http://www.aurora.dti.ne.jp/~mutsumi/study/kkt70th.html
2005-02-14公刊,2005-03-15Web掲載,2005-05-16最終修正
黒澤睦「ドイツにおける条件付親告罪の構造と問題点」(菊田幸一教授古稀記念論文集)『法律論叢』第77巻4・5合併号(明治大学法律研究所,2005年2月14日)59-80頁。
Mutsumi KUROSAWA, Struktur und Problematik bedingter Antragsdelikte, The Meiji Law Review, Vol. 77 No. 4=5, 2005, The Institute of Law of Meiji University, pp.59-80.

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  4. 本論文は,立法政策論を含んだ学術論文であり,実務でこのとおりの運用がなされている訳ではありません。実際に事件の当事者になられた方は,弁護士等の法律実務家にご相談なされることをお勧めいたします。

【p.59】
法律論叢 第七七巻 第四・五合併号(二〇〇五・一)

【論説】

ドイツにおける条件付親告罪の構造と問題点

Struktur und Problematik bedingter Antragsdelikte

黒澤 睦

(KUROSAWA Mutsumi)

   目次
   はじめに
   一 条件付親告罪の構造
   二 条件付親告罪と訴追原理
   三 条件付親告罪の問題点
   むすびにかえて

はじめに

 私は、これまで、告訴権と親告罪について、おもに犯罪被害者の観点を重視して、その意義を解釈論と政策論の両面から検討してきた(1)。そこで明らかになったことは、告訴権が、とくに親告罪においては、検察官(国家)による刑 【p.59/p.60】 事訴追と対立関係に立つことが、実際的な問題として、否定できないということであった。
 しかし、これまでの論考は、犯罪被害者の観点からの問題提起が中心であり、逆の観点、つまり検察官(国家)による刑事訴追の観点での検討は、必ずしも十分にできていなかったように思われる。そこで、本論文では、前者の観点のみならず、後者の観点にも配慮して、告訴権と親告罪をめぐる問題を検討したい。
 その際、ドイツにおいて法制度として採用されているいわゆる「条件付親告罪」に関する議論を参考にする。というのも、この「条件付親告罪」という制度は、後で詳しく見るように、被害者の告訴権・親告罪と検察官(国家)による刑事訴追との境界線上の制度ということができ、告訴権と親告罪をめぐる問題を検討するにあたって、非常に有益な示唆が得られるからである。
 以下では、まず、条件付親告罪の構造を確認し〔一〕、続いて、刑事訴訟・訴追に関する訴追原理との関係を考察し〔二〕、それらに基づいて、条件付親告罪の問題点を検討したい〔三〕。なお、条件付親告罪という制度が日本では採用されていないことから、本論文は、おもにドイツの議論を参考にするという形にならざるをえないことを、あらかじめお断りしておく。

一 条件付親告罪の構造

1 名称に関する争い

 「条件付親告罪」は、日本においては、法制度として採用されていないためか、これまで議論の中心に据えられたこ 【p.60/p.61】 とはなかった。そうした理由もあって、そもそも私がここで用いている「条件付親告罪」という名称についても、私の一提案に過ぎず、日本の学界において広く認知されているものではない。状況は、この制度が採られているドイツにおいても、やや類似している。これまで「条件付親告罪」を部分的に取り扱った論文はあったものの、正面から取り扱った研究書は、二〇〇一年に刊行されたヴェルナー・ヴィネンの著書(2)が最初のものである。また、名称そのものについても、学説内で大きな争いがある。本論文では、以上のような状況を考慮して、まず、この制度の〈名称〉に関する議論を通じて、この制度をめぐる争点を概観することから始めたい。
 私が用いている「条件付親告罪」に対応する訳語は、ドイツの法律の中には規定されていない。そればかりか、この法制度を正面から簡潔に表した専門用語は、刑法典および刑事訴訟法典のみならず、その他の法律でも規定されていない(3)。このことが、制度の名称について学説内で争いないし混乱を生じさせているもっとも大きな要因であると考えられる。では、この「条件付親告罪」は、法文上はどのような規定がなされているのであろうか。もっとも古く(ナチス時代)から条件付親告罪とされている単純故意傷害および過失傷害に関する条文(4)を一例としてみてみよう。そこでは、「二二三条の故意傷害および二二九条の過失傷害は、刑事訴追官庁が刑事訴追に対する特別な公益があるために職権による介入が必要だと認める場合を除いて、告訴がなければ訴追されない」(ドイツ刑法二三〇条一項一文)と規定されている。この規定をどのような名称で表現するのが適切であるのかが、争われているのである。
 まずはじめに、ドイツの学説において用いられている名称を概観しておく(5)。代表的なものとしては、「bedingte Antragsdelikte」(6)、「eingeschränkte Antragsdelikte」(7)、「Antragsdelikte mit eingeschränktem Antragserfordernis」(8)、「relative Antragsdelikte」(9)、「relative Offizialdelikte」(10)、「teilweise Antragsdelikte」(11)、というものが挙げられる。これらを日本語に置き換えるならば、条件付親告罪、制限付親告罪、制限付告訴要件を伴う親告罪、相対的親告罪、相対的職 【p.61/p.62】 権犯罪、部分的親告罪、といったようなものになるだろう。これらを見てもわかるとおり、それぞれに微妙なニュアンスの違いがある。さらに、こうした条件付親告罪に対置される通常の親告罪の名称にも、学説内で争いが見られる。例えば、大多数の学説は「absolute Antragsdelikte」(絶対的親告罪)としているのに対して、「einfache Antragsdelikte」(12)(単純親告罪)、「reine Antragsdelikte」(13)(純粋親告罪)とする学説も散見されるのである。
 名称については、非常に簡単に見ただけでも以上のような争いがある。しかし、ここで重要なことは、制度の構造ないし内容をより的確に表すものであるとともに、他の制度の名称との混同を招かないような名称が用いられるべきであるということである。したがって、この制度の構造がどのようなものであるのか、そして類似の他の制度でどのような名称が用いられているのか、を確認することが必要になる。
 そうした意味からも、本論文では、それらの確認と並行して、(可能な限りにおいて)名称の当否についても検討するという形をとる。なお、日本語の名称については、すでに若干の検討を加えたことがある(14)ので、そのとき導かれた「条件付親告罪」という名称をさしあたり用いることにしたい。

