http://www.aurora.dti.ne.jp/~mutsumi/study/ronsyu16.html
2002-02-28公刊,2002-03-07Web掲載,2006-09-24最終修正
黒澤睦「修復的司法としての親告罪?」法学研究論集第16号(明治大学大学院、2002年2月28日)1-16頁。
Mutsumi KUROSAWA, Die Antragsdelikte als die Wiedergutmachungsjustiz (Restorative Justice) ?, Studies in Law vol. 16, 2002, Meiji University Graduate School, pp. 1-16.

  1. 原文は,B5判/縦書/2段組です。
  2. 赤字のものは,出版後に気づいた訂正事項です(<>内の日付は,訂正を行った日の日付です)。お詫びして訂正いたします。また,誤字・脱字等のご連絡をいただいた方に,この場を借りて感謝申し上げます。
  3. 本論文は,立法政策論を含んだ学術論文であり,実務でこのとおりの運用がなされている訳ではありません。実際に事件の当事者になられた方は,弁護士等の法律実務家にご相談なされることをお勧めいたします。

【p.1】

修復的司法としての親告罪?

黒澤 睦 

目次
  はじめに
  一 修復的司法の概要
  二 親告罪と修復的司法
  結びにかえて

はじめに

 前稿において、親告罪において告訴権者が告訴を申し立てないという 告訴の消極的意義が、親告罪の具体的根拠となっている次にあげる二つ のベクトルの合成による複合的性格を有するものであるということが確 認された。すなわち、@国家訴追主義を制限する「許容性」に関するベ クトル((ア)犯罪の軽微性、(イ)裁判外解決による訴訟代替の可能性)、 A国家訴追主義を制限する「必要性」(告訴権者の意思決定を尊重すべ き「必要性」)に関するベクトル((あ)害悪の回避、(い)家庭の平穏 の保護、(う)消極的処罰要求の尊重、(え)裁判外解決の期待)、とい うものである(1)。また、それらの要素には、宥和ないし和解(Versöhnung) という思想が大きく関係していることも確認された(2)
 ところで、近時、いわゆる修復的司法(Restorative Justice)が注目 を集めているが、宥和思想ないし和解思想も、事件当事者による解決や 事件当事者の宥和・和解を志向することから、互いに類似する点が多い と思われる。本論文は、それらの概念の内容と関係とを明らかにし、親 告罪が修復的司法として位置付けられるのかを探ろうとするものである。
 以下では、まず修復的司法の概念を確認し、それに基づいて、親告罪 との関係を検討することにしたい。


(1) 拙稿「親告罪における告訴の意義」『法学研究論集』一五号(明治大学 【p.1/p.2】 大学院、二〇〇一年)一二頁以下。
(2) 拙稿・前掲注(1)一一頁以下。

一 修復的司法の概要

1 修復的司法論

 近時、注目されている修復的司法(Restorative Justice)は、従来の 刑事司法・応報的司法・懲罰的司法(Criminal Justice, Retributive Justice, Punitive Justice)をその根底から揺るがすものである。すなわち、 修復的司法は、発生した事件・紛争(犯罪)を解決するにあたって、懲 罰・刑罰という国家的な制裁に頼らずに、関係当事者同士の話し合い等 によって、金銭的な損害賠償のみならず、赦しや癒えといった広い意味 での事件からの回復・修復がもたらされることを目指すのである(3)。そし て、この修復的司法によれば、被害者及び加害者のみならず、コミュニ ティ(4)にも、(司法における)当事者性あるいは主体性が認められること になる。その一方で、国家は、主体性を認められないか、あるいは後見 的立場へと退くことになる。さらに、各当事者の関係も、「対立的・対 抗的・敵対的」ではなく、お互いが対等に意見を聞き合うという「対話 的」なものが想定される(5)。したがって、純粋な修復的司法が実践に移さ れたならば、司法制度の構造そのものが転換されることになるであろう。
 もっとも、修復的司法の内容は、論者によってまちまちであり、何を もって修復的司法とするかは非常に流動的である。このような混沌とし た状況に一石を投じたと思われるのが、ダニエル・ファン・ネスとカレ ン・ヒートダークス・ストロングの分析である。彼らは、修復的司法の 要素を@出会い(Encounter)、A改心(Amend)、B再統合(Reintegration)、 C他者の包摂(Inclusion)の四つに分類し、それぞれを八 段階に分けて、十分に修復的なシステム、中程度に修復的なシステム、 最小限度の修復的なシステムを提示している(6)。十分に修復的なシステム とは、@集い、対話し、合意に至る、A陳謝し、回復し、変わる、B敬 意を払い、手助けをする、C刺激を受け、関心を寄せ、別のアプローチ を承認するというものである。また、最小限度の修復的なシステムとは、 @合意し、A回復し、B手助けし、C刺激を受け、関心を寄せ、別のア プローチを承認するというものである。これに対し、修復的司法の対極 に位置するシステムは、@当事者の分離、A改心なし、新たな害、B被 害者やコミュニティから加害者を隔離することによってえられる安全、 C検察や被告側に資するような意に反する訴訟への参加の強制というも のに特徴付けられるという(7)
 この分析は、いささか抽象的であるようにも思われる。しかし、@十 分に修復的であるシステムの要素を確認したという点で、また、A最小 限度に修復的なシステムを設定して、修復的司法であるか否かを実質的 に区別する尺度を提供したという点で、意義は大きいものと思われる。
 なお、修復的司法及び損害回復は、個々の事件・紛争に対してそれぞ れの事件・紛争に適した具体的な対応策が講じられることを前提として いることから、右で述べた理論的側面のみならず、実践的な側面が考慮 される必要がある(8)。現在実施されているプログラムとしては、例えば、 アメリカでの被害者=加害者和解プログラム(Victim Offender Recon- 【p.2/p.3】 ciliation Program)及び被害者回復プログラム(Victim Restoration Program)(9)、 オーストラリアやニュージーランドの家族集団協議(Family Group Conference)(10)等がある。これらの詳細については、既に多くの 紹介がなされているため、本稿では論じないことにする。

2 損害回復論

 高橋則夫は、ドイツ・スイス・オーストリア刑法学者の作業グループ によって提案された「対案・損害回復」(11)一条(12)の定義に基づいて、刑法に おける損害回復(Wiedergutmachung)を唱える。すなわち、そこでの 損害回復の目標は、「行為者と被害者と社会との間における法的平和の 回復という意味での紛争解決にあ」る。また、損害回復は、「社会的紛 争を解決するための手段であり、国家刑罰権の発動の制限、紛争の私事 化を通して、行為者には非刑罰化傾向を、被害者には損害回復の利益 を、社会には積極的な規範強化をもたらすことを意図する」(13)。さらに、 「損害回復の理念は刑法全体に妥当させるべきであり」(14)、個人的な被害者 のいない犯罪には、公益労働・自首・公共への財政給付等の「象徴的な 損害回復」が可能であるとともに、「重大犯罪に対しては、刑の減軽事 由として考慮することもできる」(15)という。
 また、吉田敏雄は、刑法の任務に関して、ドイツにおける議論を参考 にしつつ、「法的平和の恢復(Widerherstellung des Rechtsfriedens)」 の観点を強調し、次のように述べる。すなわち、刑法には、「刑罰目的 とは独立の恢復(狭義の恢復概念=修復、Restitution)目的も、つまり その具体的手段の一つとして、被害者への行為者=被害者仲介・和解の 形態における弁償(Wiedergutmachung)を組み込むことも必要である」(16) というものである。

