http://www.aurora.dti.ne.jp/~mutsumi/study/fudai532.html
2007-11公刊,2007-12-31Web掲載,2008-01-01最終更新(文字化けの修正)
黒澤睦「明治初期の告訴制度の形成過程―刑事手続法における関連諸規定の概観―」富大経済論集第53巻第2号(富山大学経済学部,2007年11月)183-226頁〔通頁299-342頁〕。
Mutsumi KUROSAWA, Strafantragsrecht und Antragsdelikte in der frühen Meiji-Zeit (2), The Journal of Economic Studies University of Toyama (The Fudai Keizai Ronshu), Vol.53 No.2, 2006, Faculty of Economics, University of Toyama, pp.183-226.

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  4. 赤字のものは,出版後に気づいた訂正事項です(<>内の日付は,訂正を行った日の日付です)。お詫びして訂正いたします。
  5. 本研究ノートは,立法政策論を含んだ学術論文であり,実務でこのとおりの運用がなされている訳ではありません。実際に事件の当事者になられた方は,弁護士等の法律実務家にご相談なされることをお勧めいたします。

【p.183】

明治初期の告訴制度の形成過程

― 刑事手続法における関連諸規定の概観 ―

黒澤 睦

キーワード:告訴権,親告罪,治罪法,吟味願,付帯私訴,ボアソナード

目次
 はじめに
 一 治罪法制定・施行以前の告訴制度をめぐる諸状況
 二 治罪法とその編纂過程における告訴制度
 むすびにかえて

はじめに

 前稿において,明治初期の刑事実体法における告訴権・親告罪の形成過程を概観した(1)。そこでは,実体法領域において,比較的早い時期から親告罪のみならず告訴に関わる手続に関連した諸規定が置かれていたことが確認された。
 では,手続法領域においては,告訴制度はどのように形成されていったのであろうか。治罪法における諸規定はすでに概観したことがある(2)ので,本稿ではとくに治罪法に至るまでの経過を検討する。本稿の根底にある究極的な目的は犯罪対応過程への被害者の関与の在り方を探ることであるが,本稿の当面の目的は,明治初期の告訴制度の形成過程の全体像を客観的に概観することによって,当時の刑事司法における被害者対応の具体的方法とその背景にある考え方を確認することにある。また,とくに制度形成の初期段階を確認することで,制度の本来の意味を再発見できることも期待される。
 以下では,治罪法制定・施行以前の告訴制度をめぐる諸状況〔一〕と治罪法 【p.183/p.184】 とその編纂過程における告訴制度〔二〕とに分けて検討を進めていく(3)。その際,治罪法の制定・施行過程とそれと同時期の治罪法制定・施行以前に数多く存在する告訴関連規則等への影響やそれとの整合性にとくに留意する。これまで学界において治罪法に盛り込まれた内容の新規性について議論があった(4)が,治罪法の立案と並行して迅速に実施すべきものを先行して導入したとという仮説も成立ちうるからである。一の部分で布告・布達・達などが発せられた日付を逐一掲記したのは,上記の仮説の検討を(本稿では極めて不十分であるが,いずれ成し遂げるべきものとして)視野に入れているためである。
 なお,以下の記述においては,法令・史料等を引用するにあたって,本稿の筆者である黒澤が,漢字・合字仮名の平易化,各項冒頭の一字下げ,留意すべき箇所への下線付加等の表記修正を行った。

一 治罪法制定・施行以前の告訴制度をめぐる諸状況(5)

1 明治維新直後,1870年・明治3年5月25日 刑部省定「獄庭規則」
    ―― 徳川時代の運用の継続,慣例の踏襲

 明治維新直後は独立した刑事訴訟法は存在せず,1867年・慶応3年10月22日の明治新政府指令および1868年・明治元年10月30日の行政官布達などにより,徳川時代の運用が継続された(6)
 明治維新後の最初の刑事手続規則といえるものは,1870年・明治3年5月25日に定められたいわゆる「獄庭規則」(明治3年刑部省定)(7)である。そして,その内容も徳川時代の慣例をほぼ踏襲しているという(8)
 徳川時代の幕府の運用に関しては,前稿で触れたように,とくに平松義郎の研究が著名である(9)。平松によれば,私人による官憲に対する犯罪の申告のおもなものとして,目安の提出による訴,被害の届出,検使の願出,犯罪者の逮捕連行もしくは逮捕した旨の届出,密告,自首があった。また,それらの申告は,訴,願,届にかかわらず,すべて「訴」と呼ばれ,申告者を「訴人」,「訴訟人」または「願人」と称した。つまり,告訴と告発の区別やそのような語を幕 【p.184/p.185】 府法は知らなかったという(10)。そして,「目安の提出」は,「加害者を特定して,あるいは,嫌疑濃厚なる旨を申立てて,これを相手取り,その者の吟味ないし處罰を願うという訴状を提出することによつてなされる」ものであり,「奉行所は訴状を一読して,重い犯罪ありと思料するときには,相手方,ときに訴訟人に對しても吟味筋の手續により,糺問を開始する」という取扱いが行われていた。さらに,「告訴ないし親告罪という制度は存しなかつたが,目安の提出がその機能をも果たしたといえる」との評価がなされている(11)

2 1872年・明治5年8月3日 太政官(無号)8月3日「司法職務定制」
    ―― 検事の検部への探索命令,検事への報知先行

 1871年・明治4年7月9日に刑部省と弾正台が廃止され司法省が設置された(12)。そして,1872年・明治5年8月3日に「司法省職制並事務章程(司法職務定制)」(明治5年太政官,明治7年太政官達第14号等により改正,明治8年司法省達第10号により消滅)(13)が発せられ,断獄順序および各種職制(裁判所,検事局(14)等)が定められた(15)
 その第七章「検事局章程」には,次のような告訴事件等における特別な取扱い(検事が検部に命令して探索させる)を定めた規定がある(25条)。
【司法職務定制】
第25条 検事ハ衆ノ為ニ悪ヲ除クヲ以テ務トス罪犯アリテ蹤跡明白ナル者及現行罪犯ハ検事ヨリ検部ニ命シ逮捕シテ状ヲ具シ判事ニ付ス其ノ明白ナラサル者及罪犯ノ訴アレハ又検部ニ命シ探索セシム
 また,第九章「捕亡章程」には次のような規定があり,捕亡(逮捕)活動の端緒としての告訴等が想定されている(37条)。さらに,検事への報知を先行させるという取扱いが規定されている(同条)。この後者の取扱いは,前提となる職掌体系が現在とは異なるものの,告訴事件を検察官に報告することを優先するという点において,現行刑訴法242条の取扱いに類似したものである。
【p.185/p.186】
【司法職務定制】
第37条 罪犯現行ニ非シテ之ヲ訴告ニ聞キ或ハ探知シタル時ハ先ツ検事ニ報知シ必其指揮ヲ待テ然ル後ニ捕縛ス
 その後,1872年・明治5年10月19日に,おもに捜査機関の構成・職務内容等を定めた「警保寮職制(並ニ東京番人規則違式詿違條例)」(明治5年太政官第17)(16)が暫定的に施行された(17)
 また,1873年・明治6年2月24日に「断獄則例」(明治6年司法省第22号)(18)が司法省から発せられ,「獄庭規則」(1870年・明治3年)を廃止した(19)
 そして,1873年・明治6年6月17日に「司法職務定制」の「検事職制」が改正された(明治6年司法省甲第1号,明治5年太政官「司法職務定制」を改正,明治7年太政官達第14号により消滅)(20)。告訴事件に関しては,改正前と同様の特別な取扱いが定められている(25条)。
【司法職務定制】 〔下線部が改正部分〕
第25条 検事ハ衆ノ為ニ悪ヲ除クヲ以テ務トス罪犯アリテ蹤跡明白ナル者及現行罪犯ハ検事ヨリ検部又ハ警察官ニ命シ逮捕シテ状ヲ具シ判事ニ付ス其ノ明白ナラサル者及罪犯ノ訴アレハ又検部ニ命シ探索セシム

3 1874年・明治7年1月28日 太政官達第14号「検事職制章程司法警察規則」
    ―― 検事の司法警察官への逮捕・探索命令
       司法警察官から検事への報知先行

 1874年・明治7年1月28日に,内務省への警察事務の移転等の影響を受けて,「検事職制章程司法警察規則」(明治7年太政官達第14号,明治5年太政官「司法職務定制」を改正,検事職制章程は明治8年司法省達第10号により消滅,司法警察規則は明治9年太政官達第39号により廃止)(21)が発せられた。これは,検事と司法警察の構成(検部・逮部を廃止し司法警察官吏を設ける)および職務内容等を定めたものである(22)
 その第二章「検事章程」には,検事の活動の端緒として告訴等を想定し,告訴事件等の特別な取扱いを定めた規定がある(3条,4条)(23)。これらは,改正 【p.186/p.187】 後の司法職務定制(1873年・明治6年)の25条を,証跡が明白か否かおよび現行犯であるか否かを基準に整理・修正して引き継いだものである。
【検事職制章程司法警察規則】
第3条 犯罪ノ訴アリテ蹤跡明白ナル者及現行犯罪ハ検事ヨリ司法警察官吏ニ命シ逮捕シテ状ヲ具シ判事ニ付ス
第4条 犯罪ノ訴アリテ其蹤跡未タ明白ナラサル者ハ司法警察官吏ニ命シ探索セシム
 さらに,第四章「司法警察職務ノ事」には,告訴事件において検事への報知を先行させるという特殊な取扱いを定めた規定がある(32条)。この取扱いは,司法職務定制(1872年・明治5年)の37条の内容をほぼ引き継ぐものであり,現行刑訴法242条の取扱いに類似している。
【検事職制章程司法警察規則】
第32条 現行犯罪ニ非スシテ之ヲ告訴ニ聞ク時ハ先ツ検事ニ報知シ必ス其指令ヲ待テ然ル後ニ探索又ハ逮捕ス

4 1874年・明治7年10月4日 司法省達10月4日
    ―― 府県断獄課による吟味願の取扱い

 1874年・明治7年10月3日の太政官達(明治7年太政官達第132号)(24)および同年10月4日の司法省達(明治7年司法省達無号)(25)が司法警察事務を使府県および警視庁に委任した。そして,同1874年・明治7年10月4日の別の司法省達(明治7年司法省達10月4日,明治8年司法省達第10号により改正,明治8年司法省達第47号により消滅)(26)が,各裁判所への派出検事を廃止したため,検事局で扱っていた「吟味願」(後でも触れるように,告訴そのものではないが,告訴や付帯私訴と密接に関連している)(27)がすべて府県断獄課で取り扱われることになった(28)
○ 明治七年 太政官 達 第百三十二号(十月三日 輪郭付)          開拓使
                                裁判所有之府県
 司法警察事務当分使府県ヘ委任可致旨別紙之通司法省ヘ相送達候条此旨可相心得事
(別紙)
                                    司法省
【p.187/p.188】
 御詮議ノ次第有之候条司法警察事務当分使府県ヘ委任可致此旨相達候事
  但其省章程中ニ抵触候分ハ施行不致儀ニ候事
    明治七年十月三日                太政大臣三條實美
○ 明治七年 司法省 達 無号(十月四日)         警視庁 裁判所有之府県
 今般別紙之通御達相成候ニ付司法警察事務当分其府県庁ヘ委任候条此旨相達候事〈別紙ハ太政官第百三十二号達ニ同シ〉
  但司法警察事務上ニ付諸伺等総テ当省ヘ可差出候事
  ※〈 〉内の原文は二行割書である。
○ 明治七年 司法省 達 十月四日                  各府県裁判所
 今般派出検事相止候ニ付テハ是迄検事局ヘ差出来候吟味願又ハ罪犯受取方等総テ断獄課ニテ取扱可申事
 その後,行政警察活動に関するものとして,1875年・明治8年3月7日に「行政警察規則」(明治8年太政官達第29号)(29)が発せられた(30)。さらに,1875年・明治8年4月14日の大審院の設置を受けて,同年5月8日に司法省の職制を改める「司法省・検事職制章程」および「大審院諸裁判所職制章程」(明治8年司法省達第10号)(31)が発せられた(32)(なお,これら2つの章程には,告訴に関する規定は存在しない)。
 また,1875年・明治8年5月24日の「判事職制通則」(明治8年太政官布告第91号)(33)と同年8月30日の司法省達(明治8年司法省達番外,明治9年司法省達第48号により改正)(34)とによって,「下調」を行う判事つまり予審判事・糺問判事が形成された(35)

5 1875年・明治8年7月14日 司法省布達甲第12号
    ―― 代理人による吟味願の取扱い

 1875年・明治8年7月14日に司法省布達(明治8年司法省布達甲第12号,明治14年司法省布達甲第1号により消滅)(36)が発せられた。これによって,「吟味願」は原則として本人が願い出るべきであり,代理人によるときはその都度許可を受けるべきこととなった(37)
○ 明治八年 司法省 布達 甲第十二号(七月十四日 輪郭付)
【p.188/p.189】
 是迄犯罪吟味願ニ付本人事故アレハ代人差出候慣習モ候処以来ハ可相成本人罷出可申若萬々不得巳事故有之代人差出度候ヘハ其時々願出許可ヲ可受候條此旨布達候事

6 1875年・明治8年12月27日 司法省達第47号
    ―― 警察官による吟味願の取扱い

 1875年・明治8年12月27日に司法省達(明治8年司法省達第47号,明治7年司法省達10月4日が消滅,明治14年司法省布達甲第1号により消滅)(38)が発せられた。これによって,「吟味願」は警察官が取り扱うべきことが定められた(39)
○ 明治八年 司法省 達 第四十七号(十二月二十七日 輪郭付)
                           検事在ラサル各府県裁判所
                                     各県
 吟味願取扱等之儀ニ付昨明治七年十月四日各府県裁判所ヘ相達候儀モ有之候処自今吟味願之儀ハ警察官ニ於テ取扱可致此旨相達候事