2 基本構造と立法根拠

 条件付親告罪の基本構造は、すでに見たように、一定の犯罪は〈刑事訴追官庁が刑事訴追に対する特別な公益があるために職権による介入が必要だと認める場合を除いて、告訴がなければ訴追されない〉というものである。つまり、そこでは、《原則》は、告訴がなければ訴追されないとする親告罪であり、《例外》として、刑事訴追官庁が刑事訴追に対する特別な公益があるために職権による介入が必要だと認めた場合に告訴がなくても訴追できる(訴追しなければ 【p.62/p.63】 ならない)、という構造が採られている。こうした基本構造からすれば、すでに触れた「relative Offizialdelikte」(相対的職権犯罪)という名称は、法律が規定している原則・例外の関係を逆転させてしまっており、妥当ではないことになる(15)
 では、こうした《原則》親告罪―《例外》職権介入・訴追という構造は、何が意図され、何を意味しているのだろうか。その立法根拠から検討してみよう。
 すでに触れたように、単純故意傷害および過失傷害が、最初に導入された条件付親告罪である。これらが条件付親告罪とされた立法根拠は、その法改正が交通事故関連の犯罪についての改正を意図したものであったことからもわかるように、交通事犯に関連している。つまり、交通事犯における傷害に関する重大な事案のすべてについて、平等で正義に合致した形の処罰を確保することが、この立法根拠であったとされている。さらに、その背景には、親告罪の場合には告訴が好ましくない形で取引材料にされるというデメリットが認識されていたとも考えられるという(16)
 では、現行法に規定されている条件付親告罪全般(17)についてはどうであろうか。ヴィネンは、現行法の規定を個別に検討し、条件付親告罪の立法根拠を概ね次のようにまとめている。すなわち、親告罪について職権による刑事訴追を可能にすべき理由は、①個々の事案において刑法外の目的(例えば、露出症患者の治療)を実現するための強制手段を確保すること、②被害者が復讐の不安からその処罰願望を(公式に)表明しない事案に対応すること、また、経済犯罪の場合に企業内の特定の機密事項を刑事手続で公にしてはならないために告訴権者が告訴の申立を意識的に控える事案に対応すること、③基本的には親告罪とされている犯罪行為が、個々の事案でその不法内容または責任内容において、刑罰規範が通常の場合として基礎においているものを著しく上回る事案に対応すること、④とくに特別刑法において理由は必ずしも明確でないが、検察官が個別事案において刑法的サンクションが行為者に対して必要と考え 【p.63/p.64】 る事案に対応すること(18)、というものである。
 これらの立法根拠をめぐる議論から見てとれるのは、一定の犯罪類型において被害者等が告訴をしなければ刑事訴追ができない親告罪のデメリット(とくに濫用的不行使の問題)が強く意識されていること、さらに、一定の場合に職権介入・訴追がとくに必要とされていることである。前者については、どのような犯罪類型が通常の親告罪ではなく条件付親告罪とされているのかが参考になる。また、後者については、どのような場合に職権介入・訴追が必要とされるのか、つまり、条文の規定でいうならば、「刑事訴追に対する特別な公益」の概念が非常に重要な役割を果たす。後者については節を改めることにして、ここでは前者の点について見てみよう。
 ドイツにおいては(日本においても)、学説上、親告罪の類型として、三分説ないし二分説が唱えられている(19)が、ブレーマーは、この分類に条件付親告罪が一定の関係があると考えているようである。すなわち、刑事訴追に対する公衆の利益が欠けているとされる親告罪〔いわゆる軽微犯罪〕は、(私人訴追犯罪との重複も考えると)第一次的には被害者の利益・意思を尊重しようとしたものであるが、このような類型のものに対して条件付親告罪が導入されてきている。この軽微犯罪における告訴の本来の目的は、被害者の償い要求Genugtuungsbedürfnisを支援することにあるが、条件付親告罪の構造は、このような目的を疑問視しており(20)、先程も触れたが、告訴が取引材料にされることを避けようとしているというのである。
 たしかに、少額の窃盗等(二四八条a・二四二条)や器物損壊(三〇三条c・三〇三条)を念頭に置いた場合には、ブレーマーの立論は条件付親告罪の重要な一側面を捉えているといえるであろう。しかし、現在では、(後で触れるように、ブレーマーも認識しているようだが)こうした前提は必ずしもすべての条件付親告罪に妥当するとはいえない。というのも、被害者のプライヴァシーの保護を(おもな)目的とする親告罪に分類されうる未成年者の奪取(21)の一部が、 【p.64/p.65】 一九九八年の第六次刑法改正法(22)により、条件付親告罪とされたからである(二三五条七項を参照)。
 もっとも、こうした立法動向は、条件付親告罪の立法根拠について質的な変化が起こっているとも考えられる。すでに触れたヴィネンの詳細な分析からも見てとれるように、現在の条件付親告罪は、一定の職権介入・訴追の必要性から、当初の目的とは異なった形で多用されている。こうした条件付親告罪の範囲の拡大が望ましいことであるかについても(各犯罪類型の個別的検討も含めて)議論があるところである(23)が、これについては、簡単にではあるが、章を改めて検討することにする。
 ところで、親告罪の構造あるいは類型という点では、家庭内および親族間の窃盗等(二四七条)を中心とした一連の親告罪も問題になる。これらは、一定の家族・親族関係の有無により、親告罪となるか否かが左右されるものであり、日本における親族間の犯罪に関する特例における親告罪規定(二四四条二項)と共通点が多い。そして、それらは、名称においても酷似しており、日本では「相対的親告罪」、ドイツでは「relative Antragsdelikte」と一般に呼ばれている。そのため、条件付親告罪についてもこうした名称を用いることは、ドイツにおいても(24)、日本においても、混乱を招く可能性があり、避けるべきであろう(25)