3 修復的司法論と損害回復論の異同

 英語圏を中心とする修復的司法論とドイツ語圏を中心とする損害回復 論は、より広い観点で事件(犯罪)を捉え、その紛争解決を図るという 点で共通する。また、被害者と加害者との和解を目指すという点でも共 通する。このことから、両者の考え方は概ね同じものと言うことができ るであろう(17)。しかし、その基礎にある思想や法制度を反映し、次のよう な差異が存することに注意しなければならない(18)

(一)国家の関与形態
 第一に、一般的に、修復的司法論の場合には、国家の関与を極力排除 するという結論に至りやすいのに対して、損害回復論は、最終的には国 家の関与を認める結論に至りやすい。
 修復的司法論は、前述のように、基本的に、犯罪を当事者間の紛争と 捉え、その解決方法として関係当事者間の直接対話を用いる。他方で、 国家を事件当事者として把握することは難しいことから、国家は、修復 的司法の想定の中には入りづらいことになるのである。
 これに対して、損害回復論が唱えられているドイツ語圏では、事件の 最終的決着には、国家が主体的な関与すべき<(正)「関与をすべき」:2002-03-07>とする考え方が強い。現 に、ドイツで認められている制度や「対案・損害回復」を考えた場合に、 いずれも最終的には検察官であれ裁判所であれ国家が最終的処分に関与 【p.3/p.4】 していることが明らかになる。たしかに、和解プログラムは、@財政的 には、地方政府のみならず寄付によってもまかなわれており、Aプログ ラムを提供する具体的な人員については、非公式的にトレーニングされ たボランティアによっているというように、必ずしも国家・政府がすべ ての主導権を握っているわけではない(19)。しかし、刑事司法との関係を問 題にする場合には、ドイツ刑法四六条aの「行為者=被害者和解、損害 回復」によって、被害者との和解及び損害回復の達成ないし努力が、刑 の任意的減免事由とされるのであり、最終的には裁判所の裁量的判断に かからせていると言えるのである。これは、損害回復という考え方が前 提とする「法的平和」の概念が、そもそも国家的な「法」秩序という観 点をも内包していると言えるからではないだろうか。
 もっとも、修復的司法論の論者でも、国家・政府の役割を重視する者 も存在する。例えば、前述のファン・ネスとストロングは、政府につい て、@コミュニティに対しては秩序(order)を維持し安全(safety) を確保する、A被害者には救済(redress)を与える、B加害者には公 平さ(fairness)を確保するという役割を付与する(20)。しかし、この見解 によったとしても、国家が事件の当事者として主体性が積極的に認めら れるということにはならないだろう。なぜなら、コミュニティに対する 秩序維持による安全確保は、抽象的な内容をも含むものであるととも に、被害者に対する救済や加害者に対する公平さの確保は、被害者と加 害者との間での紛争解決について、いわば補充的・後見的なものと言う ことができるからである。
 以上から、損害回復という考え方によった場合には、基本的には現行 の国家による刑事司法制度の枠組みを維持することも可能になるのに対 して、修復的司法という考え方によった場合には、それを貫徹すれば、 国家による刑事司法制度という枠組みそれ自体を変えることになるであ ろう。

(二)コミュニティの関与形態
 第二に、修復的司法論と損害回復論では、事件・紛争解決に対するコ ミュニティの関与の仕方が異なっている。
 修復的司法論は、コミュニティが当事者として紛争解決に関与するこ とを認める。なぜなら、コミュニティは、事件(犯罪)の発生によって 安全が脅かされたという具体的な害悪を受けたことから、その安全 (safety)が回復される必要があるからである。また、コミュニティを 再構築するためには、被害者に対しては癒し(healing)を与え、加害 者には教育(habilitation)を与えなければならないのである(21)。そこでの コミュニティは、抽象的な存在としての「全体社会」ではなく、私たち が日常の生活を営んでいる「近隣社会」や、義務、相互依存及び所属性 といった基本的感覚によって特徴付けられる「利益社会」(22)ということに なるであろう(23)
 これに対して、損害回復論は、コミュニティをより抽象的に捉えてい ると思われる。すなわち、「一般人」を基準に法的平和が乱されたか否 かを判断し、その「一般人」の集合体を社会(コミュニティ)と想定し ているのである。これは、コミュニティの一員としての個別の人間を離 れ、法的に構成された抽象的な人格を対象にしていることになる。ま 【p.4/p.5】 た、そこで用いられる「象徴的」損害回復という概念も、コミュニティ が具体的な被害者として理解されていないことを意味するものであろう。

4 日本における修復的司法の実現可能性

 このように、修復的司法と損害回復の概念は、その内容に差異が見ら れる。しかしながら、前述のとおり、目指している方向性としては、概 ね同じものと言える。そして、その意図するところは、社会的事実とし て存在する事件・紛争に対する対応として、紛争解決という、民事刑事 司法の枠を超越した望ましい結論をもたらすものである。したがって、 私は、その基本的な考え方に賛同し、日本において修復的司法ないし損 害回復を実施していくべきであると考える。

(一)日本の現状
 近時、限定的ではあるが、警察や検察によって被害者等への通知が開 始され、また、いわゆる犯罪被害者保護関連二法(24)が制定された。これに より、刑事手続に被害者の観点が従来よりも大きく取り入れられた。ま た、修復的な取り組みも、次第に広まってきている(25)
 しかし、現行法によれば、右の立法・実務の動向を考慮したとして も、修復的司法が実施されているとは言いがたい。なぜなら、被害者に 刑事司法の当事者として主体性が認められているとは言えない(26)からであ る。例えば、起訴するか否かの判断にあたって、被害状況や示談の成立 の有無等、被害者に関する事情が考慮されうる(刑訴法二四八条を参照)(27) が、公訴提起は検察官の専権に属したままである(刑訴法二四七条)(28)。 また、公判や証拠に関する諸規定においても、被害者の役割は、事実認 定の証拠方法という扱いの域を脱してはいない。そして、被害者は、被 害者等の意見陳述によって自らの心情等を表明できることにはなった (刑訴法二九二条の二)が、被告人に対してその心情や事件の背景等を 直接に質問して答えてもらうということはできない。さらに、コミュニ ティを司法の当事者として取り込むような余地はほとんどないに等しい のである。
 もっとも、いわゆる示談が、修復的なものと言えるのではないかとも 思われる。この点について、犯罪被害者実態調査研究会の調査によれ ば、示談・被害弁償や謝罪は赦しの気持ちに影響を与えており、また、 示談・被害弁償は、経済的損失の回復のみではなく、その精神的な意義 を通して、被害者の心理的外傷の回復にも役立っているという(29)。これ は、示談・被害弁償が、修復的ないし損害回復的な側面をかなりの部分 において果たしていることを示唆するものであろう。もっとも、約二五 %の被害者が相手の誠意が足りないことに不満を持ったとしているとい う(30)。これは、示談・被害弁償がファシリテーター等による入念な準備が なされていないことによると推測される。したがって、そのような不満 を生じさせないためにも、示談や被害弁償が、(準)公的な制度として 確立されることが望まれる(31)。もし、制度として確立されないならば、そ れは、修復的な「取り組み」の域を脱することはできず、修復的「司法」 が実現したとは言えないのである(32)

