http://www.aurora.dti.ne.jp/~mutsumi/study/ronsyu15.html
2001-09-29公刊,2001-10-05Web掲載,2004-08-11最終修正
黒澤睦「親告罪における告訴の意義」法学研究論集第15号(明治大学大学院,2001年9月29日)1-19頁。
Mutsumi KUROSAWA, Zur Bedeutung des Strafantrags bei den Antragsdelikten, Studies in Law vol. 15, 2001, Meiji University Graduate School, pp. 1-19.

  1. 原文は,B5判/縦書/2段組です。
  2. 赤字のものは,出版後に気づいた訂正事項です(<>内の日付は,訂正を行った日の日付です)。お詫びして訂正いたします。また,誤字・脱字等のご連絡をいただいた方に,この場を借りて感謝申し上げます。
  3. 本論文は,立法政策論を含んだ学術論文であり,実務でこのとおりの運用がなされている訳ではありません。実際に事件の当事者になられた方は,弁護士等の法律実務家にご相談なされることをお勧めいたします。

【p.1】

親告罪における告訴の意義

Zur Bedeutung des Strafantrags bei den Antragsdelikten

黒澤 睦 

目次
  はじめに
  一 告訴一般
  二 親告罪の告訴
  結びにかえて

はじめに

 近時、被害者の保護が声高に叫ばれ、刑事司法の枠組みの中で被害者 の地位を高めようとする考え方や、被害者・加害者・コミュニティのす べての回復を図ろうという修復的司法の考え方(1)が台頭し、従来までの 「国家」対「被疑者・被告人」という対立構造による刑事司法の捉え方 が根本から問い直され始めている。そして、そのような潮流は、@「刑 事訴訟法及び検察審査会法の一部を改正する法律」及びA「犯罪被害者 等の保護を図るための刑事手続に付随する措置に関する法律」という新 たな法律の制定という形で一つの実を結んだ(2)
 右の刑訴法等改正法においては、親告罪であるいわゆる性犯罪の告訴 期間が撤廃された(3)が、これは、いわゆる性犯罪の場合には、「犯罪によ る精神的ショックや犯人との特別の関係から、短期間では告訴するかど うかの意思決定が困難な場合があるため」、告訴期間を六ヶ月に制限す べきではないという趣旨によるものであるとされる(4)。本論文は、このよ うな告訴期間に関する議論の基礎にある親告罪における告訴の意義(特 に親告罪の根拠論・制度趣旨論)について考察を加えるものである。ま た、告訴(特に、親告罪の告訴)は、従来までの刑事司法の枠組みの中 【p.1/p.2】 でも被害者の観点を非常に大きく採り入れており、被害者の保護の観点 からも、重要な意義を有していると考えられる。以下では、まず、告訴 一般の意義を検討し、その上で、親告罪の制度趣旨論・根拠論から、親 告罪の告訴に固有の意義を考察していくことにする。


(1) 西村春夫=細井洋子=高橋則夫「修復的司法の探究―21世紀司法への挑 戦―」『現代刑事法』三巻二号(二〇〇一年)八九―九〇頁、西村春夫= 細井洋子「謝罪・赦しと日本の刑事司法―関係修復正義を考える」『宮澤 浩一先生古稀祝賀論文集・第一巻・犯罪被害者論の新動向』(二〇〇〇年) 一九頁以下、前野育三「修復的司法の可能性」『法と政治』五〇巻一号 (一九九九年)一三頁以下等を参照。
(2) 立法経緯について、甲斐行夫=神村昌道=飯島泰「犯罪被害者保護のた めの二法の成立の経緯等」松尾浩也編著『逐条解説犯罪被害者保護二法』 (二〇〇一年)三七―六三頁、神村昌通「刑事訴訟法及び検察審査会法の 一部を改正する法律の概要等」『ジュリスト』一一八五号(二〇〇〇年) 二頁、河村博「犯罪被害者保護関連二法の趣旨と概要」『現代刑事法』二 巻一一号(二〇〇〇年)一〇頁等を参照。
(3) わいせつ目的や結婚目的の誘拐に関するものは、純粋な意味での「性犯 罪」にはあたらないが、類型的に性犯罪を伴う可能性があるとの考慮があ る(高原勝哉「性犯罪における告訴期間の撤廃」『現代刑事法』二巻一一 号(二〇〇〇年)一八頁を参照)。
(4) 河村・前掲注(2)一三頁。同旨、神村・前掲注(2)五頁、光藤景皎 『口述刑事訴訟法・上』(第二版・二〇〇〇年)二三一頁。さらに、高原・ 前掲注(3)一六―一七頁も参照。

一 告訴一般

1 定義

 告訴とは、例えば、「犯罪の被害者その他一定の者が、捜査機関に対 して、犯罪事実を申告し、その訴追を求める意思表示」(5)、あるいは、「被 害者その他法律上告訴権を有する一定の者が、検察官または司法警察員 に対して犯罪事実を申告し、犯人の処罰を求める意思表示」とされる(6)。 この二つの定義の違いは、告訴権者の意思表示が、「訴追」を求めるも のなのか、それとも「処罰」を求めるものなのかにある(7)
 この点について、通説は、親告罪の告訴が一般に訴訟条件であって処 罰条件ではないとされていることから(8)、「訴追」を求める意思表示が告 訴であるとする。しかし、親告罪の告訴が訴訟条件であったとしても、 そのことから論理的に告訴一般が「訴追」を求める意思表示であるとい うことは導き出せない。もとより、文言上は「告訴」とのみ規定されて おり、この実質的な内容が問題となっているのであるから、告訴が被害 者等に認められているという事実やその告訴権者が告訴にあたって通常 抱くような具体的な意思内容をも考慮して、「処罰」を求めるものと定 義した方が、適切であると考えられる(9)
 したがって、私は、告訴とは、犯罪の被害者その他一定の者が、捜査 機関に対して、犯罪事実を申告し、その処罰を求める意思表示であると 考える(10)。なお、判例は、被害者が「相手の男に対して厳重に御処罰を願 い度いと思いますが告訴はしません」という陳述をした事案について告 訴の存在を認めた(11)。この判例の立場は、上記の私見の主旨とほぼ合致す 【p.2/p.3】 るものと言えよう。

2 機能

 従来は、非親告罪の告訴について、親告罪の告訴との比較で、「捜査 の端緒にすぎない」という表現がなされてきた(12)。しかし、告訴に関する 各種の規定や、刑事司法に対する近時の被害者学的観点からすれば、告 訴一般について大きな意義を見出すべきである。
 告訴に関する刑訴法上の規定としては、@告訴関係書類・証拠物の検 察官への送致(刑訴法二四二条)、A起訴・不起訴などの通知(刑訴法 二六〇条)、B不起訴理由の告知(刑訴法二六一条)等がある(13)。第一の 告訴関係書類・証拠物の検察官への送致に関しては、告訴事件は、「民 事、刑事上の法律関係および事実関係が複雑に絡み合い」、告訴人にお いて告訴を「民事訴訟事件の解決の手段として利用しようとすることも 稀ではなく、これの捜査にあたっては十分な法律知識をもって行わなけ れば問題点を的確に捉えた捜査を行うことができないばかりでなく、い たずらに捜査を長期化させて結論を得られない結果をもたらすおそれが あるので、捜査の当初より、法律の専門家である検察官に関与させる の」が相当であるとの趣旨とされる(14)。さらに、「告訴人」の「権利を保 護する観点から、早期の事件処理を図るためにできるだけ早い機会に事 件を公訴官である検察官に送付させようとする趣旨である」とする見解(15) も存在する。いずれにしても、告訴人の利益・意思を尊重するものと言 える(16)。第二の起訴・不起訴などの通知と、第三の不起訴理由の告知とに は、概ね、@告訴をした者の保護・意思の尊重と、A検察官の訴追裁量 の適正化という観点が見出される(17)。これら二つの観点はいずれも重要な ものであるが、第一義的には、@告訴をした者の保護・意思の尊重とい うべきであり、A検察官の訴追裁量の適正化は、@が達成されることに よる派生的効果と考えるべきである(18)。なぜなら、検察官の訴追裁量の適 正化が要求される根源的な理由は、告訴の持つ被害者関係的な意義を考 慮するならば、告訴をした者の保護・意思の尊重にあると考えられるか らである。また、起訴・不起訴などの通知は検察官の義務とされている のに対し、不起訴理由の告知については理由告知の請求があった場合の みの義務であり、検察官の訴追裁量の適正化としては十分なものとは言 えないからである。
 以上より、告訴は、「被害者ないし被害者の側に立つ者の手続関与の 形態」(19)と捉えられ、またそのように機能することが期待されていると言 える。なお、このような告訴の意義の捉え直しや、刑事手続における情 報提供の被害者学的アプローチ(20)等の後押しを受け、一九九九年四月一日 より「被害者等通知制度」が実施されている。これは、告訴した者に認 められる通知・告知の制度を拡張ないし補ったものである(21)

