告訴権を裁判外解決のいわば「道具」として用いることの可 能性については、たしかに否定できないが、これは和解プログラム等を 整備し、その中でファシリテーター等による入念な準備と中立的な進行 を期待するのが本筋であるように思われる(40)。また、極限的な場合には、 恐喝罪(刑法二四九条)や強要罪(刑法二二三条)等が成立しうる(41)こと から、これらの規定が告訴権の道具的濫用の可能性を極小化することに 一定の役割を果たしているといえるだろう。
 したがって、前述のような「犯人の地位の安定」という要素は、告訴 の期間を制限する根拠としては、現行法の解釈論としても、立法政策論 としても、十分な根拠をもつものではないように思われる(42)

3 告訴の期間制限がない親告罪および類似の制度との比較

 前述の刑訴法等改正法による法改正以前にも、親告罪であっても告訴 の期間制限がないものが存在しており(改正前刑訴法二三五条一項但 書)、また、訴訟条件となっている告発や請求には期間制限がなかった (刑訴法二三五条)(43)。こうした違いはなぜ生じるのだろうか。
 まず、法改正以前から告訴に期間制限がなかった親告罪としては、@ 名誉に対する罪のうち、告訴をすることができる者が外国の君主又は大 統領でありその国の代表者が代わって告訴をする場合(改正前刑訴法二 三五条一項但書・刑法二三二条二項後段)(44)、A日本国に派遣された外国 の使節に対する名誉毀損罪又は侮辱罪についてその使節が告訴を行う場 合(改正前刑訴法二三五条一項但書)(45)がある。これらについて告訴の期 間制限がない根拠としては、外交関係の重要性の考慮があげられてい る(46)。こうした考慮は、刑訴法二四四条が告訴とその取消を外務大臣に対 して行うことを認めていることからも窺われる。このことから、他に何 らかの理由があれば告訴の期間制限を認めないことも可能であり、親告 罪における告訴の期間制限が絶対的なものではないということがわかる。
 次に、訴訟条件となっている告発や請求には期間制限がない(刑訴法 二三五条を参照)が、これらの根拠については、申立権者が単なる私人 ではなく国の機関であるので、その適正な運営を期待できるからである とされる(47)。このことから、告訴に期間制限が認められている親告罪につ いては、告訴の主体が「私人」であることが問題とされていることがわ かる。これは、具体的には、告訴が遅くなることで捜査を十分に進める ことができず(後述)、証拠の散逸等により訴追・処罰の可能性が低く 【p.6/p.7】 なってしまい、国家の訴追権限に不当な制約を課することになったり、 被害者の期待に沿えない結果となることがあると説明されている(48)。ま た、実情としては、@私人の場合には、恣意的・濫用的な告訴が考えら れる(49)、A親告罪における告訴が訴訟条件であるために、かりに捜査が認 められ犯罪事実の証明が十分可能な程度になっても訴追を断念せざるを えなくなり捜査が訴追・処罰という〈結果〉に結びつかない、B他の事 件の捜査との関係でも早く事件を処理する必要がある(「事件選別」。軽 微性が親告罪規定の中心的根拠とされる罪種についてはこれがとくに当 てはまるだろう)、ということが理由となっていると考えられる(50)。しか し、これらの論拠は、「告訴期間の撤廃と捜査」のところでも触れるよ うに(Aについては前述)、告訴に期間制限を設けるまでの説得力をも っているとはいえない。したがって、現行法の解釈としてはこのように 解することがかりに可能であったとしても、立法論としては疑問が残る。

二 告訴期間の撤廃とその影響

1 告訴期間の撤廃 ― 近時の立法も踏まえて

 いわゆる性犯罪における告訴期間の撤廃を認めた刑訴法等改正法の審 議の過程で、告訴期間制度の根拠および趣旨に迫る議論がなされた。さ らに、いわゆる性犯罪という一定の枠組みをもった個別の親告罪との関 係で告訴期間が問題とされており、注目する必要がある。
 そもそも、いわゆる性犯罪における告訴期間が見直されるべきである との動きが大きくなったのは、刑事司法との関係での被害者に対する理 解が高まったことによるといえよう。とくに、「性犯罪被害者の場合に は、トラウマ・PTSD(心的外傷後ストレス障害)に襲われることも 多く、このような不安定な精神状態の中で告訴をするかどうかを決断す ることは酷な選択を迫る場合が多くある」(51)のである。
 ところで、いわゆる性犯罪における告訴期間については、それを見直 すこと自体には当初から一致をみていたものの、@告訴期間の延長か、 A告訴期間の撤廃か、という点で議論があった(52)。ここでは、その論拠を 確認し、それをもとに告訴期間制度の根拠・趣旨を検討したいと思う。

(一)期間延長(存置)論の論拠

 告訴期間を(撤廃せずに)延長すべきとする論拠としては、次のよう なものがある。告訴期間を撤廃してしまった場合には、@事件後長期間 が経過してからなされる告訴は証拠の散逸などから捜査に困難をきたす、 Aその結果不起訴になれば被害者がさらにショックを受ける可能性があ る、Bさらにそれによって、警察は何もしてくれないという不信を増大 させるおそれがある、C民事崩れ(民事訴訟での勝算がない場合に、刑 事事件に移行させる、あるいはそれによって自己の地位を有利にする) の告訴が増加するおそれがある。また、D性犯罪について犯罪行為の日 から一ヶ月を超えて告訴された事例の調査によれば、告訴を思い悩んだ り、犯人が恐かったり、事件を思い出したくないため告訴できなかった 者でも、ほとんどが事件後九ヶ月以内に告訴をしている、等である(53)

(二)期間撤廃論の論拠

 告訴期間を撤廃すべきとする論拠としては、次のようなものがある。 【p.7/p.8】 @告訴期間を撤廃しないのであれば、公訴時効期間の範囲でどこかに線 引きをしなければならないが、最近のレイプトラウマ症候群・PTSD 等の研究によれば、被害者が性犯罪から受ける精神的被害はかなり深刻 であり、また、個人差もあり、その合理的な線引き規準は見出せない、 A通報率の低さ、支援態勢の不備など性犯罪被害者が置かれている現状 を考えれば、できるだけ門戸を開いておくべきである、B証拠の散逸 は、親告罪に限らず非親告罪についてもあてはまることである、C被害 者は、かりに不起訴となっても、誠実な捜査の結果であれば、告訴期間 の徒過という理由で門前払いされるよりも納得できる可能性がある、D 少数ではあっても現実に二年以上経っても精神的苦痛から告訴できなか った被害者がいる場合に、その被害者が告訴をしてきた場合に門前払い にするのは不親切である、等である(54)