【p.5/p.6】
(二)現行刑事司法制度との関係
 前述のように、修復的司法は、理念としては非常に素晴らしいもので ある。しかし、司法制度の基本的な枠組みとして、現行の刑事司法制度 をすべて排除してしまうというわけにはいかないだろう。なぜなら、す べての事件において加害者が誰であるかが明白であるとは言えず、ま た、当事者全員が修復的司法の想定する対処方法を望んでいるとは言え ないからである。すなわち、被疑者・被告人が事件への関与について否 認している場合に、その者が加害者であることを前提とする和解等の手 続に強制的に付すことは、無罪推定の原則に反するのである(33)。他方で、 被害者が事件で受けたショックのために加害者との対面を拒絶している にもかかわらず、被害者に加害者との対面を強制することは、被害をさ らに拡大させるおそれがある(二次的被害)。そればかりか、いずれの 場合も、和解等による損害回復や関係修復は望めないのである。したが って、和解等の実施は、当事者の完全な任意によるべきであるといえよ う(34)
 以上のように、現行の刑事司法制度を維持することを前提にした場 合、和解等の実施が刑事訴訟手続にいかなる影響を及ぼすかが問題にな る。まず、影響を与える場面としては、(あ)事件発生から検挙まで、 (い)検挙から起訴まで、(う)起訴から判決確定まで、(え)矯正・保 護段階、(お)それ以後、という五つが考えられる。また、影響を与え る態様としては、(ア)代替的的考慮、(イ)非代替的考慮、(ウ)影響 を与えない、という三つが考えられる。
 制度として現実的に想定しうるものには、例えば、以下のものがあ る。(い)検挙から起訴までの間の(ア)微罪処分、不起訴処分。(う) 起訴から判決確定までの間の(ア)公訴取消し、手続打ち切り、刑の免 除、(イ)刑の減軽、宣告猶予、執行猶予。(え)矯正・保護段階での (イ)仮釈放での考慮等である。
 この点について、ドイツでは、次のような規定によって、和解等が正 面から規定されている。すなわち、損害回復的な遵守事項による暫定的 不起訴(刑訴法一五三条a第一項)、損害回復的な遵守事項による暫定 的手続打ち切り(刑訴法一五三条a第二項)、実定法上刑の免除が定め られている場合の不起訴処分(刑訴法一五四条)、検察官及び裁判所の 和解達成へ向けた努力(刑訴法一五五条a、一五五条b)、和解・損害 回復の成立・努力による刑の免除(刑法四六条a)、自発的な損害回復 をした場合の刑の延期(刑法五六条二項、三項)等である。このように、 ドイツにおいては、損害回復と刑事司法が、法制度として、併存してい るのである(35)
 これに対して、日本においては、微罪処分(刑訴法二四六条)、不起 訴処分(刑訴法二四八条)、公訴取消し(刑訴法二五七条)、刑の減免 (刑法各規定)(36)、執行猶予(刑法二五条)、仮釈放(刑法二八条、三〇条) に関する規定が存在する。しかし、いずれの規定も和解等について正面 からは規定していない。もっとも、刑の減免を除いては、実務上、和解 等の実施が考慮されているようである。しかし、修復的「司法」を実施 するためには、明文をもって規定することが望ましいと言えよう(37)
 以上は、刑事司法と和解等に代表される修復的司法において一般的に 議論される諸制度である。しかし、修復的司法を議論する場合には、親 【p.6/p.7】 告罪の存在が忘れられてはならない。というのも、右に述べたすべての 制度が、最終的には国家によって判断が下されるものであるのに対し て、親告罪の場合には、被害者等の告訴権者が、自らの意思により、刑 事司法を避けて和解等の実施を選べるからである。これは、発生した事 件・紛争(犯罪)を解決するにあたり、懲罰・刑罰という国家的な制裁 に頼らずに、関係当事者同士の話し合いによる事件解決を目指す修復的 司法のアプローチに非常に類似しているのである。また、親告罪におい て告訴が欠ける場合に、国家訴追権(ないし国家刑罰権)が不行使とい う結果になる点を考慮するならば、親告罪は、修復的司法が現行刑事司 法を代替するにあたっての何らかの基準を導き出す可能性を秘めている のである。次節では、以上の論述で明らかになった修復的司法ないし損 害回復の概念と親告罪との関連性を確かめることにする。


