http://www.aurora.dti.ne.jp/~mutsumi/study/fudai522.html
2006-11公刊,2006-12-04Web掲載,2016-03-27最終更新
黒澤睦「明治初期の告訴権・親告罪―刑事実体法における関連諸規定の概観―」富大経済論集第52巻第2号(富山大学経済学部,2006年11月)297-324頁〔通頁403-430頁〕。
Mutsumi KUROSAWA, Strafantragsrecht und Antragsdelikte in der frühen Meiji-Zeit, The Journal of Economic Studies University of Toyama (The Fudai Keizai Ronshu), Vol.52 No.2, 2006, Faculty of Economics, University of Toyama, pp.297-324.

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  5. 本研究ノートは,立法政策論を含んだ学術論文であり,実務でこのとおりの運用がなされている訳ではありません。実際に事件の当事者になられた方は,弁護士等の法律実務家にご相談なされることをお勧めいたします。

【p.297】

明治初期の告訴権・親告罪

― 刑事実体法における関連諸規定の概観 ―

黒澤 睦

キーワード:告訴権,親告罪,仮刑律,新律綱領,改定律例,旧刑法

目次
 はじめに
 一 仮刑律
  1 仮刑律をめぐる諸状況
  2 首服に関する条項
  3 訴訟律における告訴関連条項〔親告罪規定を含む〕
  4 「親属相盗」条
 二 新律綱領・改定律例
  1 新律綱領・改定律例をめぐる諸状況
  2 首服に関する条項
  3 新律綱領・改定律例における親告罪規定
  4 訴訟律における告訴関連条項
  5 「親属相盗」条
 三 旧刑法
  1 旧刑法をめぐる諸状況
  2 首服に関する規定
  3 旧刑法における親告罪規定
  4 その他の告訴関連規定
  5 親属相盗に関連する規定
 むすびにかえて

【p.297/p.298】

はじめに

 わが国の現在の告訴権・親告罪の源流はどこにあるのか。非常に単純な疑問であるが,それへの回答はきわめて難しい。
 わが国の告訴権・親告罪の生成・発展過程を解明するには,告訴権・親告罪が犯罪対応の限界領域に属することから,本来であれば犯罪対応過程に関する原始社会からの全面的な歴史的検討をする必要があるだろう。しかし,それはあまりに壮大なテーマである。そこで,本稿では,その研究の一部として,明治維新前後で諸制度が大きな変革を遂げた(1)という事実にかんがみ,さしあたり明治維新以降の法制度に限定して検討をおこなうこととする。
 なお,私は,これまでに,治罪法(1880年(明治13年)太政官布告37号)以降の刑事手続法における告訴権・親告罪に関連する諸規定については,若干の検討を試みたことがある(2)。それゆえ,本稿では,明治維新後の刑事法のなかでも,これまでまとまった形で検討したことのなかった刑事実体法(公布されていないものも含む)に焦点を合わせ,それらの法をめぐる諸状況と告訴権・親告罪に関連する具体的諸規定をみていくことにしたい。
 以下では,時系列に従って,仮刑律〔一〕,新律綱領・改定律例〔二〕(3),旧刑法〔三〕の順に検討をおこなっていく。

一 仮刑律

1 仮刑律をめぐる諸状況

 まず,大政奉還の後,徳川慶喜からの伺に対して,明治新政府は,1867年(慶応3年)10月22日に,新法令が制定されるまでは徳川時代の慣例(幕府天領には幕府法(公事方御定書),各大名領地には各藩法)(4)を適用する(「是迄 【p.298/p.299】 之通リ可心得候事」)との指令を出した(5)
 そうした状況のなか,「仮刑律」(仮律)(6)は,1868年(慶應4年・明治元年)1月17日に設置された刑法事務科,そして同年2月3日に設置された刑法事務局においてその編纂が開始され進められた。仮刑律は,明治維新の「王政復古」という性格を反映し,大宝養老律,明律・清律を参考にしつつ,公事方御定書の規定も加味して編纂されたという(7)。また,刑法事務科および刑法事務局には,清律を研究して独自の「刑法草書」を作り上げた肥後藩出身者が多く登用されたため,その影響も強く受けているとされる(8)。この仮刑律は,法律として公布されたものではなく,刑事裁判の内部準則の性質をもっていた。また,地方の役人から伺い出があり,中央の刑法官がそれに対して指令をしたものが,「仮刑律的例」(9)とされている(10)
 他方で,明治政府は,1868年(明治元年)10月30日の行政官布達によって,新律の制定までは旧幕府の刑律(公事方御定書)による(「新律御布令迄ハ故幕府ヘ御委任之刑律ニ仍リ」)べきことを布達した(11)。それとともに,同布達の後段部分において,旧幕府の刑律を修正し(「其中、磔刑ハ君父ヲ殺スル大逆ニ限リ、其他重罪及焚刑ハ梟首ニ換ヘ…以下略…」),それに基づいて運用した。さらに,同年11月13日の太政官達によって,具体的な犯罪処刑方針を示したが,これは仮刑律(または「新律草稿」)の内容に沿ったものとされている(12)

2 首服に関する条項

 仮刑律においては,「罪人自首」の部分で,以下のような定めがある(13)
 罪人自首
凡、罪状未発せずして自ら訴出るものは、其罪を免し、贓有る者は贓を徴す〈官に還し主に給す。若正贓費用せば是を償わしむ〉。若人を以代首い 【p.299/p.300】 たし或は相隠すべき親属より為に首告し及び訐告するも、亦罪人自首之法に因て同く免す。○其軽罪已に露顕に及び、因て重罪を首すれば、其重罪を免す〈告らるゝ之事拷問によらず、本案外別に余罪を訴出るも准之〉。若首する処之罪実を吐ず及び尽ざるものは、不実不尽之罪を以是を罪す。因て死に至るものは、一等を減ずるを許す。若罪状既に露顕すべく或は人之告訴んとするを知り、因て首告するは、当罪二等を減ず。殺傷・姦犯・破関及び物におゐて償ふべからざるは、自首之限にあらず。若人を殺傷して訴出るものは、其〈殺傷〉因る処之罪を免し、仍て本殺傷法に従て論ず〈仮如ば盗に因て人を殺傷し首告する者、其因る処盗罪を免し、仍て謀故闘本殺傷法に従て論ずるの類。若過失殺傷を犯すは自ら正条有り、本法に従ふべし〉。若強窃盗・詐欺を犯し自分悔悟して贓を還し財主え首服する、亦官を経て自首すると同く罪を免す其露顕之際に臨財主え首還するも亦二等を減ず。若罪人事発し官に到る之後脱逃し尋で訴出る者、犯す処之罪首免を得ずと云へ共、逃走之二等を免す。
 ここで登場する「人之告訴んとする」〔ひとのつげうったえんとする〕という文言の「告」は,「他人が訴える」こととされている(14)。また,ここでは主体が被害者に限定されていないので,「告げ訴える」は現在でいうところの告訴そのものではなく,告訴と告発の両者を含む概念と考えてよいだろう(15)
 次に,被害者と関係するいわゆる「首服」が登場するが,ここでは,対象犯罪が「強窃盗・詐欺」といういわゆる財産犯に限定されている。また,「悔悟」することが明文で規定されている。そして,盗品を返還し(「還し」)たうえで「首服」するという形で規定されていることから,ここでの「首服」は物質的な損害回復とは別個のものが想定されているということができる(16)
 なお,この条項の最初の二行割書において,「没収した盗品は持ち主に給付する」としている点は,仮刑律が近時の刑事立法動向(没収財産の被害回復給付金への充当(17))にも通じる性質をもっていたということができるであろう。
【p.300/p.301】