7 1876年・明治9年4月24日 司法省達第47号「糺問判事職務仮規則」
  1876年・明治9年4月24日 司法省達第48号「司法警察仮規則」
    ―― 糺問判事の取扱い,検事の取扱い,警部から検事への迅速送付,
       検事から糺問判事への送付

 1876年・明治9年4月24日に,これまでの捜査・訴追関係機関の不備を補うため,「糺問判事職務仮規則」(明治9年司法省達第47号,明治8年司法省達番外達が消滅,明治10年司法省達丙第10号により改正,明治13年太政官布告第37号により消滅)(40)と「司法警察仮規則」(明治9年司法省達第48号,明治8年司法省達番外が消滅,明治9年司法省達第59号・明治13年司法省達丙第2号・明治14年司法省達丙第1号により改正,明治13年太政官布告第37号により消滅)(41)が発せられた(42)
 まず,前者の糺問判事職務仮規則の第二章「現行犯」において,糺問判事(予審判事)が現行犯事件で直接に告訴・告発を受けた場合,検事の行うべき処分 【p.189/p.190】 をまず自らが行わなければならないと規定している(3条)(43)
【糺問判事職務仮規則】
第3条 現行犯ニ於テ糺問判事直チニ告ヲ承ルトキハ検事ヲ待タス自ラ検事ノ為スヘキ処分ヲ行ヒ而後之ヲ検事ニ付スヘシ
 次に,後者の司法警察仮規則の第二章「検事司法警察職務」において,検事について,告訴・告発の受取りと裁判請求に関する規定がある(4条)(44)
【司法警察仮規則】
第4条 検事ハ違警犯ヲ除クノ外総テ罪犯ニ付テノ告訴〈被害者自ラ訴フル者〉告発〈他人ヨリ訴フルモノ〉ヲ受取リ及自ラ現行犯ヲ検視シテ検視明細書ヲ作リ若クハ他ノ司法警察官ノ検視明細書ヲ受取リ之ヲ相当ノ裁判所ニ訴ヘ裁判ヲ求ムヘシ
  ※〈 〉内の原文は二行割書である。
 また,司法警察仮規則の第三章「警部司法警察職務」において,警部について,告訴・告発文書の検事への迅速な送付義務に関する規定がある(11条)。この取扱いは,検事職制章程司法警察規則(1874年・明治7年)の32条の内容を引き継ぐものであり,現行刑訴法242条の取扱いに類似している。
【司法警察仮規則】
第11条 警部ハ受取ル所ノ告訴告発ノ文書若クシハ現行犯ノ検視明細書及ヒ其ノ他ノ書類ヲ速ニ検事ニ送リ検事ノ処分ニ供フヘシ故無ク淹滞勾留スルコトヲ得ス
 さらに,司法警察仮規則の第五章「司法警察官非現行処分」において,現行犯以外の事案について,告訴・告発をした者がいて警部が告訴・告発文書を検事に送付した場合(11条も参照),検事は書類の検討または一応の訊問をして,それが法に触れるものであると考えるときは,文書を糺問判事に送付しなければならないとした(22条本文)。ただし,時宜により,拿捕および糺問(取調べ)による口書(供述調書)作成(17条),鑑定(20条),勾留・保管して判事に書類を迅速に送付して裁判請求(21条)ができるとしている(22条但書による準用)(45)。とくに22条本文は,告訴・告発事件の特別な取扱いを定めたものである。
【司法警察仮規則】
第22条 現行犯ヲ除クノ外罪犯ヲ告訴若クハ告発スル者アリ及ヒ警部ヨリ告訴告発ノ 【p.190/p.191】 文書ヲ送付スルアレハ検事書類ヲ検シ又ハ一應問訊シ其法律ニ触ルヽモノト思察スル時ハ其ノ文書ヲ具ヘテ糺問判事ニ送付スヘシ
 但シ時宜ニ依リ第十七条第廿条第廿一条ノ規則ヲ通シテ用フルコトヲ得
 その後,1877年・明治10年3月5日の「司法省職制章程並検事職制章程」(明治10年太政官達第32号,明治13年太政官達第60号により改正)(46)と1878年・明治11年6月10日の司法省達(明治11年司法省達丙第4号,明治13年太政官布告第37号により消滅)(47)とによって,検事による訴追という制度が形成された(48)

8 1878年・明治11年10月8日 司法省達丙第9号
  1878年・明治11年10月8日 司法省達丁第35号
    ―― 同一事件の民事手続の停止

 1878年・明治11年10月8日に司法省達(明治11年司法省達丙第9号・明治11年司法省達丁第35号,明治13年太政官布告第37号により消滅)(49)が発せられた。これによって,告訴があった場合に同一事件の民事手続が停止することになった。
○ 明治十一年 司法省 達 丙第九号(十月八日)               検事
                               検事在ラサル各県
 民事審理中及ヒ裁判宣告後該事件ニ付刑事ノ告訴ヲ為シタル場合民事ノ審理ヲ中止シ又ハ罪証明白ナルトキハ裁判執行ヲ停止スヘキノ求メヲ為ス可シ此旨相達候事
 但シ本文ニ抵触スル従前ノ指令等ハ一切取消候儀ト心得可シ
○ 明治十一年 司法省 達 丁第三十五号(十月八日)            大審院
                                   諸裁判所
 今般左ノ通相達候条為心得此旨相達候事(左ノ達ハ丙第九号達ニ同シ)
 この司法省達において当時意図されたところは明らかではない。しかし,以下で述べるように,上記の司法省達が発せられたのと同時期には,すでにボアソナードによる治罪法の草案が作成されていたと考えられるため,その治罪法およびボアソナードの草案にある類似した規定を検討することが,この司法省達の意図するところを解明する糸口になると考えられる。
【p.191/p.192】
 すなわち,治罪法6条は,公訴と私訴(刑事裁判所と民事裁判所のどちらに対するものも含む)が同時に提起された場合,公訴の裁判に先立って私訴の裁判を行ってはならず,もし賠償返還の言渡しがあったときは共に無効とする旨を規定している。そして,この治罪法6条の趣旨は,村田保によれば,「被告人ヲ保護スルノ主旨ニ基ク者ニシテ刑事ハ民事ヲ中止スルノ原則ヨリ一変シテ起ル所ノ果効ナリ」……前段は「民事ニ於テ賠償ノ言渡アリタルヲ以テ其影響ヲ刑事ノ言渡ニ波及シタルノ恐アルニ由ル」,後段は「若シ其言渡ヲ破毀スルモ敢テ其効ナクシテ遂ニ私訴裁判ノ影響ヲ公訴ノ裁判ニ波及スルノ幣ヲ免カルヽコト能ハサルニ由ル」(50)ものとされている。また,ボアソナードは,治罪法5条に対応するボアソナード草案5条の趣旨に関して,さらに明確に次のように述べている。公訴よりも先に私訴を裁判したならば,「結果ヲ以テ原因ニ先タヽシムル者ニシテ条理ニ背馳スルノ所為ナリト謂ハサル可カラス抑々被告カ損害ヲ賠償スルノ任アルハ偏ヘニ犯罪ヲ行フ〔ママ〕タルニ因ル」……「私訴先ニ裁判セラレテ其末原告ヲ直トスル時ハ刑事裁判所ニ於テ被告ニ対シ有罪ノ推定ヲ下シ犯罪ノ嫌疑ヲ被ラシメ検察官ハ之ヲ以テ一ノ論拠トナシ殊ニ同事件ニ就テ下シタル裁判タルノ故ヲ以テ其力モ一層強大ナルノ幣アル可キナリ」(51)
 以上のように,趣旨として,とくに先行する民事損害賠償命令が刑事裁判に有罪推定という悪影響を与えないようにすることが想定されている。この趣旨を告訴というさらに早い段階にまで及ばせようとしたのが,上記の明治11年司法省達丙第9号の趣旨であると推測することができる。

9 1879年・明治12年7月29日 司法省達丙第9号
    ―― 吟味願を刑事付帯私訴とみなす

 1879年・明治12年7月29日に司法省達(明治12年司法省達丙第9号,明治14年司法省布達甲第1号により消滅)(52)が発せられた。これによって,被害者が吟味願出をした場合には,刑事附帯私訴とみなすこととなった(53)
【p.192/p.193】
○ 明治十二年 司法省 達 丙第九号(七月二十九日 輪郭付)         大審院
                                   諸裁判所
                                     検事
                               検事在ラサル府県
 被害者ヨリ吟味願出ルモノハ畢竟刑事附帯ノ私訴ト看做スヘキモノナリ故ニ之ヲ受理シテ其刑事裁判ヲ為ス時ハ必ス其附帯シテ起ル所ノ民事ノ裁判ヲモ与フヘシ
 右相達候事

10 1880年・明治13年2月26日 司法省達丙第2号
    ―― 検事による拿捕等の例外的処分の廃止

 1880年・明治13年2月26日に司法警察仮規則22条但書を削除する旨の司法省達(明治13年司法省達丙第2号,明治9年司法省達第48号を修正,明治13年太政官布告第37号により司法警察仮規則が消滅)(54)が発せられた。これによって,告訴事件において,それまで例外的に認められていた拿捕・糺問による口書作成,鑑定,勾留・保管等ができなくなり,検事から糺問判事への書類の送付という原則が貫徹されるようになった。
○ 明治十三年 司法省 達 丙第二号(二月二十六日 輪郭付)    大審院 諸裁判所
                            検事 検事在ラサル各県
 明治九年当省第四十八号達司法警察仮規則第二十二条ノ但書削除候条此旨相達候事

11 1880年・明治13年4月20日 司法省達丙第5号
    ―― 告訴事件の取扱い方法の整理

 1880年・明治13年4月20日に非現行犯の告訴・告発事件等の手続に関する司法省達(明治13年司法省達丙第5号,明治13年司法省達丙7号により修正,明治13年太政官布告第37号により消滅)(55)が発せられた(56)。これは同年2月26日司法省達により生じた疑義を解決するためのものである(57)とともに,非現行犯の告訴・告発事件等の手続の詳細を定めたものである。
○ 明治十三年 司法省 達 丙第五号(四月二十日 輪郭付)     大審院 諸裁判所
                               検事在ラサル各県
 今般司法警察仮規則第二十二条但書削除候儀ニ付第千八百五十五号ヲ以テ別紙ノ 【p.193/p.194】 通リ検事ヘ及内訓候条此旨為心得相達候事
 (別紙)
第千八百五拾五号                             検事
 先般丙第二号ヲ以テ司法警察仮規則第二拾二条但書削除候旨相達候処疑議ヲ生スル向モ有之趣ニ付左ノ条件及内訓候事
   明治十三年四月廿日                司法卿田中不二麿
 この司法省達の別紙に掲げられた条文の数はわずか4条のみであるが,その内容は多岐にわたる。このうち,告訴事件の取扱いについてとくに重要なのは第1条と第3条である(58)
 まず,第1条は,非現行犯の告訴・告発事件の場合,告訴・告発者が差し出すべき物件・書類(証拠の物件,証人の申立書,鑑定人の申立書,被告人自首の申立書,被告人待罪の申立書,警察官の問いに答えた被告人自由任意の申立書,告訴告発人の申立書)と代書によるときの押印・拇印義務を規定している。
第1条 凡検事若クハ地方警察官ニ対シ非現行犯(違警犯ヲ除ク下文倣之)ニ付テノ告訴告発ヲ為ス者ハ左ニ掲載セシ物件若クハ書類ヲ差出可シ
 一 証憑ノ物件
 二 証人ノ申立書(申立書ハ本人ノ押印又ハ拇印アルヲ必要トス以下倣之)
 三 鑑定人ノ申立書
 四 被告人自首ノ申立書
 五 被告人待罪ノ申立書
 六 警察官ノ問ニ答ヘシ被告人自由任意ノ申立書
 七 告訴告発人ノ申立書
 右ニ掲載セシ各項ノ書面其他証憑トナル可キ書類ハ成ル可キ丈ケ取纏メ差出スヘシ且其書面若シ本人ノ自書ニ非スシテ他人ノ代書ニ係ル時ハ代書人何某ト記載シ而シテ代書人親カラ押印又ハ拇印スヘシ
 次に,第3条は,検事等が告訴・告発を受けた場合,犯状が明白なときは第2条の手続により(1号),犯状が明白でないときは糺問判事に付して下調べを請求し,その後さらに証拠を受け取ってしかるべき裁判所に裁判を請求する義務(2号,司法警察仮規則6条・22条を準用)を規定している。
第3条 検事若クハ検事ノ事務ヲ取扱フ可キ地方警察官ニ於テ人民若クハ地方警察官 【p.194/p.195】 ノ告訴告発ヲ受ケシ時ハ左ノ区別ニ従ヒ処分ス可シ
 一 非現行犯ノ軽重罪ニシテ犯状明白ナル者ハ第二条ニ掲載セシ手続ニ従フヘシ
 二 非現行犯ノ犯状繁難ニシテ明白ナラサル者ハ糺問判事ニ付シ下調ヲ請ヒ下調済ノ後更ニ証憑ヲ受取リ之ヲ相当ノ裁判所ニ訴ヘ裁判ヲ求ムルコト司法警察仮規則第六条及第二十二条ニ掲載セシ手続ノ如クスヘシ