(3) 染田惠「修復的司法の理論的・実践的課題と日本における活用可能性」 『犯罪と非行』一二七号(二〇〇一年)六六頁以下、高橋則夫「被害者関 係的刑事司法と回復的司法」『法律時報』七一巻一〇号(一九九九年)一 〇頁以下、同「法益の担い手としての犯罪被害者―回復的司法の視座―」 『宮澤浩一先生古稀祝賀論文集・第一巻・犯罪被害者論の新動向』(二〇〇 〇年)一五一頁以下、西村春夫=細井洋子=高橋則夫「修復的司法の探求<(正)「探究」:2003-01-06> ―21世紀司法への挑戦―」『現代刑事法』三巻二号(二〇〇一年)八九頁 以下、藤本哲也「応報的司法から修復的司法へ―修復的司法は二一世紀の 刑事司法政策の指針たりうるか―」(上)『白門』五二巻二号(二〇〇〇年) 四頁以下、同(下)『白門』五二巻三号(二〇〇〇年)三二頁以下、前野 育三「修復的司法について」『刑法雑誌』四〇巻二号(二〇〇一年)二二 二頁以下、守山正=西村春夫『犯罪学への招待』(一九九九年)一七七頁 以下等を参照。なお、吉田敏雄「被害者にやさしい刑事司法?―そのモデ ル論的考察」小田中聰樹ほか編『渡部保夫先生古稀記念論文集・誤判救済 と刑事司法の課題』(二〇〇〇年)六一一頁以下を参照。
(4) ドメスティック・バイオレンスの事案について、コミュニティと裁判外 紛争処理の観点から捉えたものとして、井上匡子「コミュニティとADR 〈特集・ADR(裁判外紛争処理)の可能性〉」『法学セミナー』五六〇号 (二〇〇一年)三〇―三三頁を参照。
(5) アメリカでの対話プログラム(dialogue programs)について、see Daniel W. Van Ness/ Karen Heetderks Strong, Restoring Justice, 2nd ed., 2001, pp. 57-61.
(6) Van Ness/ Strong, supra note 5, pp. 228-238.
(7) Van Ness/ Strong, supra note 5, pp. 234-237, Figures 11.6-8.
(8) 修復的司法は、理論と実践の総体であるとされる(西村春夫=細井洋子 「図説・関係修復正義・被害者司法から関係修復正義への道のりは近きに ありや」『犯罪と非行』一二五号(二〇〇〇年)六頁、西村=細井=高橋・ 前掲注(3)八九頁を参照)。
(9) アメリカでの被害者=加害者和解プログラムについては、宮崎聡「アメ リカ合衆国におけるリストラティブ・ジャスティスの実情について―被害 者・加害者間の和解プログラムを中心として―」『家庭裁判月報』五二巻 三号(二〇〇〇年)一六一頁以下を参照。
(10) オーストラリアでの家族集団協議について、西村=細井・前掲注(8) 一九―二三頁、西村春夫=細井洋子「謝罪・赦しと日本の刑事司法―関係 修復正義を考える」『宮澤浩一先生古稀祝賀論文集・第一巻・犯罪被害者 論の新動向』(二〇〇〇年)一九頁以下、ロバート・フィッツジェラルド (原田隆之訳)「オーストラリアにおける修復的司法」『刑政』一一二巻七 号(二〇〇一年)三四頁以下等を参照。ニュージーランドの家族集団協議 について、前野育三「修復的司法の可能性」『法と政治』(一九九九年)五 〇巻一号一三頁以下、同「被害者問題と修復的司法―ニュージーランドの Family Group Conferenceを中心に―」『犯罪と非行』一二三号(二〇〇 〇年)六頁以下等を参照。
(11) Arbeitskreis deutscher, schweizerischer und österreichischer Strafre- 【p.7/p.8】 chtslehrer, Alternativ-Entwurf Wiedergutmachung, 1992. なお、吉田敏 雄「法的平和の恢復(十三)」『北海学園大学法学研究』三五巻一号(一九九 九年)九一頁以下を参照。
(12) 「損害回復とは、行為者の自発的な給付による、犯罪結果の調整をい う。それは、法的平和の回復に奉仕する。損害回復は、第一に、被害者の 利益のために行われる。これが可能でないか、成果を約束しないか、ある いは、それだけでは十分でない場合には、損害回復は、公共に対しても考 慮に値する(象徴的損害回復)」(「対案・損害回復」第一条)。高橋則夫 『刑法における損害回復の思想』(一九九七年)三三頁を参照。
(13) 高橋・前掲注(12)五頁以下。なお、高橋は、「損害回復によって、直 接的には、『行為者と被害者の和解(Täter-Opfer-Ausgleich)』が意図さ れているのであり、この点で、『行為者と被害者の和解』という概念と同 義に捉えてもよい」としている(同所)。
(14) 高橋・前掲注(12)九頁。
(15) 高橋・前掲注(12)一三頁注(38)。
(16) 吉田敏雄「法的平和の恢復(十五)」『北海学園大学法学研究』三五巻三 号(二〇〇〇年)五〇三頁。
(17) 現に、吉田敏雄は、英米のプログラムについて「恢復的司法(正義)」 の観点から分析している(吉田敏雄「法的平和の恢復(二)」『北海学園大 学法学研究』三一巻一号(一九九五年)二五頁以下)。また、高橋則夫は、 「アメリカにおける損害回復論」として、「回復的正義(restorative justice)」を論じている(高橋・前掲注(12)九一頁以下を参照)。なお、 同「修復的司法の理論と実践―修復的司法における警察の役割を中心とし て―」『警察学論集』五四巻五号(二〇〇一年)七五頁以下は、「修復的司 法」とする。
(18) なお、修復的司法という用語は、この分野に関して行われている世界各 国の理論と実践を包括するものと把握すべきとの提案もなされている(西 村=細井=高橋・前掲注(3)八九頁)。
(19) See David Miers, An International Review of Restorative Justice, Crime Reduction Research Series Paper 10, 2001, p. 95.
(20) Van Ness/ Strong, supra note 5, pp. 45-50. なお、藤本・前掲注(3) (上)一一頁以下も参照。
(21) See Van Ness/ Strong, supra note 5, pp. 45-50.
(22) Van Ness/ Strong, supra note 5, pp. 38-40. なお、藤本・前掲注(3) (上)六頁以下も参照。
(23) もっとも、ゲイブリエル・マクスウェル=アリソン・モリスは、コミュ ニティの代表として任命された人々というよりも、むしろ加害行為によっ てほぼ直接的に影響を受けた人たちが決定を下すものが、十分に修復的な プロセス(fully restorative process)であると想定している(Gabrielle Maxwell/ Allison Morris, Putting Restorative Justice into Practice for Adult Offenders, The Howard Journal Vol. 40 No. 1, 2001, p. 57)。
(24) 松尾浩也編著『逐条解説犯罪被害者保護二法』(二〇〇一年)を参照。
(25) 二〇〇一年六月に、前述の「対話」という観点に基づいて、少年事件に 関する「被害者加害者対話の会」が千葉県で発足した。その他、各弁護士 会の仲裁センターも整備されつつある。
(26) これに対し、木暮得雄<(正)「小暮得雄」:2002-03-13>は、現行の司法構造の枠組みを維持しつつ、被害 者に情報提供や発言の機会を認めることで、被害者を刑事司法手続におけ る「準当事者」として位置付けようとしている(木暮得雄<(正)「小暮得雄」:2002-03-13>「犯罪被害者の 復権―被害者の法的地位に関する覚書き」小田中聰樹ほか編『渡部保夫先 生古稀記念論文集・誤判救済と刑事司法の課題』(二〇〇〇年)六〇三― 六〇四頁)。
(27) 光藤景皎「日本刑事訴訟手続における起訴便宜主義」石部雅亮=松本博 之編『法の実現と手続―日独シンポジウム―』(一九九三年)一五頁を参 照。
(28) もっとも、二〇〇一年六月一二日付の司法制度改革審議会の最終意見書 によれば、検察審査会の決定に法的拘束力を付すべきとの指摘がある。
(29) 吉田敏雄「刑事司法における示談・被害弁償の意義」宮澤浩一ほか編 『犯罪被害者の研究』(一九九六年)一九四頁以下。
(30) 吉田・前掲注(29)二三五頁、二二四頁表III-(4)-8を参照。
(31) 宮崎英生「示談に関する実務家の意識」宮澤浩一ほか編『犯罪被害者の 研究』(一九九六年)二三五頁以下を参照。
(32) もっとも、修復的な「取り組み」そのものは評価すべきものである。
【p.8/p.9】
(33) 川口浩一「加害者と被害者の和解―成人の刑事手続への導入可能性」 『奈良法学会雑誌』六巻四号(一九九四年)四四頁を参照。
(34) 川口・前掲注(33)四四頁、五四頁。また、高橋は、損害回復の目標が 行為者と被害者の和解及び紛争解決にあることを理由に、行為者の「任意 性」を強調する(高橋・前掲注(12)七頁)。この観点からすれば、被疑 者に対しても公的な弁護制度を確立した上で、取調べに弁護人を立ち会わ せる権利を保障すべきである(See Miranda v. Arizona, 384 U.S. 436 (1966). さらに、ミランダの会編著『ミランダの会と刑事弁護』(一九九 七年)、日本弁護士連合刑事センター編『アメリカの刑事弁護制度』(一 九九八年)、岡田悦典『被疑者弁護権の研究』(二〇〇一年)、最高裁判所 事務総局刑事局監修『アメリカ合衆国の公設弁護人制度の実情について』 (二〇〇一年)等も参照。)。
(35) ドイツ刑訴法一五三条aの問題点については、ハンス・ヨアヒム・ヒル シュ著(井田良訳)「軽微犯罪の取り扱いについて」福田平=宮澤浩一監 訳『ドイツ刑法学の現代的展開』(一九八七年)一二五頁以下を参照。
(36) なお、高橋は、損害回復の観点を入れた規定として、自首の特別規定 (八〇条の内乱予備、二二八条の三の身代金誘拐予備)、中止未遂(四三条 但書)、身代金誘拐における解放(二二八条の二)、偽証・虚偽告訴におけ る自白(一七〇条・一七三条)、自首と首服(四二条)をあげる(高橋・ 前掲注(12)一六頁)。
(37) 宮澤浩一「ドイツにおける刑事政策の新しい動き・『損害回復』に関す る『対案』(その2)」『時の法令』一四三二号(一九九二年)六三頁以下、 高橋・前掲注(12)一九五頁以下を参照。