3 刑事訴追に対する特別な公益

 基本的構造と立法根拠に関する以上の簡単な検討からでもわかるように、条件付親告罪という制度において非常に重要な意味をもつのが、「刑事訴追に対する特別な公益」das besondere öffentliche Interesse an der Strafverfolgungという概念である。原則的に親告罪であるにもかかわらず、職権による介入・訴追が(少なくとも表面上は)正統化 【p.65/p.66】 されるのは、この「刑事訴追に対する特別な公益」が存在するからである。また、その存在に関する検察官の判断が裁量的なものであるのかどうかという問題は残るものの、現実的には、この存在の有無が、職権介入・訴追がなされるかどうかの分水嶺となる。
 この判断の具体的な運用にあたっては、「刑事手続および罰金手続についての指針」Richtlinien für das Strafverfahren und Bußgeldverfahren(RiStBV)が目安になる。その代表例を挙げるならば、交通事犯における傷害の場合の、行為者の同種前科、行為者の粗暴な行動またはとくに軽率な行動、行為者の酒気帯び、重大な損害の惹起等が、刑事訴追に対する特別な公益を肯定する要素となる(同二四三号三項を参照)。しかし、逆に、その指針の基準が不均衡を生む場合があるという。例えば、単純故意傷害の場合にはそもそも認知が難しいにもかかわらず、交通事故に関する過失傷害の場合にはほぼ例外なく特別な公益が肯定されるという(26)
 また、ドイツの刑事司法システムを概観してみると、「公益」概念に関連する制度としては、この条件付親告罪のほかに、とくに、軽微犯罪に対する手続打切り(ドイツ刑訴法一五三条以下)と私人訴追犯罪における公訴の提起(同三七六条)が挙げられる(27)。親告罪とされる犯罪類型には軽微犯罪が多く含まれるとともに、親告罪と私人訴追犯罪は多くの構成要件が共通している(28)。そのため、それぞれの「公益」概念をめぐって齟齬が生じないのかという問題が生じうる。
 これらの点が、条件付親告罪の評価に大きく影響してくるが、章を改めて、「条件付親告罪の問題点」の中で検討することにする。
【p.66/p.67】