3 類似の制度との比較

(一)被害届

 被害届(22)は、犯罪による被害事実を申告するという部分については告訴 とほぼ共通するので、捜査の端緒になること及び虚偽告訴罪(刑法一七 二条)が適用されうること等の共通点がある(23)
 しかし、被害届は、犯罪による被害の事実を申告するだけで訴追・処 【p.3/p.4】 罰を求める意思表示を欠くという点で告訴と違いがある(24)ので、告訴に関 して認められる法的効果のうち訴追・処罰を求める意思表示にかかるも のは認められない。すなわち、訴訟条件(刑訴法三三八条四号・刑法一 八〇条一項等)、告訴関係書類・証拠物の検察官への送致(刑訴法二四 二条)、起訴・不起訴などの通知(刑訴法二六〇条)及び不起訴理由の 告知(刑訴法二六一条)の規定が適用されない。

(二)告発

 告発(刑訴法二三九条)は、第三者(告訴権者、請求権者、犯人、及 び捜査機関以外の者)が、捜査機関に対して、犯罪事実を申告し、その 処罰を求める意思表示である。犯罪事実の申告と処罰を求める意思表示 の点については、一般に、告訴と同じであるとされている(25)。そのため、 法的効果については、告訴とほぼ共通する。例えば、@告発関係書類・ 証拠物の検察官への送致(刑訴法二四二条)、A起訴・不起訴などの通 知(刑訴法二六〇条)、B不起訴理由の告知(刑訴法二六一条)等であ る。これらの規定は、それぞれについて告発が告訴と併記されており、 告訴と告発とでは差異がない。また、捜査の端緒となる。なお、告発を 待って論ずべき犯罪(26)の場合には、告発は訴訟条件になる。
 しかし、申告・意思表示する主体が告訴とは異なる。文言上は主体に 限定が付されていないが、告訴権者(刑訴法二三〇条以下)、犯人自身 (刑訴法二四五条)、捜査機関(刑訴法二四一条参照)は告発の主体から 除外される(27)。また、官吏又は公吏は、その職務を行うことにより犯罪が あると思料するときは、告発の義務がある(刑訴法二三九条二項)。こ のような差異からすれば、告発においては国家法秩序の維持という要素 も考慮しなくてはならず(28)、告訴の被害者訴追(私人訴追)的な性格に比 べ、告発は公衆訴追に近い性格を持つものと言える。なお、刑訴法二三 四条は、親告罪について告訴をすることができる者がない場合に、利害 関係人の申立により告訴権者を指定する途を用意することで、国家刑罰 権行使の適正をも図っている(29)。利害関係人の利害と国家刑罰権の両者を 考慮するという意味で、告訴と告発の中間的な性質を有していると考え られる(30)。その他、告発には、訴訟条件となる場合であっても、期間制限 がない。

(三)請求

 請求は、一定の機関が、捜査機関等に対して、犯罪事実を申告し、そ の処罰を求める意思表示である。請求は、犯罪事実の申告と処罰を求め る意思表示という点で告訴と共通し、@起訴・不起訴等の通知(刑訴法 二六〇条)、A不起訴理由の告知(刑訴法二六一条)、捜査の端緒となる という効果が認められる(31)
 しかし、請求の場合には、告訴の場合に比べ、@主体が異なり、Aそ の全てが訴訟条件になっており、B告訴・告発のような厳格な手続が刑 訴法上は規定されていないというような違いがある。同じく訴訟条件と なっている親告罪の告訴とは異なり、「請求」というように規定した理 由は、「申告の主体に差異がある外、告訴の厳格な方式をそのまま遵守 させることが適当でないと考えられるからである」(32)。刑法上唯一の請求 を待って論ずる罪である外国国章損壊等罪(刑法九二条二項)の場合、 「外国政府に刑訴法所定の告訴手続を履行させることが、国際礼譲の上 から好ましくない」との趣旨による(33)。また、期間制限もない。

【p.4/p.5】

4 法的性質論

 告訴は、被害者の地位を前提とするので、一種の権利と考えられ、告 訴権の観念が成立するとされる(34)。もっとも、厳密には、国家と犯罪被害 者及びこれと特定の関係にあるもの(いわゆる告訴権者)との間に存す る公法上の関係というべきであり、告訴権者の権利というよりはむしろ 法的地位ないし権能と考えるのが正確であろうとの指摘もある(35)。しか し、国家的な刑事訴追への参与という意味で公法上の関係が認められる としても、刑事司法における被害者の主体性を認めるべきであるとの観 点からは、被害者等の告訴権者の告訴権と解するのが妥当である。