3 訴訟律における告訴関連条項

 また,この仮刑律には,「訴訟(・捕亡)」の律があり,その中で,虚偽告発(告訴を含む)に関する「誣告」条もすでに定められていた(18)。そのほか,匿名・偽名の文書によって告発することも犯罪とされていた(「匿名書を作て人を毀」条)(19)
 そして,この訴訟律で最も注目すべきもの,さらには仮刑律で最も注目すべきものは,次に挙げる「父祖之奉養を欠」条(20)である。
 父祖之奉養を欠
凡、子・孫家資、祖父母・父母之奉養欠べからざる程之者にして故らに欠き、因て祖父母・父母訴出れば笞一百。○若祖父母・父母之教令従ふべきなるに故らに違背いたし、因て祖父母・父母訴出れば笞五十〈若訴出之事情重き者は重に従て臨時論判〉。
 この条項は,①可能であるにもかかわらず祖父母・父母を故意に扶養しないこと,②祖父母・父母の教えに故意に違背すること,を犯罪と定めたものである(21)
 まず注目すべきなのは,下線を付した部分である。そこには,祖父母・父母が訴え出れば笞の刑が科されると規定されている。つまり,本条項に規定された事実があった(認められた)としても,祖父母・父母の訴えがなければ,刑を科すことができないのである。これを処罰条件と見るか,それとも訴訟条件と見るかについては解釈の問題が残る。しかし,被害者である祖父母・父母の訴えが広い意味での刑罰権発動の前提条件になっていることから,この「父祖之奉養を欠」条は,明治維新後の法制度のなかでは最初の親告罪規定ということができるだろう。しかも,この規定上は,直接の被害者が訴え出ることを必要としており,現在のような広い告訴権者が想定されているわけではない。
【p.301/p.302】
 さらに興味深いのは,この条項が訴訟律に規定されていることである。訴訟律には,他に,「越訴」(訴え出るべき機関を越えて上役に直接に訴え出る),「掛り役人犯事を隠す」(犯罪を吟味すべき役人がそれを怠る,またはその犯罪を隠す),「干名犯義」(一定親族関係にある者を告発する)があるが,前出の「匿名書を作て人を毀」,「誣告」も含めて,基本的に,まさに訴訟関係的行為に関する犯罪である。それに対して,この「父祖之奉養を欠」は,対象となる犯罪行為(前述①・②)が訴訟と関係しているのではなく,その犯罪行為を裁いていく過程というまさに〈訴訟的場面〉が問題になっているのに過ぎないのである。したがって,この条項を訴訟律に含ませることは,法の体系という観点からは問題があるように思われる(22)

4 「親属相盗」条

 なお,この仮刑律には「親属相盗」の条項も置かれていた。ここでは,現在のような親告罪規定はなかったが,一定親族間の盗罪についての刑の減軽のほかに,共犯の場合の処断方法や,奉公人等が主家の財物を盗んだ場合の刑の加重が定められていた(23)

二 新律綱領・改定律例

1 新律綱領・改定律例をめぐる諸状況

 仮刑律は,その一応の完成後すぐに修正が加えられていったが,1868年(明治元年)10月の段階ですでに修正の枠を超える新たな法典編纂の準備が始まっていた(24)。そして,1870年(明治3年)12月に,「新律綱領」(25)という新たな法典が全国に頒布され,これまで用いられてきた旧幕藩法および仮刑律が廃止された。この新律綱領は,当初は明律を参考にする予定であったが,結果的には清律の影響をより強く受けているとされている(26)。また,1873年(明治6年) 【p.302/p.303】 に施行された「改定律例」(27)は,新律綱領の条項を大きく修正しているが,新律綱領に取って代わるものでなく,新律綱領で定められた原則を敷衍したり,規則を補充するという部分が多かった(28)。そこで,本稿では,新律綱領と改定律例をまとめて検討することにする。

2 首服に関する条項

 新律綱領においても,首服に関する条項が存在するが,これは仮刑律の規定を概ねそのまま引き継いでいる。「犯罪自首」条〔608頁15行目〕(29)の第4項の規定は次のようになっている。
若シ強窃盗。及ヒ詐偽シテ。財物ヲ取リ。事主[ヌスマレヌシ]ノ処ニ於テ首服シ。或ハ枉法。不枉法ノ贓ヲ受ケ。過ヲ悔ヒテ。本主ニ還付スル者ハ。官司ニ自首スルト同ク。皆其罪ヲ免ス。若シ人ノ告ント欲スルヲ知テ。財主ノ所ニ於テ首還スル者ハ。一等ヲ減ス。
 この「首服」条項においては,強盗・窃盗・詐欺の犯人から被害者への「首服」と盗品等を入手した者から所有者への「還付」とが並列に規定されている(なお,首服と還付とをあわせて「首還」としている)。立法者の意図は必ずしも明らかではないが,ここでの「首服」の概念は,財物の返還をも含んだ意味で用いられていると考えられる(30)

3 新律綱領・改定律例における親告罪規定

 新律綱領・改定律例においては,比較的多くの親告罪が規定されている。

(一)闘殴律における親告罪規定

 まず,「闘殴律」〔641頁9行目〕には次のような親告罪規定が置かれている。
【p.303/p.304】
 殴夫 〔643頁16行目〕
凡妻。夫ヲ殴ツ者ハ。杖一百。折傷以上ハ。凡闘傷ニ。三等ヲ加フ。夫ノ親ラ告ルヲ待テ。乃坐ス。篤疾ニ至ル者ハ。絞。死ニ至ル者ハ。斬。故殺スル者ハ。梟。
若シ妾。夫及ヒ正妻ヲ殴ツ者ハ。妻。夫ヲ殴ツ罪ニ。各一等ヲ加へ。加ヘテ死スルニ入ル。死ニ至ル者ハ。斬。故殺スル者ハ。梟。

 殴傷妻妾 〔644頁1行目〕
凡夫。妻ヲ殴ツハ。折傷ニ非ルハ。論スルコト勿レ。折傷以上ハ。凡人ニ。二等ヲ減ス。妻ノ親ラ告ルヲ待テ。乃坐ス。死ニ至ル者ハ。絞。故殺スル者モ。罪同。妾ヲ殴ツニ。折傷以上ハ。妻ヲ殴傷スルニ。二等ヲ減ス。死ニ至ル者ハ。流一等。
若シ妻。妾ヲ殴傷スルハ。夫。妻ヲ殴傷スルト。罪同。妾ノ親ラ告ルヲ待テ。乃坐ス。過失殺スル者ハ。各論スルコト勿レ。
若シ夫。妻ノ父母ヲ殴ツ者ハ。杖九十。折傷以上ハ。各凡闘傷ニ。一等ヲ加ヘ。篤疾ハ。絞。死ニ至ル者ハ。斬。故殺スル者モ。罪同。
 これらは,夫婦間ないし夫妻と妾との間の暴行・傷害に関連するものである。ここで登場する「親ラ告ルヲ待テ。乃坐ス。」というのが,「親告罪」という語の語源であるということができるだろう。もっとも,同じ親告罪とはいっても,この条項では「告げる」のは直接の被害者に限定されており,仮刑律の「父祖之奉養を欠」条項と同様に,現在の広い告訴権者を想定しているわけではない。なお,ここでの「坐ス」という語の意味は必ずしも明確ではなく,その法的性質が問題となりうるが,本稿では「その罪によって裁く・裁かれる」という一般的な意味として扱うことにする。
 「殴夫」条では,妻が夫に暴行した場合に,夫が篤疾・死亡に至らなければ,被害者たる夫が親ら告げるのを待って,妻はその罪で裁かれる(つまり,親告 【p.304/p.305】 罪である)。なお,妾が夫・正妻に暴行した場合には,(後述の「殴傷妻妾」条2項の規定方法から反対解釈して,親告罪規定部分を準用していないとすれば)被害者たる夫・正妻が告げることが条件とされておらず,親告罪ではない。
 「殴傷妻妾」条においては,夫が妻に暴行した場合に,死に至らなければ,被害者たる妻が親ら告げるのを待って,夫はその罪で裁かれる。夫が妾に暴行した場合には,(親告罪規定部分を準用していないとすれば)被害者たる妾が告げることが条件とされておらず,親告罪ではない。しかし,妻が妾に暴行し傷害を負わせた場合には親告罪とされている。
 以上のように,ここでは,夫,妻,妾という序列と,それに基づいた刑の軽重が存在しているが,親告罪(告訴条件)規定の適用にあたっても,それが考慮されているようである(もっとも,準用に関して不明確なところがあり,準用が認められているのであれば,夫妻妾間の暴行等の大部分が親告罪ということになる)。また,ここに取り上げた以外の親族についても,特別規定がなされている(「殴三等親以下尊長」,「殴二等親尊長」等)が,親告罪とされているものはなく(なお,「妻妾與夫親属相殴」を参照),夫妻妾間の暴行等が特別な扱いをされている(31)。なお,ここで取り上げた規定については,死亡の場合は親告罪でないとされているが,これは,罪の重さによるとも考えられるが,被害者が死亡しており親ら告げることができないという理由も考えられる(また,この点と関連して,被害者が死亡した場合のみならず,妻が夫に暴行し篤疾に至った場合が親告罪とされていない)。
 なお,改定律例においては,これらの犯罪の篤疾・死亡に関する部分について修正がなされているが,親告罪規定については修正がなされていない。