二 条件付親告罪と訴追原理

1 職権主義・国家訴追主義との関係

 ドイツの刑事手続の中心的基本原理は、様々な修正を受けているものの、なお職権主義Offizialmaximeであるという意見が強い。この職権主義は、犯罪行為によって生じた実体的刑罰権限は国家のみに帰属すべきものであり、刑事訴追は原則として国家の責務であって、被害者の意思を考慮することなく職権によって進められるというものであるとされる(29)。そして、その原理は、訴追という観点では、国家訴追主義ということができよう。
 ブレーマーによれば、この職権主義ないし国家訴追主義と告訴ないし親告罪との関係は、(親告罪における)告訴の法的性質の考え方しだいで、異なる可能性があるという。すなわち、親告罪における告訴を特別訴訟条件とする訴訟法説の論者は、告訴を職権主義ないし国家訴追主義の制限Einschränkungとみなしている(30)のに対して、親告罪における告訴の実体法的側面をも認める論者は、告訴が欠けていることで手続が停止または禁止にはなるものの、基本的には告訴を可罰性<(正)当罰性:2005-05-16>の前提条件と捉えて、国家の権限に抵触しないとしているという(31)
 しかし、条件付親告罪の場合には、状況が異なる。かりに、訴訟法説(32)に立ったとしても、制限を受けた職権主義ないし国家訴追主義がその制限から部分的であれ解かれる。すなわち、検察官は、特別な公益を肯定することで、職権によって刑事訴追を行うことができる。また、実体法的側面をも認める立場でも、行為の可罰性<(正)当罰性:2005-05-16>を検察官自らが想定することが可能になる。このように見ると、いずれの立場によったとしても、条件付親告罪は、通常の親告罪と比べ 【p.67/p.68】 た場合には、職権主義ないし国家訴追主義により合致したあるいは親近性のある制度ということができるであろう(33)

2 起訴法定主義との関係

 ドイツ刑事訴訟法においては、「検察官は、法律に別段の定めのある場合を除き、訴追可能なすべての犯罪に対して、事実に関する十分な根拠が存在する限り、手続をとらなければならない」(一五二条二項)と規定されており、少なくとも法文上は、起訴法定主義Legalitätprinzipが原則とされている(34)。これを前提にすると、通常の親告罪は、訴追可能な犯罪について訴追を妨げることから、起訴法定主義の例外Ausnahmeとされる(つまり、「法律に別段の定めのある場合」にあたることになる)。以上のことを、ブレーマーは、告訴の有無で場合分けをして分析している(35)が、条件付親告罪における告訴についての検討の前提とするため、それを要旨という形で見てみよう。
 ①告訴が申立てられている場合 ── 原則として、検察官と警察には、介入する義務がある。ただし、親告罪、私人訴追犯罪は例外であり、検察官は(特別な)公益の存在のみを吟味する必要がある。また、軽微な犯罪Bagatelldelikteについては、ドイツ刑訴法一五三条以下による手続の打切りが行われる可能性があり、この場合には、起訴便宜主義Opportunitätprinzipが入り込む。
 ②告訴が申立てられていない場合 ―─ 告訴が終局的に申立てられない場合には、訴訟障害となり、刑事訴追機関は介入しえない。しかし、例えば、告訴期間がまだ徒過していないときに、告訴が申立てられるかどうか明らかでない場合には、起訴法定主義が重要となり、検察官および警察は、手続の遂行可能性を確保するために、介入しなければならない(身柄の仮拘束に関するドイツ刑訴法一二七条三項および勾留に関する同一三〇条を参照)。
【p.68/p.69】
 これらが、通常の親告罪と起訴法定主義との関係で問題になるものである。では、条件付親告罪の場合はどうであろうか。
 この点に関連して、ドイツの判例・通説は、「刑事訴追に対する特別な公益」の判断を裁判所による審査を受けない検察官による裁量判断事項としている(36)。つまり、条件付親告罪は、起訴法定主義ではなく、起訴便宜主義的色彩の強い制度であるとしている。
 しかし、こうした見解に対しては批判も強い(37)。とくに、ヴィネンは次のように明確に批判を加える。条件付親告罪は、起訴便宜主義の(応用)事象ではなく、むしろ起訴法定主義の事象であり、場合によっては、裁判所による再検討が不可能な裁量の余地が検察官に存在するという意味で、「制限付起訴法定主義」eingeschränkte Legalitätprinzipということになる(38)。具体的にみると、検察官は、具体的事案において条件付親告罪の刑事訴追に対する特別な公益を肯定したならば、犯罪行為を訴追・起訴しなければならない。なぜなら、検察官は、特別な公益の検討にあたって対立利益を相互に網羅的に慎重に検討したのであれば、さらに検討しうる基準はもはや残っていないはずだからである。検察官が、特別な公益を肯定したにもかかわらず、犯罪行為を訴追・起訴しないという結論に至ったならば、検察官の行った刑事訴追に対する特別な公益についての検討が不完全だったということを意味することになる(39)、と。
 こうした立論は、法治国家原理を中心に据えて一五二条二項の起訴法定主義をとくに重視し、検察官の裁量判断の幅を狭めようとしているヴィネンの立場(40)からすれば、順当なものであろう。
 しかし、いずれにしても、特別な公益が肯定されない場合には、訴追・起訴が認められないことになるのであるから、一五二条二項の「法律に別段の定めのある場合」には該当し、起訴法定主義の例外であるとはいえるであろう。さらに、これは完全な私見になるが、通常の親告罪は、告訴がなければ公訴提起ができない、つまり、起訴について消 【p.69/p.70】 極的・否定的な形で法定されているという側面を重視するならば、(「起訴法定主義」の意味が形式的にとらえられて従来とは内容の異なるものになるかもしれないが)「消極的起訴法定(主義)」の制度と位置付けるのが妥当であろう(これは日本法についても同様である)。また、条件付親告罪は、それに加えて刑事訴追に対する特別な公益がないことが条件となるのであるから、「条件付消極的起訴法定(主義)」の制度と位置付けるのが妥当であると思われる。
 なお、これらの訴追原理と条件付親告罪との関係を考える場合には、法改正という側面からも見ておく必要がある。ヴィネンが指摘するように、法改正によって親告罪から条件付親告罪に変更された場合には、職権主義的側面が拡大するとともに検察官の権限も拡張する。これに対して、職権犯罪だったものが条件付親告罪に変更される場合には、起訴便宜主義的側面が拡大して、検察官の自由裁量の権限が拡張することになるのである(41)