(5) 田宮裕『刑事訴訟法』(新版・一九九六年)五四頁。
(6) 松尾浩也監修『条解刑事訴訟法』(新版・一九九六年)三八三頁。
(7) 「訴追」とする見解には、鈴木茂嗣『刑事訴訟法』(改訂版・一九九〇 年)六七頁、高田卓爾『刑事訴訟法』(二訂版・一九八四年)三二三頁、 団藤重光『新刑事訴訟法綱要』(七訂版・一九六七年)三五五―三五六頁、 平野龍一『刑事訴訟法』(一九五八年)八七―八八頁、牧野英一『刑事訴 訟法』(改訂版・一九四〇年)三五三頁、光藤・前掲注(4)三六頁等が ある。「処罰」とする見解には、高崎秀雄『大コンメンタール刑事訴訟法・ 第三巻』〔藤永幸治ほか編〕(一九九六年)六三四頁、増井清彦『新版告訴・ 告発』(改訂版・一九九八年)三頁、松尾浩也『刑事訴訟法(上)』(新版・ 一九九九年)四〇頁、宮本英脩『刑事訴訟法大綱』(第三版・一九三七年) 一五八頁(参照・引用は、『宮本英脩著作集・第五巻・刑事訴訟法大綱』 (覆刻版・一九八六年)一五八頁による)等がある。
(8) 佐藤道夫『新版条解刑事訴訟法・第三巻』〔伊藤栄樹ほか編〕(一九九六 年)二六八頁を参照。なお、同所は「処罰」の意思表示とする。
(9) 佐藤・前掲注(8)二六八頁、高崎・前掲注(7)六三四―六三五頁を 参照。なお、歴史的・沿革的な検討は、別の機会に行いたい。
(10) 一般的な検討の際には、「訴追・処罰」というように併記する。
(11) 最判昭和二二年一一月二四日刑集一巻二六頁(強姦未遂被告事件)。な お、引用にあたっては、漢字の旧字体を常用漢字に改めた。
(12) 例えば、鈴木・前掲注(7)六七頁、高田・前掲注(7)三二三頁、団 藤・前掲注(7)三五六頁、宮本・前掲注(7)一五九頁等を参照。
(13) ここでは、被害者との関係で特に問題となるもののみを取り上げた。な お、準起訴手続(刑訴法二六二条以下)は、「検察官の訴追裁量じたいの 一般的控制ということよりは、公務員の職権濫用の防圧による市民の人権 保障を実行あらしめるための政策的制度であることを本質とする」(田宮 裕『刑事訴訟法T』(一九七五年)四七六頁)。
(14) 松尾監・前掲注(6)四〇八頁。
(15) 佐藤・前掲注(8)三一三―三一四頁。なお、本条の趣旨について、今 崎幸彦『大コンメンタール刑事訴訟法・第三巻』〔藤永幸治ほか編〕(一九 九六年)七七四―七七五頁を参照。
(16) 平野・前掲注(7)八九頁、光藤・前掲注(4)三六頁等を参照。さら に、本条は、第一次捜査責任を負う司法警察職員が、告訴を受理した場合 に捜査の責任を負うことも当然に含意しているとされる(高崎・前掲注 (7)六五〇頁を参照)。
(17) @について、河村博『大コンメンタール刑事訴訟法・第四巻』〔藤永幸 治ほか編〕(一九九五年)二七二―二七三、二七六頁、田宮・前掲注(5) 一六四頁、松尾監・前掲注(6)四六〇―四六一頁、松尾・前掲注(7) 一四二頁。Aについて、河村・前出二七三、二七六頁。なお、田宮・前掲 注(5)一六五頁を参照。さらに、本条により、検察官は、告訴を受理し た場合には、自ら捜査を行う責任を負うものと解される(高崎・前掲注 (7)六五〇頁を参照)。
(18) 伊藤栄樹=河上和雄補正は、Aの機能は間接的なものとしている(伊藤 栄樹=河上和雄補正『新版注釈刑事訴訟法・第三巻』〔伊藤栄樹ほか編〕 (一九九六年)五五六、五五九頁)。なお、団藤重光『條解刑事訴訟法・上』 (一九五〇年)四四三頁を参照。
(19) 松尾・前掲注(7)四〇―四一頁。
【p.5/p.6】
(20) 太田達也「被害者に対する情報提供の現状と課題」『ジュリスト』一一 六三号(一九九九年)一八―二九頁、川出敏裕「犯罪被害者に対する情報 提供」『現代刑事法』二巻二号(二〇〇〇年)一七―二六頁、新屋達之 「刑事手続における情報提供」『法律時報』七一巻一〇号(一九九九年)二 三―二八頁、八澤健三郎「被害者への情報提供とその問題点―被害者等通 知制度を中心として―」『法律のひろば』五二巻二号(一九九九年)二〇 ―二七頁等を参照。なお、情報提供の理念と意義としては、@被害者の回 復と心情の充足、A被害者の不安軽減、B被害者支援制度の利用、C財産 的被害の回復、D司法に対する信頼の確保等があげられる(太田・前出一 八―一九頁)。
(21) 刑事局長依命通達「被害者等通知制度実施要領について」(一九九九年 二月九日付)。八澤・前掲注(20)二六―二七頁を参照。問題点について、 児玉公男「犯罪被害者の支援について―弁護士会の立場から」『ジュリス ト』一一六三号(一九九九年)六四頁、新屋・前掲注(20)二三頁、川出・ 前掲注(20)一九―二〇頁等を参照。
(22) 被害届については、犯罪捜査規範六一条一項に「犯罪による被害の届出」 に関する規定があるほか、実務上も、盗難届、被害てん末書、上申書の提 出の総称として定着しているので、制度として論ずる。
(23) 松尾・前掲注(7)四一頁注*を参照。
(24) 鈴木・前掲注(7)六七頁、田宮・前掲注(5)五四頁注(1)、松尾・ 前掲注(7)四一頁注*等を参照。
(25) なお、本位田昇は、官公吏の告発義務(刑訴法二三九条二項)を根拠に、 単なる犯罪事実の申告だけで足るとする(本位田昇「捜査の端緒」団藤重 光編『法律実務講座刑事篇・第三巻・捜査及び公訴』(一九五四年)五六 〇頁)が、官公吏の裁量に対する考慮が不十分であり、妥当ではない(増 井・前掲注(7)一二二、一三三―一三四頁を参照)。
(26) 具体的な規定については、今崎・前掲注(15)七二八―七三二頁、増井・ 前掲注(7)一二四―一二七頁等を参照。
(27) 今崎・前掲注(15)七三七頁、本位田・前掲注(25)五六三頁、松尾監・ 前掲注(6)四〇〇頁等を参照。
(28) 松尾監・前掲注(6)四〇一頁を参照。
(29) 松尾監・前掲注(6)三八八―三八九頁、高崎・前掲注(7)六七六頁 等を参照。なお、佐藤・前掲注(8)二八四頁も参照。
(30) 松尾は、告発についても、「被害者ないし被害者の側に立つ者の手続関 与の形態」と捉える(松尾・前掲注(6)四〇―四一頁)。
(31) 松尾は、請求についても、「被害者ないし被害者の側に立つ者の手続関 与の形態」と捉える(松尾・前掲注(6)四〇―四一頁)。
(32) 増井・前掲注(7)二〇〇頁。
(33) 増井・前掲注(7)二〇一頁。さらに、宮崎澄夫「親告罪に関する訴訟 法上の諸問題」日本刑法学会編『刑事訴訟法講座・第一巻・訴訟の主体・ 捜査』(一九六三年)一八一頁、大塚仁『刑法概説(各論)』(第三版・一 九九六年)六五〇頁も参照。特別法上の規定について、増井・前掲注(7) 二〇一頁、宮崎・前出一八一頁等を参照。
(34) 松尾・前掲注(7)四〇頁を参照。
(35) 谷口正孝「告訴・告発・自首」判例時報編集部編『刑事訴訟法基本問題 四六講』(一九六五年)一六〇頁。なお、増井・前掲注(7)九頁を参照。

二 親告罪の告訴

 親告罪の告訴の場合には、@右に述べてきたような告訴一般の意義及 び機能の観点からの「積極的意義」のほかに、A「告訴がなければ公訴 を提起することができない」(刑法一八〇条一項等)との規定による固 有の「消極的意義」が認められる。この消極的意義は、次に述べるよう な親告罪の根拠・制度趣旨から導かれると言えよう。

1 親告罪の根拠論

 親告罪の根拠論としては、大きく分けて、@二つの要素に分けて考え る見解(二分説)と、A三つの要素に分けて考える見解(三分説)とが 【p.6/p.7】 ある。しかし、分類の基準は類似したものであっても、具体的規定につ いて異なった分類がなされている場合がある。また、根拠となる要素 を、排他的なものと考えるのか、あるいはそれぞれの複合的なものを認 めるのかについても各見解によって異なっている。したがって、各見解 についての個別的な検討が必要である。そこで、まず、議論の前提とし て、現在までに主張されてきた代表的な諸見解の内容を確認するととも に、日本での議論に大きく影響を与えていると思われるドイツの学説(36)を 比較検討のために取り上げたい。