(三)期間延長・撤廃論から考察する告訴期間制度の根拠

 延長論の根拠@からCまでは、いずれも親告罪における告訴に限定さ れるものではない。延長論@については、証拠の散逸は親告罪に限らず 非親告罪についてもあてはまる〔撤廃論B〕(後述)。延長論A・Bにつ いては、かりに不起訴となっても誠実な捜査の結果であれば告訴期間の 徒過という理由で門前払いされるよりも納得しうる〔撤廃論C〕(後述)。 延長論Cについては、たとえ民事崩れという形であっても事件・紛争の 解決手段を被害者等には残しておくべきである。また、前述の告訴権の 道具的濫用への対策も妥当する。延長論Dについては、少数ではあって も現実に二年以上経っても精神的苦痛から告訴できなかった被害者がい る場合に門前払いにするのは妥当ではない〔撤廃論D〕。また、そもそ もこの調査の方法に問題があり延長論の論拠としてはその結果を利用す べきでない(55)。他方で、撤廃論の論拠@・Aは、正鵠を得たものである。
 問題は、こうした議論が親告罪とされているいわゆる性犯罪の告訴の みにあてはまるものかということである。すなわち、撤廃論の論拠@・ A・Dはいわゆる性犯罪に焦点を合わせたものといえるが、その他の論 拠B・Cは期間延長(存置)論一般への批判・反論でもあることから、告訴 期間制度を全面的に廃止すべきであったとも考えられるのである。
 この点、今回の法改正そのものは、椎橋隆幸が指摘するように、「親 告罪自体(一定の犯罪を親告罪としておくことの可否)に遡って深く検 討を加えた訳ではなく、むしろ、そもそも合理的な根拠に基づいて定め られたか疑わしい六ヶ月という告訴期間につき、苦境にある性犯罪被害 者がその苦境のゆえ告訴するか否かを決断できないまま告訴期間が経過 し、そのために永久に訴追の機会が失われるという不合理を解消するた めに告訴期間を撤廃したものと解するのが妥当であり、被害者の保護、 被害者意思の尊重あるいは被害者のプライヴァシー(告訴するか否かの 選択の自由を含めた)の保障のために実現されたと説明することが立法 の経緯(56)からも素直であろう」(57)。しかし、被害者に関する理論的展開や親 告罪の根拠論を考慮するならば、いわゆる性犯罪における告訴期間に限 らず、告訴期間制度そのものの必要性が検討されなければならない(58)
 こうした告訴期間制度そのものについて、田口守一は、国家訴追主義 の観点から分析し、告訴期間の撤廃は国家訴追主義を抑制する親告罪の 原点への回帰を意味するから、それは(国家訴追主義を強化する側面の 【p.8/p.9】 ほかに)国家訴追主義を抑制する(あるいは国家訴追主義の譲歩の)側 面もあるとしている(59)。これは、親告罪制度の核心から考察するものであ り、傾聴すべきものである。しかし、告訴期間の撤廃によって国家によ る訴追の可能性は広がるともいえる(60)とともに、また逆に、国家による 〈現実的な〉訴追可能性が広がっても、親告罪における告訴は被害者等 の告訴権者の意思決定によるという点は変わらず、訴追〈原理〉として の国家訴追主義を強化するものであるとはいえない(61)ことから、必ずしも 妥当であるとはいえない。
 ところで、前述の期間延長論の論拠は、告訴期間「存置」の論拠とも いえるが、それは撤廃論からの批判・反論のとおり、存置(延長)の根 拠としては十分ではない。また、前述の撤廃論の論拠だけでなく、前稿 までに述べた親告罪の存在意義や、告訴(とくに親告罪における告訴) が事件・紛争に対する自己の意思決定の表明であるというように被害者 等の告訴権者の権利として重大な意義を有している(62)ことを考慮するなら ば、告訴をするか否かの十分な考慮(およびそれと一体となった裁判外 の紛争解決)のために十分な期間を与える必要があり、いわゆる性犯罪 の告訴に限定せず、すべての親告罪の告訴期間を撤廃すべきである。も っとも、刑訴法等改正法は、いわゆる性犯罪に限定してその告訴期間を 撤廃しただけだが、被害者等の告訴権者の意思を尊重する方向性を打ち 出したという意味で立法的な突破口となったことは評価できる。また、 いわゆる性犯罪被害者の苦痛・心情を考慮したものであることは、当該 親告罪の根拠からしても、評価しなければならない(63)
 なお、ドイツでは親告罪には原則として三ヶ月の告訴期間がある(刑 法七七条b)が、これについてスザンネ・ブレーマーは次のように述べ る。三ヶ月という告訴期間については、長すぎるとの評価の方が多く、 短すぎるとの評価は少ない。特に実務家は長すぎると評価しているが、 それは、告訴権者が告訴期間の終わり頃になってはじめて告訴を申立て ることを決心した場合には、事案の解明に関して重大な問題を生じさせ てしまうからである。もっとも、性犯罪を受けた未成年者の親が告訴を するかどうかを決める場合等には、期間が短いともいえるが、そのよう な事案はまれであるし、また短い告訴期間でより精密に吟味する方が妥 当である。他方で、告訴を申立てるかどうかの考慮に長い時間を必要と する者は、刑事訴追をもはやまったく望まない場合が多い。そして、よ り精密な事案の解明が保障され、訴訟において最終的に利益になること から、告訴期間は、四週間から六週間でも十分であろう、と提案してい る(64)。しかし、こうしたブレーマーの見解は、ドイツにおいては現在は強 姦罪が親告罪とされていない(65)ことを考慮したとしても、親告罪における 告訴の意義を軽視するものであり、妥当とはいえないだろう。

2 告訴期間の撤廃と捜査

 期間撤廃論における、B証拠の散逸は親告罪に限らず非親告罪につい てもあてはまる、Cかりに不起訴となっても誠実な捜査の結果であれば 告訴期間の徒過という理由で門前払いされるよりも納得しうる、との論 拠には若干の問題がある。すなわち、そこで予定されている「捜査」が、 親告罪について告訴が欠ける場合に、制約を受けることなく行うことが できるのか、という問題である。もし、捜査が何らかの制約を受けると 【p.9/p.10】 するならば、それを補充・代替するような解決手段がない限り、期間撤 廃論はその基盤を大きく揺るがされるとも考えられるのである(66)