12 1880年・明治13年5月4日 司法省達丙第7号
    ―― 口頭による告訴等の取扱い

 1880年・明治13年5月4日に司法省達(明治13年司法省達丙第7号,明治13年司法省達丙第5号を修正,明治13年太政官布告第37号により消滅)(59)が発せられた。これによって,1880年・明治13年4月20日司法省達丙第5号の第1条が一部修正される(提出すべき物件・書類をできる限りのものと挿入・明記する)とともに,但書が追加され,口頭による告訴・告発を受けた場合の調書作成と読み聞かせおよび押印・拇印が義務となった。
○ 明治十三年 司法省 達 丙第七号(五月四日 輪郭付)      大審院 諸裁判所
                               検事在ラサル各県
 今般第二千百七十六号ヲ以テ別紙ノ通リ検事ヘ及内訓候条此旨為心得相達候事
(別紙)
第弐千百七拾六号                             検事
 今般司法警察仮規則第二十二条但書削除候儀ニ付第千八百五十五号ヲ以テ心得方及内訓候処第一条告訴告発ヲ為ス者ハノ下ニ「成ルヘキ丈ケ」ノ六字ヲ加ヘ及ヒ同条ニ左ノ通リ但書ヲ追加候条更ニ及内訓候事
   明治十三年五月四日                司法卿田中不二麿
 但シ口述ヲ以テ告訴告発ヲ為ス時ハ検事若クハ地方警察官書面ヲ作リ告訴告発人ニ之ヲ読聞カセ押印又ハ拇印セシムヘシ

13 1881年・明治14年1月15日 司法省布達甲第1号
    ―― 吟味願を告訴に一元化

 治罪法施行前の1881年・明治14年1月15日に司法省布達(明治14年司法省布達甲第1号,明治8年司法省布達甲第12号・明治8年司法省達第47号・明 【p.195/p.196】 治12年司法省達丙第9号が消滅,明治14年太政官布告第36号により消滅)(60)が発せられた。これによって,これまで「吟味願」と称する訴を受理してきたのを廃止し,以後は被害者より直接に糺問判事・検事・警察官に「告訴」させることとなった(61)
○ 明治十四年 司法省 布達 甲第一号(一月十五日)
 是迄吟味願ト称スル訴ヲ受理致来リシ処右ハ廃止候條自今被害者ヨリ犯罪ヲ訴フルモノ糺問判事検事又ハ警察官告訴可致此旨布達候事
 明治12年司法省達丙第9号と上記の明治14年司法省布達甲第1号とによって,〈広義の〉「告訴」には,従来の〈狭義の〉「告訴」のほかに,〈付帯私訴のための〉「告訴」が含まれることになったと評価することができる。そして,このような経緯ないしそこでの考え方がその後の立法にも影響を与えている。すなわち,治罪法においては付帯私訴について告訴が条件になるとされている(治罪法110条1項,後述)が,明治刑事訴訟法では付帯私訴の条件から告訴がはずされているのである(明治刑訴法4条を参照)。

二 治罪法とその編纂過程における告訴制度

1 治罪法の編纂過程(62)

 1880年・明治13年7月17日に「治罪法」(明治13年太政官布告第37号,1882年・明治15年1月1日施行(明治14年太政官布告第36号))が公布されことになる。
 治罪法の編纂準備はボアソナードのフランス治罪法の講義(63)が行われた1875年・明治8年頃には始められたと考えられているが,正式な起草作業の開始は1876年・明治9年9月28日に司法卿大木喬任が右大臣岩倉具視宛で「法律起業之儀ニ付申稟」(64)を発した時点とされている(65)。治罪法の編纂にあたったのは,1877年・明治10年1月の時点で,司法卿大木を含む5人の委員および5人の属員,そして仏国人雇としてのジュスランとボアソナードである(66)。当初は日本人委員が編纂作業の中心であったが,同1877年・明治10年7月頃 【p.196/p.197】 からボアソナードに主導権が移され,ボアソナード作成の草案をたたき台にした編纂作業が開始された(67)。同1877年・明治10年12月17日に司法省内に治罪法取調掛が設置(68)されると編纂作業が本格化し,1878年・明治11年末に①「ボアソナード氏起案治罪法草案直訳」(全650条,以下では「ボアソナード草案」または「直訳」と表記する)(69)が完成した(70)。この「直訳」の元になったものは,ナポレオン支配下のフランスにおける「治罪法典」(1808年制定)をモデルにしてボアソナードが独自の修正を加えつつ編成したものである(71)。そして,この「直訳」に日本人委員が補正を施して,1879年・明治12年6月に司法省において②「治罪法草案」(全650条)が完成され,同年9月25日に太政大臣に上申された(72)。その後,治罪法草案審査局(73)において治罪法草案が審査修正され(74),1880年・明治13年2月27日に③「治罪法審査修正案」(全530条,以下では「審査局修正案」と表記する)が太政大臣に上申された(75)。この段階で,元老院の審議に移る前に,内閣において陪審制度の削除という大幅な修正が行われた(76)。そして,同1880年・明治13年3月29日に④「治罪法審査修正案」(全480条,以下では「内閣修正案」と表記する)として元老院に下付され,若干の修正を経て同年4月21日に採決・可決された(77)

2 本稿の検討対象

 前節で見たように,治罪法が完成するまでには多くの段階が存在する。本稿では,このうち主として①「ボアソナード草案」と②「治罪法草案」を,制定・公布された「治罪法」における告訴制度関連規定と関連させつつ検討する。
 本来であれば,すべての段階の草案・法案や審議記録等を列挙して比較検討すべきであるが,以下の理由から,これら三つに主な検討対象を限定し,さらに不足が生じる場合にはそれ以外の審査局修正案・内閣修正案を比較検討することにする。まず,ボアソナード草案から公布された治罪法まで,法文案のみに限定しても多数のものが存在し,それに関連する史料も現時点でその存在や位置づけが不確かなものがあることが挙げられる(78)。また,大審院の審理の 【p.197/p.198】 参考資料として,1886年・明治19年11月に大審院書記局編纂『草案比照治罪法完』が作成されたが,そこに治罪法とともに「治罪法草案」と「ボアソナード氏起案日本帝国刑事訴訟手続法書草案」が掲載されており(79),少なくとも治罪法の解釈にあたっては,①と②が比較的大きな影響を与えているものと考えられるからである。さらに,①ないし②には,ボアソナード自身による註釈書とその当時作成された翻訳書『治罪法草案註釈』が存在しており(80),原案作成者の当初の意図が比較的明確に了知することができるからである。

3 治罪法とその編纂過程における告訴関連規定(81)

(一)告訴の一般規定

 告訴の一般規定は,治罪法93条である(なお,検察官の活動の端緒としての位置づけについて92条も参照)。これに対応するのは,ボアソナード草案107条(同じく106条も参照),治罪法草案107条である(同じく106条も参照)。
【ボアソナード草案】
第107条 重罪又ハ軽罪ニ因リ損害サレタル者ハ其告訴ヲ犯罪ノ地又ハ犯人ヲ見出シタル地ノ予審裁判所又ハ郡裁判所付政府ノ目代又或ハ司法警察官吏ニ為スコトヲ得
 若シ告訴ヲ予審裁判官ニ為シタルトキハ該裁判官ハ第百三十条ヨリ第百三十二条マテニ定メタル通リニ処分ス可シ
 若シ告訴ヲ政府ノ目代ニ為シタルトキ急速ナル場合ニシテ且ツ所為禁錮或ハ禁錮以上ノ刑ニ該ル可キモノト思料サレタル場合ニハ政府ノ目代ハ第一ノ検証ヲ為シ被告人及ヒ証人ノ訊問ヲ為スコトヲ得其後管轄ノ予審裁判官ニ其書類ヲ送ル可シ若シ其意見又ハ請求書ヲ要スル場合ニハ之ヲ付シテ送ル可シ
 司法警察官吏モ亦急速ノ場合ニハ上ノ検証及ヒ訊問ヲ為スコトヲ得テ後チ其書類ヲ其係リノ政府ノ目代ニ送ル可シ
 違警罪ノ告訴ハ犯罪ノ地ノ違警罪裁判官或ハ違警罪裁判付ノ目代ニ之ヲ為ス可シ又其他司法警察官吏ニ之ヲ為スコトヲ得該官吏ハ之ヲ上ノ裁判官ニ送ル可シ
 ※ 原文にはフランス語原文に対応する読みのフリガナが付された部分があるが,引用にあたって省略した。以下同じ。
【治罪法草案】
第107条 何人ニ限ラス重罪軽罪ニ因リ損害ヲ受ケタル者ハ犯罪ノ地若クハ被告人所 【p.198/p.199】 在ノ地ノ予審判事、検事又ハ司法警察官ニ告訴スル事ヲ得
 予審判事告訴ヲ受ケタルトキハ第百三十条ヨリ第百三十二条マテニ定メタル規則ニ従ヒ其処分ヲ為ス可シ
 検事告訴ヲ受ケ其事件禁錮以上ノ刑ニ該ル可キモノニシテ急速ヲ要スルトキハ仮リニ検証及ヒ被告人、証人ノ訊問ヲ為スコトヲ得然ル後其書類ニ請求書ヲ添ヘ予審判事ニ之ヲ送致ス可シ
 司法警察官ハ前項ノ場合ニ於テ検事ト同一ノ処分ヲ為スコトヲ得然ル後其ノ書類ヲ検事ニ送致ス可シ
 違警罪ノ告訴ハ犯罪ノ地ノ違警罪裁判所ノ判事、検察官其他司法警察官ニ之ヲ為スコトヲ得其告訴ヲ受ケタル司法警察官ハ違警罪裁判所判事ニ之ヲ移ス可シ
【治罪法】
第93条 何人ニ限ラス重罪軽罪ニ因リ損害ヲ受ケタル者ハ犯罪ノ地若クハ被告人所在ノ地ノ予審判事検事又ハ司法警察官ニ告訴スルコトヲ得
 予審判事告訴ヲ受ケタル時ハ第百十四条以下ノ規則ニ従ヒ其処分ヲ為ス可シ
 検事告訴ヲ受ケタル時ハ第百七条ノ規則ニ従ヒ其処分ヲ為ス可シ
 司法警察官告訴ヲ受ケタル時ハ速ニ其書類ヲ検事ニ送致ス可シ
 違警罪ニ付テハ犯罪ノ地ノ違警罪裁判所検察官又ハ司法警察官ニ告訴スルコトヲ得其ノ告訴ヲ受ケタル司法警察官ハ之ヲ違警罪裁判所検察官ニ移ス可シ
 第1項では,ボアソナード草案からは告訴の申立先の変更ないし名称変更がある(とくに「政府ノ目代」が「検事」と変更された)が,治罪法草案からはとくに変更がない(なお,告訴の申立先に関して,後述(五)を参照)。
 第3項では,検事が告訴を受けた場合の処理に関する部分に大きな変化がみられる。このような変化の理由は,治罪法草案の審査修正過程の史料として現在までにその存在と意義が明らかになっている治罪法草案審査局「治罪法草案審査第二読会修正趣意書」(82)によれば,予審判事と検察官の職務の区別を明確にし,検察官に予審判事の職務を行わせないためのものである。また,司法警察官に関する修正の趣旨も同様であるとされている(83)
 第4項では,現行刑事訴訟法242条に類似する司法警察官が告訴を受けた場合の告訴関係書類の検事への「速やかな」送致に関する規定が置かれている(84)。この趣旨は,司法警察官には告訴を取捨する権限がなく,また,その 【p.199/p.200】 事件について取調べを行うこともできないので,告訴を受けたときは遅延なく上官である検事に送致して検察官の処分に供するべきであるというものである(85)。しかし,送致の迅速性を要求する規定は治罪法草案およびボアソナード草案にはない(治罪法草案107条4項,ボアソナード草案107条4項を参照)。このことから,警察官から検事への送致に迅速性を要求する規定は,ボアソナード草案に由来するものではなく,前章で触れた1872年・明治5年の司法職務定制37条という警察から検事への報知先行に関する規定に端を発し,検事職制章程司法警察規則(1874年・明治7年)32条,司法警察仮規則(1876年・明治9年)11条へと受け継がれてきたものに由来していると推測することが可能である(もっとも,司法職務定制の規定の源流がどこにあるのかは不明である)。ところで,この「速ニ」の文言は,治罪法草案を修正して1880年・明治13年2月27日に太政大臣に上申された審査局修正案96条3項(86)には登場していることから,治罪法草案審査局における審査修正の過程で盛り込まれたことになる。しかし,審査修正過程の「治罪法草案審査第二読会修正趣意書」においても,「速ニ」という文言追加の事実・理由には触れられていない(87)。以上の点は今後明らかにされなければならない課題である。