三 条件付親告罪の問題点

 これまでに見てきた条件付親告罪については、ドイツでは、評価が完全に分かれている(42)。肯定的な意見とその理由については、立法根拠の部分で触れたので、ここではとくに批判的な意見をとりあげることにする。

1 親告罪の本質との矛盾

 まず、この条件付親告罪という制度は、いったんは被害者に与えた消極的な意味での刑事手続への関与という権限を奪うものであり、親告罪の本質とは相容れない自己矛盾の制度である(43)、という批判がなされている。
【p.70/p.71】
 こうした問題は、この条件付親告罪という制度が、被害者の告訴権・親告罪と検察官(国家)による刑事訴追のまさに境界線上の制度であるがゆえに生じている。制度としては、被害者と検察官(国家)の両者の利益を尊重しようとしているにもかかわらず、個々の具体的な事件を見た場合には、その一方の利益のみが尊重される結果となる。つまり、特別な公益が肯定されない場合には、被害者の利益が優先されることになるが、特別な公益が肯定されたならば、検察官(国家)の利益が優先される。特別な公益が肯定されない場合には、そもそも検察官(国家)にとっての利益はそこには存在しない(小さい)のであるから、被害者の利益が優先されるのはよいとして、特別な利益が肯定された場合には、被害者の利益が無視されることになるのである。これは、「特別な」という譲歩を見せるものの、公益が被害者の利益に優先するという立法的な宣言にほかならないといえよう。
 こうした問題状況を具体的にみると、①被害者のプライバシー等の保護を目的としている親告罪の場合には、被害者の意思に反して職権による介入がなされて、そうした目的が達せられなくなる可能性がある(44)。また、②家庭の保護を目的としている親告罪の場合にも、立法者は、紛争をできる限り家庭内で処理させることにより、職権による刑事訴追によって行為者と被害者の特別な関係に対して負担をかけないことに重きを置いている(ドイツ刑法二四八条aの適用対象には二四七条は含まれない)にもかかわらず、職権による介入により、そうした目的が達せられなくなるおそれがある(45)。しかし、③軽微犯罪の場合には、様相が若干異なり、親告罪とされた(被害者の償い要求を重視するという)目的との整合性よりも、その軽微であるという性質が問題となる。つまり、当該構成要件で想定されている犯罪が類型的に軽微なものであるのにもかかわらず、特別な公益をそれとは別に認めることができるのか、そして、それができるとして、そうしたことが妥当なのか、という問題が生じる(46)(そして、こうした個別的判断は、次節で述べる判断の不確実性とも結びついて問題をさらに複雑にすることになろう)。
【p.71/p.72】
 ところで、右のような問題が、すでに触れた条件付親告罪の拡大の問題と関連しているように思われる。すなわち、右の例でいうと、①被害者のプライバシー等の保護を(おもな)目的としているもの、②家庭の保護を(おもな)目的としているものは、被害者の利益と対立するのに対して、③軽微犯罪の場合には、被害者の利益との対立は小さいのである。とすると、かりに、現在の親告罪を条件付親告罪に変更するとした場合には、その問題状況は異なる結果になるということである。条件付親告罪の拡大は、こうした点にも注意しなければならないだろう。

2 「刑事訴追に対する特別な公益」に関する判断の不確実性(恣意性)

 また、「刑事訴追に対する特別な公益」に関する〈判断の不確実性(恣意性)〉が問題となる。これは、原則として裁判官の最終的な司法審査に重きが置かれているドイツ刑事法制の根幹に関わる問題であるということができるだろう。
 この点に関しては、次のような批判が加えられる。まず、①条件付親告罪という制度は、「特別な公益」の有無に関する検察官の判断が、与えられた基準〔すでに触れた「指針」RiStBV〕どおりに行われることへの信頼が前提になっているはずであるが、公益が不確実に認定されているドイツの検察実務の現状からすれば、そうした信頼があるとはいえない。また、②基準自体が、そもそも抽象的なものであって、実際に役に立つかどうかは疑わしい。さらに、③検察官による公益の判断が、裁判所による事後的な司法審査を受けない恣意的裁量の危険をはらんだものである(47)。そして、それらの問題点の具体例として、すでに触れたように、交通事故における過失傷害の場合にはほぼ間違いなく特別な公益が肯定されるのに対して、単純故意傷害の場合に結果が重大な場合でもしばしば否定されるという逆転現象がある。
【p.72/p.73】