(一)前提問題 ― 親告罪について告訴が欠ける場合の捜査

 親告罪における告訴は、文言上は、公訴を提起するための条件であり (刑法一八〇条一項等)、捜査の条件とはなっていない。しかし、捜査は 公訴の提起・遂行のための準備活動という性質を有するとことから、訴 訟条件が間接的ではあれ、捜査に影響を及ぼしうるとされる(67)。たとえ ば、すべての告訴権者について告訴期間を徒過した場合のように、確定 的に訴訟条件を欠いていて公訴提起が不可能である場合には、(強制) 捜査をすることはできないとされる(68)。他方で、親告罪について告訴がま だなされていない場合のように、起訴されるまでに訴訟条件が備わる可 能性がある場合には、捜査が許されるかどうかが問題になる。
 この点について、@告訴がなければ公訴権は発生しないとの理由で告 訴前の捜査一般を否定する見解は、現在では存在していない(69)。また、A 告訴等は訴訟条件にすぎないことおよび捜査機関は犯罪があると思料す るときは捜査することができることを根拠に強制捜査を含めて全面的に 許容する見解も存在しない(70)。現在の学説のほとんどは、B親告罪の制度 を考慮してある一定の範囲で捜査が認められるとしているが、それぞれ に親告罪の制度趣旨の理解の違いや捜査が被害者に及ぼす影響の理解の 違いがあり、その内容は千差万別である。ここでは代表的なものを取り 上げ、それを参考にして、前述の問題を検討していく。

(1)訴訟条件論からのアプローチ
 井上正治は、公訴提起の時に訴訟条件を欠く場合に裁判所が直ちに公 訴棄却することを、被告人を不当に法廷の審理にさらさせないという人 権意識から生まれた結論であるとした上で、「同じように、人権保障の 見地から、捜査の段階においても、親告罪につき告訴のない限り、強制 捜査はこれをさしひかえるべきではなかろうか。事前に証拠を蒐集する 必要があることは認められる。しかしその必要があれば、任意捜査によ るべきである」とする(71)。この見解は、「被告人の人権保障」の見地とい う訴訟条件論的なアプローチをしている点に特徴がある。
 たしかに、親告罪における告訴は訴訟条件であることから、被告人の 人権保障の観点というその妨訴抗弁権的な性格を否定することはできな い。しかし、こうしたアプローチは、訴訟条件一般にあてはまるもので あり、親告罪における告訴に認められる固有の要請を看過している。し たがって、このアプローチ〈のみ〉を採用することは、親告罪の制度趣 旨を没却するおそれがあり、妥当ではない。

(2)親告罪の趣旨からのアプローチ
 現在の多数説は、親告罪の趣旨からアプローチしている(72)と思われる。 その中でも、具体的に検討されているものとしては、次のようなものが ある。たとえば、高田卓爾は、犯罪捜査規範七〇条を参照しつつ、「強 姦罪・強制猥せつ罪などの場合には被害者の名誉保護という観点から一 層の配慮が必要である」とし、「特に、強制捜査についてはその必要性 のみならず、緊急性や告訴の可能性の大小(犯捜規一二一参照)なども 併せて考慮されるべきである」とする(73)。また、田宮裕は、「強姦罪の場 合は、できるだけすみやかに被害者の告訴の意思をたしかめるべきであ る。確答がえられなかったときは、直ちに捜査を行うべき緊急の必要性 【p.10/p.11】 (事後の捜査はいちじるしく困難をきたすなど)があり、被害者の名誉 を侵害するおそれがない場合にかぎって許される(犯捜七〇条はこの趣 旨に読むべきである)。逮捕等の強制処分は手続をある程度パブリック にするので、すくなくとも告訴が近い将来期待できそうな場合にのみ許 されると考えるべきである(犯捜一二一条が逮捕状請求にさいして確認 を求めているのは、単に告訴権者の内意をきくという手続を履践するた めではなく、そのような予測を確認するためであると解すべきであろ う)」とする(74)。このように、性犯罪は、その親告罪とされる中心的根拠・ 趣旨である被害者の害悪(二次的被害、名誉侵害等)の回避の要請が、 捜査にも及ぶと解するのが妥当であろう。すなわち、かりに公訴・公判 段階のみにこのような要請が働くとしても、捜査には及ばないとすれ ば、親告罪とされた趣旨が没却されかねないほどの害悪が生じるおそれ があるのである。これは、近時注目されている、捜査機関による二次的 被害、捜査により事件が公にされることによる被害者に対する名誉侵害 の度合いを考慮するならば、明らかだろう。そして、具体的に許されな い(許される)捜査については、強制処分と任意処分による区別のよう に「〈何が〉いけないか」という観点だけでなく、当該親告罪の重点が 害悪の回避にある以上、「〈どういう場合に〉許されないか」というアプ ローチがより重要である(75)。さらに、強制処分か任意処分かは、被処分者 との関係で決定されるが、被処分者が被害者以外の第三者である場合に は、たとえ任意捜査であっても、犯罪事実がその第三者あるいはその他 の者に知れわたる可能性があり、その点も考慮しなくてはならない。
 ところで、田宮は、器物損壊罪や信書隠匿罪のように一般に犯罪が軽 微であるために親告罪とされているものについて、「強姦罪の場合とは ちがって被害者の名誉等はとくに問題ではないので、告訴権者の意思を 確認する必要があるという程度で、若干ゆるやかに許されてよい」と し、「告訴が期待できないときは、捜査はむだなばかりか被疑者の人権 保障のためにも問題である(強姦罪にもこの観点が存在することはいう までもない)」(76)とする。一方、光藤景皎は、同種の犯罪について、「軽微 性のゆえに国家が最初から乗り出さず、刑事手続の発動も被害者の意思 に委ねたもので」あるから、「告訴が期待できないような場合は捜査は 許されない」(77)とする。この二つの見解は、告訴が期待できないような場 合に捜査が許されないとする結論は同じであるが、その論拠が異なる。 すなわち、光藤が当該親告罪の趣旨から直接に説明しているのに対し、 田宮は主に妨訴抗弁権的な訴訟条件論の観点によって説明しており、軽 微性が認められる犯罪を親告罪とした積極的な趣旨を十分に考慮してい ないように思われる。これらの犯罪の軽微性は、親告罪とされている根 拠ではあるが、積極的な意味での趣旨である国家による訴追を制限し被 害者等の意思を尊重する「必要性」とはいえない。この場合には、その ような犯罪の軽微性よりも、裁判外での損害賠償、和解、もしくは赦し がなされることへの期待や、それによって導かれる不訴追・不処罰の要 求という意味での消極的処罰要求の尊重等を当該親告罪の趣旨と捉え(78)、 それらを不可能にする捜査活動等は許されないとするのが妥当である(79)。 なお、財産犯における親族間の特例については、主に、家庭の平穏の保 護(より積極的には、家庭の自治)という観点(80)、および裁判外での損害 賠償、和解、もしくは赦しがなされることへの期待等が親告罪とされた 【p.11/p.12】 趣旨であるといえる(81)から、それらを妨げる捜査活動等は許されない。そ して、その他の親告罪についても、各親告罪の趣旨(82)を考慮することで、 許されない(許される)捜査活動等が導かれることになる。
 いずれにしても、一貫していえることは、法制度として存在している 親告罪の個別の趣旨(親告罪制度の核心である「犯人への対応に関する 告訴権者の意思決定の尊重(83)」という観点も含まれる)を没却してしまう ようなものは、強制捜査であれ、任意捜査であれ、あるいは防犯・警備 等のための情報収集活動であれ、許されないということである。逆から 見れば、親告罪とされた趣旨を没却しなければ、一般の訴訟条件と同じ ような制限内で、捜査活動等が可能ともいえる(この場合にも、被害者 等に配慮すべきなのはいうまでもない)。また、立法論は別として、現 行法の解釈としては、短い告訴期間の制度が、ほぼ国家の(事件選別)の 利益<(正)「(事件選別という)利益」:2002-10-06>のためのものといえることから、告訴期間中は捜査活動等を原則と して許容していないと見るのが自然である(つまり、そのように解しな いと短い告訴期間を正当化するのは難しい)。したがって、被害者の名 誉等ではなく捜査の必要性を第一の規準としている犯罪捜査規範七〇条 は、主客転倒の規定であるといわざるをえない。