(二)告訴の方式

 告訴の方式を定めるのは,治罪法94条1項と95条である。これに対応するのは,ボアソナード草案108条1項と109条,治罪法草案108条1項と109条である。
【ボアソナード草案】
第108条 告訴人ハ差出シ得可キ丈ケ総テノ事実参考及ヒ証憑ヲ其告訴ニ付ス可シ
    〔第2項は後述〕
案109条<(正)「第109条」2007-12-31> 告訴ハ告訴人ノ手署シタル書面ヲ以テ為ス
 告訴ハ又口上ニテ公ケノ官吏ニ為スヲ得該官吏ハ其書付ヲ作リ告訴人ニ読ミ聞カス告訴人ハ該官吏ト共ニ其申立ニ手署ス
 告訴人ノ手署スル能ハサル場合ニハ該官吏ハ其旨ヲ付記ス
【p.200/p.201】
 二箇ノ場合ニ於テ告訴人ニ其申立ヲ為シタルノ証書ヲ渡ス可シ
【治罪法草案】
第108条 告訴人ハ成ル可ク其証憑及ヒ事実参考ト為ル可キコトヲ申立ツ可シ
    〔第2項は後述〕
第109条 告訴ハ告訴人ノ署名捺印シタル書面ヲ以テ之ヲ為ス可シ
 又告訴ハ口述ヲ以テ之ヲ為スコトヲ得但其告訴ヲ受ケタル官吏ハ調書ヲ作リ告訴人ニ之ヲ読聞カセタル上ニテ共ニ署名捺印ス可シ若シ告訴人署名捺印スルコト能ハサルトキハ其旨ヲ付記ス可シ
 告訴人ニハ告訴ヲ受ケタルノ証書ヲ渡ス可シ
【治罪法】
第94条 告訴人ハ成ル可ク其証憑及ヒ事実参考ト為ル可キコトヲ申立ツ可シ
    〔第2項は後述〕
第95条 告訴ハ告訴人ノ署名捺印シタル書面ヲ以テ之ヲ為ス可シ
 又告訴ハ口述ヲ以テ之ヲ為スコトヲ得其告訴ヲ受ケタル官吏ハ調書ヲ作リ告訴人ニ之ヲ読聞カセ共ニ署名捺印ス可シ若シ告訴人署名捺印スルコト能ハサル時ハ其ノ旨ヲ付記ス可シ
 又告訴人ニハ告訴ヲ受ケタルノ証書ヲ渡ス可シ
 まず,治罪法94条1項とそれに対応するボアソナード草案108条1項および治罪法草案108条1項は,告訴にあたってできるだけ証憑と事実参考となることを申し立てるべきとする。この内容は,1880年・明治13年4月20日司法省達丙第5号(別紙第1855号)第1条とそれを修正する同1880年・明治13年5月4日司法省達丙第7号(別紙第2176号)のものとほぼ同一である(とくに後者の司法省達丙第7号は,前述したように「成ルヘキ丈ケ」との文言を加えるものである)。また,元老院における治罪法の採決が同じく1880年・明治13年の4月21日であったことを考慮すると,後者の司法省達丙第7号は,治罪法の施行に先立って,実務の運用を治罪法の内容にあわせたものと考えられる。
 次に,治罪法95条とそれに対応するボアソナード草案109条および治罪法草案109条は,書面ないし口頭による告訴の詳細を定めている。これらの取扱いは,1880年・明治13年4月20日司法省達丙第5号(別紙第1855号)第1条と同1880年・明治13年5月4日司法省達丙第7号(別紙第2176号)のものとや 【p.201/p.202】 や異なっている。この規定に関していえば,治罪法(ボアソナード草案および治罪法草案を含む)の方が,署名捺印できなかったという事実が明確になり,後になって告訴の成否に関して問題が生じるのを避けられる可能性が高くなるため(88),より適切なものと考えられる。
 さらに,これらの規定でとくに注目すべきなのは,告訴受理証書の交付である。この趣旨は,ボアソナードの註釈書や村田保の註釈書によれば,告訴の申立てをしたことの証拠を告訴人に与え,他方で告訴を受けた官吏にその事件の取扱いを「荒怠緩慢」にさせないためである(89)。この規定は,告訴を尊重するという立法者の意図が表面化したものといえる。

(三)告訴の代理

 告訴の代理を定めるのは,治罪法98条である。これに対応するのは,ボアソナード草案112条,治罪法草案112条である。
【ボアソナード草案】
第112条 告訴人及ヒ告発ヲナス常人ハ別段ノ代理人代理セシムルコトヲ得
 代理状ハ告訴又ハ告発ニ付添セラル可シ
 幼者、治産ノ禁ヲ受ケタル者又ハ婚姻セシ婦ノ告訴ハ父、後見人若クハ夫之ヲ為スモ効アリトス
【治罪法草案】
第112条 告訴又ハ第百十条ノ場合ヲ除クノ外告発ハ部理代人ニ委任シテ之ヲ為スコトヲ得
 部理代人ハ委任状ヲ差出ス可シ
 幼者又ハ治産ノ禁ヲ受ケタル者ノ告訴ハ父若クハ後見人又婦ノ告訴ハ夫之ヲ為スモ其効アリトス
  ※ 治罪法草案110条は,官吏の告発義務に関する規定である。
【治罪法】
第98条 告訴告発ハ代人ニ委任シテ之ヲ為スコトヲ得但第九十六条ノ場合ハ此限ニ在ラス
 無能力者ノ告訴ハ法律ニ定メタル代人之ヲ為スモ其効アリトス
  ※ 治罪法96条は,官吏の告発義務に関する規定である。
【p.202/p.203】
 治罪法98条2項の規定に関しては元老院において議論が活発に行われた。その議論の対象とされたのは,私訴の場合の代理(治罪法112条)との違い(とくに無能力者に関する告訴が無能力者本人によっても代理人によっても有効となりうる点),それと関連した民法上の無能力者(審議の途中段階では「不能力者」の文言が用いられている)との整合性などである(90)。このうち前者については,必ずしも明確ではないものの,政府委員の村田保の答弁によれば,私訴の場合に妥当する民法上の原則とは異なり,無能力者本人による告訴を否定しないことが趣旨のようである(91)。また,後者については,後に1881年・明治14年12月28日太政官布告第73号(92)によって,「治罪法ニ於テ法律ニ定メタル代人及ヒ民事担当人ト称スル者ハ左ノ通」として,それぞれの内容を確定するという解決策が図られている。
 ボアソナード草案112条2項および治罪法草案112条2項に存在する委任状の規定は,治罪法においては削除されている。村田保の註釈書によれば,法律に定められた代人が告訴を行うには別段委任状を用いることは不要であり,その身分を証明することで足りるという(93)。この註釈は,代理人全般ではなく法定代理人による告訴に限定していることから,ボアソナード草案や治罪法草案の第112条2項の存在を考慮とした限定解釈といえる。ただし,以上のように委任状の規定が削除された経緯は明らかではない(94)
 なお,治罪法制定以前にも代理人による吟味願の取扱いを定めた1875年・明治8年7月14日の司法省布達甲第12号があるが,その内容とそれが発せられた時期を考慮すると,司法省布達と治罪法98条との関係は薄いようである。

(四)私人が現行犯逮捕して巡査に引き渡した場合の告訴・告発義務

 治罪法106条2項は,私人が重罪・軽罪の現行犯逮捕をした場合(105条),その被逮捕者を巡査に引き渡したとき,速やかに告訴・告発をすることを義務づけている。これに対応するのは,ボアソナード草案120条,治罪法草案120条である。
【p.203/p.204】
【ボアソナード草案】
第120条 前条〔私人による現行犯逮捕〕ノ場合ニ於テ若シ捕獲者自身ニテ被告人ヲ第百十七条ニ指示シタル法官〔予審裁判官,政府の目代,司法警察官吏〕ニ引致スル能ハサルトキハ其捕獲ノ原由及ヒ摸様ヲ告ケ且ツ自身ノ氏名、職業、身分及ヒ住所ヲ陳述シテ其人ヲ公力ヲ有スル者ニ引渡ス可シ
 其他ノ捕獲者ハ最モ短キ期限内ニ第百九条ニ定メタル方式ニ従テ該法官ノ一人ニ其告発ヲ為サヽル可ラス
 〔第3項は省略〕
【治罪法草案】
第120条 被告人ヲ捕獲シタル者ハ第百十七条ニ記載シタル官吏〔予審判事,検事,司法警察官〕ニ之ヲ引致ス可シ若シ引致スルコトヲ得サルトキハ自己ノ氏名、職業、住所其捕獲ノ原由及ヒ摸様ヲ陳述シ仮ニ之ヲ公力者ニ引渡スコトヲ得
 被告人ヲ公力者ニ引渡シタルトキハ第百九条ニ定メタル規則ニ従ヒ速ニ告発ヲ為ス可シ
 〔第3項は省略〕
【治罪法】
第106条 前条〔私人による現行犯逮捕〕ノ場合ニ於テ被告人ヲ逮捕シタル者ハ之ヲ司法警察官ニ引致ス可シ若シ引致スルコトヲ得サル時ハ自己ノ氏名職業住所及ヒ其逮捕ノ事由ヲ陳述シ仮ニ之ヲ巡査ニ引渡スコトヲ得
 被告人ヲ巡査ニ引渡シタル時ハ速ニ告訴又ハ告発ヲ為ス可シ
  〔第3項は省略〕
 治罪法106条は告訴または告発を義務づけているが,ボアソナード草案120条および治罪法草案120条は告発のみを義務づけている。このように告訴が加えられたのは治罪法草案審査第二読会であり,被害者自らが現行犯逮捕をする場合を想定したためである(95)。問題は,このような告訴・告発義務が規定された理由である。しかし,この点については,告訴・告発を義務づけることで私人による逮捕の濫用を回避できることが考慮されているようではあるが,ボアソナードの註釈書やその他の註釈書でも明確には記述されていない(96)

(五)予審判事が告訴等を受けた場合の特別規定

 治罪法114条以下は,予審判事が告訴(または告発)を受けた場合における 【p.204/p.205】 被告人の召喚,訊問,勾引・勾留,検事への事件送致等について特別な取扱いを定めている。これに対応するのは,ボアソナード草案130条以下,治罪法草案130条以下である。
【ボアソナード草案】
第130条 然レトモ予審裁判官ニ宛テ告訴若シクハ告発ヲナシタル場合ニ於テハ該裁判官ハ重罪又ハ軽罪人ト嫌疑サレタル者ニ対シテ召喚状ヲ発シタル上訊問ノ手続ヲナス可シ然ル後若シ引続ク可キモノト思料シタルトキハ自身ノ名前ニテ其告発ヲ政府ノ目代ニ為シ同時ニ其受取リタル告訴ヲ送致ス可シ
第131条 且ツ又予審裁判官ハ急速ノ場合ニ於テハ勾引状又ハ勾留状ヲ発スルコトヲ得然レトモ其受取リタル事実参考ヲ添エ直チニ其趣ヲ政府ノ目代ニ通知スルノ責アリ
 此場合ニ於テ政府ノ目代若シ通知ヲ受ケタル時ヨリ一日内ニ起訴ヲサルヽトキハ被告人ハ直ニ自由ヲ与ヘラレル可シ然レトモ其後ノ起訴ヲナス可キ場合アルトキニ其起訴ヲ妨碍スルコトナシ
第132条 第百七条及ヒ百十一条ノ法文ニ基キ告訴又ハ告発ヲ被告人所在ノ地ノ予審裁判官ニ為シ或ハ送致シタル場合ニ於テハ該裁判官ハ訊問及ヒ急速ノ検証ヲ為スコトヲ得然ル後若シ其事件ノ禁錮又ハ禁錮以上ノ刑ニ該ル可キ者ト思料セラルヽトキハ勾留状ヲ発シ被告人ヲ犯罪ノ地ノ予審裁判官ニ送致ス可シ
【治罪法草案】
第130条 予審判事ハ重罪又ハ軽罪ニ付キ直ニ告訴又ハ告発ヲ受ケタルトキハ召喚状ニ依リ被告人ヲ呼出シタル上ニテ之ヲ訊問スルコトヲ得若シ引続キ取調ヲ為ス可キモノト思料シタルトキハ其事件ヲ検事ニ送致ス可シ
第131条 予審判事ハ前条ノ場合ニ於テ告訴、告発ノ事件、急速ヲ要スルトキハ被告人ニ対シ勾引状又ハ勾留状ヲ発スルコトヲ得速ニ其旨ヲ検事ニ通知シ且事実参考ト為ル可キ事物ヲ送致ス可シ
 若シ其通知ヲ為シタルヨリ一日内ニ検事起訴ヲ為サヽルトキハ速ニ被告人ヲ放免ス可シ但後日起訴ヲ為スノ妨碍トナルコトナカル可シ
第132条 第百七条第百十一条ノ場合ニ於テ被告人所在ノ地ノ予審判事直ニ告訴、告発ヲ受ケ又ハ検事ヨリ其送致ヲ受ケ被告事件急速ヲ要スルトキハ通常ノ規則ニ循ヒ被告人ノ訊問及ヒ検証ノ処分ヲ為スコトヲ得然ル後禁錮以上ノ刑ニ該ル可キ者ト思料スルトキハ勾留状ニ依リ之ヲ犯罪ノ地ノ予審判事ニ送致ス可シ
【治罪法】
第114条 予審判事ハ重罪軽罪ニ付キ直チニ告訴又ハ告発ヲ受ケタル時ハ召喚状ヲ以 【p.205/p.206】 テ被告人ヲ呼出シ之ヲ訊問スルコトヲ得若シ引続キ取調ヲ為ス可キ者ト思料シタル時ハ其事件ヲ検事ニ送致ス可シ
第115条 予審判事ハ告訴告発事件急速ヲ要スル時ハ直チニ被告人ニ対シ勾引状ヲ発シ又ハ訊問シタル後勾留状ヲ発スルコトヲ得此場合ニ於テハ速ニ其旨ヲ検事ニ通知シ且証憑及ヒ事実参考ト為ル可キ事物ヲ送致ス可シ
 若シ其通知ヲ為シタルヨリ一日内ニ検事起訴ヲ為サヽル時ハ速ニ被告人ヲ放免ス可シ但後日起訴ヲ為スノ妨碍ト為ルコトナカル可シ
第116条 被告人所在ノ地ノ予審判事直チニ告訴告発ヲ受ケ又ハ検事ヨリ其送致ヲ受ケ被告事件急速ヲ要スル時ハ通常ノ規則ニ従ヒ被告人ノ訊問又ハ検証処分ヲ為シタル後証憑及ヒ事実参考ト為ル可キ事物ヲ犯罪ノ地ノ予審判事ニ送致ス可シ
 若シ禁錮以上ノ刑ニ該ル可キ者ト思料シタル時ハ勾留状ヲ以テ被告人ヲ送致スルコトヲ得
 これらの条文の前提として注意しなければならないのは,本来は検事または民事原告人の請求がなければ予審を開始できないということである(治罪法113条)。治罪法114条以下は,この大原則そのものは変更しないが,通常は予審で行われる処分が例外的に行われる場合を明示しているのである。また,このような例外的な取扱いを考慮してか,ボアソナードの註釈書や村田保の註釈書では,その後に告訴人が付帯私訴の原告になる場合を想定すると,告訴の申立先として予審判事が最も適切で迅速であるとしている(97)。これに対しては,告訴そのものは原則として最終的には検事に送致され,その検事が起訴権限をもつのであるから,告訴は検事に申し立てるのが原則であるとの指摘がある(98)
 なお,予審判事が告訴等を受けた場合の特別規定は,治罪法制定以前にも存在する。すなわち,1876年・明治9年4月24日の司法省達第47号「糺問判事職務仮規則」第3条である。司法省達の簡潔さとそれが発せられた時期を考慮すると,治罪法114条以下とそれに対応する草案等が直接影響を与えたことは考えられないが,告訴事件(司法省達では現行犯事件であることも必要)における緊急な対応の必要性への配慮という趣旨(99)は両者に共通するものである。
【p.206/p.207】