(二)罵詈律における親告罪規定

 また,「罵詈律」〔645頁15行目〕の中には,次のような親告罪が規定されていた。
【p.305/p.306】
 罵家長 〔646頁2行目〕
凡奴婢。家長ヲ罵ル者ハ。徒一年。雇人。家長ヲ罵ル者ハ。杖八十。並ニ家長ノ親ラ告ルヲ待テ。乃坐ス

 罵有服尊長 〔646頁4行目〕
凡卑幼。四等親ノ尊長。及ヒ妻ノ父母ヲ罵ル者ハ。笞五十。三等親ノ尊長ハ。杖六十。若シ兄姉ヲ罵ル者ハ。杖九十。伯叔夫姑。外祖父母ハ。杖一百。若シ妻妾。夫ノ有服尊長ヲ罵ル者ハ。夫ノ罵ルト罪同。並ニ尊長ノ親ラ告ルヲ待テ。乃坐ス

 罵祖父母父母 〔646頁8行目〕
凡子孫。祖父母父母ヲ罵リ。及ヒ妻妾。夫ノ祖父母父母ヲ罵ル者ハ。並ニ流三等。祖父母父母ノ親ラ告ルヲ待テ。乃坐ス
 いずれも,罵詈律における「罵人」条(面前での誹謗)〔645頁16行目〕の特別規定である。「罵人」条は,被害者が親ら告げることが条件とならずに,笞一十の刑が科される。それに対して,この「罵家長」,「罵有服尊長」,「罵祖父母父母」条は,それぞれ刑が加重されているにもかかわらず,被害者が親ら告げることが,行為者が裁かれる条件になっている。また,目上の者への誹謗という意味では共通する「罵本属長官」条(直属の目上の官吏への誹謗)〔645頁18行目〕においては,刑の加重(関係に応じて,徒一年,杖九十,杖六十等)のみで,被害者が親ら告げることが,行為者が裁かれる条件になっていない。これらの規定の違いからすると,家長,目上の親族を罵ることは,一般的な人を罵ることよりも罪は重いが,その裁判外解決(または内部的解決)が期待されていると考えられる。さらに,「罵本属長官」が「罵祖父母父母」よりも刑が軽いにもかかわらず親告罪とされていない点からも,罪の重さのみで親告罪とされるか否かが決定するわけではないことがうかがわれる。
【p.306/p.307】
 なお,改定律例では,「罵祖父母父母」において,「流三等」が「懲役三年」へと刑の変更があったが,親告罪規定については変更がなされていない。

(三)訴訟律における親告罪規定

 訴訟律〔646頁11行目〕においては,「子孫違教」条〔648頁12行目〕が,仮刑律の親告罪規定「父祖之奉養を欠」条項を継承した。その規定は次のとおりである。
 子孫違教
凡子孫。祖父母父母ノ教令ニ違犯シ。及ヒ奉養欠クルコト有ル者ハ。杖一百。祖父母父母ノ親ラ告ルヲ待テ。乃坐ス
 この「子孫違教」条項には,改定律例で次のような規定が加えられている。
 子孫違教條例
第二百四十一條
 凡祖父母父母。老疾シテ。家ニ侍養ノ親ナキニ。故ラニ棄去ル者ハ。懲役二年。
 新律綱領における「子孫違教」条は,その条項全体が親告罪であるが,改定律例で加えられた(修正された)部分は,親告罪とはされていない。新律綱領に規定された「子孫違教」条と改定律例で加えられた「子孫違教條例」の規定内容の違いは,規定された行為の態様と法定刑の差異から推測するに,広い意味での罪の軽重にあるということができる。したがって,親告罪とされるか否かの基準に,広い意味で罪の軽重も考慮されているということができるであろう。

(四)修正・特別法令等における親告罪規定等

【p.307/p.308】
 まず,新律綱領・改定律例に直接関連するものをみる。1874年(明治7年)5月13日に司法省達(明治7年司法省達第10号)(32)が出された(旧刑法施行まで有効)。これによって,強姦・姦通等全般(新律綱領の犯姦律,改定律例の改正犯姦律を参照)について,第三者の通報・告発ではなく被害者本人の告訴を要求したものと考えられるので,犯姦律内の犯罪を親告罪化したもの<補遺:2016-03-27>といえるであろうとも読めるが,伺・指令によって「強姦」は含まないことが明示され,引き続き非親告罪として対応することとされている(33)
今般犯姦ノ儀ニ付左之通リ於当省議定候條此旨可相心得候事
一凡姦事他人ノ指称ニ係ル者ハ論スルコト勿レ
 また,新律綱領・改定律例は刑事実体法のいわば一般法であるが,そのほかに個別の特別法令によって親告罪とされたものがある。1875年(明治8年)6月28日の「讒謗律」(明治8年太政官布告第110号)(34)は,一部の讒毀誹謗を親告罪としている(35)
第八條
 凡ソ讒毀誹謗ノ第四條第五條ニ係ル者ハ被害者ノ官民自ラ告ルヲ待テ乃チ論ス
※4条は「官吏ノ職務ニ関シ讒毀スル者」・「誹謗スル者」,5条は「華士族平民ニ対スルヲ論セス讒毀スル者」・「誹謗スル者」に関する規定である。なお,親告罪とされていないのは,「乗與ヲ犯スニ渉ル者」(1条)と「皇族ヲ犯スニ渉ル者」(2条)である。

4 訴訟律における告訴関連条項

 まず,「越訴」条〔646頁12行目〕においては,越訴にあたらない注目すべき例外が定められていた。すなわち,本来は受理すべき官司がそれをおこなわなかった場合は,その上司へ陳告(告発・告訴)が許されていたのである。もっ 【p.308/p.309】 とも,ここでの「受理」は「トリアゲサバク」とのフリガナが付されているものの,その実態は明らかではなく,現在の「受理」とは必ずしも同義ではないとも考えられる。しかし,少なくとも,現在の「受理」と重なる部分があるとはいえるであろう。なお,同条2項では,目安箱に文書を投じて犯罪事実を「申訴」した場合にそれが事実でなかった場合の罪が規定されていた。
 越訴
凡吏卒軍民。詞訟[クジ]スルニ。本管ノ官司ニ由ラスシテ。輒ク上司ニ越訴スル者ハ。實ヲ得ルト雖モ。笞三十。本管ノ官司。受理[トリアゲサバク]セス。及ヒ枉断スル者ハ。上司ニ陳告スルコトヲ許ス。
若シ理匭[メヤスハコ]ニ文書ヲ投シ。事ヲ申訴シテ。實ナラサル者ハ。杖七十。事。重キ者ハ。誣告律ニ依テ論ス。實ヲ得ル者ハ。罪ヲ免ス。
 また,一定の重罪について担当役人が告発を受理しなかった場合には,「承告不理」〔646頁17行目〕として,対象犯罪に応じて一定の罰が科されていた。すなわち,一定の重罪について,告発(告訴を含む)受理義務が存在していたのである。これは,すでにみた越訴の例外許容規定(本来受理すべき官司が受理しなかった場合)ともあわせて,告発・告訴の受理がきわめて重要なものと考えられていたといえる(36)
 承告不理
人命。及ヒ強盗等ヲ告ルニ。官司。即時ニ受理セサル者ハ。杖七十。闘殴婚姻田宅等ノ事ハ。各犯人ノ罪ニ。二等ヲ減シ。並ニ罪。杖七十ニ止ル。財ヲ受ケテ。受理セサル者ハ。贓ニ計ヘ。枉法ヲ以テ。重キニ従テ論ス。
 そのほか,「誣告」条〔647頁4行目〕も,仮刑律とほぼ同じ形で,規定されていた。これらの規定については,改定律例では,刑の修正が中心であり,そ 【p.309/p.310】 の修正によって罪の本質に変化があったわけではない。

5 「親属相盗」条

 新律綱領でも,「親属相盗」条項〔629頁13行目〕は規定されたが,奉公人等が主体になる場合が別個に規定され(「奴婢盗家長財物」条項〔630頁1行目〕),「家」よりも「親属」的色彩が強まった(37)。また,新律綱領の「親属相盗」条項も親告罪ではなかった。そして,親告罪でないという点については,改定律例でも修正が加えられていない。