(一)日本における議論

(1)二分説
 (a) 大塚仁は、親告罪の根拠論として、@「犯罪の性質上被害者の名 誉を尊重しようとする場合」と、A「比較的軽微な犯罪について被害者 の意思を顧慮しようとする場合」とに分類する。そして、前者の例とし て、刑法一八〇条一項の場合(性犯罪に関するもの)を挙げる。また、 後者の例として、刑法二三二条の場合(名誉に対する罪)を挙げる(37)
 (b) 荘子邦雄は、@「被害者の感情を考慮し、被害者の意思を無視し てまで訴追することが適当でない」場合と、A「比較的軽微な個人的法 益侵害の場合には被害者の意思に反してまで訴追することが適当でな い」場合とに分類する。そして、前者の例として、強制わいせつ罪、強 姦罪、準強制わいせつ・強姦罪、及びこれらの罪の未遂罪、名誉毀損 罪、侮辱罪、未成年者略取及び誘拐罪等の略取・誘拐罪を挙げる。ま た、後者の例として、親書開封罪、秘密漏示罪、過失傷害罪、私用文書 等毀棄罪、器物損壊等罪、親書隠匿罪を挙げる(38)
 (c) 増井清彦は、親告罪を認める理由は、主として、@「公訴を提起 して被害事実を公にすることにより、かえって被害者の名誉、秘密を害 するおそれがある」こと、A「被害が比較的軽微で被害者の意思を無視 してまで公訴を提起する必要がない」ことに求められるとしている。そ して、前者の例として、強制わいせつ罪、強姦罪、名誉毀損罪、秘密漏 示罪を挙げる。また、後者の例として、過失傷害、親族間の犯罪に関す る特例を挙げる(39)
 (d) 牧野英一は、「法律カ親告罪ヲ認ムルノ趣旨ニ二アリ」とし、@ 「告訴ヲ待タスシテ犯罪ヲ審判スルコトカ被害者ノ不利益ヲ醸スコト大 ナルモノアルカ故ニ」親告罪とされる場合と、A「犯罪ノ実害軽微ニシ テ、之カ訴追ヲ為スニハ被害者ノ感情ヲ顧ルヲ利益ト為スルコトアルカ 故ニ」親告罪とされる場合に分類する(40)
 (e) 宮本英脩は、「法律ガ親告罪ヲ認メタル理由ニ二アリ」とし、@ 「事件ニ対シ審判手続ヲ行フコトガ通例被害者ノ不利益ニ帰スル場合」 と、A「犯罪ノ性質軽微ニシテ且之ガ処罰ハ之ヲ被害者ノ意思感情ニ係 ラシムルヲ相当トスル場合」に分類する。そして、前者の例として、強 姦罪等を挙げる。また、後者の例として、名誉毀損罪、過失傷害罪等を 挙げる(41)
 (f) 以上をまとめると、親告罪制度の根拠としては、概ね、@公訴提 起が被害者の名誉・秘密等の点で不利益になる場合、A被害が比較的軽 微であって被害者の意思に反してまで訴追することが適当でない場合と いう二つが想定されている。
 しかし、分類の基準としては非常に似かよったものを用いながらも、 【p.7/p.8】 個別の規定については異なった分類が見受けられる。例えば、名誉に対 する罪について、荘子及び増井は前者の例として挙げているのに対し、 大塚及び宮本は後者の例として挙げている(42)。このような違いが生じるの は、@それぞれの見解で分類の基準が異なっている、A親告罪とされて いる犯罪に関する理解が異なっている、という二つの可能性が考えられ る。しかし、いずれにしても、各見解の具体的内容が明らかではない。
(2)三分説
 (a) 椎橋隆幸は、親告罪とされている犯罪については、@「犯罪の被 害が軽微である」、A「犯罪による秩序の乱れの回復を家族等の親密な 者の手に委ねた方が賢明である」、B「被害者のプライヴァシーを保護 する事の方が重要である」等の理由により、「被害者等国家機関以外の 者に訴追の可否を決定することを認めた」とする(43)
 (b) 松尾浩也は、@「被害者の名誉の保全」、A「家族関係の尊重」、 B「犯罪の軽微性」等を考慮して、刑法では親告罪が規定されていると する。そして、@には、秘密漏示罪、強姦罪、名誉毀損罪、Aには、親 族相盗の場合、Bには、過失傷害罪、器物損壊罪が含まれるとする(44)
 (c) 光藤景皎は、「主として次の理由によ」るとして、@「犯罪が軽 微であって、被害者がとくに希望しない以上処罰の必要性がない」、A 「事件について審理を行うことが、かえって被害者に苦痛を与えるもの で、その者の訴追要求なしに審判を行うことが適当でない」、B「家族 関係を尊重して、被害者の告訴なしに訴追・審判することを適当としな い」との三つを挙げる。そして、@には、器物損壊罪、過失傷害罪、A には、強姦罪、名誉毀損罪、Bには、親族相盗の場合が含まれるとす る(45)
 (d) 以上をまとめると、概ね、@犯罪が軽微であって、被害者が特に 希望しない以上処罰の必要性がない場合、A事件について審理を行うこ とがかえって被害者に苦痛を与えることから、その者の訴追要求なしに 審判を行うことが望ましくない場合、B家族関係を尊重して、被害者の 告訴なしに訴追・審判することが望ましくない場合という三つに分類し ていると言えよう。また、私が参照した文献の限りでは、それぞれの見 解間で整合性のとれない具体例をあげているものはなかった。もっと も、犯罪ないし被害の軽微性という類型において、被害者の処罰要求の 観点を採り入れるか否かの違いがあるようにも思われる。しかし、実際 は、告訴そのものの性質として黙示的にその中に取り込まれており、結 論的には、違いは存在しないと言えよう。
(3)新たな見解 ― 田口守一の見解
 田口守一は、ドイツの学説を参考にしつつ、次のように論じる。「親 告罪制度の根拠として、被害者の名誉の保護、家族関係の尊重あるいは 犯罪の軽微性が挙げられてきた。しかし、告訴が欠けるときに国家の犯 罪訴追が控えられる根拠としては、これらの理由だけでは十分とはいえ ない」。「これらの利益が犯罪訴追の利益よりも価値が高いというだけで はなく、もともと国家による犯罪訴追といっても絶対に貫徹されなけれ ばならないものではないからこそこのような不訴追が可能なのである。 それは、このような事件については、訴訟外における事件当事者による 紛争の解決をもって、刑事司法上の事件の解決とみなすことができるか らなのである」(46)。また、このような親告罪制度の意義に関しては、親告 【p.8/p.9】 罪制度によって「訴訟外の紛争解決が果たされるのであれば、国家はそ れ以上は介入しないという点すなわち国家訴追主義を抑制する点に意味 がある」(47)。そして、このような国家訴追主義の抑制は、刑事事件の解決 という刑事手続の究極の目的にも合致するという(48)

(二)ドイツにおける議論

 親告罪の目的については、ドイツにおいても、二つないし三つのグ ループに分類するのが支配的である(49)
(1)二分説
 例えば、フリードリヒ・ゲールツは、次のように分類する(50)
 (1) 第一は、軽微事犯(Bagatelldelikten<削除:2004-08-11>)である。この場合には、 刑事訴追に対する公衆の利益(Interesse der Allgemeinheit)は、その まま常に存在するというわけではなく、告訴権者の告訴によって初めて 生み出される。これには、住居侵入、言葉の内密性の侵害、少額の窃 盗・横領等が含まれる(51)
 (2) 第二は、そもそも刑事訴追に対する公衆の利益が欠けているとは 言えないにもかかわらず、なんらかの理由から、被害者もしくはその人 間関係に負担をかける刑事手続を回避するという優越する被害者の利益 を承認し、告訴を行わないことで刑事手続の回避を可能にさせる場合で ある。これには、未成年者の奪取、親族相盗の場合等が含まれる(52)
(2)三分説
 例えば、スザンネ・ブレーマーは、次のように分類する(53)
 (1) 第一は、刑事訴追に対する公衆の利益(Interesse der Allgemeinheit) が欠ける場合である。これには、例えば、住居侵入、過失傷 害、少額の窃盗・横領、器物損壊等が該当する(54)。この場合には、法益侵 害がそれほど重大でなく、職権による介入が必ずしも必要ではない。つ まり、このような構成要件の場合には、刑事訴追を決定する判断を被害 者に委ねてもよい「軽微性」(Bagatellcharakter)が傑出しているので ある。したがって、告訴によって刑事訴追の希望が明らかにされること を条件に、刑事訴追が開始されうるのである。ここでの決定的な視点は、 @告訴の申立てで表明される満足要求(Genugtuungsbedürfnis)であ る。また、付加的な観点として、A損害賠償等の裁判外の合意の可能性 を被害者に付与することが挙げられる(55)。ただし、告訴の濫用的不行使を カバーするために、特別な公益(besondere öffentliche Interesse)が肯 定される場合には職権訴追を認めるという条件付親告罪(relative Antragsdelikte)(56) が採用されてきている。このような条件付親告罪が採用 された場合には、被害者が告訴を申立てる可能性は、特別な公益によっ て、もはや無に帰してしまう。
 (2) 第二は、家族及び親族を保護する場合である。これには、例え ば、親族相盗の場合が含まれる(57)。この場合には、同時に軽微なものに関 する問題であることもあるが、公衆の利益が欠けるというだけでは説明 できない。ここでは、被害者が告訴を控えた場合に、人間関係に負担を かける刑事手続を場合によっては回避することが、ある特別な行為者= 犠牲者関係に基づいて(aufgrund eines besonderen Täter-Opferverhaltnisses)、 正当とみなされる。すなわち、刑事訴訟は和やかな共 同生活を不可能にするような深刻な家庭崩壊を導く可能性があり、これ が実際の犯罪行為よりも深刻なものとなる場合には、国家による処罰よ 【p.9/p.10】 りも当事者を和解させる(aussöhnen)方が好ましいのである。つまり、 立法者は、国家による刑事的対応のみならず、行為者と犠牲者との間の 宥和(Versöhnung)もまた、法的平和を回復する(den Rechtsfrieden wiederherstellen)のにふさわしいということを考慮しているのである。
 (3) 第三は、犠牲者のプライバシーを保護する場合である。これに は、言葉の内密性の侵害、信書の秘密の侵害、個人の秘密の侵害、未成 年者の奪取等が含まれる(58)。この場合には、刑事訴追に対する国家の利益 は、それ自体としては、たしかに多くの場合は存在し、違法性の程度も 大きく、軽微な犯行態様をとることはほとんどない。しかし、国家は、 被害者の利益及び羞恥心に配慮して、被害者の行為者の刑事訴追及び処 罰を望んでいるということが告訴によって明らかにされない限りは、刑 罰権を主張することを放棄したのである。この類型は、例外なく、被害 者の私的生活領域及びプライヴァシーの領域に関係している。そのた め、刑事訴訟で公開の審議をされることで、内密な詳細部分がさらに害 される可能性がある。そのような危険がある場合に、被害者は告訴を控 えることによって刑事訴訟を阻止することができるのである。また、個 人のプライヴァシーの領域は、社会共同生活にとって重要な意義を有し ており、このような人格的利益を刑事司法が無視することは妥当でない から、軽微事犯に比べ、告訴要件を認めることに問題性が少ない。
(3)宥和思想による一元的理解とその進展
(A)マンフレート・マイヴァルトは、告訴権、私訴権の根拠における 統一的な原理として、和解(Versöhnung)思想を挙げる(59)。親告罪の重 点は典型的には事前に存在する行為者と被害者との関係にあり(60)、「犯罪 の発生した後の社会における法的平和の回復は、国家の刑罰的反作用に よるだけでなく、行為者と被害者との和解によっても可能であり、その 場合和解として積極的な許しだけではなく、交渉(Sich-Arrangieren) を含めて理解されるべきである」とする(61)。したがって、被害者は非刑罰 的な調整のあらゆる可能性を尽くすことを期待されているという(62)。この 立場に立つと、そのような特別な関係が通常は欠けている過失傷害及び 万引きについては告訴要件を排除すべきことになるという(63)
(B)ハンス・ヨアヒム・ルドルフィは、宥和思想の適用可否によって 二分類した上で、次のように分析する(64)
 (1) 第一は、行為者が類型的に特定の犠牲者をねらうような場合(例 えば、侮辱、言葉の内密性の侵害、信書の秘密の侵害、未成年者の奪 取、器物損壊、家内の窃盗、故意傷害)である。この場合には、行為の 犠牲者は、公衆の代表としてではなく、行為者に既に面識のある個人と しての個別的な人物であって、第三者も公衆も潜在的犠牲者(potentielle Opfer)とはみなされない。したがって、その人物のみに限定さ れる攻撃によりわずかに乱された法的平和を、行為者との宥和 (Versönung<(正)「Versöhnung」:2001-10-05>によって回復し、それによって刑事手続を不要とする可 能性が犠牲者に開かれているのである。しかし、宥和は、このような親 告罪の理解に非常に重要ではあるが、職権(訴追)主義(Offizialmaxime) の制限を説明するのにはふさわしくない。したがって、告訴要 件を設ける根拠としては、付加的に、(i)重大犯罪の問題ではないこと(65)、 そして何よりも(ii)刑事訴追と「犠牲者の重大な利益」とが対立している ことが必要になる。例えば、@親族相盗の場合には、家庭の平穏 【p.10/p.11】 (Familienfrieden)の維持という利益、A侮辱の場合には、生じた被害 以上に刑事手続によって犠牲者に負担をかけないという思想、B未成年 者の奪取の場合には、刑事訴訟によって犠牲者の親族関係にそれ以上介 入しないとの意図である。
 (2) 第二は、(典型的な)宥和思想に基づかない場合(例えば、車両 の無権限使用、少額の窃盗及び横領、過失傷害等、いわゆる軽微事犯) である。これは、特別な人間関係的な行為が欠けているばかりか、むし ろ具体的な犠牲者の被害は類型的に偶然なもの(例えば、交通事故によ る過失傷害)や、出来心の結果、あるいは貧困の帰結である。また、こ の場合には、被害者の告訴は恣意的な行使の危険性をはらんでいる(66)