(六)告訴の願下と変更

 治罪法99条は,告訴の願下(取消)および変更を規定しているが,現行刑訴法235条とは異なり,それらの期限はとくに設けられていない。この規定に対応するのは,ボアソナード草案113条,治罪法草案113条である。
【ボアソナード草案】
第113条 告訴人ハ其告訴ヲ願下ケ告発人ハ其告発ヲ取消スコトヲ許ス且ツ又此等ノ人ハ其申立ヲナシタル法式ニ準シテ之ヲ修正シ若クハ変更スルヲ得但シ被告人ヨリ損害ノ償ヲ要ムルコトアル可シ
 此等ノ人ハ其願下又ハ取消ノ理由ヲ陳述スルヲ得然レトモ必シモ之ヲ要スルニアラス
【治罪法草案】
第113条 告訴、告発ハ第百九条ト同一ノ法式ニ循ヒ其願下ヲ為シ又ハ其申立ヲ変更スルコトヲ得此場合ト雖モ第十八条ノ規則ニ循ヒ被告人ヨリ要償ノ訴ヲ受クルコトアル可シ
 告訴又ハ告発ノ願下ヲ為シ又ハ其申立ヲ変更スルニ付キ理由ヲ付スルト否トハ本人ノ随意ナリトス
【治罪法】
第99条 告訴告発ハ其願下ヲ為シ又ハ其申立ヲ変更スルコトヲ得此場合ト雖モ第十六条ノ規則ニ従ヒ被告人ヨリ要償ノ訴ヲ受クルコトアル可シ
 ボアソナード草案と治罪法草案の第2項に規定されている告訴願下げの理由の申述に関する部分は,ボアソナードの註釈書によれば,ひいきや不正の影響のあらゆる疑いを防止するため(pour prévenir tout soupçon de partialité ou d'influence illégitime)とされている(100)。しかし,この規定は審査局修正案以降では存在していない(審査局修正案102条(101)を参照)。したがって,削除は治罪法審査局内で行われたことになる。しかし,その具体的な経緯は不明である。

(七)検察官の処分の通知(102)

 治罪法108条は,検察官の処分の通知を定めている。これに対応するのは,ボアソナード草案123条,治罪法草案123条である。
【p.207/p.208】
【ボアソナード草案】
第123条 前条ノ場合ニ於テ政府ノ目代ハ被害者ノ告訴ヲ受取リタルトキニハ己レノ決意ヲ其者ニ通知ス可シ
 若シ告訴又ハ告発ヲ予審裁判官ヨリ政府ノ目代ニ送致シタルトキ政府ノ目代ニ決意ニ理由ヲ付シテ之ヲ予審裁判官ニ通知裁判官ハ其意見ヲ告訴人ニ通知ス可シ
【治罪法草案】
第123条 前条ノ場合ニ於テ被告事件告訴ニ係ルトキハ其旨ヲ被害者ニ通知シ又予審判事ヨリ送致シタル告訴、告発ニ係ルトキ起訴ヲ為サヽルノ理由ヲ予審判事ニ通知予審判事ヨリ其旨ヲ告訴人ニ通知ス可シ
【治罪法】
第108条 前条ノ場合ニ於テ被告事件告訴ニ係ル時ハ検事ヨリ其処分ヲ被害者ニ通知ス
  ※ 前条の場合とは,検事が起訴や不起訴を含めたその他の処分をした場合である。
 治罪法108条は,検事が起訴・不起訴処分をした場合において,それが告訴事件である場合,検事からその処分を被害者に通知するものとしている。この規定の趣旨は,告訴人が,公訴提起があった場合は付帯私訴(治罪法110条1項を参照),不起訴の場合は公訴提起の効果ももつ(付帯)私訴(治罪法110条2項を参照)をするために,告訴の帰趨を知る必要があるからであるとされる(103)
 以上のような規定に対して,ボアソナード草案および治罪法草案は,それとはやや異なる規定をしている。また,ボアソナード草案と治罪法草案との間にも,内容の相違が見られる。すなわち,ボアソナード草案123条2項は,予審裁判官経由で告訴・告発が政府の目代(検事)に送致された場合,予審裁判官に処分(不起訴処分に限定されない)にその理由を付けて通知し,予審裁判官が自らの意見を告訴人(告発人は含まない)に通知するとしている。また,治罪法草案123条2項は,予審判事経由で告訴・告発が検事に送致された場合,不起訴の理由を予審判事に通知し,予審判事からその旨を告訴人(告発人は含まない)に通知するとしている。
 では,これらの規定に関して草案作成当初はどのようなことが意図されてい 【p.208/p.209】 たのであろうか。この点について,ボアソナードの註釈書は次のように説明している。第1項において不起訴処分がなされた場合,「被害人ヲシテ或ハ民事原告人トナリ其名ヲ以テ予審判事ニ告訴ヲ為シ或ハ民事上ノ損害賠償ノ請求ヲ為サシメンカ為」である。また,第2項については,予審判事が民事原告人から私訴・付帯私訴を受けた事案で予審判事との関係を継続する必要があるとのことが考慮されているようである(104)が,その主旨は必ずしも明らかではない。そのほか,治罪法114条以下において予審判事が告訴等を受けた場合における被告人の召喚,訊問,勾引・勾留,検事への事件送致等について特別な取扱いをしなければならないこととの整合性を図るためのものとも考えられる。
 他方で,以上のような立法理由の不明確さが正面から指摘されているものとして,治罪法草案審査第二読会修正趣意書がある。すなわち,「何故ニ検事直チニ告訴ヲ受ケタル時ハ如何ナル処分ト雖モ之ヲ告訴人ニ通知シ而テ予審判事ヨリ告訴ヲ送致シタル時ハ僅カニ起訴ヲ為ササルノ処分ノミ之ヲ告訴人ニ通知スルカ 毫モ其理ヲ見ス 故ニ検事直チニ告訴ヲ受ケタル時ト予審判事告訴ヲ送致シタル時トヲ問ワス必ス前条ノ処分ヲ告訴人ニ通知ス可シト為セリ〔改行〕 又「其旨ヲ被害者ニ通知シ」以下ヲ悉ク削除シ之ニ加フルニ「検事ヨリ其処分ヲ被害者ニ通知ス可シ」ノ一句ヲ以テセリ 是レ予審判事其受ケタル所ノ告訴ヲ検事ニ送致シタル時ハ已ニ其管理ヲ脱離シタルニ因リ其処分ヲ告訴人ニ通知スルニ予審判事ノ手ヲ経ルニ及ハサルニ由ル(105),というものである。しかし,この修正趣意書による説明によっても,第2項に含まれる不起訴処分の「理由」の通知に関する部分を第1項の規定中に挿入しなかった理由は不明である。

(八)告訴と公訴との関係

(1)告訴と公訴の原則的分断
 治罪法3条は,告訴と公訴の原則的分断を明文で規定している。この規定に対応するのは,ボアソナード草案3条,治罪法草案3条である。
【p.209/p.210】
【ボアソナード草案】
第3条 法ニ定メタル場合ニアラサレハ公訴ハ被害人ノ告訴ニ拘束セラレズ〔ママ〕又其告訴又ハ其訴ノ放棄ニ依テ滅却セラレス
【治罪法草案】
第3条 公訴ハ法律ニ於テ特ニ定メタル場合ヲ除クノ外告訴ヲ竢テ起ルモノニ非ス告訴、私訴ノ棄権ニ因テ消滅スルコトナカル可シ
【治罪法】
第3条 公訴ハ被害者ノ告訴ヲ待テ起ル者ニ非ス告訴私訴ノ棄権ニ因テ消滅スル者ニ非ス法律ニ於テ特ニ定メタル場合ハ此限ニ在ラス
 この規定の趣旨は,ボアソナードの註釈書では明確には述べられていないものの,公訴というものが社会の公衆の利益のために行われる(治罪法1条を参照)ということがこの原則の根底にあるようである(106)。そして,告訴というものが,ボアソナードの註釈書や村田保の註釈書で頻繁に指摘されているように,原則として「犯罪の報知」ないし「捜索〔捜査〕のための基礎」(base pour les recherches)に過ぎない(107)との理解がこの原則に大きく影響していると考えられる。
 このような原則に対して,治罪法3条但書は,法律においてとくに定めた場合を例外としている。次に述べるように,親告罪の場合の告訴権の放棄(治罪法9条2号)がこの例外に該当する。
(2)公訴権の消滅事由としての親告罪における棄権と私和
 治罪法9条2号は,公訴権の消滅事由として,親告罪における被害者の棄権と私和をあげている。この規定に対応するのは,ボアソナード草案8条2号,治罪法草案8条2号である。
【ボアソナード草案】
第8条 公訴ハ左ノ条件ニ因テ消滅ス
  〔第1号省略〕
 第二 法ニテ被害人ノ告訴ニ公訴ヲ拘束セシメタルトキハ被害人私訴ノ放棄又ハ和解
  〔第3号から第6号まで省略〕
【治罪法草案】
第8条 公訴ハ左ノ条件ニ因テ消滅ス
【p.210/p.211】
  〔第1号省略〕
 第二 告訴ヲ竢テ受理ス可キ事件ニ付テハ被害人ノ棄権又ハ私和
  〔第3号から第6号まで省略〕
【治罪法】
第9条 公訴ヲ為スノ権ハ左ノ条件ニ因テ消滅ス
  〔第1号省略〕
 二 告訴ヲ待テ受理ス可キ事件ニ付テハ被害者ノ棄権又ハ私和
  〔第3号から第6号まで省略〕
 すでに別稿でも述べたように,治罪法9条2号は,宥和・和解思想(さらには修復的司法の思想)を親告罪制度の趣旨に含ませることを可能にするような規定である(108)。制度趣旨に関して,ボアソナードの註釈書や村田保の註釈書は,このような規定は道理上当然のものであるとして,その詳細を述べていない(109)
 しかし,当時の他の論者の解釈論に目を移すと,とくに「私和」について疑義が生じている。すなわち,私和は民事法上の私和をいうのか,それとも民事法上の私和とは別の告訴に関する私和を必要とするのか,また,前者の場合,民事法上の私和がなぜ公訴権を消滅させうるのかなどの疑問が提示され,「私和」の文言をはずすべきであるとの主張まで散見されるのである(110)
 また,「棄権」の文言にも問題がないではない。治罪法公布後に出版されたいくつかの註釈書によれば,「棄権」は告訴の棄権とほぼ解釈されているようである(111)。ところが,ボアソナード草案には「私訴の放棄」との文言があり,当初のボアソナードによるフランス語原案も「par la renonciation à l'action privée ou par la transaction de la partie lésée」となっている。他方で,ボアソナードの註釈書では,ボアソナード草案8条2号の説明の見出しに「被害者ノ棄権若クハ私和」(Renonciation ou transaction de la partie lésée)と掲げられているが,その「棄権」に関する説明は行われていない(112)。いずれにしても,このような変化の過程およびその理由には不明な部分が多く残されている。
【p.211/p.212】

(九)付帯私訴の条件としての告訴(113)