二 親告罪と修復的司法

1 親告罪制度の概要

 親告罪規定は非常に多岐にわたっており、その体系を整理する必要が ある。本稿では紙面の関係上この作業は行わないが、後の議論の前提に するため、ここで、日本とドイツの現行刑法典(38)における親告罪規定を概 観しておく。

(一)日本における親告罪
 刑法典に規定されている親告罪としては、次のものがある。
 一三五条によるものとして、親書<(正)「信書」:2004-10-14>開封(一三三条)、秘密漏示(一三 四条)。一八〇条によるものとして、強制わいせつ及び同未遂(一七六 条、一七九条)、準強制わいせつ及び同未遂(一七八条、一七九条・一 七六条)、強姦及び同未遂(一七七条、一七九条)、準強姦及び同未遂 (一七八条、一七九条・一七七条)。二〇九条二項によるものとして、過 失傷害(二〇九条一項)。二二九条によるもの(営利の目的の場合を除 く)として、未成年者略取・誘拐及び同未遂(二二四条、二二八条)、 わいせつまたは結婚目的の略取・誘拐及び同未遂(二二五条、二二八 条)、二二四条または二二五条の幇助目的の被略取者収受等及び同未遂 (二二七条一項、二二八条)、わいせつ目的被略取者収受等及び同未遂 (二二七条三項、二二八条)。二三二条によるものとして、名誉毀損(二 三〇条)、侮辱(二三一条)。二四四条二項の一定親族間の犯罪に関する 特例によるものとして、一定親族間の窃盗及び同未遂(二三五条、二四 三条)、一定親族間の不動産侵奪及び同未遂(二三五条の二、二四三 条)。一定親族間の犯罪に関する特例(二四四条二項)を準用する二五 一条によるものとして、一定親族間の詐欺及び同未遂(二四六条、二五 〇条)、一定親族間の電子計算機使用詐欺及び同未遂(二四六条の二、 二五〇条)、一定親族間の背任及び同未遂(二四七条、二五〇条)、一定 【p.9/p.10】 親族間の準詐欺及び同未遂(二四八条、二五〇条)、一定親族間の恐喝 及び同未遂(二四九条、二五〇条)。一定親族間の犯罪に関する特例 (二四四条二項)を準用する二五五条によるものとして、一定親族間の 横領(二五二条)、一定親族間の業務上横領(二五三条)、一定親族間の 遺失物等横領(二五四条)。二六四条によるものとして、私用文書等毀 棄(二五九条)、器物損壊等(二六一条)、信書隠匿(二六三条)がある。 なお、請求がなければ公訴を提起することができないものとしては、外 国国章損壊等(九二条一項・同二項)がある。

(二)ドイツにおける親告罪
 ドイツ刑法典で規定される親告罪には、次にあげるのものがある(39)
 まず、検察官が特別な公益があると判断しても訴追することができな いいわゆる絶対的親告罪(absolute Antragsdelikte)としては、住居侵 入(一二三条二項)、行状監督中の規則違反(一四五条a)、侮辱(一八 五条・一九四条一項)、悪評の流布(一八六条・一九四条一項)、不実の 誹謗(一八七条・一九四条一項)、政治的人物に対する悪評の流布及び 不実の誹謗(一八八条・一九四条一項)、死者の記憶の名誉毀損(一八 九条・一九四条一項)、発言の秘密性の侵害(二〇一条一―二項・二〇 五条)、信書の秘密の侵害(二〇二条・二〇五条一項)、データの盗み見 (二〇二条a・二〇五条一項)、個人的秘密の侵害(二〇三条・二〇五条 一項)、他人の秘密の利用(二〇四条・二〇五条一項)、家内及び親族内 の窃盗(二四七条)、車両の無権限使用(二四八条b第三項)、家内及び 親族内の電力盗用(二四八条c第三項・二四七条)、特殊事情のある事 件または些細な事件における犯人庇護(二五七条四項)、<2004-08-06削除>家内及び親族 内の盗品取得等(二五九条二項一号・二四七条)、同詐欺(二六三条四 項・二四七条)、同コンピューター詐欺(二六三条a第二項・二六三条 四項・二四七条)、同給付詐取等(二六五条a第三項・二四七条)、同背 任(二六六条二項・二四七条)、強制執行妨害(二八八条二項)、被差押 物件の売却(二八九条三項)、密猟(二九二条一項・二九四条)、密漁 (二九三条・二九四条)、完全酩酊(三二三条a)、<2003-01-06削除>守秘義務違反(三五 五条)がある。なお、一定の犯人庇護(二五七条四項)、完全酩酊の場合(三二三条a)も参照。<2003-01-06; 2004-08-06追加>
 次に、検察官が特別な公益があると判断した場合に訴追することがで きる、いわゆる条件付親告罪(relative Antragsdelikte)としては、二 一歳以上の者が一六歳未満の者に対して性的行為を行う場合(一八二条 二項・三項)、露出行為(一八三条二項)、単純故意傷害(二二三条・二 三〇条)、過失傷害(二二九条・二三〇条)、未成年者の略取(二三五 条)、少額事件の窃盗(二四二条・二四八条a)、同横領(二四四条・二 四八条a)、同電力盗用(二四八条c・二四八条a)、同盗品取得等(二 五九条二項)、同詐欺(二六三条四項)、同コンピュータ詐欺(二六三条 a第二項)、同給付詐取等(二六五条a第三項)、同背任(二六六条二 項)、同小切手及びクレジット悪用(二六六条b第二項)、商取引におけ る収賄または贈賄(二九九条)、器物損壊(三〇三条・三〇三条c)、デー タ改ざん(三〇三条a・三〇三条c)、コンピューター妨害(三〇三条 b・三〇三条c)がある。なお、一定の犯人庇護(二五七条四項・二四八条a)、完全酩酊の場合(三二三条a)も参照。<2003-01-06; 2004-08-06追加>