三 旧刑法

1 旧刑法をめぐる諸状況

 西欧型の刑事法を作成するという動きは,改定律例を作成する以前からあり,司法省ではフランス法の翻訳などがおこなわれていた(38)。そして,1875年(明治8年)9月には,司法省に刑法草案取調掛が設置された(39)。ここでは当初は,フランス人ボアソナードの補助を受けつつも,鶴田皓らの日本人委員が中心になって編纂事業がおこなわれた。そして,1876年(明治9年)には,司法省によって総則部分のみからなる「日本帝国刑法初案」が作成され,司法省から正院に上呈後に「改正刑法名例案」として元老院の議定に付されたが,不完全なものであったために返還された(40)。そのため,ボアソナード(および鶴田ら)を中心にして,編纂作業が再び開始され,最終的に1877年(明治10年)11月に新たな「日本刑法草案」を上呈した(41)。ボアソナードによるまとまった草案は存在しないが,日本刑法草案はボアソナードの影響を受け,フランス刑法・ベルギー刑法・ドイツ刑法・イタリア刑法草案等を参照して起草され,とくにフランス刑法の継受が顕著であるとされる(42)。この日本刑法草案は,その後,刑法草案審査局によって大きく修正が加えられ(ただし,告訴権・親告罪に関連 【p.310/p.311】 する部分は本質的な修正はない),1879年(明治12年)6月に「刑法審査修正案」が太政大臣に上進された(43)。そして,元老院の審議ではほとんど修正されず(44)に,1880年(明治13年)7月に「刑法」(45)が公布され,1882年(明治15年)1月1日から施行された(46)
 この「刑法」(以下では,「旧刑法」と称す)では,告訴または親告罪に関連して,次のような規定が置かれていた。

2 首服に関する規定

 まず,旧刑法においても,次のような首服に関する規定が置かれていた(47)
第八十七條
 財産ニ対スル罪ヲ犯シ被害者ニ首服シタル者ハ官ニ自首スルト同シク前二條ノ例ニ照シテ処断ス。
 ここで述べられている自首に関する前二條の内容を簡単に説明すると,まず,85条は,事件が発覚する前に捜査機関に自首した者は,謀殺・故殺の場合を除いて,刑を一等減じるというものである。また,86条は,財産犯の場合に,自白をするとともに,盗品等を全部返還ないし損害賠償した場合には,自首による減刑のほかに刑を二等減じ,全部ではないが半分以上である場合には,自首による減刑のほかに刑を一等減ずるというものである。つまり,財産犯にかかる首服の場合には,首服のみで一等減刑,首服と半分以上の損害賠償で合計二等減刑,首服と全部の損害賠償で合計三等減刑ということである。
 もっとも,この首服規定は,対象犯罪が財産犯とされており,首服と親告罪との結びつきは,この時点でもなかったことになる。

3 旧刑法における親告罪規定

(一)親告罪規定の概観

【p.311/p.312】
 旧刑法においては,親告罪規定として,脅迫ノ罪(329条),幼者ヲ略取誘拐スル罪(344条),猥褻姦淫・姦通ノ罪(350条,353条2項),誹毀ノ罪(361条),牛馬以外ノ家畜ヲ殺ス罪(423条),違警罪における罵詈嘲弄ノ罪(426条12号)が置かれていた。まず,それらの規定をみておく。
第三百二十九條
 此節ニ記載シタル罪ハ脅迫ヲ受ケタル者又ハ其親属ノ告訴ヲ待テ其罪ヲ論ス
※「此節」とは「第七節 脅迫ノ罪」(326条~328条)のことである。

第三百四十四條
 前数條ニ記載シタル罪ハ被害者又ハ其親属ノ告訴ヲ待テ其罪ヲ論ス但略取誘拐セラレタル幼者式ニ従テ婚姻ヲ為シタル時ハ告訴ノ効ナシ
※「前数條」とは,「第十節 幼者ヲ略取誘拐スル罪」(341条~345条)のうち,20歳以下の幼者を略取誘拐して外国人に交付した場合(345条)を除くものである。

第三百五十條
 前数條ニ記載シタル罪ハ被害者又ハ其親属ノ告訴ヲ待テ其罪ヲ論ス
※「前数條」とは,12歳未満の男女に対する猥褻行為および12歳以上の男女に対する暴行脅迫を用いた猥褻行為(346条),12歳未満の男女に対する暴行脅迫を用いた猥褻行為(347条),12歳以上の婦女の強姦および準強姦(348条),12歳未満の幼女の姦淫および強姦(349条)である。

第三百五十三條
 有夫ノ婦姦通シタル者ハ六月以上二年以下ノ重禁錮ニ処ス其相姦スル者 【p.312/p.313】 亦同シ
 此條ノ罪ハ本夫ノ告訴ヲ待テ其罪ヲ論ス但本夫先ニ姦通ヲ縦容シタル者ハ告訴ノ効ナシ

第三百六十一條
 此節ニ記載シタル誹毀ノ罪ハ被害者又ハ死者ノ親属ノ告訴ヲ待テ其罪ヲ論ス
※「此節」とは,「第十二節 誣告及ヒ誹毀ノ罪」(355条~360条)であり,本親告罪規定はそのうちの「誹毀ノ罪」〔名誉毀損等〕(358条~360条)にのみ適用される。ただし,360条は医師等の秘密漏示に関するものであるが,誹毀を以て論じるとされている。

第四百二十三條
 前條ニ記載シタル以外ノ家畜ヲ殺シタル者ハ二圓以上二十圓以下ノ罰金ニ処ス但被害者ノ告訴ヲ待テ其罪ヲ論ス
※「前條」とは,牛馬を殺した場合の規定である。したがって,本条は牛馬以外の家畜を殺した罪ということになる。

第四百二十六條
 左ノ諸件ヲ犯シタル者ハ二日以上五日以下ノ拘留ニ処シ又ハ五十銭以上一圓五十銭以下ノ科料ニ処ス
  〔中略〕
 十二 公然人ヲ罵詈嘲弄シタル者但訴ヲ待テ其罪ヲ論ス

(二)旧刑法における各親告罪規定の特徴

 以上の親告罪規定を比較してわかることは,実定法<(正)実体法:2007-02-28>である刑法典で告訴権者の範囲を決めているということである(48)。そして,原則的には,被害者とその 【p.313/p.314】 親族が告訴権者となっている。しかし,「誹毀ノ罪」と「牛馬以外ノ家畜ヲ殺ス罪」は,告訴権者となるのは基本的に被害者のみであり(死者の場合の親族は特別),「姦通ノ罪」においては,夫が被害者であることが想定された上で,その夫のみが告訴権者となっている。また,「罵詈嘲弄ノ罪」は,違警罪であるが,他のものとはやや規定のされ方が異なり,告訴権者は明文に現れておらず,さらに,「告訴」ではなく「訴」を待ってその罪を論じるとなっている。このように告訴権者に関する規定が刑法典におかれた場合には,各犯罪類型における特殊性を考慮した上での個別的で柔軟な規定が可能になるという立法技術的な利点があるといえる。それとともに,告訴権・親告罪が,実体法的性質をもつかどうかはひとまず別として,きわめて実体法〈関係的〉な制度であることを示唆している。