 治罪法110条1項は,重罪と軽罪における付帯私訴について告訴が条件になる旨を定めている。この規定に対応するのは,ボアソナード草案125条1項,治罪法草案125条1項である(以下に引用したもののほか,私訴および付帯私訴に関連する条文として,それぞれの第2条および第4条,旧刑法46条以下なども参照)。
【ボアソナード草案】
第108条 〔第1項は前述〕
 其外ニ告訴人ハ第二章第二款ニ記シタルカ如ク管轄ノ裁判官ノ前ニ民事ノ原告人トナルコトヲ得
第125条 重罪又ハ軽罪ニ因テ損害セラレタル者公訴ニ付帯シテ損害ノ賠償ヲ訴ヘントスルトキ顕然ト其事ヲ告訴状或ハ告訴ノ後予審裁判官ニ宛テ及ヒ被告人ニ通知シタル書面中ニ陳述ス可シ
 公訴ノ未タ起ラサルトキ民事原告人トナルニハ私訴ト公訴トノ二者ヲ同時ニ予審裁判官ニ為ス可シ
 何レノ場合ニ於テモ予審裁判官ハ政府ノ目代ニ民事原告人ノアルコトヲ知ラシム可シ
【治罪法草案】
第108条 〔第1項は前述〕
 又告訴人ハ第二章第二款ニ定メタル規則ニ循ヒ管轄裁判所ニ申立テ民事原告人ト為ルコトヲ得
第125条 重罪又ハ軽罪ノ被害人公訴ニ付帯シテ私訴ヲ為サントスルトキ告訴ト共ニ之ヲ申立テ又ハ告訴ヲ為シタル後其旨ヲ被告人ニ通知シ予審判事ニ之ヲ申立ツ可シ
 公訴未タ起ラサル時ト雖モ予審判事直ニ被害人ヨリ民事原告人タル可キノ申立ヲ受ケタルトキハ私訴ト同時ニ公訴ヲ受理シタモノト見做ス可シ
 予審判事ハ何レノ場合ニ於テモ直ニ被害人ヨリ民事原告人ト為ル可キノ申立ヲ受ケタルトキハ其旨ヲ検事ニ通知ス可シ
【治罪法】
第94条 〔第1項は前述〕
 又告訴人ハ第百十条以下ノ規則ニ従ヒ民事原告人ト為ルコトヲ得
第110条 重罪軽罪ノ被害者公訴ニ付帯シテ私訴ヲ為サントスル時ハ告訴ト共ニ之ヲ 【p.212/p.213】 申立テ又ハ告訴ヲ為シタル後其旨ヲ予審判事ニ申立ツ可シ
 予審判事直チニ被害者ヨリ民事原告人ト為ル可キノ申立ヲ受ケタル時ハ検察官ノ起訴ナシト雖モ公訴私訴ヲ併セテ受理シタル者トス
 予審判事ハ何レノ場合ニ於テモ直チニ被害者ヨリ民事原告人ト為ル可キノ申立ヲ受ケタル時ハ其旨ヲ検事ニ通知ス可シ
 告訴と同時に付帯私訴の申立てをするときの申立先は,治罪法110条の文言からは明らかではないが,村田保の註釈書によれば,予審判事,検察官,司法警察官でもよいとされている(114)。この取扱いは,ボアソナード草案108条2項および治罪法草案108条2項の文言から,治罪法94条2項が裁判官・裁判所の文言を削除したことによって可能になったものである。また,ボアソナードの註釈書によれば,付帯私訴の方式に関して法律上に明文を置かなかった理由は,その書面は法官の面前で作成するものではないため,書式を知らないために無効になってしまうということを避けるためであるという(115)。以上のように,告訴が条件となっている付帯私訴は,被害者にとって方式の点では非常に開かれたものになっている。
 ところで,付帯私訴の前提として告訴が要求されている理由は,ボアソナードの註釈書や村田保の註釈書でも触れられていない。この点について解明の糸口になると思われるのは,治罪法制定・施行以前の司法省布達などである。すでに一で概観してきたように,治罪法制定・施行以前に告訴と付帯私訴に関係した布達等が複数存在する。それらのなかでもとくに重要なのは,吟味願を付帯私訴とみなした1879年・明治12年7月29日司法省達丙第9号と,吟味願を告訴に一元化した1881年・明治14年1月15日司法省布達甲第1号である。これらが発せられた時期は司法省において治罪法草案が完成された1879年・明治12年6月よりも後であることから,これらは治罪法の内容ないし考え方と整合するように実務の運用を修正していったものと推測できる。具体的には,刑事司法手続の中にあって民事の訴えの性質をもつ「吟味願」(116)が徳川時代から行われてきたが,明治12年司法省達により,それが新制度の中で最も性 【p.213/p.214】 質の近い「付帯私訴」というものに変更された。ところが,「付帯私訴」は,狭義の付帯私訴に関していえば検察官による公訴提起が前提となる(117)とともに,ひとたびそれが有効ということになれば,被害者には民事原告人という法律上の重大な地位を生じさせ,刑事司法手続にも大きな影響を与える。そこで,明治14年司法省達布達により,吟味願を付帯私訴に比べると効力の弱い「告訴」に統一した上で,それ以上の対応を望む被害者には,告訴とは別に,検察官による公訴提起がすでに行われている場合にはまさに公訴に附帯する付帯私訴(治罪法110条1項・4条)を,検事による公訴提起が行われていない場合には公訴提起の効果をももつ(付帯)私訴(治罪法110条2項・同条1項・4条)を行わせる,というように実務の運用を整理していったと考えられる(118)

(十)告訴人が悪意重過失の場合の賠償義務

 治罪法16条は,被告人が免訴・無罪の言渡しを受けた場合等に告訴人に悪意重過失が認められるときの賠償義務を定めている。この規定に対応するのは,ボアソナード草案18条および19条,治罪法草案18条および19条である。
【ボアソナード草案】
第18条 免訴又ハ放免ノ場合ニ於テハ被告人ハ若シ告発人告訴人又ハ民事原告人ノ方ニ悪意又ハ重過失アリシトキハ此者ニ対シテ償金ヲ得ルヲ得可シ
 刑ノ言渡ノ場合且不問ノ場合ニ於テナリトモ告訴人又ハ告発人ニ其犯罪ノ事柄ニ付キ重大ナル過実ノ申立ヲ為シタル過失アルトキモ亦同シ
  〔第3項省略〕
第19条 前条ノ場合ニ於テ被告人ノ償金願ハ確定裁判マテハ防止裁判所ニ之ヲ為スヲ得
 同上ノ裁判後ハ放免セラレ不問ニナリ又ハ刑ヲ言渡サレタル者ノ願ハ民事裁判所ニアラサレハ之ヲ為スヲ得ス
 民事原告人ノ願下ニ依テ訴ノ放棄アリ又ハ訴ヲ止ム可キ旨ヲ載スル予審裁判官ノ命令アリシトキモ亦同シ
【治罪法草案】
第18条 被告人免訴、無罪又ハ不問ノ言渡ヲ受ケタル場合ニ於テ其訴訟ノ原由、告訴人、告発人又ハ民事原告人ノ悪意又ハ重過失ニ出テタルトキハ是等ノ者ニ対シ損害 【p.214/p.215】 ノ償ヲ求ムルコトヲ得
 被告人刑ノ言渡ヲ受ケタリト雖モ告訴人、告発人又ハ民事原告人ヨリ悪意又ハ重過失ニ因リ其犯罪ニ付キ過実ノ申立ヲ為シタルトキハ亦前項ニ同シ
  〔第3項省略〕
第19条 前条ニ記載シタル要償ノ訴ハ本条ノ裁判言渡アルマテ何時ニテモ其裁判所ニ之ヲ為スコトヲ得
 本案ノ言渡ノ後ハ民事裁判所ニ要償ノ訴ヲ為ス可シ
 被害人ノ棄権ニ因リ公訴消滅シ又ハ予審ニ於テ免訴ノ言渡アリタルトキモ亦前項ニ同シ
【治罪法】
第16条 被告人免訴又ハ無罪ノ言渡ヲ受ケタル場合ニ於テ其訴訟ノ原由告訴人告発人又ハ民事原告人ノ悪意若クハ重キ過失ニ出テタル時ハ是等ノ者ニ対シ損害ノ償ヲ要ムルコトヲ得
 被告人刑ノ言渡ヲ受ケタリト雖モ告訴人告発人又ハ民事原告人ヨリ悪意若クハ重キ過失ニ因リ其犯罪ニ付キ過実ノ申立ヲ為シタル時亦同シ
  〔第3項省略〕
 要償ノ訴ハ本案ノ裁判言渡アルマテ何時ニテモ其裁判所ニ之ヲ為スコトヲ得
 これらの条項に定められたものは,民事上の損害賠償に関わるものであり,刑事法上は,これ以外に旧刑法355条以下の誣告罪に問われる可能性がある。特徴的なのは,本案の裁判の言渡しがあるまではその刑事裁判所でこれを取り扱うことである。これは刑事裁判所に民事の訴えが係属するという点では付帯私訴と同じであるが,この要償の訴えの原告となる者が当初の被害者の側ではなく,被告人とされている側の者であるため,付帯私訴とは状況が異なっているのである(119)。このような規定が置かれた趣旨は,ボアソナードの註釈書によれば,その刑事裁判所が告訴人の悪意・重過失を判断するのに必要な材料を持ち合わせているからであるとされる(120)
 なお,治罪法においては,私訴を行った場合を除いて,告訴人の訴訟費用の負担を定めた規定はない(治罪法307条,ボアソナード草案358条,治罪法草案358条を参照)。
【p.215/p.216】

むすびにかえて

 最後に,以上の検討で明らかになったことをまとめておく。
 1872年・明治5年の「司法職務定制」の時点から告訴事件の特別な取扱いが規定されており(検事への報知先行など),その後,1874年の明治7年太政官達第14号,1876年・明治9年司法省達第47号「糺問判事職務仮規則」および1876年・明治9年司法省達第48号「司法警察仮規則」などによって特別な取扱い方法がさらに形成されていった。また,1880年・明治13年司法省達丙第5号と1880年・明治13年司法省達丙第7号で告訴の具体的な方式などが定められた。他方で,1878年・明治11年司法省達丙第9号は,告訴によって同一事件の民事手続が停止するとした。さらに,徳川時代の慣例を引き継ぐ「吟味願」は,1879年・明治12年司法省達丙第9号で付帯私訴とみなされた後,1881年・明治14年司法省布達甲第1号で告訴に統一されており,治罪法110条1項で付帯私訴に告訴が要件とされていることと関連している可能性がある。
 治罪法およびその草案・修正案等では,告訴に関連する規定が非常に多岐にわたる。そのなかで治罪法制定・施行以前の制度との関連性が強いと考えられるのは,告訴の一般規定(93条),告訴の方式(94条1項,95条),付帯私訴の条件としての告訴(110条1項)などである。それとは逆に,治罪法で新しく導入されたまたは大幅に修正・拡充されたと考えられるものは,告訴の代理(98条),予審判事が告訴を受けた場合の特別規定(大幅な修正・拡充:114条以下),告訴の願下と変更(99条),検察官の処分の通知(108条),公訴権の消滅事由としての親告罪における棄権と私和(9条2号),告訴人が悪意重過失の場合の賠償義務(16条)などである。また,制定過程や立法趣旨にとくに注意をすべきなのは,司法警察官から検事への迅速な送付(93条4項),告訴受理証書の交付(95条3項),私人による現行犯逮捕の場合の告訴・告発義務(106条),告訴の申立先と予審判事が告訴を受けた場合の特別規定(93条・114条以下),検察官の処分の通知(108条),公訴権の消滅事由としての親告 【p.216/p.217】 罪における棄権と私和(9条2号),付帯私訴の条件としての告訴(110条1項),告訴人が悪意重過失の場合の賠償義務(16条)などである。
 本稿では,治罪法制定・施行以前の告訴制度をめぐる諸状況に関して,布告・布達・達等の指摘以外にも,具体的な裏付けとなる史料を示すことができなかった。また,ボアソナード草案に大きく影響を与えたフランス治罪法等との比較検討ができなかった。そして,治罪法の諸規定の実際の運用状況と,その運用状況をふまえて現実のシステムとして運用する際の問題を解消するために行われた法改正,すなわち明治刑事訴訟法への改正に向かう過程の検討もできなかった。その他の関連する問題も含め,今後の検討課題としたい。
【p.217/p.218】
 