(二)具体的検討 ― 期間撤廃論と捜査

 以上のように、親告罪の趣旨を没却してしまうような捜査活動等が許 されないとすると、親告罪について告訴を欠く場合の捜査はかなり制約 されたものとなる。その場合、告訴期間撤廃論における、B証拠の散逸 は、親告罪に限らず非親告罪についてもあてはまる、Cかりに不起訴と なっても、誠実な捜査の結果であれば、告訴期間の徒過という理由で門 前払いされるよりも納得しうるとの論拠は、大きく揺るがされるおそれ がある。そこで、ここでは、それらの論拠に関して、制約された捜査の 分を補充ないし代替できる方法がないかを検討する。
 まず、B証拠の散逸の点については、親告罪の趣旨に反しない形での 証拠収集活動を期待するよりほかない。これは、実際には多くの困難を 伴い、証拠が散逸してしまうことは否めないであろう。しかし、この場 合に考えなければならないのは、親告罪の趣旨を没却してまで証拠を収 集すべきであるといえるかである。とくに、性犯罪のように捜査によっ て被害者の受ける害悪が非常に大きいものについては、そのような証拠 収集は認めるべきではないであろう。また、裁判外での損害賠償、和 解、もしくは赦しがなされることへの期待が趣旨とされる場合等であっ ても、そのような趣旨を親告罪の制度趣旨として認める以上、証拠収集 が制限され、証拠が散逸してしまっても致し方ないように思われる(84)
 もっとも、証拠の散逸は、告訴期間を撤廃することによる弊害ではな く、親告罪そのものの短所であるといえるだろう。たとえば、親告罪と されている犯罪が行われ、(A)犯人を知ったときから六ヶ月以内に告訴 がなされたときに、告訴期間制度が(a)ある場合と(b)ない場合とでは、 証拠の散逸の度合いは異ならない。また、(B)公訴時効いっぱいになっ て告訴がなされたときに、告訴期間制度が(a)ある場合と(b)ない場合 とでは、証拠の散逸の度合いは等しいか、むしろ告訴の期間制限がない 方がより多くの証拠を収集できていると考えられる(後者は告訴期間を 徒過しているので捜査としての証拠収集はもはや意味がないとされる)。
【p.12/p.13】
 では、なぜ、告訴期間を撤廃した場合に証拠の散逸が問題とされるの か。それは、告訴の期間制限がない状況下で公訴時効期間いっぱいにな って告訴がなされた事案(B・b)と、告訴の期間制限内に告訴がなさ れたが何らかの理由で公訴時効いっぱいになった事案とを同列に扱って しまっているからである。これは、観察の時点は等しいが、告訴の行わ れる時点が異なっており、比較対照の前提を欠いてしまっている(同一 の事件で時期が早ければ証拠の散逸の度合いが低いのは当然である)。 もしかりに、こうした異なる告訴時期を前提に考察することを認めるな らば、それは、公訴時効制度の趣旨と重複するばかりでなく、告訴権者 に早期の選択を迫るもので、必ずしも告訴権者(被害者等)の利益では なく、「事件選別」という国家の利益のみを考慮した片面的ものとなり、 告訴期間延長論のいう被害者等の観点〔延長論A〕は、あくまで付言的 なものということになるだろう。したがって、証拠の散逸の問題は、告 訴期間撤廃論の論拠を揺るがすのに十分なものということはできない。
 以上のような結論からすると、C親告罪制度により制約された捜査 が、〈かりに不起訴となっても、誠実な捜査の結果であれば、告訴期間 の徒過という理由で門前払いされるよりも納得しうる〉との論拠にいう ところの「誠実な捜査」になりうるのか、という点が非常に重要になっ てくる。この点については、誠実な捜査になりうると考えられる。なぜ なら、親告罪の趣旨に反しない範囲内での証拠収集活動のほかに、(厳 密な意味での「捜査」といえるかどうかという問題は残るものの)被害 者等に対する接し方の工夫、捜査の経緯の詳細な説明等により、被害者 等の納得のいくものに近づきうるからである。また、この論拠が門前払 いとの比較によって、誠実な捜査の後の不起訴を述べていることからす れば、証拠収集の点よりもむしろ右に挙げたような「対応のあり方」を 問題としているとも考えられるのである。したがって、告訴期間撤廃論 のいうCの論拠は、十分に合理性をもつものといえるのである。