【p.10/p.11】

2 親告罪における修復的司法の考慮

(一)親告罪における宥和・和解思想
 前稿で見たように、マンフレート・マイヴァルトは、親告罪につい て、宥和ないし和解思想(Versöhnungsgedanke)という統一的な基本 思想が根拠になるとしている。すなわち、告訴は、行為者と犠牲者との 間で起こった事件の内部的解決が促されていると思われる縁故犯罪 (Beziehungsdelikte)を類型的に予定しており、告訴期間内に関係者の 宥和・和解が不成功に終わり、そのために被害者が告訴を申し立てたな らば、法的平和が乱されていることから、公式の刑事手続さらには行為 者の処罰が必要になるというものである(40)
 しかし、このような理解には、次のような批判が加えられている。ま ず、第一に、親告罪には和解を想定しうる縁故犯罪のみが含まれるわけ ではない(41)。また、第二に、一定の親告罪について、宥和・和解という要 素が非常に重要ではあるとしても、それのみでは国家訴追主義の制限を 説明するのにはふさわしくない(42)。そして、第三に、関係者の内密な領域 においてのみ発生する縁故犯罪の場合には、公の法的平和はまったく乱 されず、一般人も不安感や危機感を感じないことになり、行為者と犠牲 者との宥和・和解によってそのような感覚を取り除くことはそもそもで きず、また、内密な出来事は後付け的に公の事件にはなりえない(43)という ものである。
 第一の批判が指摘するように、宥和・和解思想を統一的原理としたの では、すべての親告罪を説明しえないおそれがある。これでは、他の合 理的な根拠を持つ親告罪を排除することになってしまい、妥当ではない のである(44)。その意味で、この批判は正当なものと言うことができる。次 に、第二の批判は、宥和・和解という要素について、国家訴追主義制限 の許容性としては、消極的評価を加えている。しかし、裁判外解決によ る訴訟代替の可能性という意味では、宥和・和解という要素も、国家訴 追主義を制限する「許容性」に含まれうるのである(45)。したがって、第二 の批判は妥当ではない。そして、第三の批判は、マイヴァルトが親告罪 制度を縁故犯罪に限定する前提に存在する論理的矛盾を指摘するもので ある。これは、親告罪制度を宥和・和解思想によって「一元的に」理解 することへの批判と言え、この点に関しては正当な批判と言える。もっ とも、この批判によっても、宥和・和解を親告罪の根拠の一つとして理 解することまでは必ずしも否定されるものではない。
 このように、親告罪制度を宥和・和解思想によって一元的に理解する ということは妥当ではないとしても、個別の親告罪における宥和・和解 の観点を否定することはできないと言えよう。なお、親告罪制度を統一 している原理をあげるとするならば、加害者への対応に関する告訴権者 の意思決定の尊重ということになるであろう(46)

(二)親告罪における損害回復
 ペーター・リースは、告訴を、被害者が金銭的な賠償(materielle Wiedergutmachung)を促進させうる道具とも呼んでいる。リースは、 告訴が被害者の自由な意向のみに依存して取り消されうる(ドイツ刑法 七七条d)との規定から、自らの見解を説明している(47)
【p.11/p.12】
 こうした見解は、告訴は自由に取消すことができる(48)ので、公判におい て被告人に有罪判決が差し迫った状況で、被害者が損害賠償を促進させ る圧迫手段を獲得することになることから、一定の根拠をもつものであ る(49)
 これに対して、ギュンター・ツェヒマンは次のように批判を加える。 すなわち、損害の回復というものは、告訴権のある部分的な観点のみを 問題にするものであり、そもそも刑事訴追がなぜ被害者の告訴に左右さ れるのかが未解決のままである。それゆえに、公判中の行為者と犠牲者 との私的合意は、親告罪の本質を特徴付けることはなく、単に、告訴の 取消への期待から生じる副次的効果を表しているにすぎない(50)、と。
 たしかに、損害回復は、マイヴァルトの宥和・和解思想と同様に、親 告罪の告訴の一側面しか捉えておらず、親告罪制度の統一的な根拠とし ては採用できない。しかし、それに限定せず他の要素も考慮に入れられ るならば、親告罪の根拠の一要素として考慮することは、不可能ではな いように思われる。もっとも、告訴の取消に裏打ちされた促進・強制的 側面が強調されるならば、前述のような任意性を前提とする本来的な損 害回復の考え方からは、必ずしも肯定的に評価できるものではない。し かし、いずれにしても、副次的効果ではあれ、親告罪という制度が、事 実上は、損害賠償を促しうるものであるとは言えるであろう。
 以上は、告訴の取消が「刑事手続の確定力ある終結」の時まで認めら れる(ドイツ刑法七七条d第一項)ドイツにおいての議論である。これ に対して、日本においては、告訴の取消は、「公訴の提起があるまで」 とされている(刑訴法二三七条一項)。したがって、ドイツの議論がそ のまま妥当するわけではない。しかし、公訴提起後であれ公訴提起前で あれ、告訴が取り消されることでそれ以後の(公訴提起ないし)公判が 妨げられるという効果は変わらないのであるから、基本的には、同様の 議論があてはまると言えよう。