(1) 拙稿「明治初期の告訴権・親告罪―刑事実体法における関連諸規定の概観―」富大経済論集52巻2号(富山大学経済学部,2006年)297頁以下。
(2) 拙稿「告訴権の歴史的発展と現代的意義」法学研究論集18号(明治大学大学院,2003年)1頁以下。
(3) 本稿は,拙著『告訴権・親告罪に関する研究』〔博士学位論文〕(明治大学大学院,2007年)38頁以下〔第2章第1節二2〕を大幅に加筆修正したものである。また,第7回刑事司法研究会(2007年7月15日)において「我が国の告訴制度の形成過程」と題する報告を行った際に,出席されていた先生方から多くの示唆を受けた。
(4) 横山晃一郎論文に対する沢登佳人=中川宇志論文の検討がこれである(横山晃一郎「明治五年後の刑事手続改革と治罪法」法制研究<(正)「法政研究」2007-12-31>51巻3・4合併号(1985年)677頁以下,沢登佳人=中川宇志「明治治罪法の精神」法政理論19巻3号(1987年)1頁以下(とくに56頁以下)。さらに,三阪佳弘「刑事訴訟法―近代日本刑事司法制度史研究の軌跡―」石川一三夫ほか編『日本近代法制史研究の現状と課題』(弘文堂,2003年)148頁以下を参照)。
(5) 治罪法制定以前の諸状況および治罪法をめぐる諸状況について,とくに,石井良助編『明治文化史(第二巻)法制編』(洋々社,1954年)257頁以下(告訴と吟味願に関する記述について,262頁および268頁以下),菊山正明『明治国家の形成と司法制度』(御茶の水書房,1993年),小早川欣吾『明治法制史論・公法之部(下巻)』(巌松堂,1940年)1059頁以下,染野義信「裁判制度(法体制準備期)」鵜飼信成ほか編『講座日本近代法発達史6』(勁草書房,1959年)1頁以下,横山・前掲注(4)677頁以下を参照。なお,犯罪「捜査」の歴史的発展の部分について,大野正博『現代型捜査とその規制』(成文堂,2001年)6頁以下を参照。また,明治時代の刑事訴訟法の展開について,小田中聰樹『刑事訴訟法の歴史的分析』(日本評論社,1976年)111頁以下も参照。なお,明治初期の法令検索および史料閲覧には,国立国会図書館「日本法令索引〔明治前期編〕」(2007年5月19日最終更新)〈http://dajokan.ndl.go.jp/〉および国立国会図書館「近代デジタルライブラリー」(2007年7月3日最終更新)〈http://kindai.ndl.go.jp/〉を併用した。
(6) 小早川・前掲注(5)1059頁以下を参照。さらに,拙稿・前掲注(1)297頁以下および318頁以下の注(5)以下に挙げた文献も参照。
(7) 内閣官報局編『法令全書(第三巻)明治三年』(内閣官報局,1887年;原書房,復刻版・1974年)207頁以下。「獄庭規則」との表記は,明治6年の「断獄則例」の前書き「従来断獄庭ノ規則」に依拠した横山晃一郎「刑罰・治安機構の整備」福島正夫編『日本近代法体制の形成(上巻)』(日本評論社,1981年)315頁および320頁注(39)によった。なお,小早川欣吾は「法庭規則」とし(小早川・前掲注(5)1060頁),司法省編『司法沿革誌』(司法省,1939年;原書房,覆刻版・1979年)12頁は「獄廷規則」とする。
(8) 石井編・前掲注(5)258頁,小早川・前掲注(5)1060頁,横山・前掲注(7)315頁を参照。なお,これと同時に弾正台訴訟門に告訴時限が掲示されたとされる(小早川・前掲注(5)1060頁,司法省編・前掲注(7)12頁を参照)。しかし,そこでいう「告訴」が現在の意味での「告訴」を指すものか否かを含めて,その詳細は明らかではない。
(9) 拙稿・前掲注(1)318頁以下の注(4)。
【p.218/p.219】
(10) 平松義郎『近世刑事訴訟法の研究』(創文社,1960年)600頁。なお,主人,親の犯罪については申告することが原則として禁止されていた(平松・前掲書601頁を参照)。
(11) 平松・前掲注(10)602頁。ただし,石井良助によれば,「親告罪の観念は御定書には見えて居ないが,特定の犯罪に就いては認められたこともある」(石井良助『日本法制史概説』(創文社,1960年)480頁)として,「人々の家筋祖先のことなどに関して,相違のことを出版したやうな場合には,子孫より訴出のある時に限り,吟味すべき旨の規定が存した」と述べる(石井・前掲書481頁注1,さらに同463頁注9・461頁を参照)。
(12) 小早川・前掲注(5)1060頁,司法省編・前掲注(7)14頁,横山・前掲注(4)687頁等を参照。
(13) 内閣官報局編『法令全書(第五巻)明治五年』(内閣官報局,1889年;原書房,復刻版・1974年)465頁以下。
(14) 横山晃一郎「明治初年における検察官制度の導入過程―比較法的視点から―」『刑事裁判の理論―鴨良弼先生古稀祝賀論集』(日本評論社,1979年)125頁以下,鯰越溢弘『刑事訴追理念の研究』(成文堂,2005年)186頁以下〔初出は,鯰越溢弘「私人訴追主義と国家訴追主義」法政研究48巻1号(九州大学法政学会,1981年)34頁以下〕等を参照。
(15) 大野・前掲注(5)6頁以下,霞信彦「近代司法制度の源流をたずねて〔9〕~〔12・完〕実像の「司法職務定制」(1)~(4・完)」NBL768号70頁以下・770号110頁以下・772号70頁以下・775号71頁以下(いずれも2003年),小早川・前掲注(5)1061頁,染野・前掲注(5)61頁以下,福島正夫「司法職務定制の制定とその意義―江藤新平とブスケの功業―」中央大学・法学新報83巻7・8・9合併号(1977年)25頁以下,横山・前掲注(4)679頁等を参照。
(16) 内閣官報局編・前掲注(13)法令全書(明治五年)1363頁以下。
(17) 大野・前掲注(5)7頁,横山・前掲注(4)681頁等を参照。
(18) 内閣官報局編『法令全書(第六巻)明治六年』(内閣官報局,1889年;原書房,復刻版・1975年)1714頁以下。
(19) 石井編・前掲注(5)260頁以下,小早川・前掲注(5)1062頁,横山・前掲注(4)682頁等を参照。
(20) 内閣官報局編・前掲注(18)法令全書(明治六年)1741頁以下。なお,横山・前掲注(14)126頁を参照。
(21) 内閣官報局編『法令全書(第七巻)明治七年』(内閣官報局,1889年;原書房,復刻版・1975年)263頁以下。
(22) 石井編・前掲注(5)193頁以下,大野・前掲注(5)7頁,横山・前掲注(4)684頁および687頁以下,同・前掲注(7)322頁以下等を参照。なお,(従来の「司法職務定制」による検察官制度は,「法権及人民ノ権利ヲ指摘シ良ヲ扶ケ悪ヲ除キ裁判ノ当否ヲ監スル」(第7章前文)という広い権限をもつフランス型のものであったが,この「検事職制章程司法警察規則」による検察官制度は,刑事事件の捜査および訴追に権限が限定されたドイツ型の検察官制度であるとの評価がある(横山・前掲注(14)125頁以下等を参照)。
(23) また,「第三章 司法警察ノ事」において,16条は「現行犯罪ノ報告ヲ得死傷ノ者アル場合ニ於テハ…以下略…」とし,25条は「司法警察官吏ハ犯事ノ告発報知ヲ得ト雖モ其事刑法又ハ違式詿違罪ニ触ルヽニ至ラサル者ハ更ニ之ヲ糺治セス」としている。
【p.219/p.220】
(24) 内閣官報局編・前掲注(21)法令全書(明治七年)356頁。
(25) 内閣官報局編・前掲注(21)法令全書(明治七年)1366頁。
(26) 内閣官報局編・前掲注(21)法令全書(明治七年)1366頁。
(27) 石井良助によれば,「吟味願」とは,告訴・告発とは別のもので,「おそらくは,江戸時代において,出入筋すなわち原告が被告を訴えて,対審せしめて,判決するという形において,刑事裁判が行なわれたに由来するものと思われるが,曲直を糺すことを請う情願の一種であって,罪犯の未だ明瞭でない,たとえば金銭貸借において,証拠が確かでないために,種々の差縺れを生じた場合,これを刑事事件として吟味を願出る類のもの」であるという(石井編・前掲注(5)268頁)。その後の吟味願と告訴の取扱いの展開を考慮すると,吟味願は付帯私訴に近いものと評価することが可能である(石井編・前掲注(5)269頁も参照)。
(28) 石井編・前掲注(5)268頁以下を参照。
(29) 内閣官報局編『法令全書(第八巻)明治八年』(内閣官報局,1890年;原書房,復刻版・1975年)539頁以下。
(30) 大野・前掲注(5)7頁,横山・前掲注(4)693頁,同・前掲注(7)323頁等を参照。
(31) 内閣官報局編・前掲注(29)法令全書(明治八年)1752頁以下。
(32) 大野・前掲注(5)7頁,横山・前掲注(4)693頁等を参照。
(33) 内閣官報局編・前掲注(29)法令全書(明治八年)100頁以下。
(34) 内閣官報局編・前掲注(29)法令全書(明治八年)1788頁。
(35) 石井編・前掲注(5)261頁を参照。
(36) 内閣官報局編・前掲注(29)法令全書(明治八年)1747頁。
(37) 石井編・前掲注(5)269頁を参照。
(38) 内閣官報局編・前掲注(29)法令全書(明治八年)1766頁。
(39) 石井編・前掲注(5)269頁を参照。
(40) 内閣官報局編『法令全書(第九巻)明治九年』(内閣官報局,1890年;原書房,復刻版・1975年)1389頁以下。
(41) 内閣官報局編・前掲注(40)法令全書(明治九年)1391頁以下。
(42) 石井編・前掲注(5)261頁以下,大野・前掲注(5)7頁,横山・前掲注(4)693頁等を参照。
(43) なお,石井編・前掲注(5)262頁および268頁,小早川・前掲注(5)1065頁,横山・前掲注(4)694頁も参照。
(44) なお,石井編・前掲注(5)262頁および268頁を参照。
(45) 大野・前掲注(5)7頁以下,横山・前掲注(4)695頁も参照。
(46) 内閣官報局編『法令全書(第十巻)明治十年』(内閣官報局,1890年;原書房,復刻版・1975年)175頁以下。
(47) 内閣官報局編『法令全書(第十一巻)明治十一年』(内閣官報局,1890年;原書房,復刻版・1975年)620頁。
(48) 石井編・前掲注(5)268頁を参照。
(49) 内閣官報局編・前掲注(47)法令全書(明治十一年)621頁以下。
(50) 村田保『治罪法註釈(巻一)』(内田正栄堂,1880年)5葉裏以下。
(51) ボアソナード・後掲注(80)第一篇55頁以下,Boissonade・後掲注(80)29頁。なお, 【p.220/p.221】 ボアソナード草案5条はフランス治罪法3条2項を参考にしたものである(ボアソナード・後掲注(80)第一篇12頁,Boissonade・後掲注(80)8頁を参照)が,このフランス治罪法3条2項の検討は,別の機会に行いたい。
(52) 内閣官報局編『法令全書(第十二巻)明治十二年』(内閣官報局,1890年;原書房,復刻版・1975年)1131頁。
(53) 石井編・前掲注(5)269頁,横山・前掲注(4)696頁も参照。なお,治罪法制定・施行以前の付帯私訴制度に関しては,1877年・明治10年8月24日に司法省達丁第60号が発せられたが,内容に不備があったため,その後すぐに同年10月8日に司法省達丁第74号によって取消され更新されている。
○ 明治十年 司法省 達 丁第七十四号(十月八日 輪郭付)大審院
諸裁判所
 本年丁第六拾号達ハ取消更ニ左ノ通相達候事
 刑事ニ附帯シテ起ル民事ノ賠償ハ其性質ハ全ク民事ナリト雖モ刑事裁判官其処分ヲ行フハ其便ニ従フナリ故ニ民事ノ裁判ニ付不服ノ者ハ民事ノ手続ニ拠ルヘキ儀ト可相心得此段為念相達候事
(54) 内閣官報局編『法令全書(第十三巻)明治十三年』(内閣官報局,1890年;原書房,復刻版・1976年)1478頁。
(55) 内閣官報局編・前掲注(54)法令全書(明治十三年)1479頁以下。
(56) 横山・前掲注(4)696頁も参照。
(57) 内閣官報局編・前掲注(54)法令全書(明治十三年)1479頁の司法省達別紙第1855号前文を参照。
(58) なお,同司法省達の第2条は,検事の事務を兼ねる地方警察官が他人の告訴・告発によらず自分で非現行犯を認知した場合,しかるべき裁判所に裁判を請求する義務を規定する。また,第4条は,糺問判事がいない裁判所の場合,明治10年司法省達丁25号(1877年・明治10年3月24日,内閣官報局編・前掲注(46)法令全書(明治十年)905頁以下)による(直ちに裁判を求める)(4条)ことを規定する。
(59) 内閣官報局編・前掲注(54)法令全書(明治十三年)1481頁。
(60) 内閣官報局編『法令全書(第十四巻)明治十四年』(内閣官報局,1890年;原書房,復刻版・1976年)897頁。
(61) 石井編・前掲注(5)269頁,小早川・前掲注(5)1079頁,司法省編・前掲注(7)55頁を参照。
(62) 治罪法の編纂過程については,とくに,向井健=矢野祐子「村田本『治罪法直訳』―治罪法編纂過程の基礎的研究―」法学研究68巻9号(1995年)71頁以下の解題(とくに75頁以下の四〔矢野祐子執筆担当部分〕),向井健=矢野祐子「村田本『治罪法草案審査第二読会修正趣意書』―治罪法編纂過程の基礎的研究―」法学研究69巻3号(1996年)71頁以下の解題,横山・前掲注(4)691頁以下(これに対して,沢登=中川・前掲注(4)56頁以下)を参考にした。また,石井編・前掲注(5)436頁以下,大久保泰甫『日本近代法の父 ボワソナアド』(岩波書店,1977年)120頁以下,小早川・前掲注(5)1070頁以下,沢登=中川・前掲注(4)71頁以下,司法省刑事局「舊刑法、治罪法及舊刑事訴訟法編纂沿革(一)」法曹会雑誌8巻8号(1930年)109頁以下も参照。
【p.221/p.222】
(63) ボアソナード(名村泰蔵口訳)『仏国治罪法講義』(司法省,1878年;信山社,復刻版・1999年)。ボアソナードによるフランス治罪法の初回講義の日付は1875年(明治8年)2月8日である(ボアソナード・前掲書1頁を参照)。なお,ボアソナードは1873年(明治6年)11月に来日し,翌1874年(明治7年)4月から司法省法学校において講義を行うとともに,司法省官吏に対する講義も行った(向井=矢野・前掲注(62)1995年論文75頁以下)。以上の経緯について,大久保・前掲注(62)32頁以下および50頁以下も参照。