三 「犯人を知つた」の意義

 「犯人を知つた」(刑訴法二三五条一項本文)という文言は、前述のよ うに、公訴時効制度との比較の観点で解釈論上重要な役割を果たしてい るが、それ自体の意義も争われている。それは、被害者に特別な事情が あって告訴できなかった事案を、司法的に救済しようという意図があ る(85)とともに、「犯人を知つた」という認識的・主観的かつ多義的な用語 が用いられており、比較的柔軟な解釈が可能であるからである。
 ところで、「犯人を知つた」の意義としては、二つの考え方が成り立 つとされる。すなわち、@被害者が犯人の容貌、年齢、身長、体格、服 装等により犯人を他の者と識別でき、その後の面割り等の際に犯人と被 告人とが同一であるとの認識を持つことのできる場合とする「識別可能 説・非厳格説」と、A犯人を他の者と識別できるだけでは足らず、さら に、犯人がどこの誰か、すなわち犯人と自己(および家族)との人間関 係を知った場合とする「人間関係確認説・厳格説」である。そして、前 者は犯人の地位の安定を重視するものであり、後者は被害者の保護に重 点を置くものであるとされる(86)
 この点、最高裁は、強制猥褻未遂の被害者の一人が被害にあう前に既 に犯人を知っていたが、被害にあった際には認識が不確実で犯人を他人 【p.13/p.14】 から区別して特定しうる程度に達していなかったという事情の下、約一 年半後に被告人が逮捕されてから告訴したという事案において、「刑訴 二三五条一項にいわゆる『犯人を知つた』とは、犯人が誰であるかを知 ることをいい、告訴権者において、犯人の住所氏名などの詳細を知る必 要はないけれども、少なくとも犯人の何人たるかを特定し得る程度に認 識することを要する」と判示し、被告人側の上告を棄却した(87)。この決定 で是認された原審の判決は、「親告罪の告訴は犯罪事実を申告して犯人 の処罰を求める意思表示であり、犯人を指定することを要しないとはい え、犯人が何人であるかということは、被害者が告訴をするかどうかを 決めるについて重要な意味をもち、犯人との関係その他の諸般の事情を 考慮したうえで決定されるのであるから、そのような考慮をなし得る程 度に犯人を認識したときはじめて『犯人を知つた』といえる」とし、本 件の告訴を有効としている(88)
 また、近時、東京高裁は、次のように判示して、強姦ないし準強姦の 被害にあってから@約一年一ヶ月後の告訴、A七ヶ月後の告訴を有効と した。すなわち、「刑訴法が親告罪の告訴期間の始期を『犯人を知った』 日からと定めた趣旨は、告訴をするかどうかを決めるに当たっては、犯 罪事実の内容と並んで、犯人が誰であるかが実際上重要な判断要素とな ることを無視できないためと考えられる」。(中略)「親告罪の犯行に脅 迫行為が用いられ、そこに犯人と告訴権者やその身辺の者との特殊な関 係を暗示させる内容が含まれているような場合には、告訴をするかどう かを決めるに当たって、単に犯人が誰であるか特定し得る程度に認識す るだけでは十分でなく、それ以上に、犯人は告訴権者やその身辺の者と つながりがあるかどうか、告訴が告訴権者やその身辺の者との社会生活 に危害その他の影響を及ぼすことがないかどうか等の点についても、概 括的な判断をすることができる程度の知識が必要であると考えられる」(89)
 これらの判例は、人間関係確認説に立つものということができるだろ う(90)。また、判例の全体的な流れとしても、人間関係確認説へと動いてい るとされる(91)。こうした解釈論の動向は、告訴期間制度の是非は別とし て、被害者等の立場を考慮するものであり、妥当なものといえる。さら に、告訴権の行使に際してのこのような人間関係的な考慮を重視する解 釈論からすれば、裁判外での事件・紛争解決への期待を親告罪における 告訴の根拠・趣旨として認めることができるだろう。ただし、ここでの 事件・紛争解決には、裁判外での損害賠償、和解、もしくは赦し(いわ ば修復的司法的な考慮)だけではなく、被害事実を刑事司法機関や他人 に報告・公表しないという解決方法も含まれる。すなわち、訴追によっ て被害者の受ける害悪の回避の要請を中心的な根拠とする親告罪におい ては、他の場合に比べ、裁判外での損害賠償、和解、もしくは赦しを期 待することは困難であるとともに、害悪の回避という親告罪の根拠自体 にもそのような処理方法が想定されているのである。