(三)学説の検討

(1)二分説と三分説の差異
 ブレーマーは、二分説と三分説の両者は、@軽微性、A私的領域を保 護し家庭の平穏(Familienfrieden)を保持するという点では変わりが ないとする(67)。これによれば、二分説と三分説との差異は、私的領域の保 護と家庭の平穏の保持とを分離するか否かの点にあることになる。しか し、このような捉え方は、伝統的な学説にはあてはまるとしても、右で 見たような現在の学説には、必ずしもあてはまらない。ブレーマー自身 も、軽微事犯において付加的な観点ではあれ損害賠償等の裁判外の合意 の可能性を被害者に付与するとしており(68)、もはやこのような捉え方は妥 当とは言えない。また、前述のとおり、日本の学説にも動きが見られる ことから、各説の根拠を個別的に検討するよりほかないと考えられる。
(2)一元的理解の問題点
 田口やマイヴァルト(及びルドルフィ)の見解は、親告罪制度の根拠 に関して、特定の原理による統一的な把握を試みている。すなわち、田 口は「訴訟外における事件当事者による紛争の解決をもって、刑事司法 上の事件の解決とみなすことができる」という観点、マイヴァルト(及 びルドルフィ)は宥和(Versöhnung)思想(69)である。このように、特定 の原理によって親告罪制度を捉え直すことは、個別的な親告罪の根拠の 比較から類型性(あるいは共通点)を見出すのに比べ、親告罪「制度」 の根拠に迫る非常に画期的なものと言える。しかし、このような統一的 な原理では、すべての親告罪を説明しえないおそれがあり、合理的理由 のある親告罪を排除することになってしまい、妥当ではない。
 この点に関して、田口は、他の観点を排斥せず従来からの親告罪制度 の根拠を補完する形で右の観点を採り入れていることから、問題は少な い。これに対して、マイヴァルトは、和解の基礎となる事前に存在する 行為者と被害者との特殊な関係を親告罪の重点とし、このような関係が 通常は欠ける過失傷害及び万引きについて告訴要件を排除すべきとす る。しかし、その点のみを強調するのであるならば、過失傷害や万引き であっても類型的ではないにせよ親族関係が存在すれば告訴要件を付す ような規定があるべきとも言え、マイヴァルトの見解は妥当ではない。 なお、ルドルフィの見解は後者の類型についての積極的な理由付けがで きず妥当ではないが、前者の類型で加えられている付加的な根拠は非常 に示唆に富む。
(3)各説で用いられている宥和思想の意味の差異
 マイヴァルトとルドルフィは同じ宥和思想という概念を用いている 【p.11/p.12】 が、両者には違いがある。すなわち、マイヴァルトの言う宥和思想は、 事前に存在する行為者と被害者との間の特別な関係を前提としており、 その関係性が紛争の私的解決を可能にするという。これは、特別な人間 関係という属人的な要素を重視していると言える。これに対して、ルド ルフィの言う宥和思想は、類型的に特定の個人に向けられるか否か、す なわち第三者や公衆が潜在的犠牲者(potentielle Opfer)と言えるか否 かという基準を用いている。この場合には、特別な人間関係が事前に存 在するとは必ずしも想定しておらず、むしろ犯罪行為が特定の個人に向 けられるか否かという犯罪行為自体の属性を基準としていると言える。
 このような違いは、親告罪制度の根拠論においても違いをもたらす。 すなわち、マイヴァルトのように属人的な性質に着目した場合には、宥 和の期待が国家訴追主義を制限して親告罪を認める「必要性」になりう るのに対し、ルドルフィのように犯罪行為自体の属性に着目した場合に は、宥和の可能性が国家訴追主義を制限して親告罪を認める「許容性」 になりうるのである。しかし、ルドルフィ自身は、宥和が、職権(訴追) 主義の制限を説明するのにはふさわしくないとしており、妥当ではない。