(64) 司法省刑事局・前掲注(62)109頁以下。「法律ノ改正スヘキ者指屈スルニ勝ヘス而シテ刑法改定草案之事ハ既ニ本年一月政始之日ニ於テ進奏セリ爾来委員ヲ督促シ草案将ニ成ラントス夫レ既ニ刑法アリ又治罪法ナカルヘカラス今我国ニ於テ行ハルヽ所之拿捕勾引推鞠法之類速ニ改正セサルヘカラサル者一ニシテ足ラサルナリ因テ治罪法案之事項コロ既ニ僚員ニ命シテ編纂ニ著手セシム抑刑法治罪法ハ政府ト人民トノ間ニ管スル條規ニシテ一日ノ無カルヘカラサルハ固ヨリ不俟論」……。
(65) 向井=矢野・前掲注(62)1995年論文76頁,向井=矢野・前掲注(62)1996年論文74頁を参照。
(66) 司法省刑事局・前掲注(62)116頁以下の「治罪法編纂委員人名」を参照。同所に挙げられている順に,委員として,司法卿・大木喬任,大検事・岸良兼養,権大検事・岡内重俊,検事補・横田国臣,三等属・清浦奎吾の5名,属員として,五等属・池上三郎,八等属・亀山貞義,八等属・内藤貞亮,八等属・橋本胖三郎,雇・堀田正忠の5名,その他に仏国人雇・ジュスラン氏,同・ボアソナード氏の2名である。このうち日本人の委員を中心に,1875年・明治8年5月から1876年・明治9年9月頃までに『治罪法草案第一編』(早稲田大学図書館所蔵鶴田文書)を作成したと推定されている(向井=矢野・前掲注(62)1995年論文76頁以下および84頁注(7)を参照)。
(67) 向井=矢野・前掲注(62)1995年論文78頁以下,向井=矢野・前掲注(62)1996年論文74頁以下を参照。ボアソナードによる草案(フランス語原文)は,Boissonade・後掲注(80)の各所に分割収録されており,本稿の執筆に際してフランス語原文のボアソナード草案を参照するにあたってはこれを利用した。
(68) 司法省編・前掲注(7)44頁,内閣記録局編『法規分類大全(第一編・官職門第十二)』(内閣記録局,1890年)329頁を参照。
(69) ボアソナード〔井上操=高木豊蔵=大島三四郎=木下哲三郎訳〕『ボアソナード氏起案治罪法草案』(出版者不明,出版年不明)。
(70) 向井=矢野・前掲注(62)1995年論文78頁以下,向井=矢野・前掲注(62)1996年論文75頁を参照。
(71) 向井=矢野・前掲注(62)1996年論文75頁を参照。ボアソナード草案とフランス治罪法との比較は,別の機会に行いたい。
(72) 司法省刑事局・前掲注(62)117頁以下の「治罪法草案脱稿ニ付上申」,向井=矢野・前掲注(62)1995年論文79頁以下,向井=矢野・前掲注(62)1996年論文75頁を参照。
(73) この構成員は1879年・明治12年12月24日付の辞令によれば,同辞令に掲げられている順に,総裁として,元老院幹事・柳原前光,委員として,議官・津田出,同・細川潤次郎,同・河瀬眞孝,司法大書記官・鶴田皓,太政官小書記官・村田保,司法小書記官・名村泰蔵,判事・昌谷千里,検事・清浦奎吾である(司法省刑事局・前掲注(62)121頁。なお,向井=矢野・ 【p.222/p.223】 前掲注(62)1995年論文79頁以下も参照。)。
(74) この審査局での修正内容を逐条記録した史料の一つが「治罪法草案審査第二読会修正趣意書」である(向井=矢野・前掲注(62)1996年論文75頁を参照。さらに,向井=矢野・前掲注(62)1995年論文80頁以下も参照。)。
(75) 向井=矢野・前掲注(62)1995年論文81頁,向井=矢野・前掲注(62)1996年論文75頁以下を参照。なお,治罪法審査修正案を審議した元老院での清浦奎吾(内閣委員番外二番として出席。番外一番は村田保である。清浦は,治罪法編纂委員(前掲注(66)を参照)と治罪法草案審査局(前掲注(73)を参照)の構成員でもある。)の発言によれば,司法省における治罪法草案の編纂過程は次のとおりである。「明治十年九月司法省ニ於テ本案編纂ニ開手スルヤ仏独墺埃諸国ノ法ヲ参酌シ我現行ノ法律及ヒ慣習ヲ裁衷シ校訂数次十二年六月ニ至リ始テ稿ヲ脱シテ開申シ同年十月草案審査局ヲ置キ議官及ヒ法制局司法省等ノ職員ヲ以テ其委員ニ充テ本年二月廿六日ヲ以テ審査ノ局ヲ結ヒ本日遂ニ本院ノ議事ニ付セラルヽニ至リシナリ」(明治法制経済史研究所編『元老院会議筆記(前期第八巻)』(元老院会議筆記刊行会,1964年)339頁)。
(76) 向井=矢野・前掲注(62)1995年論文81頁,向井=矢野・前掲注(62)1996年論文76頁を参照。陪審制度の廃止については,白取祐司「ボワソナードとフランス刑事法の継受」法律時報71巻4号(1999年)97頁以下,利谷信義「天皇制法体制と陪審制度論」日本近代法制史研究会編『日本近代国家の法構造』(木鐸社,1983年)515頁以下,三谷太一郎『政治制度としての陪審制―近代日本の司法権と政治―』(東京大学出版会,2001年)91頁以下[第2章「日本における陪審制の受容」](とくに97頁以下)〔旧版は,三谷太一郎『近代日本の司法権と政党―陪審制成立の政治史―』(塙書房,1980年)〕等を参照。
(77) 元老院での審議内容について,明治法制経済史研究所編・前掲注(75)337頁以下を参照。なお,向井=矢野・前掲注(62)1995年論文81頁,向井=矢野・前掲注(62)1996年論文76頁も参照。
(78) なお,向井=矢野・前掲注(62)1995年論文75頁を参照。
(79) 大審院書記局編纂『草案比照治罪法完』(大審院書記局,1886年)を参照。なお,本史料の位置づけについて,同書冒頭の凡例に「本書ハ現行治罪法ニ基キ治罪法草案及同直訳ヲ以テ之ニ対照比較セシ者ニシテ専ラ本院審理ノ参考ニ供スル者ナリ」との記載がある。
(80) G. Boissonade, Projet de Code de Procédure criminelle pour l'Empire du Japon, accompagné d'un Commentaire, Tokio, Kokoubounsha, 1882〔同『仏文・日本刑事訴訟法草案註解』(宗文館書店・有斐閣,復刻版・1984年)〕,ボアソナード(傑、博散徳)著〔森順正ほか訳〕『治罪法草案註釈』(司法省,1882年)。
(81) 本節の記述のうち治罪法における告訴関連規定の部分は,拙稿・前掲注(2)1頁以下を大幅に加筆修正したものである。また,治罪法における告訴に関連した手続の全体像を俯瞰したものとして,沢登=中川・前掲注(4)89頁以下がある。なお,治罪法の各条文に対応するボアソナード草案および治罪法草案の条文を比較するにあたっては,大審院書記局編纂・前掲注(79)をとくに参照した。
(82) 前掲注(74)を参照。
(83) 向井=矢野・前掲注(62)1996年論文94頁以下の村田本翻刻を参照。
(84) 同趣旨の規定は,明治刑事訴訟法49条2項,大正刑事訴訟法274条に受け継がれる。
【p.223/p.224】 (85) 村田・前掲注(50)巻三4葉を参照。
(86) 治罪法草案審査局編『治罪法審査修正案』(出版者不明,1880年)46頁。
(87) 向井=矢野・前掲注(62)1996年論文94頁以下の村田本翻刻を参照。
(88) 村田・前掲注(50)巻三6葉裏を参照。
(89) Boissonade・前掲注(80)217頁,ボアソナード・前掲注(80)第2篇28頁,村田・前掲注(50)巻三7葉表(「荒怠緩慢」の文言は同所より引用)。
(90) 明治法制経済史研究所編・前掲注(75)345頁以下を参照。
(91) 明治法制経済史研究所編・前掲注(75)345頁。
(92) 内閣官報局編・前掲注(60)法令全書(明治十四年)132頁以下。
(93) 村田・前掲注(50)巻三10葉裏。
(94) なお,向井=矢野・前掲注(62)1996年論文95頁の村田本「治罪法草案審査第二読会修正趣意書」翻刻を参照。
(95) 向井=矢野・前掲注(62)1996年論文95頁の村田本「治罪法草案審査第二読会修正趣意書」翻刻を参照。 (96) Boissonade・前掲注(80)229頁以下,ボアソナード・前掲注(80)第2篇54頁以下,堀田正忠=高谷恒太郎編『治罪法異同弁』(北畠茂兵衛,1881年以降)第3編上第36号24頁および43頁以下を参照。また,本文で述べたような観点を示唆するものとして,清浦奎吾『治罪法講義随聴随筆』(博聞社,1881年)第6号353葉以下を参照。 (97) Boissonade・前掲注(80)213頁,ボアソナード・前掲注(80)第2篇19頁,村田・前掲注(50)巻三3葉裏。
(98) 堀田正忠=高谷恒太郎編『治罪法異同弁』(北畠茂兵衛,1881年)第3編上第31号52頁を参照。
(99) Boissonade・前掲注(80)250頁,ボアソナード・前掲注(80)第2篇96頁以下,村田・前掲注(50)巻三25葉裏以下を参照。
(100) Boissonade・前掲注(80)221頁,ボアソナード・前掲注(80)第2篇37頁。
(101) 治罪法草案審査局編・前掲注(86)49頁。
(102) 不起訴処分等の通知について治罪法時代からの発展を検討しているものとして,新屋達之「不起訴処分の通知制度について」法学62巻6号(1999年)934頁以下がある。
(103) 堀田正忠『治罪法要論』(博聞社,1885年;信山社出版,復刻版・2000年)220頁以下および250頁以下,村田・前掲注(50)巻三20葉表等を参照。さらに,新屋・前掲注(102)934頁等も参照。
(104) Boissonade・前掲注(80)238頁以下,ボアソナード・前掲注(80)第2篇70頁以下。
(105) 向井=矢野・前掲注(62)1996年論文96頁以下の村田本「治罪法草案審査第二読会修正趣意書」翻刻を参照。
(106) Boissonade・前掲注(80)20頁および25頁,ボアソナード・前掲注(80)第1篇37頁および47頁以下を参照。
(107) 例えば,Boissonade・前掲注(80)216頁,ボアソナード・前掲注(80)第2篇25頁,村田・前掲注(50)巻三5葉裏を参照。
(108) 拙稿・前掲注(2)2頁を参照。
【p.224/p.225】
(109) Boissonade・前掲注(80)41頁,ボアソナード・前掲注(80)第1篇80頁以下,村田・前掲注(50)巻一9葉裏以下を参照。なお,ボアソナードは,フランス法にはボアソナード草案8条2号のような規定がなく,ひとたび告訴が申し立てられて公訴が提起されれば,告訴の願下げをしても公訴は消滅しないと主張する論者がいるということを指摘している(Boissonade・前掲注(80)41頁,ボアソナード・前掲注(80)第1篇81頁)。このような状況を指摘しているのは,明文規定を置くことでフランスにおいて生じているような疑義がわが国において生じるのを避けようとしたためであると考えられる。
(110) 堀田=高谷編・前掲注(98)第1編第6号42頁以下(とくに47頁以下)を参照。このような争いも影響して,1890年制定の明治刑事訴訟法6条2号においては「私和」の文言がはずされることになる。
(111) 堀田=高谷・前掲注(98)第1編第6号42頁以下を参照。
(112) Boissonade・前掲注(80)41頁,ボアソナード・前掲注(80)第1篇80頁以下。
(113) 治罪法における付帯私訴制度を検討しているものとして,樫見由美子「『附帯私訴』について」金沢法学45巻2号(2003年)149頁以下がある。
(114) 村田・前掲注(50)巻三21葉裏。
(115) Boissonade・前掲注(80)239頁以下,ボアソナード・前掲注(80)第2篇73頁以下。
(116) 吟味願の性質については,前掲注(27)を参照。
(117) ボアソナードの註釈書によれば,ボアソナード草案125条1項は,すでに検察官の起訴によって公訴が提起されている場合を想定しているものであり,被害者は純粋に私訴(民事上の請求)を行うことに意味がある。これに対して,ボアソナード草案125条2項は,検察官が公訴提起していない場合を想定しているものであり,そこでの被害者の申立ては民事上の効力に止まらず公訴提起の効果が生じるところに意義がある(Boissonade・前掲注(80)240頁以下,ボアソナード・前掲注(80)第2篇75頁以下を参照)。また,私訴を申し立てた場合に公訴提起の効果が生じることと付帯私訴の本質とに齟齬が生じないように文言を確定していく立法者の模索について,向井=矢野・前掲注(62)1996年論文97頁の村田本「治罪法草案審査第二読会修正趣意書」翻刻を参照。
(118) なお,石井編・前掲注(5)269頁を参照。ボアソナード草案に影響を与えたフランス治罪法における取扱いについての検討は,別の機会に行いたい。
(119) なお,誣告罪には過失犯規定がないので,重過失の場合,誣告罪が成立せず,私訴を起こしても付帯私訴にはならない。それゆえ,第16条4項の規定は重過失の場合にとくに意味のあるものとなる。さらに,堀田=高谷・前掲注(98)第1編第11号9頁および46頁以下は,このような考え方を徹底して,悪意の場合は,誣告罪の公訴に付帯した付帯私訴,刑事裁判所への公訴提起の効果のある(付帯)私訴,民事裁判所への私訴という手段で対応すればよいとして,治罪法16条4項の規定の適用を認めていない。
(120) Boissonade・前掲注(80)59頁以下,ボアソナード・前掲注(80)第1篇119頁。

提出年月日:2007年9月18日
【p.225/p.226】

〔付記〕
 故 萩野聡先生には,同じ公法系教員ということもあり,研究活動に関するご助言をいただいたほか,折に触れてお世話になりました。また,いつもやさしい笑顔で接していただいたことも忘れられません。ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。


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