(三)旧刑法における各親告罪規定の趣旨

 旧刑法において各親告罪規定が設けられた趣旨は,1877年(明治10年)11月の「日本刑法草案」に至る司法省での刑法編纂会議の記録である『日本刑法草案会議筆記』(49)におけるボアソナードと鶴田皓らとの議論によれば,次のように整理できる。まず,脅迫罪(329条)については,とくに触れられておらず不明である(50)(もっとも,ボアソナードの注解によれば,脅迫によって生じる社会の害は脅迫を受けた者の感じた恐怖によるので,その判定は脅迫を受けた本人のみができるからとされている(51))。幼者の略取誘拐(344条)については,情欲ないし婚姻に関連するものが想定されているようである(52)。性犯罪(350条)については,強姦の事実が公になることによって生じる恥辱を避けるためと考えられている(53)。姦通(353条)については,とくに触れられておらず不明である(54)。誹毀の罪(361条)についても,とくに触れられておらず不明である(55)。牛馬以外の家畜を殺した罪(423条)については,詳細は不明なものの,軽微な事件をすべて取り上げることの不都合性が考慮されているようである(56)。そして,違警罪の罵詈嘲弄の罪(426条12号)については,誹毀の罪と 【p.314/p.315】 の権衡が理由とされている(57)。このように,旧刑法の編纂過程で重要な地位を占める「日本刑法草案」の編纂過程においては,親告罪規定を置くかどうかは,あまり議論の対象とはなっていなかったようである。
 なお,旧刑法公布後の比較的早い時期(1882年(明治15年))に詳細な注釈書を世に送り出した高木豊三はその著書の中で次のように述べている(58)。まず,脅迫罪(329条)については,告訴をすることが脅迫によって畏怖したことの証であるからとしている(59)。幼者の略取誘拐(344条)については,これらの犯罪が被害者の貞操栄辱に関するものであって,被害者またはその親族が隠秘する方がよいとしたのに,それをあばくことでかえって大害が生じる可能性があるからとしている(60)。性犯罪(350条)については,これらの犯罪が貞操を汚すものであって,その害が専ら被害者またはその親族にあり,それをあばくことでかえって面目を汚して本人の不幸を招く可能性があるからとしており,344条の場合とほぼ同様であるとしている(61)。姦通(353条)の親告罪規定については,とくに説明が加えられていない(62)。誹毀の罪(361条)については,329条,344条,350条および353条で説明したものと同様であるとして説明が省略されている(63)。牛馬以外の家畜を殺した罪(423条)については,姦通・略取誘拐・誹毀の罪とは異なり,罪が軽く小さいので検察官が自ずから起訴をするべきものではないからとされている(64)。違警罪の罵詈嘲弄の罪(426条12号)については,それを受けた人の地位や生い立ちまたは性質によってはあえて意にとめないこともありうるからとしており,また誹毀の罪の親告罪規定と同様であると考えているようである(65)
 以上のように,親告罪規定を設置することに対しては様々な理由が挙げられているが,それらを統一する原理のようなものは想定されていない。もっとも,幼者の略取誘拐,性犯罪,姦通については,事件が公になることの害悪を回避することが想定されているようである。なお,牛馬以外の家畜を殺した罪において犯罪の軽微性が指摘されていること,および,脅迫罪において犯罪成否の指標として告訴が想定されていることが特筆すべき点である。
【p.315/p.316】

4 その他の告訴関連規定

 旧刑法においても,「誣告」に関する罪が規定されていた(355条~357条)。

5 親属相盗に関連する規定

 次に示す窃盗に関する377条が,親族間の財産犯に関する特例の原則規定になっている。しかし,この旧刑法でも,親属相盗に関する規定については,親告罪規定は導入されていなかった。
第三百七十七條
 祖父母父母夫妻子孫及ヒ其配偶者又ハ同居ノ兄弟姉妹互ニ財物ヲ窃取シタル者ハ窃盗ヲ以テ論スルノ限ニ在ラス
 若シ他人共ニ犯シテ財物ヲ分チタル者ハ窃盗ヲ以テ論ス
 この親属相盗に関する条項を準用している規定が2つ存在する。まず,387条は,「第三節 遺失物埋蔵物ニ関スル罪」(385条~386条)について,377条の親族(親属)の範囲を借用し,その範囲にある場合には,罪を論じないとしている(「此節ニ記載シタル罪ヲ犯シタル者第三百七十七條ニ掲ケタル親属ニ係ル時ハ其罪ヲ論セス」)。また,同様の規定(398条)が,「第五節 詐欺取財ノ罪及ヒ受寄財物ニ関スル罪」(390条~398条)についてもなされている。
【p.316/p.317】

むすびにかえて

 最後に,以上の検討で明らかになったことをまとめておく。
一 仮刑律において,すでに親告罪と考えられるものが存在していた(「父祖之奉養を欠」条)。
二 新律綱領・改定律例においては,比較的多くの親告罪規定が盛り込まれている。そこで用いられている「親ラ告ルヲ待テ。乃坐ス。」という文言は,〈「親告罪」の語源〉ということができる。また,「承告不理」条項により告訴等の受理義務が規定されていた。なお,修正・特別法においても親告罪が見受けられる。
三 旧刑法においても,比較的多くの親告罪規定が盛り込まれている。旧刑法の編纂過程で親告罪規定を置くにあたって,また,旧刑法の解釈にあたって,親告罪ごとに何らかの理由が示されているが,特定の統一的原理が考慮されたという形跡はない。
四 上記の三法の共通点として挙げられるのは,誣告(虚偽告訴等)に関する規定が置かれていること,首服規定は親告罪と結びつけられていないこと,親族相盗(親属相盗)は親告罪とはされていないこと等がある。

 本研究はまだ緒についたばかりである。本稿は,今後の研究の道しるべにするために,研究ノートとしてまとめたものである。本稿で検討できなかった諸課題の詳細部分については,今後さらに探究していくことにしたい。