(1) 黒澤睦「親告罪における告訴の意義」法学研究論集一五号(明治大学大 学院、二〇〇一年)一頁以下を参照。
(2) 黒澤睦「修復的司法としての親告罪?」法学研究論集一六号(明治大学 大学院、二〇〇二年)一頁以下を参照。
(3) 増井清彦『新版告訴・告発』(改訂版・一九九八年)六四頁、三上庄一 【p.14/p.15】 「告訴期間の起算日」平野龍一=松尾浩也編『実例法学全集刑事訴訟法』 (新版・一九七七年)八八頁等を参照。なお、ドイツでは、親告罪の告訴 には原則として三ヶ月の期間制限がある(刑法七七条b)が、この趣旨に ついては、法的安定性を考慮するもの(Susanne Brähmer, Wesen und Funktion des Strafantrags, 1994, S. 122)、法的安定性と法的平和を考慮す るもの(Maria-Katharina Meyer, Zur Rechsnatur und Funktion des Strafantrags, 1984, S. 55)、法的安定性と公の秩序を考慮するもの (Welter Stree/ Detlev Sternberg-Lieben, Strafgesetzbuch Kommentar, 26. Aufl., 2001, S. 1013)等がある。
(4) 佐藤道夫『新版注釈刑事訴訟法・第三巻』〔伊藤栄樹ほか〕(一九九六年) 二八六頁、高崎秀雄『大コンメンタール刑事訴訟法・第三巻』〔藤永幸治 ほか編〕(一九九六年)六八一頁を参照。
(5) 佐藤・前掲注(4)二八六頁、松尾浩也監修『条解刑事訴訟法』(新版 増補版・二〇〇一年)三八九頁等を参照。
(6) 寺崎嘉博「刑訴法二三五条一項にいう『犯人を知った』の意義」『平成 一〇年度重要判例解説』(一九九九年)一八五頁を参照。
(7) 高崎・前掲注(4)六八二頁以下、寺崎・前掲注(6)一八五頁を参照。
(8) 寺崎・前掲注(6)一八五頁。
(9) 学説の整理については、浅田和茂「公訴時効制度の存在理由」松尾浩也 編『刑事訴訟法の争点』(一九七九年)一一二頁以下、臼井滋夫『新版注 釈刑事訴訟法・第三巻』〔伊藤栄樹ほか〕(一九九六年)三八四頁以下、小 田中聰樹『ゼミナール刑事訴訟法(下)―演習編』(一九八八年)一三一頁 以下、鈴木茂嗣『刑事訴訟法の基本問題』(一九八八年)一一八頁、光藤 景皎『口述刑事訴訟法・上』(第二版・二〇〇〇年)三四九頁以下を参照。 また、法制度の沿革、比較法的分析、本質に関する学説の歴史的変遷・分 析については、佐々木史朗『刑事訴訟と訴訟指揮』(一九七六年)一二五 頁以下、松尾浩也「公訴の時効」日本刑法学会編『刑事訴訟法講座・第一 巻』(一九六三年)一九八頁以下を参照。
(10) 団藤重光『新刑事訴訟法綱要』(七訂版・一九六七年)三七六頁。なお、 団藤の見解は、ドイツにおける純粋な実体法説との関係では、競合説に位 置付けられる場合もある(浅田・前掲注(9)一一二頁、平野龍一『刑事 訴訟法』(一九五八年)一五五頁注(一))。
(11) 高田卓爾『刑事訴訟法』(二訂版・一九八四年)三七六頁以下。この見 解は、性質論としては混合説に立つが、根拠論としては実体法説と同じで ある(光藤・前掲注(9)三四九頁)との指摘がある。
(12) 井上正治『判例学説刑事訴訟法』(第五版・一九六三年)一四〇頁。
(13) 平野・前掲注(10)一五三頁。
(14) 坂口裕英「公訴時効について―混合説の批判―」法政研究二六巻四号 (一九六〇年)七三頁以下、同・七九頁。
(15) 坂口裕英「公訴の時効」鴨良弼編『法学演習講座刑事訴訟法』(一九七 一年)二五九頁。
(16) 田宮裕『日本の刑事訴追』(一九九八年)二〇〇頁。なお、坂口が被告 人の利益を演繹的に導き出したのに対し、田宮は時効制度本質から説明し ている点に両者の違いがある(同・二〇一頁注(9)を参照)。また、田 宮の見解は、立法の「根拠」の複合を否定するわけではなく、根拠(また は理由)と本質(または機能)を分けて考え、後者を重視するものである という(同・二一六頁を参照)。
(17) 佐々木・前掲注(9)一三三頁。
(18) 井戸田侃「公訴時効理論の再構成―その機能と位置づけについて―」平 場安治ほか編『団藤重光博士古稀祝賀論文集・第四巻』(一九八五年)一 八四頁以下。
(19) 浅田・前掲注(9)一一三頁、臼井・前掲注(9)三八六頁、松尾・前 掲注(9)二一七頁以下等。なお、高窪貞人は、〈対立し矛盾する二つの 立場を考えるに当たって、その一方を肯定し他方を否定するのではなく、 その両方の主張を採り入れることによって、一つの新しい考え方を作り上 げてゆこうとする考察態度〉という「統合主義」により、〈法的安定性の 考慮と処罰の要請との調和〉という観点から説明する(同「刑事訴訟法学 における統合主義再論」青山法学論集三六巻二・三合併号(一九九五年) 三一一頁以下、同・三二七頁)。なお、鈴木は、総合説に近い見解をとる が、実体法説的な見方を強調する(同・前掲注(9)一一八頁以下)。さ らに、公訴時効の本質論はあまり意味がないとして、〈機能〉の面から考 察するものを新訴訟法説と呼ぶ場合もある(荒木伸怡『迅速な裁判を受け 【p.15/p.16】 る権利』(一九九三年)三三七頁以下を参照)。
(20) 犯罪被害者の観点について、上田信太郎「訴訟条件」庭山英雄=岡部泰 昌編『現代青林講義刑事訴訟法』(第二版・二〇〇二年)一三一頁。
(21) 井上・前掲注(12)一三九頁。
(22) 井上・前掲注(12)一三九頁。なお、坂口・前掲注(14)七四頁も参照。
(23) 井上・前掲注(12)一三九頁、坂口・前掲注(14)二五八頁等。
(24) 井上・前掲注(12)一四〇頁。
(25) 石川才顯『刑事手続と人権』(一九八六年)一八〇頁、田宮・前掲注 (16)一九九頁、平野・前掲注(10)一五三頁等。もっとも、手続から被 告人を早期解放することに免訴判決の意義があるともいえる(鈴木・前掲 注(9)一二二頁を参照)。
(26) 石川・前掲注(25)一八〇頁、平野・前掲注(10)一五三頁。なお、坂 口・前掲注(14)七九頁も参照。
(27) 浅田・前掲注(9)一一二頁を参照。
(28) 井戸田・前掲注(18)一八二頁、佐々木・前掲注(9)一二六頁を参照。
(29) 石川・前掲注(25)一八〇頁、福井厚「刑事訴訟法学入門」(第三版・ 二〇〇二年)二三二頁等。
(30) 鈴木・前掲注(9)一一八頁、光藤・前掲注(9)三四九頁等を参照。
(31) 田宮・前掲注(16)二一七頁注(3)。
(32) 井戸田・前掲注(18)一八三頁、光藤・前掲注(9)三五〇頁。
(33) 荒木・前掲注(19)三三九頁以下を参照。
(34) 小田中・前掲注(9)一三四頁以下を参照。
(35) 井戸田・前掲注(18)一八一頁を参照。
(36) 公訴時効制度の根拠・本質の検討は、別の機会に改めて行いたい。
(37) このような道具という捉え方は、ドイツにおいても指摘されている (Peter Rieß, Die Rehtsstellung des Verletzten im Strafverfahren, in: Verhandlungen des 55. Deutschen Juristentages in Hamburg 1984, Gutachaten C, S. 19. なお、黒澤・前掲注(2)一一頁以下も参照)。さら に、親告罪における告訴そのものではないが、被害者加害者和解プログラ ム(VORP)実施に関して、多くの加害者が、参加しないと裁判で不利 な扱いを受けるのではないかと、和解プログラムへの参加にプレッシャー を感じている(Mark Chupp, Reconciliation Procedure and Rationale, in: Martin Wright and Burt Galaway (eds.), Mediation and Criminal Justice-<(正)「Justice - 」:2002-10-06> Victims, Offenders and Community (1989), p. 59. なお、当該文献につい ては、二〇〇〇年一〇月二八日に開催された Restorative Justice 研究会 での田中一哉「発表レジュメ」も参照した)。
(38) 法曹會編『刑事訴訟法案理由書』(一九二二年)一六七頁、滝沢誠「刑 事判例研究(2)」法学新報一〇七巻五・六号(二〇〇〇年)二二五頁、 田口守一「親告罪の告訴と国家訴追主義」『宮澤浩一先生古稀祝賀論文集・ 第一巻』(二〇〇〇年)二五二頁以下を参照。なお、法曹會編『刑事訴訟 法案衆議院貴族院委員會議録』(一九二二年)五七四頁以下も参照。さら に、法制審議会刑事法部会第七六回会議(一九九九年一一月五日)におけ る事務当局からの説明も参照(法制審議会の議事については、「審議会情 報」〈http://www.moj.go.jp/SHINGI/〉、高原勝哉「性犯罪における告訴 期間の撤廃」現代刑事法二巻一一号(二〇〇〇年)一七頁等を参照)。
(39) なお、黒澤・前掲注(1)一六頁以下も参照。
(40) 和解プログラムの運営にあたっては、実際にこのようなファシリテー ターの役割が期待されている(Chupp, supra note 37, p. 59)。
(41) 告発を恐喝の種とした事案につき、最判昭二九年四月六日刑集八巻四号 四〇七頁を参照。