3 私人訴追制度との齟齬

 さらに、この「刑事訴追に対する特別な公益」に関しては、これに類似した「公益」概念が法律上も明文で規定されており、かつ、一定の場合に検察官による訴追が認められないという親告罪に類似した機能をもつ私人訴追制度(ドイツ刑訴法三七四条以下)(48)との関係も、問題となる。この問題をもう少し詳しく説明すると次のようになる(49)
 まず、条件付親告罪であるが私人訴追犯罪ではない犯罪(例えば、少額の窃盗)において、①告訴が申立てられた場合には、検察官が訴追することができる(しなければならない)ことになる(もっとも、検察官は一五三条の「公益」を否定することによって手続を打ち切ることができる)。これに対して、②告訴が申立てられなかった場合には、条件付親告罪との関係で「特別な公益」を否定して検察官による訴追を不可能とすることのほかに、「特別な公益」を肯定して訴追を可能(しなければならない)とすることが想定される。
 また、条件付親告罪であるとともに私人訴追犯罪でもある犯罪(例えば、単純故意傷害)において、③告訴が申立てられた場合には、(条件付)親告罪制度との関係では検察官が訴追しうる(しなければならない)ことになるが、私人訴追制度との関係では「公益」を否定して検察官が訴追せずに被害者等に私人訴追という手段をとらせることが想定される。これに対して、④告訴が申立てられなかった場合には、条件付親告罪との関係で「特別な公益」を否定して検察官による訴追を不可能とすること(その場合にも私人訴追は考えられないではない)のほかに、「特別な公益」を肯定して訴追を可能(しなければならない)とすること、そしてさらに、後者の場合に、私人訴追との関係で「公益」を否定して検察官が訴追せずに被害者等に私人訴追という手段をとらせることも想定できないではない。
【p.73/p.74】
 以上のような「特別な公益」ないし「公益」概念と関連する法制度が複雑に絡み合った状況に関して、どのような説明が加えられているのであろうか。ここでは条件付親告罪と直接的に関連する部分に限定して見てみよう。
 条件付親告罪制度と私人訴追制度において「特別な公益」ないし「公益」を異なった形で規定し、相反する結論に至りうることについては、両制度の趣旨あるいは適用場面の差異からの説明が考えられる。すなわち、条件付親告罪の場合には刑事手続の許容性・必要性が問題になるのに対して、私人訴追手続の場合には職権訴追手続と私人訴追手続との間の訴訟的な路線決定Weichenstellungが問題となっている(50)。したがって、それに応じた「公益」概念の差異があってもよいのではないかということになりうる。たしかに、こうした説明は、「特別な」besonder(e)という文言の有無を考慮した条文の解釈としては、的確であろう。
 しかし、「特別な公益」が肯定されて「公益」が肯定されない逆転現象は、条件付親告罪との関係で被害者の利益が否定されたうえに、さらに私人訴追の負担を負わなければならない可能性を生じさせるものであり、疑問があるということになるであろう。

むすびにかえて

 最後に、以上の検討で明らかになったことをまとめておく。
一 条件付親告罪制度は、そもそもその〈名称〉について争いがあるが、それは、その制度の構造ないし内容を反映し、他の制度の名称との混同を招かないようなものであるべきである。条件付親告罪の基本構造は、《原則》が親告罪であり、《例外》が(特別な公益が肯定される場合の)職権による介入である。その立法根拠の中核は、①親告罪にお 【p.74/p.75】 いて被害者が告訴をしないことのデメリット(とくに濫用的不行使の問題)の克服と、②「刑事訴追に対する特別な公益」が肯定される場合の職権介入・訴追の必要性である。この「刑事訴追に対する特別な公益」の判断にあたっては、「刑事手続および罰金手続についての指針」(RiStBV)が参考になる。
二 ドイツにおいては職権主義ないし国家訴追主義が原則であるが、通常の親告罪は(告訴の訴訟法的性質を考慮して)その制限であるとする意見が強い。しかし、条件付親告罪は、そうした制限を部分的であれ解くものであり、職権主義ないし国家訴追主義により合致したあるいは親近性のある制度である。また、ドイツにおいては起訴法定主義が原則であるが、通常の親告罪はその例外とされる。これに対して、条件付親告罪は、「刑事訴追に対する特別な公益」の判断が検察官の裁量であるとするドイツの判例・通説によれば、起訴便宜主義的制度になる。しかし、両者の親告罪を起訴法定主義の例外であることを認めたうえで、通常の親告罪は「消極的起訴法定(主義)」、条件付親告罪は「条件付消極的起訴法定(主義)」の制度ととらえるべきである。
三 条件付親告罪に対しては、①制度そのものが親告罪の本質と矛盾している、②「刑事訴追に対する特別な公益」に関する判断が検察官の恣意的なものになりうる、③「刑事訴追に対する特別な公益」の概念が私人訴追制度における公訴の提起の条件である「公益」の概念と齟齬が生じうる、といった問題点が指摘されている。