【p.317/p.318】
 
(1) なお,制定法としての刑事法からみた分岐点は旧刑法(1880年(明治13年))と考えるのが一般的である(西原春夫「刑法制定史にあらわれた明治維新の性格―日本の近代化におよぼした外国法の影響・裏面からの考察―」早稲田大学・比較法学3巻1号(1967年)55頁以下〔なお,上記論文は西原春夫『刑事法研究・第二巻』(成文堂,1967年)213頁以下に所収。引用・参照は前者による。〕等を参照)。
(2) 拙稿「告訴権の歴史的発展と現代的意義」明治大学大学院・法学研究論集18号(2003年)1頁以下。
(3) 仮刑律,新律綱領・改定律例等の明治初期の刑事法秩序の形成過程について,石井紫郎=水林彪校注『法と秩序(日本近代思想大系7)』(岩波書店,1992年)をとくに参照した。また,以下の各注で掲げるもののほか,近代刑事法制史全般について,石井良助編『明治文化史(第二巻)法制編』(洋々社,1954年),石井良助『日本刑事法史』(創文社,1986年)3頁以下[第一 刑罰の歴史(日本)],川口由彦『日本近代法制史』(新世社,1998年)51頁以下;新律綱領・改定律例の編纂過程について,藤田弘道『新律綱領・改定律例編纂史』(慶應義塾大学出版会,2001年);明治初期の刑事法について,霞信彦『明治初期刑事法の基礎的研究』(慶應義塾大学法学研究会,1990年),中山勝『明治初期刑事法の研究』(慶應通信,1990年)もあわせて参照した。なお,刑事法を中心とした近代法制史に関する研究全般について,田中亜紀子「刑法」石川一三夫ほか編『日本近代法制史研究の現状と課題』(弘文堂,2003年)76頁以下,三阪佳弘「刑事訴訟法―近代日本刑事司法制度史研究の軌跡―」石川一三夫ほか編『日本近代法制史研究の現状と課題』(弘文堂,2003年)144頁以下を参照した。
(4) 参考のため,江戸時代の状況を簡潔にみておくことにする。
 平松義郎によれば,幕府での取扱いにおける私人による官憲に対する犯罪の申告の主なものとして,目安の提出による訴,被害の届出,検使の願出,犯罪者の逮捕連行もしくは逮捕した旨の届出,密告,自首があった。また,それらの申告は,訴,願,届にかかわらず,すべて「訴」と呼ばれ,申告者を「訴人」,「訴訟人」または「願人」と称した。つまり,告訴と告発の区別やそのような語を,幕府法は知らなかったという(平松義郎『近世刑事訴訟法の研究』(創文社,1960年)600頁)。なお,主人,親の犯罪については申告することが原則として禁止されていた(平松・前掲書601頁)。そして,その中の「目安の提出」は,「加害者を特定して,あるいは,嫌疑濃厚なる旨を申立てて,これを相手取り,その者の吟味ないし處罰を願うという訴状を提出することによつてなされる。奉行所は訴状を一讀して,重い犯罪ありと思料するときには,相手方,ときに訴訟人に對しても吟味筋の手續により,糺問を開始する」。…中略…「告訴ないし親告罪という制度は存しなかつたが,目安の提出がその機能をも果たしたといえる。」とする(平松・前掲書602頁)。
 また,石井良助によれば,「刑事手続に関しては告発を奨励したが,殊に切支丹及び放火には告発人に褒美を与えた。然し親及び主人を訴へることは公儀に対する犯罪の場合の外受理されなかつた。親告罪の観念は御定書には見えて居ないが,特定の犯罪に就いては認められたこともある」(石井良助『日本法制史概説』(創文社,1960年)480頁)として,「人々の家筋祖先のことなどに関して,相違のことを出版したやうな場合には,子孫より訴出のある時に限り,吟味すべき旨の規定が存した」とする(石井・前掲書481頁注1,さらに同463頁注9・461頁を参照)〔黒澤が一部を常用漢字に改めた〕。
(5) 内閣官報局編『法令全書(第一巻)』(内閣官報局,1887年;原書房,復刻版・1974年)慶 【p.318/p.319】 應3年3頁。また,石井編・前掲注(3)270頁,倉富勇三郎ほか「刑法沿革綜覧緒言」倉富勇三郎ほか監修〔松尾浩也増補改題〕『増補刑法沿革綜覧』(清水書店,1923年;信山社,増補復刻版・1990年)緒言1頁以下,手塚豊「仮刑律の一考察」手塚豊『明治刑法史の研究(上)〔手塚豊著作集〕第四巻』(慶應通信,1984年)3頁以下〔初出は,同「仮刑律の一考察」法学研究23巻12号(1950年)1頁以下〕等も参照。
(6) 岡琢郎編『日本近代刑事法令集(司法資料・別冊第一七号)・上巻』(司法省秘書課,1945年)227頁以下,内閣記録局編〔石井良助=林修三覆刻版監修〕『法規分類大全・第54巻・刑法門〔1〕(第一編)』(内閣記録局,1890年;原書房,覆刻版・1980年)55頁以下〔引用・参照は覆刻版によった〕,水林彪校注「仮刑律」石井紫郎=水林彪校注『法と秩序(日本近代思想大系7)』(岩波書店,1992年)1頁以下を参照。また,仮刑律の個別条項の解釈については,岩崎二郎「明治初期日本刑法学の研究(一)~(一五)」神奈川大学・商経法論叢15巻2号(1964年)21頁以下・同15巻4号(1965年)47頁以下・神奈川法学1巻1号(1965年)125頁以下~同7巻2号(1972年)65頁以下を参照。
(7) 仮刑律の引用書目には,「群書類従ノ内」として,和律残編,令義解,法曹至要抄,金玉掌中抄,裁判至要抄,令抄,唐律疎義〔ママ〕,明律集解,明律箋釋,清律彙纂,八編類纂,駁案新編,福惠全書,肥藩刑典が挙げられている(岡編・前掲注(6)228頁を参照。また,岩崎・前掲注(6)(一三)神奈川法学6巻1号(1970年)53頁以下,高塩博「新出の刑法新律草案について」手塚豊編著『近代日本史の新研究VII』(北樹出版,1989年)134頁以下,手塚・前掲注(5)9頁,中山・前掲注(3)21頁以下等も参照)。
(8) 水林彪「史料解説・二 刑法の沿革」石井紫郎=水林彪校注『法と秩序(日本近代思想大系7)』(岩波書店,1992年)554頁を参照。また,とくに肥後藩の刑法草書(およびそれを介した明律)の影響が強いとするものとして,手塚・前掲注(5)12頁以下とくに27頁を参照。さらに,清律(「清律例彙纂」)が参酌されたことについて,高塩・前掲注(7)138頁以下,中山・前掲注(3)21頁以下等を参照。
(9) 岡編・前掲注(6)303頁以下,内閣記録局編・前掲注(6)84頁以下。また,水林彪=山本英二校注「仮刑律的例」石井紫郎=水林彪校注『法と秩序(日本近代思想大系7)』(岩波書店,1992年)57頁以下を参照。
(10) 山本英二「史料解説・一 仮刑律・仮刑律的例」石井紫郎=水林彪校注『法と秩序(日本近代思想大系7)』(岩波書店,1992年)552頁以下,水林・前掲注(8)554頁以下も参照。
(11) 内閣官報局編・前掲注(5)明治元年342頁以下。また,倉富ほか・前掲注(5)緒言2頁以下,小早川欣吾「新律綱領及び改定律例の編纂過程と其の判決に就いて」小早川欣吾『續明治法制叢考』(山口書店,1944年)2頁以下,団藤重光「近代的司法制度の成立」団藤重光『刑法の近代的展開』(弘文堂,1948年)4頁,平野義太郎「明治刑法発達史―明治維新より現行刑法(明治四一年)の成立にいたるまで―」明治史料研究連絡会『明治権力の法的構造』(御茶の水書房,1959年)128頁等を参照。
(12) 横山晃一郎「刑罰・治安機構の整備」福島正夫編『日本近代法体制の形成(上巻)』(日本評論社,1981年)293頁および300頁注(10)。また,とくに「新律草稿」との関係について,高塩・前掲注(7)118頁以下,とくに同120頁以下を参照。
(13) 岡・前掲注(6)245頁以下,内閣記録局編・前掲注(6)61頁,水林校注・前掲注(6)10頁以下を参照。なお,仮刑律の伝本には二系統あり,それらの間で若干の差異がある(山本・前掲注(10)552頁を参照)ことから,本稿での引用は,原則として,水林校注・前掲注(6)の「仮刑律」(法務省法務図書館所蔵「仮刑律」を底本として用いて『法規分類大全』および国立国会図書館所蔵「仮律」と対校して得られたもの)によった。なお,同書は,句読点,漢字・仮名 【p.319/p.320】 づかいが適宜加除修正されており,本稿もその表記に従ったが,返点については省略した。〈 〉の表記は,仮刑律の原文が二行割書であることを示す。下線は,説明の便宜のため,黒澤が付したものである。
(14) 水林校注・前掲注(6)11頁の注を参照。
(15) なお,新律綱領および改定律例59条においては,「告訴」ではなく,「陳告」との語が用いられている。