(四)親告罪の具体的な制度趣旨・根拠

 まず、親告罪制度は告訴権者の告訴に訴追・処罰の可能性をかからし めるのであるから、犯人への対応に関する告訴権者の意思決定の尊重 が、親告罪制度の核心であると言える。
 そして、その告訴権者の意思決定の尊重を実現するにあたって、二つ のベクトルがある。第一は、国家訴追主義を制限する「許容性」である。 これは、国家訴追主義を貫徹しなくてもよいとする可能性(70)とも言い換え られる。これには、(ア)犯罪の軽微性と、(イ)訴訟外での紛争解決の 可能性(「訴訟の代替」と略す)がある。第二は、被害者の意思を尊重 すべきという国家訴追主義を制限する「必要性」である。もっとも、国 家訴追主義を制限すること自体が直接的な目的ではなく、告訴権者の意 思決定を尊重すべき「必要性」と捉える方がより正確である。これには、 (あ)訴追によって被害者が受ける害悪(二次的被害、名誉侵害等)の 回避(「害悪の回避」と略す)、(い)家庭の平穏の保護、(う)不訴追・ 不処罰の要求という意味での消極的処罰要求の尊重(「消極的処罰要求 の尊重」と略す)、(え)裁判外での損害賠償、和解、もしくは赦しがな されることへの期待(「裁判外解決の期待」と略す)等がある(71)
 これらは、対立する利益構造の検討という観点からは、@国家による 訴追の利益と、A被害者等の告訴権者がそのような訴追を妨げる利益と 捉えられるだろう(72)
 ところで、この二つのベクトルについては次のような関係が成り立 つ。まず、現行法制度が国家訴追主義を採用する以上、それを制限する 「許容性」が必要となる。また、「必要性」がなければ、あえて国家訴追 主義を制限するまでもない。したがって、両者が具備されてはじめて国 家訴追主義が制限される。ただし、その「許容性」と「必要性」は必ず しも一定のものではなく、各犯罪、各事案によって異なる。それゆえ に、両者を合成したものが親告罪制度の根拠となるのである。
(ア)許容性―犯罪の軽微性
 犯罪の軽微性という要素は、国家訴追主義を制限する「許容性」にあ たる。すなわち、犯罪が軽微である場合には、国家としてその犯罪を訴 【p.12/p.13】 追・処罰する必要が通常の場合は低いのである。ただし、具体的事例に よって、国家として訴追すべきような場合、すなわち特別な公益が認め られる場合には、職権訴追を認める条件付親告罪がドイツで認められて いるということは、既に見たとおりである。このような犯罪の軽微性 は、すべての親告罪について関係し、必要性のベクトルとの相対的なも のである。顕著な例は、強姦事犯で致傷・致死結果が生じた場合と生じ なかった場合との差異に見出すことができる。これは、宥和思想を採用 するルドルフィが、前述のように「重大犯罪の問題ではないこと」とい う要件をあげていることからも補強される。また、この軽微性は、法定 刑のみでは測ることができない。例えば、強姦事犯において単独犯によ る場合と共犯者がいる場合を考えると、法定刑は同じであるが共犯者が いる場合にのみ非親告罪となる(73)。また、非親告罪である過失致死罪(刑 法二一〇条)の法定刑は親告罪である器物損壊等罪(刑法二六一条)よ りも軽い。このように、犯罪の軽微性は、国家としてその犯罪を訴追・ 処罰する必要性の欠缺(まさに「許容性」の一側面)とも言い換えられる。
 なお、イェシェック=ヴァイゲントは、軽微性が問題になる場合に は、被害者の恣意によらずに客観的な基準によって、訴追の必要性が決 定されるべきであるとする(74)。しかし、親告罪の立法的な罪種選択で一定 の客観的基準がありその範囲内で被害者の裁量的判断が認められ、また ドイツにおいては条件付親告罪の制度があることから、批判はあたらな い。
(イ)許容性―訴訟の代替
 訴訟外での紛争解決の可能性(訴訟の代替)という要素は、国家訴追 主義を制限する「許容性」である。この要素については、田口の示唆す るように刑事手続の目的を刑事事件の解決ないし紛争の解決であるとす れば、その解決方法としては、(え)裁判外解決が想定されることにな ろう(75)。しかし、告訴権者が告訴をしない場合には、このような理由によ らない場合も存在する。すなわち、(あ)害悪の回避という要素に中心 的な根拠を求める親告罪の場合には、そのような解決方法がとられてい ないのにもかかわらず告訴しない場合があるのである。このような場合 に、訴訟外での紛争解決の可能性があるとして親告罪とすること、すな わち国家訴追主義を制限する「許容性」が認められるとするのは妥当で はない。これは、(え)裁判外解決の期待という場合には、被害者等の 告訴権者に対してそのような選択肢を与えるという意味で、被害者等の 告訴権者に酷ではないのに対して、(イ)訴訟の代替<「の」を削除:2001-10-05>という場合には、 告訴しない場合にそのような解決手段をとらなくてはならないという義 務的性質をも有するからである。
 なお、その他の要素とは親和性がある。例えば、(ア)犯罪の軽微性 が認められる場合には、訴訟外での紛争解決が比較的容易になされ、か つ刑事事件ないし紛争の解決としてふさわしい結果になる場合が多い。 また、(い)家庭の平穏を保護する場合には、後で見るように家庭に紛 争の処理を任せた方がいいという趣旨であり、特に強い関連性がある。 そして、(う)消極的処罰要求の尊重という要素は、訴訟を代替させる 前提とも言え、密接な関連性を有するのである。
(あ)必要性―害悪の回避
【p.13/p.14】
 被害者が事件について審理が行われることによって受ける害悪を回避 する(害悪の回避)という要素は、親告罪の「必要性」ということがで きる。捜査・刑事司法機関によるものは特に「二次的被害」として取り 上げられるように、その苦痛は深刻なものである(76)。また、事件が公にさ れることでさらに被害を悪化させるおそれがある(77)。したがって、このよ うな苦痛を、被害者あるいは被害者側の人物である告訴権者が、自らの 選択により回避するという手段を設ける必要があるのである。
 もっとも、イェシェック=ヴァイゲントは、告訴の不行使によるより も、被害者に刑事手続打ち切りの申立を認めるべきとする(78)。しかし、打 ち切りの決定を裁判によるとすれば新たな害悪を生む可能性があるとと もに、刑事手続打ち切りの申立の制度があったからといって告訴要件の 意義を否定することはできず、批判は妥当ではない。
 なお、従来は、刑事司法機関に届出や告訴をしないことが、いわゆる 「泣き寝入り」として、消極的に評価されてきた。しかし、このような 届け出ないあるいは告訴をしないという判断は、被害者等の告訴権者に よって行われた自己に関係する様々な利益の比較考量による積極的な自 己決定であり、安易に消極的評価を加えるべきではない(79)
(い)必要性―家庭の平穏の保護
 家族関係を尊重し法が介入するのを控えるべき(家庭の平穏の保護) という要素は、国家訴追主義を制限すべき「必要性」である。これは、 親族間の犯罪に関する特例ないし親族相盗の場合に関する根拠としてあ げられる。これらの犯罪を親告罪とする理由は、通説的見解によれば、 「法は家庭に入らず」という法思想によるものだとされる(80)。これは、親 族間で犯された「財産犯罪に対しては、国家が積極的に干渉するより も、親族間の処分に委ねる方が、親族間の秩序を維持させる」上で適当 である(81)というものである。この場合には、行為者と犠牲者との間の宥和 も、紛争解決の方法としてふさわしいと言えるのである(82)
 ところで、(あ)害悪の回避という要素とは、害悪を回避するという 点で共通するが、その主体が被害者自身であるか家庭という共同体であ るかという違いがある。また、家庭の平穏の保護という場合には、単に 害悪を回避して現在の家庭の平穏を維持するという消極的な面だけでな く、その内部において紛争を解決しうるという積極的な意義を有してい る。したがって、両者を混同すべきではなく、その意味で、従来の二分 説は妥当ではない。
(う)必要性―消極的処罰要求の尊重
 不訴追・不処罰の要求という意味での消極的処罰要求の尊重(消極的 処罰要求の尊重)という要素は、国家訴追主義を制限すべき「必要性」 である。例えば、(ア)犯罪の軽微性のみが抜きんでていて、(あ)害悪 を回避するという要請が小さい場合には、告訴権者が加害者の訴追・ 処罰を求めるにあたっての阻害要因は存在しないあるいは非常に少ないの であるから、告訴をしないということが、処罰要求がないあるいは非常 に小さいということとストレートに結びつく。この意味において、消極 的処罰要求は親告罪の「必要性」を支えるものと言える。これに対して、 それほど軽微ではない犯罪の場合には、処罰要求が存在すると考えるの が通常であり、告訴をしないことをそのまま不訴追・不処罰の意思表示 と考えることはできない。この場合に告訴がなされないのは、(あ)害 【p.14/p.15】 悪を回避するという観点で阻害事由が存在するからである。すなわち、 その訴追を求めることによって処罰によって得られるもの以上の不利益 を被る可能性があるとの考慮が働くのである(83)。もっとも、この場合であ っても、当事者間で紛争の解決がなされれば、軽微な犯罪における場合 と同様に、それに積極的意義を見出すことは可能である。
(え)必要性―裁判外解決の期待
 裁判外での損害賠償、和解、もしくは赦しがなされることへの期待 (裁判外解決の期待)という要素(84)は、前述の修復的司法・宥和思想と合 致しており、国家訴追主義を制限すべき「必要性」に位置付けられる。 親告罪においては、告訴権者が告訴をしない限り公訴提起がなされない (刑法一三五条等を参照)のであるから、告訴をするまでの間、関係者 当事者主導で紛争の解決を図りうる。これにより、事件が刑事裁判等で 公にされることがなくなるので、被害者が受ける害悪を回避する可能性 がある。しかし、民事裁判によれば被害者と加害者が直接的に対抗関係 に立ち、また関係当事者同士の交渉によれば直接対面による再被害者化 のおそれがある等、かえって被害者が害悪を受けることも考えられる。 このように、裁判外での解決を消極的にただ期待しているだけでは、弊 害が大きすぎる。そこで重要と考えられるのが、公的機関あるいは準公 的機関による関係当事者(特に被害者)の意思を尊重した形での和解な どへの介助・手助けである。既に、弁護士会等によって、このような試 み行われている(85)が、アメリカでの被害者=加害者和解プログラム(86)のよう な制度を、公的にも整備すべきである。
 なお、(い)家庭の平穏の保護という要素とは、家庭の平穏の保護と いう要素における積極的な側面である自治的解決が裁判外の解決手段と して期待されうると言え、非常に密接な関係がある。また、(う)消極 的処罰要求の尊重という要素とも、裁判外での損害賠償、和解、もしく は赦しがなされることで、訴追・処罰の要求という処罰感情が和らぎ、 消極的処罰要求へと至るというように、非常に密接な関係がある。