(42) もっとも、滝沢誠は、大陸法系の国々における法制度を参考にして、軽 微な犯罪などについてのみ親告罪として告訴期間を六ヶ月よりも短縮する 方が、より短期間に犯人の不安定な状態が解消されうるとする(同・前掲 注(38)二二六頁)。また、高田卓爾は、被疑者の人権保障の観点から、 六ヶ月という告訴期間を「比較的長い」と表現している(同「親告罪と強 制捜査」団藤重光編『現代法律学演習講座・刑事訴訟法』(第二版・一九 六三年)一三三頁以下を参照)。
(43) 黒澤・前掲注(1)三頁以下を参照。
(44) 刑法一部改正(一九四七年)での刑法二三二条二項の変化については、 大塚仁『刑法概説(各論)』(第三版・一九九六年)一五二頁注(一)を参 照。
(45) 松尾浩也発言「〈座談会〉犯罪被害者の保護―法制審議会答申をめぐっ 【p.16/p.17】 て」〔大谷直人=川出敏裕=河村博=神洋明=田口守一=松尾浩也〕ジュ リスト一一七六号(二〇〇〇年)八頁を参照。
(46) 佐藤・前掲注(4)二八八頁以下、高崎・前掲注(4)六八二頁、増井・ 前掲注(3)七五頁、松尾監修・前掲注(5)三九〇頁等を参照。
(47) 佐藤・前掲注(4)二八六頁、高崎・前掲注(4)六八一頁以下、松尾 監修・前掲注(5)三八九頁を参照。なお、増井・前掲注(3)二〇〇頁 も参照。
(48) 椎橋隆幸「性犯罪の告訴期間の撤廃」研修六二六号(二〇〇〇年)九頁 を参照。
(49) 寺崎は、告訴期間は公訴権の適正行使の要請によるものであり、「告訴 権者がいたずらに告訴を引き延ばし、公訴権の適正な行使を妨げるとき に、例外的に制約を受けると考えるのが妥当である」とする(同・前掲注(6)一八五頁)。
(50) なお、法制審議会・前掲注(38)刑事七六回を参照。
(51) 椎橋隆幸「犯罪被害者をめぐる立法的課題」法律のひろば五二巻五号 (一九九九年)一三頁。また、稲田伸夫「刑事判例研究〔三一〇〕」警察学 論集五一巻五号(一九九八年)一六七頁、大谷発言・前掲注(45)〈座談 会〉七頁、高原・前掲注(38)一七頁、滝沢・前掲注(38)二二三頁以下 も参照。犯罪被害者の心の傷については、小西聖子『犯罪被害者の心の傷』 (一九九六年)、同「犯罪被害者のトラウマ」宮澤浩一=國松孝次監修『講 座被害者支援・第四巻』(二〇〇一年)八三頁以下等も参照。性犯罪を含 めた犯罪被害者が受ける影響等については、法務省法務総合研究所編『犯 罪白書(平成一一年版)』(一九九九年)二六四頁以下を参照。
(52) 椎橋・前掲注(48)八頁以下、高原・前掲注(38)一七頁等を参照。
(53) 大谷発言・前掲注(45)〈座談会〉七頁〔@・B〕、椎橋・前掲注(48) 八頁〔@・C・D〕、高原・前掲注(38)一七頁〔@・A〕を参照。なお、 法制審議会・前掲注(38)刑事七六回も参照。
(54) 大谷発言・前掲注(45)〈座談会〉七頁〔D〕、椎橋・前掲注(48)八頁 以下〔@・D〕、高原・前掲注(38)一七頁以下〔@からC〕を参照。な お、法制審議会・前掲注(38)刑事七六回も参照。
(55) 法制審議会での事務当局の説明にもあるように、検察庁に送致された事 例のみであり、被害申告のない事例や相談後に告訴を断念した事例は含ま れていない(法制審議会・前掲注(38)刑事七六回を参照)。
(56) 法制審議会・前掲注(38)刑事七六回を参照。
(57) 椎橋・前掲注(48)一三頁以下。
(58) 寺崎・前掲注(6)一八五頁を参照。
(59) 田口・前掲注(38)二五六頁。なお、同『刑事訴訟法』(第三版・二〇 〇一年)一三六頁、同・五七頁も参照。
(60) 椎橋・前掲注(48)一三頁を参照。
(61) なお、河村博は、「基本的に犯罪があれば捜査機関が捜査をし、そして 適正な証拠収集過程を経て、証拠があれば起訴する。それを国家のみがな し得る」という基本的な仕組みには変わりはなく、「告訴期間を撤廃する ことと、国家訴追主義というものは決して矛盾するものではない」として いる(同発言・前掲注(45)〈座談会〉八頁)。
(62) 黒澤・前掲注(1)一四頁、田口・前掲注(38)二五四頁を参照。
(63) なお、椎橋・前掲注(48)九頁以下を参照。
(64) Brähmer, a. a. O. (Anm. 3), S. 163.
(65) ドイツにおける親告罪については、黒澤・前掲注(2)一〇頁を参照。 ドイツにおける強姦罪の非親告罪化(一<(正)「八」:2003-06-09>七六年)については、同・前掲 注(1)一八頁注(65)を参照。
(66) 告訴期間の撤廃が捜査に与える影響一般について、前掲注(45)〈座談 会〉八頁以下を参照。
(67) 高田・前掲注(11)三一五頁を参照。
(68) 渥美東洋「国税犯則事件の告発前の強制捜査」『刑事訴訟法判例百選』 (一九六五年)二一頁、光藤・前掲注(9)一八七頁。なお、高田は、強 制捜査は許されないとする(同・前掲注(42)一三三頁)が、任意捜査は あと始末をつける範囲内で許されるとする(同・前掲注(11)三一五頁)。 また、増井は、「告訴をしないという意思が明確になった場合には、強制 捜査はもちろんのこと任意捜査を行うことも許されなくなる」とするが、 「防犯、警備等のための情報収集活動を行うことは可能である」とする (同・前掲注(3)一六頁)。
(69) 田宮裕『刑事訴訟法T』〔田宮裕編著〕(一九七五年)二二頁を参照。な 【p.17/p.18】 お、全面否定説に立つものとして、豊島直道『修正刑事訴訟法新論』(一 九一〇年)四九〇頁。
(70) 田宮・前掲注(69)二二頁を参照。ただし、高田・前掲注(42)一三二 頁以下、増井・前掲注(3)一五頁以下も参照。この点について、最高裁 は、税関長の告発を待って起訴できる国税犯則事件について、告発は訴訟 条件にすぎず、捜査機関は犯罪があると考えるときは捜査することができ るとしたうえで、告発前の逮捕、勾留、取調べを許容している(最決昭三 五年一二月二三日刑集一四巻一四号二二一三頁)。これを全面許容説とみ なすものもあるが、告発義務がある等、国税犯則の特殊性もあり、一般化 はできないとの指摘がある(田宮・前掲注(69)二三頁以下、光藤・前掲 注(9)一八八頁等を参照)。なお、全面的肯定説に立つものとして、泉 二新熊『刑事學研究』(一九二〇年)八九五頁。
(71) 井上正治「捜査の構造と人権の保障」日本刑法学会編『刑事訴訟法講座・ 第一巻』(一九六三年)一三七頁以下。
(72) 団藤・前掲注(10)三六二頁、松尾浩也『刑事訴訟法(上)』(新版・一 九九九年)四一頁、宮崎澄夫「親告罪に関する訴訟上の諸問題」日本刑法 学会編『刑事訴訟法講座・第一巻』(一九六三年)一八二頁以下・一八七 頁注(三)等。
(73) 高田・前掲注(11)三一六頁。また、同・前掲注(42)一三三頁も参照。
(74) 田宮・前掲注(69)二四頁。なお、光藤・前掲注(9)一八八頁を参照。
(75) 田宮・前掲注(69)二四頁を参照。
(76) 田宮・前掲注(69)二五頁。
(77) 光藤・前掲注(9)一八八頁以下。同旨、白取祐司『刑事訴訟法』(第 二版・二〇〇一年)八七頁。
(78) 黒澤・前掲注(1)一二頁以下を参照。
(79) 石川才顕は、「被害者と犯人との間で示談が成立し告訴が事実上為され る可能性のない場合」には、「すくなくとも強制捜査は行われるべきでは ない」とし、結果的ではあれ、裁判外での損害賠償または和解を考慮して いる(同「捜査の条件」鴨良弼編『法学演習講座・刑事訴訟法』(一九七 一年)一四八頁を参照)。
(80) 石堂淳「親族相盗例の系譜と根拠」法学五〇巻四号(一九八六年)一四 一頁以下を参照。
(81) Vgl. Brähmer, a. a. O. (Anm. 3), S. 93f.
(82) 各親告罪の趣旨の検討については、別の機会に改めて行いたい。
(83) 黒澤・前掲注(1)一二頁以下を参照。なお、親告罪の趣旨という場合 には、直接的には、訴追不許容という〈消極的意義〉を想定する必要があ る(同・六頁以下を参照)。
(84) なお、田口・前掲注(38)二五四頁も参照。
(85) 高崎・前掲注(4)六八二頁以下、滝沢・前掲注(38)等を参照。なお、 本論文で取り上げる以下の事案は、性犯罪に関するものである。また、告 訴期間が問題となったその他の判例においても、大部分は強姦罪の告訴に 関するものであった(増井・前掲注(3)六七頁を参照)。その意味で、 今回の法改正が果たした役割は非常に大きいといえよう。
(86) 稲田・前掲注(51)一六四頁以下、椎橋・前掲注(48)六頁、高崎・前 掲注(4)六八五頁以下、寺崎・前掲注(6)一八四頁以下、増井・前掲 注(3)六七頁、三上・前掲注(3)八八頁以下、森山大輔「実務刑事判 例評釈〔四八〕」警察公論五三巻七号(一九九八年)一一二頁等を参照。
(87) 最決昭三九年一一月一〇日刑集一八巻九号五四七頁。
(88) 東京高判昭三七年六月二十七日刑集一八巻九号五五五頁。
(89) 東京高判平九年七月十六日高刑集五〇巻二号一二一頁。なお、稲田・前 掲注(51)一五九頁以下、椎橋・前掲注(48)六頁以下、寺崎・前掲注 (6)一八四頁以下等を参照。
(90) なお、椎橋・前掲注(48)七頁、森山・前掲注(85)一一一頁を参照。
(91) 椎橋・前掲注(48)七頁以下、増井・前掲注(3)七四頁等を参照。