(16) なお,「人命」律の「人命内済」条によれば,人が殺された場合に,「〈官に不告〉内済」する(つまり通報せずに当事者間で裁判外解決をする)ことは,犯罪となる(岡編・前掲注(6)280頁以下,内閣記録局編・前掲注(6)75頁以下,水林校注・前掲注(6)35頁)。この人命内済条の趣旨については,「人命,特に肉親のそれを尊重するという法意もあるではあろうが,当時としては寧ろ殺人罪に対する司法権の発動を迅速且つ確実ならしめるということに重点が置かれたのではないかと考える」(岩崎・前掲注(6)(一〇)神奈川法学4巻2号・5巻1号合併号(1969年)146頁以下も参照)との指摘がある。
(17) 2006年6月に,「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律の一部を改正する法律」(平成18年法律第86号)および「犯罪被害財産等による被害回復給付金の支給に関する法律」(平成18年法律第87号)が公布され,一部の組織的犯罪に関してであるが,犯罪被害財産を没収・追徴し被害回復給付金に充てることになった。
(18) 岡編・前掲注(6)282頁以下,内閣記録局編・前掲注(6)76頁,水林校注・前掲注(6)37頁。また,岩崎・前掲注(6)(一〇)神奈川法学4巻2号・5巻1号合併号(1969年)159頁以下も参照。
(19) 岡編・前掲注(6)282頁,内閣記録局編・前掲注(6)76頁,水林校注・前掲注(6)36頁以下。また,岩崎・前掲注(6)(一〇)神奈川法学4巻2号・5巻1号合併号(1969年)157頁以下も参照。
(20) 岡編・前掲注(6)284頁,内閣記録局編・前掲注(6)77頁,水林校注・前掲注(6)38頁を参照。
(21) 岩崎・前掲注(6)(一〇)神奈川法学4巻2号・5巻1号合併号(1969年)161頁以下を参照。
(22) もっとも,仮刑律の編纂者が法体系の完全性をどこまで意識して編纂作業を進めていたのかは定かではない。
(23) 岡編・前掲注(6)260頁以下,内閣記録局編・前掲注(6)67頁,水林校注・前掲注(6)20頁以下。また,岩崎・前掲注(6)(八)神奈川法学3巻2号(1967年)67頁以下も参照。
(24) 新律綱領の編纂過程については,小早川・前掲注(11)1頁以下,手塚豊「新律綱領編纂関係者考」手塚豊『明治刑法史の研究(上)〔手塚豊著作集〕第四巻』(慶應通信,1984年)31頁以下,藤田弘道「新律綱領編纂考」藤田弘道『新律綱領・改定律例編纂史』(慶應義塾大学出版会,2001年)5頁以下等を参照。
(25) 「新律綱領」(1870年(明治3年)12月20日,布告第944)については,復刻版である内閣官報局編『法令全書(第三巻)明治三年』(原書房,復刻版・1974年)572頁以下を参照した。
(26) 水林・前掲注(8)555頁以下。清律の影響については,中山・前掲注(3)25頁以下および47頁以下を参照。なお,西原春夫は,新律綱領は,罪刑法定主義を否認し,身分による差別待遇を是認し,部分的に結果責任主義を認めており,封建的な性格に満ちていると評価している(西原・前掲注(1)57頁以下)。
(27) 内閣官報局編『法令全書(第六巻ノ一)明治六年』(内閣官報局,1889年;原書房,復刻版・1974年)224頁以下。
(28) 水林・前掲注(8)556頁以下。また,西原・前掲注(1)58頁等を参照。なお,旧刑法制定まで 【p.320/p.321】 に,「校正律例」という草案が存在する(岡琢郎編『日本近代刑事法令集(司法資料・別冊第一七号)・中巻』(司法省秘書課,1945年)297頁以下。また,手塚豊「校正律例について」手塚豊『明治刑法史の研究(上)〔手塚豊著作集〕第四巻』(慶應通信,1984年)153頁以下〔初出は,同「校正律例について」慶應義塾大学・法学研究22巻4号(1949年)26頁以下〕も参照。)。
(29) 原典である法令全書では漢字等の旧字体が用いられているが,本稿ではこれを一部改めている。また,法令全書には返点が付されているが,本稿では省略している。さらに,法令全書にはフリガナが付されている部分があるが,本稿ではフリガナの付されていた直後に[ ]で表記した。なお,新律綱領には条文数は付されていないので,識別の便宜のために法令全書の頁・行数を〔 〕で付した。
(30) さらに,「首服」では,詫びることが想定されているようである(新律綱領・改定律例の大注釈書をまとめた近藤圭造は,首服を「其始末ヲ白状シ詫ヲ入タル」と説明している(近藤圭造『新律綱領・改定律例合巻註釈・巻二』(1874年)24頁))。なお,「人命律」〔632頁9行目〕の「私和人命」条〔640頁15行目〕は,仮刑律の「人命内済」条(前掲注(16)を参照)を引き継ぎ,人が殺された場合に,「私和〈ナイサイ〉」する(つまり通報せずに当事者間で裁判外解決をする)ことを犯罪としている。改定律例においても一部修正はあるが,第200条に私和人命條例が置かれている。
(31) その趣旨は様々なものが考えられるが,ドメスティック・ヴァイオレンスにも介入すべきであるという近時有力になってきている考え方とは相容れないものであろう。
(32) 内閣官報局編『法令全書(第七巻ノ二)明治七年』(内閣官報局,1890年;原書房,復刻版・1975年)1346頁。
(33) なお,石井紫郎=水林彪校注「新律綱領・改定律例」石井紫郎=水林彪校注『法と秩序(日本近代思想大系7)』(岩波書店,1992年)312頁の注。また,この点について,石井良助は,「有夫姦をみだりに告訴〔ママ〕するものが多く,弊害が少なくないので,これを防ぐために,西洋の親告罪の制にならって設けた規定である。」とする(石井編・前掲注(3)285頁)。当時の「告訴」が告訴と告発の両者を含むことを前提にしているようであるが,親告罪規定を設けても告訴を防ぐことはできないのであるから,現在の用語法に従えば,この司法省達は第三者による濫「告発」を防ぐ趣旨ということになろう。
<補遺:2007-09-14>この司法省達について詳細な検討をしているものとして,霞・前掲注(3)161頁以下〔初出は,霞信彦「明治七年司法省第一〇号布達の成立をめぐる若干の考察」法学研究60巻2号(1987年)201頁以下〕および183頁以下〔初出は,霞信彦「明治七年司法省第一〇号布達施行直後の伺・指令」法学研究61巻11号(1987年)1頁以下〕がある。
(34) 内閣官報局編『法令全書(第八巻ノ一)明治八年』(内閣官報局,1890年;原書房,復刻版・1975年)150頁以下。
(35) なお,「讒毀」は事実の有無に関係なく人の栄誉を害すべき事実(「行事」)を公然と摘示(摘発公布)すること,「誹謗」は事実を摘示せずに悪名を公布することである(讒謗律1条)。以上について,石井編・前掲注(3)287頁も参照。
(36) なお,仮刑律の「掛り役人犯事を隠す」条は,次のように「吟味を遂ず」と定めており,受理に関わる部分は必ずしも明らかではない。
 「凡、婚姻・田宅・姦盗・詐欺・闘殴等一切之訴訟犯事、掛り役人随即に吟味を遂ず其事を隠し置ものは、犯人之罪、笞に当るは笞五十、死罪に当るは笞八十、各除役。…以下略…」
(37) もっとも,これは伝統的主従関係の系譜をひく家長・奴婢関係における家長の奉公人支配を弱めていく時代の推移を表すものとされる(水林彪「新律綱領・改定律例の世界」石井紫郎=水林彪校注『法と秩序(日本近代思想大系7)』(岩波書店,1992年)534頁,川口・前掲注(3)70頁を参照)。
(38) 旧刑法の編纂については,とくに,新井勉「旧刑法の編纂(一)~(二)・完」京都大学・法学論叢98巻1号(1975年)54頁以下・同98巻4号(1976年)98頁以下を参照。また,本段 【p.321/p.322】 落の記述については,石井編・前掲注(3)452頁以下,川口・前掲注(4)151頁以下,小早川欣吾『明治法制史論・公法之部(下巻)』(巌松堂,1940年)999頁以下,横山・前掲注(12)329頁以下,吉井蒼生夫ほか編著『旧刑法別冊(1)刑法草按注解・上(日本立法資料全集8)』(信山社,1992年)3頁以下,早稲田大学鶴田文書研究会編・後掲注(41)第I分冊5頁以下等も参照。
(39) 新井・前掲注(38)(一)58頁を参照。
(40) 新井・前掲注(38)(一)58頁以下を参照。
(41) 新井・前掲注(38)(一)63頁以下を参照。司法省での編纂作業を収めた資料として,早稲田大学鶴田文書研究会編『日本刑法草案会議筆記(第I分冊~第IV分冊)』(早稲田大学出版部,1976~1977年)を参照。また,上記の早稲田鶴田文書研究会編のものと同一底本を翻刻したものとして,西原春夫ほか編著『旧刑法〔明治13年〕(3)-I~III(日本立法資料全集32)』(信山社,1996年)を参照。