3 私人訴追制度との関連性

 ドイツでは一定の犯罪について私人訴追が認められる(ドイツ刑訴法 三七四条以下)(51)。この私人訴追の対象となる犯罪は、刑法典に規定され た犯罪に限定すれば、@住居侵入(刑法一二三条)、A侮辱(刑法一八 五条から一八九条まで)のうち対象が刑法一九四条四項の定める政治団 体である場合を除くもの、B信書の秘密の侵害(刑法二〇二条)、C傷 害(刑法二二三条及び二二九条)、D脅迫(刑法二四一条)、E商取引に おける収賄または贈賄(刑法二九九条)、F器物損壊(刑法三〇三条) である(ドイツ刑訴法三四七条一項)。これらは、親告罪と一致するも のが多く(52)、一致しないのは、D脅迫のみである。
 このような親告罪と私人訴追が重なる犯罪においては、告訴権者は、 告訴をしないことにより訴追を妨げることができる一方で、訴追を望む 場合には、告訴を申し立て検察官が訴追するのを期待するのみならず、 自ら訴追を行うことができるのである。さらに重要なのは、これらの私 訴が認められる犯罪の場合には、E商取引における収賄または贈賄を除 いて、州の司法行政官庁の指定した調停官による和解(Sühne)の試み が前置されることが要請されている(ドイツ刑訴法三八〇条一項)点で ある。この趣旨は、一般に、法的平和(の回復)と裁判所の負担軽減の 【p.12/p.13】 ために、できる限り刑事訴訟を回避するというものであるとされてい る(53)。しかし、私人訴追の対象となっている犯罪からあえてE商取引にお ける収賄または贈賄が除かれている点をも考慮するならば、和解の試み が前置されるべき理由はこれに止まるものとは言えないだろう。つま り、このような犯罪の場合には、和解によって刑事訴訟を代替する許容 性が認められるとともに、そのような和解が成立することが期待できる ということが想定されているのである(54)。これは、取りも直さず、少なく とも、刑訴法三八〇条が適用される親告罪については、そのような考慮 が認められうるということを意味しているのである。
 ところで、日本においては、このような私人訴追制度も和解前置主義 も認められない。しかし、ドイツにおいて和解前置主義が認められるの と同様の罪種において、和解という要素が考慮されうるという点は肯定 できるだろう。もっとも、日本における親告罪とは一致しないものも存 在する。これは、親告罪規定が一つの要素を根拠とするのではなく他の 要素との兼ね合いで決定されるという性質を持つものであるとともに、 ドイツと日本において実体刑法各則の解釈が必ずしも一致していないこ とが一因であると考えられる(55)

4 いわゆる「首服」(刑法四二条二項)の意義

 日本の刑法四二条二項は、「告訴がなければ公訴を提起することがで きない罪について、告訴をすることができる者に対して自己の犯罪事実 を告げ、その措置にゆだねたときも、前項と同様とする」と規定し、同 条一項の「罪を犯した者が捜査機関に発覚する前に自首したとき」と同 様に、刑の任意的な減軽を認める。
 通説によれば、同条項の規定するいわゆる首服が刑の任意的減軽事由 とされる趣旨は、自首による場合と同様であるという(56)。また、自首が刑 の任意的減軽事由とされる趣旨は、@犯罪の捜査を容易にするという政 策的理由と、A改悛による非難の減少によるという(57)
 これに対して、高橋則夫は、自首を「責任関連型である象徴的な損害 回復」と位置付け、通説を次のように批判する。すなわち、右の通説的 な根拠は「行為者関係的側面に基づくものであり、被害者関係的側面か ら自首を把握すれば、自首は社会に対する謝罪的側面を有すると同時 に、被害者に対する現実的な損害回復の端緒の側面を有すると言えるで あろう。いわば、自首は、それによって、法的平和が回復され、また、 被害者保護のためにも犯人に対して一種の『後戻りのための黄金の橋』 を架けるものであり、それを渡った者に対しての刑の軽減可能性を与え たと考えることができると思われる。これが第一次的根拠であり」、右 の通説的な根拠は、「第二次的根拠と理解することができる」(58)と。
 しかし、自首とは、現行法の規定によれば、あくまで捜査機関に対す るものである(59)ことから、自首の社会に対する謝罪的側面(象徴的な損害 回復)は肯定されうるとしても、被害者に対する現実的な損害回復の端 緒の側面は、いわば間接的で副次的なものと言わざるをえない。その点 で、このような側面をも刑の任意的減軽の第一次的根拠であるとするの は、妥当ではない。
 もっとも、被害者に対する現実的な損害回復の端緒の側面というこの 着想は、さらに進んで、いわゆる首服の場合を考えた場合には、非常に 【p.13/p.14】 参考になると思われる。というのも、首服は、親告罪の告訴権者に対し て自己の犯罪事実を告げてその措置にゆだねるというものであることか ら、被害者に対する現実的な損害回復の端緒の側面が正面から肯定され うるのである。さらに、そこには謝罪も期待されるであろう。ただし、 当該規定によって刑の任意的減軽という効果が現れるためには、対象犯 罪が親告罪であることから、告訴権者によって告訴が申し立てられるこ とが前提になっている(そして、訴追され、有罪が言い渡される)とい う点に注意しなければならない。つまり、この場合には、多くは被害者 であるところの告訴権者が、和解の失敗か他の何らかの理由によって、 「加害者の訴追を望む」という結果に至っているのである。これは、和 解の努力をしたがそれを達することができなかった場合にも刑の任意的 減免を認めるドイツ刑法四六条aの立場に、程度の差は大きいかもしれ ないが、類似したものと言えるのではないだろうか。
 とはいえ、いわゆる首服が刑の任意的減軽事由とされる趣旨について、 @犯罪の捜査を容易にするという政策的理由と、A改悛による非難の減 少という観点とが、存在していることは否定できない(60)。したがって、い わゆる首服によって刑の任意的減免<(正)「減軽」:2006-09-24>が認められる根拠は、従来の通説が 指摘する二つの要素と、謝罪を含めた損害回復の端緒を与えるという要 素とが組み合わさったものであると言うことができるであろう。
 以上から、個々の親告罪規定の背景にあるそれぞれ程度の異なる宥 和・和解思想と、すべての親告罪に認められるいわゆる首服に刑の任意 的減免<(正)「減軽」:2006-09-24>を認めた刑法四二条二項とが相まって、親告罪制度全体として、 修復的司法ないし損害回復を促していることになるだろう。もっとも、 親告罪制度を統一する原理としては、修復的司法ないし損害回復を採用 することはできないという点については先に述べたとおりである。