 以上のことを前提にして、若干ではあるが、日本刑事法(学)への示唆を述べておきたい。
 親告罪ないし条件付親告罪は、刑事司法機関の負担軽減および被害者利益の考慮という面に着目すると、起訴法定主義をとっている法制度において、とくにその意義が大きいということができる。というのも、一定の犯罪事実が明白なときに必ず職権による訴追が行われなければならないとしたらならば、刑事司法機関の負担や被害者の利益への 【p.75/p.76】 配慮は、無視されかねないからである。
 とすると、日本のように起訴便宜主義をとった場合(刑訴法二四八条)には、そうした問題は回避しうるのではないかという疑問が生じてくるであろう。しかし、この場合には重大な問題が残る。それは、訴追権限を握る検察官(そして国家)が自分たちの負担軽減に配慮することは期待できても、被害者の利益に配慮するということは必ずしも期待できないということである。したがって、起訴便宜主義をとった場合においても、もし日本において被害者の利益に配慮しようとする立法政策がとられるとしたならば、その利益に配慮するような制度が用意されるべきことになる。そのひとつがまさに親告罪であるといえよう。
 さらに、こうしてみると、起訴便宜主義における親告罪の重点というのは、刑事訴追機関の負担軽減という観点ではなく、被害者のための制度として運用されるべきことになる。問題は数多く残されているが、こうした視点が親告罪(およびその周辺規定)の解釈にあたっては必要になるであろう。
〔二〇〇四年一〇月二七日脱稿〕
 