(42) 新井・前掲注(38)(一)67頁以下を参照。なお,旧刑法に対するボアソナードの影響について,岩谷十郎「ボアソナードと二つの仏文刑法草案」慶應義塾大学・法学研究64巻1号(1991年)57頁以下,同「内閣文庫所蔵旧刑法手稿仏文草案―ボアソナードの編纂過程関与の実態―」慶應義塾大学・法学研究64巻9号(1991年)87頁以下,小野清一郎「舊刑法とボアソナードの刑法學」小野清一郎『刑罰の本質について・その他』(有斐閣,1955年)425頁以下,藤田正「旧刑法の編纂におけるボアソナードの役割」北海学園大学学園論集72号(1992年)21頁以下等を参照。
(43) 新井・前掲注(38)(二)98頁以下を参照。
(44) 新井・前掲注(38)(二)106頁以下を参照。
(45) 明治「刑法」(明治13年太政官布告第36号)については,復刻版である内閣官報局編『法令全書(第十三巻ノ一)明治十三年』(原書房,1976年)101頁以下を参照した。
(46) なお,旧刑法と同時に公布された刑事手続法である「治罪法」(明治13年太政官布告第37号)と告訴権・親告罪との関係については,拙稿・前掲注(2)1頁以下を参照。
(47) 自首・首服規定の成立過程については,山火正則「現行「自首・首服」規定の成立過程」神奈川法学30巻1号(1995年)151頁以下(とくに首服については166頁以下),矢野祐子「旧刑法における自首条の成立」早稲田法研論集56号(1990年)79頁以下・同57号(1991年)117頁以下を参照。また,霞信彦「自首条の適用をめぐる若干の考察」霞信彦『明治初期刑事法の基礎的研究』(慶應通信,1990年)63頁以下〔初出は霞信彦「自首条の適用をめぐる若干の考察」慶應義塾大学・法学研究60巻10号(1987年)1頁以下〕も参照。
(48) 旧刑法の編纂過程においては,とくに告訴権者の範囲・規定方法等に関して議論が展開されている(早稲田大学鶴田文書研究会編・前掲注(41)および西原ほか編著・前掲注(41)の各親告罪の該当箇所を参照)。
(49) 早稲田大学鶴田文書研究会編・前掲注(41)および西原ほか編著・前掲注(41)を参照〔本稿での引用は可能な限り後者によった〕。なお,『日本刑法草案会議筆記』および両資料の位置づけについては,それぞれの初巻冒頭に付された解題を参照。
(50) 西原ほか編著・前掲注(41)(3)-III・第一案274頁,第一稿282頁,第二稿288頁を参照。もっとも,告訴権者の範囲等については議論がおこなわれている。
(51) 「日本刑法草案」に対するボアソナードによる注解では,以下のように述べられている(吉井蒼生夫ほか編著『旧刑法別冊(2)刑法草按注解・下(日本立法資料全集9)』(信山社,1992年)1014頁以下)。
 「…前略…抑モ脅迫ヨリ生スル社会ノ害ハ脅迫ヲ受タル者ノ感シタル所ノ恐怖ニ在リテ為メニ其者ノ安寧ヲ多少長ク重大ニ撹乱セラレタルヲ以テナリ然トモ如何ナル点マテ其恐怖ヲ 【p.322/p.323】 生セシカ其恐怖ノ軽重長短ヲ判定シ得ルハ獨リ其脅迫ヲ受タル本人ノミナルコト明カナリトス故ニ検察官其職権ヲ以テ起訴ヲ為スニ当リ脅迫ヲ受ケタル本人裁判所ニ出テヽ己レハ毫モ恐ヲ懐キシコトナク其脅迫ハ虚妄ナル傲言ト看做シ若クハ悪戯ト看做シタリト述フルコトアルノ危険ニ遭遇セザランコトヲ要スルナリ」〔黒澤が一部を常用漢字等に改めた〕
(52) 本条項の編纂過程(第二稿)において,鶴田の「元来略取ノ罪ヲ被害者云々ノ告訴ヲ待〔ツ〕ト為スハ少シ妥カナラス」との発言に対して,ボアソナードは,「然シ略取誘拐ノ罪ハ大抵男女間ノ情欲上ヨリ生スル者ニ付第二項〔黒澤注:この段階では第二項であった〕「婚姻云々」ノ法ヲモ立タル位ナレハ矢張告訴ヲ待〔ツ〕ト為ス方宜シカラン」と応答している(西原ほか編著・前掲注(41)(3)-III・359頁)。
(53) 本条項の編纂過程(第一案)において,ボアソナードは次のように述べている(西原ほか編著・前掲注(41)(3)-III・379頁以下)。
 「此條第一項〔黒澤注:第一案の第8条1項〕ノ告訴ヲ待テ其罪ヲ論スルコトハ獨乙刑法第百七十七條ニモ其例アリ故ニ之ヲ爰ニ置クハ至極良法ナリ〔黒澤注:ドイツにおける強姦罪は,1871年(明治4年)ライヒ刑法典では親告罪とされていたが,1876年(明治9年)改正により非親告罪化されている〕…中略…
 此條ニ於テ告訴ヲ待テ其罪ヲ論スルト為スハ何トナレハ父母抔ニ於テハ其ノ強姦セラレタルコトヲ怒ルト雖モ又或ハ其娘ノ恥辱ト為ルヘキコトヲ顧ミ恐レ内済セントスル者ナキニアラス然ルニ之ヲ検事等ヨリ告発スル時ハ却テ大ニ迷惑ヲ為スヘキ事アレハナリ」
 これに対して,鶴田は次のように応答している(同380頁)。
 「然リ強姦ヲ為シタル犯人ハ太タ悪ムヘシト雖モ又タ其悪ムヘキニ換ヘ難キ恥辱ト為リ名誉ヲ害スルニ至ルコトアリ
 例ハ処女等ニ至テハ一旦強姦セラレタル世評ヲ受クル時ハ夫カ為メ竟ニ他ヘ嫁スヘキ妨害ト為ル事アルモ知ル可カラザレハナリ」
(54) 西原ほか編著・前掲注(41)(3)-III・第一案388頁以下,第一稿397頁,第二稿401頁を参照。
(55) 西原ほか編著・前掲注(41)(3)-III・第一案428頁以下,第二案434頁,第一稿440頁以下,第二稿445頁を参照。
(56) 本条項の編纂過程(第一稿)において,ボアソナードは次のように述べている(早稲田大学鶴田文書研究会編・前掲注(41)IV・2742頁)。
 「…前略…此條ノ罪ハ被害者ノ訴ヲ待テ論スル者ト為スヘシ何トナレハ例ハ猫一疋ヲ殺シタル時ニテモ検事等ヨリ告発スルハ不都合ナレハナリ」
(57) 本条項の編纂過程(第一案)において,鶴田は次のように述べている(早稲田大学鶴田文書研究会編・前掲注(41)IV・2858頁)。
 「…前略…軽罪誹毀ノ罪ハ被害者ノ訴ヲ待ツ事ト為セリ故ニ此罵詈ノ罪モ同シク被害者ノ訴ヲ待ツ事ニ為サヽルハ不権衡ナラン」
(58) 高木豊三『校訂刑法〔明治13年〕義解(第三編・第四編)』(博聞社,1882年;信山社,復刻版・1996年)〔以下の各注での引用にあたっては,黒澤が一部を常用漢字等に改めた〕。
(59) 「…前略…法律脅迫ノ罪ヲ罰スル所以ハ人ニ畏怖ヲ致スカ為メ而已故ニ仮令ヒ脅迫スル者アルモ其脅迫ヲ受ケタル者毫モ恐ルヽ所ナクンハ之ヲ罰スルヲ要セサルナリ而シテ若シ其脅迫ヲ畏ルヽ者ハ其ノ害ヲ避クルヲ欲シテ必ス之ヲ告訴ス可シ之レカ告訴アル即チ其畏怖ヲ致シタルノ證ナリ既ニ其ノ畏怖ヲ致ス即チ脅迫ノ罪アリ固ヨリ之ヲ不問ニ措クヲ得ス是レ此條告訴ヲ待テ其罪ヲ論スル所以ナリ」(高木・前掲注(58)919頁以下)。
(60) 「…前略…抑々此節掲クル所ノ罪ハ大イニ被害者ノ貞操栄辱ニ関スルモノナリ故ニ被害者又ハ其親属ニ於テ寧ロ之ヲ隠秘スルヲ優ルト為スモ亦知ル可カラス之ヲ発ヒテ翻テ大害ヲ致 【p.323/p.324】 スノ恐レアリ是レ其告訴ヲ待テ其罪ヲ論スル所以ナリ」(高木・前掲注(58)947頁)。
(61) 「姦淫ノ罪タル人ノ貞操ヲ汚スモノニシテ其害専パラ被害者又ハ其ノ親属ニ在リ若シ之ヲ発ク却テ其面目ヲ汚シ本人ノ不幸ヲ致ス恐レアリ故ニ其告訴ヲ俟テ其罪ヲ論スルモノトス其意蓋シ第三百四十四條ニ説ク所ト大略同シトス」(高木・前掲注(58)959頁)。
(62) 高木・前掲注(58)962頁を参照。なお,宮城浩蔵は,姦通罪が親告罪とされていることの理由を次のように説明している。すなわち,「…前略…本夫は事の社会公衆に発露するを恐れ敢て告訴せざるに,検事直ちに公訴を提起するを得るとすれば本夫を害すること鮮からず。是れ此罪の告訴権を本夫に専属せしめたる所以なり。」(宮城浩蔵著『刑法正義』(講法会,1893年;明治大学,翻刻版・1984年)翻刻版689頁)。
(63) 「此條ハ第三百二十九條第三百四十四條第三百五十條及ヒ第三百五十三條ニ説ク所ニ同シ故ニ又並ヒ再述セス」(高木・前掲注(58)981頁)
(64) 「…前略…有夫姦略取誘拐又ハ誹毀ノ罪ノ告訴ヲ要スルノ理由ト異ナリ畢竟其罪ノ軽小ナルヲ以テ検官自カラ起訴ヲ用ユ可キモノタラサルヲ以テナリ」(高木・前掲注(58)1093頁以下)。また,同所では,フランス刑法452条から454条までが参照条文として指摘されている(同1094頁)。
(65) 「…前略…罵詈嘲弄ハ其人ノ地位若クハ生立又ハ其性質ニ依リテハ敢テ意ト為サヽルモノアルト既ニ夫ノ誹毀ノ罪ニ於テ被害者ノ訴ヲ待テ罪ヲ論スト定メタルヲ以テナリ」(高木・前掲注(58)1120頁以下)

提出年月日:2006年9月15日

〔付記〕
 片岡宏一郎先生には,私が2004年4月に富山大学経済学部に着任して以来,公私にわたり常に温かくお見守りいただきました。ご定年とはいえ,先生がご退職なされますことに,寂しさを感じずにはいられません。先生から賜りましたご恩への感謝の意を込めまして,拙い研究ノートではありますが,ここに寄稿させていただきます。


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