(38) 刑法典の条文は、日本については二〇〇一年七月四日現在、ドイツにつ いては二〇〇一年八月一日現在のものによった。
(39) Vgl. Holger Haupt/ Ulrich Weber, Handbuch Opferschutz und Opferhilfe, 1999, S. 55f. 当該文献は、親告罪のすべてを網羅しているわけではない ため、筆者が適宜補充した。
(40) Manfred Maiwald, Die Beteiligung des Verletzten am Strafverfahren, GA 1970, S. 33ff., S. 36ff. なお、拙稿・前掲注(1)一〇頁、田口守一 「親告罪の告訴と国家訴追主義」『宮澤浩一先生古稀祝賀論文集・第一巻・ 犯罪被害者論の新動向』(二〇〇〇年)二四六頁以下を参照。
(41) Günther Zechmann, Setzt die Nebenklagebefugnis einen Strafantrag voraus ?, 1996, S. 113.
(42) Hans-Joachim Rudolphi, Systematischer Kommentar zum Strafgesetzbuch I, 29. Lfg., 7. Aufl., 1998, S. 2f., Vor § 77, Rn. 3.
(43) Maria-Katharina Meyer, Zur Rechtsnatur und Funktion des Strafantrags, 1984, S. 37f.; Thomas Weigend, Deliktsopfer und Strafverfahren, 1989, S. 450f. Vgl. auch Zechmann, a. a. O. (Anm. 41), S. 113.
(44) 拙稿・前掲注(1)一一頁。
(45) 拙稿・前掲注(1)一二頁。
(46) 拙稿・前掲注(1)一二頁。
(47) Peter Rieß, Die Rechtsstellung des Verletzten im Strafverfahren, in: Verhandlungen des 55. Deutschen Juristentages in Hamburg 1984, Gutachaten C, S. 19.
(48) 告訴の自由な取消可能性は、一種の私的恩赦(Privatbegnadigung)と も説明されうるという(Medem o. A., Beseitigung der Antragsdelikte, GS 29, 1877, S. 518. Vgl. Zechmann, a. a. O. (Anm. 41), S. 114)。
(49) Vgl. Zechmann, a. a. O. (Anm. 41), S. 114.
【p.14/p.15】
(50) Zechmann, a. a. O. (Anm. 41), S. 114.
(51) ドイツにおける私人訴追手続については、上田信太郎「西ドイツにおけ る私人訴追手続」『一橋研究』一三巻四号(一九八九年)八七頁以下、同 「ドイツ私人訴追手続の沿革と私訴犯罪について」『一橋研究』一七巻二号 (一九九二年)四一頁以下を参照。Vgl. auch Michael Schauf, Entkriminalisierungsdiskussion und Aussöhnungsgedanke, 1983. なお、同 書については、光藤景皎によって非常に詳細な紹介がなされている(同 「〈紹介〉ミヒャエル・シャウフ『非犯罪化の議論と和解思想』」『大阪市立 大学法学雑誌』三二巻二号(一九八五年)一八九頁以下)。
(52) Vgl. Claus Roxin, Strafverfahrensrecht, 25. Aufl., 1998, S. 493, Rn. 5. なお、クラウス・ロクシン著〔新矢悦二=吉田宣之訳〕『ドイツ刑事手続 法』(一九九二年)六二六頁も参照。
(53) Vgl. Roxin, a. a. O. (Anm. 52), S. 495, Rn. 16. さらに、吉田敏雄「法 的平和の恢復(七)」『北海学園大学法学研究』三二巻三号(一九九六年) 四八五頁も参照。
(54) Vgl. Schauf, a. a. O. (Anm. 51), S. 148 ff. なお、光藤・前掲注(51) 二一二―二一三頁も参照。
(55) 個別規定の検討は、別の機会に改めて行いたい。
(56) 大谷實『新版刑法講義総論』(二〇〇〇年)五四六頁、川端博『刑法総 論講義』(一九九五年)六七三頁、田宮裕『注釈刑法(2)-II総則(3)』 〔団藤重光編〕(一九六九年)四四四頁等。
(57) 大谷・前掲注(56)五四六頁、川端・前掲注(56)六七二頁等。なお、 増井清彦『大コンメンタール刑法・第三巻』〔大塚仁ほか編〕(第二版・一 九九九年)四四五頁も参照。
(58) 高橋・前掲注(12)二四頁。
(59) もっとも、改正刑法草案四九条二項は、告訴権者、告発権者ないし請求 権者に対して自己の犯罪事実を告げ、その措置をゆだねる行為をも「自白」 と規定しており、もし、高橋がこの意味において自白の概念を用いている のであれば、批判は必ずしもあたらないことになる。
(60) 自首・自白等を含めて、通説の主張する根拠に関する検討は、別の機会に改めて行いたい。

結びにかえて

 本稿を締め括るにあたり、以上の検討で導かれた結論の骨格部分をま とめておくことにする。
 修復的司法論は、発生した事件・紛争(犯罪)を解決するにあたり、 懲罰・刑罰という国家的な制裁に頼らずに、関係当事者同士の話し合い 等によって、金銭的な損害賠償のみならず、赦しや癒えといった広い意 味での事件からの回復・修復がもたらされることを目指すものである。 一方、損害回復論は、国家及びコミュニティの位置付けついて<(正)「位置付けについて」:2002-03-07>、修復的 司法とは異なる想定をしているが、基本的にその目指す方向性は同じで ある。
 この修復的司法は、社会的事実としての事件・紛争の解決に正面から 取り組むものであり、司法制度として採用されるべきものであるが、無 罪推定の原則や、和解という性質から導き出される内在的制約である任 意性の要求から、現行刑事司法制度との併存が望ましい。具体的な実施 にあたっては、現行の実務で行われている示談を(準)公的な制度とし て確立し、それに関連した手続規定や実体規定を整備すべきである。
 もっとも、現行法に規定された親告罪制度の存在を忘れてはならな い。なぜなら、告訴権者自らが刑事司法を避け和解等を選べる親告罪 は、発生した事件・紛争を解決するにあたって懲罰・刑罰という国家的 な制裁に頼らず関係当事者同士の話し合いによる事件解決を目指す修復 的司法のアプローチに非常に類似しているからである。また、親告罪 は、国家訴追権ないし国家刑罰権を放棄する一定の基準を提供しうるで 【p.15/p.16】 あろう。
 親告罪の根拠に関しては、宥和・和解思想や損害回復論によって一元 的な理解を試みるものがあるが、いずれも成功していない。親告罪の統 一的原理は、「加害者への対応に関する告訴権者の意思決定の尊重」で あり、宥和・和解思想は、根拠の一つと位置付けられる。
 また、いわゆる「首服」(刑法四二条二項)が刑の減軽を認められる 理由は、@犯罪の捜査を容易にするという政策的理由と、A改悛による 非難の減少という観点だけでなく、B謝罪を含めた損害回復の端緒を与 えるという観点も含まれる。
 以上から、個々の親告罪規定の背景にある宥和・和解思想と、いわゆ る首服規定とが相まって、親告罪制度全体として、修復ないし損害回復 を促していると言える。

〔二〇〇一年一〇月四日脱稿〕

(明治大学大学院法学研究科博士後期課程 mutsumi@aurora.dti.ne.jp)

〔お詫びと訂正〕
 前稿「親告罪における告訴の意義」『法学研究論集』一五号(明治大 学大学院、二〇〇一年)一頁以下において、表記の誤りがありましたの で、この場を借りて、お詫びするとともに訂正いたします。

 〈誤〉一〇頁下段一七行目「Versönung」
      →〈正〉「Versöhnung」
 〈誤〉一三頁下段一三行目「訴訟の代替のという場合」
      →〈正〉「訴訟の代替という場合」


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