2 法的性質論

(一)訴訟条件論

 親告罪の告訴は、一般に、訴訟条件であるとされる。例えば、強姦罪 (刑法一七七条)では、刑法一八〇条一項に「告訴がなければ公訴を提 起することができない」と規定され、告訴がないにもかかわらず公訴を 提起した場合には、「公訴提起の手続がその規定に違反したため無効」 となり、公訴棄却の判決がなされる(刑訴法三三八条四号)。
 訴訟条件の捉え方としては、@訴訟成立条件、A実体判決条件、B実 体審判(審理)条件、C公訴条件、という考え方が成り立ちうる(87)。この 点、現在の通説は、実体審判(審理)条件と解しているが、これは、実 体判決の要件であるばかりでなく、実体審理の要件でもあるという考え 方である。その理由とするところは、「刑事訴訟では、手続きは国家権 力の発動として、とくに被告人に対して、民事とは比べものにならない ような負担を強いるものなので、訴訟条件は、判決の時にあればよいと するだけでは不十分であり、訴訟のはじめから終わりまで存在すること が必要である」(88)というものである。なお、告訴の取消しは公訴提起まで しか許されない(刑訴法二三七条一項)ので、公訴提起時に告訴があり 【p.15/p.16】 公訴提起が有効である以上は、訴因が変更されない限り、公判の途中で 告訴という訴訟条件が欠けることはない。
 ところで、田宮によれば、この訴訟条件というものを当事者主義的に 捉え直すと、@実体的審判を請求するための要件という意味で検察官の 「公訴(権)の要件」となり、A訴訟条件が備わらない限り公訴に対し て抗争することができるという意味で被告人の「妨訴抗弁権」となると いう(89)。後者の捉え方は、(あ)害悪の回避が親告罪の中心的根拠である 犯罪(例えば、性犯罪)の場合には被告人を不当に利する結果となると も言えないではなく、不当とも考えられる。しかし、(あ)害悪の回避 という理由で親告罪を認める必要性を考慮するのみならず、「当事者主 義」に積極的な意義を見出すならば、不当とまでは言えないだろう。な お、親告罪における告訴に限れば、これに被害者の観点が加えられるべ きであり、「被害者の妨訴権」という理解も可能であろう(90)

(二)国家訴追主義との関係

 親告罪においては、告訴がなければ国家は当該犯罪を訴追することは できないから、親告罪の告訴は、国家の犯罪訴追権を消極的な方向で規 制している(91)。もっとも、被害者等の告訴権者の意思としては、原理とし ての国家訴追主義の適正なコントロールを意図しているわけではないか ら、このような意味での国家訴追主義の規制は、あくまで副次的な効果 というべきである。
 問題は、親告罪制度が、国家訴追主義を前提とした概念であるかであ る。この点について、田口は、「最初は、職権犯罪(Offizialdelikte)と 私人訴追犯罪(Privatklagedelikte)の区別があり、その後次第に職権 犯罪が増加したが、その中から親告罪(Antragsdelikte)の概念が生ま れてきたことがわかる。したがって、親告罪はもともと国家訴追主義を 前提とした概念である」(92)とし、また、英米法に親告罪の概念がない理由 について、「親告罪という観念は強い国家訴追主義を前提として、これ を緩和する必要から生まれた制度である。したがって、このような強い 国家訴追主義を前提としない法制度(私人訴追主義、公衆訴追主義)の 下では被害者による訴追規制は例外ではないので、そもそも『親告罪』 という観念は発生する余地はない、ということではなかろうか」(93)と述べ る。しかし、私人訴追主義や公衆訴追主義であっても、純粋な被害者訴 追主義でなければ、親告罪のような被害者等による公訴提起抑制手段を 法的に設けない限り、被害者等の訴追・処罰を望まないという意思を完 全な形で尊重することはできない。したがって、親告罪制度(告訴要件) が国家訴追主義を前提とするとは、論理的には言えない。

(三)起訴便宜主義との関係

 告訴一般について、起訴を強制するような法的な拘束力はない。ただ し、起訴便宜主義の規定(刑訴法二四八条)中に含まれる「犯罪後の情 況」に関する事項のうち、被害者に関するものとして考慮される。ま た、この起訴便宜主義の適正を裏側から担保する制度として、前述のよ うに、起訴・不起訴などの通知(刑訴法二六〇条)及び不起訴理由の告 知(刑訴法二六一条)の制度がある。そして、告訴をした者は、検察官 が事件を不起訴処分にした場合に、その処分の当否の審査を検察審査会 に申立てられる(検察審査会法二条二項・三〇条)が、これも起訴便宜 主義の適正を担保する制度である。さらに、司法制度改革審議会が、検 【p.16/p.17】 察審査会の議決について法的拘束力付与の方向性を打ち出したが(94)、これ は、起訴便宜主義の適正の担保及び司法の民主化という観点(95)のみなら ず、告訴における訴追・処罰を要求する意思表示を実現する一手段とし ても評価できるであろう。もっとも、これらは、告訴一般に関するもの であって、親告罪の告訴に限定されるものではない。しかし、親告罪の 告訴の場合には、告訴をしなければ訴追手続ができないのにもかかわら ず、それをあえて告訴したという点を重視し、非親告罪の場合に比べ慎 重に取り扱われるべきである。特に、(あ)害悪の回避を中心的な根拠 とする親告罪においては、訴追するかどうかの決定にあたり、細心の注 意が払われなければならない。その意味で、親告罪制度そのものが、事 実上、起訴便宜主義を規制していると言えよう(96)