結びにかえて

 最後に、以上の検討で導かれた結論の骨格部分をまとめておく。
 告訴期間制度の趣旨は、@犯人の地位の安定とA公訴権の適正行使と される。@は公訴時効と別途に考慮するまでの要請ではない。Aは申立 期間のない親告罪や他の制度との比較から、告訴期間が絶対的なもので 【p.18/p.19】 はなく、申立の主体が私人である点が問題にされていることがわかる。
 親告罪の趣旨や、告訴(とくに親告罪の告訴)が被害者等の事件・紛 争に対する自己の意思決定の表明という重大な意義を有する点を考慮 し、告訴期間制度は全廃されるべきである。告訴が欠ける場合には親告 罪の趣旨を没却する捜査活動等は許されない。@この場合の証拠の散逸 の問題は、親告罪の短所であって、公訴時効の趣旨と重複するほか、 「事件選別」等の国家の利益を考慮した片面的な視点に基づくものであ る。A被害者との関係では、誠実な捜査は「対応のあり方」にかかって いる。
 「犯人を知つた」の意義は、被害者等の観点を重視した人間関係確認 説が妥当である。また、人間関係的な考慮を重視するということは、親 告罪においては裁判外解決が期待されているといえる。
 本稿では、告訴期間制度の沿革、学説の変遷、比較法制、現実の状況 等については、紙面の関係でほとんど触れることができなかった。これ らについては、別の機会に改めて検討・分析したいと思う。
〔二〇〇二年五月九日脱稿〕
(明治大学大学院法学研究科博士後期課程・mutsumi@aurora.dti.ne.jp)

〔付記〕 本稿を含めて、私がこれまでに発表した論考における誤字・脱 字等の訂正事項は、「黒澤睦のホームページ」〈http://www.aurora.dti. ne.jp/~mutsumi/〉に掲載しております。併せて、御参照ください。


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