(1) 拙稿「親告罪における告訴の意義」法学研究論集一五号(明治大学大学院、二〇〇一年)一頁以下、同「修復的司法としての親告罪?」同一六号(二〇〇二年)一頁以下、同「告訴期間制度の批判的検討」同一七号(二〇〇二年)一頁以下、同「告訴権の歴史的発展と現代的意義」同一八号(二〇〇三年)一頁以下。なお、これらの論考について各方面から様々なご意見・ご批判をいただいているが、本論文はそれらに対する回答の一部である。
(2) Werner Winnen, Eingeschränkte Antragsdelikte: Zugleich eine Stellungnahme zu wesentlichen Fragen der Antragsdelikte, 2001.
(3) Vgl. Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.1.
【p.76/p.77】
(4) ナチス政権の下で出された「一九四〇年四月二日の交通事故における過失致死、傷害および逃亡に関する刑罰規定の改正についての命令」Verordnung zur Änderung der Strafvorschriften über fahrlässige Tötung, Körperverletzung und Flucht bei Verkehrsunfällen vom 2. 4. 1940(RGBl. I S.606)により、旧二三二条一項が条件付親告罪の規定とされた(vgl. Susanne Brähmer, Wesen und Funktion des Strafantrags: Eine Studie über Voraussetzungen und Probleme des Verfahrens bei Antragsdelikten, 1994, S.86 f.; Ali-Ihsan Erdag, Der rechtliche Einfluß des privaten Verletzten auf den Beginn des Strafverfahrens, 2001, S.73 und Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.20 ff.)。
(5) Vgl. auch Erdag, a.a.O. (Anm.4), S.8 f. und Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.2.
(6) Erdag, a.a.O. (Anm.4), S.8 f.
(7) Volker Krey / Jürgen Pföhler, Zur Weisungsgebundenheit des Staatsanwaltes: Schranken des internen und externen Weisungsrechts, NStZ 1985, S.149 und Winnen, a.a.O.
(8) Maria-Katharina Meyer, Zur Rechtsnatur und Funktion des Strafantrags, 1984, S.42.
(9) Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.143 und Friedrich Geerds, Zur Rechtsstellung des Verletzten im Strafprozeß, JZ 1984, S.787.
(10) Hans-Joachim Rudolphi, in: Systematischer Kommentar zum Strafgesetzbuch, 1998, Vor § 77, Rn.1. Vgl. auch Claus Roxin, Strafverfahrensrecht, 25. Aufl., 1998, S.81, § 12 Rn.12.
(11) Ulrich Lichtner, Die historische Begründung des Strafantrags und seine Berechtigung heute, 1981, S.26.
(12) Erdag, a.a.O. (Anm.4), S.8.
(13) Lichtner, a.a.O. (Anm.11), S.26 und Roxin, a.a.O. (Anm.10), S.80, § 12 Rn.8.
(14) 拙稿「親告罪における告訴の意義」前掲注(1)一七頁注(56)も参照。
(15) Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.3 f. もっとも、実際の運用次第では、法律上の原則と例外が逆転してしまうことも考えられる。
(16) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.87 und S.143; Erdag, a.a.O. (Anm.4), S.10; Peter Rieß, Die Rechtsstellung des Verletzten im Strafverfahren, in: Gutachten C für den 55. Deutschen Juristentages, 1984, S.70 f., Rn.98 sowie Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.20 ff. und S.63 ff.
【p.77/p.78】
(17) なお、現行ドイツ刑法典における条件付親告罪の条文構成の全体像については、拙稿・前掲注(1)「修復的司法としての親告罪?」一〇頁で触れたが、それを補正したものとして、同〈http://www.aurora.dti.ne.jp/~mutsumi/study/ronsyu16.html〉を参照。
(18) Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.62 ff., insbesondere S.94.
(19) 拙稿・前掲注(1)「親告罪における告訴の意義」六頁以下を参照。
(20) Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.91 f.
(21) Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.93, Fn.35.
(22) Sechstes Gesetz zur Reform des Strafrechts vom 26. 1. 1998 (BGBl. I S.164). 改正の理由について、vgl. Bundestagsdrucksache 13/7164. 未成年者の奪取との関連でのその比較的詳細な要約については、vgl. Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.86 f.
(23) Vgl. Meyer, a.a.O. (Anm.8), S.51 f. und Winnen, a.a.O. (Anm. 2), S.21 ff.
(24) Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.3.
(25) 拙稿・前掲注(1)「親告罪における告訴の意義」一七頁注(56)も参照。
(26) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.145 und Geerds, a.a.O. (Anm.9), S.788.
(27) 私人訴追手続との関係で「公益」概念を非常に詳細に検討しているものとして、上田信太郎「ドイツ私人訴追手続における『公益』概念」香川法学一四巻二号(一九九四年)二〇七頁以下、とくに二三三頁以下を参照。
(28) ドイツ刑法典において私人訴追犯罪で親告罪と一致しないのは、脅迫のみである(拙稿・前掲注(1)「修復的司法としての親告罪?」一二頁)。なお、親告罪と私人訴追犯罪との関係を五類型(①単純親告罪、②条件付親告罪、③私人訴追犯罪でもある単純親告罪、④私人訴追犯罪でもある条件付親告罪、⑤私人訴追犯罪のみのもの)に分けて詳細に分析しているものとして、vgl. Erdag, a.a.O. (Anm.4), S.8 ff.
(29) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.101.
(30) 例えば、Volker Krey, Strafverfahrensrecht Bd. 2, 1990, S.3 und Lichtner, a.a.O. (Anm.11), S.37. 
(31) 例えば、Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.101.
(32) とくに、ヴィネンは、条件付親告罪(における告訴)の法的性質について、刑法上の文言と遡及処罰の禁止を定めた基本法 【p.78/p.79】 一〇三条二項の規定を根拠に、訴訟法説を強く主張する(Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.138 ff.)。
(33) なお、田口守一は、条件付親告罪を「ドイツ法の親告罪制度における国家訴追主義の要素」と位置付ける(同「親告罪の告訴と国家訴追主義」『宮澤浩一先生古稀祝賀論文集・第一巻・犯罪被害者論の新動向』(二〇〇〇年)二五〇頁以下)。
(34) なお、松尾浩也「起訴法定主義の動向――西ドイツ刑事訴訟法に関する一つのBericht――」平場安治ほか編『団藤重光博士古稀祝賀論文集・第四巻』(一九八五年)一九七頁以下も参照。
(35) Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.102 f.
(36) Vgl. Walter Stree, in: Schönke/Schröder, Strafgesetzbuch Kommentar, 26. Aufl., 2001, S.1849, § 230, Rn.3.
(37) Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.144 f.
(38) Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.156.
(39) Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.155 f.
(40) Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.141 ff.
(41) Winnen, a.a.O. (Anm.2), S.94.
(42) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.176.
(43) Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.176 ff.; Erdag, a.a.O. (Anm.4), S.121 und Geerds, a.a.O. (Anm.9), S.788. いずれの論者も、条件付親告罪という制度を疑問視しているが、ブレーマーとゲールツは告訴権・親告罪に一定の肯定的評価をしているのに対して、エルダグは告訴権・親告罪そのものに否定的評価をしている。
(44) Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.177. Vgl. noch Rieß, a.a.O. (Anm.16), S.70 f., Rn.98 und S.133, Rn.205.
(45) Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.177 f.
(46) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.178.
(47) 以上の三点について、Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.145 und S.178 f. なお、①の点について、Rieß, a.a.O. (Anm.16), S.71, Rn.98も参照。
(48) 起訴法定主義との関係では、私人訴追犯罪は、私人が訴追することそのものよりも、むしろ公益が肯定されない場合に(軽微犯罪の処理に関して刑事司法機関の負担軽減をするという趣旨から)検察官が職権による訴追を行わなくてすむという点が、その是非は別として、実際上はもっとも重要な役割を担っている、つまり、三七四条よりも三七六条の意義が大きいと 【p.79/p.80】 もいえるのではないだろうか(なお、上田信太郎「ドイツ私人訴追手続の沿革と私訴犯罪について」一橋研究一七巻二号(一九九二年)五一頁以下も参照)。
(49) Vgl. noch Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.145 ff. und Erdag, a.a.O. (Anm.4), S.31 ff.
(50) Vgl. Brähmer, a.a.O. (Anm.4), S.145 ff. und Geerds, a.a.O. (Anm.9), S.791.

〔付記〕
 菊田幸一先生には、一九九七年度に学部で「犯罪学」を受講して以来、大学院、助手時代と、お世話になりました。また、先生が法学研究科委員長に在任中には、私の助手研究報告があり、その際、早期に博士論文を完成させることを約束いたしました。先生が古稀を迎えられ明治大学を退かれる前に、その約束を果たすべきところでしたが、私の力不足でこのような論考しか寄せられなかったことを申し訳なく思います。
(富山大学経済学部講師)


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