(36) フランス刑法学の影響について、石堂淳「親族相盗例の系譜と根拠」東 北大学法学会『法学』五〇巻四号(一九八六年)一一四頁を参照。ドイツ 刑法学の影響について、田口守一「親告罪の告訴と国家訴追主義」『宮澤 浩一先生古稀祝賀論文集・第一巻・犯罪被害者論の新動向』(二〇〇〇年) 二四一頁を参照。
(37) 大塚仁『刑法概説(総論)』(第三版・一九九七年)九〇頁。
(38) 荘子邦雄『刑法総論』(第三版・一九九六年)四一〇頁注(5)。なお、 同所では、@とAの順序とは逆に紹介されている。
(39) 増井・前掲注(7)一〇頁。
(40) 牧野・前掲注(7)一二五―一二六頁。なお、常用漢字に改めた。
(41) 宮本・前掲注(7)一五九頁。なお、常用漢字に改めた。
(42) なお、大塚は、「名誉毀損罪および侮辱罪については、被害者の意思を 無視してまで訴追する必要が認められないことと、訴追することによって 被害者の名誉をさらに侵害する虞があることを考慮したものである」(大 塚・前掲注(33)一五一頁)とし、同一論者の中でも整合性がとれていな い。
(43) 椎橋隆幸「性犯罪の告訴期間の撤廃」『研修』六二六号(二〇〇〇年) 四頁。
(44) 松尾・前掲注(7)四一頁注***。
(45) 光藤・前掲注(4)三四六頁。
(46) 田口・前掲注(36)二五八頁。
(47) 田口・前掲注(36)二五六頁。
(48) 田口・前掲注(36)二五六頁。
(49) Vgl. Susanne Brähmer, Wesen und Funktion des Strafantrags, 1994, S. 90.
(50) Friedrich Geerds, Festnahme und Untersuchungshaft bei Antrags- und Privatklagedelikten, GA 1982, S. 243.
(51) Geerds, a. a. O. (Anm. 50), S. 243, Fn. 22. 同所には、他にも具体例があ る。
(52) Geerds, a. a. O. (Anm. 50), S. 243, Fn. 23. 同所には、他にも具体例があ る。
(53) Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 89ff., S. 148ff.
(54) Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 91, Fn. 12. 同所には、他にも具体例があ る。
(55) Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 91. さらに、ブレーマーは、Aの副次的 効果として、刑事訴追機関が重大犯罪に対して精力を傾けられるよう負担 を軽減することになることを挙げる(Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 91).
(56) 「relative Antragsdelikte」は、「相対的親告罪」との訳語も可能である が、親族間の犯罪に関する特例における「相対的親告罪」という概念と区 別するため、「条件付親告罪」という用語を用いる。これは、特別な公益 に基づく職権訴追がなされない限りで(条件付)、告訴をしないことが訴 訟条件になる(親告罪)ことを意味する。
(57) Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 92, Fn. 25. 同所には、他にも具体例があ 【p.17/p.18】 る。
(58) Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 93, Fn. 35. 同所には、他にも具体例があ る。
(59) Manfred Maiwald, Die Beteiligung des Verletzten am Strafverfahren, GA 1970, S. 36f., S. 39. なお、当該論文は田口・前掲注(36)二四六―二 四七頁で紹介・検討されているため、本論文は概要のみを示す。
(60) Maiwald, a. a. O. (Anm. 59), S. 37. なお、田口・前掲注(36)二四七頁 を参照。
(61) Maiwald, a. a. O. (Anm. 59), S. 36. 田口・前掲注(36)二四七頁を参照。
(62) 田口・前掲注(36)二四七頁を参照。Vgl. auch Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 90, Fn. 4.
(63) Maiwald, a. a. O. (Anm. 59), S. 43f. なお、田口・前掲注(36)二四九頁 注(18)を参照。
(64) Hans-Joachim Rudolphi, Systematicher<(正)「Systematischer」:2002-03-27> Kommentar zum Strafgesetzbuch I 29. Lfg., 7. Aufl., 1998, S. 2f., Vor § 77, Rn. 2-4. 二分説に類すると も言えないではないが、第一次的には、宥和の観点による一元的理解をし ているので、ここで紹介する。
(65) ドイツにおいて一九七六年<(正)「一八七六年」:2003-04-25>に強姦罪(Vergewaltigung)における告訴 要件が撤廃されたのは、このような根拠による(Rudolphi, a. a. O. (Anm. 64), S. 2, Rn. 3)という。これは、軽微性の考慮とも言えるのではないだ ろうか。
(66) この観点から、ドイツ刑訴法一五三条は、軽微事犯では起訴強制を緩和 し検察官の羈束裁量に任せる規定に改められた(Vgl. Rudolphi, a. a. O. (Anm. 64), S. 3)。
(67) Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 90.
(68) Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 91.
(69) 田口は「和解」とする(田口・前掲注(36)二四六頁等を参照)が、引 用・参照の部分を除き、より広義であり、赦しの観点を含みうる「宥和」 という用語を用いる。
(70) なお、田口・前掲注(36)二五八頁を参照。
(71) これらは刑法典に規定される親告罪について検討したものであり、特別 法上の親告罪についてはここでは論じない。
(72) なお、イェシェック=ヴァイゲントによれば、「国家の『刑罰権』の絶 対的な貫徹は、個人の利益と対立する場合には、避けられるべきである」 との目的が、告訴条件ついての刑事政策上の考慮を統一しているという (Hans-Heinrich Jescheck/ Thomas Weigend, Lehrbuch des Strafrechts, Allgemeiner Teil, 5. Aufl., 1996, S. 907. なお、イェシェック=ヴァイゲン ト(西原春夫監訳)『ドイツ刑法総論・第五版』〔齊藤信宰〕(一九九九年) 七二二頁以下も参照)。Vgl. Rudolphi, a. a. O. (Anm. 64), S. 2, Rn. 3.
(73) 非親告罪となった立法的経緯については、団藤重光『刑法綱要各論』 (第三版・一九九〇年)四九七頁注(一九)等を参照。
(74) Jescheck/ Weigend, a. a. O. (Anm. 72), S. 907.
(75) この点、田口は、解決方法として「示談」等を想定しているものと考え られる(田口・前掲注(36)二五五―二五六頁を参照)。
(76) 宮澤浩一「はしがき」宮澤浩一ほか編『犯罪被害者の研究』(一九九六 年)@―A頁、守山正=西村春夫 『犯罪学への招待』(一九九九年)一六 三―一六四頁等を参照。
(77) Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 93.
(78) Jescheck/ Weigend, a. a. O. (Anm. 72), S. 908.
(79) See Kent Roach, Four Models of the Criminal Process, The Journal of Criminal Law & Criminology Vol. 89 No. 2 (1999), at 707. さらに、告訴権 者の自己決定については、田口・前掲注(36)二五四頁を参照。
(80) 大塚・前掲注(33)二〇八頁、団藤・前掲注(73)五八一頁等。なお、 「一種の共有の家産」との視点について、青柳文雄『刑法通論II各論』(一 九六三年)四六七―四六八頁を参照。なお、石堂によれば、「法は家庭に 入らず」という原則は、ドイツにおける「家庭の平和の維持」という観念 と一致するという(石堂・前掲注(36)一四一頁)。
(81) 大塚・前掲注(33)二〇八頁。
(82) Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 93.
(83) Vgl. Brähmer, a. a. O. (Anm. 49), S. 94.
(84) 田口・前掲注(36)二四七頁を参照。なお、田口によれば、マイヴァル トの見解からは、「法は親告罪について当事者の『和解』すなわち『告訴 【p.18/p.19】 しないこと』を期待した」ことになるという(田口・前掲注(36)二五五 頁)。
(85) 例えば、岡山弁護士会の「岡山仲裁センター」(一九九七年三月発足) による「『被害者加害者間の和解あっせん』プログラム」がある。
(86) 宮崎聡「アメリカ合衆国におけるリストラティブ・ジャスティスの実情 について―被害者・加害者間の和解プログラムを中心として―」『家庭裁 判月報』五二巻三号(二〇〇〇年)一六一頁以下等を参照。
(87) 田宮・前掲注(5)二一七―二一八頁を参照。
(88) 田宮・前掲注(5)二一七―二一八頁を参照。なお、光藤・前掲注(4) 三二七頁も参照。
(89) 田宮・前掲注(5)二一五―二一六頁。
(90) @親告罪の告訴がなされる前の捜査、A親告罪の告訴の追完、B告訴期 間論等の各論的問題は、別の機会に論じたい。
(91) 田口・前掲注(36)二四〇頁。
(92) 田口・前掲注(36)二五〇頁。
(93) 田口・前掲注(36)二四一頁注(5)。なお、椎橋・前掲注(43)一〇 頁も参照。
(94) 『司法制度改革審議会意見書』(二〇〇一年六月一二日付)。
(95) 田宮・前掲注(5)一六七頁を参照。
(96) なお、鯰越溢弘は、私人訴追主義を主張しつつ、告訴・告発または訴追 の請求があったときは、証拠不十分の場合及び刑訴法二四八条所定の事由 のあるときを除いて、原則として、検察官は訴えを提起しなくてはならな いとの法改正をすべきとする(鯰越溢弘「公訴権の運用とその規制」『法 律時報』六一巻一〇号(一九八九年)三三頁。なお、同「訴追理念として の私人訴追主義」内田博文=鯰越溢弘編『市民社会と刑事法の交錯・横山 晃一郎先生追悼論文集』二四三―二六五頁(一九九七年)も参照。

結びにかえて

 本稿を締め括るにあたり、以上の検討で導かれた結論の骨格部分をま とめておくことにする。
 親告罪における告訴には、告訴一般に認められる「積極的意義」と親 告罪の告訴に固有の「消極的意義」がある。その、「消極的意義」は親 告罪の根拠・制度趣旨によって導かれる。
 親告罪は、告訴権者の意思決定の尊重がその核となっている。
 親告罪の具体的な根拠は、@国家訴追主義を制限する「許容性」に関 するベクトル((ア)犯罪の軽微性、(イ)訴訟の代替)と、A国家訴追 を制限する「必要性」に関するベクトル((あ)害悪の回避、(い)家庭 の平穏の保護、(う)消極的処罰の要求の尊重、(え)裁判外解決の期待) との合成によっている。これらの各要素は相互に関連しあい、個別の親 告罪はその複合的性格を有する。

(明治大学大学院法学研究科博士後期課程 mutsumi@aurora.dti.ne.jp)


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